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季節の記憶・いだようの写真散録 №183 [文芸美術の森]

「朝涼」                      自然写真家  いだよう
2017年5月下期分.jpg

初夏といえども、山間の朝は涼しい。明け方、水面に朝霧が漂ってきた。
 
いだようのFacebookページ : https://www.facebook.com/idayoh/

『知の木々舎』第194号・目次(2018年5月下号編成分) [もくじ]

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【心の小径】

出会い、こぼれ話 №43                                教育者    毛涯章平
 第四十二話  白い虫・黒い虫
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-09

論語 №28                                                         法学者  穂積重遠
 七一 子のたまわく、富とた貴(たっとき)とはこれ人の欲するところなり。
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-09-2

余は如何にして基督信徒となりし乎 №17                                内村鑑三
 第三章 初期の教会 10
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-09-1

文化的資源としての仏教 №7           立川市・光西寺住職  寿台順誠
  往生考5
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10

【文芸美術の森】

季節の記憶 №183                                     自然写真家  いだよう
 「朝涼」 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-14-1

西洋百人一絵 №87                              美術ジャーナリスト    斎藤陽一
 アンリ・ルソー「女蛇使い」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-8

にんじんの午睡(ひるね) №10                         エッセイスト  中村一枝
 ターさんとすえ子さん 1
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-7

フェアリー・妖精幻想 №62                         妖精美術館館長  井村君江
 物語詩の妖精を描いた画家 3
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-6

芭蕉「生命の賛歌」 №30                                     水墨画家    傅  益瑤
 石山の 石より白し 秋の風
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-3

石井鶴三の世界 №94                                 画家・彫刻家  石井鶴三
 厳島1959年/宇高れんらく1960年
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-4

はけの森美術館Ⅲ №28                                画家  中村研一
  赤まんま
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-2

ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №32   早稲田大学名誉教授    川崎 浹
 市民たちが見たレーニンとスターリン6
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-5

【ことだま五七五】

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №16                  川柳家  水野タケシ
 5月10日分
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12-1

【核無き世界を目指して】

続・対話随想 №16                                             作家  中山士朗
 中山士朗から関千枝子様へ              
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-10

丸木美術館から見える風景 №47 原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣
  新たな出発
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-9

【雑木林の四季】

浜田山通信 №194                                      ジャーナリスト  野村勝美
 2020年までもつか
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-22

私の中の一期一会 №143       アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 安倍晋三首相が表明、“2020年に改正憲法の施行を目指す”と
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-23

徒然なるままに №19                                   エッセイスト 横山貞利
 もう一度、カッコウの啼き声を聴きたい
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-21

パリ・くらしと彩りの手帖 №121       在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ
  フランスの大統領選挙、第一次で絞られた二人が5月7日第2次に。
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-04-24-11

気楽な稼業ときたもんだ №58        テレビプロデユーサー     砂田 実
 第7章 ショクナイざんまい 忘れえぬザ・ピーナッツ 4
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-19

BS-TBS番組情報 №138                                  BS-TBS広報宣伝部
 2017年5月のおすすめ番組(下)
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-17

ロワール紀行 №54                         スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎
  悲しみの城館(シャトオ)、ブロワ 2
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-18

バルタンの呟き №13                         映画監督  飯島敏宏
「駅弁」と「駅便」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-16

ZAEMON 時空の旅人 №14                                文筆家  千束北男
 第九章 ニンジャ美穂
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-15

私の葡萄酒遍歴 №44                   ワイン・グルマン  河野 昭
 ワインへの道・・・アルゼンチン
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-14

いつか空が晴れる №15                                渋沢京子
  「日曜はダメよ」とパン屋とソクラテス
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-12

【ふるさと立川・多摩・武蔵】

玉川上水の詞花 №193                     エッセイスト  中込敦子
 ツルオドリコソウ(しそ科)
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-8

赤川Bonzeと愉快な仲間たち №90                銅板造形作家  赤川政由
 石川雅人・スプリング展
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-7

旬の食彩 僕の味 №97      レストラン「ヴァンセット」オーナー    大澤 聡
 黄金カニのアミューズ
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-6

立川陸軍飛行場と日本・アジア №145      近現代史研究家  楢崎茂彌
 2万人のラジオ体操 訪欧機「東風」引退
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-5

線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №79              岩本啓介
 八重桜と葉桜 多摩都市モンレール    
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-4

押し花絵の世界 №39                         押し花作家  山崎房枝
 「チュリッシュ」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-3

渋紙に点火された光と影 №14                型染め版画家  田中 清
 松前漁村 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-10-2

【代表・玲子の雑記帳】                       『知の木々舎 』代表  横幕玲子
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-05-12


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「もくじ」・「執筆者紹介」・「代表玲子の雑記帳」・「心の小径」・「文芸美術の森」・「ことだま五・七・五」・「雑木林の四季」・「ふるさと立川」・「核無き世界をめざして」があります。
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西洋百人一絵 №87 [雑木林の四季]

アンリ・ルソー「女蛇使い」
                                  美術ジャーナリスト・美術史学会会員  斎藤陽一

 アンリ・ルソー(1844~1910)は、一般に「素朴派」の画家とされるが、なかなか一筋縄ではいかない画家である。
 「素朴派」とは、ある特定の流派を指すのではなく、専門的な美術教育を受けず、全くの独学で自分の好きなような絵を描いた一群の素人画家たちのこと。一見、子どもが描いたような稚拙な表現に、独特の素朴な味わいがある。
 確かにルソーも「素朴派」の特徴を備えているが、画家自身の人生や私生活は謎めいており、その作品には、人を失笑させる稚拙さがある反面、驚くほどの写実性と虚構性が交錯し、白日夢のような幻想世界を現出させる画家でもあるのだ。

 「女蛇使い」(1907年)は、ルソー62歳の作品である。長年、パリ市入市税関の下級職員として過ごしながら、40歳頃から絵を描き始めたルソーは、作品を審査不要の「アンデパンダン展」に出品するのを常とした。
 ところが、初期の絵を見た人々の反応は、「目に涙を浮かべて笑い転げていない者は1人もいなかった」という具合だった。その後も、「ルソーの作品はアンデパンダン展の大きなアトラクションだった。何百人もの人々がその前に立ち、笑った」(W.ウーデ)。

 ところが、1907年の「サロン・ドートンヌ展」に、ルソーの「女蛇使い」が展示された時、それまでのルソーの絵につきものだった哄笑や嘲笑は「突然ぴたりと止んだ」。

 うっそうと茂る熱帯林のかたわら、月の光を浴びて、ひとりの女が笛を吹いている。たくましく黒いシルエットに目だけがきらりと光っている。
 よく見れば、女の首には蛇が巻きついている。いやそれだけではない、彼女の足元にも首をもたげた3匹の蛇、さらに密林の木に胴体を巻きつかせて鎌首を伸ばしてくる大蛇もいる・・・そう、彼女は、笛の音色で自在に蛇をあやつる蛇使いなのだ。妖しい調べに魅せられて、密林の木々や草むらさえ、蛇のようにうごめきだしているように見える。
 夜空に浮かぶ白い月、熱帯林の濃密な緑、女の黒いシルエットと金色の眼、蛇たちの黒いうごめき・・・それらが織りなす幻想世界に、水鳥の紅が効いており、さらなる夢幻的な趣きを添える。

 ルソーは、60歳頃から熱帯の密林風景をしきりに描き始めた。それらの絵に描かれた木々の幹や枝のたたずまいや、一枚一枚丁寧に描き込まれた葉の描写が、あまりにリアルなので、人々は「ルソーは熱帯に行ったことがあるのかも知れない」と思ったりした。ルソー自身も「兵隊としてかつて熱帯地方に派遣された」と語ったが、実はこれはルソーがしばしば行った虚言のひとつで、実際には一度も行ったことはなかった。彼が通ったのはパリの植物園で、熱帯の植物を熱心に観察し、それを自分の絵に生かしたのである。

 ルソーは、描く対象のひとつひとつにのめりこみ、それを愚直なまでに丁寧に描く。そのとき、ルソーの中では、ものの大小の違いや全体の遠近感は念頭にない。彼の関心を引くものは遠くにあっても大きく描き、そうでないものは近くにあっても小さく描く。ルソーの描く人物は、いずれも人形のように正面向きである。彼は人間をそのような姿でしか把握していないからである。木々の葉っぱは、異常な集中力を見せて、一枚一枚を愛おしむように描写する。でありながら、時には、夢想家ルソーが夢見た非現実的な妖しいものも、画面に登場したりする。
かくして出来上がった絵からは、既存の絵画には見られない、写実と虚構と夢想が交錯する不思議な詩情が放射される。
 当初、人々は、そのようなルソーの絵を見るたびに笑い転げたが、ルソーの写実性と虚構性と夢想が見事なかたちで溶け合った「女蛇使い」の前では、その呪術にかかり、言葉を失ったのである。

087アンリ・ルソー「女蛇使い」.jpg

            アンリ・ルソー「女蛇使い」(1907年。パリ、オルセー美術館)

にんじんの午睡(ひるね) №10 [文芸美術の森]

