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『知の木々舎』第195号・目次(2017年11月下期編成文) [もくじ]

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【心の小径】
論語 №39                                                             法学者  穂積重遠
 一一三 子、陳(ちん)に在(いま)してのたまわく、帰らんか、・・・

余は如何にして基督信徒となりし乎 №28                                  内村鑑三
 第五章 世の中へ ― 感傷的基督教 4

【文芸美術の森】

西洋百人一絵 №98                          美術ジャーナリスト    斎藤陽一
  アルヴォー「眠れるヴィーナス」

にんじんの午睡(ひるね) №21                   エッセイスト  中村一枝
 大相撲の思い出

フェアリー・妖精幻想 №73                           妖精美術館館長  井村君江
 昔話に登場する妖精 3
 
日本文化の原風景                  水墨画家    傅 益瑶
 「自強不息」文人の精神文化
 
石井鶴三の世界 №105                                  画家・彫刻家  石井鶴三
  鬼ケ城1964年/角間・キツリフネ・カラハリソウ・野生ホップ1964年
 
はけの森美術館Ⅲ №39                          画家  中村研一
  台北風景
 
ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №43     早稲田大学名誉教授    川崎 浹
 抑圧の絆が緩んだとき ― フルシチョフの時代 4
 
【ことだま五七五】
 
草木塔~種田山頭火  №5                 俳人  種田山頭火
 鉢の子 5
 
読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №28                川柳家  水野タケシ
 11月1日と11月8日放送分
 
【核無き世界を目指して】
 
続・対話随想 №27                                  エッセイスト  関 千枝子   
 関千枝子から中山士朗様へ              
 
丸木美術館から見える風景 №50    原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣
  語れない記憶 
 
【雑木林の四季】
 
浜田山通信 №205                                     ジャーナリスト  野村勝美
 パラダイス文書
 
私の中の一期一会 №155               アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 日本プロ野球初の“二刀流大谷翔平”がいよいよメジャーに挑戦する
 
徒然なるままに №24               エッセイスト  横山貞利
 名歌「希望」によせて
 
パリ・くらしと彩りの手帖 №131  在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ
 もう一度、今パリの大美術展で言い残したことなど
 
気楽な稼業ときたもんだ №68      テレビプロデユーサー     砂田 実
 終章 まだまだ現役

BS-TBS番組情報 №149                                       BS-TBS広報宣伝部
 2017年11月のおすすめ番組(下)
 
ロワール紀行 №65                            スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎
  水に浮かぶ、シュノォンソオ 2
 
バルタンの呟き №22                 映画監督  飯島敏宏
 「デジャビュ?」
  
ZAEMON 時空の旅人 №22                                     文筆家  千束北男
 第十八章  ボクの見たバルタン星
 
私の葡萄酒遍歴 №54             ワイン・グルマン  河野 昭
 ワインへの道・・・南アフリカワインのテイステイングノート
 
医史跡を巡る旅 №31                                   保健衛生監視員  小川 優
 紀行シリーズ~西洋医学事始め・大分県中津市・後篇
 
いつか空が晴れる №23                     渋沢京子
  ~バッハ カンターターその2~
 
気随気儘 №9                                                         舞踏家  和泉 舞
 佐渡仮宿日記8 
 
梟翁夜話(きゅうおうやわ) №2                               翻訳家  島村泰治
 ある辞書へのオマージュ
 
台湾・高雄の緑陰で №69         在台湾・コラムニスト  何 聡明
 台湾とニホンの換気系について
 
【ふるさと立川・多摩・武蔵】
 
玉川上水の詞花 №204               エッセイスト  中込敦子
 ネコハギ(まめ科)
 
赤川Bonzeと愉快な仲間たち №99                   銅板造形作家  赤川政由
 山猫ギャラリー2
 
旬の食彩 僕の味 №100 レストラン・ヴァンセットオーナー  大澤 聡
 ワインと料理のマリアージュ
 
立川陸軍飛行場と日本・アジア №151               近現代史研究家 楢崎茂彌
 満州(中国東北地方)に派兵された部隊、最初の帰還
 
線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №90                 岩本啓介
 玉電(東急世田谷線)

押し花絵の世界 №51                                       押し花作家  山﨑房枝
 「山里の秋」

渋紙に点火された光と影 №24             型染め版画家  田中 清
 雑草「エノコログサ」 
 
多摩のむかし道と伝説の旅 №7                                                 原田環爾
 ~お鷹の道からはけの道へ、歴史・伝説・文学を巡る道~2
 
【代表・玲子の雑記帳】             『知の木々舎 』代表  横幕玲子


          *       *      *      *
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西洋百人一絵 №98 [文芸美術の森]

デルヴォー「眠れるヴィーナス」

            美術ジャーナリスト・
美術史学会会員  斉藤陽一

 人一倍内気で傷つきやすい少年がいる。その母親は、過保護だけならまだしも、少年のすべてを自分の意のままに支配しようとし、何かにつけて抑圧的態度に出た。中でも、自分以外の「女は恐ろしい存在」として、息子に、女性に対する恐怖心と警戒心を植え付けた。少年は長く女性恐怖症に陥った。うちに閉じこもりがちの少年は、空想の世界に安らぎを見出した。
 マグリットとともに、ベルギーのシュールレアリスム絵画を代表するポール・デルヴォー(1897~1994)の少年時代は、このようなものだった。
 デルヴォーが、繰り返し描いた、人形のような大きな目と感情のない表情をもつ、冷たく硬質の女性像は、もしかすると、女性に対する抑圧された欲望が、このようなかたちをとっているのではあるまいか。

 22歳のときに、両親から画家の道に進むという承諾を得たデルヴォーは、実にゆっくりとその道を歩んだ。
 35歳のとき、デルヴォーは、ブリュッセルで「スピッツナー博物館」の展示を見て、大きな衝撃を受けた。これは一種の衛生博物館で、そこには、蝋細工によるさまざまな人体や骸骨の標本、病気にかかった人体見本などが展示されていた。
 「この体験は、絵画に対する私の考え方を一変させてしまった」と語るデルヴォーは、ただちに「眠れるヴィーナス」を描いた。これは、スピッツナー博物館のガラスのケースに横たわって展示されていた蝋人形をモチーフにしたものだった。残念ながら、この絵は、のちに画家自身が破棄してしまい、現存しない。

 今回とりあげる「眠れるヴィーナス」(1944年。ロンドン・テイトギャラリー)は、それから12年後の47歳のときに描いた作品である。かつて描いた世界が、新たな装いでよみがえっている。
 
 舞台は、古代建築に囲まれた夜の広場。建物は、緻密に描かれ、古典的な格調高い空間を形成している。デルヴォーは、若い頃、両親の希望で建築を学んだが、挫折した体験を持つ。
 冴え冴えとした夜空には、細い三日月が浮かび、その下には、冷涼とした山々がそびえる。
 この静まり返った舞台の中央、月光を浴びてベッドに眠るヴィーナス。その左には、澄まし顔で立つドレスを着た女性と不気味な骸骨。ヴィーナスの右側、その枕元には夜空に向かって片手を上げる全裸の女。後方の広場にも、数人の女たちが手を上げたり、うずくまっていたりして、不思議なパントマイムを演じている。
 そう、これは、時間が停止して音を失った古代都市の広場で、無表情の女たちがスローモーションで演じる無言劇なのだ。

 精緻に描かれた建築空間と、そこに忽然と出現した人形のような裸婦たち、この意想外の組み合わせによって、冷たいエロティシズムが発散される。
これが、デルヴォーが創り出したシュールな絵画世界なのである。

(注)著作権上の理由で画像はありません。


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にんじんの午睡(ひるね) №21 [文芸美術の森]

大相撲の思い出
              エッセイスト  中村一枝

 大相撲が始まっている。本場所ではないからいつもはあまり話題にならないのに、今年は稀勢の里のけかが治癒、やっと本格的に始動したと言うので盛り上がっていたら白馬富士の暴行事件とかで何となく騒がしい。
 考えてみるとわたしは父の相撲好きに引きずられてかなり小さい時から国技館に行っていた気がする。子供ごころにも双葉山は綺麗でかっこいいとわかっていた。対象的に男女川と言うお相撲さんは綺麗でないという印象が残っている。いまのような国技館ではなくコンクリートがむき出しの殺風景な建物だったと思う。それでも当時もお土産やさんみたいな店があり、そこでお菓子や玩具を買ってもらうのが楽しみだった。半分はそれでついて行った。もう一つ記憶に残っているのは立ち合いのうんざりする長さ。前に書いた気もするが、今の立会いは見ていて飽きることはないが以前はそれが一番嫌だった。だからお相撲に行くのはちっとも嬉しくない。おもちゃを買ってもらえるのと、帰りにどこかで美味しいものを食べられる、それだけなのだ。顔中あばただらけのお相撲さんに会ったときは飛んで帰ってきた。玉錦とか前田山とか照国と言う名前だけはよく憶えている。戦争が終わって疎開先の伊豆伊東から新しい国技館に相撲を見に来た時は高校生になっていた。父の親友の1人、水野成夫氏が升席を持っていた。生まれて初めて間近で取り組みを見た。力士の肌の綺麗さ、息づかい、勝負の迫力、すっかりハマった。
 父は新聞社の相撲批評を書いたり、ほかに趣味とか道楽のない父にとって相撲は生甲斐でもあった。父の相撲批評はわたしが見てもとてもユニークで魅力のあるものだった。文学にちかい批評だったと思う。そんなこともあり、父は自分の桟敷を持つことになった。多分、女性以外では父の一生一度の道楽だったに違いない。父は知り合いのかおをみるたびに「おれ升席を買ったんだ」と、うれしそうに話しかけた。おかげでわたしも大学の頃はよく国技館へ直行した。
 わたしはその頃大好きなお相撲さんが居た。追手風部屋の清水川というお相撲さんだった。実は先代清水川と父との深い繋がりは父も書いている。わたしもそのことはよく知っている。ただ2代目の清水川については土俵のうえで見ているうちに好きになったというわけである。目もまゆもちょっとつり上がった、きりっとした顔つき。それよりも何よりも、上手投の決まった時のスカッとしたかっこよさ、上手投げは先代の清水川の得意技で二代目もそれを引き継いだらしい。
 ところでこの話、この原稿を書いている時、清水川が私の父の名刺に書いたものを偶然見つけたのだ。名刺には先生から話を聞きました、嬉しく思います。ご後援嬉しく思います。と、自筆のペン書きだった。50年も前のものが今何の拍子かで出てきた不思議さ。いま清水川を名乗る力士はいない。でも追手風部屋は現存している。父は私が清水川を好きなことを見ていて娘の気持ちを一言伝えたいと思ったのだ。
 父と先代の清水川とは私などには及びもつかない深い関わり合いがあるらしい。男同士だからわかり合う人生の経緯。それは人間関係の希薄といわれる今でもきっとある気がするのだ。


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フェアリー・妖精幻想 №73 [文芸美術の森]

アイルランドの妖精譚と画家

              妖精美術館館長  井村君江

 クロフトン・クローカーのアイルランドの妖精譚の本は、のちにイエイツが種々の本から選択し編纂する『アイルランド妖精譚と民話』(一八八八)のもとになるもので、妖精物語の宝庫の観がある。
 クローカー本の挿絵は、アイルラント出身でロイヤル・アカデミー会員の画家ダニエル・マックリースとジョン・グリーンとが描いている。
 フロントページの縁飾りには、月夜に花々やキノコ、麦の穂に乗り、戯れ遊ぶ妖精たちが描かれている。昆虫や喋の羽をつけた小さいエルフたちで、同じアイルランド出身のリチャード・ドイルと同系統のリトル・ピープルである。
 肖像画家としても知られていたコーク生れのマックリースは、超自然の生き物のデッサンも正確であり、のちにリチャード・ダッドは彼から影響を受けるのである。老人のけちん坊片方靴屋のレプラホーンの月夜に靴を直す姿も、本書に掲げたトマス・モアの『アイルランド歌曲集』の「レスビア」の挿絵の、美しいレスビアの裾に口づけしたり、バラや水仙の花々の間で剣を構えたり、裸姿で眼鏡をかけ、ヒゲをつけたりしているおかしなリトル・ピープルたちにも、当時の有名人や政治家の似顔が描き込まれているようで、妖精に託した自在な諷刺の筆が笑いを誘う。
 『夏至前夜(ミッドサマーイブ)- 愛の妖精物語』と題し、ホール夫人が書いた物語に十八人の挿絵画家が、さまざまな妖精画を付した赤皮製三方金の豪華本がある。
 六月二十四日の夏至前夜は妖精たちが地上に現われ、薬草が効を奏する膏で、恋人たちは森でベンケイ草を摘み、未来の愛を占う。
 この本では腕を競って挿絵画家たちがカットを描き表紙画デザインも妖精たちで飾っている。マックリースに描かれた妖精たちは、ジギタリスの花の帽子をかぶり、花々の蔭に眠る人間のまわりに、夢のように独自のフェアリー・ランドを作っている。
 月夜に輪踊りをする妖精たちの習性を巧みに使って、へンリー・ウェナートも水の妖精ケルピーたちを女王のまわりに群れさせ、ハスキソンも赤ん坊を抱く母親のまわりに妖精たちを描いている。蝶の羽根をつけた身体に薄い衣を着て手に魔法の杖を持った妖精が、その一振りで夜の醜い邪魔者のダーク・エルフを追い払い、親子に安らかな眠りを授け守護している。
 葉蔭にひそむどこか土の匂いのする野生的なマックリースの妖精の群れとは異なり、ハスキソンの妖精の姿には、ヨーロッパの妖精の代母の像が重ねられている観がある。

