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季節の記憶・いだようの写真散録 №187 [文芸美術の森]

蓮華清澄」          自然写真家  いだよう


2017年7月下期分.jpg


仏様が座るとされる蓮華。それにふさわしく、いつも清らかな姿を撮りたいと願っている。

いだようのFacebookページ : https://www.facebook.com/idayoh/


『知の木々舎』第197号・目次(2017年7月下号編成分) [もくじ]

現在の最新版の記事を収録しています。ご覧になりたい記事の見出しの下のURLをクリックするとジャンプできます。検索の詳細については手引きをご覧ください。

【心の小径】

出会い、こぼれ話 №46                        教育者    毛涯章平
 第四十五話  肩書きへの畏れ

論語 №31                                                         法学者  穂積重遠
 八三 子のたまわく、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い…

余は如何にして基督信徒となりし乎 №19                               内村鑑三
 第四章 新教会と平信徒伝道 1

文化的資源としての仏教 №9                 立川市・光西寺住職   壽台順誠
 四苦八苦 2

【文芸美術の森】

季節の記憶 №187                                 自然写真家  いだよう
 「蓮華清澄」 

西洋百人一絵 №90                                 美術ジャーナリスト    斎藤陽一
 ユトリロ「コタン小路」

にんじんの午睡(ひるね) №13                      エッセイスト  中村一枝
 ターさんとすえ子さん 4

フェアリー・妖精幻想 №65                          妖精美術館館長  井村君江
 密室の妖精画家 2

芭蕉「生命の賛歌」 №33                                          水墨画家    傅  益瑤
  庭掃(はい)て 出(いで)ばや寺に 散柳(ちるやなぎ)

石井鶴三の世界 №97                                     画家・彫刻家  石井鶴三
  小海線発射までの一時間余、懐古園にあそぶ…1960年/とがくし1961年

はけの森美術館Ⅲ №31                           画家  中村研一
  食卓

ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №35     早稲田大学名誉教授    川崎 浹
 市民たちが見たレーニンとスターリン9

【ことだま五七五】

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №20                川柳家  水野タケシ
 7月5日と7月12日放送分

【核無き世界を目指して】

続・対話随想 №19                                        エッセイスト  関千枝子  
 関千枝子から中山士朗様へ              
丸木美術館から見える風景 №48  原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣
 「ピカドン」 

【雑木林の四季】

浜田山通信 №197                                     ジャーナリスト  野村勝美
 「やすらぎの郷」と「四つの恋の物語」2

私の中の一期一会 №147                アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 中学生プロ棋士・藤井聡太四段は、もうすぐ15歳になる

徒然なるままに №21                                       エッセイスト  横山貞利
 久しぶりにバグパイプの演奏を聴いた

パリ・くらしと彩りの手帖 №124   在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ
  革命記念日のパリとオランジュのオペラ

気楽な稼業ときたもんだ №61       テレビプロデユーサー     砂田 実
 第7章 ショクナイざんまい 異世界の2人の雄の秘蔵っ子・五木ひろし2

BS-TBS番組情報 №141                                         BS-TBS広報宣伝部
 2017年7月のおすすめ番組(下)

ロワール紀行 №57                              スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎
  悲しみの城館(シャトオ)、ブロワ 5

バルタンの呟き №16                 映画監督  飯島敏宏
「後期高齢者認知度検査」

ZAEMON 時空の旅人 №17                                      文筆家  千束北男
   第十二章  水嶋次郎左衛門

私の葡萄酒遍歴 №47             ワイン・グルマン  河野 昭
 ワインへの道・・・アルゼンチン 3

医史跡を巡る旅 №25                                   保健衛生監視員  小川 優
 脚気論争~終章にむけて

いつか空が晴れる №17                    渋沢京子
  -shape of my heart~虚構の果て~
 
気随気儘 №2                                                          舞踏家  和泉 舞
 「天の詔琴1」常識からの逸脱

台湾・高雄の緑陰で №67                     在台湾・コラムニスト  何 聡明
 沖縄紀行

【ふるさと立川・多摩・武蔵】

玉川上水の詞花 №196              エッセイスト  中込敦子
 メマツヨイグサ(あかばな科)

赤川Bonzeと愉快な仲間たち №92                    銅板造形作家  赤川政由
 半田市の新美南吉さんの、お話しの木。

旬の食彩 僕の味 №98    レストラン「ヴァンセット」オーナー    大澤 聡
 ズッキーニと甲殻類のマリアージュ

線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №82                  岩本啓介
 紫陽花鉄道(箱根登山鉄道)大平台    

押し花絵の世界 №43                                        押し花作家  山崎房枝
 「月光」

渋紙に点火された光と影 №17          型染め版画家  田中 清
 森のヴィーナス 

音楽のある風景 №7          MATプロデューサー    しおみえりこ
 エイズに負けないで!子ども達 Ban rom sai Thailand

【代表・玲子の雑記帳】              『知の木々舎 』代表  横幕玲子


          *       *      *      *
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西洋百人一絵 №90 [文芸美術の森]

ユトリロ「コタン小路」

           美術ジャーナリスト・美術史学会会員  斎藤陽一

 モーリス・ユトリロ(1883~1955)は、何よりも、自分が生まれ育ったパリ・モンマルトルの建物や通りを描くことに執着した。しかし、彼が描き出した風景は、たんなる写実ではなく、その孤独で傷つきやすい魂が感じとった「こころの風景」ともいうべき世界。だから、そのほとんどは、沈黙が支配する寂しげな風景であり、そこにただよう独特の詩情が人々を惹きつける。

 ユトリロの母シュザンヌ・ヴァラドンは、貧しい境遇に育ち、少女時代から生活のために女工、給仕、サーカスの曲芸師などの職業を転々としたあと、画家たちのモデルとなった。
 シュザンヌが18歳のときに、ユトリロはその私生児として生まれた。ユトリロが生まれた頃、シュザンヌは、画家たちの影響を受けて、自ら女流画家として生まれ変わろうとしていた。と同時に、男から男へと渡り歩く自由奔放な生活を送り、幼いユトリロを構うことなく、祖母に任せっきりであった。
 問題は、ユトリロが、外的な刺激にきわめて弱く、他者を脅威と感じる強迫神経症のような子どもだったことである。現代風に言えば、一種の“発達障害”だったかも知れない。あらゆるものに怯えやすい少年は、とりわけ母親に強く執着し、その保護を必要とした。しかし、母シュザンヌは、育児放棄した。
 そのような寂しい環境の中で、9歳頃からユトリロの飲酒の習慣が始まり、17歳のときには重度のアルコール中毒症患者として、精神病院に入れられた。
 担当の医師は、対症療法として、少年に絵を描かせることをシュザンヌに勧めた。これが、画家ユトリロの出発点となった。だからといって、シュザンヌが絵を教えたり、知り合いの画家に指導してもらったわけではない。それ以降も、ずっとほったらかしであり、ユトリロは自己流でひたすら自分が偏愛する侘びしい建物や壁や通りを描いた。

 ユトリロの画家としての生涯は、その画風の変化をとらえて、初期の「モンマニー時代」、数々の傑作が生まれた「白の時代」、後期の「色彩の時代」と、三つの時代に分けられる。
 ユトリロが27歳頃に描いた「コタン小路」(1911年頃)は、「白の時代」を代表する作品である。
 コタン小路は、モンマルトルの丘の北側に位置する細い通り。ユトリロにとって身近でよく馴染んだ裏町である。
 通りと両側の建物は、ニュアンスに富んださまざまな白の色調で彩られている。古びて灰色や茶褐色がかった複雑な白が、ユトリロが偏愛する漆喰の白なのである。
 後年、人から「無人島に行くとしたら、何を持っていきたいですか?」と尋ねられたユトリロは「漆喰をひとかけら持っていくだろうね。そこには、子どもの頃のあらゆる思い出が詰まっているんだ」と答えている。
 本来は、生活道路であるコタン小路は、それなりに人の往来があるはずなのだが、ユトリロ描く路上には、まったく人影がない。
 この白と灰色の支配する世界は、“死の沈黙”を思わせるほど静まり返っているが、よく見ると、突き当りにある石段には、何人かの小さな人影が見える。だが、生気は感じられず、はかなげな黒い影は亡霊のようにも見え、死の階段を登っていく哀しみの影のようにも見える。ユトリロ自身のやるせない哀しみの影かもしれない。
 その果てにある空は鈍い鉛色に塗られ、光はない。そう、ここは、光も風もない世界なのだ。
 よく見れば、ほとんどの窓は閉じられている。これは、住人の視線が放射されない窓なのであり、視線恐怖症でもあったユトリロの意識が反映されていよう。
 「コタン小路」は、特異な感受性をもった画家が、偏愛する白で綴った都会のエレジーなのである。

(注)著作権上の理由で画像はありません。

≪筆者注≫
 この回の「ユトリロ」(No.90)以降、今後取り上げる予定のシャガール、マティス、ピカソ、ルオー、ダリ、ミロ、マグリット、デルヴォー、ジャクソン・ポロック、フランシス・ベーコン(N0.100)までの画家たちの作品は、いずれも著作権保護期間内にあります。
 そのため、本稿では、まことに残念ながら、画像を紹介できません。
 できるだけ、画集等に載っている知られた作品を取り上げる積りですので、作品を見たい方は、ご面倒でも、それぞれの画家の画集等をご参照ください。(斎藤)


にんじんの午睡(ひるね) №13 [文芸美術の森]

たーさんとすえこさん 4

                      エッセイスト  中村一枝

 たこちゃんの駆け落ちは当時の私には一大事件だった。たこちやんは11人兄弟の中でも一番年下で、誰からも子供扱いされて可愛がられていた。私とはおば、姪の間柄になるが、たこちゃんを叔母さんだと思ったことは一度もない。私と一つしか年の違わないたこちゃんはちょっと年上の遊び友だちだったのだ。おばあちゃんはわたしがくると、「たこ、まさちゃんと遊んでおやり」と、当然のように言うのだが、普段は兄弟の一員として大人扱いしてもらえるのに私の出現で急に子供扱いされるのは不本意な事だったに違いない。私はといえば三人の叔母の中でたこちゃんが特に好きだったわけではない。私は私で、少し年上の叔母たちと肩を並べたくてむりに背伸びするのがこれまた一段大人になれたような満足感があつた。

 何人もの兄妹の中でたこちゃんは毎日のように兄や姉の大人の世間話を面白おかしく聞いて育った。私がその頃渋谷の祖父母の家に行きたかったのも、家では聞いたことのない大人の話があけすけに語られる、その面白さだったのだ。大勢の兄弟の中でたこちゃんは毎日大人たちのはなしをそのまま聴いて育っていた。耳年増になるのも当然だった。それはまた私にとっても聞き捨てならない興味のある話なのだ。一人っ子の私には年上の叔父叔母のはなしほどおもしろいものはなかった。「あんた達、まだそこにいたの。さあ上に行って遊びなさい」叔母達に追い払われるまでそこを離れようとしなかった。

 たこちゃんは高校を卒業すると、ある酒造会社に就職した。私は一度その会社にたこちゃんを訪ねた事があった。今でこそ誰でも知っている大きな酒造会社だが、当時はまだ名前もあまり知られていない会社だった。薄汚れた汚いビルの狭い階段を登ると、オフィスがあった。オフィスと言ってもごちゃごちゃしたせせこましいところで、たこちゃんは一日中立ちっ放しで働いているのだ。行き交うおじさん達も着古した背広にシワがよっている。すれ違いに愛想のつもりで声をかけるのが何とも薄汚く、私はそこで働いているたこちゃんに同情した。まもなくたこちやんはそこをやめた。