ターさんとすえ子さん 1

                    エッセイスト  中村一枝

 ターさんは母の二番目の弟である。若いときから真面目一方で、苦学して大学を出た。私が知ったときには横浜税務署に勤める若い署員であった。私は幼いときからターさん、ターさんと纏わりついていたらしい。ターさんは一時わたしの家に居候していたこともあり、他の叔父たちに比べて優しくて、きゃしゃで、スマートなのが子供心にかっこよく見えたのだ。だいたい背広に白いワイシャツ、ネクタイをきちんとしめた男の人などあまり来る家ではなかったから、そういう様子の良さも好ましく、私は今にターさんのお嫁さんになりたいと思ったのだ。ターさんは私の家にいるとき自分の部屋に置いてあるギターを爪弾きし、「おいマー坊、(私は当時マー坊と呼ばれていた。)ギター弾くから串本節覚えろよ」などと言って、部屋の中を身振り手振りよろしく踊ったりした。
 あるときターさんは胸のポケットから大切そうに一枚の写真を取り出した。横向きに座っている女の人の写真だった。ほっそりした鼻筋の、きれいなおねえさんで、柔らかなウエーブの付いた豊かな髪が肩先にこぼれている。セーラー襟の白っぽいブラウスは当時としてはとても斬新だった。更に細いひもが何本も付いた、かかとの高いサンダルがモダンで、まるで外国の女優さんみたいと私は思った。ターさんはやがてその人をうちに連れてきた。私のことも「姉のうちの子でまさちゃん」と紹介してくれた。
 ターさんは間もなく目黒川沿いの新築のアパートに引っ越した。私は、母の一番下の妹で私と一つ違いのたかこちゃんと一緒にその新婚家庭に遊びに行った。まだ真新しいアパートは木の香りが漂うような清々しい香りに包まれていた。部屋に置かれた座布団も机も鏡台もどれも真新しく、私とたこちゃんはピカピカの道具にただため息をつくだけだった。帰り道たこちゃんが大人っぽい声でいつた。
 「わたし、結婚したくなっちゃった」
 「わたしもよ」
 ターさんに赤紙が来たのはそれから一年くらい後だった。二人の間には宙ちゃんと言う男の子が生まれていた。すえ子さんは相変わらず綺麗だったが前の晩泣きはらしたのか、目の回りが腫れていた。大勢の見送り人の中に在郷軍人会のタスキをかけたおじさんたちが何人もいて、大きな声でしゃべっているのがわたしはたまらなく嫌だっだ。人々のずっと後ろに隠れるように立っているすえ子さんがかわいそうで、その威張っているおじさんたちがいっそう憎らしかった。ただ幸運にもターさんは身体検査が不合格になって二週間くらい後に、軍隊の営門を逃げるように出てきたそうである。
 戦後、出石の家は戦争で家を失った人たちやその知り合いなど、おおぜいの人が身をよせていたことがあったらしい。世の中の秩序がすこしずつ戻って来て、出石の家はターさんがわたしの父から譲り受けた。戦争中も戦後もターさんの生き方は変わることはなかったけれど、わたしが未子さんにお世話になったのはそれから後のことである。
 わたしがターさんの新婚家庭を訪ねてから、時が流れていた。小学生のわたしは高校生、かつてのニキビを潰していたお兄さんは中年のうるさいおじさんに変貌していたのである。(続く)

フェアリー・妖精幻想 №62 [文芸美術の森]

ラファエル前派とテ二ソンのアーサー王の物語1

                   妖精美術館館長  井村君江

 ラファエル前派の画家たち、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(一八二八-八二)、ウィリアム・モリス(二八三四-九六)、エドワード・バーン=ジョーンズ(一八三三-九八)、ジョン・エヴェレット・ミレイたちが好んで描いた画題の一つに、アーサー王物語の人物たちがある。
 アルフレッド・テニソンのアーサー王物語を主題とした『国王牧歌』への挿絵(初版表紙およびデザインはトマス・ウルナー、(一八八九)、モクソン版『テニソン詩集』への装画(二八五七刊)、オックスフォード学生会館(ユニオン)のデベイティング.ホール壁画のアーサー王伝説製作(一八五七)などが彼らにそれぞれ、特にアーサー王を中心とした中世騎士の世界を描かせることになった。
 ここで興味深いことは、一八三四年に炎上したウエストミンスター宮の議事堂内の壁画の主題にアーサー王伝説を選んだ当時のロイヤル・アカデミーの中心者ウイリアム・ダイスが、七つの徳といったモラル的な次第をえらんでいるのに対し、ラファエル前派は彼に無視されている超自然的要素を選んでいることである。
 エドワード・バーン=ジョーンズの『誘惑されるマーリン』(一八七四)には、『マーリンとニミユエ(ヴィヴィアン)』の別題がある。アーサー王の助言者としての力を持つ魔法使いマーリンが、恋に溺れ、愛の虜(とりこ)となって湖の精二ミユ工に自分の術をすべて与えるというもので、バーン=ジョーンズはそれを青衣の女が捧げる書物で象徴させている。
 このあとマーリンはその術でかえって空中の牢(一説には地下の岩屋)に、永久に閉じ込められるのであるが、放心したような目とまかせきったようにカを抜いた手のポーズをみせる白い花の中のマーリンの姿には、恋人メアリー・ザンバコに魂を奪われたバーン=ジョーンズが、自嘲的に自分の姿を描いているようである。彼はこの他、女性の魔力に屈するマーリンを画題に、『魔法の輪』(一八八〇頃)や『潮の精に石の下にとじこめられるマーリン』を描いており、二人の関係のヴァリエーションを画題にしているようである。
 また、テニソンが不義として非難するギネヴィァ王妃と騎士ランスロットの愛を、ラファエル前派の画家たちは美と官能にあふれる宮廷恋愛の世界として措いている。
 バーン=ジョーンズも好んでランスロットを描いたが、『ランスロットの髪(一八九六)は聖杯探求途上のランスロットが、夢に現れた天使に探求の資格のないこと蒼口げられる場面である。棟木の細い枝が荒涼とした戸外の雰囲気を闇の中にきわだたせ、廃屋からもれる光だけが天使と希望の失せたランスロットに射しており、神秘的で侵しがたい感銘深い画面を構成している。
J.Archerアーサー王の死.jpg
ジェイムス・アーチャー「アーサー王の死」
E.B.Jones「ランスロットの夢」.jpg
            エドワード・バーン=ジョーンズ「ランスロットの夢」


『フェアリー』 新書館

芭蕉「生命の賛歌」 №30 [雑木林の四季]

石山の 石より白し 秋の風

                  水墨画家    傅  益瑶

石山の.jpg

 那谷寺の境内はいくえにも岩石が寄り添い、老松に囲まれた岩上には観音堂が建つ。
 秋の風は、中国では雲もなし、霧もなし、すべてが澄んでの「清明」とされ、白しはその姿である。石山の岩肌は、メッセージを持って、秋風によって意思が運ばれる。秋風の生命が岩に宿って、メッセージが清明に伝えられる。秋風に感謝する気持ちが芭蕉の自然観照だ。


『傅  益瑤 「奥の細道」を描く 芭蕉「生命の賛歌」』  カメイ株式会社


ロシア~アネクドートで笑う歴史 №32 [文芸美術の森]

第二章 民衆たちのテーブル・トーク
  市民たちが見たレーニンとスターリン 6

               早稲田大学名誉教授  川崎 浹                        

「スターリンよ、ありがとう」

 つぎは、相手がスターリンでも少しは笑いに近づくアネクドートを二つもちだそう。


 メーデーの行進で、高齢の老人の行列がプラカードをかかげていた。
 「私たちの幸福な少年時代にたいして同志スターリンよありがとうー⊥
 制服をきた男が走ってきた。
 「どうしたのです、あんた方は? 愚弄しようというのですか? あんた方が子どものころはまだ同志スターリンは生まれていなかったじゃないですか!」
「だからこそ、かれに感謝しているんじゃよー⊥

 ある老ポリシェビキがもう一人のポルシェビキにいった。「我々が共産主義まではいきのびられないだろう。しかし子どもたちは‥…・子どもたちがかわいそうだなあ」

 笑いを誘うことは責だが、時代によっては、これもラーゲリ送りまちがいなしのアネクドートではなかろうか。

身の安全に腐心
 つぎのアネクドートは比較的よく知られている作品である。

 深夜、スタ-リソが受話器をとる。
 「どうだい、同志モロトフ、きみ、いつものようにどもっているかね」
 「どもっています。同志スターリン。しかし社会主義建設のために必要だというのでしたら……」
 「いいや、いいよ、いいよ、ゆっくり寝みたまえ」
 受話器をおいて、こんどはミコヤンに電話する。
 「どうだい、同志ミコヤン、バクーでは政治委員は何人いたかね?」
 「二七人です、同志スターリン……」
 「何人死んだ(バギバーリ)?」
 「二六人です、同志スターリン」
 「じゃぁ、ゆっくり寝みたまえ、バクーの二七人目の政治委員君-・」
 こうして受話器をおき、こんどほべリヤに電話する。
 「どうだい、同志べリヤ、君はブハーリンをりっばに銃殺したねヱ
 「りっばに遂行しました、同志スターリン。それでなにか?」
 「いや、別になんでもない。ゆっくり寝みたまえ」
 スターリンは受話器を置くと、こういう。
 「よしと、これで彼らを安心させた。こんどはわし自身も安心して寝ることができる」

 ロシア語の「死んだ(バギバーリ)」は不慮の死をとげることで、病死や衰弱死ではない。ここでは粛清を意味している。同類のアネクドートがあるが、右の作品のほうが暗示的かつ政治的で洗練されている。
 というのは、もうひとつの作品では、ミコヤンにスターリンが「バクーには政治委員は何人いたんだ? うち何人始末したんだったかね? 「二八人いましたが、始末したのは二六名です、同志スターリン」。ここまではほぼ同じだが、そのあとでスターリンがべリヤに電話していう。「あいかわらず若い娘とよろしくやるのに忙しそうだな?」「とんでもありません。それも時と場合によりけりです」
 相手が娘とブハーリンでは緊張感がちがう。いずれにしろ、アネクドートの面白さほ受信者の意表をつく「思いがけないとどめ」 にある。
 猜疑(さいぎ)心がひじょうに強かったスターリンはたえず身の安全に腐心していた。元スターリン秘書の手記がパリの「ロシア思想」紙にでていた。秘書がとつぜん部屋に入ると、配下の話を盗聴マイクで聞いていたスターリンと、瞬間、目が合った。そのとき、秘書が理解したことをスターリンも理解し、それをさらに秘書は理解した。秘密を知りすぎた秘書はのちに投獄をおそれ、亡命せざるをえなくなった。
 スターリンはまたあるときフルシチョフに「なぜ、わたしの目をまっすぐ見ないのだ。なにか後ろ暗いことがあるのか」といった。側近たちもスターリンとの関係にはつねに緊張を要した。
 右のアネクドートに登場するモロトフはスターリン政策の忠実な執行者で、主として外務関係で大きな役割をはたした。かれは吃音だった。五七年、フルシチョフを退陣させる「反党グループ」の首謀者として、モンゴル大便に左遷された。
 また、ミコヤンは貿易関係で活躍した政治局員。六〇年代に商用で来日したことがある。
 当時、モスクワに駐在していた日本人商社マンが交通事故でロシア人を轢死(れきし)させ、長期の刑で監獄に入っていた。ミコヤンは日本人への手土産にその商社マンの釈放をたずさえてきた。なかなかうまい手を使うものだ。商社マンの母親が涙を流してお礼をいうと、ミコヤンは「よかった、よかった、お母さん。母親というものは、子どものことになると、嬉しいときも悲しいときも、涙を流すものですよ」とアネクドートばりの人情外交を演じた。
 反党グループ事件の際にはフルシチョフ側につき、その後もこのようにして政治生命をながらえた。
 べリヤは三八年末に大粛清を実行したエジョフのあとをついで内務人民委員となり、その後の治安をひきうけた。べリヤはスターリンの意志をくみとり、あるいは先取りして実行した冷酷な獄吏である。
 その極端な好色ぶりと性格破綻で知られている。もっとも『クレムリンの子どもたち』(クラスコーワ編、太田正一訳成文社、一九九八年)に登場するべリヤのまじめな技術者である息子は「父は愛情をもったよき家庭人であり、よき父親だった」と信じている。
 ブハーリンはウイーン大学で経済学をまなんだほどのインテリで、理論と実践に秀でた党員だったから、スターリンもかれを危険な競争相手とみなさざるをえなかった。『アルバートの子供たち』にはふたりの緊張した出会いの場面がえがかれている。