ダニエル・マックリース「レスビア」.jpg
ダニエル・マッカリース絵「レスビア」

『フェアリー』 新書館


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日本文化の原風景 [文芸美術の森]

「自強不息」文人の精神文化

                 水墨画家  傅  益瑶

 過般、台北の国立国父記念館で、父傅抱石の生誕百周年記念展が開かれた。
 記念展は中国国内で陳列された作品とは違って、台湾に所蔵されているものが大半を占め、想い出深い《文天祥像》の絵の前に念願かなって立つ事が出来た。
 この絵は描かれた直後に台湾の人によって愛蔵され、今日まで見る機会がなかった作品であった。父からは文天祥の事は詳しく教えてもらっていたこともあって、ようやく巡り会えたその絵の前に立って、旧知の懐かしい人に出会えた思いがした。
 彼の生い立ち、生き方と、その人物の深さは父が詳しく話してくれたすべてのものが、その絵の中に描かれていたのであった。
      ◇
 南宋末期の忠臣だった文天祥は恭帝のときに侵入してきた元軍と勇敢に戦って捕虜の身となってしまった。投降の勧めを幾度も退けて、最後まで忠臣を恭帝に捧げて処刑されてしまった。彼個人の意志は宋の国すべての人たちの心のよりどころでもあった。
 元の総司令官であった帳弘範が「国亡びたり。丞相の忠孝尽きたり。」と詠って、捕虜の文天梓を元の国へ誘った際の歌が残されている。
 それは「宋の国はすでに亡んでしまった。あなたは宰相として尽くすべき任務はすでに無くなっている」と投降を呼びかけたのであった。
 その《文天祥像》を、台北の国父記念館で初めて見たときに、彼の死を悼み、死を愛でる。この死は偉大で最高の価値があり、それゆえ一番悔やまれると話してくれた父の顔が文天祥の顔と重なった。その時の父は「人間の生きる姿勢は歴史から学び取るもの、その真実と美徳は歴史が真実を語っている」のだと言って史実の重要さを教えてくれた。文天
祥の死がなければ彼の人生を感動させるものはない。
 骨があるとはこのことで、その複雑な気持ちが伝わってきた。父の措いた文天祥の絵を見ると、より一層父の事を患い出す。
     ◇
 そうして描いた父の絵は、他にもあって、《屈原》の作品もそうした一枚である。
 戦国時代の楚王に仕えていた屈原が妬まれて失脚。ついに湘江のほとり泪羅に身投げした故事を描いたもので、屈原の苦悩する姿が描かれている。
 人間が生きるか死ぬかという苦しみは、人間の姿が月と比べてどちらが光り輝くのか、というような深い哲学がそこにあると言うことを知らなければいけない、などと、父はこうした時代の背景にある人間関係を具体的に詳しく話して聞かせてくれた。その時、人間の心がいかに美しいものであるかと言うことの例をあげて描いたものが、《文天祥像》であり、《屈原》でもあった。
 私にとって歴史上の人物を勉強するにはこれ以上の方法は見っからないほど幸せなことでした。歴史を学ぶことは、自分を知り、そこに「詩情画意」を織り込む事だと思った。


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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №43 [文芸美術の森]

フルシチョフの時代 4

           早稲田大学名誉教授  川崎 浹

歴史の記憶

 東京への飛行機で知人のロシア人バレエ評論家と席を隣りあわせた。ジェット機の騒音のおかげでかれは声をひくくする必要はなかった(東京のホテルでは声を小さくしたが)。そのとき聞いたアネクドートはロシア人から見た当時の日米の関係をよくあらわしている。

 ソ連の技術が米国に追いつくには、一世紀かかるだろう。日本には? 永久に。

 この種の日本物として当時流行したのに、こういうのもある。

  「エイズは二〇世紀の病気である。日本とロシアにははやらないだろう」
  「なぜか?」
  「日本は二一世紀であり、ロシアは一九世紀だからである」

 ところが、その後日本ではバブルがはじげ、米国経済が復興し、ウインドウズとインターネットのアメリカが地球を席巻した。こうした経過を考えると、アネクドートは歴史の記憶であるという定義が再確認される。
 ロシアではこのように日本の技術への思いこみが強かったので、阪神大襲災で生じた高速道路の倒壊をテレビ画面でうつしながら、逆に「日本の技術」をちくりと皮肉つた。
 いまや日本も清貧の思想とか節約のススメとかが流行にならざるをえない事態だが、こうなると、熱湯と新聞紙だけで食器を洗い、かぜには蜂蜜と薬草でのりきるロシア人は強い。今年もモスクワの知人から悲鳴のように生活苦がもれてくるが、かれらは苦難の山をのりこえるだろう。

がに股

 レニングラードの行列のアネクドートでもわかるように、一九一七年の十月革命以後もソ連人はほんとうの共産主義はまだこれからだという夢をもたざるをえない状態にあった。フルシチョフがスターリン批判をした翌年(五七年)とはっきり記されているつぎのアネクドートがある。

 フルシチョフがコルホーズ員たちの前に姿をあらわした。
 「われわれは一方の足でしっかりと社会主義に立ち、片方の足で共産主義に向けて歩みだした」
 すると聴衆のなかから声あり。
 「まだどのくらい長くわれわれはがに股で立つことになるのですか?」

 つぎのようなアルメニア発の少々理屈ぽいアネクドートが放送で流された。

 「現実の社会主義はなにを示しているか」と聞かれたら、我々はこう答える。
 「現実の社会主義は、自分のなかにすべての先行の社会的、経済的形態を具現している。原始共同体からは生産方法を、奴隷所有社会からは自由の原則を、封建体制からは階級的特権を、資本主義からは解決できぬ矛盾を」

 「奴隷所有社会からは自由の原則を」というのは、自由に奴隷を所有できる原則を継承したという意味である。ギリシャ時代から、農民の移住を禁じたソ連の集団農場時代にいたるまで、「人民」は自由に奴隷のようにあつかわれてきた。


『ロhシアのユーモア』 講談社選書

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石井鶴三の世界 №105 [文芸美術の森]

鬼ケ城1964年/角間・きつりふね・からはなそう・野生ホップ1964年

               画家・彫刻家  石井鶴三

1964鬼ケ城.jpg
鬼ケ城 1964年 (125×172×2)
1964角間・きつりふね・・・.jpg
 角間・きつりふね・からはなそう・野生ホップ 1964年(139×172×2)


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【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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はけの森美術館Ⅲ №39 [文芸美術の森]

台北風景

                   画家  中村研一

台北風景.jpg
水彩 30cm×40cm

************                                         
【中村研一画伯略歴】
鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の長男として、福岡県宗像郡に生まれる。
1920年、東京美術学校を卒業。同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞、1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞する。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となる。1923年、パリに留学、ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞する。
戦時中は、藤田嗣治らとともに、軍の委嘱を受け作戦記録画を制作した。「コタ・バル」は代表作として名高い。
戦後は、小金井市中町に転居し永住する。日展、光風会展を中心に作品を発表し、1950年、日本芸術院会員に推挙される。1958年、日展常務理事となる。画面に感情や情緒などを付加せず、抜群のデッサン力と構成力で写実的な画風を創り上げ、そのアカデミックで堅実簡明な画風は昭和新写実主義を代表するものであった。夫人をモデルにした婦人像と裸婦像を多く制作している。
1967年8月28日、胃癌により国立癌センターで死去。享年72。

小金井市立はけの森美術館  〒184-0012 東京都小金井市中町1丁目11−3

中村研一美術館正面.jpg
中村研一記念はけの森美術館正面 

 



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草木塔~種田山頭火 №5 [ことだま五七五]

鉢の子 5

                  俳人  種田山頭火

昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかつた。あなたこなたと九州地方を流浪したことである。

  わかれきてつくつくぼうし

  また見ることもない山が遠ざかる

  こほろぎに鳴かれてばかり

  れいろうとして水鳥はつるむ

  百舌鳥啼いて身の捨てどころなし

  どうしようもないわたしが歩いてゐる
 
  涸れきつた川を渡る

  ぶらさがつてゐる烏瓜は二つ

『草木塔 種田山頭火』 青空文庫


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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №28 [ことだま五七五]

              読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆11月1日と8日放送分

         川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、2017年11月1日放送分の内容です。

28-1.jpg
インターンシップ女子大生・純加(すみか)さんがお休みのため、2人で

ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
11月1日の再放送の音源は、こちらから!https://youtu.be/3XuQllO9G98 

【質問コーナー】
タケシ師匠の仲畑流万能川柳文庫を読ませていただきましたが、面白いなーと思う一方、思いついても自分だったら恥ずかしくて投句できないぞと感じる句もあったりします。
どうしたら、恥ずかしい句を出せるようになりますか?
師匠は初めからためらいなどなかったのでしょうか?教えてください(喜術師さん)
※回答の音源はコチラ!!https://youtu.be/3XuQllO9G98 

【今週の一句】
今週は138句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・まるい背は喜怒哀楽をため込んで(昔のジョー)
・贈ります私にリボン掛けてみて(平谷妙子)
・風向きで云うこと変わる評論家(キャサリン)
・死ぬまでをどう生きるかで悩むのよ(グランパ)
・気がつけば手綱にかわる赤い糸(やんちゃん)
・口下手の皮肉はどこか味がある(でんでん虫)
・晩秋の慣れぬ応援胃が痛い(パリっ子)
・晴れ間だぞ洗濯掃除犬散歩(鵜野森マコピィ)
・純加さん有村架純はやトチリ(東海島田宿)
・想うより想われるほう幸せよ(恵庭弘)
・失言で本が一冊書ける人(名人・荻笑)
・ケチャップで夫(つま)の名を書くオムライス(不美子)
・また来たという顔で見られる試食(龍龍龍)
・怒ってる大魔神だよ内の妻(ラジゴ)
・アラフォーがアラフィフになりアラ還へ(あまでうす)
・三時間待って2分の診療室(司会者=あさひろ)
☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「ラジオ万能川柳。今週は選挙後の政界ネタ、ハロウィーンネタ、頑張れベイスターズネタなど138句。ありがとうございます。そうなんです!帯状疱疹で苦しんでいます。師匠からはビールを熱燗にとの指導あり。ボツのツボ『1年中ハロウィンみたいな妻メーク』鵜野森マコピィ。オヤジ達には無縁の祭り。。」

・二人して北方向へ良く飛ばし(六文銭)
・ハロウィンに出掛けた妻はそのまんま(アンリ)
・謝罪する人の多くは良いスーツ(名人・アキちゃん)
☆タケシのヒント!
「目の付けどころ、さすが名人のアキちゃんさんです。ただ1点『人の多くは』というところが、大変正確な表現ではあるのですが、弱さになっています。ここはズバッと言い切ってしまいましょう。『謝罪する人が着ている良いスーツ』」

・脳停止川柳始め脳回転(ポテコ)
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                                                      ポテコさんのファクス

