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季節の記憶・いだようの写真散録 №179 [文芸美術の森]

「雨あがりの朝」                           自然写真家  いだよう

2017年3月下期分.jpg

 

夜分の雨が上がり、朝日とともに霧が湧きあがる。
満開を迎えていた紅白の梅に霧がからみ合い踊っているようだ。

いだようのFacebookページ : https://www.facebook.com/idayoh/


『知の木々舎』第189号目次(2017年3月15日編成分) [もくじ]

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【心の小径】

出会い、こぼれ話 №39                                    教育者    毛涯章平
 第三十八話  おばさん
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10

論語 №25                                                            法学者  穂積重遠
 五六 子のたまわく、射(しゃ)は皮(ひ)を主とせず。・・・                   
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-1

余は如何にして基督信徒となりし乎 №13                                    内村鑑三
 第三章 初期の教会 6
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-2

文化的資源としての仏教 №3              立川市・光西寺住職  寿台順誠
  往生考1 はじめに
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-3

【文芸美術の森】

季節の記憶 №179                                         自然写真家  いだよう
 「雨あがりの朝」 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-14-1

西洋百人一絵 №84                                  美術ジャーナリスト    斎藤陽一
 モディリアニ「白いクッションに横たわる裸婦」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-8

にんじんの午睡(ひるね) №6                               エッセイスト  中村一枝
 Viking
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-7

フェアリー・妖精幻想 №58                             妖精美術館館長  井村君江
 シェイクスピアのフェアリーたち 2
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-6

芭蕉「生命の賛歌」 №26                                          水墨画家    傅  益瑤
 わせの香(か)や 分入(わけいる)右は 有磯海(ありそうみ)
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-5

石井鶴三の世界 №90                                      画家・彫刻家  石井鶴三
 天竜川1957年/みいけ・観音岩1958年
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-3

はけの森美術館Ⅲ №25                                    画家  中村研一
  水田
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-2

ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №28       早稲田大学名誉教授    川崎 浹
  第二章 民衆たちのテーブル・トーク
   市民たちが見たレーニンとスターリン2
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-4

ことだま五七五】

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №12                       川柳家  水野タケシ
 3月1日&8日放送分
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12-1

【核無き世界を目指して】

続・対話随想 №12                                             エッセイスト  関千枝子
 関千枝子から中山士朗様へ              
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-12

丸木美術館から見える風景 №45   原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣
  ミュンヘンの《原爆の図》

【雑木林の四季】

浜田山通信 №190                                         ジャーナリスト  野村勝美
 教育勅語②
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-10

私の中の一期一会 №139         アナウンサー&キャスター    藤田和弘
 南スーダンのPKOから突然の撤退方針。“治安情勢の悪化が要因ではない”ってホント?
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-12

徒然なるままに №15                                      エッセイスト 横山貞利
 桜の季節
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-9

パリ・くらしと彩りの手帖 №118          在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ
  芸術のパリ今や春爛漫
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-11

気楽な稼業ときたもんだ №55            テレビプロデューサー     砂田 実
 第7章 ショクナイざんまい 忘れえぬザ・ピーナッツ 1
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-8

BS-TBS番組情報 №134                                   BS-TBS広報宣伝部
 2017年3月のおすすめ番組(下)
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-7

ロワール紀行 №51                           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎
  美しいシャンボールの城塞(シャトオ)4
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-4

バルタンの呟き №10                                映画監督  飯島敏宏
  「3・11を・・・」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-6

ZAEMON 時空の旅人 №10                                     文筆家  千束北男
 第五章 「あっ、これは・・・・縄文時代の遺跡だ!」           
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-5

私の葡萄酒遍歴 №40                        ワイン・グルマン  河野 昭
 ワインへの道・・・チリワインの産地 1
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11-3

医史跡を巡る旅 №23                                   保健衛生監視員  小川 優
「紀行シリーズ」~上野公園散策  
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-02-12-4