『ロシアのユーモア』 講談社選書


石井鶴三の世界 №94 [文芸美術の森]

厳島1959年/宇高れんらく1060年

           画家・彫刻家  石井鶴三

1959厳島.jpg
厳島 1959年 (175×127)
1960宇高連絡.jpg
宇高れんらく 快晴海上きわめてしずか 1960年 (123×174)

**************                                                                           【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


はけの森美術館Ⅲ №29 [文芸美術の森]

赤まんま

                  画家  中村研一

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彩色 和紙 33cm×24cm

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鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の長男として、福岡県宗像郡に生まれる。
1920年、東京美術学校を卒業。同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞、1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞する。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となる。1923年、パリに留学、ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞する。
戦時中は、藤田嗣治らとともに、軍の委嘱を受け作戦記録画を制作した。「コタ・バル」は代表作として名高い。
戦後は、小金井市中町に転居し永住する。日展、光風会展を中心に作品を発表し、1950年、日本芸術院会員に推挙される。1958年、日展常務理事となる。画面に感情や情緒などを付加せず、抜群のデッサン力と構成力で写実的な画風を創り上げ、そのアカデミックで堅実簡明な画風は昭和新写実主義を代表するものであった。夫人をモデルにした婦人像と裸婦像を多く制作している。
1967年8月28日、胃癌により国立癌センターで死去。享年72。

小金井市立はけの森美術館  〒184-0012 東京都小金井市中町1丁目11−3

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中村研一記念はけの森美術館正面

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №16 [ことだま五七五]

                  読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆5月10日放送分

                川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、2017年5月10日放送分の内容です。

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梅雨のような雨に濡れる鉄線の花                     

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雨の中をスタジオ入り。レインウエアのまま撮影

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
http://fm839.com/program/p00000281
5月10日の再放送の音源は、こちらから!https://youtu.be/puxJabtT-_U

【質問コーナー】
課題を詠み込まないで作るコツを教えてください。(グランパさん)
音源はこちら……https://youtu.be/puxJabtT-_U

【今週の一句】
今回は「音」をテーマに川柳を募集しました。217句の投句がありました!!
たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・ミスチルとサザンで揉める手術室(外科系)

☆タケシのヒント!
「『音』を題材にさまざまな視点の川柳をお寄せいただきました。川柳は『視点』です。同じテーマで句を作ると、自分にない視点がたくさんあって勉強になります。聴くだけ、読むだけでも楽しいものですが、ご自分も句を作って参加すると、より一層、視点の重要さが勉強になりますよ。次回『題詠』の折には、ぜひご参加くださいませ!」

・風呂場での鼻歌俺も裕次郎(あさひろ)
・反戦は雑音でしかないのかな(秦野てっちゃん)

☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「大型連休をはさみ2週間ぶりの放送。214句の投稿がありました。今回は「音」のお題がありましたが、読み込めていない句もありましたよ。名句でもボツでした。今週のボツのツボ!「政治家の口につけたい消音器」秦野てっちゃん。信じられないような言葉が政治家から次々と。」

・子の声が嫌ならおらが村さ来や(龍龍龍)
・ノックして八十才の戸を開ける(アキちゃん)
・からたちの花が咲いたよポンと咲く(平谷妙子)
・つまみ食い静かにやるとなお聞こえ(わんわん)
・号砲に驚き一歩出遅れる(キャサリン)
・オノマトペ世界に誇る日文化(パリっ子)
・音出ない古いステレオインテリア(ラジゴ)
・耳を樹に当てりゃ命の音流れ(光ターン)
・10年目おならで会話する夫婦(クッピー)
・建て売りは夫婦喧嘩もままならず(でんでん虫)
・宅急便音を上げたから値を上げる(入り江わに)
・パカパカと本物だったロバのパン(はる)
・ギシと鳴る床が体重計代わり(荻笑)
・ごいっしょに読み詠み語る17音(酔とぉよ)
・整然と軍靴の響鰯雲(宮坂変哲)
・静寂の中で十九の猫が逝く(不美子)
・音の無い涙を流す午前2時(のりりん)
・こんな日はラジオがいいね外は雨(名人けんけん)
・逢えてキュン逢えずキュンキュン恋の音(どんぶらこ)
・朝が来てトントントンで目を覚ます(アンリ)
・留守電にアリバイのよな駅の音(北の夢)
・幼稚園建設嫌う住宅地(つや姫)
・眼鏡置く音が合図のメイクラブ(名人ユリコ)
・言葉より心癒した川の音(夢見夢子)
・頭頂部はさみ動かす音しない(東海島田宿)
・聴こえます軍靴平成29年(喜術師)
・タラの芽にこごみにウルイ舌つづみ(かたつむり)
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ラジ川名物、かたつむりさんのファクス

・シャープ記号付けて娘が部屋に来る(フーマー)
・現代の軍靴軽くて音静か(雷作)
・100歳のミックジャガーの現実味(りっちーZ)
・新緑を弾き飛ばして滝の音(六文銭)
・トクトクと昨日の夢を手酌酒(ただのおやじ)
本日の秀逸!・ミスチルとサザンで揉める手術室(外科系)
2席・新緑を弾き飛ばして滝の音(六文銭)
3席 ・頭頂部はさみ動かす音しない(東海島田宿)

【お知らせ】
毎度PRしていますが、万能川柳の年に一度のお祭り、5月27日の「強運者の集い」、その応募の締切り5月12日が迫ってまいりました!
「仲畑流大句会」のテーマ「夢」の川柳を一句書いてぜひお申込みください!
27日当日は、午後2時半に開場して大句会の選句。
4時から年間賞の表彰式などがあって、その後、懇親会、大句会の結果発表となります。
万能川柳のスター作家が大勢参加しますし、とにかく、初めて参加される方に優しい会で、お一人で、初めて、という方も十二分に楽しめます。
参加費は3000円ですので、ぜひ勇気を出して、一歩踏み出して頂ければと思います。
不明の点は、万能川柳クラブ「集い」係、電話03-3212-2349までご連絡くださいませ。

【放送後記】
ゴールデンウイークに東北旅行をされていたという あさひろさんから 嬉しいお土産をいただきました。
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青森の清酒と黒にんにくです。
黒にんにくは「皮をむいてこのままお食べください」ということですが、すでに佳い香りがしています。
これ以上元気になったらどうしよう……(笑)
                                                      タケシ拝
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」http://ameblo.jp/takeshi-0719/


雑記帳2017-5-15 [代表・玲子の雑記帳]

2017-5-15
五月、昭和記念公園は季節の香りにあふれています。

古民家にこいのぼりや五月人形、外蔵にも兜や鎧の段飾りががそろいました。

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古民家床の間
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外蔵の中も五月飾り

木漏れ日の里では麦畑がひろがって、色づくのもまじかです。
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日本庭園では炸薬が満開。盆栽は今、海外でも人気とあって、園内の盆栽園は大勢の人で込み合っていました。
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幹の白いのが人気とか。
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 室内には高さ10cmほどのミニ盆栽も

ハウスでアート!

立川には米軍基地があった時代の「ハウス」がまだ残っていることは以前、紹介したことがあります。
中でも、ちょっとおしゃれな戸建てが並ぶアメリカ村は全国でも有名ですが、もう一か所、長屋タイプのハウスがあります。
そこの住民で、『知の木々舎』に銅版の作品を紹介している赤川ボンズさんが、「ハウスでアート」をやるから遊びにおいでと誘ってくれました。

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一日目は残念ながら雨でしたが、二日目はまずまずのお天気。
通路を挟んで20軒ほどの平屋の集合住宅の中には、ギャラリーやカフェに解放された住宅もあってにぎわっていました。
路上ではアクセサリーや小物を売る店、有機野菜も並んでいます。
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スペインの古代小麦を栽培している地から買い付けたオリーブオイルを売る店では、ひとしきりのオイル談義でした。酸化させないためには決して高温で調理しないこと、炒めるときに音がしてはいけないのだそうです。それくらいオリーブオイルは熱に弱いのですね。
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3800円はちょっと高くて手がでないので、写真だけ。

有機野菜に取り組み、この月末、ブータンに有機野菜の栽培を指導に行くという響君は、驚くなかれ、まだ中学生です。
響君の作ったネギを買いました。200円。
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ジュエリストのベニータさんは生粋のバルセロナっ子(?)です。
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      ベニータさんのパエリアにはラタトゥーユとスペイン風オムレツが付いて800円。
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ハウスを残そうとよびかけるポスター

昔住んでいて、子供を連れて帰って来た若いお母さん、表で子供と手遊びをする女性。
通りに子供たちの声がひびいて、お茶を飲みながら見守るご近所さんの目がやさしい。
かっては日本のどこにでもあった光景です。

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ハウスがなくなればこんな昔ながらのコミュニテイもなくなる。コミュニティの居心地の良さを、外の人にも知ってもらいたいと、年に一度の「ハウスでアート」を始めて、今年で9年目になりました。

◆最近、立川のヤギがテレビによく登場します。春先、栃木県の預け先からもどってきたヤギたちは家族も増えて、こんなに大きくなりました。開発予定の空き地に、現在17頭が放し飼いされています。
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私の中の一期一会 №143 [雑木林の四季]