・セ界より政界に要る下剋上(名人・入り江わに)
・あるかしら野党有利の選挙制(名人・りっちーZ)
・築50パーカッションになった家(爽抜天)
・地球儀を廻して平和探してる(瀬のしろ)
・行くたびに様子みましょう言うお医者(のりりん)
・体型が中八っぽくなってきた(名人・ユリコ)
・選挙後は野党に群れる政治記者(つや姫)
・濁点を取ると気泡と化す希望(北の夢)
・選挙戦敗れそれぞれ別のさや(名人・どんぶらこ)
・重ね着で体型隠す冬が来た(名人・光ターン)
・福岡に鬢付け油香る秋(名人・酔とぉよ)
・介護とは親の入れ歯を洗うこと(かたつむり)
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かたつむりさんのファクス
  
・リセットも自分ファーストなんですね(名人・雷作)
・時どきは都会の空気す吸いに出る(名人・けんけん)
・スランプへ緑浴びよと風が呼ぶ(重田愛子)
・都議会のドンを下ろして知事がドン(外科系)

本日の秀逸!・築50パーカッションになった家(爽抜天)
おめでとうございまーーす!!パチパチパチパチ!!
2席・地球儀を廻して平和探してる(瀬のしろ)
3席 ・介護とは親の入れ歯を洗うこと(かたつむり)

【お知らせ】
いきなりですが、不肖・水野タケシ、この12月から、東京新聞読者と中日新聞読者に配達されるフリーペーパー2紙で、川柳コーナーの選者をつとめることになりました。
地域限定の川柳コーナーですので、全国からご投稿いただけないのが残念なのですが、その地域にお住まいのお知り合いにご推薦いただけると嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします!!
1つ目は、東京新聞用フリーペーパー「暮らすめいと」の『ときめき川柳・新鮮組』
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こちらは、関東と静岡の方限定です。
お題はなし。作品は随時受け付けています。
秀作には図書カードを進呈します。
2つ目は、中日新聞用フリーペーパー「ローズ」の『ローズ川柳』。こちらは、名古屋の方限定です。
お題「夢」。1月10日締め切りです。
秀作には図書カードを進呈します。
詳しい投稿先などは、私のブログ「水野タケシの超万能川柳」をごらんください!!
メールでも投稿できますので、どうぞお気軽にご参加ください!!

【放送後記】
女子大生インターンシップの純加(すみか)さん、本日は学園祭の準備ということでお休みでした。
皆さん、さっそく純加さんネタをありがとうございます!!
来週は来ると思いますので、ぜひまた純加さんへのエールや作品をお願いいたします!!

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                                タケシ拝

◆11月8日放送分の内容です。

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 演劇部のスミカさんもめでたく復帰!!       
                  
ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
11月8日の再放送の音源は、こちらから!https://youtu.be/zEn5FlNYk5Q 

【質問コーナー】
川柳をはじめ短歌や俳句など投稿する時に「未投稿のものに限る」とありますが、次の場合はどのように判断されますか?
私は個人でもBLOGを行っていて、自分の句を書き込んだりしますが、こういう句も投句済みと判断されるのでしょうか。(パリ・パリっ子さん)
※回答の音源はコチラ!!https://youtu.be/zEn5FlNYk5Q 

【今週の一句】
今週は124句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・身震いは寒さじゃなくて座間事件(つや姫)
・民進は御託ならべて三又に(昔のジョー)
・議員さんもう公約ら忘れてる(入り江わに)
☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「ラジ川。座間のおぞましい事件、関心は高いが、川柳で扱うには難しいよう。トランプ・イバンカ来日ネタは豊富。ただ切れ味はいまひとつか。イア~ンバカッン♡で57億!を超える句は出ず。ボツの壺は入り江わにさん『ばあちゃんのインスタグラム孫祭り』私の帯状疱疹の写真じゃインスタ映えしないかァ。」
・ふんふんと似ているようなふふふぅ~ん(キャサリン)
・書き損じ見込んで発注年賀状(キジバト交通)
・妻の顔なまはげよりも恐ろし良(ラジゴ)
・ふと見せる笑みも不気味に映る今(龍龍龍)
・なあ酒よたまには平和語ろうよ(瀬のしろ)
・辞める前守れなかった社是を見る(はる)
・面食いで選びに選びまだ独身(ひとり)(あまでうす)
・いい額に入れましたねとほめられる(名人・荻笑)
・笑いじわ増えて病を忘れさせ(やんちゃん)
・跳ねすぎを筋肉痛に叱られる(でんでん虫)
・ユーカリの香りの中で君と逢う(平谷妙子)
・一線を引いて顧問に倉持氏(春爺)
・国難を突破したので先ずゴルフ(名人・てっちゃん)
・小遣いをあげたらおつりくれた孫(名人・けんけん)
・生きてみてきっと良いことあるからね(名人・アキちゃん)
・ラジ川で愚痴を晴らして良く生きる(名人・酔とぉよ)
・パソコンに向かって病名告げられる(司会者・あさひろ)
・口惜しいがホークス勝ってホッとする(名人・雷作)
・イバンカ氏トランプさんのどの札か(アンリ)
・アレソレと固有名詞が出ぬ会話(爽抜天)
・殺人のニュースに慣れていく恐さ(のりりん)
・残り香に面影浮かぶ朝帰り(不美子)
・イバンカにお金を貢ぐアベ総理(フーマー)
・今だけと知らずちやほやされている(名人・りっちーZ)
・平和って当たり前だと思ってた(名人・ユリコ)
・よくやった誉めて心で悔し泣く(パリっ子)
・ドラマよりすごい事件を見る気なし(六文銭)
・朝抜いて食べたラーメン三杯か(ポテコ)
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ポテコさんのファクシミリ

・あの日からあなたが僕のココに棲む(名人・どんぶらこ)
・二万人警備揃えて客一人(名人・光ターン)
☆タケシのヒント!
「過去20年で最大規模になる2万人体制で警戒していた、初来日のトランプ大統領を詠みました。さすが名人、お手本になる一句です。まず、『二万人』という大きな入り方が良い。対照的な『客一人』というまとめ方もお見事。句の余白から皮肉が伝わってきます」

・平成もラストスパート30才(鵜野森マコピィ)
・第4次危ない閣にならぬよう(外科系)
・このへんがあったかいねと人の恩(初投稿・豊国屋の奥様)

本日の秀逸!・生きてみてきっと良いことあるからね(名人・アキちゃん)
4回目の秀逸、おめでとうございまーーす!!パチパチパチパチ!!
2席・二万人警備揃えて客一人(名人・光ターン)
3席 ・一線を引いて顧問に倉持氏(春爺)

【お知らせ】
相模原大豆と地酒のセレクトショップ、相模原の「豊国屋」さん。
その豊国屋さんの新商品、相模原大豆を使った柿の種のネーミング、2日のタウンニュースで、そのネーミングがお披露目されました!!
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新商品名「SOYヤー!柿の豆。」掛け声のソイヤと大豆のSOYが掛けてあります。
それと柿の種ならぬ豆ですね。
たくさんの方から応募いただき、本当にありがたいです!!
改めて御礼申し上げます!!
相模原大豆のイソフラボンいっぱいの、お茶うけに、ビールのお供に、甘辛パンチのきいた「柿の豆」です!!
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小袋8個入りで、税込399円。豊国屋さんでは、通信販売もやっていますので、「食べてみた~~い!!」というアナタ、ぜひお問い合わせください!!
「タケシさんの川柳仲間です」と言っていただければ、豪快な笑い声で話好きの豊国屋さん、
美人でやさしい奥様、きっと良くしてくれると思います!!
046-251-0048までお気軽にどうぞ!!
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【放送後記】
帯状疱疹のあさひろさん。痛みで眠れない夜もあり、 歩くのもつらそうですが、それが放送に出ないのはさすが!です。
皆さんからの温かいエールもあさひろさんの薬になります。
一層の応援をよろしくお願いいたします!
                                タケシ拝
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」http://ameblo.jp/takeshi-0719/ 


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雑記帳2017-11-15 [代表・玲子の雑記帳]

2017-11-15
お金の変遷をたどると歴史がくっきり、貨幣博物館。

日本橋は日本銀行の真前にあるのは貨幣博物館です。古代から現代までのお金にまつわる展示はなかなか見ごたえがあります。10月末、金融広報委員会の主催するバス見学会に参加しました。

貨幣博物館2.jpg
博物館正面入り口
ガルーダ2.jpg
入館するとすぐ目に着くインドネシア中央銀行からおくられたという巨大なガルーダの像(職員に聞いてもそれ以上の意味はないらしい。)

入口で入念なボデイチェックをうけて入館。
時代をおってお金にまつわる展示物を見て行くと、そのまま日本の社会史になります。
律令に基づく中央集権国家をめざした日本では、7世紀末から10世紀半ばまで、富本銭と呼ばれる銅製のお金がつくられました。708年に鋳造された和同開珎はその代表です。
平城京ではすでに国家が管理する市で、給料として手にいれた銭貨を使って食糧や日用品を購入していました。地域によっては米や絹、麻布などがお金の代わりをしました。
10世紀になると、材料となる銅の生産量が減少、銅銭の発行はなくなり、米や絹などが引き続きその役割を果たしました。

12世紀になると、中国の銭貨(渡来銭)が広く使われるようになりました。当時の日中貿易のは輸出は金、銀、硫黄、水銀、木材に対し、輸入の多くを占めていたのは陶磁器にならんで銭貨でした。
13世紀以降、商品経済の発展とともに、銭貨の使用が浸透していきます。年貢も生産物をそのまま納めるのではなく、代わりに銭貨で納めるようになりました。人々は銭貨を得るために地方の市で生産物を売却し、各地で新たな特産物がうまれました。

この時代、すでに、「徒然草」には、今に通じる金持ちの心得が書かれています。
 ①人間世界は常に移り変わる無情なものと知りなさい。
 ②自分の欲求に用心し、いつでもかなえようとしてはいけない。
 ③銭貨を主君や紙のごとく尊びながら使用する
 ④恥ずかしい目に会っても恨まない
 ⑤正直を心がけ、約束を守る

国として貨幣の発行が再びはじまったのは江戸時代です。
日本銀行本店の場所にあった金座では金貨が、銀座で銀貨が、各地の銭座では銭貨が作られました。16世紀、日本国内における金銀の生産量は鉱山開発と技術革新のもとで飛躍的に増大、銀は海外に輸出されるようになっていたのです。
大坂、江戸、京を中心に両替屋は異なるお金の交換をおこなったほか、預金や貸出、決済など今日の銀行と同じようなサービスを提供して、江戸時代の商品流通を支えました。「金は天下のまわりもの」という考えが定着したのもこの時代です。
江戸の大判小判とともに展示されている、秀吉の発行した天正長大判の大きさと輝きには目がくらみそうです。

日本初の紙幣は17世紀初めに伊勢の商人によって発行された山田羽書(やまだはがき)と言われていますが、その後、多くの藩が藩札を発行しました。透かしや隠し文字をいれるなど、現代の紙幣に通じる偽造対策がとりいれられています。

そして近代。1856年、各国と通商条約を結んで世界市場に参加した日本は、近代化への道を歩み、明治政府は新しい貨幣制度を整えることになりました。1872年、日本銀行と「円」の誕生です。しかし、不平等条約の下では、金貨の流出も招きました。
1897年に導入された金本位制は、第一次世界大戦、金融恐慌を経て、1931年に管理通貨制度へ移行したと学校の歴史で学んだことははまだ記憶にあるところです。

参加者から「使われなくなった旧紙幣や硬貨をもっているけど、プレミアが付いて高く売れることはあるのかしら」との質問に、「100年以上経てば多少の値段はつくかもしれませんが、少なくとも自分が生きている間に値上がりすることはありません。1万円は1万円です。」

同時開催されていた企画展「19世紀日本の風景・錦絵にみる経済と世相」では、貨幣を通して描かれるランドスケープと称し、「オカネカラミエルオモシロニッポン」が紹介されていました。幕末から日本銀行設立までの貨幣・経済の様子や、芝居絵などの日本の風俗や文化、さらには大黒天など幸福と富を願う縁起物を描いた錦絵が並んでいます。わたしたちが思っているよりもずっとお金は身近な存在だったのですね。

企画展ポスター.jpg
企画展ポスター


21世紀の今日まで、わたしたちの生活を支える大切な役割を果たしてきたお金です。時代の移り変わりの中で、形をかえ、使われ方を変えながら、生き残って来たお金。使ってこそのお金だなあとの思いを強くしました。貰った資料にはこのお金の価値を安定させることが日本銀行の大切な仕事だと結ばれていました。