 次にたこちゃんは二番目の叔父の会社に勤め始めた。もともとたこちゃんは子供の時から踊りを習っていて、将来は日本舞踊で身をたてたいというのが夢だったのだ。叔父の会社も一応銀座の通りに面した場所に構えたといっても、とりあえず一部屋を用意したという感じのところで、叔父の他に人がいたかどうか私にはわからない。叔父の他に一緒に働いていた叔父よりずっと若い赤ら顔の太った男がいた。全体の感じとぬめっとした肌触りが鱈の子そっくりだった。私は密かにたらのこさんと呼ぶことにした。そのたらのこさんがたこちゃんの駆け落ちの相手とわかった時の驚き、よりにもよって何であの人なのか、どうしてあんな人というショック、ましてたらのこさんには奥さんも子供もいるのだそうだ。年頃の娘が憧れを持つにしては何ともそこいらに転がっている中年男だった。たーさんが頭にきて何時もの冷静さを失っていたのも多分に理解できた。私には二人の間から恋愛の美しさが立ち上って来ないその事が悔しいくらい残念だった。二人だけで挙げたひそやかな結婚式とか、神様への誓いとか、ほかの人とだったらきっと心を動かされたさまざまのことが、たらのこさんのおかげで美しく見えないのだ。実を言えば私は全くと言っていいくらいたらのこさんを知らないのにまさに少女の直感としか言いようがない。


フェアリー・妖精幻想 №65 [文芸美術の森]

アルコール中毒の素人画家チャールズ・ドイルの哀しみ

          妖精美術館館長  井村君江


 作家コナン・ドイルの父であるチャールズ・ドィル(一八三二-九三)もまた、精神病院の密室で一人絵筆をとり、妖精を描き続けた画家である。

 八歳年上の兄リチャードが『パンチ』誌の挿絵画家として、また流行画家として人々にもてはやされていたのと対照的に、ダブリンで馬の画家として知られていた父の勧告もあってチャールズは絵描きとしての修業に見切りをつけて、スコットランドの役所勤めをしていた。

 彼はアルコール中毒者になって妻とも別れ、幾度かサナトリウムの出入りをくり返す生活となってしまったが、時折、素人画家として兄のリチャードとはまた異なる、郷愁に似たファンタジー世界を感じさせながら、妖精を主題にした画面を描くようになる。

 チャールズの眼には、道端の草むらの蔭や桜草の間にひそむ妖精の姿が見えるようであり、その妖精の少女は別れた妻メリイのふくよかな顔となり、あるいは木の梢のカーブがそのまま背を曲げて這う姿のゴブリンに変っている。

 アイルランド出身のチャールズの絵には、ケルトの幻想と哀感とが漂っているようである。

 「どちらのプリムローズが咲き誇っているか」や「小鳥から蝶を救った妖精」も、今世紀になってチャールズがサナトリウムの一室で書きつけていた一八八九年頃の絵日記(『ドイル家の日記』一九四八年刊)からのものである。

 許されていた自由な散歩が唯一外界との接触であったチャールズにとって、接するものは現実の人間でなく、自然界にひそむ妖精たちだったのであろうか。小鳥恐怖症であった彼は、あどけない妖精の少女を通して、小鳥に蝶をとるな、ミミズを食べるなと説教している。

 『神よ、鋤(すき)に祝福を』と『五尋(ひろ)の海の下』の人魚の絵の二点は今回(一九八八年九月)筆者がロンドンのファイン・アートギャラリーでめぐり会い、入手したものであるが、ナウム・ギャラリー所蔵の『古き良き仲間』『心はトランプに』も同時代の

小品と見られ、ともに一九〇〇年のサ二サイド療養所内での制作と推定されている。

 馬に鋤を引かせて耕す農夫の廻りに、飛び廻る小妖精の群れの幻想には、アイルランドの豊饒の土の神(デイ・テレーニ)としての妖精たち、農夫を手伝ったり、いたずらしたりする、愛すべきプーカたちの映像が重なり、チャールズの妖精たちは素朴な民間伝承の息吹きを持っている。


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「ドイル家の日記」より
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小鳥から蝶を救った妖精


『フェアリー』 新書簡




芭蕉「生命の賛歌」 №33 [文芸美術の森]

庭掃(はい)て 出(いで)ばや寺に 散柳(ちるやなぎ)

                 水墨画家  溥 益瑤

庭掃て.jpg

 大聖寺町の全昌寺で一夜を過ごした芭蕉は前夜曾良も寺に泊まって詠んだ句を受けて、同じ秋風に吹かれて詠んだ句である。
 絵は、秋風に舞って散る柳の葉を、未だ答えの出ない旅への問い掛けに重ねて思い浮かべた心の姿を描いている。次々に新しく生まれる悩みを両手に受けて、越前の禅寺水平寺へと向かった。

『傅益瑤 奥の細道を描く 芭蕉「生命の賛歌」』 カメイ株式会社


台湾・高雄の緑陰で №67 [雑木林の四季]

 沖繩紀行
          在台湾・コラムニスト  何 聡明

   今年の6月5日の誕生日に家内と4番娘を連れて沖縄諸島のクルーズを楽しんできた。乗った船は香港籍の麗星郵船「処女星号」で、75,338トンの豪華船である。私が40年ほど前に旅行社の経営を兼ねていたころ、業務でアメリカ軍事統治下にあった沖縄本島を旅客機で那覇空港を3回往復した。今回は始めての船旅である。

   乗客の多くは台湾人で、その他は香港人、中国人と少数のアメリカ人及びヨーロッパ人である。船は午後8時に高雄港から船出すると南まわりでバシー海峡より太平洋に入り、終始15ノット前後の船足で平穏な航行を続けた。夜間は黒い海とまばらな星空を見ながら、昼間は紺碧の海と青空を眺めながらの航海で、まる1日2夜を海上で過ごした。船内には色々な設備があったが、利用したのはサービス・カウンタ、3軒の食堂、おみやげ売店、劇場のショー、上層の散歩デッキ、書斎等だが、プールやカシノは利用しなかった。6日夜に外人男女が主演したショーはなかなか見甲斐があった。海上でのおだやかでリラックスした日夜を過ごして那覇港に着いたのは6月7日の午前7時である。日本入国の手続きを済ましたあと、指定の観光バスを探すのに随分苦労した。やっとバスを探し当てた時、娘が中国人の女性ガイドにすごく文句を言ったが、当地の旅行社に落ち度があったのは否めない。
 
 那覇では多種の観光コースが提供されたが、僕は「首里城、守礼の門、國際通り観光」6時間半のコースを選んだ。過去那覇を訪問した時は首里城と守礼の門の外観を乗用車から見ただけだが、今回は歩行で丘の上に鎮座する城の中心部まで見学することができた。國際通りは40年前とは全く比較にならないほど大変化を遂げていた。町並みはよく整理されており、通行人も多かった。そこで僕も、妻も、娘も沖縄ラーメンの昼食とショッピングを楽しんだ。僕は妻の目星に叶ったアロハシャツを一着のほかに、沖縄史と沖縄問題に関わるる本を2冊買った。予定の時間に遊覧バスで船へ戻り、船は午後7時に那覇港を離れた。 

   6月8日午前7時頃、船は宮古島港の沖に停泊した。港には7万5千トンの船が横ずけできる埠頭がないからである。船から宮古島港の間は片道10分間を中型シャトルボートが送迎した。宮古島観光は6時間の「伊良部島の旅」コースを選んだ。何故このコースを選んだかというと、コースには宮古島の他に伊良部島と下地島が含まれているので一挙3得であるからだ。観光バスのガイドは沖縄に40年間住んでいるという60代の台湾人であったので、台湾語での案内が続いた。バスは港から先ず伊良部島へ向かった。宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋は政府が380億円をかけて2015年1月に開通した3,540メートルの美しい橋である。橋をわたり歩行で伊良部島の最も高い展望台に登ると、先ほどわたった大橋とその先の宮古島、そして美しく広がったエメナルド色の海が見えた。伊良部島と下地島は10メートルほどの短い橋で結ばれていた。下地島の見所は熱の連続変化で色が変わって見える『通り池』である。池の中央には天然の石橋が架かっているので池は2つに分かれているように見えるが水中で繋がっており、さらに海にも通じていると言う。再び大橋を渡って宮古島に戻ると、スーパでまたショッピングである。懐かしい古い西洋映画のDVDが安かったので3本買った。予定の時間がつくとバスに搭乗して宮古島港へ、そこて出国手続きを済ませたあとシャトルボートで船へ戻った。船は午後5時に宮古島を離れた。未だ明るかった海上には多くの「アジサシ」と言う名の海鳥が猟をしているのを見た。この鳥は魚群の上を飛び回り、小魚を見つけると急行下し更にダイブをして餌を取っていた。

   翌日9日には高雄港へ帰港となるので、晩餐後船尾のデッキで盛大なショーをともなった「さよならパーティ」が開かれた。30分ほど騒々しいパーティ・ショーを見たあと、3人でデッキを散歩しながら夜の海に別れを告げた。朝八時に起床したあと食堂で朝食を取りながら右舷の船窓から見えたのは台湾の山々であった。船が太平洋からバシー海峡を通過して高雄港へ向かっているのは、来た道を辿って帰航していたことが分かった。船は正午12時頃に高雄港の埠頭に横付けした。入國管理局で入国手続きをすませると、長い列を作ってタクシーを待つ帰郷人のむれに加わった。

  5日4夜の船旅は那覇と宮古島で各6時間の観光を含めても、さして疲れを感じなかったので総じて良い旅であったと思っている。昨年の5月にアメリカの郵船でロスよりカナダのヴァンク―ヴァまでクルーズをしたが、今回のクルーズと比較すれば船上の食事とサービスは先回の方が相当優位であったが、ルームサービスは今回の方がやや優位であった。陸上の観光は船会社と現地の旅行社が企画とサービスの向上を図るべきだと思う。若し日本郵船所属の5万トン級の「飛鳥2」が台湾へ出向いてくることがあれば、是非乗船して今まで乗った船と比較してみたいと考えている。


ロシア~アネクドートで笑う歴史 №35 [文芸美術の森]

レーニンとスターリン

          早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「どうしてユダヤ人の鼻は長いのか」

 フルシチョフ時代に移る前にユダヤ人の主題にもふれなければならない。ユダヤ人がいなかったらソ連アネクドートは生まれていなかった、というのがユダヤ人の言いぐさだ。一九二〇年代にひろがったアネクドートにつぎの傑作がある。

 ロシア人がユダヤ人に聞いた。

「どうしてあなた方の鼻はそんなに長いのですか」

 ユダヤ人が答えた。

「どうしてですって。モイセイ[モーセ]が四〇年もの間荒野の旅で、私たちの指づらをひっぱり廻したからですよ。ようし見てやりましょう。十月革命から四〇年後にあなた方の鼻がどのくらい長くなるか」


 いままで私がのべたアネクドートのヴアリアントというのは、日本文学でいえば「本歌どり」、現代ふうにいえば、つぎはぎのコラージュということになる。面白いのは、アネクドートにも主題の伝統というものがあり、二〇年代の「本歌」にたいし、七〇年をへて本歌取りというより、むしろ「返歌」がかえされている例がある。

 つぎの作品は二〇年代の本歌を意識して九〇年代に作られたすいぷん気の長い、スケールの大きなお返しである。

 ロシア人がユダヤ人に聞いた。

「どうしてあなた方の鼻はそんなに長いのですか」

 ユダヤ人が答えた。

「ようし見てやりましょう。共産主義者が七〇年間あなた方の鼻づらをひっぱりまわした後、それでもなお、あなた方に鼻が残っているかどうか」

 ゴーゴリの小説『鼻』にもあるように鼻はプライドの隠喩として使われているので、二〇世紀末の現在のような混迷の時代に陥るとロシア人には鼻はないといえるが、しかし、なんとか鼻をもとうと努力しているのが現在のロシアで、それは愛国主義と民族主義の形をとってあらわれようとしている。

革命政府の大半がユダヤ人

 一九四八年イスラエルに建国するまで、ユダヤ人には自分たちの国土がなかった。それで建国をもとめてシオニズム運動が起こり、さらにユダヤ教という信仰をもちつづげ、他国にいながら強い絆(きずな)で結ばれている。

 団結心がつよく、しかも生活適応力にすぐれたユダヤ人というのは目障(めざわ)りな存在に映ったらしく、ロシアでは帝政時代からユダヤ人は黒百人組という右巽団体から迫害された歴史がある。一七年の十月革命に圧倒的多数のユダヤ人活動家が参加したのも、インターナショナルな人道愛にもとづく共産主義の理念に殉(じゅん)じ、ロシアにおける人種差別の被害から我が身を守るためでもあった。