          安倍晋三首相が表明、“2020年に改正憲法の施行を目指す”と
    ~9条1項、2項を維持したうえで自衛隊を明記した条文を追加すると提起~
                                        アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 安倍首相は8日、衆議院予算委員会の集中審議で、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明した。憲法記念日に、改憲推進派の集会に寄せたビデオメッセージでは「9条1項、2項は維持し、自衛隊の存在を明記する条文を追加する」と具体的に述べていた。
 集中審議で、その意図や条文の具体的な中身を質されると、あれは自民党総裁としての考えであり「この場では首相としての答弁だけに限定する」と強調して具体的な中身には言及しなかった。
誰もが驚いたのは民進党の長妻昭氏に答える場面で、「自民党総裁としての考え方は、“読売新聞”に詳しく書いてある。熟読していただきたい」と発言したことだ。
 浜田委員長から「不適切なので、今後気を付けていただきたい」と注意されたが、国会の答弁で特定の新聞を読めとは“あまりにもひどい”と野党側の反発を招いた。
 野党議員を見くだす態度があからさまで、真摯に答弁する気は皆無に思える。長期政権の驕りから“国会軽視”であ り、“国民を愚弄している”に等しいと腹立たしく思った。
 私は読売、産経を購読していない。でもネットに出ていた読売新聞3日付けの1面には“総裁インタビュー”ではなく“首相インタビュー”とタイトルがついていた。読売新聞は“首相としての考え”を記事にしているのを首相は知らないらしい。無責任な言い逃れと思われても仕方がないだろう。
 森友学園問題の答弁もヒドイものが多い。答弁に思えない答弁だってある。最近、籠池前理事長が、一連の交渉経過について昭惠夫人にその都度報告していたことを明らかにした。
 民進党の議員に「学園と昭惠氏はヅブヅブの関係だ」と指摘されると、例によってムキになった。
 「品の悪い言葉はやめたほうがいい。それが民進党の支持率に表れている」とまるで“的外れ”な発言をしている。都合の悪い質問に、まともに答えないのは今に始まったことではないけれど・・・
 だいぶ前のことだが、やはり衆院の予算委員会で長妻昭氏が自民党の改憲草案について「谷垣総裁の時に作ったものだから僕ちゃん知らないと聞こえた」と投げかけられ「全く言ってないことを言ったかの如くいうのがデマゴークなんですよ。これは典型的な例ですよ。典型的ですよ。言っていません」とまくし立てていたのを思い出した
 この時、海外で安倍首相のウォッチをしているユタ大学の東照一教授が「レベルが低く首相らしさに欠ける。感情のコントロールが出来ておらずトランプ気味になっている。重厚さ、知的さ、リーダーが持つ太っ腹な部分に欠ける。首相の器ではない」と酷評していたのを思い出した。全くその通りだ。
 首相が、9条改正に言及したことで、自民党内に波紋が広がっているという報道もある。
 元幹事長の石破茂氏は「党内でこういう議論は一回もしていない。長い議論の積み重ねを全く無視していいとはならない」と戸惑いを見せた。
 ポスト安倍候補と言われる岸田外相も「今のところ9条改正は考えていない」と述べている。
 公明党も困っているかも知れない。
 自民党の国対幹部は、「議論促進を狙ったのなら逆効果かも知れない。憲法審査会も混乱必至だ」と真意を測りかねている。
 首相が突然、9条改正に触れたのは議論の活性化を狙ったのではなく、森友問題から身を守るためにナリフリ構っていられないというのが本音ではないのか。私はそんな気がしてならない。
 自民党内でも麻生派と山東派の合流が実現するなど、ポスト安倍への動きが活発になりそうである。
籠池氏は、まだ幾つか爆弾を抱えているかも知れない。トカゲの尻尾切りでウヤムヤにしようとした安倍官邸の策は失敗するかも知れないのだ。
ボンヤリしていた、「終わりの始まり」という言葉が私の中で、次第にハッキリしてきている。
◎14日から始まった大相撲夏場所の初日、横綱・稀勢の里は小結・嘉風に敗れ、黒星スタートになった。
 あれだけ“3場所連続優勝に期待”などとメディアに囃し立てられたら稀勢の里も「休場する」とは言い難かっただろうと想像する。稀勢の里は可哀想だ。彼のお父さんは泣いているかも知れない。
 稽古の再開も“非公開”にしたりしたのは怪我が治っていない証だったのだ。
 無理を承知で「出ます」と言ったのは、相撲協会への“忖度”だったのだろうか。
 相撲解説の北の富士さんは、休場させたかったのではないだろうか。稽古で左を使えないことを指摘して「怪我は治っていない。出るなら慎重に相撲を取って優勝を狙わないことだ」と新聞に語っていた。
 放送席にいた舞の海さんも、稽古と本番は全く違う“嘉風は全力で来ますよ”と心配していた。
 横綱が左を差せれば何とかなるかなと思って見ていたが、嘉風は左を差させなかった。出足も良かった。
 稀勢の里は何も出来ずに土俵を割ってしまった。思った通り、怪我は“完治にほど遠い状態”のようである。
 煽るメディアが悪いが、休めと言わない協会や親方も良くないと私は思っている。
 「途中休場もあり得るな」というのが初日を見ての感想であった。
◎今年の阪神タイガースは好調で14日現在首位に立ち、貯金も二桁の10になった。糸井の加入が大きいのは確かだと思う。
 6日に甲子園で行われた広島戦で、0-9の劣勢を跳ね返し、大逆転勝利を収めたと知った時、ウソじゃないかと思った。あの試合をテレビで見ていたが、あまりにもポカスカ打たれるので「今日はダメだ」と途中でチャンネルを変えていたのだ。
 「阪神が衝撃の9点差大逆転勝利で首位奪取」と新聞が報じたように、阪神球団にとっては歴史的な大逆転劇だったのである。しかも強い広島を抜いて首位に立ったのだからスゴイことだった。
 阪神の先発はドラフト6位のルーキー福永で、プロ初登板だった。緊張が災いしたのだろう、序盤に丸の2ランなど4回までに10安打を浴びて6失点するKOデビューとなった。
 リリーフした松田も5回に阿部、丸に連続タイムリーを打たれ3点を追加される始末。5回終了で0-9の大敗ムードとなった。相手の広島は、反対に“今日はいただき”と安心したに違いない。だが“安心ではなかった”のである。
 阪神は、5回裏1死3塁から梅野がセンターへヒットしてやっと1点を返した。反撃というより、少しでも点を取っておこうぐらいの気持ちだったのではないだろうか。
 ところが6回裏が劇的なイニングになったのだから野球は分からない。
 まず先頭の高山がフォアボールで歩くと北条が三塁線を破る二塁打で続いた。この無死2、3塁から糸井のセカンドゴロで1点入り9-2。2死となったが中谷は死球で出塁、鳥谷の高くバウンドした打球を一塁手堂林が弾いて内野安打になり北条が生還して9-3となった。
 試合の流れは完全に阪神に傾いていた。広島の先発岡田はストライクが入らない。糸原も四球で満塁になった。ここで岡田が暴投して4点目が入る。
 甲子園は異様な雰囲気に包まれていた。続く梅野が四球でまたも満塁。広島はここで、ピッチャーを岡田から中田にスイッチした。ところが中田の制球が定まらない。原口が押し出しの四球を選んで9-5と4点差に迫った。こうなると阪神は押せ押せムードになる。このイニング2度目の打席に立った高山がライト線に満塁の走者を一掃する三塁打を放ったのだ。打者一巡の猛攻で一挙7点が入った。9-8の1点差になるなんて誰が想像しただろうか。
 高山は「打ったのはフォーク。みんなで作った満塁のチャンス、後ろへつなぐことだけを考えた」と試合中に談話を出している。
さらに7回は1死1,2塁から鳥谷のセカンドゴロを二塁手西川が弾いた。2塁ランナー江越は本塁へ頭から飛び込み一旦はセーフになったが、ビデオ判定になり、17分に及んだ判定結果はアウトになった。「江越はタッチされた感じはなかったが、判定だから仕方がない」と潔かった。
 2死Ⅰ,2塁で試合は再開。打席の糸原は「好調の梅野さんにつなげば何とかしてくれると思った」そうだが、センターへタイムリーヒットを放った。ついに9-9の同点となったのである。
 糸原に期待された梅野は右中間に2点タイムリー三塁打を打って11-9と試合をひっくり返してしまった。奇跡の逆転はこうして生まれたのである。
 試合後金本監督は「僕も長いことプロ野球にいるが初めてですね。お客さんに申し訳ない気持ちで一杯だった。何かちょっとでも盛り上げてくれたらと思っていた。若い選手とベテラン選手の粘り。最後まであきらめない気持ちで、全員で勝てた」と総括した。
 金本監督は、結果が出なければ誰であっても容赦なくスタメンから外す。新人王の高山も、育成の星の原口、ベテランの鳥谷、3連続ヒーローの梅野もミスの翌日はベンチを温める。外国人のキャンベルも同様だ。
 タブーのない実力主義を貫いている。
 金本知憲という監督の最大の長所は選手操縦術の巧みさにあると私は思う。こうなったら優勝して欲しい。

浜田山通信 №194 [雑木林の四季]

2020年までもつか

                        ジャーナリスト  野村勝美

 2020年の東京オリンピックまであと3年、私はただ今満88歳目前で、ずっと前から、いくらなんでも生きてはおれないだろうからと全く関心がなかった。まわりを見てもオリンピックムードはどこにもないし、話題にもならない。もともと前にも書いたがスポーツナショナリズムが大きらいなので、北京の時も日ノ丸をまとってウイニングランなどよくできるなと思ったものだ。大昔、東京オリンピックの時は、水泳を担当し、それなりに興奮もしたが、水泳日本は終戦直後の面影なく、「泣くな山中毅」なんて雑感記事を書くだけだった。以来オリンピックなんて人口が多くて、体がでかく、金持ちの国の選手が勝つに決まっているじゃないかと、国旗、国歌を掲げる大会がきらいになった。
 11日に小池都知事が、神奈川、千葉、埼玉県で行われる五輪競技会場の仮設費500億円を全額東京都が負担すると発表した。東京オリンピックと都市の名前をつけてはあるが、実質は日本五輪だし、リオ五輪でもアベ首相が、何やらキャラクターに扮して登場して愛嬌をふりまいたくらいだから、全額東京都負担とは何ごとかと思ったら、いやいやオリンピック経費の全体は1兆8千億円で、まだ8~9千億円は誰が負担するのか決まっていないのだという。国家財政は超赤字、都だって豊洲だけでもどれだけかかるか。どうもきちんと計算もしないで誘致を決めたらしい。そのうちなんとかなるだろうは、植木等以来のお家芸なのだ。
 2020年といえば、アベ首相は右派集会にビデオメッセージを寄せて、「20年を新しい憲法が施行される年にしたいと強く願っている」と言ったそうだ。どうもこの人は強気にガンガン押しまくれば、皆が自分についてくると思い込んだらしい。森友学園問題であれほどカミさんもろとも国会やメデイアに追求されても支持率は下がらないし、メディアは読売系を抑えておけば大丈夫だと思い込んでいるようだ。
 しかしついこの間まで、トランプ相場や北朝鮮のミサイル発射などでことごとくアベ首相に有利に作用した国際情勢が、韓国の文在寅大統領の登場や中国の一帯一路の実現で一挙に風向きが変わった。いちはやく尻尾をふりに行ったトランプ氏にはもう一度会ってくださいと頼んだらしいが、大統領自身がFBI長官解任問題やロシアなど外交関係でそれどころではない。連休中にドイツやイギリスへ行ったが、メイ英首相などに「あの人何しにきたの」とバカにされる始末。唯一ロシアのプーチンさんだけはいい顔をしてくれたらしいが、どれほど金を積んでも北方四島は帰ってこない。要するにもう四方八方ふさがりなのだ。
 せめて憲法改正をやって戦後政治史に名前を残したいと、20年改正憲法施行の大号令となったのだが、足元の自民党だっていままでのよう唯々諾々と、ふらつき始めた親分のあとについていくことはない。(5月12日記)