地球千鳥足 №101      グローバル教育者・小川地球村塾塾長    小川彩子
  遠藤周作原作、映画『沈黙』のモデル、キアラ神父の数奇な運命~日本~ 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-02-24-5

いつか空が晴れる №12                                    渋沢京子
 ―セビジャーナス(K先生のこと)5  
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-11

【ふるさと立川・多摩・武蔵】

玉川上水の詞花 №189                        エッセイスト  中込敦子
 ベニバナトキワマンサク(まんさく科)
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-10

赤川Bonzeと愉快な仲間たち №86                   銅板造形作家  赤川政由
 大分の彫刻シリーズ 「セロ弾き」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-9

旬の食彩 僕の味 №94           レストラン「ヴァンセット」オーナー    大澤 聡
 比内地鶏のガランティーヌ
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23-9

線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №75                 岩本啓介
 ●▲■線    
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-7

押し花絵の世界 №35                           押し花作家  山崎房枝
 「秘密の花園」
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-6

渋紙に点火された光と影 №11                   型染め版画家  田中 清
 筍 
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-10-5

プラタナスがくれた贈り物 №5           MATプロデューサー  しおみえりこ
 音楽のある風景4  Fantastic journey JAPAN  昭和記念公園 2002.10
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-02-23-4

【代表・玲子の雑記帳】                          『知の木々舎 』代表  横幕玲子
http://chinokigi.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12


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西洋百人一絵 №84 [文芸美術の森]

モディリアニ「白いクッションに横たわる裸婦」

                                  美術ジャーナリスト、美術史学会会員    斎藤陽一
                                                                               
 1917年、33歳のとき、モディリアニは「最初で最後の個展」を開いたことがある。もっとも、貧しいモディリアニには、自分の金で個展を開くことなど思いもよらなかった。彼の親友に、同じように貧しかった画商ズボロフスキーがいたが、店を持たない“風呂敷画商”だったため、知り合いの女性画廊主ベルト・ヴェィユに頼み込んで実現したものだった。詩人でもあったズボロフスキーは、モディリアニの才能を信じて、献身的に支えた人物である。

 この個展には、三十点あまりが出品されたが、その中に、裸婦像がいくつもあった。
それらは、たくさんの客が個展に入るよう、人目につくショーウインドーに飾られた。ねらいはあたったというべきか、初日には、ウインドーの前は黒山の人だかり。生々しい裸体画を見た人々は、興奮し、大騒ぎとなった。これが、裏目に出た。
 まずいことに、画廊の前に、警察署があった。警官が駆けつけ、ついには署長まで介入して、展覧会禁止命令が出された。そして、初日の夕方には、個展そのものが中止となってしまった。

 アメデオ・モディリアニ(1884~1920)がこの頃描いていた裸婦像というのは、今回とりあげる「白いクッションに横たわる裸婦」(1917年)のような絵である。
 手足を画面で切り取り、背景にも余計なものを描かず、裸体そのものに切り込んでいる。肌は紅潮し、目は潤んだようにこちらを見つめている。確かに、見る者の感覚に直接迫ってくるようなエロティックな裸体であり、挑発的である。
 西洋絵画の歴史には、裸体画の伝統があり、ルネサンス以来、多くの画家たちが裸婦を描いてきた。しかし、モディリアニの作品ほど、裸体そのものに接近し、あたかも女の息づかいや肌色の変化まで感じさせるような迫り方で描いたものはなかった。そこが、本来密室に隠しておくものを人前にさらしたような感覚で受け止められ、大騒ぎのもととなったのである。