 ユダヤ人がアネクドートに多くかかわっていることをたとえ冗談にでも自慢するのなら、十月革命にも多くのユダヤ人がかかわっていることをいわなければならない。革命政府の閣僚は二二人いたが、内一九人がユダヤ人であり、ロシア人とグルジア人(スターリン)がわずかに一人ずつである。レーニンと文相ルナチャルスキイの母親はともにユダヤ人の家系だった。

 スターリンは一九三一年「ユダヤ通信」のインタビューで、「我が国ではアンチセミチズム(反ユダヤ)は、ソビエト体制へのつよい敵対行為として法で厳しく処刑されます」と答えたが、その裏で一部のユダヤ人は謀殺と迫害と追放にさらされた。

 戦後のソ連文化界で吹き荒れたコスモポリチズムとの闘争キャンペーンは、ユダヤ系知識人への揺さぶりでもあった。したがって一九四九年にはつぎのようなアネクドートがあらわれた。

 アンチセミチズムとの評判を立てぬためには、

 ジュー(ユダヤ人)をコスモポリートと呼ぶがいい。

 日本でもかつてコスモポリタン(国境、国籍にとらわれぬ世界主義者)あるいはボへミヤンという言葉が気軽に使われ、流行したが、ソ連では指導層が批判するときだけ使用を許されるという禁句だった。


『ロシアのユーモア』 講談社選書

石井鶴三の世界 №97 [文芸美術の森]

小海線発射までの一時間余、懐古園にあそぶ、早朝人をらず1960年/とがくし1961年

               画家・彫刻家  石井鶴三

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小海線… 1960年 (144×200)
1961とがくし.jpg
とがくし 1961年 (143×200)


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【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】


明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。

画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。

文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。


『石井鶴三素描集』形文社


はけの森美術館Ⅲ №31 [文芸美術の森]

食卓                                                                                        画家  中村研一


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ペン、羽根ペン 26cm×35cm

************                                          【中村研一画伯略歴】
鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の長男として、福岡県宗像郡に生まれる。
1920年、東京美術学校を卒業。同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞、1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞する。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となる。1923年、パリに留学、ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞する。
戦時中は、藤田嗣治らとともに、軍の委嘱を受け作戦記録画を制作した。「コタ・バル」は代表作として名高い。
戦後は、小金井市中町に転居し永住する。日展、光風会展を中心に作品を発表し、1950年、日本芸術院会員に推挙される。1958年、日展常務理事となる。画面に感情や情緒などを付加せず、抜群のデッサン力と構成力で写実的な画風を創り上げ、そのアカデミックで堅実簡明な画風は昭和新写実主義を代表するものであった。夫人をモデルにした婦人像と裸婦像を多く制作している。
1967年8月28日、胃癌により国立癌センターで死去。享年72。


小金井市立はけの森美術館  〒184-0012 東京都小金井市中町1丁目11−3


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中村研一記念はけの森美術館正面 

 



読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №20 [ことだま五七五]

            読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆7月5日と12日放送分

         川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、2017年7月5日放送分の内容です。
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 かたつむりさんのファクスを持ってあさひろさん

  「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。

エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらからhttp://fm839.com/program/p00000281 

7月5日の再放送の音源は、こちらから!https://youtu.be/UwN8xpsMvzQ 

【質問コーナー】

【質問】川柳のハガキを書いた後、間違いに気づいた時は、修正ペンで消すか二重線でひくかどちらの方が良いですか?(牛久市・ひとちゃんさん)

回答はコチラからhttps://youtu.be/UwN8xpsMvzQ 

【今週の一句】

今週は140句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!

(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)

・ちがーうだろー言いたいのって有権者(グランパ)

・大臣の擁護は我慢強い首相(ヒト)(秦野てっちゃん)

・詰め将棋解いてもらおうあの人に(アンリ)

・印鑑もまっすぐ押せぬヘソ曲がり(あまでうす)

・録音のあの声マジでなまはげだ(ラジゴ)

・短冊をはみ出す妻の願い事(やんちゃん)

・マヨネーズ逆立ち刑に処せられる(でんでん虫)

・名人かそろそろ俺の出番かな(キャサリン)

・銀婚の夫婦の会話暗号化(入り江わに)

・よく笑う嫁で平和をまきちらす(瀬のしろ)

・向き不向き改めて知るミニ講座(はる)

・小池党いつまでみんなイエスマン(東海島田宿)

・博多から見れば都議選地方選味(どんぶらこ)

・政治家は政治で詫びる人であれ(かぎかっこ)

・もう愛は冷めているのに床上手(名人りっちーZ)

・ついに来た安倍も藤井も負ける日が(司会者=あさひろ)

☆タケシのヒント

「この句の場合、下五を『負ける時』『敗れる日』と体言止めでまとめるより、このように言いさしでまとめた方が詠嘆が深くなります。下五のまとめ方は、ケースバイケース。とにかく繰り返し読みあげてみて、調べを整えましょう。」

・年輪を刻んだハゲはうつくしい(春爺)

・先生はいいな美女見て西東(名人けんけん)

・燃える恋不器用な恋あああ恋(海辺のスーサン)

・コースよりスイートホーム藍選手(アキちゃん)

・八つ当たりマスコミ向けるお歴々(光ターン) 添削例)マスコミに八つ当たりするお歴々

・勝負飯出した店では肩落とし(わんわん) (添削例)勝負飯出したお店も肩落とし

・人気出そ連勝止めたイケメン君(のりりん)

・先生のブログ女子会止まらない(かたつむり)
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ラジ川名物、かたつむりさんのファクス

・自民の自自業自得で自滅の自(名人荻笑)

☆あさひろさんの「ボツのツボ」

「5日ラジ川。「いい人」とは言われたくない?。毒にも薬にもならない人というニュアンスがあるのかも。昔の同級生を思い起こしても、やんちゃな奴、寡黙な奴、おしゃべりな奴の方が魅力的で印象に残っています。そこで今週のボツのツボ『いい人をやめて恋愛うまくいき』荻笑。名人の恋の行方やいかに!」

 ・あの時に握手拒んだつけがきた(六文銭)

・あの党のように世渡り上手ければ(不美子)

・百合子さん緑化対策大成功(鵜野森マコピィ)

・都知事選担当聞くか大阪で(夢見夢子)

・年一度北九州で会える顔(クッピー) 

・卒母をしても夫はママと呼ぶ(名人ユリコ)

・こんな人言ってドカンと票逃げる(フーマー)

・人間に「見てよ」とばかり花が咲く(あやや)

・愛されて愛することを知る子ども(ただのおやじ)

・港からヒヤリ・ハットの報告書(外科系) (添削例)港からヒアリ・ハットの報告書

 本日の秀逸!・年輪を刻んだハゲはうつくしい(春爺)

2席・マヨネーズ逆立ち刑に処せられる(でんでん虫)

3席 ・あの党のように世渡り上手ければ(不美子)

【お知らせ

おうち見つかるホームズくん♪ ホームズ君のCMでおなじみ、第3回住まいの川柳コンテスト投稿募集中です!!
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今回のテーマは、「住まいのすべらない話~夏遍~」とし、!!

思わずクスッと笑ってしまう楽しい話や、物理的に「滑らなかった」エピソードなど、住まいで経験した夏らしい「滑らない話」を題材にした川柳を募集しています。審査員は私とホームズくん。

最優秀句には10万円分のJCBギフトカード。入選10作品に1万円のJCBカードを差し上げます。

応募期間は8月18日まで。

ウエブでご応募の方は「第3回住まいの川柳」で検索してください。

お葉書の方は

〒102-0083東京都千代田区麹町1-4-4住まいの川柳事務局までお願いします。

詳しいことは、私のブログ「水野タケシの超万能川柳」をご覧くださいませ。

【放送後記】

安倍一強に、ついに風穴!!

「国民をなめるなよ!」の都議選の後だけに、熱い句をたくさん寄せていただきました!!

皆さま、ありがとうございます!m(..)m

秀作が多く、選句は大変苦労しましたが、これはうれしい悲鳴です。選者冥利に尽きます。

来週も熱く、鋭い句をお待ちしています

タケシ拝

2017年7月12日放送分の内容です。
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すでに梅雨明け!?暑い暑い相模原!!

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。

エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらからhttp://fm839.com/program/p00000281 

7月12日の再放送の音源は、こちらから!https://youtu.be/DRRWPv1uBDg 

【質問コーナー】

 【質問】公募川柳に入選するコツを教えてください。

回答はコチラから https://youtu.be/DRRWPv1uBDg 

【今週の一句】

今週は162句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!

(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)

・俺などは毎日妻の罵声受ける身だ(西宮のフーコー) (添削例)俺だって毎日妻の罵声浴び

・Y紙だけ読んで民意を読み違え(秦野てっちゃん)

・忖度で少し大きく切るスイカ(やんちゃん)

・若い気でいても五ミリでつまずいて(重田愛子)

・神でさえ予想できない大被害(アキちゃん)

・怪しいな?言葉仕草で妻見抜く(ラジゴ)

・責任を取らぬからある二期三期(キャサリン)

・この暑さ冬まで箱にしまっtこ(光ターン)

・好きですヨでんでん虫氏ラジ川句(六文銭)

・同じ曲後から歌う上手い奴(あまでうす)

・ある意味で人材豊富な自民党(喜術師)

・受け皿があれば料理は減ってゆく(東海島田宿)

☆タケシのヒント!

「都議選でも話題になって『受け皿』。ご自分の暮らしに引きつけて、巧みに料理しました。お見事です!こういう表現を寓喩(ある事物を,直接的に表現するのではなく,他の事物によって暗示的に表現 する方法)と呼びます。」

・いじられて女心はちょいウレシ(名人・荻笑)

・あんなのに一票入れてきた歴史(名人・りっちーZ)

☆あさひろさんの「ボツのツボ」

「何がそうさせたのか?女の執念?怨念?怖いですね~。真由子様&一代様。ドラマ以上のサスペンス!ユリコ嬢は「解決はおてのものしょ!」と。小心者の男達はオロオロ。何も悪いことはしてないのに何故か後ろめたいのはりっちーZさんも。ボツのツボ『親友の恋人と今ふたりきり』サスペンスの始まり?」

・違うだろ!笊に入れたら漏れるだろ!(名人・けんけん)

・世界遺産ミシュランモンドセレクション(入り江わに)

・清宮よゲーテのような愛語り(鵜野森マコピィ)

・短冊に「おちついてよ」と書いてある(あやや)

・解決はお手の物でしょ英一郎(名人ユリコ)

・主婦の朝ピッピの音が追いかける(わんわん)

・ルンルンと今人生を下山中(どんぶらこ)

・ジレンマを抱えラジ川宣伝す(クッピー)

・北九州カミナリ様も笑った日(はる)

・乱暴な天気・ミサイル逃げられず(夢見夢子)

・ワタクシもユリコ路線に変えよかな(のりりん)

・アスリートと呼んでいいのか相撲取り(不美子)

・審判を味方につけたほうが勝つ(恵庭 弘)

・教科書に道徳載せよと文科省(司会者=あさひろ)

・週刊誌記者に上げたい夏休み(つや姫)

・こんな世じゃソクラテスでも匙投げる(かぎかっこ)

・支持率がますます下がる夫婦旅(フーマー)

・崖っぷち船越さんのサスペンス(外科系)

本日の秀逸!・解決はお手の物でしょ英一郎(名人・ユリコ)

2席・週刊誌記者に上げたい夏休み(つや姫)

3席 ・神でさえ予想できない大被害(アキちゃん)

【お知らせ】

昭和8年創業、百貨店建築として初の重要文化財である日本橋・タカシマヤ。
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明日7月12日から8月8日まで」、日本橋・タカシマヤからイメージした私の夏の俳句(川柳ではありません)と、その一句から触発された植栽とコピー(タカシマヤのコピーライター氏)とのコラボレーションで、由緒あるデパートのお出迎えの空間を演出することになりました。

どんな俳句かはヒ・ミ・ツ(恋の句です)ですが、なかなかにドラマティックな作品に仕上がりました。

ぜひお近くにお越しの際は、ご高覧くださいませ。

【放送後記】

「ワタクシもユリコ路線に変えよかな」(のりりんさん作)。

他の作家からも人気のユリコさんが、今朝で4つ目の秀逸!!

