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『知の木々舎』第215号・目次(2018年4月下号編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

フェアリー・妖精幻想 №83                   妖精美術館館長  井村君江
 詩集・豪華本の妖精挿画 7
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-9

にんじんの午睡(ひるね) №31               エッセイスト  中村一枝
 隣のひと
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-8

渾斎随筆 №7                                            歌人    会津八一
 奈良の鹿 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-7

石井鶴三の世界 №115                               画家・彫刻家  石井鶴三
 円山公園1967年/ 妙義1978年
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-5

はけの森美術館Ⅲ №49                         画家  中村研一
  猫
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-4

ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №53   早稲田大学名誉教授    川崎 浹
  第三章 混迷の時代を生きる ユーモアのペレストロイカ 3
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-6

往きは良い良い、帰りは……物語 №57   コピーライター  多比羅 孝
 その56 『蛍烏賊(ほたるいか)』『遍路』『ホワイトデー』『耕す』
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-28-5

【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №8                中村汀女・中村一枝
 一月二十二日~一月二十三日
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-3

猿若句会秀句選 №83                                      猿若句会会亭    中村 信
  平成30年3月17日
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-28-3

草木塔~種田山頭火  №15                俳人  種田山頭火
 其中一人 4
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-2

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №38                川柳家  水野タケシ
 4月4日と4月11日放送
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12-1

【核無き世界を目指して】

続・対話随想 №37                                    エッセイスト  関 千枝子   
 関千枝子から中山士朗さまへ              
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-10-2

丸木美術館から見える風景 №50  原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣
  語れない記憶 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-08-26

【心の小径】

論語 №48                                                           法学者  穂積重遠
 一四六 子のたまわく、中庸(ちゅうよう)の徳たるや・・・
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-10-1

余は如何にして基督信徒となりし乎 №38                                  内村鑑三
 第七章 基督故国にて - 慈善家の間にて 5
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-10

【雑木林の四季】

浜田山通信 №215                                     ジャーナリスト  野村勝美
 女人禁制という「伝統」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-9

私の中の一期一会 №164             アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 エンゼルスの大谷翔平がメジャーでも二刀流で衝撃的デビューを果たした!
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-11

パリ・くらしと彩の手帖 №135  在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ
 パリからお届けする2つの展覧会:今日はセザンヌと藤田嗣治

徒然なるままに №32              エッセイスト  横山貞利
 「英語」事始め
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-27-11

BS-TBS番組情報 №160                                     BS-TBS広報宣伝部
 2018年4月のおすすめ番組(下)
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-7

ロワール紀行 №75                           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎
 非情の城、ランジェ 4
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-6

バルタンの呟き №32                 映画監督  飯島敏宏
 「沖縄の心に寄り添って・・・などと簡単には」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-5

ZAEMON 時空の旅人 №33                                   文筆家  千束北男
  第二十八章 「バルタン星の女王カオリ対ストリクト星の女王フリーズ
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-4

医史跡を巡る旅 №38                                 保健衛生監視員  小川 優
 「紀行シリーズ」~西洋医学事始め・天草篇
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-3

いつか空が晴れる №33                      渋澤京子
 -Bach to Africa―
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-2

梟翁夜話(きょうおうやわ) №13                           翻訳家  島村泰治
 「ある中山道膝栗毛」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11-1

検証 公団居住60年 №8    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 団地の出現と国立のまちづくり 4
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-11

中華の風 №6                中国文化研究家  堂園 徹
 21世紀でも行われる人身売買
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-27-1

コーセーだから №37           (株)コーセーOB  北原 保
 コーセーが「国際サンゴ礁年2018」のオフィシャルサポーターに任命される
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-27-3

台湾・高雄の緑陰で №71                  在台湾・コラムニスト  何 聡明
 台湾と米国のあたらしい関係
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-27-15

地球千鳥足 №112    グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
 「松葉杖でアメリカへ自動車免許証更新に」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-27-16

シニア熱血宣言 №101                                       映像作家  石神 淳
  下田・ペリー・ロードの今昔
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-27

【ふるさと立川・多摩・武蔵】

赤川Bonzeと愉快な仲間たち №109              銅板造形作家  赤川政由
 南の風の吹くころ
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-10-8

立川陸軍飛行場と日本・アジア №160             近現代史研究家 楢崎茂彌
 陸軍飛行第五連隊、陸軍特別大演習に参加・直木三十五が大演習を中継放送

線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №100             岩本啓介
 しなの鉄道 懐かしのコカコーラカラー復活
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-10-5

押し花絵の世界 №60                                     押し花作家  山﨑房枝
 「春色のプレゼント」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-03-26-4

渋紙に点火された光と影 №34         型染め版画家  田中 清
 「筍」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-10-3

国営昭和記念公園の四季 №8
 「チューリップの森」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-14-1

【代表・玲子の雑記帳】            『知の木々舎 』代表  横幕玲子
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2018-04-12

         *       *      *      *

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発行回数・月に2回(上期・下期)ネットマガジンを発行します。
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「もくじ」・「執筆者紹介」・「代表玲子の雑記帳」・「心の小径」・「文芸美術の森」・「ことだま五・七・五」・「雑木林の四季」・「ふるさと立川」・「核無き世界をめざして」があります。
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フェアリー・妖精幻想 №83 [文芸美術の森]

童話作品に描かれた妖精界 1

              妖精美術館館長  井村君江

リチャード・ドイルの妖精画 1

 ジョン・ラスキンの『黄金の河の王さま』(一八五一)は、初めは、のちに彼の妻となった十二歳の少女ユーフェミア・グレイに、語って聞かせた道徳寓話(モレル・ファーブル)である。「スチリア地方の伝説」と副題にあるように、物語の舞台もアルプスの山の麓であり、登場する兄弟たちは「シュヴァルツ」(黒、ブラック兄弟)とドイツ名である。
 物語は谷間にかかる滝が夕焼けに黄金に輝くので、黄金の河と呼ばれている河があり、ある日兄弟の家にその河の精の、「南西の風の王」が訪れてくるというものである。彼は長いひげをたくわえた年寄りの小人で、マントをはおり三角帽子をかぶり、それをくるくる回すと水が飛びちり、大きな円球の泡のように水に浮く。その姿や性質は、チユートン系の典型的なドワーフのものである。
 リチャード・ドイルは、その黄金の河の王が兄弟の家のノッカーをたたいている姿を巧みに描いており、この挿画は「」パンチ』時代以後を代表する優れた作品と言われている。
 ちょうどその頃ドイルは、スイスとドイツ地方を旅して実際のアルプスのスケッチをしていたので、それらの風景を織りこんでおり、版画家のダルジェル兄弟の細密な版刷りが、こまかい山の陰影や木々の輪郭を細密な線で表している。一八五〇年にドイルは黄金の河の王さまの姿を描いたが、その鼻をトランペットのように前につき出させ、先の円い形にした。が、悪評だったので、普通の丸い鼻に描き変え、そのため、おそろしく険しい表情だったものが、下ぶくれの髭づら老人の顔に変っている。
 ラスキンは自伝の中でこの作品を「グリムとディヶンズを真似て、そこに自分の本当のアルプス体験を加えて作った物語で、あまり価値があるものとは思えない」と言っているが、ドイルに挿絵をつけてもらったことは幸運だったと書いている。
 ドイルの挿絵によって、この本は当時の社会で広く迎え入れられ、若いバーン=ジョーンズに妖精物語の挿絵を描こうという気を起こさせるほど、人々に影響を与えたのであった。
 リチャード・ドイルは『パンチ』の主幹で編集をしていたマーク・レモンに十六歳で見出され、多くの戯画の傑作を残したが、個人的にも両者の家庭は親しかった。子供に喜ばれる楽しい機知とユーモアに富んでいたマーク・レモンは、物語を作ることが上手であった。そんな彼がこれも彼と親しかったディケンズの子供たちを喜ばせるために書いたものに『魔法の人形』(一八四九)がある。レモンはこの自作のファンタジィの挿絵をリチャードに頼んだ。
  貧しい人形作りのジェイコブ・プラウトの仕事場が、フェアリーたちに侵入され占領されてしまう話である。このタイトルページの画面の中央には恐しげにまなこを見開いたジエイコブがおり、そのまわりを、妖精の女王の古式ゆかしい行列が、取り巻いている。タイトル文字は木の小枝を組合わせたブロック文字で、署名には古いゴシック体の文字が選ばれており、画面全体に中世風の古雅な情趣がある。
 小さな妖精の群れが人形作りに励む場面も、彼らのコスチュームや容姿は中世の職人風である。簡潔化された素朴な筆で、しかも表情豊かな人物動きの多い妖精たちが二十一のカットに描かれ、物語を語っている。

R.Doyle「黄金の河の王さま」.jpg
リチャード・ドイル「黄金の河の王さま」

『フェアリー『 新書館


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にんじんの午睡(ひるね) №31 [文芸美術の森]

隣のひと

               エッセイスト  中村一枝

 この家を建てたのは今から50年以上前の話である。夫と私が近くを歩いていると、夫の知り合いという赤ちゃん連れのご夫婦に出会った。おなじ会社の人だと言う。眼鏡をかけた温厚そうな人だった。その人はすでに家を建てていて、夫と私がここはどうかと思っていた土地の隣の人だった。ご夫婦ともわたしたちより3~4才年長で、奥さんは目鼻立ちのくっきりした綺麗な人だった。まもなくわたしのところには初めての、S家には二人目の女の子が生まれた。Eちやんと名づけられたその子とわたしの家の娘とは赤ん坊のときからの友達で姉妹以上のなかよしだった。窓を開けけると目の前にS家のガラス窓があった。娘たちはよくそこがら話をしていたが、わたしもS夫人もガラス窓に寄りかかっておしゃべりを楽しんだ。彼女は以前から新劇の女優さんを志していて、実際それから何年か後小劇場の舞台にも立った。Eちゃんが中学生のとき、Sさんは、渋谷の方に越した。それでも以前以上に付き合いは深くなった。
 Sさんは家を売るとき、新しく隣りになる家のもち主について色々考えてくれたらしい。
「女の子三人のご家族でね、とても感じのいい方達なの」それが今のとなりのKさんである。そのKさんとも既に30年以上はたつだろう。ざっくばらんで気持ちのいい奥さんははじめから好感が持てた。若い時にはあまり気にならなかったが隣のあり方で日常が変わることもありうる。特に家にいることが多くなってみると、家から見える範囲のことごとくが若い時より気になるのは確かである。以前裏に住んでいたわたしよりはるかに年配のおじいさんが、わたしの家の玄関に植えた八ツ手が気に入らないと文句をつけてきたことがあった。わたしはまだ20代の後半、八ツ手は玄関に植えるものではないですと言われて大いにカチンと来た。何植えようと私の勝手でしょ。余計なことを気にしないでよと言いたかったたが、がまんした。
 最近ゴミ収集車がバカに早く来る。足が不自由になって簡単にゴミ出しがしにくいから早くから用意して待っている。それが日によって遅いと何とも腹立たしい。きのうKさんの奥さんが、この頃ゴミ遅いでしょう、早くから待っているのにと言った。老人ってみんなおんなじなのかと笑ってしまった。三人のお嬢さんはみんな独立して巣立って行った。今はご夫婦二人で悠々自適な老人に見えるが、人生ってそこまで行けば到達点というのはないらしい。おそらく満足感もないのだろう。だったら好きなように生きる。春の驟雨でも来そうなくらいの空を見上げてなんとなく嬉しくなった。そこが私の、年に似会わぬ軽さ、でも老人らしくしているよりいいのではないかと思った。