徒然なるままに №19 [雑木林の四季]

もう一度、カッコウの啼き声を聴きたい

                  エッセイスト  横山貞利

 わたしが上京してから60年余になる。それまでの昭和20年代は、生まれ育った信州・松本で過ごした。わが家から少し丘陵を登れば頂きまでで畑がつづいており、いまの季節にはカッコウの啼き声がしきりに聞こえてきた。それが晩春の光景であった。しかし、懐かしい丘陵の景色は見る影もない。丘の頂まで家並みで埋め尽くされて、わたしが満喫した昔日の面影を想いうかべることは不可能になってしまった。やはり「故郷は遠くにありて想うもの・・・」(室生犀星詩集)なのかも知れない。 しかしながら、人は少年期を過ごして心に沁みたイメージを消し去ることはできないものである。仮令、それが単なるイリュージョン(幻想)に過ぎないのかもしれないが・・・。それにしても、もう一度カッコウの啼き声を聴きたい・・と思う。

  「故郷」(詞 高野辰之 曲 岡野貞一)
  兎おいしかの山  小鮒釣りしかの川
    夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
 
  近年、わたしが歳を重ねたためなのか、この唱歌「故郷」を想い出すと瞼が重くなって哀しくなってしまう。因みに、高野辰之は北信州の中野の出であり、岡野貞一は鳥取の人で、高野、岡野共に東京音楽学校(東京芸大音楽学部)の教授であった。なお、岡野はわたしが学んだ高校の校歌を作曲している。

  さて、大学の入学式のことである。当時は全学部の新入生が一堂に会するような大きな場がなかったので学部ごとに講堂で入学式が行われた。その時司会をされたのは樫山欽四郎教授(ドイツ哲学・実存主義、劇団民芸の樫山文枝の父)であった。樫山教授は次の通り話された。

 諸君おめでとう。私は諸君がこの大学に入学したから「おめでとう」と言うの  ではない。諸君が「文学部」に入学したから「おめでとう」と言いたいのである。
  何故ならば「文学部は、人生を学ぶ“場”である。だから、おめでとうと言いた  いのである」。

  これが、樫山教授の言葉であった。この言葉を聴いた時、一瞬身体が硬直し、全身が痺れたような旋律が走った気がしたのを、いまも記憶している。そんなことで学部長の谷崎精二教授(エドガー・アラン・ポー全集など米文学、谷崎潤一郎の弟)の訓示など全く覚えていない。
  講義では、学科長の河竹繁俊教授のイプセン「野鴨」の講義に関心させられた。河竹先生は翌年3月に退任されたから、わたしたちが最後の教え子である。その後、河竹先生は国立劇場(三宅坂)の建設委員長になられたと記憶している。本田安次教授(文学部を経て教育学部教授)の「日本芸能史Ⅰ―歌舞伎の発生まで」、郡司正勝教授の「日本芸能史Ⅱ―歌舞伎中心に江戸時代から明治初年まで」などの講義は魅力的であった。郡司先生には演劇博物館で折口信夫「日本芸能史ノート」の研究会を開いていただけたので参加したが大変楽しい研究会だった。本田先生には「卒論―風流(ふりゅう)の研究」でお世話になった。教授一人に学生一人なので懇切に指導いただけたのは有難かった。本田先生は文化庁の民俗芸能に関する委員会の委員長を務めておられたのでご多忙だったことだろう。河竹繁俊先生のご子息だった登志夫講師が「演劇概論」を担当なされて、ギリシャ演劇の成立を中心に講義された。登志夫先生は後に教授になられたが、「作者の家―黙阿弥以降の人びと」二巻(1980年講談社文庫)を著わされた。この本によって、黙阿弥の妻女・糸さんと養子の河竹繁俊先生が黙阿弥の歌舞伎台本の管理に苦労した経緯を知ることができた。文学部では試験などで点数をつけられないので殆どレポートか論述テストであった。その他に2,3年生の夏休みには民俗芸能などのレポートを提出した。わたしは、2年の時、伊那の「遠山神楽」(本田教授)、3年の時は「木曽踊り」(郡司教授)にレポートを提出した。もともと自分の関心事であった「演劇、芸能」を専修したのだから魅力的であったことは言うまでもない。

  こうした学業の後、幸運にも在京ラジオ・テレビ会社に入社できた。入社試験は、一次が筆記試験(一般知識、語学、作文)、二次は集団討論(12、3人でグループになって討論する)、三次は個人面接だった。入社できたのは30人弱だった(技術関係は別採用であった)。

  それにしても、大学時代以降カッコウが啼く季節には信州にいなっかたから、この60年余カッコウの啼き声聴いていない。しかし、仮に信州にいても人家が増えて状況が変わってしまったからカッコウの啼き声を求めて徘徊しなければならなかったであろう。これから後、カッコウの啼き声を聴くことができるのだろうか。何とも侘しく寂しいことである。

釈超空歌集「いのちなりけり」 二首
 石上 順 還る
 わたなかの 島にとかげを 食ひつくし なほ生きてあるを おどろきにけむ
 なにのために たゝかひ生きて かへりけりむ よろこひ難きの いのちなりけり

  石上 順先生は、わたしの高校1年の担任教師(国語、古文)で恩師であった。石上先生については折をみて書き残しておきたいと思う。

気楽な稼業ときたもんだ №58 [雑木林の四季]

ちあきなおみの裏代表曲「ねえ あんた」1

                                   テレビ・プロデューサー  砂田 実

 ピーナッツの 「帰り来ぬ青春」も深い想いがあるが、この曲にも楽しい思い出がある。
 ちあきなおみの「ねえ あんた」であるい
 昭和四九年(一九七四)頃のこと、クレイジーキャッツの面々と、熱海へ遊びに出かけた時のことだ。夕食が終わってしばらくしたところで、ハナさんが、「砂さん、ちょっとつきあってくれる?」と僕を誘った。
 ハナさんは酒豪であるが、僕は一滴も呑めない。「もう一度温泉に入って寝たいな」と思っていたが、ハナさんの厚意の表れと理解して二人で旅館から近くの巷へ出た。ハナさんの付き人も、当然のことのようについてこようとしたが、「ガキは帰れ」との一言に、「どうかご無事で」とヘンな返答をして我々を見送った。この一言の意味がのちほどわかる。
                                        
 ハナさんは、出会う人出会う人が「みんな友達」みたいな人物である。そして、善意の押し売りでも有名である。やがて、熱海の町の中心を抜けてちょっと裏ぶれた筋に入った。さらに進むと、古びてどこか淋しげな「紅灯の巷」のようなところに出た。
 「ここが糸川あたりです。砂さんもキライじゃないだろう」と含み笑いをしながら、小指を立てた。僕は一瞬、「まいったな」と思った。もちろん、ハナさんの言うようにキライであるはずはない。だがこの手の場所で厳粛な作業を行なうのはキライなのである。糸川あたりのお姐さんたちには失礼な話だが、どうにもその気にはなれない。なにも女房に対するモラルなどというアホなことを言うつもりはない。単純に、ほんの数時間前に、あるいは数十分前に見も知らぬ相手と事を行なったであろう女性と、同じ事をするのがイヤなだけである。
 だがハナさんは、「砂さん、終わったら声をかけるから。まあ、アセることはないから。充分時間とってあるから」と、さっさと部屋へ消えてしまった。僕の部屋にも、当然女がきた。いかにも「浮世の波にもまれもまれて、ここへきたのよ」といった感じのお姐さんだった。「あ、そうだ!」。とっさにひらめいたことがあった。こういう時に、妙に機転が利くのも僕の身上だ。
「こんな好機がまたとあるものか」とひざを打った。

 当時、ちあきなおみのコンサートをちょうど一ケ月後に控え、プランを練っている最中だった。このコンサートならではの、ちあきのためのオリジナル楽曲のコンセプト作りで悩んでいた。ちあきなおみならではの発想、ちあきだったら誰よりもうまく演じ歌ってくれるであろう作品のヒントを得たような気がした。
 僕はそのお姐さんに言った。
「俺、二、三日前に遊んで病気もらっちゃったんだよ。だから今日はムリ。それよりゆっくり雑談して過ごそうよ」
 お姐さんは顔色も変えずに言った。
「見かけによらず好きモンなんだね。でもお兄さん、良心的ね。優しいんだ。そういう人
アタシ好きよ」
 それから、問わず語りに自分の身の上を話しはじめた。僕が知っている世界とはまったく異質の人生がそこにあった。その話が真実か創作かはどうでもよかった。こういった時は真実と受けとって黙って聞くにかぎる。しかし、不幸の連続のような人生を通過してきたにしては、彼女は明るく優しかった。それに考えられないくらいお人好しだった。
 そうだ、これでいこう。フラれてもフラれても、男を、それもかなりな極悪な男を求めつづけ、自分から苦労を呼び込む女の人生の歌。ちあきにピッタリだ。きっと彼女だったらすばらしい表現で伝えてくれるだろう。
 僕は彼女の話に引き込まれた。やがて、ハナさんの声がした。こんな時こんな場所でもハナさんの声はけっして小さくない。
 「砂さーん、そろそろいいかい?」
 帰り道、「砂さんもやるもんだね。ずいぶん長丁場だったぜ。グァバハハハ」と笑うハナさんに、「そうなんだよ。いや、ありがたかった」と僕は答えた。

『気楽な稼業ときたもんだ』 無双舎

ロワール紀行 №54 [雑木林の四季]