大名人にリーチがかかりました!!

初の大名人めざして、どうぞますますご健吟くださいませ!!

タケシ拝


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水野タケシ(みずの・たけし)

1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。

ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 




雑記帳2017-7-15 [代表・玲子の雑記帳]

2017-7-15

お伊勢参りは内宮外宮だけではない! 伊勢参りの王道を行く!

式年遷宮のあった4年前、注目され人気上昇した伊勢神宮に縁あってでかけました。

名古屋で近鉄特急「宇治山田」行きにに乗り換え、到着した近鉄宇治山田駅は有形文化財にも指定されている由緒ある建物です。お伊勢まいりは外宮からと言われ、通常、観光客は駅の目の前にある外宮の入り口をめざします。

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   全長120メートルの宇治山田駅

ところで、正統派の伊勢参りがあるのをご存知ですか。それは、先ず二見浦へ行って禊ぎをすませてから外宮、内宮を巡り、最後に奥の院は伊勢神宮の鬼門にあたる朝熊山(あさまやま)に詣でる、というのが正式な伊勢参りなのだそうです。

今回、それと知らず参加したツアーは、その正統派ルートを辿る旅。外宮の鳥居を横目にバスで二見浦へとむかいました。

車で20分程度の距離にある二見浦は清らかな渚とされ、古来より伊勢神宮を参拝する人はその前に二見浦で禊を行って、身を清めたといいます。この習わしを「浜参宮」と呼んでいました。 

二見浦には天照大神を先導した猿田彦大神と豊受大神(外宮)を祀る興玉神社があります。

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二見興玉神社の鳥居

二見浦のシンボル、夫婦岩は、大小二つの岩を注連縄で結んでいて、沖合700mの海中に沈む猿田彦大御神の霊石と日の大神(太陽)を拝する鳥居としての役割も果たしています。

夏至には二つの岩の真ん中からご来光が見られ、冬至にはここから月があがるということで、この日を狙って観光客も大勢おとずれるとか。

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夫婦岩
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並ぶ絵馬とおみくじ

天照大神の食事を司る神豊受大神(とようけのおおかみ)をまつる外宮は、内宮建設から500年後に、この山田原の地にむかえられました。

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日除橋を渡って外宮の中へ。なぜか左側通行。

 20年ごとの式年遷宮は内宮だけではありません。外宮も含めて末社125社に至るまで改修するのだから大変です。そして、木材は総て有効活用される、窮極のリサイクルです。

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外宮正殿(撮影できるのはここまで)
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隣接する跡地。次ぎの遷宮のときにはここに正殿が建つ。

外宮を出て、バスで15分ほどでいよいよ内宮に到着。

皇大神宮と呼ばれ、天照大神をまつる、我が国で最も由緒あるお宮です。因みに正式名称は「神宮」で、神宮といえば伊勢神宮をさすのです。五十鈴川の川上に、千古の森に囲まれて、2000年の時を越え、古代の佇まいを今につたえている、ともらったパンフレットにありました。

宇治橋にある擬宝珠には遷宮に携わった棟梁の名前や荒祭宮の荒御霊がおさめらています。

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 宇治橋を渡る。ここは右側通行。

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五十鈴川で手を清める

伊勢神宮は日本一のパワースポット。宮内にパワースポットはいくつもあるらしいのですが、巨木はその存在だけでパワーを感じます。これは特に大きいうえ、しめ縄をはっていないので自由に触れるとあって、つるつるです。


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内宮正殿
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パワースポットならぬ巨木も人の手が触ってつるつる

内宮の見どころはなんと言ってもおはらい町とおかげ横町です。

おかげ横町は。江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の様子を再現して、建物や食べ物、様々なイベントなどで、伊勢の風土や日本の文化を楽しむことができます。

松阪牛(まつさかうし)の串焼きやコロッケを食べ歩きしながら、おかげ座神話の館では『知の木々舎』にご縁のあった内海清美さんの和紙人形に再会しました。

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  おはらい町の通り

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 おかげ横町には招き猫やカエルがいっぱい

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おかげ座
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 国生みや黄泉の国、尼の岩戸や八岐大蛇など、おなじみの神話の世界を和紙人形で。

伊勢参りの最後は伊勢志摩の最高峰555メートルの朝熊(あさま)山です。その山頂近くに伊勢神宮の鬼門を守る金剛證寺(こんごうしょうじ)があります。

伊勢志摩スカイラインを走るバスの窓外には手入れの行き届いた神宮林がひろがり、眼下には伊勢志摩の絶景がながめられます。

金剛證寺は弘法大師を中興の祖とするほどの歴史ある寺。現在は臨済宗。竜宮城を思わせる極楽門をくぐって奥の院につづく道は、墓石の代わりに卒塔婆がたちならぶ、珍しい光景を見ました。
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金剛證寺仁王門
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 最長8メートルの塔婆の値段は50万円。石よりは安い?

室町時代には「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」とまで言われて参拝客でにぎわったといいますが、現在では奥の院まで参詣する観光客は少ないそうです。

若干足の便が悪いため伊勢参りと言えば内宮と外宮の参拝ですませる人が多いのか、今回のバス旅も参加者は定員の半分ほど、江戸のおかげ参りを思いながら、偶然とはいえ、ちょっと得した気分ではありました。

私の中の一期一会 №147 [雑木林の四季]

              中学生プロ棋士・藤井聡太四段は、もうすぐ15歳になる
      ~自分でも成長できた1年だった、次の1年も強くなるよう頑張りたい~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 将棋の最年少プロ棋士・藤井聡太四段は、19日に15歳の誕生日を迎えるそうである。
 若手棋士らが参加する加古川青流戦トーナメント3回戦が、11日大阪市の関西将棋会館で行われ、藤井四段は3回戦で都成竜馬四段(27)を破ってベスト8に進出した。
 14歳最後の対局になるからだろう、この日も約40人の報道陣が将棋会館に詰めかけ、相変わらずの“藤井フィーバー”が続いていると各メディアが伝えている。
 藤井少年は、中学2年で史上最年少のプロデビューを果たしただけでも「すごい」のに、デビュー以来無傷の29連勝で歴代最多連勝記録を更新してしまった。今風に言えば「メッチャすごい少年」なのだ。
 おとなしそうな顔つき、静かな物腰、謙虚な言動などからは“怪童”というより“神童”の印象が強い。
 連勝街道驀進中に、非公式戦ながらトップ棋士の羽生善治三冠を破ったときは、日本中が驚いた。
羽生三冠は藤井少年棋士について「攻守のバランスが非常によく、とてもしっかりしている将棋でした。今の時点でも非常に強いですが、ここからどのくらい伸びていくのか。すごい人が現れたなと思っています」と語ったのである。
 私は将棋を指さないから、藤井四段が「どれだけすごい」のか、「何故こんなに強いのか」はよく分からない。
 将棋は、チェスやブリッジ、囲碁など高い思考力を用いて競う“頭脳のスポーツ”とされているのは知っている。派手に身体を動かさないが、脳で汗かく“マインドスポーツ”という捉え方なのであろう。
 棋士たちが内面でぶつかり合う激しさが、面白い将棋となって記録に残る。無限に存在する棋譜は将棋好きにとっては貴重な教科書といえるのだ。
今はテレビ中継などで、将棋が分かり易く速報されるので新たなファンも年々増えるのである。
 藤井聡太四段は, 中学2年の2016年10月1日に四段に昇格、プロ棋士としてタートを切った。
 公式戦初対局では加藤一二三九段(76)と対戦、110手で勝利したことが“藤井フィーバー”の始まりになった。
 加藤一二三九段といえば、“神武以来の天才”の異名をもつプロ将棋界のスーパースターである。
 19世紀、20世紀、21世紀の3つの世紀生まれの棋士と対局した“史上唯一の棋士”とも言われている。
 将棋界の大天才を、中学生棋士が倒したのだから話題にならない筈がない。
 両棋士の年齢差62歳6カ月は、最多年齢差として話題になった。14歳2か月でのプロデビューは、加藤一二三九段が保持していた14歳7カ月の最年少デビュー記録を5カ月も更新していたから尚更であった。
 将棋界をよく知らない私は、プロになりたての四段がデビュー戦で九段を相手にしたって勝てる訳ないじゃないかと思ってしまうが、新米四段が見事に九段を破ったと知ったときは驚きであった。
 記録を見ると、2戦目は豊川孝弘七段、3戦目、4戦目が浦野真彦八段、5戦目北浜健介八段と続くのだ。
29戦のうち9回しか同格の四段との対局がない。あと20戦は全て上位者との対戦なのだ。
 連勝が続いて“藤井フィーバー”盛り上がったころ、対戦する「相手の棋士はどんな心境なのだろうか」と気になったことがある。
 段位が上、年齢も上、中学生に負けたら笑われるかも・・なんて考えることはないのだろうか?
妙なプレッシャーもあるかも知れない。「形勢有利と思ったけど、自分がミスしてしまった」という敗戦の弁も出易いのではないだろうか・・
 6月21日、藤井四段は王将戦1次予選の4回戦で澤田真吾六段(25)に勝ち、公式戦28連勝とした。
 神谷広志八段が丁度30年前に作った歴代最多連勝記録に、デビュー以来負けなしの28連勝で並んだのである。
 藤井四段は「普段通りと思って臨んだが、先に責められる展開になって自信はなかった。28連勝は思ってもみなかったことで非常に幸運、ツキがあった」と語った。
 神谷八段は「記録が抜かれることはあり得ると思っていた、まさかデビューから勝率10割でここまで来るとは。映画か漫画のようで信じられない」と驚いていた。
 6月26日、藤井四段は遂に歴代単独トップの29連勝を達成する。
 第30期竜王戦決勝トーナメントで、増田康宏四段を91手で破り、新記録が生まれたのである。
 羽生三冠は「歴史的快挙です。内容が伴っている点で凄みがあります。将棋界の新しい時代の到来を象徴する出来事になりました」と語り、いつかヒノキ舞台で顔を合わせることを楽しみにしていると続けた。
 7月2日、佐々木勇気五段(22)、に敗れて、デビュー以来の連勝は29でストップした。
 “藤井四段敗れる”の速報がテレビで流れたとき、残念に思うと同時に“ホッとした感覚”もあったのは何故だろうか・・
 藤井聡太四段は、終始落ち着いていると、よく記事に書かれる。じっと相手のミスを待てる忍耐力があるに違いない。「脳の中を見てみたい」というツイートも一つや二つではない。
 羽生善治三冠の「すごい人が現れた」という一言は当分忘れられそうにない。
 毎日新聞の記者が14日の朝刊に藤井聡太四段の29連勝は“社会現象”になったと書いている。
 彼のすごさが早く広く世間に伝わったのは実力に加え、情報通信技術の急速な進歩によるものが大きい。テレビやスマホによる対局の可視化が進んだことを見逃してはならないとしている。
 将棋会館に行かなくても、リアルタイムで将棋盤が見られればファンは特等席で観戦しているのと同じ感覚になれるのだ。
 どんな天才でも足踏みする期間がある。学業と対局の両立は藤井四段にとっても大きな問題になるだろう。
 藤井四段にも、そうした壁が訪れるかも知れない。
 14歳での実績を通算31勝1敗で終えた藤井四段は「内容に関しては精査してみないと分からないが、結果的に勝てたのは良かった。1年前とは周りの環境を含めいろいろ変わった。自分でも成長できた1年だったかと思います。次の1年も強くなるよう頑張りたい」と抱負を口にした。
 藤井聡太四段が何処まで伸びるのか、私には想像さえもつかない。
 ところで・・
 加計学園の獣医学部開設を巡って、野党が要求してきた衆議院予算委員会の閉会中審査開催を自民党は一貫して「必要性を感じない」と拒否し続けてきた。
 ところが13日、与党が“首相出席の集中審議”に応じると方針転換したことでニュースになった。
 一転した背景には、報道各社の内閣支持率が急落していることへの危機感があるのは確かだ。
 自民、民進の国対委員長が会談した際には自民党が委員会開催を拒否していた。この報告を受けた安倍首相が「自ら説明する用意がある」と党の方針を覆したのである。
 竹下亘国対委員長から「首相の出席に応じる」と伝えられた民進党の山井国対委員長は「予算委開催は当然で、遅すぎたくらいだ。国民の疑問を晴らせるよう十分な時間を取って欲しい」と述べている。
 政権への風当たりが一段と強まるという懸念が自民党内にはある。
 審査に応じて「首相が丁寧に説明すべきだ」という声が出ていた一方で、「いくら説明しても水掛け論になり疑惑は深まったと言われるだけだ」という消極論もあって、党内での意見対立もあったようだ。
 いずれにしても政権内に危機感が広がっていることは確かで、首相自身が閉会中審査に応じない訳にはいかなくなったのであろう。「あるものを無理矢理ないことにしてきた」政権の驕りが、政権に重くのしかかってきたのだ。
 共産党の志位委員長ら野党首脳は「安倍政権は強権政治だ。丁寧に説明すると言いながら、ずっと逃げてきた。お友達は優遇するが自分が敵とみなしたら徹底的に攻撃する。そういう首相の姿勢に国民は嫌悪感を抱いた」と指摘している。
「こんな人たちに負ける訳にいかない」と秋葉原でヒステリックに叫ぶ首相の姿勢に、国民の多くが不信感を抱いたのだ。
 慌てて国会に出てきてももう遅い。8月には内閣改造で信頼回復を目論んでいるようだが、果たして支持率は回復するのだろうか?
 元衆議院議員で、弁護士の早川忠孝氏によれば、大阪地検特捜部がそろそろ籠池氏の身柄を確保し、取り調べに踏み切りそうな雲行きになってきたと発信している。
 閉会中審査を24日まで引き延ばしたのは、隠蔽工作のための時間稼ぎではないか‥と疑えば疑えるのだ。
野党がダラシナイから、加計学園問題から逃げ切れると思っているのだろうか。たとえ野党は誤魔化せても国民は騙されないと私は思う。さらに森友学園が再び火を噴く可能性だってある。
 支持率だってジリ貧状態を通り越し、急落傾向が増している。流れは、もはや何をしても効果が上がらないように思えるのだが・・・
 時事通信による7月の世論調査(14日15時配信)では、内閣支持率が悲惨な数字になった。
 前月比15.2ポイント減の29.9%、不支持は14.7ポイント上がって48.6%となっている。
 説明責任を「果たしていない」79.9%、「果たしている」7.1%だ。
 早川氏は「官邸は初期対応を誤った。一手の狂いが全てを台無しにしてしまった」と述べている。
 官邸は 不利な形勢をじっと耐え、誰も思いつかない妙手で逆転できる藤井聡太四段が羨ましいことだろう。
「安倍総理、貴方はもう詰んでいますよ」という少年プロ棋士の声が聞こえそうだ。