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渾斎随筆 №7 [文芸美術の森]

奈良の鹿 1

                    歌人  会津八一

 初めて奈良へ見物に来たものの目に、何よりも先づ気になるものは、大軌電車の驛を出て間もなく、人通りの多い街のまんなかで、鹿に邁ふことである。人を見て逃げ出しもせず、人ごみのなかを、悠然と歩いて行くのもある。また行く手に大きいのが四五頭立ち塞がって、貰ふべきものを貰はぬうちは、容易に遠さぬといふ気色を示すものさへある。
 このふてぶてしさも、初めての旅人には、かへつて物珍らしく、何となく、遠い太古のことなどを考へさせられる。『萬葉集』にある数多い鹿の歌が、とりとめも無く、自然と思ひ出されるのも此の時である。そして、昔の寧欒の都大路の景物のかたみとして、この鹿どもが、今の世にうろついてゐるやうにさへ、思ふ人もあるであらう。
 しかし、なるほど『萬葉集』の鹿の歌は、数こそ多いが、一つか二つの例外のほかは、いづれも遠方から囁き聾を聞くといふのが多く、今の吾々がするやうに、ずつと鼻さきに近寄って、つくづくと顔や姿を眺めながら、詠んだと思はれるものは、恐らくただの一つもない。
 例外と私の云つたのは、先づ
  なつの ゆく をしか の つの の つか の ま も いも が
  こころ を わすれ て おもへや
で、角を歌ってはゐるが、この鹿は、比喩として出てくるまでのことで、實際目の前に、その鹿を見ながら詠んだとは思はれない。その頃の日本には、何虞へ行つても、まだ澤山の鹿が居り、狩も盛んに行はれたことであらうから、鹿の角は、夏にはまだ短いといふくらゐのことは、誰しもよく知ってゐたであらう。だから、その常識で「つかのまも」など云つただけのことにちがひない。
 いま一つの例外は
  いやひこ の かみ の ふもと に けふらも か か の こやる
  らむ かは の きぬ きて つぬ つけ ながら
これもやはり、常識的な想像で、ほんとに目の前の鹿を見て詠んだものではない。
 この二首のほかは、いづれも囁き聲ばかりだとすると、『萬葉集』の歌人たちは、伺うしても、生きた鹿の顔を、近寄ってゆっくり見てはゐなかったとしなければならない。
 そもそも奈良の鹿は、随分古くから、春日明神の眷属といはれ、神社の古い記録には、春日の四柱の神々の中で、建甕槌命(たけみかづちのみこと)は、神護景雲二年に、白い毛色の神鹿の背に乗って、常陸の鹿島から、はるばる奈良へ遷って来られたとあって、その鹿が後世には「鹿曼荼羅(しかまんだら)」の畫題にもなり、今あの邉にゐる鹿は、その子孫だといふことを思はせてゐるが、その時神様が、繪に描くやうに、白鹿の背に立てた神木の幹に取り懸けた白銅鏡の面に姿を宿して、ゆらりゆらりと、遠路をやって来られたものとは、なかなか信じにくいが、とにかく、この傳説に、神護景雲とあるのを、聞き捨てにはならない。
 もともと大和の図には、吉野山にも、蔦城山にも、生駒山にも、近くは高圓山(たかまどやま)にも、鹿は何虞にでも棲んでゐて、もとから歌にも詠まれてゐるのに、この傳説では、それ等とは別口に、今の神鹿の先祖が、関東からわざわざやって来たといふので、この話も甚だ腑に落ちかねるが、とにかく、神護景雲といへば、寧欒時代も、もはや末の方であるから、かりに、その遠来の鹿の子孫が、だんだん繁殖したものとしても、そこらへ出て来て、歌や繪の題材になるには、何うしても、次の平安時代以後を待たなければならなかった。
 鎌倉時代の、延慶二年に書かれた『春日権現験記』の繪巻を見るに、保元年中に興福寺で長講繪(ちょうこうえ)をやって、因明(いんみょう)の大疏(たいしょ)を読んだときに、入口の前に毎日鹿が来て立つたこと、建仁三年東大寺との中間の道で、三十頭ほどの鹿が寝てゐるのを明恵上人が見たことなどがあるが、開法の志があって困明を聞きに来たとか、上人の春日参詣を出迎へたのだとか、今日では別に珍しくもないことを、一々特別に奇蹟扱ひにしてゐるところを見ると、これくらゐのことでも、その頃は、ざらにありふれたことではなかつたらしい。だから、その頃の歌は、やはり、たいていは、聲で聞く鹿であった。

『会津八一全集』 中央公論社


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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №53 [文芸美術の森]

ユーモアのペレストロイカ 3

        早稲田大学名誉教授  川崎 浹

書記長の条件

 アンドロポフもつぎの書記長チェルネンコもおのおの就任後一年で亡くなった。

 タス通信。今日九時、長期の重い病いのあとでソ連共産党中央委員会総書記長、兼最高会議議長コンスタンチン・ウスチノビチ・チェルネンコは意識が回復しないまま、自分の職務を全うした。(一九八五年)

 このアネクドートでは、「職務を全うした」という最後の一行にとどめを置いている。したがって書記長になれるためのぎりぎりの条件というのが打ちだされた。

一、身体を支えてもらわずに三歩あるけること。
二、耳打ちしてもらわずに三言はなせること。
三、書記長が死ぬこと。

 三番目は、前書記長が死んで順番がまわってくるという意味なのか、それとも、三歩あるけず、三言はなせなくなったら、いさぎよく本人が書記長として死ぬことなのか。
 私はちょうどチェルネンコが死去した、そのときモスクワに長期滞在していた。赤の広場で行われたチェルネンコの荘重な葬儀を、七、八人の男たちと散髪の順番を待っているときに、ラウンジのテレビで眺めることになった。一人の中年女性党員があちこちの職場から従業員をひっぱりだし、二、三のテレビの前に立ち並ぶことを命じた。    
 私は自分の立場に思いを致した。こうして一見平気な顔を装ってモスクワで暮らしているが、私にはすでに『ソ連の地下文学』という「反ソ的な」著書があった。自分なりに反体制知識人の後尾につながっている。このくだらない葬儀のセレモニーに参加すべきではない。たった一人の外国人として、腰かけたままでいるか、周囲に合わせて起立すべきか、女性が起立しない私ひとりを注意したらどう反撃すべきか、さまざまなロシア語のヴァリアソトを組立てながら、いま考えるとばかばかしいほど悩んでいた。KGBに密告されたら、どうなるか。家族もいるのに……。
 しかし驚いたことに周囲の男性客たちは起立しないどころか、ソファで足組みしたままである。まもなく例の女性が靴の踵をけるようにしてやってくるや、私たちに注意した。「起立して!哀悼の意を表しなさい」。するとラフな服装の男が「我々には我々の哀悼の仕方があるんだ」といって、動じないではないか。軍服やエリートの背広姿も立とうとしない。ソ連も変わったものだ、と私はひとしおの感慨に打たれたが、驚くことはなかった。当時いちはやくクレムリンに電話をかけた男がいたのである。

 チェルネンコの葬儀がおわるとクレムリンに電話がかかってきた。
 「もし、もし、あなた方に党書記長がお入り用じゃないでしょうか?」
 「なにをいう、あなた、馬鹿じゃないか?」
 「そこなんです! 馬鹿で、老人で、病人ときてるんですよ!」

『ロシアのユーモア』 講談社選書


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石井鶴三の世界 №115 [文芸美術の森]

円山公園1967年/妙義1968年

                画家・彫刻家  石井鶴三

1967丸山公園.jpg
丸山公園 1967年 (120×170)
1968妙義.jpg
妙義 1968年 (124×172)


**************
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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はけの森美術館Ⅲ №49 [文芸美術の森]



                   画家  中村研一

猫.jpg
スミ、羽根ペン 19cm×21cm


************                                         
【中村研一画伯略歴】
鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の長男として、福岡県宗像郡に生まれる。
1920年、東京美術学校を卒業。同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞、1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞する。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となる。1923年、パリに留学、ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞する。
戦時中は、藤田嗣治らとともに、軍の委嘱を受け作戦記録画を制作した。「コタ・バル」は代表作として名高い。
戦後は、小金井市中町に転居し永住する。日展、光風会展を中心に作品を発表し、1950年、日本芸術院会員に推挙される。1958年、日展常務理事となる。画面に感情や情緒などを付加せず、抜群のデッサン力と構成力で写実的な画風を創り上げ、そのアカデミックで堅実簡明な画風は昭和新写実主義を代表するものであった。夫人をモデルにした婦人像と裸婦像を多く制作している。
1967年8月28日、胃癌により国立癌センターで死去。享年72。

小金井市立はけの森美術館  〒184-0012 東京都小金井市中町1丁目11−3

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中村研一記念はけの森美術館正面 

 



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日めくり汀女俳句Ⅱ №8 [ことだま五七五]

一月二十一日~一月二十三日

           俳句  中村汀女・文  中村一枝
一月二十一日
たらちねのもとの冬木のかく太り
            『春雪』 冬木=冬
 
 一カ月ほど前、近くの家が取り壊され売り地となった。
 三十年前には一斉に若夫婦が家を建てた通りだったがほとんど老人世帯となり、何軒かは独り住まいとなった。世帯の様変わりである。
 うすいピンクの花が可憐だったばら、どこからか香ってきた金木犀、藤の花もあった。それらは根こそぎ放り出され、あっという間に荒れ地である。どうしてああも無残に木を引っこ抜いてしまうのか。木枯らしのなか、一木一草もなくなった土地はまだ売れない。

一月二十二日
降る雪にビルいつしかに灯を連らね
             『汀女句集』 雪=冬

 初場所の千秋楽というといつでも浮かんでくる光景がある。
 四十五年前、昭和二十九年の初場所のこと。大関吉葉山が何度もの悲運の後ようやく優勝を果たし、当時蔵前にあった国技館は沸きに沸いた。その日がまた東京では珍しい大雪で、館内の興奮を後に外に出ると靴がずぶずぶと雪の中にのめりこんだ。
 新橋駅の日本食堂で猪(いのしし)鍋を食べた。美男で鳴らした吉葉山の雄姿が瞼(まぶた)に浮かんでくる。得も言われぬ興奮と感慨の中で箸(はし)を運んでいた。白い雪片がみるみる窓の外に積もっていった。