 オルレアン公ルゥイ・ドルレアン

                     スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 トウールからロワールに沿って遡る子こと六十八粁、車で約三時間。ロワールに架かる橋を右岸に渡ると、ブロワである。
 町は、まことに古く燻んでいる。しかし、かつての王都にふさわしい静寂と気品が感じられる。おそらく、今日では観光客のほか、訪う人も少ないであろう。
 ここに宮廷のあったころ、人口一万五千、現在二万八千。フラソスによくある古雅で瀟洒(しょうしゃ)、典型的なブレゾワ地方の小都市である。この付近は、フランスで最初のアスパラガス栽培地として、今日でもフランス一の産額を誇っている。
 この町の歴史は、遠くメロヴィンガ王朝に遡る。この古代フランス王国の時代、すでにここに城砦らしいものが築かれたという。
  昔から、ロワールの国における要衝の一つであった。中世初期、この地方はシャティロン家の領地だった。ブロワに最初にシャトオを作ったのも、何代目かのシャティロン伯爵である。彼は若い寵妃とともに、ここに住んだ。
 その後、オルレアン公ルゥイ・ドルレアンが、この城を譲り受けた。
 公はブロワ城を買ってから十六年後、百年戦争の真最中、パリでブゥルゴォニュ公ジャソ・サン・プゥルに暗殺された。これを契機として、国も貴族も市民も農民も、フランスは二つに割れた。暗殺されたルゥイ・ドルレアン公の未亡人、ミラノ・ドゥ・ヴァレンタイン妃は、このブロワに隠棲し、悲憤の日を送った。
 「私にはもう希望もない、愛する夫に先立たれ、どうして生きてゆけましょう」
 彼女は、傷心のあまりその年のうちに死んだ。夫に殉ずる妻の心、中世フランスにおける、最もロマンティクな挿話(そうわ)と伝えられる。

 オルレアン公シャルル・ドルレアン
 ルゥイ・ドルレアンの息子、シャルル・ドルレアンがブロワの城を相続した。
 彼は十五歳でボーヌ・ダルマニヤックと結婚し、父の仇を討つため、ブゥルゴウニュ公とイギリスに挑戦した。
 しかし、彼も悲運の城主だった。
 百年戦争の激戦の一つ、アザンククールの敗戦のさい、イギリス軍に捕われ、英国に幽閉された。彼はそこで四分の一世紀、実に二十五カ年、虜囚の生活をすごした。
 彼は十五世紀において、フランソワ・ヴィヨンと並び称される、中世フランスの代表的詩人でもあった。
 幽囚の日々、故国の妻に送った愛情の詩、その切々胸を打つ詩集『獄屋の歌』Lievre de la Prisonは、フランス文学の古典として著名である。終戦とともに、彼は釈放されフランスに戻った。しかし、愛妻は彼の長い虜囚のうちに、既に世を去っていた。人生の無常というべきか。
 この悲運の公爵はオルレアン城に住まず、このブロワに余生を送った。
 奨められるままに、当時十四歳のマリィ・ドゥ・クレーヴと再婚した。彼、四十六歳のときだった。
 シャルル公は、この娘のような新妻と静かに暮すため、このブロワ城の中庭に面し、今日、シャルル・ドルレアンの柱廊と呼ばれる、ゴシックの館を新築した。
 この館は、規模こそ小さいが、百年戦争の終了を境として、ロワール河岸に流行しはじめた武備を伴わない―単に館主の住居を目的とした―シャトオ建築の一つとして、有名である。
 二階建ての、階下は石造、多くの入口をもつアーケェドが中庭に面し、階上はレンガ造り、いずれも装飾の少ない地味な作りである。
 後年、何人かの王侯により、次々に増築された、ブロワ城の贅(ぜい)を尽した他の館に比し、この簡素な建物はまことに対照的である。虜囚として二十五カ年、英国にすごした悶々の年月を偲び、この簡素な館に満足したのであろうか。
 レンガ建築が、ロワール河畔のシャトオに広く用いられるようになったのは、十五世紀の終りから十六世紀の初めにかけてだといわれる。石とレンガを同時に使用した、十五世紀最初の建築として、この小さなシャルル・ドルレアンの柱廊はシャトオ建築史上、とくに名高い。
 私の眼の前に立つ、その風雅な館は、赤レンガのこぢんまりした建物である。そのレンガが風雪に褪(あ)せ、古雅な色調の肌が誓えようもなく美しい。
 その傍に、大きなマロニエの古木が一本、新線の姿に赤白い花をつけていた。樹齢、数百年をへたと思われるこの老木は、この館(やかた)の主の、悲しい生涯を知るのであろうか。
 彼はここに隠棲し、フランソワ・ヴィヨンなどの文人詩客を、しばしば館に招き、歌会や文学論に余生を過したという。
 無軌道な詩人ヴィヨンは、殺人や窃盗など数々の罪を重ね、二度も絞首刑を宣せられた。しかし、このブロワのシャルル・ドルレアン公の法廷で裁かれた時は、幸運にもプリンセス生誕の特赦で、一命を救われた。ともに詩作を競い、風雅の道を語った、公の好意と伝えられる。
 シャルル公が六十八歳のとき、マリィは男の子を生んだ。その生誕四年後、彼は七十一歳で世を去った。この王子がのちに「人民の父」として、敬慕された名君、ルゥイ十二世である。

『ロワール紀行』 経済往来社

BS-TBS番組情報 №138 [雑木林の四季]

BS-TBS 2017年5月のおすすめ番組

                      BS-TBS広報宣伝部

美しい日本に出会う旅

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毎週(水)よる8:00~8:54

☆にっぽんを、記憶する旅へ。

旅の案内人・語り:井上芳雄 高橋一生 瀬戸康史

四季のうつろい。
霧煙る山々の連なり。清流の清々しさ。海の輝き。桜咲き誇る街並み。
日本はなんと美しいのでしょう。
その美しい国に、驚くほど多彩で豊かな暮らしが息づいています。
受け継がれる手しごとや風習には、土地に寄り添い暮らす人々の姿が見えます。
海の幸山の幸にも、土地ならではのひと工夫。
温泉めぐりも、日本ならではの旅の楽しみです。
お国言葉を聞きながら、心もほっこり。
さぁ、美しい日本を旅しませんか。
今年春から、新しい旅の案内人として井上芳雄、高橋一生、瀬戸康史、3人の俳優が登場。

■5月17日(水)
「若葉香る山梨 水晶輝く昇仙峡と絶景!身延山参り」
若葉芽吹く春、山梨の旅に出かけます。新緑の昇仙峡はかつて水晶の里でした。受け継がれる神社の秘宝と、匠の技とは?身延山久遠寺では圧巻のしだれ桜が迎えてくれました。悟りの石段を登り、荘厳な朝勤へ…。高橋一生さんがご案内します。

5月24日(水)放送は瀬戸康史さんが案内する「茨城」、5月31日(水)放送は井上芳雄さんが案内する「琵琶湖」を予定。
※変更の可能性あり

東京とんかつ会議

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2017年5月27日(土)午後5:00~5:30
※毎月最終土曜放送

☆<とんかつ>をこよなく愛する3人の食通が名店を紹介!

出演:山本益博(料理評論家)、マッキー牧元(タベアルキスト)、河田剛(グルメアナリスト)
進行:岩瀬恵子

<とんかつ>をこよなく愛する3人の紳士。
食の世界を知り尽くした3人は、日本を代表する料理<とんかつ>の名店を食べ歩き本当に美味しい<とんかつ>の名品を提供するお店を、殿堂入りとして、その栄誉を讃えている!
それが、3人による「東京とんかつ会議」。
番組は、その殿堂入り名店に3人が一同に会し、改めて暖簾をくぐり、“旨さの真髄”を紐解く。
次回5月27日(土)は銀座の名店を訪れます。

バイタルTV「御朱印ジャパン」

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毎週(火)よる11:30~12:00

☆大人気の”御朱印”を深掘り!

出演:はな、西脇資哲

「御朱印」。8世紀ごろに写経を納める証しにもらう「納経印」が起源とされており、その歴史は古く、知る人ぞ知るものとして親しまれてきた。
それが近年、若者からお年寄りまでが楽しめるブームとなっている。
そんな御朱印ブームだが、まだまだ一般には知られていないことも盛りだくさん。
この番組では、御朱印の初歩的知識はもちろんのこと、神社によって様々なデザインがあったり、レアなものがあったりと、「御朱印」の奥深い楽しみ方を全国の寺・神社を巡って紹介していきます。

■5月23日(火)
「絶景観音様とご利益“黒招き猫”~笠森寺~」
千葉県にある絶景観音様「笠森寺」で御朱印めぐり!日本でただひとつ『四方懸造り』観音堂とご利益満点“黒招き猫”。

■5月30日(火)
「東京下町さんぽ御朱印めぐり~南蔵院・寛永寺」
葛飾・南蔵院、上野・寛永寺で東京下町さんぽ御朱印めぐり!開運の鐘、出世牛、縛られ地蔵、お散歩しながらお朱印集め。

バルタンの呟き №13 [雑木林の四季]