浜田山通信 №197 [雑木林の四季]

「やすらぎの郷」と「四つの恋の物語」②

          ジャーナリスト  野村勝美

 年をとると世の中のたいていのことはどうでもよくなる。北朝鮮が核実験したりミサイルを飛ばしても、日本国が国連で核兵器禁止条約に参加しなくても、福島原発の廃炉のメドがいつ立つのかさっぱり判らないのに、九州では西海やら川内原発が次々に再開する。同じ九州で豪雨災害があり、気の毒になあと思ってもTVのチャンネルを切り換える。'16年の世帯貯蓄が1820万円、世帯主が60歳以上の高齢者では平均2385万円だと。この「平均」というのが曲者で、10人のうち1人が2億3850万円の貯蓄を持っていれば他はゼロでも10人の平均は2385万円になる。1対99 問題が論じられるようになってから久しいが、政府は経済問題がぐあい悪くなるとこんな統計を発表して戦後2番目か3番目の好景気が続いているといい、メディアも大きく報じる。日銀や財務省がいろいろ操作して円安、株高を演出し、人々はなんとなく景気がよくなったのかなと思わされる。すべてはあきらめの心境なのか、森友も加計も忘れてしまい、芸能人の離婚騒動をおもしろがってみてしまう。私が近頃唯一腹を立てたのは、近所のコンビニでおにぎりを買おうとして店員に「並んでください」と言われた時。客はレジに1人いるだけ。カッとなっておにぎりを元にもどして帰った。若い人が減り、ベビーブーマーたちは会社を去るため働き手は減って新卒者は引く手あまた。そんなことがコンビニやファミレスの接客態度にも自然と現れてくる。

 こんなことを書くつもりではなかった。思い出だけが人生だという超老人の部類に入りつつある私は、ただ今テレビ朝日の午すぎ、作者がシルバータイムにすると称する連続ドラマ「やすらぎの郷」と戦後すぐの「四つの恋の物語」のことを書いているのだった。倉本聰の「やすらぎの郷」に出ている八千草薫の亭主は17歳年上の監督谷口千吉であり、彼は「四つの恋の物語」に出ていて当時早大生だった私の心をつかんだ若山セツ子の旦那でもあった。八千草薫は「やすらぎ…」では92歳の“姫”役、今も私にはかわいい女性だが、若山セツ子はもう誰も憶えていないだろう。どんなに有名になっても死んだらまたたくまに忘れられていく。同時代に同じ空気を吸った人たちだけが、何かのきっかけで思い出す。「四つの恋の」はオムニバス映画で第4話は「恋のサーカス」といい、主演は浜田百合子というちょっとおきゃんな、のちにはヴァンプ役もやった女優だった。戦後の'46年、今井正の有名な映画「民衆の敵」でデビュー、この時のプロデューサー本本荘二郎と51年に結婚する。「民衆の敵」は埼玉県の本庄市のボスがモデルで当時、朝日新聞は映画の筋書き通り主人公を顔役扱いし、毎日は市の復興のために尽力したと持ち上げた。この時の浦和支局長は、私が毎日新聞入社時、編集局次長になっていて、右翼系の派閥の大ボスだった。戦後の新聞はどこも左翼が力を持っていて、読売など最左翼だったのだ。

徒然なるままに №21 [雑木林の四季]

久し振りにバグパイプ演奏を聴いた

               エッセイスト 横山貞利

 6月中旬の頃、無性にバグパイプの演奏が聴きたくなってYou Tubeでバグパイプの音(ネ)を楽しんでいる。何年振りのことだろうか。バグパイプの吹奏はスコットランド兵士の行進につきもので、先頭に立って行進をリードするのがスコットランドの伝統になっている。こうした兵士の隊列でバグパイプを吹奏する模様を聴いているうちに、行進とは直接に関係のないような曲のバグパイプ演奏を観ていてスコットランドの人たちにとってバグパイプの哀調ある音色が血肉になっているように思え感銘を受けた。
そこで、そうした曲について記述してみたい。

○勇敢なるスコットランド(Scotland,the Brave)
 スコットランド兵士の行進では、隊列の先頭に立って10人くらいのバグパイプ奏者そして大太鼓1人、小太鼓5人くらいが演奏して行進の歩調を促す。例えばエジンバラ城の門を出て、指揮者がもっている指揮杖によってリズムとメロディーを成立させる。だからスコットランドでは兵士の隊列に「勇敢なるスコットランド」の演奏を欠かすことはできない。中世には、スコットランド王国とイングランド王国が戦った戦場にあって「勇敢なるスコットランド」を吹き鳴らして兵士を鼓舞したそうである。この伝統は第2次世界大戦でもスコットランド兵の先頭にあって先導した。「Dデー」即ちノルマンディー上陸作戦を描いた映画「史上最大の作戦」に於いても上陸したスコットランド兵士の先頭にバグパイプを吹き鳴らして先導する映像があったのを想い出した。

○スコットランドの花(The Flower of Scotland) 
「スコットランドの花」とは「アザミの花」である。「アザミの花」はスコットランドの紋章になっている。この曲「スコットランドの花」は非公式の国歌にもなっていて、ラグビーやサッカーのゲームでは開会式に必ず演奏されて選手も観客も一斉に斉唱する。「アザミの花」が紋章になったのは、古代ローマ軍がスコットランドに攻め入った時にローマ軍兵士の裸足にアザミの茎の棘が刺さって声を上げたのでローマ軍の侵攻を知って撃退できたという伝説に由来しているそうである。

○ゲール人(The Gael)
 ゲール人とは、スコットランド高地地方のケルト系の人々のことであるらしい。元々、スコットランドやアイルランドの人たちはケルト民族の末裔であるのに対してイングランドはゲルマン系のアングロサクソンなどがケルトを追い出して成立した王国である。スコットランドがイングランドと合併したのは1707年のことである。
 因みに、ロンドンのイギリス首都警察庁のことを「スコットランド ヤード」と呼ぶのは、その場所が旧スコットランド王国の宮殿があったからであるという。

○アメイジジング グレイス(Amazing Grace 「驚くべき恵み」)
 2009年、エジンバラの広場で行われたスコットランド軍の「帰営セレモニー」で演奏された「アメイジグ グレイス」の演奏が素晴らしく感銘を与えられた。100人くらいのバグパイプ奏者と50人くらいの金管・木管奏者及び打楽器の壮大な「アメイジング グレイス」の演奏は嫋々と哀愁を帯びた調べがエジンバラ広場に響きわたり左右のスタンドを詰め尽くした人々の心を惹きつけたに違いない。その映像とバグパイプや吹奏楽の渾然一体となった響きに異邦人であるわたしであっても惹きつけ安寧の境地に惹き込まれてしまった。これまでに聴いた「アメイジング グレイス」と異なり、全身を清浄に洗われた思いにさせられた。これこそ「こころの平和」を導く調べであるように想う。暫く身動きできないで安堵している自分に気づかずにいた。
「アメイジング グレイス」は、スコットランドやアイルランドの民謡(Folk Song)であって作曲者は不明である。歌詞はジョン・ニュートン(1725~1807)が1755年に書いたものであるということで、聖歌(讃美歌第196番」)になっている名曲である。この名曲を大合奏で聴いた人たちには大きな感銘を与えずにはおかないであろう。それにしても、バグパイプと管楽器の大編成が響かせる「アメイジング グレイス」を忘れることはできない。これからもザラザラと心が苛立った時には、この「アメイジング グレイス」の大合奏を聴いて心を鎮めて生の限りを全うする糧にしたいものである、と憶う。

○ハイランド カテドラル(The Hightland Cathedral)
 スコットランドの高地地方にあるセント・メアリーズ大聖堂などのイメージを曲にしたのであろう。この「ハイランド カテドラル」は明澄な響きをもった名曲である。
 わたしのような異邦人で無信心な人間にとっても大聖堂がもつ清々しさを感じさせる。それにしてもスコットランド人の祖先はケルト人であるからアミ二ズム信仰であって多神教であったのであろうが、2世紀頃からキリスト教―多分ローマン・カソリックが伝わり6~7世紀頃までに根を下ろしていったようである。でも、当初はそれぞれの地方で土俗性の色彩を帯びていそうであるが、やがて「スコットランド国教会(国民教会)」に収斂されたようである。いくつかの教会のイメージを込めた曲であろう。清々しい曲想を奏でている。矢張り、バグパイプと吹奏楽器の合奏を聴いていると大聖堂の内部に身を置いたときの心持ちを抱かずにはいられなくなる。