一月二十三日
夕焼や凍ても愁ひもふと忘れ
            『芽木威あり』 凍=冬

 東京でも年に何回かみごとな夕焼をみることがある。茜色が少しずつ段になり、紫色や薄墨色と二屑にも三層にもなっていく。この色感はとても言葉では伝えきれない。
 山で見る夕焼は山の表情と重なってこれ又一瞬、一瞬変化する。それもあっという間にそのくまどりを変えていくのでカメラを構えてシャッターを押していても、目前の景に目をうばわれ、シャッターを押す手が止まってしまうことがよくある。山の端に余韻をひくような雲の流れが一層夕焼をロマンチックにみせる。その時、人は誰でも自分が詩人になった気がするのだ。

『日めくり汀女俳句』 邑書林


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草木塔~種田山頭火 №15 [ことだま五七五]

其中一人 4

                  俳人  種田山頭火


  ぬくい日の、まだ食べるものはある


  月かげのまんなかをもどる


  雪へ雪ふるしづけさにをる


  雪ふる一人一人ゆく


  落葉あたたかうして藪柑子


  茶の木にかこまれそこはかとないくらし


『草木塔』青空文庫


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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №38 [ことだま五七五]

              読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆4月4日と11日放送分

         川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、2018年4月4日放送分の内容です。

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     今日でお別れ、スミカちゃん
 
「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
放送の音源は…… https://youtu.be/Je9AY-BZEDI 

【告知】
3月31日に行われた「おださがさくら祭り川柳コンテスト」の報告。
今年は「プレバト川柳対決」も行いました!!
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エフエムさがみの人気者、西健志さんと古屋かおりさんが参加

【今週の一句】
今週は145句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・桜さき沢山の祭り相模原(白ポロ) (添削例)桜さき祭りたくさん相模原
・相撲界無免許暴力春遠し(初投稿=横手敏夫)
・しっぽ切り頭はそこに居るのにね(ラジゴ)
・春嵐部分カツラに羽が生え(わんわん)
・桜よりパンダ見たくて行く上野(名人・グランパ)
・自転車に春風のせて孫が来る(名人・アキちゃん)
・咲き誇る桜も明日は花筏(マルコ)
・あきたいぬあきたけんではなかったか(平谷妙子)
・苦虫とうすら笑いの財務相(東海島田宿)
・御社から弊社に変わる入社式(小把瑠都)
・大変だ桜吹雪の後しまつ(キジバト交通)
・今週は師匠選よりプレゼント(でんでん虫)
・麻生さんやっぱり寝てた方がいい(六文銭)
☆タケシのヒント!
「『やっぱり』に思いがこもっています。国民もそうですが、ひょっとして一番こう思っているのは安倍さんかもしれませんね。」
・政治には向いていないか日本人(龍龍龍)
・我が家では通用しない訴追の恐れ(司会者=あさひろ) 
              (添削例)ウチじゃ通らぬ訴追のおそれ
☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「ラジオ万能川柳。今週の一句!秀逸は六文銭さんの『麻生さんやっぱり寝てた方がいい』でした。六文銭さん、秀逸三回獲得で見事『名人』位昇格です!!おめでとうございます!なお、今週のプレゼント“麦そよぐ句集”当選者は、やんちゃんさんです。住所をお知らせ下さい。」
・老いぼれのかりそめの恋桜散る(海辺のスーさん)
・乗り越えて苦境の時は川柳で(ポテコ)
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・新聞のレベルを言える立場かな(名人・秦野てっちゃん)
・華やいでせきたてられて花終わる(重田愛子)
・ふるさとへ会津よ顔でバスに乗る(名人・けんけん)
・トランプ氏には逆らわぬ安倍総理(名人・光ターン)
・子が巣立ちサクラ憎んだ遠い春(名人・酔とぉよ)
・つじつまをあわせて嘘は大嘘に(名人・入り江わに)
・親の名もキラ名交じる新一年(爽抜天)
・北のドン何で平和に目覚めたの(鵜野森マコピイ)
・桜(はな)散るなおださが祭り済むまでは(のりりん)
・早すぎてゴメンと言ってそな桜(はる)
・あら残念おださがまつり選ばれず(かたつむり)
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・悔やみます今週末の花見会(フーマー)
・おぼろ月艶やかな人通りすぐ(ただのおやじ)
・開いた口閉じる間もなく陸自もか(北の夢)
・新人の女子アナタレントで固め(クッピー)
・今年の名昭恵がグンと減る予感(初投稿=浮世っ子)
・雨かしら俺の頭に妻は聞く(キャサリン)
・新年度投句楽しみ笑いたい(紗月めい)
・関税も壁で固める得意技(初投稿=こもれび原人)

今週の一句・麻生さんやっぱり寝てた方がいい(六文銭)
     六文銭さん、新名人です!おめでとうございます!パチパチパチパチ!!
2席・雨かしら俺の頭に妻は聞く(キャサリン)
3席・自転車に春風のせて孫が来る(アキちゃん)

【お知らせ】
2016年年間準大賞句「ヒト以外喧嘩はみんな素手でやる」「吊り橋でふざけることもない独り」などの名作で知られる、麦そよぐさんが、仲畑流万能川柳文庫⑲入選1000句記念「麦そよぐ六〇〇選」を刊行しました!!
今週ご投稿の方から抽選で1名に、麦そよぐさんのサインが入った貴重な句集をプレゼントします!!
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麦そよぐさんは1944年山梨県鰍沢(かじかざわ)市生まれ、現在は川越市在住。
2006年万能川柳デビューで、最速で入選1000句を達成した、万能川柳最大のヒットメーカーです!!
とにかく分厚い傑作句集です!!ぜひご高覧ください!!
1冊900円、お問い合わせは、万柳クラブ事務局03-3212-2349、までどうぞ!!

【放送後記】
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麦そよぐさんの貴重なサイン入り句集、スミカちゃんが抽選でお一人(やんちゃんさん)選んでくださいました!!スミカちゃん、ありがとう!!また、いつかどこかでバッタリ会いましょう!!
                                タケシ拝
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◆2018年4月11日放送分の内容です。

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  スミカちゃんロスのスタジオ
   
【質問】
春はスタートの季節です。
これから川柳を始めようという方もいるかと思います。
そんなわけで、基礎をお尋ねします。
基本すぎるのですが、そもそも世相をひねる言葉を「川柳」と呼ぶのはなぜでしょうか?
「川に柳」と書くことや、人名かな?など……。
また、「五七五」や「七七」の形がある理由も、できれば簡単に知りたいっです。(あややさん)

【今週の一句】
今週は143句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・外交で蚊帳の外の日本国(白ポロ) (添削例)外交でこの国だけが蚊帳の外
・伝統か人命かってバカですか?(名人・りっちーZ)
・ウソの山掘れば掘るほど新文書(マルコ)
・けがれ持つ政治家だって土俵上(東海島田宿)
☆タケシのヒント!
「大共感の一句!政治家に絡めたところが皮肉が効いてて良いですねえ。女性なんかより政治家を禁制にしてください。お願いします、発覚(はっかく)発覚理事長!!」
・神様に愛されてるね大谷くん(はる)
・ランドセル防犯グッズだらけなり(名人・荻笑)
・きっとある無いと言われた加計文書(名人・秦野てっちゃん)
☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「全143句。今週のボツのツボ。秦野てっちゃん“古希の壁越えたら死ぬの惜しくなり”。芸術家の横尾忠則さんは「80を超えたら脳の支配から離れ、体自身が行動を始めてくる。余計な意味づけを削いで軽くなることこそが成熟」と言っています。まだまだと足掻いているうちは若いのかもね~!」
・懲役の24年って終身刑?(小把瑠都)
・宿帳に戸惑う二人目で合図(海辺のスーさん)
・角界の常識今や非常識(名人・アキちゃん)
・君が漕ぐ海はでかいぞランドセル(でんでん虫)
・桜散る相合い傘に春の雨(やんちゃん)
・葉桜もオツなものだと酒を飲む(キジバト交通)
・妻と夜かくれんぼして変な気に(昔のジョー)
・あさイチの司会いまイチいつ慣れる(龍龍龍)
・土俵上マツコ姉さんダメですよ(鵜野森マコピイ)
・楽しみがも一つ増えたショータイム(大名人・雷作)
・どちら様も問題ありの三協会(名人・春爺)
・聞き上手リハビリ楽し療法師(模名理座)
・ふるさとの今日のお天気見てしまう(重田愛子)
・見て!見て!と花たち笑顔で競い合い(のりりん)
・扇風機出した途端に花冷えし(名人・ユリコ)
・安倍はいや次の候補はもっといや(名人・六文銭)
・菜園に虫がわき出て春本番(名人・光ターン)
・今日孫の転校初日天気良し(名人・酔とぉよ)
・重力に勝てぬ体に疲労感(ポテコ)
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・無いものが出てき抜け穴指南され(司会者=あさひろ)
・杉去りて桧に向かいへっくしよ〜ん(おゆきちゃん)
・大谷のお陰で朝は気分いい(クッピー)
・しきたりを変えぬしきたり変えなくちゃ(北の夢)
・隣人もカミングアウト二刀流(フーマー)
・若者の真似して「りょ」とか返信し(不美子)
・守られてひよこよ様な一年生(名人・けんけん)
・協会にしたい心臓マッサージ(外科系)
・土俵際いのち救った看護師(てんし)たち(紗月めい)
・公文書終わりないよなかくれんぼ(里山わらび)

今週の一句・けがれ持つ政治家だって土俵上(東海島田宿)
2席・土俵際いのち救った看護師(てんし)たち(紗月めい)
3席・あさイチの司会いまイチいつ慣れる(龍龍龍)

【お知らせ】
昨年4月から毎週第2土曜日16時から、竹橋にある毎日新聞の毎日文化センターで「笑って上達!仲畑流万能川柳句会」という句会をおこなっています。
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句会の模様
おかげさまで、どんどん新しいメンバーが増えております。
4月は14日(土)16時から「タケシ杯句会」を行います。
「万能川柳を趣味にしたい」「一度載ってみたい」「スランプを克服したい」……
そんなアナタ、安心して句会の輪の中にとびこんできてください。初めての方でもなじめる、アットホームな雰囲気の中、「アハハ」「ウフフ」と笑い合ううちに、しぜんと作句力が鍛えられます。
句会こそが、川柳上達の早道です!
「笑って上達!仲畑流万能川柳句会」のお問い合わせは、
毎日文化センター(03・3213・4768)まで、どうぞ!