 「駅弁と駅便」

                          映画監督  飯島敏弘

 「戦後強くなったものは、女性と靴下」という言葉が、世間を風靡した時代がありました。
 人絹(人造絹糸)とかスフ(ステイブル・ファイバー)とか、すぐに擦り切れてしまう靴下から、ナイロン(nylon)という新素材の開発をきっかけに俄然丈夫になった靴下と、参政権を得た女性たちが、想定外の国会議員を選び出した時期と重なります。
 いつの間にか超高齢者の列に組み入れられる齢になってしまった僕ですが、最近、なにかの集まりで、かつて一時的に流行したこの種の言葉を引き合いに出してものを言うと、相手さんの反応がどうも頼りなくて、戸惑うことがしばしばあります。女性が強いのは昨今当然のことですし、戦後というと、僕達にとっては、未だ鮮やかに記憶している時代なのですが、考えてみれば、あれからすでに70年も経っているのですから、戦後という言葉自体が、世間一般にとっては、もはや、馴染のない言葉なのかもしれません。
 アメリカと戦争をしたことさえ知らないと言われる若い世代が、あの戦争をどう考え、平和のありがたさをどう感じているのか、僕にはもう見当が付かなくなってきました。その一方、国民の信頼を専横的に保有していると信じている我が国の政権は、「もはや戦後ではない」「戦後レジウムからの脱却」「美しい日本」と、目まぐるしく目標値を変えて、どうやら、オリンピックイヤーの2020年には、何が何でも新しい憲法のもとに「新しい日本」を築きあげるつもりらしいのですが、そのリーダーたちがすでにあの戦争の恐ろしさ惨めさを味わっていない世代なのですから、どんな「新しい日本」になって、彼らに巧妙に煽動されたポピュリズムがどっちを向くのか、僕には見当もつかなくなってきました。
 ですから、単に憲法九条といっても、九条とは日本国が戦争を永久に放棄する取り決めだとは知っていても、どんなことを書いてある条文なのかを、余ほど噛み砕いて説明しないと、重大な判断なのだという自覚は生まれないのではないでしょうか。
 もともと煽動に弱い国民性ですから、「外国の侵攻から国土国民の生命財産を守るために邪魔な条文だから」とお上から言われると、すんなりとその改正を鵜呑みしてしまうのではないかと心配するのです。
毎朝のラジオ体操終了後のウオーキングでは、わが街の男たちは、近頃なぜか政治談議に話題が偏ってきて、今朝などは、「シン・ゴジラ」を見て、安倍首相が自民党員に「ぜひ見るように」と言ったとか言わないとかで、普段行くことのない映画館に足を運んだ、というわが街の右翼系論客が「憲法九条のある限り、侵略してきた外敵ゴジラに、自衛隊がたった一発の銃弾を撃ち込むために、あれほど煩雑な手続きを踏まなければならないのがよく分かった」というかと思えば、「いや、総理大臣が決意さえすれば、現憲法九条のもとで、正面切って充分に、侵入する外敵を撃退できることが分かった」という、左翼系論客がいるのです。平均年齢75歳以上と推定される男たちです。
 50年前に、わが地球に共存を求めて侵入してきた宇宙流民バルタン星人に対して、断固撃退を主張する防衛軍首脳から意見を求められて、敢えて、「まず、話し合ってみたらどうか」と科特隊ムラマツ隊長に提案させた僕としては、昨今の北朝鮮を巡る情勢に臨んで、北朝鮮に対して、圧倒的な軍事力を有しているかに見える米軍の傘の蔭に身を隠しながら「断乎制裁」を声高に叫ぶわが国の政権の首脳のあり方よりも、北朝鮮との対話を試みようとするかに見える韓国の新大統領文氏の方が一回り大きく思えてしまうのです。
 「夕べ枕頭に立ったバルタン星人が、僕にこう呟いたのだけれど・・・」と前置きして、
 「韓国と北朝鮮が、相互に歴史的な譲歩を行って統一を果たして、米国とも相互的に譲歩をして和平の交渉を成り立たせた後に、日本に対してだけは、国民の感情的な問題として、あの時アメリカの尻馬に乗って脅しをかけた感情的な恨みが残されてしまった・・・」
と、語り終わった時、わが街の男たちの90パーセント以上を占める右側論客たちは、声を揃えて、
 「だから、監督は、かくれ左翼と言われるんだ・・」
と、宣ったのです。
 「右とか左とかいう問題じゃないでしょう!この街は、厚木基地からも横田基地からもさほど離れていないのですよ。北朝鮮ミサイルの照準は、アメリカでもない、沖縄でもないこの街に合されているんです!アメリカが報復爆撃で北朝鮮を壊滅した時には、僕達は、この街ごと消滅してしまう・・・」
 「SFとしては、面白いけれども、そんな絵空事は非現実的で、ノンセンスですよ、平和ボケ・・・」
 オールラウンドの論客、ミスター・ノウ・オールの結論が出て、鮮やかな鶯の声が聞こえたのを汐に、なごやかにウオーキングは続きました。いつか、僕達わが街の男たちは最近の、駅弁の味の向上ぶりの話から、耳の遠くなった誰かが聞き違えて、語呂合わせのように、駅便(駅の便所)が恐らく世界一清潔な国だ、とまじめに論じはじめて、笑い興じながらそれぞれの街角で散って行くのです。
 「また明日・・・」
 「また明日・・・」
 そう言いながら、僕はこんど、後ろから嫁姑問題を語り合いながら歩いてくるわが街の女性方にこの問題を投げかけてみよう、と考えていました。戦後70年、ますます丈夫になってきたわが街の、恐らく、原発必要論者の亭主にお構いなく反対票を投じているに違いない、丈夫な靴下を履いた女性たちに・・・

ZAEMON 時空の旅人 №14 [雑木林の四季]

「ZAEMON 時空の旅人」第十四回

                                文筆家  千束北男

                          第九章    ニンジャ美穂

「うれしい・・ふふ、忘れられたかと思って・・」
そう言いながら、ニンジャ美穂と名乗った女性兵士の指さす丘の上に、なにか乗り物のようなものが見えます・・
それが、いま、僕を後部座席に乗せて、ニンジャ美穂が操縦して疾走している乗り物です。疾走と言っていいのか、それは地面を走るのではなく、地上一メートルほどの中空に浮かんで疾る、エアロ・スクーターとでも名づけたい乗り物です。
後部座席の僕の腰は、両脇でしっかりと固定され、背もたれは、頭部まで完全にホールドされる作りです。ふと、この走りの感覚には、覚えがあるような気がしました。
なんだろう・・いつのことだったか・・
「急ぎます。この辺にはカレらのような宇宙人が多くて危険ですから」
ニンジャ美穂の注意を聞いて、両脇の取柄を握る手に力をこめます。
と同時に、グン・・と、おぼえのある、背中の圧迫感です。
「そうだ!」
思い出しました。この感覚は、ZAEMONが八ヶ岳研究所まで僕を乗せていった、あのピックアップトラックが発進した感覚と似ているのです。
コマ落としのフィルムを見るように、周囲の景色が断続的にスキップして移り変わっていくのもそうです。スピードという基準では測ることのできない移動感覚なのです。
と、
「見覚えがありませんか、ここ・・」
ニンジャ美穂の声でふと我に返ると、僕たちは、いつのまにか、峠らしきところに静止していました。大きな楡の木が、太枝をひろげて木陰をつくっています。
「あ・・」
楡の木が、突然に鮮明な記憶をよみがえらせたのです。
「僕たちがよく遊んだ場所じゃないか、ここ・・」
「男子みんなで私をつかまえて、ここへ連れてきて・・」
そうです。カクタ、イチノセたちクラスのワル数人と一緒になって、逃げ回るニンジャ美穂を捕まえて、この楡の木の太枝にくくりつけて置き去りにしたことを、思い出しました。
すると、それが思い出の坩堝の蓋を開けたかのように、当時の記憶があざやかに甦ってきます。
「ミホがほんとにニンジャだったら、逃げ出せるはずだ」
といったのは、イソハタだったか・・
僕たち四人のマフラーをつなげて縛ったのですが、結び方が悪かったのか、それともニンジャ美穂が何かの手立てを使ってすり抜けたのか、僕らがちょっと目を離したすきに見事に逃げられて、ニンジャ美穂に伝説をひとつ献上してしまったのです。
その根もとに、道祖神があります。石に彫り込まれた歓喜佛(かんきぶつ)歓喜佛が、昔どおりにほほえんでいます。
「あ・・・」
見覚えがあるどころか、向こうに見えるのは、僕たちの小学校ではありませんか。
ゴーヤの葉に包まれた小学校の校舎が、僕が通っていた頃と、全く変わらない姿でそこにあったのです。
「五年生の時の運動会、憶えてます? 80メートル走の時です。みんなに離されていたハヤト君が、信じられないほどすごいラストスパートで、一着になった時のこと」
「え?」
「鳥になったのです。ハヤト君・・」
「なんだって? 鳥になった? 見たの?」
ノロトと仇名された僕がいつものようにビリになりかけた時、
「鳥になれ! ハヤト! 鳥になるんだ!」
ZAEMONの声を聞いて、
「よし! 鳥になろう!」
と、念じて一等賞になったあの時、
「一瞬、ハヤト君が鳥みたいに飛んだ!」
ニンジャ美穂が、クラスの連中にそう言ったけれども、誰にも相手にされなかった、というのです。
僕は、あれがZAEMONの仕業だったと信じているけれども、それがニンジャ美穂には、ちゃんと鳥の飛ぶ姿に見えたらしい。
「なつかしい、あの頃が・・・」
ニンジャ美穂が、聞こえるほどもない小声でぽつりと洩らすのを聞いて、僕はふと別な感情にとらわれて、彼女の胸もとに揺れている勾玉のペンダントを見つめていました。
僕たちは、誰かの意思で動かされているのではないのか。もし、そうだとすればそれは何者なのか・・
学校には、誰もいないようです。ただ誰も見えないというのではなく、人のいる気配がないのです。
まるで静止画のように、動くものが全くないのです。
「・・・・」
ある予感にとらわれて、ニンジャ美穂を振り返ったのですが、彼女は、首を横に振ってから、こんどは、深く頷くのです。
ということは、僕の予感のとおり・・・学校の向こうは・・
「あ、待って・・・」
ニンジャ美穂の制止を振り切って、僕はスクーターから飛び降り、学校裏の丘に駆け上がりました。下方に広がっている、いや、広がっているはず、の街を見ようとしました。
我が家のある街です。
「ああっ!」
予感は的中していました。
探すまでもなく、わが家ばかりか、そこに存在していた街そのものがないのです。ありません。
丘の上から我が家を遠望するときの目印になった、団地の給水塔の姿も見当たりません。
つまり、およそ僕の視界に映る限りの範囲に、健全な建物は、一つとして存在していなかったのです。とてつもなく巨大な槌でも天から振り下ろされたように、街全体が無残に潰されて、瓦礫の海とでも言ったらいいように平たく広がっているのです。
「まるでわざとそうしたように、奇跡的に、学校だけが残されたのです。この街は、完全に消滅して誰一人いないのです」
「・・・・・」
「グレンデルのしわざです。宇宙十字軍の・・・」
グレンデル! 宇宙十字軍! またも、ピルグリム三世のなかでZAEMONの口から出た名が、ニンジャ美穂の口から飛び出します。
「僕の家は、僕の家族は、どうなったのか・・・」
「・・急がないと・・このへんには、危険な宇宙人が頻繁に現れるのです」
ニンジャ美穂は、僕の質問に答えようとせずに、ひたすらせきたてて僕をエアロ・スクーターに乗せ、いきなりフル・スロットルでその場を離れます。
小学校を卒業した後、僕たちは別々の学校に進んでばらばらになり、日が経つにつれて疎遠になり、やがては、時たま道ですれ違うことがあっても、目を合わせることがなくなってしまったのです。
「みんなからニンジャ美穂と言われて、こちらもその気になって飛びまわっていたあの頃が、今になってみると、まるでメルヘンだったように遠くて・・・」
その通りだ、と思いました。あのころの記憶が現実だと思えないほど、いま、僕が目にしている西暦2030年の日本の現実が悲惨だという事でしょうか。でも、受け容れることを拒否することはできないのです。
ニンジャ美穂の説明では、西暦2025年の宇宙十字軍との戦争を待つまでもなく、東京オリンピック・パラリンピックが行われた西暦2020年には、すでに、時の政権の無謀な成長経済政策の暴走が原因で、基幹事業や人口の集中が、災害から再構築された新東京へと加速度的に激しくなり、国内の人口構成が極端に歪んで、新東京以外の日本中至る所が過疎化して、無人都市、放棄都市があいついで生まれ、廃墟のような姿をさらしていたというのです。でも、なぜか僕の記憶は断裂的で、そのあたりの知識は全く欠落していたのです。
「どうして君が、僕の危ういところへ駆けつけてくれたのか、とても偶然とは思えないし、不思議な気がするけど・・」
「・・・・」。
「まさか、虫の知らせだなんて言わないだろうね」
「セレンディピティー・・といいましたっけ」
「予感? 僕たちが出会う、なにかの予感が働いたとでもいうの?」
「予感ではなく・・・・」
「わかった!」
答えは、やはり、彼女の胸にあるペンダントです。僕のと同じ、勾玉のような形の。
「それだ! それにちがいない!」
あの時、たしかに僕のペンダントが、光ったのを思い出しました。
ニンジャ美穂が、肯きます。 
「勾玉が、ハヤトの危機を救けよ、という気配を伝えてきたときには、まさか、と思いました・・あまりにも唐突だったから」
「勾玉が気配を・・どういうこと?」
「言葉が聞こえてくるわけではありません。でも、気配が、すべてを伝えてくるのです」
僕のペンダントが光ったのはたしかですが、気配とは、いったい・・誰が、どこから送ってくるのだろう。
「気配の導きであの場に駆けつけたのです。でも、間に合ってよかった。ゴメンなさい。焦って、手荒いことをして怪我をさせてしまった・・」
「いや、こんなものは大した怪我じゃない、心配しなくていい、ちょっと打っただけだ・・」
ニンジャ美穂の口調から、だんだん堅苦しさが消えるのと同時に、僕の方でも、だんだん蘇ってくる昔の記憶の中で、ようやくニンジャ美穂の形が整ってきました。
「ハヤトがあんなところに倒れていたというのは、たぶん・・」
急斜面を滑降するスキーのように実に巧みにエア・スクーターを操って、深い谷のようなところを滑り下りながら、ニンジャ美穂が、喋り続けます。
「たぶん、どうだったの・・教えてくれよ。僕は、なにがあったのかまったく覚えていないんだ」
僕の口調も、友だち口調に変わっています。
「でも・・こんなこと言ってもいいのかな・・」
そうでした。昔のニンジャ美穂は、言いにくい時はちょっと言い渋ってみせたのです。相手の興味をひく効果を高めるためのテクニックとして・・
「だいじょうぶだ、どんな話を聞かされても・・・さっき、ひどいものを見てしまったからね・・」
「たぶん・・ハヤトは、ストリクト星人に捕えられて、人間牧場へ連れてゆかれるところを逃げ出したのか、それとも抵抗して、記憶を失うほどの打撃を加えられたのか・・それでなければ捨てられたか・・・」
「人間牧場? 捨てられた? なんだいそれ・・どうして? なぜ? 僕にはさっぱりわからないけど?」
次々にニンジャ美穂の口から飛び出してくる言葉が、ほとんど僕のボキャブラリーにない言葉の連続なので、ぼくはまるで発育途上の幼児のように???を連発するフールになるしかなかったのです。
「ストリクト星人が欲しがっているのは、強靭な肉体なのです」
「ということは・・僕は強靭ではないということ?」
「ちがいます。そういうことじゃありません、もっと・・」
「もっと、なんなの・・」
「もしかすると・・と思って、ちょっとおそろしかったのですが・・」
ニンジャ美穂が口ごもります。
だんだん、しびれが切れてきて、言葉がきつくなっていきます。
「回りくどい言い方をするね、大丈夫だよ僕は・・」
「でも・・」
「だから、ニンジャ美穂らしくさ、知ってることを全部教えてくれないか」
「ハヤトが、さっき、昔のことをいろいろ思い出してくれたので、ほっとしたんだけど、もし、そうじゃなかったら・・こんなことをしてるのが、すべて無駄だったかと思って・・」
「無駄? そうじゃなかったら? どういうこと? 頼むからさ、洗いざらい、ぜんぶ説明してくれないかな」
身の危険を冒して僕を救ってくれた恩人と言っていいニンジャ美穂に向かって、僕は思わず、語気を荒げて問い質していました。自分自身の身に起こっていることがまったく理解できない苛立ちが、そうさせたのです。
「信じられないことだと思うでしょうけど・・」
ニンジャ美穂が、話しはじめます。
でも、山本久美子先生、ここからさきの、ニンジャ美穂の口から出たことを、ここにすべて書くのは、ぜったいやめたほうがいいと、何度も何度もためらったのです。でも、お許しください、ありのままを正確に書くのが日記です。ですから、書かねばなりません・・
ですから、ここからの一ページ分は、どうぞ一気に読み飛ばしてください。そしてすぐに忘却の籠に投げ捨てていただきたいのです。いくら、どれほどに、凛となさっている山本久美子先生でも、すくなくとも一週間の絶食に耐えていただかなければならないほどひどい事実が、ご存じのあのニンジャ美穂、ソバカスだらけのいじめられっ子から、まるでギリシャ神話のアマゾネスの兵士のように逞しく変身した甲賀美穂君の口から語られたのです・・・
ここからはすべてくとうてんをむししてしかもかんじもかかずにぜんぶひらがなでいっきにかかないとかけないのでせんせいもけっしてとちゅうでもどることなくひといきでよんでくださいすとりくとせいじんはいけどりにしたにんげんをにんげんぼくじょうにとじこめておいてきがいはくわえないかわりにさいていげんのえいようをあたえてしいくするのですにくたいがけんこうでなくすてるときめたにんげんからはすべてのきおくをけしさってしまうためにあるしゅのロボトミーしゅじゅつのようなものをほどこしてしまうというのですロボトミーとかきましたがこれはけっきょくのうのいちぶまたはぜんぶをとりさってしまうというおそろしいしゅじゅつですつまりすとりくとせいじんはにんげんのせいめいとかちのうはいらないけれどもけんこうなにくたいはひつようなのですけんこうなにくたいにじぶんたちがはいりこんでそのにんげんになりすましてしまうというのです。