○広い河の岸辺(O、 Waly Waly=Water Is Wide)
 16世紀ころからスコットランドに伝わっている民謡(Folk Song)である。
    その水辺は広く/向こう岸へ渡れない/僕には飛んでいく翼もない/
            二人を運ぶボートがあれば/恋人と僕で漕いでいくのに・・・
 この歌詞でも解るようにLove Songである。スコットランドにはわたしたちに馴染みな美しい数々のFolk Songがある。「蛍の光」、「アニー ローリー」、「故郷の空」、「ロッホ ロ-モンド」など日本でもよく知られている名曲で、小中学校の頃歌った記憶があるだろう。いまでは歌詞を忘れていてもメロディーは憶えていることであろう。
  「広い河の岸辺」も100人くらいのバグパイプ演奏が美しい。

   暫く、バグパイプ演奏を楽しもう。


パリ・くらしと彩りの手帖 №124 [雑木林の四季]

2017年の革命記念日のパリとオランジュ                                                                

  
         パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

革命記念日の二人の大統領

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パリ祭の更新をコンコルド広場のマクノシタから眺める二人の大統領 
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前夜のエッフェル塔の川向こうの花火
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空からももちろん
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フランスとアメリカの大統領夫妻が帰途につくところ

 フランスの一番大切な祭である革命記念日7月14日は、軍隊が朝から空のパレードをし、シャンゼリゼ大通りを凱旋門の方からコンコルド広場に向かって、軍隊はもちろん、警察や消防隊、そして有名校の優秀な学生達も軍服でみんな行進、フランス独特の外人部隊も、見物する人々が毎年楽しみにしているところだ。こうしていつも2-3時間にわたるパレードをし、現在のフランスの技術をフルに使って作り上げる新型の、そしてこれまでのものより一段とよくなったものを、国民の皆に見てもらうために、誇らしげに行進するのだ。そしてこの日だけコンコルド広場の一部にテントのようなものを張り、この席に座るのは大統領や閣僚、そして多くはこの記念日に、フランスが招待するお客様だ。日本からは、たしか昔、中曽根総理がこの日にここで日本で言うパリ祭を満喫されたはずである。そして今回、新しい政界が誕生したばかりのこの国で、マクロン新大統領が招いたのは、なんと数日前までG7で 数日を一緒に過ごしたばかりのアメリカのトランプ大統領で、その夫人とともにこの招待に応じたのだということで、フランスの主賓としての二日間だったのだ。前日パリに着いたトランプ大統領夫妻はまず到着の日からエッフェル塔の2階に上って、そこにあるアラン・デュカスの持つレストラン、ジュール・ヴェルヌで、パリを真下に見ながら、マクロン大統領とともに、フランス料理に舌鼓を打ったという。あのサイエンス・フィクション、80日間世界1周などを書いた作家ジュール・ヴェルヌの名前のここは、美味しいフランス料理だ。もちろんマクロン夫人のブリジットも同席だ。実は米大統領を迎える直前にはマクロンはドイツのメルケル首相と別れを惜しんだところだ。トランプ米大統領とメルケルとが合わないことは周知のことだから、もちろんパリ祭のパレードにその姿は重ならなかった。それに、戦争の歴史を考えたとき、現在の友好関係とは別にどこかから文句が出ることだろう。大体、米大統領の出席を、フランスの左派の人々が嫌っているし、せっかく国連のイニシアチーヴで世界の196カ国がフランスに集まって会議をし、世界の温暖化を妨ぐために一層の努力することを、ほとんど全世界が約束してパリのCOP2一の誓いをしたというのに、あの時、米国の大統領だったバラコラマもテロリの大統領当選を支持している米国の金持ち企業に報いるために、あっという間に米国はこの約束を反故にしてしまったのだ。それでもマクロン大統領はトランプ大統領を招いたのだからフランスの人々が怒るのも無理ないことだろう。決定は早いけれど、十分に考えを実らせることのできるフランスの新大統領が、では一体なぜ米大統領をこのような国の大切な日に賓客としてフランスに招いたかは、しばらく待てば、答えが現れてくるに違いない。第一、大統領としては、一般の国民にむけては、十分な理由があることで可能な事だったのだ。それは今から百年前の第1次世界大戦の時に米国軍隊の大量参加によって、ドイツによって散々な目にあわさたれていたフランスが救われたという先祖の思い出がある。特に米軍の死者の数は多く、その墓地は延々と広がる。フランスはこの部分の土地を領土として米国に贈ったということである。今回のマクロン外交について、このCOP21にアメリカを引き戻すための準備だと言い切っいる人もいるし、それにマクロンは実はすべてをじっくり考えてやる人だから、世界の中の米国の存在というものが、避けて通れるものでない以上、一歩でも近づき、友好関係を持っていたほうがいいからなのだといったふうな穿った考え方も語られているのだ。それに、どこの国とでも、少しでも友好的にしていられる範囲で、やっていくことは結構なことというべきなのだろう。   
 左派の党に属していようが、右派であろうが、有能と思われる人を選んで作った新しい内閣、そして何よりもあの動いている共和国の巨大な力の中で、大量の国会議員を選出したのだから、国会の討論で、採決を測れば概ね希望に沿った採決になるわけだ。しかも、政治家としてそんな考えには当然反対するような議員でも、政治家として一目置けるような人物である場合は、そのような政治家の地盤には自分たちの立候補者が入りすぎないようにして行った議員選挙だったのだ。だから、国会では反対意見をとうとうと述べる人がいて、賛成派と反対派が意見を戦わせる場面もできて、本当によくもそこまで考えて、あの熱しに熱した短い時間にこのような体制を作り上げてしまったとは本当にすごいことだ。マクロンの党を代表して立候補した人々は皆と言っていいほど、政治には素人だ。でも議論を経てから意見が取りまとめられる。その流れは変えていないのだ。一番最初に議題になったことはマクロンが選挙戦でも繰り返していたように、子供達の教育の初め、つまり小学校に入った時にはひとクラス12人を超えてはならないと決めた。そしてそのためには教員の数と質を上げなければ、ということがすでに決まった。あとはこれから秋の上院があるが、子供の教育に関するこのような議題に反対する議員がそういるとは考えられない。選挙戦が始まった、昨年の秋に、早くから最高位で当選するつもりでいたサルコジー時代に首相だったひどい政治家が、教員の数を減らすことを第一に掲げていたことは実に不思議としか言えなかったのだが。これをお念仏のように繰り返していたのだったが、いろいろなことがバレて、ついに、少なくとも、今の所は消えてしまっている。政治の世界というのは本当に不思議なところのようだ。そして、昨日はマクロン新大統領は、今まで、すべて間違いなく順調にきているが、昨日初めて味噌をつけてしまったというような解説が繰り返された。それは、フランスの軍隊を代表する英雄が、新年度の軍隊への予算について、ひどく減らせれてしまったことに憤慨して、議員たちの前で話し、それからみんなの討論となッタ事を知って、マクロンがあなたがをそんなことを国会に持ち出す立場ではないはずだとしたためたというが、その軍お最高司令官よりも、マクロンの方がさらに一番上の司令官であることをくりかえした。それが強調しすぎたという事で不評を買い、その翌日の今日は、その軍人たちに尊敬され、愛されている司令官が、パッと辞任し、他の軍人が司令官となったことが発表されたという次第だ。
 さて、7月14日のお革命記念日が済むと、あとは、フランスの名高い自転車競技、山を越え、谷を走って、何日間も競争する。もともと、フランス国内のものだったけれど、今はフランスから出たり入ったり、参加の選手たちにもいろいろの国籍があって、周りの国々も大いに楽しんでいる。あと数日で終わるから、今日はマクロン大統領も応援に駆けつけているようだ。

オランジュのオペラ

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左が舞台mその前に出ているのがオーケストラボックス そのさらに右のポツポツが聴衆
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第3幕の最後の場面
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拍手に応えて;張り出した舞台の下は 
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スター達の衣裳が現代的なのが驚き
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リゴレットは道化役者の名前です。        
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現代の服装と混ぜた演出が気に入りません  
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ヴェルデイ
 さて、今年もオランジュの古代劇場でオペラが始まった。2000年前にシーザーが前進するところにその足跡を記したものの一つがこのローマ劇場だ。そのあとは地球上のかなり北のほうまで伸びているけれど、ここほどに劇場として素晴らしいのはそうあるものではない。ギリシャなどによく見る円形劇場は、舞台も客席も円形で、学生の旅で、こういうところを見ていたときに、一緒にパリから行ったギリシャ人の建築家画、芝居心のある人だったので、ムズムズしてしまったらしく、真ん中にとびだしていって騰々と芝居を始めたのである。私たちも医師の円形の段々に腰掛けて、観客としての態勢を整えたのであった。今にしてみれば、素晴らしい思い出だ。ギリシャなどにはこうして、舞台が円形の中心になっているものが多いが、オランジュのように、芝居をする空間が直線を持ってうまくできていて、しかも観客席が円形になっているのはそんなにあるものではないから、ここでオペラを見られるのは実に素晴らしいのだ。今年もこうして、本当の夏が来る。
 今年7月初めのプログラムはヴェルデイの名作「リゴレット」。フランスの作家ヴィクトル_ユーゴーが書いた「王は楽しむ」を元に、ジュゼッペ・ヴェルデイが作曲、初演はイタリアのヴェニスのオペラ座フェニーチェで、今から160年前に遡る1851年だった。純情な娘を持つ道化師のリゴレットは、自分の娘に手をつけたマントウ公爵を恨み、呪いをかけるが、公爵を殺してほしいと頼んだのに、今もこの公爵に思いを寄せている道化師の娘それを悟って自分が身代わりになって死ぬというものがたりだ。こういう様々な恐ろしい思いを込めた物語でありながら、たくさんの登場人物を乗せた舞台は一見平穏で、陽気な空気が充満した舞台であり、現代人の服装を取り入れた舞台はややもすると見るものの感動に何か一つ欠けるものがあるような気がするのは私だけなのだろうか?このコレジーの組織を作って、オペラを中心に音楽をいろいろとやるようになったのも40年ほど前からだが、今年からはモナコのオペラ座の演出家に変わり、これからどんな方向に伸びていくのかが楽しみだ。オペラのあとで一言話したが、丁度日本から帰ってきたところだ」と一言言っておられたがこれからが楽しみだ。今年の二つ目のオペラは同じヴェルデイ作曲の「アイーダ」どんな動物が出てくるだろうかと、今からの楽しみ。オランジュの街をもう少しご紹介したいと思っている。2、30年前にフランスで初めて国民戦線の候補者がこの町の責任者人って、大きな話題となった。コレジーはここの古代劇場に別れを告げて、どこか他の街に行くと決めてあsっていたが、どうやら話し合いができて、元に収まったのだった。そして、あれから、何回市長選挙があったのだろうか?いつも、いつも選ばれ、市民はいい町長さんだと言っている。あんなに恐ろしがっていたのにどうした事だ?あの人が超お町になってから、街は綺麗になったし、質のいい、素晴らしい市場が立つようになったこともみんなの誇りだ。それじゃもう政党の事はいいのか?関係ないし、噂によれば、あの人はもう党員ではなくなったときいているし、、、、え、え>本当ですか?いやはっきりはわからないけれど、、、大統領選挙で最後に争った二人、国民戦線の候補者は、かろうじて、議員選挙を通過したが、あとは全く伸びを見せていない。声を聞くのは、新大統領のやる事に文句をつけるときだけだ。今後どう変わっていくのかは未知である。


気楽な稼業ときたもんだ №61 [雑木林の四季]

異世界の二人の雄の秘蔵っ子、五木ひろし 2

         テレビ・プロデューサー  砂田 実

 そして、もっとも印象に残っているのは「ヨイトマケの唄」である。
  何度目かの全国公演の時、僕は五木に丸山明宏(現・美輪明宏)が作詞作曲した「ヨイトマケの唄」をぜひ歌ってほしいと要求した。この歌にはなにか気になるものがあったからだ。この歌がテレビでの放送禁止曲に指定されてしまったこともある。どこの誰が、どんな主張の下にこんなに心に響く歌を禁止曲に指定したのか!と腹を立てていたことも理由のひとつだ。
 ところが、それまでは僕の選曲に異論をはさまなかった五木が、「ヨイトマケの唄」には、一瞬の戸惑いを見せた。最終的には歌ってくれたが、この曲のある歌詞の部分になると必ず声をつまらせ、時には涙ぐみさえするのが見てとれた。何回かの公演が終わったところで、彼に尋ねてみた。
 彼はしばしの間うつむき、「じつは、この二番の歌詞のところなんですけれど…⊥と話しはじめた。そして、「姉さんかむりで泥にまみれて…・‥」と小声で歌い出すと、「母ちゃんの働くとこを見た……父ちゃんのためならエンヤコラ子供のためならエンヤコラ」と、遠くを見るような目線で最後まで歌いきった。
「この歌詞、そのまま僕の子供時代の原風景なんです。小学校から帰る途中で、本当に男性に混じって、工事現場で、エーンコーラと網を引くお袋を見つけたんです。僕は、急に関係のない話を友達にぶつけて、その場所を駆け抜けて帰ったことを今でも覚えています」
 五木は僕の眼をまっすぐ見ながら話し、静かな微笑みを浮かべた。