 モディリアニは、若い頃に彫刻家をめざしたが、胸の病いのため断念した。実際、彼はいくつかの彫刻作品を残しており、そこには、余計なものを削り落として、無駄のない簡潔なフォルムをつかみ出すという姿勢が見られる。そのように見ると、彼の絵画もまた、彫刻で追求したものと同様、人体のフォルムを、ぎりぎりまで厳しく造形化しようとするものだった。
 モディリアニは、いったん絵画の制作を始めると、激しい集中力を発揮し、「肩は震え、息はあえいだ。顔はゆがみ、しばしば大声を発した」(藤田嗣治の証言)という。そのとき、彼とモデルとの関係は、緊迫したものとなり、モデルは、絵画制作の過程で画家のものとなるのである。

083モジリアニ.jpg

   モディリアニ「白いクッションに横たわる裸婦」
                  (1917年。ドイツ、シュトゥットガルト、国立美術館)


にんじんの午睡(ひるね) №6 [文芸美術の森]

Viking

                                    エッセイスト  中村一枝

 長生きしているからそういうことに巡り合うものなのかと今、とても不思議な気がしている。
 私が女学生のころ父尾崎士郎はまあまあの売れっ子作家で、父の所には全国から同人雑誌が毎日のように送られてきていた。当時私は中学生でその雑誌を時々勝手に開けて見たり読んだりしていた。どうして私が数ある雑誌の中でそれに目を止めたのか今となっては何も思い出せない。雑誌名がVikingという横文字だったこと、発行先が関西というのもハイカラな匂いがして私は開けたのかもしれない。雑誌に書かれたものについては何も思い出せない。次にVikingを見たのはいつ頃なのか記憶はない。久坂葉子という宝塚-のスターみたいな名前に惹かれたのだろうか。書かれたものについての記憶はまったくない。私が大学生になってからこの久坂葉子という名前だけは記憶している。この人がその後鉄道に飛び込んで自殺したというショッキングな話だった。神戸のお金持ちのお嬢さんだったとか。写真で見るとはなやかな人だったのでよけいあこがれたのかもしれない。その後もVikingはずつと送られてきていたから、そういう消息はその辺から得られたものだろう。何しろ田舎の女学生だった私にはきらめく星のような存在だった。
 それから60年以上は経っている。わたしはしあわせな結婚もし、子供にも恵まれ40を過ぎてからテニスにも熱中した。わたしの家の一段下がった地続きのような場所にテニスコートがある。そのテニスコートで声をかけてくださったのがKさんだった。華奢でほっそりした体なのに男でも取れないホールをよこす。彼女と親しくなって、といってもテニスではない。テニスに関しては私など及びも付かない大先輩なのだ。見かけは細くて、長年鍛えたテニスの日焼けで顔は真っ黒だけど、どこか品のある整った顔つきのひとである。彼女とテニスなどしたことはない。とてもお相手にはなれないのだ。同じ大森の馬込と山王に住み今は家も近い。Kさんの父上はむかしから馬込で内科のお医者さまだった。室生犀星などとも家族ぐるみの親しいおつきあいをしていた。そんないきさつもあって、Kさんとはテニス以外の親しい友達になっていった。私の息子のお嫁さん、私には義理の娘千恵子はヨガのインスラクターで、インド大好き人間だ。と話すとKさんは眼を輝かせた。Kさんもインドか大好きでもう二度か三度行っているらしい。そのとき、Kさんが言った。「わたしの年下の友達でね。インド大好きの人がいるの。文章書く人でね。ほれこれがそうなの」差し出された雑誌をみて私は思わず叫んだのだ。Vikingの雑誌だった。Kさんのことを文学とは縁のない人だと決め込んでいた私のうかつさ。50年の歳月をへてあのVikingに出会ったのだ。聞けばKさんのお友達大西咲子さんはこの雑誌の 同人て。よく寄稿されているという。
 久坂葉子さんは私よりずっと年上の人だと思っていたが二つ違いのお姉さま。さらに知らなかったが、芥川賞の候補にものぼつていたという才媛だった。 50年が一挙に私の目の前に戻ってきた。インターネットで写真も見た。50年前にも見た気がするが、愛くるしい人だった。人と人とのつながりが生み出す不思議な空間というべきもの時間を乗り越え、ぱっと今につながる。あなたはのんきでいいわとよく人に言われる。たぶんいつも時間を忘れている。足がよたついているのにハツラツも何もないのだけど、なぜかいつも明るくいられる。若い身空で鉄道自殺なんて私のような臆病者には想像すらできないが、久坂葉子さんは闇の中に埋没して死んだのではない。光を求めて明るさを求めて、もしかして何かが彼女に呼びかけたのだろうか。没後60年も過ぎてあなたの蘇りに会える。だから人生はいいのよ。