【放送後記】
春の嵐の中、いつも通り、クロスバイクでスタジオ入りし、帰ってきました。
杉花粉が終わったと思えば、今度は桧の花粉。
こんなに長く花粉症なのは初めてです。
4月いっぱいは、こんなかんじなのでしょうか??
ヘ~~~クッション!!
                                タケシ拝
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 


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雑記帳2018-4-15 [代表・玲子の雑記帳]

2018-4-15
◆東京の桜の名所は数々あるけれど、江戸城外堀の桜は意外と穴場?

今年の桜は早く、3月のうちに東京はもう満開を迎えていました。それでも、雨や嵐に会うこともなく、花の期間は意外に長くて、4月初日にはまだ散り残った桜を楽しむことができました。今回の散策は飯田橋から市ヶ谷です。

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木の間越しに堀沿いを走る電車が見えるので人気のスポット

集合場所の飯田橋駅は、1894年<明治27年)に甲武鉄道の新宿・牛込間が開通した時に開業した牛込駅が前身です。1928年に中央本線の複々線化に伴い、従来設置していた牛込駅と飯田町駅の近距離電車ホームを分離して誕生しました。JR市ヶ谷、飯田橋あたりはちょうど外堀に沿うように現在のJR中央線が走っています。カーブのきつい飯田橋駅は現在工事中。駅ホームが少し西に移って、電車とホームの間があいている苦情も解消されそうです。

飯田橋駅から神楽坂へ向かう牛込橋は牛込御門(見付け)のあったところ。江戸城の石垣が残っています。ちなみに見付けとは「敵を見つける」という意味で、枡形 (ますがた) をもつ城門の外側に面する部分。見張りの番兵を置き、江戸城には36見付があったといわれます。現在は四谷見付・赤坂見付などが呼称として残っています。
牛込御門は江戸時代、田安門を起点とする「上州道」の出入口として、交通の要衝でした。

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牛込橋に残る石垣

駅から数分、都内屈指の交通の便の良さを誇る地に東京逓信病院があります。ここに、かって与謝野鉄幹と晶子が暮らした住居がありました。二人が教鞭をとった、神田駿河台の文化学院は昨年、97年の歴史を閉じました。


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逓信病院の敷地の中にある与謝野鉄幹・晶子の住んだ住居跡

逓信病院のすぐそばには日本赤十字社の跡です。明治10年の西南戦争のとき、佐野常民が起こした博愛社が敵味方の区別なく傷兵の手当をしたのが我が国の赤十字の始まりといわれています。明治19年博愛社という病院が飯田橋駅付近に立てられ、日本赤十字社と名を改めました。

外堀は牛込台地の底に築かれました。今、線路や堀を見降ろしながら花見客であふれる、ひときわ小高い土手は、その時に掘った土で築かれた土塁の跡です。オフィスが立ち並ぶ中にある法政大学は、受験生に人気のあるとおり、一等地にあるのですね。


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土塁から眺めた対岸の桜
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土塁のそばの法政大学

土手を歩けば対岸に台地を上るたくさんの坂が一目瞭然です。 神楽坂、庾嶺坂(ゆれいざか)、逢坂、浄瑠璃坂、長延寺坂、左内坂…。

浄瑠璃坂は寛文12年(1672年)、この坂の辺りで仇討があったことで知られています。

宇都宮藩家老の奥平内藤允(くらのじょう)が、寛文8年、同じ家老の奥平隼人と刃傷沙汰をお越して切腹、内藤允の子、源八が元宇都宮藩士とともに隼人を打ち取った、源八らは自首した後、助命されて伊豆大島に流され、のちに許されて伊井家ほかに全員が召し抱えられたという、世にいう浄瑠璃坂の仇討です。元禄15年の赤穂浪士の討ち入りに先だつこと30年、赤穂事件はこれを手本にしたと思われ、仕官を期待した浪士たちもいたのでしょう。

長延寺坂は昔この地にあった寺の名前がついたものです。江戸市中引きまわしの刑罰はこの坂を上りました。罪人は伝馬町牢屋敷から小塚原の刑場までおよそ20キロ、まさしく江戸じゅうを引きまわされて、江戸市民にとってはちょっとした見物ものでした。罪状を記した看板を掲げ隊列を作って坂の多い江戸市中を行くわけだから、従者には重労働だったと同情してしまいました。

庾嶺坂は江戸初期、このあたりが美しい梅林であったことから、二代将軍秀忠が中国江南小の梅の名所大庾嶺にちなんで名づけたといわれています。なまって「ゆうれいざか」といわれることも。由来を知らない後世の人には全く違う連想があるかもしれません。

地下鉄半蔵門線の虎ノ門駅構内に、江戸城の立派な石垣が展示されているのにおどろいたことがあります。虎ノ門はさすが文科省のお膝元、石は見事なものでした。それほどではないにしても、有楽町線、南北線の乗り入れる、メトロ市ヶ谷駅構内にも江戸歴史散歩のコーナーがあるのです。

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地下鉄市ヶ谷駅2.jpg

その市ヶ谷駅を出れば亀岡八幡神社は目の前です。文明10年(1478年)、大田道灌が江戸城の鎮守として、鎌倉の鶴岡八幡神社を移したのが始まりです。高台にある境内からは防衛省が目の前。江戸時代にここにあった「時の鐘」はさぞ遠くまで響いたことでしょう。

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区内唯一の珍しい青銅の鳥居
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境内から見える防衛省の建物

飯田橋から市ヶ谷を巡って、散策の最後の地点は東京理科大学です。前身の東京物理学講習所は明治14年に設立されました。当時、自然科学の教育を行う場は、ここと東京帝国大学以外にはありませんでした。2年後に東京物理学校と改称されましたが、日本の近代化を担う多くの教員を排出しました。漱石の「坊っちゃん」も物理学校出身でした。漱石と懇意だった三代目校長の中村恭平は「吾輩は猫である」の苦沙弥先生のモデルになりました。

理科大の近くにフランス政府が管理運営する文化センター、アンスチチュ・フランセ東京がありなす。今日のお昼はセンターの芝のガーデン、ラ・ブラスリーで。新緑の下の木漏れ陽と吹きぬける風がスパイスのランチには、客の多くが屋外を希望する様子でした。


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緑が美しいグリーンピースのポタージュ
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メインのチキン
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リッチなデザート

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私の中の一期一会 №164 [雑木林の四季]

      エンゼルスの大谷翔平がメジャーでも二刀流で衝撃的デビューを果たした!
      ~3試合連続ホームランは、エンゼルスのルーキー史上初の快挙だった~

          アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 エンゼルスの大谷翔平(23)が13日(日本では14日)、敵地でのロイヤルズ戦に今季初めて「7番DH」で出場して2安打を放ち、スタメン出場では7試合連続安打となった。
 ネットに速報された記事によると、大谷はこれまでのスタメン6試合では8番DHだったから、7番を打つのは初めてである。
 0-0で迎えた2回1死走者なしの場面で、カウント2-2から相手先発の右腕ハメルが投じた92マイル(148キロ)のインコースへの直球を捉え、反対方向のレフト線に2塁打を放った。映像で見る限りハメルが投げた球は、決して甘い球ではなかった。
 3-4と1点ビハインドの8回には、1塁にランナーを置いて、大谷はセンター前にヒットを打ってチャンスを広げた。結果的にこの大谷のヒットは逆転勝ちのお膳立てになった。味方の犠牲フライで勝ち越しのホームを踏んだのは大谷であった。
 これでマルチ安打は3試合目だが、打席での大谷は常に落ち着いているように見える。初めて対戦する投手ばかりだろうに、緊張しているようには見えないのだ。私の印象は「いとも簡単にヒットを打つ男」である。
 前日の試合も私はテレビ観戦したが、7回の2死満塁で走者一掃の3塁打を記録したとき、アッという間に3塁ベースまで到達したそのスピードに目を奪われた。驚異的といってもいいそのスピードにビックリしたのである。大谷は投、打,走でファンを魅了したと、新聞記事も大絶賛だった。
 13日現在、エンゼルスは12勝3敗とアメリカンリーグ西地区首位にいるが、メジャールーキーの大谷がチームの快進撃に大きく貢献していることは確かである。
 野球の神様ベーブ・ルース以来、メジャーリーグで二刀流に挑戦する選手は現れなかった。21世紀に入って、日本のプロ野球界からその常識を破ろうとする若者が野球の本場に乗り込んだのだ。
 23歳の大谷翔平は、言葉や文化も違う国で、レベルの高い舞台に身を置きながら夢を実現させようとしている。
 予想外の活躍に喜びながらも、「出来過ぎじゃないの?」と半信半疑な気持ちを胸に秘めるファンが多いかも知れないなと思うことがある。
 何故なら、開幕前の大谷はオープン戦で苦しんでいた。投手として13イニングス投げて19失点。打者として 32打席でヒットはたったの4本、打率1割2分5厘という惨憺たるものだったからだ。
 これじゃ「メジャーはムリだろう」という見方が大半を占めていたのも頷ける。
 しかし、日本から海を渡った若者を身近で見ていた名将・マイク・ソーシア監督は違う考えを持っていたのだ。
開幕2日前の記者会見で「我々は違うレンズで彼を見ている。開幕試合では、オオタニを起用するつもりだ」と発表したからメディアは首を傾げたらしい。
 ソーシア監督は「皆さんは打率や防御率ばかりを見ているが、私は調整のプロセスを重要視している。オオタニは確実に成長している」と自信たっぷりに発言したという。
 大谷翔平をよく知る日本ハムの栗山監督も「ベビーフェイスだが、性格は強烈な負けず嫌いだ」と言う。
 “翔平は宿題が大きければ大きいほど輝く”と述べて「やられたままで終わる男ではない」と断言した。
オープン戦で対戦して打てなかったサイ・ヤング賞投手のコーリー・クルーバーから、シーズンに入って2号2ランを左中間に叩き込んだのは“リベンジだった”とみていいかも知れない。
 試合後「今日も内角にきていた。さすがにレベルの高い投手だなと思った。そういう投手から打ててうれしい」とクールにコメントした。
 「開幕前に批判的なコメントをした人たちに言いたいことはあるか?」と記者会見で問われ、「特にない。まだ始まったばかりだし、次の試合から打てなくなるかも知れない。結果に対しての評価は仕方がないことだ」と答えている。
 とにかく、マウンドでも打席でも終始落ち着いていて慌てる素振りは一切ない。
 アスレチックスのメルビン監督は「マウンドと打席の両方で、これだけやれる選手はほとんどいない。とても印象深い選手だ」と褒め称えたという。
 3試合連続本塁打の大谷には、アメリカのメディアも称賛を惜しまない。ヤフースポーツなどは「打者としても投手としても、試合に出る度に二刀流に懐疑的な人々を黙らせてしまう」と報じた。
 『スプリング・トレーニングでオオタニが苦しんだ時、誰もが「はいはい、頑張って!」と言っていた。しかし今や、選べる言葉は「なんてことだ!」しかない』などと手のひらを返す賛辞も目につく有様だ。
 大谷は13日現在、投手として2勝0敗、奪三振18、防御率2.08.
 打者では30打数、11安打、ホームラン3本、打点11、打率367という立派過ぎるものだ。
 だが、この好調を1年間続けられるかというと、“そうは問屋が卸さない”という声も聞こえてくるのだ。
 大魔神としてマリナーズでも活躍した佐々木主浩氏は、「今に“波”が絶対来るだろう。怪我をするかも知れない。不調の時をどう克服していくかは問題だ」と懸念を語る。
 キャンプからずっとやってきて5~6月頃が一番疲れるところで、怪我し易い時期だ。
 夏場の連戦も日本よりは過酷だろう。二刀流経験者が他に誰もいないことも問題になるに違いない。
 メジャーOBだって、“彼がどう調整したらいいか”を的確にアドバイスするのは難しいと言えるのだ。
 弁護士の荘司雅彦氏が『驚くべき快挙でデビューした大谷翔平は「平均値への回帰」という現実を無視できない』とツイートしているのを目にして興味深く読んだ。
 荘司氏の説によれば、出来過ぎの成績はいずれ下降線をたどり“平均値に収斂していく”というものだ。よく我々も“二年目のジンクス”ということを口にするが、それと同じで“出来過ぎの一年目は”やがて平均値に収まっていくのが自然だというのである。
大谷が、プロの世界で“投打で一流”ということは「もともとの平均値がとても高い」と考えてもいいだろう。だから平均値に収まったとしても、“ヒドイ状態にはならない”筈なのだ。
 しかしこの世で、夢のような大活躍が永続することはほとんどない。それは大谷が警戒され、分析されと研究されることを意味する。
 弱点を探られたら大谷だって、そう簡単に勝ち星は手に入らなくなる。連続試合ホームランもなかなか打てなくなってくるだろう。
 アスレチックスのベテラン外野手マット・ジョイスは「オオタニの制球がいい時は、打ち崩すのは難しい。でもメジャー・リーガーは適応に長けている。次の対戦で彼の投球に適応すれば、もうちょっといい試合が出来るだろう」とコメントしている。当然のことだが、分析、研究はすでに始まっているとみていいだろう。
 大事なことは、挫折や失敗があっても、試合を投げずに戦い続けることだと、荘司氏も強調している。
 例え思うようにいかなくても、「平均値への回帰」でいずれ調子が上向いてくる。
 「二刀流なんか無理だ」と言われた大谷は、日本ではそれを成し遂げた。
 「メジャーは無理かも」と言われたが、メジャーで現実に良過ぎる(?)結果も出ている。
 スランプに陥っても「平均値への回帰」によって、必ず復調出来ることを忘れてはならないのだ。
 ロブ・マンフレッド・コミッショナーは、大谷の二刀流デビューを「最大のストーリだ」と称賛した。そして「多くの人々が刺激を受け、同じようにやってみようという選手が出てくるかもしれない。違うことが起こるというのは、どのスポーツにとっても喜ばしいものだ」と語っている。
 大谷効果は、メジャー・リーグに新風を吹き込むことになるかも知れない・・・