資料室は撮影禁止ですが、室外フロアの展示物なら可能ということで、いくつか面白いものを見つけました。

一億円.jpg
1億円の重さが体験できる一億円の束
2階フロア6.jpg
直系1メートルもあろうかと思われるヤップ島の貨幣


◆お昼は貨幣博物館のすぐ近くの築地で。短い昼休みに何軒もかけもちしたいと地図を片手に駆け回るグループや外国人観光客で、築地場外市場は相変わらずのにぎわいでした。

築地海鮮丼.jpg
築地に来たらやっぱり海鮮丼とばかり、ちょっとがんばりました。2,300円。


◆午後の見学場所は証券取引所です。かっては2000人の立会人でごったがえしていた立会場は1999年に東証アローズにうまれかわり、直径17メートルのガラスシリンダーの中で東証社員が市場監視を行うマーケットセンターも静かなものでした。

交通通信像.jpg
農業像.jpg
工業像.jpg
商業像.jpg
入口受付をはさんで農業、商業、工業、交通通信の4つの像がならぶ。それぞれを象徴する稲穂、蛇、ハンマーなどを手にしている。
証券取引所マーケットデンター.jpg
マーケットセンター
証券取引所上場の鐘.jpg
新規上場のセレモニーで打ち鳴らされる上場の鐘、五穀豊穣にちなんで鳴らすのは5回。
証券取引所中2階ボ^ド2.jpg
株券立会場のパネル。その日の見学団体の名前が張り出されるので記念に写真をとっていくそうな。

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私の中の一期一会 №155 [雑木林の四季]

        日本プロ野球初の“二刀流大谷翔平”がいよいよメジャーに挑戦する
  ~「お前がナンバー1だ」と言ってもらえたら幸せ。そういう選手を目指したい~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 プロ野球・日本ハムの大谷翔平選手(23)が11日、日本記者クラブで記者会見を開き、「このオフにポスティングシステムを利用してメジャー(MLB)に挑戦したい」という意向を正式に表明した。
 日本記者クラブの会見場には、海外も含めて200を超すメディアが詰めかけ熱気に溢れたという。
 ファイターズのイメージカラー、青いネクタイを締め、グレーのスーツに身を包んだ大谷翔平が現れたのは、11日の午前11時11分だったという。背番号と同じ「11」が並ぶ演出を偶然と呼ぶのは嘘っぽい。
いかにもワイドショー的で苦笑するしかないが、日本プロ野球の至宝の華麗(?)な転身を前に、メディアも興奮気味だったようである。
 大谷は前日10日に、ポスティングシステムによるメジャー移籍を球団に申し入れ、認められていた。
「来年以降、アメリカで頑張ることになったことを報告したい。約5年間日本ハムにお世話になったが、いろいろな人に支えられてきた。本当に日本球界には感謝の気持ちしかない。恩返しが出来るか分からないが、その気持ちを持ってアメリカで頑張りたい」と大谷は決意を語った。 
 大半のメディアの興味は、“アメリカでも投・打の二刀流を継続するのかどうか”にあったが、まだ所属球団も決まっていないのに明言出来る訳がない。その環境があれば、続けたい気持ちは持っていることは隠さなかった。
 プロ入り直後は、二刀流を現実のものとして考えていた人は少なかった。栗山監督、担当スカウト、大谷本人ぐらいだったという。「投手か、打者か。どちらかにすべきだ」という批判の声が渦巻いた。
 手探りだった大谷の二刀流は徐々に結果が出て、自信を深めていった。16年シーズンは、史上初めて“投手と指名打者”の2部門でベストナインに選ばれ、日本一にも輝いている。貫いてきた二刀流は、今や大谷の“代名詞になったと言ってもいいだろう。
「ファンは二刀流を見に球場に足を運んでくれた。期待してくれる人も多い。もう二刀流は自分だけのものではない」と断言できるまでになった。
 この傑出した才能はメジャーリーグ関係者の目や耳に届き、アメリカのメディアでは「日本のベーブ・ルース」と形容している。
 大谷が花巻東高時代からメジャーリーガーに憧れを抱いていたことは、野球関係者に限らず誰もが知っていることだ。だが憧れだけではメジャーとの距離は縮まらない。
 努力を続けたことによって、昨シーズンはファイターズの日本一に貢献することができた。この達成感が「やっぱりメジャーに行きたい」という気持ちを強くしたと打ち明けている。
 大谷は、“自分はまだ足りない部分の多い選手だ”という自覚も持っているが、“伸びしろがある今”だからこそ、自分を成長させる環境に身を置きたいと願うのだ。
 アメリカでの窓口は大手エージェントの「CAAスポーツ」で、ネズ・バレロ氏が代理人を務める。
青木宣親(メッツからFA)、田沢純一(マーリンズからFA)らの代理人もバレロ氏である。
 大谷は6日にバレロ氏と都内で対面し、正式に契約した。
 大谷翔平には“世界一の選手になりたい”という夢がある。バレロ氏と共に「自分を磨くのに適した球団」を選ぶつもりだ。
 世界一の選手を目指いていくうえで、「必ず通るところ、それはワールドシリーズだ。野球をやっていく上でこの最終目標を是非経験したい」と抱負を語った。
 メジャーリーグは昨年、ドラフト対象外の外国人選手が25歳未満の場合、マイナー契約を結ぶという労使協定を成立させた。今23歳の大谷は、日本を代表する選手なのにマイナー契約しか結べないことになった。契約金が抑えられるのは承知の上で、敢えて今のタイミングを選んだのは、少しでも若いうちにという思いがあるからだろう
 大谷としては、金額交渉よりも「二刀流挑戦」や「プレー環境」を優先する意向が強い。バレロ氏もその考え方に沿って最適の場所を探すことになっているという。
 現代の野球は完全な分業制で成り立っている。投手は“先発”、“中継ぎ”、“抑え”と役割が明確に分かれる。投手一本でいくなら次の登板まで4,5日の間隔が与えられるが、二刀流に休養日はない。
 日本と違って広大なアメリカでは遠征の距離が長い、気候だって違う。身体への負担は日本の比ではないに違いない。何を置いても、まず“メジャーの環境”に慣れる必要があるだろう。
 メジャーリーグのブルワーズで、二刀流の経験があるブルックス・キーシュニックは「こちらで両方やらせてくれるところはない。大金を稼ぐ奴なら、まず無理だ」と断言している。
 両方やるといろいろなことが起きる。「自打球で骨折でもしたらどうする? 100マイルを投げられるなら、投手をやらせたいと球団は考える筈だ」と話した。
 NHKのMLB中継で解説を務めた高橋直樹氏も「大金を出して獲得する選手にリスキーなことはさせない。どのチームも年俸の高いスラッガーはDHで起用している。守る場所があるだろうか。投手として可能性があるのだから、打者は諦めた方がいい」と私見を述べている。
 2006年10月、ホークスとのクライマックスシリーズ、ファイナルステージ第5戦の札幌ドームは、大谷の165キロにどよめきが起こった。日本プロ野球史上の最速記録がマークされた瞬間だったのだ。
 知将として知られる野村克也氏も「俺ならピッチャーで使う。バッターにはいつでも転向できる。165キロを投げる選手なんていないから・・」と話している。
 メジャーでの二刀流は「二兎を追うもの一兎をも得ず」にならないとも限らない。
 ダルビッシュの言う「ナンバー1になれる可能性があるとしたら投手だ。その可能性を取るべきだろう」のコメントには説得力があると私は思った。
 日本ハム5年間に大谷は、通算85試合に登板して42勝15敗の成績を残した。543イニングの通算防御率は2.52である。2015年は22試合に登板、15勝5敗、15勝のうち5試合に完投、完封勝利3という記録は立派なものとしか言いようがない。
 一方、打者としては通算403試合に出場した。1035打数、296安打、打率286、打点166、本塁打48本である。
 身長193センチで97キロ、2012年のドラフト1位は、「ファンにお前が1番と言ってもらうことは幸せ。そういう選手を目指したい」という言葉を残して、いよいよアメリカへ飛び立つ。
 どの道を行くにしても“息の長い活躍”を期待してやまない。


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浜田山通信 №205 [雑木林の四季]

パラダイス文書

              ジャーナリスト  野村勝美

 ことしもあとひと月半、まだ何があるか予測不能だが、これほど嫌なニュースが続いた年はない。この一カ月でもトランプが日本海に原子力空母3隻を並べ北朝鮮を脅しながらアジア各国を回った。毎日毎日メデイアは韓国、中国、ベトナム、フィリピンからトランプ、習近平らの発言と彼らの胸の内を勝手に推測し、それぞれがワケ知り顔でああでもない、こうでもないとコメントする。アベさんは何が何でもトランプさんの腰巾着としてくっついていくのだから、批判をしない、する気もないのなら、おとなしく事実関係だけを報道していればよい。
 国内では何とも気持の悪い、かわいそうな神奈川県座間市の事件。10月31日に見つかって半月もたつのに新聞の見出しは「座間の9人の遺体」事件でもやもやしている。過去に大量殺人事件はあったし、戦前には「死のう団事件」なんてのもあったと記憶しているが、SNSを使って被害者を呼びよせ即殺してバラバラにし、棄てるなど普通の人間なら思いつけない。精神障害なら罪にならないのか。私にも同じ年頃の孫娘もおり、どうにもやりきれない。
 もっと大きく扱ってもらいたいのは、例の「パラダイス文書」。タックスヘイブンの大量の顧客データを国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が公開した。去年パナマ文書が発表されて世界の金持ちはうまいことやっているなあと感心させられたが、パラダイス文書の中身はケタが違うらしい。全部で1340万件、47カ国127人の大金持ちの名前がでてきた。イギリス・エリザベス女王の個人資産がタックスヘイブンの投資ファンドで運用され、投資先には年率99、9%の高率を課す家電小売会社などが含まれていた。カナダのトルドー首相のお友達(元上院議員)もケイマン諸島の信託に投資し、首相の自由党の資金源になっている。歌手のマドンナ、投資家のジョージ・ソロス、日本では鳩山由起夫元首相の名前もあった。
 とくに問題なのは、フェイスブック、ツイッター両社にロシアのプーチン政権からタックスヘイブンのファンド経由で、数億ドルの資金が流入したほか、ロシア政府直系のガスプロムも英国バージン諸島にある事業体に投資している。プーチンの娘婿が役員の石油化学大手は、トランプ政権のロス商務長官と関係が深い企業と取引があり、トランプの娘婿クシュナーもロシア側から資金を得ている。
 NHKの調べによると税金逃れで失われた金額は一年で58兆円に上るそうだ。私は経済や経営オンチの最たる者でいくらそれらのニュースを聞いてもよくわからない。日本の株価はバブル崩壊後の最高値をつけたというが、、景気がよくなった実感は全くなく、世界の1%の金持ちが富の50%を持ち、その割合はますます拡大していくことだけは納得がいく。トランプについていっても、彼らはプーチンや習近平らとうまくやっていると思わざるを得ない。

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パリ・くらしと彩りの手帖 №131 [雑木林の四季]

  もう一度、今パリの大美術展で言い残したことなど

          在パリ・ジャーナリストー嘉野ミサワ

フランスのあるテレビ局で起きたこと
 フランスで見るテレビ放送局の女性たちは思い思いの服装で、時にはきっちりとした姿で現れ、時にはかなり大胆な服装で、中が見えてしまうじゃないのという感じだけれど、今回問題になって外された二人組がある。それは体の中身は足以外はよく包んでいるのだが、(足なぞ、皆なが十分出して歩いているし、とくにパリでは暑い時には腿の付け根まで見せている)今回の二人は、むしろ包んだ中身を、ホットに見せようというのか、体の線にすっかり沿った服を着て登場したというのだ。見せるよりもキレの上から感じる度合いの方が、目に毒だということらしい。動かない写真ならあまり刺激もないことだろうから、私のところに入ってきたニュースからちょっと失敬して、お目にかけることにした。この写真の服と、いつも見ている胸の奥まで伺えるような切り込みの服とどうちがうというのでしょう!