あの恐ろしく残虐な宇宙人たちに取り囲まれていた僕を助け出したニンジャ美穂でしたが、
「もしかすると・・」
と、口ごもったのは、せっかく危険を冒して助け出した僕が、もし、人間牧場で不適格者と認定されておそろしい手術をされたあと捨てられた人間だったとしたら、と心配したのです。
「助けても無駄かもしれないといったのは、そういうことだったのか・・」
「ハヤトは、きっと、なんらかの方法であのおそろしい人間牧場から逃げ出すことが出来たのです・・でも」
「でも・・・・?」
「ここまで来る途中、いろいろと昔のことを思い出すことができたので、安心しましたけど・・」
「安心した、って、君は何を心配していたの?」
山本久美子先生! お許し下さい・・ときおり、カバンの中に、サキだのポーだの著名な外国作家の幻想小説の本を忍ばせていらっしゃる先生のことですから、きっと理解していただけると思ってお尋ねしますが、地球人類よりも高度な文明を持つある種の宇宙人には、憑依(ひょうい)憑依という能力が備わっているのをご存知ですか?
小学生のボクが、こんなことを申し上げるのは変だとお思いになるかもしれませんが、今ここにいる僕は、西暦2030年の、二十四歳の僕なのだという事を、ご理解くだされば、不自然ではないとお分かりただけるものと思います。
憑依とは、英語では、POSSESSEDとか、WALK INというらしいのですが、日本語で説明すると、憑(と)憑りつく、とか、乗り移るとかいう言葉が当てはまるのでしょうか。要するに、相手の中に入り込んで、相手に成りすましてしまう能力を持っているということなのです。
「信じられません! そんなこと。まったく非科学的じゃありませんか!」
あるいは、逆に先生は、凛、としてそうおっしゃるかもしれませんが、そうなのです。地球の科学知識では考えられない原理が、しばしば宇宙では働くのです。
あえて失礼なことを書いて、先生を怒らせたいわけではないのですが、おゆるしください。先生が、科学的でないとお思いになるとすれば、それはあくまで、地球人類の科学知識で判断なさろうとするからにほかなりません。ここは、宇宙人の科学領域での話です。
「理解できましたね! それでは、先へ進みます・・」
教室での山本久美子先生のいつもの口癖通り、先へ進ませていただきます・・・
                                                      つづく

私の葡萄酒遍歴 №44 [雑木林の四季]

アルゼンチン

第一章 アルゼンチンの国の概要と歴史

                ワイン・グルマン 河野 昭

アルゼンチン国の概要
アルゼンチン国は、ホルヘ・ルイス・ボルヘス氏(作家・詩人)、ホウーリオ・コルターサル氏(作家)、エルネストサバト氏(作家)、レネー・フアヴァロロ氏(医師)、ホウアン・マヌエル・フアンヒオ氏(自動車競走)、ペレス・エスキベール氏(ノーベル平和賞受賞者)、ルイス・フエデリコ・レロアー氏(ノーベル化学賞受賞者)、リオネール・メツシ氏(サッカー選手)の人たちの国である。また、タンゴやサッカー、アサード(焼肉)やエンバナーダ(ミートパイ)のように美味しい物の国でもあり、情熱的で友情あふれる人達の国でもある。もちろん、アルゼンチンワインを忘れてはならない。

ワインは時代から時代に伝えられた国民的な飲み物である。一口飲めばそれを仕事に伝え、文化になると言われている。2010年にはアルゼンチン国家の飲み物として選ばれ、食卓に並ぶ唯一の経済的の支えとなってくれるものと知られている。1960年代後半には1人当たりの飲酒量は90リットルを超えたと記録されている。
栽培面積は南アメリカでは2番目で、世界では3番目だとされていて、その面積は374万1274平方キロメートルになる。景色は様々で、荒野と氷河の跡地が混合していて、谷や山脈がもあれば、森林から温帯草原まである。また、たくさんの河は大西洋に注ぐ。西には雄大なアンデス山脈が連なっていて、ヒマラヤの山々に続く、世界で2番目の高さで競うアコンカグア山がある。

アルゼンチン国には、その他、大変きれいな場所がいくつかある。例えば、パタゴニア地方にはペリト・モレノ氷河と北にはイグアスの滝がある。

アルゼンチン国の経済は外国移住者が入った殖民地時代から20世紀前半まで農業輸出国として知られていた。その時代には、農業だけではなく、家畜産業、鉱物産業、エネルギー資源産業、漁業産業などが盛んであった。その中でも、葡萄栽培産業が盛んであった。それは、気候は言うまでもなく、地理的にも良いコンディシヨンが整っていた為で、葡萄栽培に適していたからだ。

私達のワインは、世界のワイン業者に知ちれている中では一番遅れて市場に出ている国として知られているが、我々の先祖が持って入れた古いヨーロッパの品種を受け継いで栽培している。

ラテン系なのかヨ一口ツパ系なのか
新しいのか古いのか
その対立は我々人間が決める
それが唯一なる祝福なのだ
私たちのワインも同じで、文化の基となるもので
シンプルな生産力で世界に誇るものとして見せてくれる
私たち人間としてそうだが、私たちのワイン同じなのだ

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