フェアリー・妖精幻想 №58 [文芸美術の森]

シェイクスピアのフェアリーたち 2

                                 妖精美術館館長  井村君江

オベロンとティタエアを描いた人々

 オベロンとティタこアの月夜の出会いを、フランシス・ダンビイ(一七九三-一八六一)は月影のさしこむ下草を舞台に描いている(『「夏の夜の夢」の情景』一八三二)。
  薄暗い闇に光る妖精たちの蛍火の光に照らし出された白いキノコの影に、インドの取り替え子(チェンジリング)が眠り、透き通る蝶の麹をつけた小さな妖精たちは、二人のけんかを恐れてものかげにかくれている。
 画面の前にころがるドングリの実が、妖精たちの身体の大きさを示し、草の葉に光る露の玉が、月の光を反射し、妖精が提げている蛍の幼虫の光のランプとあいまって、微妙な明暗をもつ妖精王国を浮かびあがらせている。
 「眠るティタニア」は画題としてこれまでに定まった感があり、フューズリもダツドもすでに描いているが、ロバート・ハスキソン(一八二〇-六一)はこれを古典的な道具立てを用いて描くことによって、独自のものにしている(『夏至の夜の妖精たち』一八四七頃)。
 甲胃をまとい盾を手にしたオベロン、盾や槍をかざして、クモやカタツムリと戦う妖精の兵士たちには、ギリシャの英雄の面影がある。妖精の好きなヒユツシャの花が下がる、その下に飛ぶパックは、花をつけた昆虫のようにみえる。
 これらの画面を囲むように描かれた半円のフレームと円柱には彫刻が施され、ロバの首をつけたボトムの眠る姿も描かれているが、それらはすべてギリシャ的である。
 動物画家として知られるエドウィン・フンドシーアー(一八〇二-七三)もシェイクスピア・ギャラリーに、ティタニアとボトムの場面を出品している(一八五一頃)。
 ボトムにかぶせられたロバの首や、野ウサギの毛の質感には写実的な素晴しさがうかがえ、ボトムに寄りそう美しいティタニアのエロティックなポーズと、身にまとう薄衣と、その上に散らばるバラの花もまた、精密な写実である。背景の暗がりに浮かぶ子供の顔をしたパック、野ウサギの背にまたがったり、暗がりにひそむ小さな妖精たちの姿や表情には、不思議な情緒が漂う。右上に描かれた小さな空間にみえる星空と月の光が巧みに、全場面を洞窟の暗さにひきこんでいる。