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パリ・くらしと彩りの手帖 №135 [雑木林の四季]

パリからお届けする展覧会:きょうは藤田嗣治のこと

              在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

 藤田嗣治を知らない日本人はそういないのではないだろうか。そしてまたつい最近もわたしの読者から、パリで藤田の絵を買うことが出来る画廊をご存じですかという手紙を受け取ったばかりだった。それで、時々出物のある画廊の前を通ったから聞いてみたら、このところ全然出ないという返事だった。私もパリに来たばかりのころサンジェルマンデプレやモンパルナスなどアーテイストの多い辺りにいたから毎日どっぷりとその雰囲気に漬かっていた。そして藤田の住んでいたカンパーニュプルミエールは私の住んでいたモンパルナス通りから隣りのボワッソナードが始まるところだったから彼のアトリエを見上げて通る事は日常だったし、そうでなくとも藤田の絵を買いたいフランス人に時々ついてきてくれないかと頼まれたりしたものだった。いま住んでいるパリ郊外の隣人のお母さんも一枚持っていると言っている。それなのに、今ごろその作品展をやるという事で、びっくり。 マイヨールの好きだったモデルがついにパリの画廊の多いカルチエにまるでマイヨールtとその友人達のために開いたような画廊だったが、10年か20年前に今度は立派な美術館まで開いてしまったのだった。そしてこの新しい美術館になかなかの企画を持って来てマイヨールを思い出させていたのだったが、どうやら其れもタネがつきたのか最近ではまるでこちらを惑わせていたのだった。それにしても藤田嗣治とはみんなが知っていてもそれでいて展覧会をやるなどとは今まで思いつかなかったのだろうか、それともあのパリに来る度にみんなを困らせていた、なんとも理解出来ない未亡人がいままでさせなかったのだろうか?藤田の死後すぐに美術の研究者が、フジタについての2冊続きの研究書を出して話題になったのだが、これも未亡人の反対で書店で売れないことになった。死の数年前にヴィリエールバクルと言うところに農家を買ったがここではキリスト教徒になる為の心の準備をしていたのであろうか、夫の死後、夫人はこの家を街に寄付したという。いまでは藤田美術館担っているといってもいいだろう。藤田はクリスチアンになり、レオナール藤田になるために、その為の絵を描き続けた。もうこれ以上はできないという限界を感じてこの家を離れたという。そして、モンパルナスの駅と藤田の住んでいた道とのちょうど真ん中にあるモンパルナス通りの教会でお葬式が行われた。     丁度今フランスで50周年記念が行われている学生運動のあの年の事だったのだ。私もここで藤田のお葬儀に参加した一人だが、この本のことは今まですっかり忘れていたが、どうなった事だろうか。今ごろは書店に顔を出しているかも知れない。この展覧会の機会に手直し出来ているといいが。いつからこの素晴らしい企画が持ち込まれたのだろうか。この美術館h今から20年ほど前に作られた物だが、あのフランスの彫刻家マイヨールがこよなく愛した女性モデルがマイヨールの亡き後、彼の彫刻を主とする画廊を開いて、マイヨールをはじめその周りの一連の作品を展示していた物だ。そこにはわたしの好きなクーチュリエの彫刻もかなりなコレクションを見せていた。でもこのミューズ も歳とって遂に別の世界に行ってしまい、その息子達がいろいろと続けて来たがそれも終わりが来たように、寂しいかぎりだったのだが、今回の展覧会で人の入りは素晴らしくて美術館は予定を変更して受け付けている。フランスでは普通はあり得ない事なのだが。
 フランスに来たばかりの 藤田。ヨーロッパの女性や子どもたちのふわふわ飛んでいってしまいそうな感触をどう画面に伝えるか、いや、自分も 実際に頭を刈り込んでみよう、というようにいろいろと工夫を凝らした。シッカロールを絵の具に混ぜたり、色々試したという。そしてその藤田がレオナールフジタに変わっていく。

 この展覧会でフジタに親しみを覚えたら、次はどうしてキリスト教徒になったかという疑問、これを解決できるとしたら、シャンペンのムンに描かれているその為のチャペルを訪れてみる事をお勧めする。彼はここで力尽きたといっているのだから。私はシャンペンを呑んでもその解答を得られるとは思わないが、彼自身が描いているチャペルをみることは彼の精神を観ることにほかならないと思うからだ。





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浜田山通信 №215 [雑木林の四季]

女人禁制という「伝統」

              ジャーナリスト  野村勝美

 一強政治とは独裁政治のことで、とりまきや部下たちが、すべての責任をとったり、忖度してくれたりする。忖度し、責任をとるならまだしも、あったことをなかったことにする。「記憶にある限り、会ったこともない」なんてワケの分からない詭弁が高級官僚の口からとびだし、しばらくするうちに忘れられてしまう。この2、3年、森友、加計、防衛省日報問題、ときどき思いだしたように事件の本質を衝く公文書が出てきても、蛙の面にションベンで、アアアアイヤンなっちゃったである。この先日米、朝韓、米朝首脳会談がつづく。モリカケどころではない、ということになっていく。長生きするとほんとに人間の愚かさ、ばかばかしさ、アホらしさ、情けなさにぶつかっていやになる。
 昔、サンデー毎日でいっしょだった徳岡孝夫(いまでも「新潮45」の巻頭文を書いている大ジャーナリスト)が、私のことをボヤキ屋といっていたが、確かにこの通信もボヤキが多い。ボヤキついでに大相撲の「女は土俵上に上らせない」問題について書く。舞鶴市での地方巡業で市長が土俵上で挨拶中脳卒中を起こしあおむけに倒れた。見ていた女の看護士さんが人口呼吸を施し市長さんは助かったが、行司が「女性の方は土俵を降りてください」と場内放送し、大問題になった。相撲協会は人命に関わる問題でまちがいでしたと謝ったが、TVなどでみると、このところウケに入っているスモウ評論家と称する連中の言っていることがどうもおかしい。土俵に女の人を上らせないのは伝統だからという。スモウは神事であり、女性を土俵に上らせると神様の怒りをかうからなんてことまで言う。
 たしかに女人禁制は明治5年まで山岳信仰や社寺にあったが、理由は女は不浄で穢れを持っているから。死や血がけがらわしいという感覚はいまでも葬式の帰りに家に入る時塩をまいてお清めをすることに残っている。血についてもお産や生理のとき、別火にするためお産小屋に移るということがあった。これは完全な女性蔑視、差別である。女性が上ると土俵がけがれるという伝統、こんなものは即刻やめなければならない。
 財務省次官のセクハラ問題も同根だろう。女性に卑猥な言葉を浴びせる役人など即クビにしろ。私は今年初め「♯MeToo」と題してことしこそ日本も女性ファーストの年にと書いた。しかしこんなことでは、世界で男女平等度114位はさらに下がることはまちがいない。

              ×      ×      ×      ×

 4月6日、毎日新聞で同期だった池田龍夫くんが急性肺炎で死んだ。父君が昭和5年東京駅頭で右翼に狙撃された浜口雄幸首相の秘書をしていたこともあり、政治記者志望だったが、整理部一筋の記者生活だった。しかし記事は定年後も書きまくり、16年にはウエブサイト「ちきゅう座」に連載した記事をまとめて「時代観照、福島・沖縄そして戦後70年へ」(社会評論社)を上梓した。数年にわたる人工透析を続けながらの奮闘だった。

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BS-TBS番組情報 №160 [雑木林の四季]

BS-TBS 2018年4月のおすすめ番組

                                                     BS-TBS広報宣伝部

ノジマチャンピオンカップ 箱根シニアプロ ゴルフトーナメント

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2018年4月19日(木)よる9:00~10:54 「第1日」
2018年4月20日(金)よる7:00~8:54 「最終日」

☆レジェンドゴルファーたちの競演!