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アブダビに生まれたルーブル美術館

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 とにかく次から次えと始まるパリのこのシーズンの大展覧会、是非是非あなたの目で見て欲しいものばかり。好きな人にとってはそれだけでパリに来る価値があるというもの、と言っているうちに、アラブの中の重要国であるアブダビでは数日前にルーブル美術館がオープン。もちろんパリのルーブルではなく、その一部というわけでもないものだが、文化によっても国を世界に示したいという願望だろうが、その新しい美術館の名前にどうしてもルーブルというのを入れたいとフランスと散々議論が続いたのだ。あちらの言い分としてはこの国の人々は、ル-ブルという言葉こそ美術館という意味だと思っているから、この部分がなくては美術品を見るところとは思わないから、どうしても必要だ、という説明で、フランスと長い話し合いがあったことは知られている。その間に、肝心のフランスのルーブルはその宏大な館内で、数世紀前からこれらの東の国々からから来ている宝物がよりよく見られるようにと模様替えをしていた。アブダビの方は、フランスの高名な建築家に超モダンな建物を依頼して、間には、この美術館がすでに収集している美術品の展覧会を、何とあのルーブルでやったり、今までの常識では想像さえできないようなことばかりが起こったのだ。その中には、このところフランスでも知られ始めた、そしてそれまでも関西方面ではでは知られていたという、天井からの紐につかまって、足でバケツの中の絵の具をカンバスに叩きつけて製作するという、日本人の画家の絵までが、そのために、一時、ルーブル入りをしたのである。これらの国とフランスとの裏に何があるかは私は知らないが、何もないということはあり得ないとだけは言えるだろう。こんなと時も時、ルーブルにこそあるべきものが何世紀の間か、アメリカの収集家のもとにあって、それが今、競売に出るということで、フランス中が必死になって寄付集めをしているところ、そんなことも関連してくるのではないかと考えてしまう。大事なことに使われるならば、綺麗なことばかり言って何もしないよりいいことだろうと思うのは私だけだろうか?それは頭の中が、古臭く、狭い人間の思うことなのだろうか?このアラブの国では、王様の長男はデラックスヨットで世界の海をまわっているというが、もう一人の息子は、女も車を運転していいことにしようとか、あの顔を包むベールはいらないなどといろいろ男女が同じという考えを持っていると聞いている。他のことは昔からのしきたりどおりでいいと考えているようだから、兄弟の間に揉め事が起きないことを祈るよりなさそうだが、時間をかけて、変わっていく、静かに、焦らずに、いい方向に行こうとしているのは何より。それが実現するにはどのくらいかかるのか、疑問ではあっても、慌てず、騒がず変わっていくことを、私たちは見守っているばかりだ。

2017年の マルセル・デュシャン賞

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マルセル・デュシャン・コンクールで受賞した作品

 今はグランパレ美術館の付属館のようになっている上院議員の建物の中の美術館では、現在リューベンス展をやっているが、1年ほど前にベルギーのリューベンスの家と美術館を訪れたのと比べては当然のことながらフランス人にはいい機会だろう。
 一方、ポンピドーセンターに戻ると、フランスのマルセル・デュシャン・コンクールで70人以上のアーテイストが競って4つの作品が選ばれ、ずっと展示されていた。そして、その中からこの受賞作品がきまったという発表があった。これはフランスの芸術を世界に広く知らせたいという願望から2000年に創られた賞で、ここフランスの地で制作している作家なら全ての国の人が競えるもので、受賞作は決まってコレクターたちによって買われることになっているし、フランスの美術愛好家たちが大変関心を持っている賞と言えるだろう。今年、2017年の受賞者は、Joana Hadjithomas  とKhalil Joreige の二人のレバノン人の作品だが、この二人は、スクリーンの仕事もいつもいっしょなのだという。そして受賞挨拶はすべてジョアナの挨拶で終わった。この賞を受けると、今後生まれる創作も次々と心優しい、そしてフランス世界一の心がけの美術愛好家たちが次々と買ようになっているからアーテイストにとって大いに嬉しい賞なのだということもこの時、隣に座ったメンバーの女性から聞いた話だ。そう言っても、この賞は、私自身も関心を持っている賞で、フランスの現代美術の賞の中で、大いに待たれるもののひとつには違いないのだ。

アンドレ・ドラン展:これも同じポンピドー・センターで 
 
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 アンドレ・ドランは20世紀の初頭、フォーヴィスム(野獣主義)とキュービスム(立体派)の二つの美術の流れを生んだ画家だといえよう。この人の作品は今でも時々見る機会はあるが、今回のように年代と流れをしっかりと頭に入れられるような展覧会を見るのは珍しいことだ。というか私にとっては初めてなのだ。何の説明もいらない、まさに正真正銘という感じで気持ちがいい。
 ある時は時代によって、ある時はカテゴリーによってまとめられ、余計なもののない地味な色調の壁にしっかりと並んでいる。それは、今時には珍しいし、気持ちの良いものである。1880年生まれのドランが物心つく頃には20世紀初頭、こうして若者が絵を描き始め、マチスやヴラマンクなどを知り、とくにマチスと仕事をしてから、フォーヴになったと言われる。絵の全体を重視し、細部にはこだわらず、思い切った線でまとめ、フォーヴな表現をしたのだ。当時として、実に勇気ある作風だったとも言えよう。綺麗事ではなくて、レアリスムをもとめた結果、あのような作風、原始的な作風になったと言われる。今回、70点の絵。そして多くの彫刻、彼の持っていたいろいろな資料も同時に展示して、この作者の道のりが窺えるような展覧会だ。この会場で見るだけでも、私には今まではっきりとは映らなかったこの作者の行った道が感じられる展覧会だといえよう。私には、そういう役目を持っているように思えるのだ。
 まず写真を見てもらいたい、いや、出来れば、展覧会そのものを見てもらいたいと思ってしまう。美術愛好家は、いい時期に合わせてパリに来ればいいのだ。切符は全部インターネットでとっておけば行列する必要もないだろう。1日に二つ展覧会をみるとして、3日もあれば目的は果たせるはずだ。あとは行き当たりばったり、思い掛け無い収穫もあるだろう。

◆???
 さて、ポンピドーでの展覧会だが、アンドレ・ドランの展覧会のような作品の並べ方を見ると、大体は年代順であり、作品が何かのテーマを意図しているのであれば、それが素直にこちらに伝わってくるような展示がいい。こんな展示のやりかたに慣れて育った私の世代だからだろうか。ポンピドーセンターが気に入っているのもそんなこともあるのかもしれない。何しろ何も知らない子供の頃イタリアの数世紀前の絵や彫刻にお小遣いの全部を捧げて印刷を買ってくる従兄妹が居て、そんなあたりから、ダヴィンチだとかモナ・リザなどというものを知ったのだし、この人の妹の画家は勇気があって、芸大などで、裸のモデルをやったりもしたそうだし、私が高校の時には放課後の自由活動で、美術を選んだが、またこの先生夫婦は私がフランスに来るよりもずっと先にイタリアに移り住んで制作に励んでいるということだった。私の父は作家と言っても小説は1回は書いてみたがあまり読まれなかったのだろう、2冊目というのはなかったから。でもこの小説らしきものの題は、私が生まれた村を舞台にした「三沢村日記」だが、これで、小説を書くことを諦めたのかも知れない。「三沢村日記」といっても娘のミサワはどこにもいないような本だったのだ。子供時代に読んでみたが文明とか思想とかの方向にばかりで、母のような女性が憧れてその作家に会うために親の反対も聞かずに札幌から飛び出して東京に行ったのだと聞いている。もっとも母の叔父が、東京で雑誌の編集長をやっていたから、どこかに安心感はあったことだろう。それに札幌高女時代の上級生が画家で、彼女を何枚も描き、東京に行ってしまった。そして、続いて上京するようにと言っていたというから、それも影響したのかも知れない。その人が書いた、彼女の肖像画はパリにも持ってきて大切に壁に掛けられていたのだ。母は逝ってしまったが、この絵は今も大切にかかっている。母と別れて飛び出した父はやがて、女性と一緒にいると聞いたが、その母が、父のことを悪く言うのを聞いたことは一度もない。いい思い出だけをとっておいたに違いない。そして父が死んでしまうとそのお墓のデザインと、彫ってもらう言葉を私に託して、父が大好きだった真鶴の高台、下に真鶴の岩が見えるところが父のお気に入りだったので、父と小学校がいっしょだったという坊さんのお寺にお墓を作ったのだ。私が選んだ言葉は、父の本の題の「文明の没落・土に還る」から後半をとった。そして、今二人は一つの枠の中で収まっている。私が学齢期になるとき、母は父に強く結婚を迫ったと聞いた。父はこの願いを拒否して、すぐ近くのアパートに移った。結婚だけはしないと言っていたそうだ。わたしが父の本を読むようになって、結婚というタイトルの中身を知って、書いたことにそぐわない生き方をすることは自分に許せなかったのだと理解したのだった。

 さあ、12月に入って始まるのが、フランスの彫刻家セザールの展覧会、そのオープニングが彼がこの世を去ったその日に当たるのだという。19年前のことだ。巨大な親指を作ったり、自動車を次から次へと圧搾して彫刻としたり、常に話題に事欠かかさせない彫刻家だった。その頃の彼は学校でちょうど、学生と助手の間位の存在だったが、パリの美術学校で昼間に寝間着をまとっているのをよく見かけたものだ。彼のアトリエなのか住まいだかわからないうちにも行ったことがある。19年経って、初めての大展覧会だろうから、考えてみれば不思議な気がする。今大いに期待しているところだ。


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気楽な稼業ときたもんだ №68 [代表・玲子の雑記帳]

終章 まだまだ現役

          テレビ・プロデユーサー  砂田 実

 仕事への復帰を模索していた僕は、やはり音楽周辺で生活していくしかないと思っていて、その機会を待っていた。
 こういう時、納得いかない仕事に手を出してはいけないという知恵だけは、結構しんどかった一時期で学習していたから、あまりあせらなかった。六十八歳で倒産し、再び業界に這いあがってきた者としては、本当はおおいにあせりまくらねば追いつかないはずなのに‥…・。だが、
「そのうちなんとかなるだろう」の精神である。

 そんな時期に、僕の心をおおいに揺さぶる存在が現れた。
 もう二十年近いお付き合いになる中村若樹さんという実業家の友人から、「自分の甥で、五歳の時に父親の赴任でオーストラリアに渡ったバイオリニストの青年がいる。彼は自分の心象風景をオリジナルの曲にして演奏している。どうしても日本デビューを果たしたいのだが、力になってくれないか?」との依頼が寄せられる。
 その青年、マサキは、自分自身のアイデンティティを追い求め、その心情を素直に曲にしていた。デモテープを聞いて、そのピュア感あふれる旋律と、なかなかのバイオリンテクニックにさらに興味を持った。しかし、この手の話においそれとは乗る気はしない。というのは、下手をするとその人物の一生を支配しかねない責任が生じるからだ。だが、こ話にだけは義理を超えた魅力を感じた。
 マサキの曲作りを補佐する、情熱的なマネージメント能力の持ち主、ソード紫須華とともに会うことになった。紫須華はイギリス人の夫君と、とてもチャーミングで頭のいい大学生になったばかりの娘との三人暮らしで、三人の家族共々マサキを応援し支えている。

 初対面の約束の日、渋谷の交差点近くの路上で、中村さんとともに僕の車で彼らを待つ。約束の時間に二、三分遅れて、車のバックミラーに息せき切って走ってくる二人を見た。僕はそれだけで、ともに世に出るための伴侶になろうと直感的に決めた。笑顔いっぱいで走ってくるマサキと紫須華には、人を強力に惹きつけるオーラと魅力があったからだ。
 僕は、協力を依頼する現役の音楽プロデューサーを考えた。ほとんど迷うことなく一人の男の顔が浮かんだ。木崎賢治である。渡辺プロ時代、圧倒的な力を持ったオーナー社長である渡辺晋に、ゆったりした物言いで臆することもなく本音をぶつけた男だ。沢田研二の大ヒット曲の数々を生み出し、渡辺プロを卒業後独立した後も、KAN、バンプオブチキンと、還暦を迎えた今でもカリスマ的な音楽プロデューサーとして、ヒット曲を作りつづけている。ナベプロの会議室での彼と社長とのやりとりを聞いていて、この男とはいつか一緒に仕事をしたいと思っていた僕の希望がここで叶えられる。木崎の直属部下の浅田君も熱心なパートナーとして参加してくれ、プロジェクトチームはできあがった。
 マサキは少年がそのまま大人になったような男であるが、意志の強い魅力あふれる青年である。趣味は、なんと野菜作り。よく自室にこもり、鉢に植えたトマトの苗に話しかけているというエピソードそのままの青年である。既存のニューミュージックやJPOPの歌い手と同じように、三年間はライブハウス活動を積み重ね、着実にファンを増やしてからホールコンサートにレベルアップし、本格的なデビューをしようという木崎の提案に、彼と紫須華は素直に従い、予想どおりの結果を出しつつある。
 平成二一年(二〇〇九)七月、銀座王子ホールで行なわれた初めてのホールコンサートは、かなりレベルの高い聴衆で満席になった。なにより喜ぶべきは、スタート時は知己を頼りに手売りをしていたライブチケットだが、このコンサートで初めて半分の席をチケットぴあに依頼し、それがすべて売れたことだ。
 僕はこのチームのリーダーと言えば聞こえはいいが一生懸命伴走しているだけの話である。
 王子ホールのコンサートは感動的でさえあった。何回かの挫折を味わいながらも努力を積み重ねてきたマサキと紫須華に、共感というより、むしろ感謝しながら、くり返される熱狂的なアンコールに涙した。
 倒産から八年、僕は初めて仕事の上で幸福に満ちた充実感を味わった。僕の年齢での“現役〟の在り様はこういったものだろうと思う。けっして短くない今までの人生で、初めてその生き方の判断を間違えなかったような気がする。
 新しい伴侶も得た。四度めの結婚である。彼女は、男社会の金融業界でカリスマ的なファイナンシャルプランナーとして名を成した人である。目標を高く持ちそれを成し遂げる意思の強さを持つ人だが、細やかな優しさも失わない人である。生きてきた世界が違うため、互いに尊敬しあい刺激を受けあっている。