 僕は、この歌を五木の声でテレビ放送したくてたまらなくなった。そしてある日、それを敢行した。放送後、始末書を書かされたことはいうまでもないが……。

 五木は今も現役で活躍中である。野口さんと山口さんは、ともに病を背負い療養中だ。思えばあの頃、野口さんも山口洋子さんも、それぞれ絶頂期で光り輝いていた。その光が強くまぶしいほど、つらいであろう晩年を見ているのは、かぎりなくさびしい。かたやキックボクシングという格闘技界で時代の主役になり、かたや水商売の世界で銀座の超一流クラブの経営で名を成した二人のカップルは、その表舞台の印象が華やかであればあるほど、過酷な裏の実人生もあったろう。それはきっと想像を超えてあまりある物語の連続だったにちがいない。人との出会いは、このようにおもしろく、せつなく、そして素晴らしい。
 黎明期のテレビ、CM演出、そしてコンサート演出を通して出会った人々、前例にしぼられずに伸び伸びとできた数々の仕事は、僕の人生の大事な宝物である。

『気楽な稼業ときたもんだ』 無双社

BS-TBS番組情報 №141 [雑木林の四季]

BS-TBS 2017年7月のおすすめ番組

                                               BS-TBS広報宣伝部
世界陸上ザ・ベスト 北京

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2017年7月22日(土)午後1:00~2:54

☆まもなく「世界陸上ロンドン」開幕!2年前の北京大会の名場面をプレイバック!

8月4日に開幕する世界陸上ロンドン大会。200を越える国と地域から、2000名以上のアスリートがイギリス・ロンドンに集結し、“人類の限界”に挑戦する。
その開幕を2週間後に控えた7月22日、2年前に行われた前回・北京大会の名場面を一挙にプレイバック!
▽名場面1 「男子100m/人類最速対決」
人類最速U.ボルトとアテネ五輪金メダリストのJ.ガトリンとの頂上決戦。1/100秒で決着した世紀の名勝負をお届け!ボルトが走った200m、4×100mリレーも。
▽名場面2 「女子400m/悲しみのヒロイン アリソン・フェリックス」
2013年モスクワ大会で右太もも筋断裂によりまさかの途中棄権となったアリソン。悲しみの淵から救ってくれたのはいつもそばで支えてくれた兄・ウェスだった。
▽名場面3 「男子400m/南アフリカの新星現る!」
ともに世界陸上・五輪で金メダルを獲得したL.メリットとキラニ・ジェームス。誰もがこの2人の一騎打ちになるだろうと想像していたレースに割って入ったのが南アフリカの新星・W.バンニーキルクだった。
▽名場面4 「男子10000m・5000m/長距離2冠の超人」
陸上界でボルトに並び超人と言われるイギリスのM.ファラー。世界陸上・五輪で長距離2冠を成し遂げたファラーは北京で前人未到の2大会連続2冠を目指す!
▽名場面5 「女子1500m/最強姉妹の秘密兵器」
世界陸上・五輪で計8個の金メダルを獲得したティルネシュ・ディババとアテネ五輪10000m銀メダリストのエジャガエフ・ディババを姉に持つゲンゼベ・ディババ。姉に続き、世界の頂点を狙う!
▽名場面6 「奮闘!チームJAPAN」
男子200m、史上最年少で準決勝進出を果たした当時16歳のサニブラウン・A ハキーム、女子マラソンで7位入賞の力走を見せた伊藤舞、男子50km競歩で史上初の銅メダルを獲得した谷井孝行など、チームJAPANの活躍をお届けする!

サワコのひとり旅inフランス~天才彫刻家ジャコメッティを訪ねて~

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2017年7月22日(土)午後4:00~4:54

☆阿川佐和子が彫刻家・ジャコメッティが暮らしたフランスへ!

出演:阿川佐和子、島田順子、田中泯

20世紀ヨーロッパにおける最も重要な彫刻家、アルベルト・ジャコメッティ。
オークションで約94億円という破格の値がついた、「歩く男Ⅰ」の作者として知られている。
そんなジャコメッティの真実を解き明かすため、作家・エッセイストの阿川佐和子が彼の暮らしたフランスを訪ねる。
南仏のマーグ財団美術館では、サワコが初めてジャコメッティと対面。
またパリでは、ファッションデザイナー島田順子さんを訪ね、ファッションの観点からジャコメッティを紐解く。
さらに、ジャコメッティを実際に撮影したことがある92歳の写真家との出会いも!
サワコが「聞く力」でジャコメッティの人物像に迫る。
また、今回は、ジャコメッティに強い関心を抱いていたダンサー・田中泯が、日本にやってきたジャコメッティ作品と対面。何を感じ、どのように表現するのだろうか?

釣り百景

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毎週(木)よる10:00~10:54

☆海あり!川あり!秘境あり!「釣り」「自然」「人」との出会いを求めて、地球を巡る釣り紀行番組

海あり!川あり!秘境あり!
「釣り」「自然」「人」との出会いを求めて、地球を巡る釣り紀行番組。
釣りを通して紡ぐ人間ドラマをお届け。
釣り人は各界の著名人とその道を極めたアングラーたち。
コアな釣りファンも必見!

▽2017年7月20日(木)放送
#195「シーズン到来!上州三川の鮎に出会う」
釣り人:島啓悟、松田克久
友釣り解禁直後の6月上旬、全国の鮎師達がこの時期を待ち焦がれていた。数々の大会で優勝を重ねるトップトーナメンターの島啓悟さんも、もちろんその1人である。高崎在住で島さんの友人であり、自身も釣具店を営む松田克久さんに招かれて、関東屈指の人気河川である碓氷川、鏑川、烏川の上州三川を訪れた。2人は河川の状況や特徴を読み、釣りを進めていく。天候の安定しない中、シーズン序盤から着実に鮎を掛けていった。

▽2017年7月27日(木)放送
#196「江戸前の鮨ネタを釣り、食す」
釣り人:照英、阪本智子
100万人が暮らしていたとも云われる江戸。人々の食を支えたのは、身近に広がる豊かな海だった。「江戸前」とは、江戸湾でとれた海産物を指す言葉。保冷技術の乏しい時代…職人たちは工夫を凝らし、魚介類の旨みを「鮨」に凝縮する。先人が遺してくれた「江戸前鮨」の今を感じるために、潮風薫る東京湾へ繰り出したのは熱き男、照英と阪本智子。「釣り」と「食」にこだわる二人が、江戸前で旬の鮨ネタ6品1本に挑む。


ロワール紀行 №57 [雑木林の四季]

アンリ二世、カトリィヌ・ドゥ・メディシスとディアヌ・ドゥ・ポワチエ

          スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 王太子は王位を継ぎ、アンリ二世となった。

 フランス文学の古典として名高い、ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』のなかに、「宮廷にこの頃ほど、美男美女の会していたことはかつてなかった」といわれた、アンリ二世時代のプロワ城館の生活、貴公子や貴公女をめぐる愛憎が、巧みに描かれている。

 アンリ二世は王太子のころから、父王フランソワ一世の、愛妾であった十八歳も年上の、ディアヌ・ドゥ・ポワチエを熱愛していた。

 王は彼女に、ヴアランチノワ公妃の称号を与えた。メディシスは、ディアヌが美しかったと同じほど、醜くかったという。

 カトリィヌ・ドゥ・メディシスは十年の間、懐妊しなかった。王の乱行が原因であろう。


 アンリ二世在位の晩年の頃ほど、豪奢や優雅の風の栄えたのは、フランスでも例のないことである。陛下みずから雅びを愛せられ容姿も端麗に、恋さえしておいでになった。ヴァランチノワ公妃ディアヌ・ドヶ・ポワチエをはじめてお愛しになったのはもう二十年も前のことだったが、その寵は少しも衰える気配がなく。


 メディシス王妃は、王の情事に苦しめられた。しかし冷徹な彼女は「ヴアランチノワの奥方は、全く淑徳の誉れが高い」と官廷中に宣伝した。こともあろうに、自分の夫の寵愛を受け、公然と宮廷に出入する、情婦を称揚したのである。


  ヴァランチノワ夫人を陛下が御寵愛になることも一向気にされない様子で、嫉妬の色を少しもおみせにならない。しかしこの方は、いつも本心を奥深く包んでいる性質だから、ほんとうの御気特まで察しるのは容易なことではなかった。


 このイタリア的老檜さに、後年、摂政としてサン・バルテルミィの大虐殺に示した冷酷無残の片鱗が窺える。メリメは『シャルル九世年代記』のなかで、カトリィヌ・ドゥ・メディシスを次のように描写している。


  水水しい小肥りの女、歳のわりに立派な女だが、鼻が大きく唇は薄く、眼を半開きにして、始終欠伸(あくび)をしている。その声は、人を毒殺する命令を下すときも、愛犬に牛乳を与えるのを命ずるときと全く変らない。


 アンリ二世は内治、外交とも巧みに処理し、国力を充実した。フランス最大の追うの1人といわれる。このような女性関係も、彼の声望を傷つけなかった。

 ルネッサンスとは、そのような時代であった。彼は野試合の最中、誤って部下の槍に傷ついて死んだ。四十一歳のときだった。

 メディシス王妃は、王の臨終の枕許から、彼の寵妃、ヴァランチノワ公妃を斥けた。

 「死に行く王は王妃のものです」メディシスは、この有名な言葉を冷然と言い放った。ニ十三年間、一日とて忘れることなく待った、復讐の日が、遂にきたのである。

 権勢の寵妃と不遇の王妃とは、そのところを替えた。メディシスは王妃の威厳をこめて、ヴァランチノワ公妃に、昂然と命令した。

 即座にその館に退き、王が今までに与えた宝石、シュノォンソオのシャトオ、そのはかすべてを返すように。

 王妃は、王が寵妃に与えた贈物の品目を、二十年間、克明に記録してあったという。恐るべき忍耐と周智さ。流石に銀行家、メディチ家の娘である。

 イタリアに、ルネッサンスの花を咲かせたメディチ家。その血の流れる彼女はフランソワ一世に次ぐ、プランス・ルネッサンスの推進者であった。

 プラソソワ一世翼部二階で、最も興味を惹くところは、カトリィヌ・ドゥ・メディシスの居室である。イタリア風の彫刻と彩色を施した、二三七枚の羽目板で床上から天井まで美しく飾られている。

 彼女の机のちょうどまうしろ、椅子にかけたまま、少し体をそらせて、手を伸ばすと、指の届くところ、その壁の羽目板の四枚ほどが、左右に開く秘密の小文庫になっている。

 壁板の模様は一様であるから、どこが開くのか、本人以外にはわからない仕掛け。

 よく西欧の邸宅で、主人の書斎の名画のかかる壁の、その画をはずすと、壁に小さな金庫がとりつけてあるのも、これに着想したものであろうか。

 ガイドは、それを秘めやかに開けて見せる。ギィツと、木の軋み触れ合う、徴かな音がする。王妃として次に摂政として、カトリィヌ・ドゥ・メディシスが、大きな権力を振ったことが、扉の開く音とともに思い出される。