「ノジマチャンピオンカップ箱根シニアプロゴルフトーナメント」が、今年も春の箱根で開催される。
国内男子ツアー最盛期の1990年代に活躍していたレジェンド達による円熟の技や、50歳以上とは思えない迫力のプレーをお届けする。
舞台は「箱根カントリー倶楽部」。富士箱根伊豆国立公園内に位置した雄大なロケーションのなか、赤星四郎氏が“あるがまま”を基本に設計し各ホールが独立した個性を有したコース。
本大会は2日間で行われる短期決戦の為、最終日の猛チャージで大逆転が可能となり、昨年はトップと6打差の真板潔が混戦を制して逆転優勝。今年の第3回大会もスリリングな展開が予想される。
P.マークセンが2年連続賞金王となっているシニアゴルフ界。過去二度のシニアツアー賞金王にも輝いた日本プロゴルフ協会会長・倉本昌弘、日本人男子初のメジャー競技大会優勝の井戸木鴻樹、シニア2年目となる川岸良兼など出場予定のレジェンドたちが、打倒マークセンを掲げ、戦略性豊かな箱根カントリーを舞台に繰り広げる熱戦をお届けする。
解説:田中秀道プロ
実況:松下賢次

パナソニック・オープンゴルフ2018

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2018年4月21日(土)午後2:00~3:54 ※生中継/延長なし
2018年4月22日(日)午後1:00~3:54 ※生中継/最大延長120分

☆アジアから世界へ羽ばたけ!2020東京五輪の主役は誰だ?

2008年、真のアジアナンバーワンプレーヤーを決める戦いとして産声を挙げた「パナソニックオープン」。日本ツアーの上位陣と、アジアで戦うプレーヤーたちが相まみえる貴重な場として大会が開催されてきた。
2016年、リオデジャネイロ五輪ではゴルフ競技が112年ぶりに復活。2016パナソニックオープン王者の池田勇太がアジアの頂点から“世界”の舞台へと羽ばたいたように、今年も“2020東京五輪”へつながるアジア屈指の大会として熾烈な優勝争いが展開される。
今年の注目は今大会のチャンピオンでもある池田勇太。
2017年にツアー3勝を挙げ賞金王に輝いた宮里優作は初のマスターズを経験して戻ってくる。その宮里優作と最終戦まで賞金王争いを繰り広げた昨年の賞金ランク2位の小平智、今季から日本ツアーに専念する新選手会長の石川遼など日本ゴルフ界を代表する選手たちが、最高の布陣でアジアの強豪を迎え撃つ。
舞台となる「茨木カンツリー倶楽部」は、記念すべき「パナソニックオープン」第1回大会、第6回大会が開催されたコースでもある。色鮮やかな景観と稜線美にあふれたコースは、前大会後の2011年、高速ワングリーンに改修された。世界基準に適したものへと生まれ変わったグリーン、最高のコースが、最高の選手たちに最高のパフォーマンスを要求することだろう。
解説:丸山茂樹プロ
オンコース解説:田島創志プロ(JGTOコースセッティングアドバイザー)
実況:小笠原亘(TBSアナウンサー)
インタビュー:佐藤文康(TBSアナウンサー)

アスリート夢共演

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2018年4月15日(日)午前9:30~10:00
2018年4月22日(日)午前9:30~10:00

☆障がい者アスリートと健常者アスリートが、2020へ、その先へ続く「夢」を共に語り合う!

出演:高田千明、塚原直貴

「スポーツを通じて見る夢」それは、障がい者も健常者も変わりありません。
障がい者アスリートと健常者アスリートが、2020へ、その先へ続く「夢」を共に語り合います。
今回の主役は、パラ陸上日本代表・全盲のスプリンター&ロングジャンパー高田千明選手。
5歳の時に黄斑変性症と診断され、高校3年生で完全に視力を失った高田選手は、中学・高校と陸上の他にバレーボール・トランポリン・卓球などでも活躍したアスリート。全盲となってから本格的に始めた陸上でメキメキと頭角を現します。2011年の「世界パラ陸上」では、200mと100mでそれぞれ銀と銅のメダルを獲得。13年からメイン種目にした走り幅跳びでも17年の「世界パラ陸上」で銀メダルに輝いた日本を代表する陸上選手。
そんな高田選手を訪ねたのは、昨年現役を退いた北京オリンピック陸上男子400mリレーの銅メダリスト塚原直貴さん。その塚原さんが、アイマスクを着けて「見えない陸上」の世界に初挑戦。専門種目の短距離はもちろん、アイマスクを着けた走り幅跳びにも挑戦します。驚きのその結果とは…。


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ロワール紀行 №75 [雑木林の四季]

非情の城・ランジェ 4

           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 王の寝室も、数百年前のままに残されている。寝台は天蓋がつき、部厚いカーテンがめぐらされ、その傍に安楽椅子や背なしの椅子などが点々と置かれている。
 意外に思ったのは、その寝台の小さなことである。そのころ、ここに住んだ王侯や王妃は、今日の少年少女位の身長しかなかったのではなかろうか。せいぜい五尺位のように思われる。
 その寝台の上にかけてあるベット・カバァは、粗(あら)い麻の織物である。麻は桐とともに、当時では貴重なものだったようである。
 ホォム・スパァンのように、ごつごつした手織りのラフな感触が、なんとも心地よい。
 西欧の人は、寝台というものに特別の関心があるらしい。好奇心というにはあたらない。
 もっと厳粛なものを感ずるのであろう。
 良きにつけ、悪しきにつけ、人の一生の大半を過す憩いの家具として、東洋人の考え及ばぬ関心の深さである。静かに思えば、まことに合理的な考え方である。
 富豪の間でナポレオンの使用した寝台が、何千万円かで売買されるという話も、歴史は夜作られるという、考え方からであろうか。
 それとも、安眠の中に浮んだ英雄の偉大な創意(アイデア)の、余恵にあずかりたいためか。
 あるいは、「すべての女性は皇帝の夫人となるか、妹になるよりほかに仕方がありません」と、美しいドゥ・スタァル夫人を嘆ぜしめた、その類い稀なる艶聞にあやかりたいというわけか。
 いずれにせよ、彼等のこの心理は面白い。
 どこのシャトオでも、建築や装飾に余り関心を示さなかった観光客が、ひとたび城主や夫人の寝室に案内されると、急に活々として、ガイドに何かと質問する光景を再三経験した。
 ここでも同じである。
 ガイドもそれを心得て、徴に入り細を穿(うが)って説明する。
 昔のフランス王侯の生活の中に、「寝室の儀式」ともいうべきものがあったのも、寝室や寝台の人間生活に占める重要さの、フランス的な考え方に由来するのであろうか。
 当時の王侯は、二つの寝室をもっていた。日常使用する寝室と、儀礼的な行事を行う大寝室である。
 封建時代の王侯は大寝室で、多くの人々に傅(かし)ずかれて、衣服着脱、寝衣着脱などの儀式を行ったという。
 大寝室は、いわば「着衣の間」、「脱衣の間」ともいうべき部屋であった。
 この風習がルゥイ十四世のヴェルサイユ宮にも伝承され、「小御起床(プチ・ルヴエ)」「大御起床(グラン・ルヴエ)」、「小御寝(プhシ・クッシェ)」「大御寝(グラン・クッシェ)」の儀式となったという。
 この名称の大小は、その式に侍べる臣下の人数の多寡によるという。
 この「寝室の儀」の濫觴(らんしょう)は、このランジェ城の大寝室で始まったといわれる。

 バルザックの長編小説『ドゥ・ラソジェ公爵夫人』は、このランジェの何代目かの城主夫人にまつわる物語かと思って読んでみたが、全く関係のない架空の創作のようである。
 この近く、トゥール生まれのバルザックが、このランジェの名を作中人物に借用したのだろう。
 この城は十七世紀中葉まで、フランス王家の世襲財産だった。現在はフランス政府の有となっている。
 シャトオの下につづく寂びた通りに、ラブレエがしばらく住んだと伝えられる、壁の剥げた古雅な家がある。

『ロワール紀行』 経済往来社


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バルタンの呟き №32 [雑木林の四季]