 「人と人との出逢いの妙」
 「そして一人一人の出逢いを大切に」
 「“現役〟における生き方がその人間の〝現役″をさらに延長させる」
 僕がまだ血気盛んな頃だったら、つまらぬことを言う老人の物言いと一笑にふすだろうが、ありきたりな物言いをあえてしたい。僕の尊敬する浅利慶大は、僕とほぼ同年であるにもかかわらず、劇団四季の海外進出という未来を語り、僕とまったく同年の作曲家すぎやまこういちも、いまだに徹夜に近い作曲活動と、全国を回るつねに超満員のコンサート活動で指揮棒を振り、「死んでいるヒマはない」という。
 もちろん人それぞれの生き方があっていいわけだが、やっぱり僕も多忙のまま死にたい。ある時に得意になり、ある時はこけつまろびつ、興味のあることだけに執着し、好きな人間だけと付き合っていければいい。だがその生き方は、それなりのエネルギーが前提となるだろう。

 僕の尊敬する一人に哲学者の木田元さんがいる。木田さんのエッセーの中に、「勝負事で『ツクかツカナイ』と言う事について 『無心の勝利』ということもないではないが、ツクのは大抵勝とうとして精神が極度に緊張している時である」と述べられている。
 僕は、さらに論を進めて、こう言いたい。
 偶然が必然に転ずる。どうもそのくり返しで生きてきた気がする。人生の最終章でも同じことがくり返され、それが僕にとって最高の必然をもたらしたということだろう。そういう人間を幸福な人間というのだろう。(完)


『気楽な稼業ときたもんだ』 無双舎




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BS-TBS番組情報 №149 [雑木林の四季]

BS-TBS 2017年11月のおすすめ番組(下)

                  BS-TBS広報宣伝部 

ザ・撃退!スズメバチ&迷惑生物から身を守れ

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2017年11月17日(金)よる7:00~8:54

☆スズメバチ、ハクビシン、アライグマ、コウモリ…迷惑生物を駆除するスペシャリストに密着取材!

スズメバチ、ハクビシン、アライグマ、コウモリ…迷惑生物を駆除するスペシャリストに密着取材し、住宅街に潜む危険生物の生態や被害の実態を明らかにする2時間番組。
軒下で見つかった直径60センチの巨大な蜂の巣!中には5000匹ものスズメバチが…!
さらに深刻な悪臭・騒音被害をもたらす「都市型迷惑生物」のハクビシンやアライグマ、異常繁殖中の外来生物キョンを追跡。
増え続ける迷惑生物から、どうやって身を守るのか?撃退法や被害を防ぐ方法を紹介する。

昭和の巨星スペシャル 吉田正
“いつでも夢を” 歌い継ぎたい我が青春の歌謡曲

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2017年11月18日(土)よる7:00~8:54

☆今なお、多くの日本人が愛唱する吉田正の至高のメロディーを2時間たっぷりと!

司会:宮本隆治
出演:橋幸夫・長山洋子・三山ひろし
VTR出演:竹山逸郎、中村耕三、鶴田浩二、松尾和子、吉永小百合・マヒナスターズ、フランク永井、美空ひばり
今もなお、多くの日本人が愛唱する吉田正の至高のメロディーを2時間たっぷりとお届けする。
貴重なVTRを交え、魅惑のメロディーに秘められた物語を没後20年を迎えようとする今、改めて発掘する。
スタジオゲストには、吉田正門下生のトップスター橋幸夫が出演!
吉田正との数々のエピソードを語っていただくとともに「潮来笠」、「恋のメキシカンロック」などヒット曲も披露。
そして、吉田正の名曲の数々は知っていても本人とは世代がまったく異なる後輩歌手・三山ひろしと長山洋子も出演!偉大な先輩が遺した伝説を知り、名曲を歌い継ぐ。

極上のクルー極ズ紀行 2時間スペシャル
「海に漂う高級旅館!瀬戸内歴史ロマンクルーズ」

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2017年11月19日(日)午後3:00~4:54

☆新クルーズ船「ガンツウ」の旅!人気歴史学者・磯田道史が瀬戸内の歴史ロマンの世界へ誘う。

ナビゲーター(ナレーション):高橋克典
出演:磯田道史

なんと室料は1泊40万~100万円!高級旅館のような新クルーズ船「ガンツウ」で日本三景の宮島などを周遊。人気歴史学者・磯田道史さんが、瀬戸内の歴史ロマンの世界へ誘う旅。
今回は、先月就航したばかりのクルーズ船「ガンツウ」で行く瀬戸内海周遊の旅。
木を贅沢に使い、ベッドからもお風呂からも海を眺めることができる客室は、まさに高級旅館そのもの!
ミシュラン2つ星の日本料理の名店が監修する食事も、獲れたての美味しい魚介類や地元の山の幸など、絶品のものばかり。
世界遺産・宮島では、数々の著名人が宿泊した名旅館に眠るお宝に、磯田さんが大興奮!
源義経の鎧や弁慶の薙刀などが奉納されている神社がある“国宝の島”とは?
満潮になると首まで海につかり、海からしか見られない珍しい鎌倉時代のお地蔵さんも。
人気歴史学者・磯田道史さんの旅の最中の話には、歴史に関するものだけでなく、いろいろな驚きの発見が満載!


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ロワール紀行 №65 [雑木林の四季]

水に浮かぶジュノオンソー 2

           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 初代カトリィヌ・ブリィソネ夫人
 トォマ,ボォイエは、シャルル八世、ルゥイ十二世、フランソワ一世と、三代の国王に仕えた財務官であった。
 彼の妻、カトリィヌ・ブリィソネは、その頃、この地方で富有を謳われたトゥールの金融資本家ジャック・サンブランセ二家の出だった。この景勝の領地に愛着を示したのも、彼女であるという。
 夫は、フランソワ一世のイタリア遠征に従い、何回もミラノやトスカァナに出かけ、財務官として軍用金の調達や出納を司った。
 留守勝ちの夫に替り、プリィソネ夫人がシャトオの建築に専念した。その指図で、この館はルゥイ十二世治下の後期、一五一三年からフランソワ一世の代にかけ、八カ年を費してできた。
 しかし、今日の姿に完成したのは、三代目の女戎主力トリィヌ・ドゥ・メディシスのときだった。
 ブリィソネ夫人は先ず、マルケ塔を今日見るようにルネッサンス風の装飾で改造した。
 この塔だけを残し、マルケの築いた城塞はすべて取り壊した。マルケ塔に相対して川の中にあった、風車の橋脚だったところを利用して、イタリア風の新しい主館(ロオジイ)を建てた。
 その天窓に庇(ひさし)をとり付けて、装飾的にしたのも、フランスでは初めての試みだという。
 読書室の樫の格天井は、トオマ・ボォイエとカトリィヌ・ブリィソネのイニシァル、丁・B・Cをバタアン化した凝(こ)りようである。これはフランスのシャトーに現存する、唯一の最も古い様式だという。
 ブリィソネ夫人を最初として、この美しい典雅なシャトオは、四百年の問、代代、六人の女城主の問に受け継がれていった。
 王の国庫の管理を命ぜられていたボォイエは、一五二四年、ミラノで死んだ。その二年後、ブリィソネも世を去った。
 フランソワ一世は、相次ぐイタリア戦争による巨額な国庫の赤字を被の責に帰した。
 仕方なくボォイエの息子は、その代償として、このシャトオと領地を王に差出した。
 フランソワ一世は、この付近の森で好きな狩猟を楽しむときの狩小屋に使用したという。

 二代、ディ7ヌ・ドゥ・ポワチエ寵妃
 アンリ二世は王位につくと、十八歳も年上の寵妃ディアヌ・ドゥ・ポワチエに、このシャトオを与えた。
 父王フランソワ一世が、大勢の美女や貴族達を伴いここに遊猟したとき、王太子として随行した彼は、ここでポワチエを見染めたという。そのとき、夜宴に同席していた王太子妃カトリィヌ・ドゥ・メディシスは、女の直感で男心の動きを知った。宴の果てるまで、美しいポワチエは、醜いメディシスの嫉視に苦しめられたという。
 この二人の女性の長い争いは、その時から始まった。
 アンリ二世が王位に即いたのは、ポワチエを見染めてから二年目のことだった。
 とにかく二十三年間、一日の如く、王が恋い焦れた彼女は、美しかった。
 その頃の、或る女性の書いたものに、「彼女は七十歳だというのに、(実際は六十七歳で死んでいる)その美しい顔は、三十歳をちょっとでた位にしか見えなかった。少しも化粧せずに、その肌は雪のように白く、水々しかった。彼女は毎朝、煎じ薬か何かの薬を服用しているという噂だった」と、彼女の美と若さが、讃えられている。
 このシャトオの居間に、イタリア人プリマティシィオの描いた、彼女の肖像画が掛っていた。
 等身大、写実的な絵に見る彼女の印象は、冷智の女である。
 ポワチエはここに住み、この風雅なシャトオを、こよなく愛した。彼女は、川添いの森を切り開き、今日、ディアヌ・ドゥ・ポワチエの庭園と呼ばれる美しい庭を作った。
 その造園費をせがまれた王は、国中の町や村の釣り鐘に、二〇リィヴルの税金を課した。            
 ラブレェは、その狂態を皮肉って、「王は国中の鐘を、その牝馬の頸にぶら下げた」と諷刺した。

『ロワール紀行』 経済往来社


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バルタンの呟き №22 [雑木林の四季]