 中世の秘事を秘めた空気が、その中文庫から、流れでるような気配。

 宝石や毒殺用の毒薬を納めた戸棚とも、宗教や政治に関する機密書類をしまった金庫だともいわれる。

 アンリ二世と結婚したこのフィレンツェの大財閥の娘が、中世イタリアの悪習をフランス宮廷にもちこんだという。当時のイタリアでは「ポルジャ毒薬」いらい、暗殺と陰謀は日常茶飯のことだった。この秘密の文庫を見て、数々の謀略、証拠を残さぬ毒殺、手の皮膚から毒を渉透させる毒手袋の使用法などは、彼女がプロワの城にもちこんだものだろうかと、考えてみた。

 ガイドは手真似、身振りよろしく、棚から毒の小瓶を取り出す仕草を演じて見せる。

 来客から菓子などの食物を貰ったら、その面前で包みを開き、まずその客に奨めるという、今日でもフランスに残っている風習も、このあたりに起源があるのだろうか。

 サント・ブゥヴは、「ここにあるものは、毒薬の状態にある顔料だ。少し許り薄めれば色が得られよう」という書き出しで始まる、有名なエッセェ『我が毒』を書いている。

 しかし、私は思う。毒の真に恐るべきは、心の毒であろう。

 話が余談に亘ったが、カトリィヌ・ドゥ・メディシスも、イタリアから悪い面ばかり持参したわけではない。現代プランスの重要な産業となっている香水の製造をフランスに伝承をしめたのも、彼女である。責あるばかりでは、気の毒かも知れない。南仏プロヴァンスの花園といわれるグラッスの町が、香料の世界的産地となったのは、それまでイタリアのフィレソツェで、国外不出の秘法だった香水製造の技術を、彼女がフラソスに伝えたためだといわれる。





バルタンの呟き №16 [雑木林の四季]

                          「後期高齢者認知度検査」

                               映画監督  飯島敏宏

「K電鉄T不動尊駅前バスターミナルのM銀行看板下にある2番乗り場でJR線H駅行きのバスに乗って、三つ目の停留所で降りて頂きますと、通りの向こう側に用水が流れています。用水に沿った道を、川上に向かって10分ほど歩きますと、右側にウチの看板があります。その左が事務所ですから、受付に、運転免許証、通知はがき、筆記具、受験料580円を差し出してください。予約の時間の15分前に、申し込みを受け付けますので・・・」

 とにかく、30度は確実に越している蒸し暑い昼下がりでした。九州から始まって、近畿、東海と、毎日のように、未曽有の異常大量降雨で、警報、注意報、避難警報が飛び交っていました。各地で、河川の氾濫、地滑り、崖崩れの甚大な被害が報じられる梅雨期の最中にありながら、なぜか関東一円は、このところ連日、灼熱の太陽がギラギラと輝いていて、すっかりオゾン層の薄くなった空から、紫外線たっぷりの強烈な光線が降り注いで、乾ききった地表に熱風を巻き起こしています。テレビ、ラジオは、連日、熱中症予防のために水を飲め水を飲めと叫び続けています。

 閑話休題、その炎天下、僕は、昼下がりの暑熱に喘ぎながら、冒頭の案内電話で丁寧に説明を受けた通りに、わが家を出てから、自主運行の乗り合いバス、電車、モノレール、市バスと乗り継いで約一時間半の移動を終えて、指定のバス停に降りたったのですが・・・
 そこには、教習所らしき看板はおろか、周囲にある数棟の建物は、看板は出ているものの、すべて廃業したかのように、人の気配すらないのです。たしかに、説明されたように、通りの向こう側に見つかった2・5メートル幅ぐらいの用水でしたが、水が澱んでいて、どちらが上流なのか決め難いのです。僅かな水の動きと、藻草の揺れ具合で察した上流方向と思しき側道を、ひたすら自動車教習所めざして歩きだしました。

 用水沿いには、農家と思しき、広い敷地に建物がある家並みが続いているのですが、道を確かめようにも人影が全く見当たらないだけでなく、用水路そのものが緩く右側に湾曲して流れているせいで、歩いて行く先が見通せないのです。周囲の光景も、畑地や、果樹林が広がりはじめ、人家が疎らにしか見あたらなくなってきました。
果たしてこの先に自動車教習所などあるのだろうか、と、心配になってきた頃、漸く背後に車の音を聞いて、思わずヒッチハイカーのように、車の先方に立ちはだかって片手をあげたものです。
「この先に、自動車教習所が、ありますか?」
「教習所? あ、それみたいなもん、ありますけど」
運転席の窓が開いて、中年の主婦らしき女性が、行く手を指さして、愛想よく答えてくれましたが、あたりの田舎びた光景から、僕がひそかに期待していたような、どうぞ乗って下さい、みたいなおもてなしの提案はなく、走り去ってしまいました。

 折も折、頭上の電線から降ってきた、しまりのない、人をからかうようなカラスのひと声に、いっそう暑気を煽られたような腹立たしさを感じながら歩くうちに、ふと、道端のブロック塀沿いにぽつんと置かれた、飲料水の自動販売機があるのに気がついて、慌ただしく小銭入れをまさぐって代金を放り込み、取り出し口に落ちてきた冷たいお茶のプラスティック壜を、蓋を取るのももどかしく一気に飲み干しました。バス停から、歩き始めて、すでに10分以上の時間が経っています。
「田舎道、何処まで行っても、あと一里・・・」
そんなカビの生えたような俚諺を思い出して、苦笑しかかったとたんに、突然、
「このくそ暑い日の、こんな日の高い時間に、何だってこんな遠い辺鄙な田舎の自動車教習所まで、来なけりゃならないんだっ!」
 思わず誰もいない空間に、声を荒げて口走ってしまったほどに、むらむらと、熱い怒りがこみ上げてきました。

 そもそも、これは、一枚のハガキからはじまったのです。「あなたは、今回免許更新を行う前に、{認知機能検査}を受け、その結果に基づいて、検査とは別日に{高齢者講習}を受ける必要があります」という注意が書かれている「免許更新のための認知機能検査と講習」の通知ハガキです。
近ごろ、後期高齢者による事故が頻発して、ある種突出して社会問題化したために行政の要請から警視庁の取った、急遽75歳以上の、高齢者の免許更新のハードルを高くするための処置、の一環で、昭和一桁うまれの僕が、運転免許所持者として背負わなけばならない当然の義務だという訳です。しかも、30年来の無事故無違反、ゴールドカードを自慢していた僕でしたが、昨年の暮れ、所轄警察署の点稼ぎとしか思えない、卑劣なネズミ取りにひっかかって、免許取得以来初めて行政処分を受けてしまった僕としては、抗えない義務なのです。
 が、しかし、さっそく最寄りの自動車教習所の予約をと電話したところ、すでに、僕の免許期限ぎりぎり近くまでの予約が満杯だというではありませんか。そこで、ハガキに登録されている教習所から、やや遠いドライビングスクールを幾つか選んで申し込んだのですが、どこもすでに来月まで満杯、来月1日午前9時に再来月分の予約受付、という騒ぎだったのです。ハガキに載せられている教習所の、わが家からかなり不便なところ数か所にも電話を掛けたのですが、すべて、誕生日まで満杯でした。(誕生日一か月後まで免許は有効ですが、検査後にもう一度後期高齢者講習を予約しなければならないのです)。行政が、世論に押されて認知度検査を義務付けたのですが、条例だけ決めてその受け皿が従来からの教習所だけという、お粗末な処置の結果なのです。
注!読者の中には、この事実をまだご存知でない方が大勢いらっしゃると思いますが、もし既にこんなハガキが来ていたら、いち早く手じかな教習所の予約を取ることをお勧めいたします。僕の場合、入院を含めて半月ほどの遅延が、致命的に響いたのです。

 途方に暮れた僕でしたが、ある教習所が、親切なことに、「運転免許試験場に相談してご覧なさい」と言ってくれたのです。取るものもとりあえず、試験場に電話を掛けましたが、予想した通り、電話は、なかなかかかりませんでした。抗議、陳情が、殺到しているに違いないと踏んで、「お掛け直しください」を何度か聞いてから、「このままお待ち・・・」を続けたのです。結局、運転免許試験場からの紹介で、警視庁の運転免許本部運転教育課試験係の電話までたどり着くのに、何時間かかったでしょう、その挙句に、僕の抗議と、陳情の果てに与えてくれた「ここでしたら、今すぐかければ多分予約が・・・」というヒントでたどり着いたのが、この用水の上流にあるという教習所だったのです。

 下車駅のT不動には、戦前、小学校高学年の頃の遠足(日帰り行軍)か何かで、はるばる訪れた記憶があるものの、土地勘などは、まったくありません。渇き切った喉を潤して、たちまち空になったプラスティック壜を空き容器入れにねじ込もうとした時も時でした。
販売機の陰から、いきなり、僕と同じような年齢の男性が、ぬっと現れたのです。
「こんちわ!暑いねえ・・・ご苦労さんです」
馬鹿に陽気で、共犯者的な親密さを含んだ挨拶でした。見ると、彼の手にひらひらと例のハガキが見え隠れしているではありませんか。
なんと、販売機の裏にプレハブ風の古びた建物があり、その奥に見える広場に、数台の教習車らしき車が目に入りました。コースには人影はありませんでしたが、なるほど落ち着いて見まわしてみると、販売機の向こう側に、字の薄れた小さな看板がありました。

 戦後の高度成長期には、この辺りの農家にも、青年男女が大勢いたでしょうし、車社会の成長と共に、この教習所も繁盛していたに違いありません。しかし、6名の予約受験者が案内された教室は、40インチほどのテレビが一台据えられた、12,3名で満室になるようなこじんまりした教室でした。一応の手続きが終わると、時間になり、親切そうな初老の試験担教官が現れて、この試験の結果によって、高齢者講習の内容が違うので、皆さん、集中して受験するように、といった説明と、運転経歴証明書の紹介、実は免許返上の薦めの一席があってから、いよいよ、認知機能検査です。

 試験用紙が配られます。時計、携帯、スマホを仕舞うように求められます。認知度を計られるのは嫌だな、という気持ちと、よし、ならばいっそ百点満点を!という気概が交錯します。
 見まわしたところ、ほとんどが、僕とどっこいどっこいのかなりの高齢者でしたが、さっき声を掛けてきたご苦労さんの男が、最も若い部類でした。僕の観察では、皆さん、現在、実際に車を運転している人たちで、ペーパードライバーはいない様子でした。特に、ごくろうさん、の男は、運送業か農業従事者か、職業として運転免許が必須と思われたのです。
 生年月日、試験当日の年月日と曜日の書き込み、時計、16種の画の記憶などなど、試験の詳細は省くとして、すでに過去の高齢者講習で経験したものが殆どでしたから、残念ながら今回も満点は逃したものの、内心懼れていたほど、記憶力の衰えはありませんでした。

 この詳細な顛末は、決して、まだまだバルタン老人はボケきっちゃいませんよ、という自慢話ではなく、この試験は、受験する我々にも負担がかかるし、行政の予算も増大するのに、果たして本当に必要なのだろうか、という疑問を感じながら書いているのです。
 バルタンとして呟きたいのは、ここの試験官の、実に時宜をわきまえた措置でした。彼の懇切な誘導で、試験中の様子で、僕が密かに心配していたご苦労さん氏も何とか合格、職業上決して落第できないと踏んでいた彼の喜びようは大変なものでした。あらかじめ用意していたのか、受験した同志一同に、「お疲れさあん」とチョコレート粒を振る舞って、実にうれしそうに帰って行ったのです。
 試験中、あのベテラン試験官の行いには、僕の知る限り一点の規則違反もありませんでした。許される温情のぎりぎりで励まし続け、彼を合格に導いたのです。
 注、この一章から、類推してここを特定されても、全く支障はありません。もっとも、あなたの予約日に彼の試験官が担当するかどうかは、神のみぞ知る、です。

 僕の家からは、実に遠く、辺鄙な教習所ですが、迷うことなく、僕は、この教習所で高齢者講習の予約をして帰ってきたことを呟きます。あの、がらんとしたコースを、彼の試験官の念入りな指導を受けて、初心を取り戻せば、いつかまた実質上の優良運転者にもどることが出来ると信じて・・・


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