「沖縄の心に寄り添って・・・などと簡単には」

                 映画監督  飯島敏宏

 円谷プロダクションの文芸室員として、今から50年前ごろ、同じ沖縄出身の文芸室長金城哲夫氏とともに、SFドラマ「ウルトラマン」、「ウルトラセブン」に始まり、「怪奇大作戦」など脚本家として僕と仕事をした上原正三氏が、昨年「キジムナーKids」という、終戦前後の沖縄の子供達を活写した小説を書いて出版(現代書館)したのですが、一読して僕は心底から驚嘆したのです。彼自身の体験を描いた自伝小説ではありませんが、あの戦争の末期、米軍が大挙して上陸して来た沖縄本島に、実際に、少年として彼自身がそこに身を置いていた著者上原氏が、まさにアメリカ兵と沖縄の駐在軍および民間住民が直接戦った戦場沖縄本島そのものの臨場感を出すために、子供達の交わす会話のかなりの部分を、一般の読者には理解できないはずのウチナーグチ(沖縄の言葉)のままにして書かれているのですが、読んでみると、それが、なぜかすんなりと読み進められる、というか、理解できるのです。
 僕が円谷プロで彼ら二人と仕事をしていた時に、何かの折、(たぶん、僕に聞かれては都合が悪い時)に金城氏と上原氏が、ちょこちょことウチナーグチで囁き交わすことがあったのですが、その時には、さっぱり解らなかった言葉が、この小説に登場するキッズたちのそれでは、自然に、あたかも普通の日本語のように、頭の中に浸透して理解されて、無理なく通読できてしまうのです。それほど、ほぼおなじ世代の少年として、あの敗戦時の焦土と化した東京を彷徨った僕たちの境遇と、このキッズたちの境遇が似通っていたからかもしれません。僕が、終戦直後、初めて遭遇した米兵から投げ与えられたラッション(弁当)に驚愕して、彼我の軍事力の違いを見せつけられたことは、僕自身もしばしば書いたり話したりしましたが、このキジムナー(樹上などにすむ妖怪)のような子供たちは、なんと、その後も積極的に占領軍兵舎に忍び込んで、豊かなラッションを盗み出しさえする逞しさなのです。敗戦直後、上野の西郷さんの銅像(維新の雄西郷吉之助)あたりに屯していて、広げかかった僕の母親手づくりの高粱めしベントウを奪い去ろうとした浮浪児(爆撃で家も肉親も奪われた子供達)に勝る生き生きとした生存エネルギーが、活写されていたのです。
 「本土決戦」「一億一心火の玉だ!」「撃ちてし止まむ」「一人一殺」などなど、威勢のいい言葉で上陸してくる米兵に立ち向かう決心をした僕たちが、果たして実際に上陸した彼らと遭遇し、肉親を火炎放射で焼殺された後に、この逞しさを、果たして発揮できただろうかと、いかに僕の敗戦経験などが甘っちょろかったかを、思い知らされたのです。いって
 「沖縄の人たちの心に寄り添って・・・」などと簡単に言ってのけて基地を押し付けようと考える人たちには、この「キジムナーKids」をぜひ読んでもらいたいと思いました。
 敗戦に先立つこと2か月以前に行われていた、米軍の沖縄上陸と悲壮悲惨な戦闘に関しては、当時、もちろん、遠く離れた本土の首都東京の僕たちに、その詳細は知らされていませんでした。さまざまな通信網が張り巡らされた今日では、とても想像できないことですが、当時の沖縄本島では(ある意味では日本全国も)、情報の伝達はラジオだけ、しかも当局によって完全に規制されているNHKだけだったのですから、上原キッズ達や一般民衆は、実際に自分たちが身を置いている沖縄本島の沖には、その後幾何の猶予もなく、彼らに砲弾の雨を降らせることになるアメリカの大艦隊がひしめいていたことや、なんと、島の一部にはすでに米軍が上陸して、火炎放射器などを用いた掃討作戦が始まっている事さえつぶさには知らされなかった、などという想像を絶する事実を、最近書かれた彼のこの小説で、はじめて知ったのです。情報の規制、遮断が、どんなに恐ろしいものなのかを改めて実感できました。永年のあいだ放送に関わってきた人間として実に恥ずかしい事ですが・・・
 沖縄にも数回訪れて、人々と語り、戦争の遺跡史跡を見て、沖縄を多少は理解していたつもりでしたが、こうして実際にそこにいた少年たちの描写として強烈な臨場感で生き生きと活写されてみると、まだまだ、沖縄では、戦争が終わってはいないのだということが、まざまざと実感されたのです。Kidsに託した作者上原正三氏の思いが、胸を突きました。
 戦後、一人一殺と覚悟した筈の米軍兵士と遭遇して、陽気な歓声と、投げ与えられた弁当の豪華さにそれまでの気負いも何処へやら、完全に負かされてしまった少国民の僕、占領軍(CIE)の女性将校が学校に現われレッスン等を手始めに振り撒かれた民主主義教育に、流されるままに順応して行った僕たち少国民と違って、終戦後も、自分たちの生存を確保する為に占領軍と戦い続けた少年妖怪キジムナーKidsの逞しさに、完璧に打ちのめされてしまったのです。まさに、ガジュマルの樹林に忍んで跳躍しまわるという妖怪キジムナーのような、上陸、占領されてもなおしぶとく、悪賢いほどに占領軍を相手に戦い続けた、まさに子どもや少国民ではないkidたちは、僕のいままでの沖縄観を、それこそ目から鱗、一皮むいてくれたのです。これこそ、僕たちが子供の頃むさぼり読んだ児童文学の巨星、坪田譲治の賞を与えられて当然の快作でした。
 彼と沖縄を同郷とする金城哲夫氏が、ウルトラマンの原案作成にこめた、ニライカナイ(豊穣の地)から寄せ来る平和の使徒というメッセージは、しばしば語られてきたのですが、このキジムナーkidsのようなユニークな沖縄少年たちは、この小説でこそ初めて取り上げられたビビッドな沖縄からのメッセージではないかと思いました。
残念なことに、せっかく沖縄の本土返還が実現したあと、テレビ局側の制作者の意図との食い違いと、製作費膨張の責任を背負って、金城哲夫が円谷プロから沖縄に戻って以降、ウルトラマンが宇宙の平和実現のための使徒ではなく、平和を守ると称する戦士に変貌してしまい、さらに、人間に操られる戦闘機器に頼る姿に変わってしまい、しかも平和と豊穣のシンボルであった光の国の内部にさえも権力をめぐる闘争や戦闘能力を競う争いが繰り広げられるに至って、僕は、ウルトラマンのメッセージ性を問われた際に答えようもなくなってしまった昨今でしたので、余計に衝撃を受けたのかもしれません。敗戦と共に戦いを諦めてしまった淡白な僕たち少国民と違った、幾たびもの侵攻にさらされて生き延びてきたkidsの闘いに、完全に脱帽させられてしまった、今回は、呟きならぬ、反省の章ではありました。
 「欲しがりません勝つまでは」ではなく「あきらめません勝つまでは」の精神で、バルタン星人は呟き続けなければ、と自戒しつつ・・・


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ZAEMON 時空の旅人 №33 [雑木林の四季]

 第二十八章  バルタン星の女王カオリ対ストリクト星の女王フリーズ

            文筆家  千束北男

 バルタンの女王カオリと巨大AI怪獣グレンデルの一騎打ちは、こんなことを書くと,不謹慎に思われるかもしれませんが、まるで王城の広場(コロセウム)広場や舞台で披露される名手の悪鬼退治の遊戯や舞のように華やかでした。
 蝶のように華麗に舞い、ハチのように鋭く刺す敏捷さで、強大なグレンデルとしばしわたり合っていたバルタンの女王カオリでしたが、やがて頃合いと見たのか、極めて高い波長の気合いと共に凝固波動をあびせて、なお荒れ狂おうとするグレンデルの動きを瞬時に押し包んでしまいます。
静止した双方が正対したまま、時が流れ、と、その後、驚くべきことが起こりました。
絶対の優位に立っている女王カオリが、グレンデルとの戦いの終止符を打つ攻撃を加えるのではなく、なんと、僕に向けて、
「ハヤト、歌え! 奏でよ!」
と強烈な気配を伝えてきたではありませんか。
我に返った僕は、直ちに洋琴を取り直して、ダルシス・メロスを奏で始めました。熱い想いを込めて、しかし静かに、女王カオリの瞳を見つめて、相聞の歌を歌います。
クール、クール、クール・・・
すると、何ということでしょう、突然、
「ウオオオオーン!」
グレンデルが、空を仰いで、なにか悲しげな咆哮を放ったのです。
いよいよ、カオリを相手に、捨て身の決戦を挑むのか、と思われたグレンデルが、その巨体を反転させて、女王カオリの前にひれ伏したのです。
そして、ゆっくりと身を起こすと、あたかも我々の大行進の再開を促しでもするように、両腕を高くかざして
「ウオオオーン!」
ひと吠えして起ちあがり、逆に自身が大群衆の行進を導くかのように、大宰相府をめざして歩き始めたのです。
すると、クリストファ・コロンバス! なんと、驚いたことに、大宰相の命を受けて発進し、我々に襲いかかる筈だった夥しい数の傀儡政府軍ロボットまでもが、一斉に回れ右をして、大宰相府に向かって進撃しはじめたではありませんか。
いつの間に載ったのか、グレンデルの頭頂には、ZAEMONが、影の徳治さんを伴って立っています。あたかもグレンデルを操縦でもしているように、カオリが持っていた白扇を前方に打ち振っているのです。
狼狽した大宰相が次々に繰り出してくる新手のロボット軍団は、グレンデルが、大口を開けて手当たり次第に呑み込んでしまいます。
美しい見事な翅を精いっぱいに広げながら、大群衆の先頭に立って前進する鳳凰、女王カオリに従って、僕はひたすら歌い、奏でるのです。大群衆が、踊り、舞いながら唱和する平和の歌、ダルシス・メロスが、地上に流れる波紋のように広がって行きます。
バルタン星人ピピン、パパンと対峙して睨み合っていた傀儡政府軍、警察軍の中からも、そして遂には、宇宙十字軍や地球侵略を企てていたストリクト星人からさえも、ダルシス・メロスを口ずさみながら反転して平和大行進に加わってくる者が増えていったのです。

そして、ついに・・・
予想されたおそろしい殺戮戦もなく、LHS平和大行進は、大宰相府門内に進入して行くのです。
そしてついに・・・
鳳凰姿のバルタン星の女王カオリの瞳が、台座にしがみついて歯噛みする大宰相を捉えます。
女王カオリの、どこまでも透視してくる視線に耐えかねて、台座にもたれかかった大宰相は、まるで陽光を浴びた凍土が溶けるように、その正体をさらけ出します。
そしてついに・・・
やはり、その正体は、豪華な衣装の中でわなわなと震える、小さく貧しい体躯のストリクト星人でした。矮小で貧相なストリクト星人が、尊大ぶった大宰相の肉体に憑依していたのです。
大宰相という仮面をかぶり、政財界の欲望をそそのかしてその恩恵をむさぼり、国民の生活を犠牲にして行った、あの狂気としか言いようのない数々の悪政は、地球を乗っ取ろうと試みたストリクト星人が企んだ、地球人類に破滅の騒乱を仕掛けるおそろしい罠だったのです。
いま、僕たちの目前に、貧弱な肉体を曝している大宰相は、あわれな傀儡に過ぎない存在だったとして、
残るは、あの三軍総司令ミス・ディーモン!
と思った刹那です。
「カオリ!」
鋭い声を発して、ひざまずく傀儡軍の中から飛び出してきたのは、他でもない、あの三軍総司令ミス・ディーモンです!
「ケケケケケ・・・・」
嬌声と共に突然巨大化して、爛々と炎を放つ眼をくゎっと見開き、バルタン星の女王カオリを見すえます。強烈な光芒で女王カオリの目をくらませて、すかさず必殺の熱線を浴びせようとしたのです。
「カオリ!」
とっさに琴をおいて立ち上がった僕は、まったく無意識のうちに、両腕を前方に伸ばして、三軍総司令ミス・ディーモンに向けていました。僕の持つ全身全霊の念力を振り絞って、
なんのために・・・
何をしようとするのか・・・
すべての疑問を振り捨てて・・・
一念に、すべてをこめて・・・
放ったのです・・・
すると・・・
信じられない奇跡が起こりました! 
僕の両掌が一瞬バルタン星人の巨大な爪に変化したかのように見えて、そこから、凝固光線が迸(ほどば)迸しったのです。
僕の放った凝固光線は、必死にあがき暴れまくる三軍総指令ミス・ディーモンを捉えて放しません。
ああ、山本久美子先生! 
この瞬間に、全ての事が解ったのです。
山本久美子先生! いまこそ、告白します!
僕は、いつのまにか、バルタン星人と同じ能力を備えていました! いや、違うのです。僕自身が、バルタン星人だったのです! 僕の中に、バルタン星人が共生憑依していたのです。
しかも、
こんなこととは、思ってもみなかった、とは言い切れないのです。
ここに到るまでのある時期に、あるいは僕は、バルタン星人なのではないかと、うすうす想像していたのです。
非力なノロトだったボクを、これほど重大なミッションにつけようとするZAEMONに、
「お前は、ミズシマ・ハヤトが何者であるのかを知らないのだ」
と言われた事を思い起こせば、すべて納得できるのです。
本来のボク水嶋速人に、いつしかバルタン星人が共生憑依して、ミズシマ・ハヤトになっていたのです。