「デジャビュ?」

                 映画監督  飯島敏宏

 「デジャビュ?」
 おや、と思って、友人からの奥方逝去による喪中ハガキにお悔やみの返事を書きながら聞き流していたテレビに眼を向けた時には、すでに、求められたコメントを述べ終えた小泉新次郎自民党議員が、取り囲む記者団とともに国会の廊下を歩み去る姿が映っていました。
 思惑通り自民の大勝利で終わった今回の衆院選の結果、国民の信頼を得たということで旧臘のまま安倍政権の続投が決まった直後に開かれた自民党議員総会終了後、院内の廊下で待ち受けたマイクに囲まれた彼が、
「これほどの重要政策が、全く党議に懸けられずに閣議決定で施行されることは、議員軽視、政党政治の否定、ひいては、議会制度の崩壊につながる・・・」
と、かなり激越な口調で安倍晋三首相の独断的な政治姿勢を批判した最後に、突き出されたマイクから外れながら呟いた
「デジャビュのようだ・・」
という一言が、ボクの耳を捉えたのです。
 今回の衆院選挙で、小泉新次郎氏が、自民党のイメージ戦略上の大功労者であったことは、支持不支持は別として、否めない事実であることは、皆さんご承知の通りです。解散当初、希望の党という唐突な勃発に遭っての思わぬ躓きを挽回する為に、安倍首相が、メディアの取材を逆手にとって、積極的に各地の街頭に立ち、疑惑には触れず、国難、防衛、経済、政権党の実績、そして北朝鮮の脅威を声高に唱えたのですが、各選挙区で首相の応援演説を遙かにしのぐ効力を示したのは。若き小泉新次郎自民議員の直截、闊達な演説だったと言っても過言でないほどでした。絶対多数の輿に胡坐をかいた安倍首相に、少なからず不満を持つ人々にとって、同じ自民党でありながら、声高に安倍政権のあり方に異論を述べる凛々しさが、保革共に精彩を欠く候補者の中にあって、実に頼もしげに見えたのです。
  粛々、しっかりと、丁寧な説明、経済成長、安定、安心・・・まるで安倍首相のコピペのような決まりきった言葉しか使えない与党政治家の語彙の中に、突然、デジャビュなどと言う言葉が飛び出したので、おや、と思ったのです。
 デジャビュ。大辞典には、一度も経験したことのないことが、いつかどこかですでに経験したことのように感じられる。既視感。とあります。
 小泉氏の発言は、国政に関する重要案件が、政府与党である自民党に計られることもなく、安倍首相の一存で次々に閣議決定されている昨今の政情を評して、戦前の第二次近衛秀麿内閣から東条英機内閣に亘る、政党政治の破綻、議会政治の否定、首相の大宰相的専横独裁化、大政翼賛政治・・・といった第二次世界大戦(大東亜戦争)に至るまでの日本の政治態勢に照らして、それに似たような状況だ、と示唆したものではないかと僕は解釈したのですが・・・デジャビュとして、彼がそこまでイメージして警鐘を鳴らしているのだとすれば、全く顔の見えない今の自民党の中枢、若手議員の中にあって、支持するとしないとに関わらず、一目するに値するだけの政治的感覚と教養を具えた存在ではないか、と思ったので聞き耳を立てたのです。
 たしかに、1981年生まれの彼にとっては、戦前の日本の政情は、デジャビュにちがいありません。1932年生まれの僕たちでさえ、戦前の政情は、幼少から少年になったばかりで、経験したことのないこと、とされても仕方がないほどの実感しか持っていないのですから。
 僕の幼稚園時代は、まったく、政治に振り回されることのない世界でした。我が家の隣のカフェ(現在のクラブ・バー)には東京帝国大学(東大)の学生や、画家、文士(小説家)などがたむろして、ダンスに興じたり、ダミア「暗い日曜日」などの禁じられた歌を唱っていたりしていましたし、僕達の通っていた町のキリスト教会(新教)の幼稚園には、ロシア、イギリス、ドイツ、アメリカの子供も一緒くたに通ってきていました。世界的な大恐慌と言われた不況から漸く立ち直った昭和モダンの時代だったのです。
 横町の遊びには、汚わい船(糞尿を海に運ぶ船)に住んでいた朝鮮人の子も、同胞である半島人として日本人扱いで参加したし、台湾の高砂族は強健な日本兵士として徴兵され、日本で一番高い山と言えば台湾の新高山で(富士山は、最も美しい山)でした。(日韓併合、台湾領有)。イエスキリスト誕生のクリスマスの頃や、春先の復活祭の時期になると、教徒でもない横町のガキ大将も幼稚園にやってきて、プレゼントや卵を獲得していたものです。それが、僕が年長組になる頃には、いつしか、アメリカ、イギリスの子供が来なくなり、ジマ・トリイ・ソロキンというロシア名前のなかよしの子供も、何処かに越して行ってしまいます。
 やがて尋常小学校に上がる頃、富国強兵が謳われるようになりました。国語の教科書にも、ススメススメヘイタイススメがありました。修身では、キグチコヘイ(鼓兵)ハシンデモラッパヲハナシマセンデシタ。遊びも変わって、椅子取り競争やカゴメカゴメ、チャンバラごっこから、水雷艦長だの、兵隊ごっこに。それでもまだ、戦争は、遠い遠い、国から何百里も離れた遠くで行われていたのです。南京が陥落したといっても、美しく提灯や造花で飾られた花電車と、提灯行列のおぼろげな記憶しかありません。
 中学年になり、尋常小学校が国民学校に変り、紀元二千六百年の歌がしきりに歌われ始める頃になると、、大人たちの話の中で、アカとか、ケンペイ(憲兵)とかスパイだのと言う言葉が目立ち始め、体操が体育と呼ばれ、横町のベーゴマが禁止になり、コリントゲームにかわって、多くの駒に混ざっているコミンテルンという一駒を追い出す、面白くもない赤色スパイ排撃ゲームなどが与えられました。角隠しで花嫁衣装のお嫁さんのあいさつ回りについて歩いてお菓子にありついていた僕らが、町内から、お国のために出征する人を送る行列に加わり、日の丸の小旗を持って、万歳をしてお祝いに配られるお菓子を楽しむようになったのです。そのうちに、お菓子の中からまずチョコレートが消え、なにか混ぜ物のあるビスケットになりました。ウサギの糞で造ったらしいと言った子もいましたが、兄貴の話だと、蚕の糞で造られ、大層な栄養があるのだということでした。ゴムから造られていたチューインガムが、噛むうちに口の中で固くなってくる変な松脂製のものになり・・・ガキと呼ばれた僕達が、賢こく逞しい兵隊予備軍として教えを受ける少国民という存在になりました。
 総理大臣という存在を意識したのは、ラジオから聞こえる演説の上手な近衛秀麿さん(第二次)が初めてでした。それがやがて、軍人の東条英機総理大臣に変る頃には、兄貴たちは体力テストで、重い砂袋を担がされ、投擲を投げる(手榴弾」羽目になり、僕たちは、毎朝登校は分団ごとに班長に率いられてゆき、母親たちは、防火訓練に駆り出されるのでした。兵役検査で、疾暦ありの丙種合格だった父親も、徴用ということで狩り出されるのです。
 貴族院、衆議院という名前や、議員という存在は知っていましたが、何をする人かは知らず、政党というと、なにか悪い存在のように思っていました。すでに、近衛内閣総理大臣が全て発令して、政党による議会制は機能していなかったのです。大政翼賛会だとか大日本愛国婦人会だとかが組織されて、町内会長が街を統制して、回覧板、常会といったものが各家庭に入り込んで、国士だの弁士だのの獅子吼(演説)の広告が電信柱にやたらと増え、ぜいたくは敵だとか、なんでも指示的な標語が増えて、パーマネント、ハイヒールが消え、背広の注文が無くなり、甲型国民服だとか乙型国民服だとか、ウチの洋服店で仕立てる服が変ってしまって、町内で始まった定期的な集まりの常会が、集団登校する僕らの分団でも、当番の持ち回りで始まり、集まっても別段相談することもなくて、当番になった肉屋の子の家で出された上等なとんかつに大喜びして、毎回その家でやろうと決めた記憶も鮮明です。しかし、間もなく彼の父親が出征して行き、ややあって、母親がなにか噂にのぼるうちに失踪してしまうのです・・・
 少国民教育の全ては文部省で一括して決められるようになり、団体行動はつねに軍隊式号令のもとで行われ、遠足は行軍となり、国民皆泳の教育指導で、金づちの子は、学校のプールで死ぬ苦しみを味わいました。
 やがて、しばしば全生徒が済美堂(講堂)に集められて、戦場体験者の訓話を聴かされるようになったのですが、いろいろ聞かされた中でも、平出大佐(本人だったかどうかは不明ですが、ヒライデ大佐と云う音読みだけはしっかりと憶えているし、生徒一同がゴム靴を脱いだ裸足の納豆くさい妙な匂いも、記憶に残っている)が熱弁をふるったのは、鮮烈な印象で脳内に刻み込まれています、ワシントン条約とかジュネーブ条約とかいう、日本海軍の戦力を削ぐために、欧米(反枢軸国際連盟)から押し付けられた、軍国日本にとって不利不均衡な軍縮条約を、口を極めて罵っていたことは、戦艦、航空母艦、駆逐艦、などの数まで記憶に残されました。
 折さえあれば学校内でもしきりに富国強兵が叫ばれ、支那(中国)戦線からの帰還兵が、分捕り品だと称する重厚な帯剣青龍刀を引抜いて机上で鍔を上下してシャンシャン鳴らして、民間人に扮して便衣を纏った敵兵を見分け、斬首した方法、手ひどい埋葬の状況を手柄話として語った南京占領談義は、少年になりかかりの僕にとっては、生々しい残虐性と共に強烈な刺激を潜在的な記憶として長く残し続けました。
 スマトラ、インドネシアなど石油産地を閉塞するABCD包囲陣が日本の石油調達の道を閉ざした理由や経緯は、皆、これらの講演からの知識でした。アメリカ、イギリス、中国、そしてオランダのABCDが協力して日本の石油調達機能を閉塞する暴挙をはねのけるためには、日本がリーダーとなって大東亜新秩序建設の戦端を開くしかないのだと、招かれた弁士が獅子吼したのです。
「ABCD包囲陣が石油調達の道を閉ざして、わが大日本帝国の息の根を止めようと圧力をかけている!」
やがて、少国民やよい子のお年玉は、弾丸切手という国債で与えられて、その全てが膨張する軍事費に当てられ、軍需の増大によって生じた品不足が起因して物価は狂乱的に上昇し、食料、衣料が配給制、切符制になり、3時に必ず出ていたおやつはいつのまにかトクハイ(特別配給)があった時だけのサツマイモに・・・
 スパイの存在が強調されて防諜のための密告が奨励され、駐在の警察官や刑事(特高)が毎夜のように我が家に訪れては、世間話を装いながら隣りのカフェに出入りする学生や、文士風の客の様子を聞きだそうとしたり、かつて、ターザン映画やチャプリン喜劇から、活劇チャンバラを楽しんだ映画館の客席の一画には、臨官席と掲示された一角が設けられて特高警察官や憲兵が姿を見せるようになり・・・銭湯の番台に張られていて、ウチの小僧さんや職人たちが、人気女優の出演するので封切りを楽しみにしていた映画が、内容が非常時に相応しくないと、上映禁止になったのは、しっかり覚えています。木下惠介監督の「陸軍」が、出征するわが子を追い続ける母親が女々しいとか、情報局からお叱りを受けたという頃です。
「何もかも、アメリカ、イギリスなどの反枢軸国が悪いのである。米鬼、英鬼を撃て!」
 日本中の子供たち(大人たちも)が、学校でも、新聞でも、ラジオでも、そう煽り立てられたのです。
 ちか頃、急に、新聞や、テレビが、社会面トップになり、政治面がなめらかな記事ばかり目立っていやしませんか?
いま、北朝鮮の普通の人民が、戦前の日本が、国営(!)のNHKラジオ一辺倒のラジオだったのと同じように、国営のテレビ、ラジオだけで情報を得ているとしたら・・・
先頭に立って最大圧力の掛け声をかけている我々の国をどう思っているでしょうか・・・
この呟きは、デジャビュではなく、かつて、日本が、僕達がたどった道なのです。狂乱的に真珠湾に突っ込んで、無謀な戦争に向かって・・・
昭和20年12月8日未明・・・


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ZAEMON 時空の旅人 №23 [雑木林の四季]