E・ランドシーアー.jpg

                    ランドシーアー『ティタニアとボトム』

 ジョン・シモンズ(一八二三-七六)の描くティタニアも、すべて美しい裸婦の姿をしている。
 『飛ぶティタニア』(一八六六頃)は金髪をなびかせ、露のついた薄い衣をまとい、手には土蛍の灯りをかざし、月夜の森の饗宴へと飛んでいく。かげろうのような麹をつけた侍女たちの行列がつづき、ティタニアの四阿(あずまや)を飾るジャコウバラや夕顔、ハニサクルの花々の中には、よく見ると小さな裸体の妖精たちがひそんでいる。
 ともすればエロティックになる画面ではあるが、ヴィクトリア朝の上流階級の洗練された淑女を思わせる表情とポーズのおかげで、エロスと一線を画している。
 デヴォンシャーのプリマスで生まれたジョセフ・ペイトン(一八二一-一九〇一)は、十四世紀イタリアのクリベリーの影響を受け、リッチフィールドのクライスト・チャーチにテンペラで宗教画を描き、早くから才能を認められていた。
 『オベロンとティタこアの仲直り』(一八四七)はウエストミンスター・ホールのコンクールで賞を獲得し、彼の名を広く世に知らしめたものであるが、ロイヤル・スコットランド・アカデミーに出品した『オベロンとティタニアのいさかい』(一八四九)の絵とともに『夏の夜の夢』の妖精王国をあますところなく描いている。ペイトンの絵のファンの一人であったルイス・キャロルは『いさい』に描かれた妖精を数え、一六五人いたと報告している。
 オベロン王はギリシャ的なコスチュームを着ており、頭には蝶の翅の冠をつけ、ティタニアはトンボの翅。パックはコウモリの羽と耳という姿は『オベロンと人魚』(一八八三)でもみられる。
 眠る恋人たちの夢の素材のような、さまざまな大きさの美しいものや、グロテスクな姿や表情をした小さな妖精たちが、それぞれ、木の上や沼の水の中、下草の蔭や、木々の間で劇的な場面をくりひろげている。芥子の花や桃の実、睡蓮や蔦の葉など、細部に至るまで緻密なミニアチュールのような筆致で描きこまれ、妖精画もここにきわまったような感がある。

『フェアリー』 新書館


芭蕉「生命の賛歌」 №26 [文芸美術の森]

わせの香(か)や 分入(わけいる)右は 有磯海(ありそうみ)

                                     水墨画家  傅  益瑤

わせの香や.jpg

                                                                                  越後から越中の市振へ。芭蕉は新湊の那古の浦に着いた。万葉の時代より知られる藤の花の名所担籠を、秋の景色に思いを巡らせて尋ねたが、一見の価値なしと途中で引き返した。
 早稲の稲田を掻き分けるように越中から加賀の国に向かう。黄金色に広がる稲穂を振り返ると、そこに有磯の海が展ベて見えた。
 描かれた芭蕉の視線と、行き交う農婦の視線。この「円通」の軌道は、現実の中に真実が見つかる。絵に添えられた色彩は、人間の情感である。                                                                         

『傅  益瑤 「奥の細道」を描く 芭蕉「生命の賛歌」』  カメイ株式会社


ロシア~アネクドートで笑う歴史 №28 [文芸美術の森]

第二章 民衆たちのテーブル・トーク
  市民たちが見たレーニンとスターリン 2

                               早稲田大学名誉教授  川崎 浹 

作者が隠れるためのジャンル

 アネクドートの作者を特定するのは困難だという話をしてきたが、逆にいえば、アネクドートのなかのアネクドート、政治アネクドートこそは、まさに作者が隠れるためのジャンルなのであり、無数の民衆の評価によって生きながらえ、民衆の意見の総合的な役割をはたす。KGBや指導層が世論のひとつとして、アネクドートを収集し、管理していたことはとうぜんで、アネクドートのなかでアネクドートが語られ、アネクドートがアネクドートにふれる、いわばメタアネクドートがつぎのような形でそのことを示している。

 KGB内でひとりの判事が査問室から大笑いしながら廊下にでてきた。同僚が、ばったり出会ったので尋ねると、「アネクドートの傑作を聞いたものでね」と答えた。
 「じゃあ、聞かしてくれないか」
 「いや、だめだ。いま、それを話したやつに七年の刑をくらわせたばかりだから」

 つまり、同じアネクドートをしゃべれば、こんどは判事自身も「祖国誹誘(ひぼう)・中傷」の罪に問われておかしくないという背景がある。これは細部の異なる似たようなヴァリアントを有する、いわばクラシック・アネクドートともいうべきもので、ソ連人ならだれ知らぬ者もない。
 実際、アネクドートが原因ではないが、政治的な理由で、昨日まで尋問していた者が粛清の嵐をうけて、翌日は自分が尋問した者と同じ留置場にぶちこまれるという事態が、三〇年代半ばには日常茶飯事になっていた。