ミズシマ・ハヤトのボクが、凝固光線で固まった三軍司令官ミス・ディーモンに、さらに念力を加えて透視光線を照射すると、耐えきれずに顕(あら)顕われたミス・ディーモンの実体は、もちろん人間ではありません。ストリクト星人です。ストリクト星人が、ミス・ディーモンに憑依していたのです。それも、西暦2030年の現実(リアル)現実で、あの恐ろしい幻術を見せた氷の女王ストリクト星人フリーズだったのです。
ぞくっと、僕の背筋に、冷たいものが奔(はし)奔りました。
正体を曝け出したフリーズが、ふたたび巨大化しながら変化しはじめたのです。そこに現出した女王フリーズの正体は、美しい翅を持った巨大な蛇、魔性の大妖怪とでもいうものでした。
立ち直った妖怪フリーズの放つ超低温の冷熱線は、僕の放つ凝固光線を十分に溶融してしまうほどおそろしい威力です。
「うーむ、む、む」
必死に耐えますが、ともすればフリーズが浴びせてくる冷熱線に包み込まれそうになり・・・
その時です、
女王カオリの姿が、さらに変化して、巨大なクイーン・バルタンの姿を顕(あらわ)顕したのです。
荘厳にして華やかな鳳凰、バルタン星の女王カオリと、魔性の大蛇、ストリクト星の女王フリーズが、万字巴に絡み合います。たがいにたがいの中に憑依して、相手を吸収してしまおうという闘いでしょうか。
その闘いは、まるで溶け合った一本の虹となって、渦を巻き、竜巻のように中空に上り、舞い狂うのです。
しばし、高く、高く、天空に舞い続けた虹の竜巻は、やがて、空の果てに消えて行ったのです。
「ああ・・・」
嘆息と、群衆が交し合うさざめきが、波となってあたりを漂います。
「ハヤト、唄うのだ。唄いつづけるのだ」
おもわず我を忘れ、息をのんで、美しく狂おしい戦いに見とれていた僕に、ZAEMONが念送してきました。
我に返った僕、ミズシマ・ハヤトは、新たに想いをこめて、洋琴を採り、奏で、唄います・・・
やがて、
人間という地球人たちと、十字軍の様々な宇宙生命たちが、一つの唄に溶けあって見上げている空の果てから、静かに舞い降りて来たのは、おびただしい氷の華びらでした。
「オードー」
全場のストリクト星人達から、かなしみ、なげく、声ともつかない声が、漏れました。
そのうちに、大地に降り積もった氷の華びらが集いあって、息も絶え絶えに疲れ果てた、ストリクト星人の女王フリーズの姿になりました。
さらに、さらに、ひたすらに僕は、奏で、唄いつづけました。
ニンジャ美穂と、バルタン星人ピピン、パパン。
ZAEMON、徳治さん・・・人間たちも、並みいる宇宙生命たちも、すべてが空をみつめ続けます・・・
と、
霞空の一角に明るみが見えた、と思うと、姿を現したのは、
カオリです! バルタン星人の女王カオリが、輝かしい光に身を包まれて、舞いながら降りてきて、やがて鳳凰もかなわぬ美しい翅を精いっぱいに広げて地上に降りたったのです。
そこにあった、疲れ果てた氷の女王フリーズの形骸は、うごめきながら、一瞬だけ、美しかった貌を見せたかと思うと、
「オードー・・」
醜悪なディーモンの姿に還るのを懼れるように、すばやく黒い水蒸気となって消滅してしまいました・・・

「ハヤト!」
鋭い念送に起こされて我に返ると、
ZAEMONの眼が、僕に向けられています。
「行くぞ!」
突然巨大化するZAEMONのバルタン星人!
あの、鷹の眼です。鷹の眼が、僕に注がれます。
この時です、いままで、勾玉を通してすべての気配を送ってきたのが、ZAEMONの中の、僕の曽祖父水嶋次郎左衛門だったことがはっきり認識できたのは。
即座に巨大化した僕、精悍なバルタン星人ハヤトは、すかさず、東京湾岸のラー号発射基地にむけて跳びたちます。
並走するバルタン星人ZAEMON、そして追尾してくるニンジャ美穂とピピン、パパン。
やがて、
「ハヤト!」
ZAEMONの念送を待つまでもなく、ラー号発進基地に降下します・・・
ミッションの指示のままに、火星に向けての発射が秒読みに入っていたラー号を、充分に巨大化した僕が捧げ持って発射台から静かに路面におろし、乗務員、乗客全員が脱出するのを見とどけて、天空に運びます。
天空の一画、多分、西暦2030年ごろには、充分地球文明の力でも達することが容易になりそうな地球回周の軌道に運ぶのです。
「その頃には、ラー号は、地球人の宇宙観光旅行に転用されるのではないでしょうか」
と、徳治さんが、楽観的な未来を保証して見せたからです・・・
「あ・・・」
振り返ると、いつのまにか、僕に追走してきたニンジャ美穂の姿が消えていました。
「さようなら、ハヤト」
の念送もなく。
おそらく彼女は西暦2030年の混沌の現実(リアル)現実に立ち戻って、熾烈(しれつ)熾烈な戦いの坩堝(るつぼ)坩堝に身を置くのでしょう・・・

山本久美子先生!
僕は・・・・ボク、西暦2016年、先生が担任する組の水嶋速人少年は、バルタン星人だったのです。いいえ、ボクの中で、はじめて地球に漂着して以来五十年にしてようやく、バルタン星人が、美しい地球の住人として、人間としての共生の夢をはたしているのです・・・
                                                つづく


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医史跡を巡る旅 №38 [雑木林の四季]

「紀行シリーズ」~西洋医学事始め・天草篇

                 保健衛生監視員  小川 優

熊本巡りの締め括りに、天草に渡ります。
熊本駅から天草の本渡までは高速バスを使うのが便利ですが、少し趣向が変わったところで、JR三角線の特急列車と、高速船を使うルートを選択しました。

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「JR天草線 特急A列車で行こう」 ~熊本駅

熊本駅から鹿児島線を経由して三角線三角駅まで運行されている特急「A列車で行こう」号。内装にとても凝った車両で、お洒落です。天草の頭文字、「A」をとってA列車かな?という気もしますが、車内で繰り返しBGMとして、ジャズナンバーの「Take the ‘A’ Train」が流れていて、少々こじつけっぽく若干違和感があります。(あくまでも個人的感想です。)

三角駅からは高速船に乗ります。実は三角には熊本出身の産婦人科医、濱田玄達のお墓があるのですが、時間と交通機関の都合で今回は訪問できずに残念です。

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「天草宝島ライン 高速船」 ~三角港

ところが、ここでアクシデント発生。熊本巡りの間中、台風に翻弄されたことはすでにお伝えしましたが、今回は台風通過後の吹き返しのため湾外の波が高く、高速船が本渡港までは行かずに松島止まりとのこと。さらに松島での高速バスとの連絡が悪く、1時間近くバス停で待たなければならない。往々にして旅先で、予定通りにいかないことはよくあることですから、諦めてプランBに移行します。

予定より1時間近く遅く、ギリギリ日没前に本渡に到着。宿に荷物だけ預けて、急いで目的の場所である城山公園、天草市立天草キリシタン館へ急ぎます。

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「天草市立天草キリシタン館」 ~熊本県天草市船之町

天草市立天草キリシタン館はキリスト教伝来以降、天草・島原の乱、その後の天領となってからの隠れキリシタンの遺物・史料などを展示している施設で、白眉は天草・島原の乱のときに天草四郎軍が用いたと言われる旗指物、「天草四郎陣中旗」の実物です。ただし保存上の理由から実物の公開期間が限られており、通常は複製品が展示されています。
私の訪問の本当の目的はキリシタン館ではなく、その敷地も含む城山公園内にあるキリシタン墓地です。

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「城山公園キリシタン墓地」 ~熊本県天草市船之町

もともと周辺に点在していた信徒の墓石を集めて整備されたもので、墓地を見守るようにキリスト平和像が造立されています。

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「キリスト平和像」 ~熊本県天草市船之町

そして、キリスト平和像の前にあるのが、ポルトガル人宣教師ルイス・アルメイダのレリーフを埋め込んだ十字架。

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「アルメイダ記念碑」 ~熊本県天草市船之町

ルイス・デ・アルメイダは医史跡を巡る旅№27、大分篇でご紹介しましたが、日本に最初に西洋医学を持ち込んだとされる宣教師兼医師です。各地で宣教し、1557年大分に洋式病院を開設しました。その後彼が所属するイエズス会の方針のため、病院を閉鎖せざるを得ず、以後は布教に専念、1583年に天草の川内浦で没します。

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「アルメイダ記念碑 由来説明板」 ~熊本県天草市船之町

ポルトガル人ルイス・デ・アルメイダ神父は1583年天草で聖なる生涯を閉じた。
かれは日本における西洋医学の創始者であって総合病院を開設し医療を行うかたわら日本人医師の養成にあたり育児園も創設して広く社会福祉事業に献身した。さらに宣教者として九州各地にキリストの教えの種子をまき精神の医者として力をつくした。
かれは、殉教者荒川アダムやこのキリシタン墓地に記念されている人々の心に信仰の火をともしたが、今もこのキリスト平和像を示しつつ私たちの上に神の愛と恩恵を祈り求めるのである。  

ちなみに15世紀後半の西洋医学とはどんなものだったのでしょうか。
14世紀に始まったルネサンスは、文化、芸術、建築ばかりでなく医学にも影響を与えました。宗教色の強まった中世医学よりも、観察や実証に重きを置いたギリシャやローマ時代の古典医学に学び直そうという考えで、解剖学に基づく実証的な科学の一分野として、近代医学へと変貌しつつあった時代です。医師が、錬金術師や魔女と訣別したともいえるかもしれません。病原体の発見、感染症の予防などには今しばらくの時間は必要でしたが、解剖学を基本とした外科術は日本をはじめとした東洋より、はるかに進んでいたはずです。
ところがこうして日本に伝えられた西洋医学の種子も、鎖国という冬の到来に、芽吹くことなく長い眠りについてしまいます。

一方俗世のわたくしめは、天草の寿司に舌鼓を打ち、熊本最後の夜を楽しんだのでありました。
そして翌日。いよいよ熊本から離れます。天草から乗ったのは、こんな可愛い飛行機。

38画像⑧.JPG
「天草エアライン みぞか号」~天草空港

向かった先は福岡。実は、まだしばらく九州紀行は続きます。


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