第十八章 ボクの見たバルタン星

                  文筆家  千束北男

ピルグリム三世が着陸したバルタン星は、ボクが今までに見たSF映画から想像したような、砂漠のど真ん中や海の上ではありませんでした。ワームホールだの、ブラックホールだのの概念と全く異なる時元異動で到着した地点は、宇宙旅行のハブステーションというのでしょうか、さまざまな形の宇宙航行の乗り物が停泊していて、いわば宇宙の港町とでもいった雰囲気の街で、宇宙旅行のツールやグッズ、ファーストフードなどの販売店やカフェなどもありそうな、例えれば、宇宙人相手の盛り場とでも書きたい繁華なところだったのです。もちろんそこには、バルタン星人以外の宇宙人の姿も数多く見受けられます。
ボクが覚醒した時、船内には誰も残っていませんでした。ZAEMON以下、すでに、船外に出て、ここのリアルに帰属してしまったようです。
ボク一人が、というか、見たことのない地球人の少年が一人でいるのが珍しかったのでしょう、船外に出ると、さっそく物見高そうなバルタン星人が数人寄ってきます。それぞれがかざしている両腕の、ザリガニのような大きな鋏が不気味です。
反射的にペンダントの勾玉を見るのですが、別に差し迫った異常や警戒を伝えてはいません。
「フォ、フォ、フォ」
やがて、ボクの周囲でなんとない私語めいたものが飛び交い始めたので、さすがに心細くなってきました。
と、その時、
「ハヤト!」
「あ・・・」
念送でボクの名が呼ばれ、群れの中から、ありがたいことにピピン、パパンが現れたのです。
「ピッ!」
ピピンが、鋭い笛のような一声をあげます。
すると、観客のあいだに、納得したというような雰囲気が漂って、それぞれに散って行くのです。バルタン星の治安はまずまずのようです。
あたりには、色々な宇宙人が、あるいは形態からみると、宇宙生物と言った方がふさわしい形態の存在までがひしめいていて、繁華を極めています。
ピピン、パパンの先導で、混雑の中に分け入って行きながら、地球以外にも、宇宙の各星々に、これほど多くの生命が存在しているのだという現実にふれて、ボクはそれぞれの存在に目を奪われてしまいました。
「あっ・・・」
すれ違った一人の宇宙人と肩が触れて、思わず身を固くしました。
あきらかに、ストリクト星人と思われる宇宙人がボクを振り返ります。
「・・・・」
どう謝っていいのか、言葉が浮かんできません。
でも、考えるまでもなくその必要はなかったのです。なぜかといえば、いまボクがいるのは、地球時間でいう西暦2016年のバルタン星ですから、地球攻撃のための宇宙十字軍と交戦している時代とは違うので、カレが僕に敵意を抱いたりするはずがないからです。
肩の触れ合ったストリクト星人も、チラッとボクを見ただけで、行ってしまいます。ここのリアルでは、まだ地球は平和な星とみなされているので、地球人のボクもここでは安心だというわけです。

雑踏を抜けた空間に、バス・ストップのような場所があり、そこからバルタンの交通機関スイフティーに乗って移動します。この乗り物は、地球人なら二十人ほどが乗れる、バルタンの乗り合いバスと言ったところです。
バルタン星人は、分身、瞬間移動、テレポーテーションなど、多彩な能力を備えているはずですから、わざわざ乗り物に乗るのは不自然じゃないかとお思いになるかもしれませんが、ピピン、パパンの解説によると、それらの能力を発揮するには、大きなエネルギーが必要なので、日常生活では、あえて乗り合バスを使うのだと言うのです。
スイフティーの燃料は、水素です。ただし、地球とは水素生成法の違いがあって、その燃焼過程で二酸化炭素は発生しないのです。
スイフティーが移動するにつれて、窓外に、目を奪うようなバルタン星の都市の景観が広がってきました。どう表現していいのか、なにしろ美しいのです。それまでボクが抱いていた核破壊と劣悪環境のバルタン星というイメージとは正反対と言って差し支えないほど美しいのです。
といっても、ZAEMONのピルグリム三世と同じように、すべてのデザインの基本思想が地球人とは異なっているので、最初はその奇矯さに戸惑うのですが、何故かすぐにこっちが影響を受けて共感が生まれてくるのです。地球のデザインに比べると、垂直、水平の感覚がほとんどなく、すべてが曲線であるというのが一番適切かも知れません。

ところで、山本久美子先生!
ここで、先生も充分ご存じの、あの、バルタン星人の特徴的な体型について、少し書かせてください・・
ピピン、パパンもそうなのですが、バルタン星人は、男子も女子も、体型的には同一です。性の違いが外見的には分別がつかないほど均一ですので、男女の別をはっきりするために、ちょっとしたアクセサリーを身に着けている個体が多いのです。
服装もすべて均一でと書きたいのですが、バルタン星人のあの外見は、服装というべき衣装や装身具ではなく、体そのものが、激変した環境に適応するためにああなってしまったというのが正解です。
まず、映画撮影用の怪獣の着ぐるみスーツのような肉厚な体表面についてですが、あれは、過酷な環境に耐えるために皮膚の表面が厚く固化した結果で、防御上必要なところが、特に物理的、化学的刺激に耐えるように堅牢な甲羅状に進化した結果なのです。
あの特徴的なザリガニの爪のような腕のことですが、衣服を着たり、食器を使ったり、文字を書いたり、格闘したりと、手先を使うことが極端に減ったために、防御、攻撃のためだけの必要性が、あのような異様な進化をもたらしたのだという説が、考古学的には通説になっているのです。

それにしても、雲ひとつなくはれ上がった空、都会の真ん中でさえ、何処までも遠景をはっきりと肉眼で捉えることが出来る透きとおった空気・・
「いまの東京じゃとても考えられない!」
思わず、そう呟きかかったボクでしたが、
「とんでもない!」
ピピン、パパンが口をそろえて即座に否定しました。
というよりも、ボクの頭の中に、口を経ないで直接その答えが飛び込んできた、と言ったらいいのかもしれません。考えたことがすぐに読み取られてしまうのです。
ピピンがこう伝えてきます。
「この大気は、ありとあらゆる科学的加工を加えて浄化した空気なのです。もしハヤトが、ヘルメットを外してあの空気を呼吸すれば、生命にかかわるような被曝(ひばく)被曝をこうむるのにさほどの時間を必要としません」
「ほんと? あんなに透き通って、青い空が・・信じられない・・」
すると、パパンが伝えてきます。
「バルタン星の回復が完全であれば、我々は、遠い祖先がそうであったように、地球人よりも格段に美しいプロポーションと、赤子のようにすべすべの肌をして、自由に大気を呼吸して暮らしているはずです・・生命を与えられて生まれ出た瞬間は、昔どおりの美しい体をしているのだけれど、外気に触れると同時に、あの肉厚の皮膚をしたマスク体にわが身を閉じ込めてしまう悲しさは、快適な環境に暮らすニンゲンには絶対に理解できない悲しみです」
「こんな高度な科学力を持っていても、解決できないの?」
「これだけ悲惨な環境破壊をもたらした核戦争や、エネルギーとしての、核のおろかな使いかたはとっくにやめていますが、破壊してしまった環境の完全な修復は絶望的です。それでも地球時間でいう二万年を経過するころには、なんとか短時間の呼吸をすることが出来るほどに回復できるかもしれないというはかない予測に立って、現在バルタン星の科学者たちが挑戦してはいますが、バルタン星のだれもが、それが実現するという希望など持ってはいません」
「地球と同じじゃないか・・」
「ちがいます」
「違うって・・どこが違うの?」
パパンから、驚くほど強い言葉が伝わってきました。
「地球は、まだ修復可能なのです! 救えるのです! もっとも、このまま地球を人類にまかせていると、という前提で考えれば、この星と同じ結果になってしまいますが、もしいまのわれわれバルタン星人だったら、地球はまだまだ救いようがあります」
「え? バルタン星人が地球をどうするって?」
「そのご心配には及びません。というのは、われわれバルタン星人は、バルタン憲章で、自星自栽(じせいじさい)自星自栽を誓っているからです」
「自星自栽?」
「他の星には干渉しない、自分の星のことは自分の星で解決する、というルールです。でも、ニンゲンは、かならず近いうちに地球を使い果たしてしまうに違いない、と、バルタン星人以外の宇宙人も考えはじめているのです」
「地球を使い果たしてしまう・・ひどいことをいうじゃないか」
「ひどい言い方かもしれませんが、でも、そのとおりです。近頃の浪費一方の地球人のやり方を見て、他の星の宇宙人や宇宙生物たちにとって、ニンゲンはおそろしく危険な存在だと思われ始めているのです・・・ニンゲンは、地球の自然や資源を浪費したあと始末を、月や火星に求めようとしているからです。ニンゲンのやりくちは、宇宙の摂理に外れている、中には、宇宙の敵だ、とまで過激なことをいう星もあるのです」
ここまで読んで下さった先生はご存じのように、すでに悲惨な西暦2030年の地球のリアルを体験しているボクは、一緒に行動している同志のバルタン星人ピピン、パパンからその話を聞いて、ぞくっと、背筋が寒くなりました。地球以外の宇宙人、というけれども、バルタン星人も、実は地球を狙っているのではないか、という疑いが、ふたたび頭をもたげてきたのです。
「ZAEMONについて、どうしても聞きたいことがあるんだけど・・・」
ボクがピピン、パパンに言おうと考えた途端、
「ああっ!」
突然ボクの頭に強烈な刺激が走り、ピピン、パパンからの念送が断ち切られて、
「・・・・」
パパンからピピンに向けて、注意パルスが走ったのが感じられたのです。どういうことでしょう、パパンがなぜ、ピピンに念送の中止を促したのでしょう。なにか、タブーに触れたのでしょうか、それとも誰か第三者が・・・

山本久美子先生・・・ボクは、先生やこれを読む人たちのために、ボクとピピン、パパンが会話を交わしているように書いていますが、実際は、これだけの会話が、すべて瞬間的な念送のやりとりで達成されてしまうのです。
ボクが頭の中に浮かべた考えを即座に読み取り、直ちにその回答が僕の頭の中に返されてくることを、ボクが勝手に念思だの、念送だのと書いているのですが、それが、読心術などという既製の言葉があてはまらないほどすばやいコミュニケーションだからです。
バルタンの乗り合いバス、スイフティーの僅かひと停留場の短時間で、ボク達地球人の言葉だったら相当に時間のかかる膨大な内容がコミュニケートできてしまうのです。
もし、バルタン星人が宇宙十字軍と手を握って地球を敵としたら・・これはもう、地球人では歯が立たない恐ろしい敵だと言わなければなりません。

あれは教会でしょうか。スイフティーは、とりわけ立派で重厚な感じがする大きな建物の影がおちている広い公園の中央で停車しました。
ここは、バルタン星のセントラルパークとでもいった風情です。公園は、市民や旅行客でにぎわっています。
かつてこの広場の中央の壇上に、著名彫刻家によって創られた、美しかった頃のバルタン星の若い男女の像が、飾られていたといいます。平和の象徴として、崇められていたものですが、その美しさが、あまりにも現在のバルタン星人を嘆かせるものだという意見が出て、撤去されてしまったということです。
その時、像を見知っているピピン、パパンが、ほんの束の間だけその姿に変身して念送してくれたバルタン星人男女の美しさは、ボクには例える言葉が浮かばないほど感動的な、香しいほどの肌に包まれた美しい裸身でした・・・
                               つづく


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私の葡萄酒遍歴 №54

南アフリカワインのテイステイングノート

             ワイン・グルマン  河野 昭

1) KWV Cape White Wine(ケープ・ホワイト)
南アフリカワイン醸造者共同組合連合が規約にしたがって、白ワインをブレンドしたもの。
   フルーティな香りとほのかなスパイシイな味わいがある。
   良く冷やして飲む軽いワイン。
2) KWV Cape Rouge Wine(ケープ・ルージュ)
   味わい、ライトボディ
   フルーティな香りとスッキリとした果実味が心地よく、のど越しも大変滑らかです。
   軽く冷やしてもお楽しみ頂けます。
3) Roodeberg 2013 White VhritalS(ルーデハーグ)
   シュナン・ブラン、シャルドネを主体に造られている。
   トロピカルフルーツや黄桃の芳ばしい香りが特徴。
   オーク樽によるヴァニラやアーモンドのほのかなニュアンスも感じられます
4) Roodeberg Red2012
   KWV社のセラーマスターが精魂込めて造り上げた逸品。
豊かなベリー系の香りが広がり、樽熟成によるスパイシイな香りが続きます。濃縮感のある果実味とヴォリューム感のある味わいを誇ります。フルボディの赤ワイン。

ニュージーランドワインのティスティングノート
1916年ジョシップ・バピッチによってオークランドに設立された会社は、現在も品質優先のワイン造りを変わることなく貫いている家族経営のワイナリーです。各産地にぶどう園を有し、その地の個性が生きる上質のぶどうを用いた丁寧なワイン造りで、世界のワイン通からも高い信頼を得ています。
1)ソーヴィ二ヨン・ブラン・マールボロ
 (白、辛口)生産地マールボロ
南島マールボロ産のソーヴィニヨン・プランで造られた、清涼感あふれるフレッシュな酸味と豊かなトロピカルフルーツのフレーバーが特徴のこのワインはシーフードサラダや生牡蠣などに良く合います。また、食前酒としてもお楽しみ頂けます。
2)ピノ・ノワール・イースト・コースト
 (赤ミディアムボディ)生産地イースト・コースト
  北島ヘンダーソン・ヴァレーとホークスベイ産の厳選されたぶどうを使用。
チェリーを思わせる果実香の中にほのかなスパイシーな香り、エレガントな味わいが特徴のワインです。トマトソースのパスタ、チキンの赤ワイン煮込みなどと良く合います。

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