ふたりの独裁者

 市民にとって政治アネクドートを語ることは、日常生活への欲求不満のはけ口だったが、それをしゃべる危険度は、現在の日本で銃器業法所持してうける刑罰どころではない。こういうアネクドートがある。

  戦争中にパンを買う行列で一人のユダヤ人がため息をついた。
  「こりゃ全部、ひげ男のせいさ」
  早速、逮捕され、厳しい尋問をうけた。
  「あなたはだれのことをいっているのだ」
  「もちろんヒトラーのことでして」
  「そうですか、だったらあなたを釈放します」
 ユダヤ人は立ち上がってドアの所までいき、しかしドアを閉める直前に、判事にこういった。
 「ところで判事さん、あなたさまは、だれのことを念頭においていらしたのですか?」

 ふたりの独裁者ともにひげをはやしていたが、ヒトラーはまのびした鼻の下を埋めるちょびひげのデザインだが、スターリン(一八七九~一九五三)のひげは威圧的だった。
 独ソ戦のさなかのことで、主人公の「ユダヤ人」を「ロシア人」にとりかえてもおかしくないアネクドートだが、文脈のキーワードはあくまでユダヤ人とヒトラーにある。ヒトラーのユダヤ人迫害や大量虐殺をドイツの同胞がこうむっているソ連在住のユダヤ人にして、かれの口実ははじめてもっともらしく聞こえ、また説得力をもちうる弁明である。それで最後にかれが開き直ったのだ。
 判事がもしユダヤ人でなくロシア人だとしたら、人民を裁く者がすでにスターリンを「ひげの男」と考えていたことになる。では「ヒトラーだよ」と答えれば、論理的にはかれもまたユダヤ人の系譜につらなる。つまりこのアネクドートのとどめをたどっていくと、判事の民族籍の問題にまで突きあたる。

「どっちを張りつけるか」

 アネクドートの制作年は不明だが、政治アネクドートについては、扱われている主題や題材でかなり近い時期まで特定できる場合がある。したがってそのようなアネクドートをたどることで歴史を組み立てることができる。
 一般にアネクドート制作者と制作年は不明なのが当たり前のように思われているが、制作年についてはまれに具体的に記されたのがある。それは編者が一読者として記憶していたり、収集の際に昔の読者から伝えられたものだろうが、それにしても、その編者がアネクドートの制作年に研究者のような執着をいだいているのかもしれない。私の手もとにある粗末なパンフレットには、一〇〇篇の作品のうち四〇編に制作年が記されている。そのなかの例をまず引くことから、二〇世紀の歴史としてのアネクドートの第一歩を刻もう。

  住民に住居が与えられた。はだかの壁ばかりで、ある壁面に釘が一本打たれていた。それに家具といえば、レーニンとトロッキイの肖像があるだけだった。住人がいった。「どうしたらいいか、わからないよ。どっちを吊して、どっちを壁に張りつけるのか」(一九二一年作)

 一九二一年と記されている。一九一七年の十月革命後、ロシアでは共産主義だけが正しいとのプロパガンダが徹底し、ボリシェビキの革命路線にそわない陣営を「反革命」と呼んだ。「反革命」には反共産主義、「反動的ブルジョアジー」というレッテルが貼られた。共産主義の独裁体制が消失した現在でさえ、いまだに「反革命」というコンセプトが鎧(よろい)をつけた亡霊のように、平然と専門家たちの間で使用されている。
 ボリシェビキとは共産主義者のなかの過激派を指している。かれらが赤旗を用い赤軍と名乗ったので、「反革命」側は白軍と呼ばれた。革命後、二一年まで数年にわたって赤衛軍と白衛軍との間で血で血を洗う内戦がつづけられ、トロツキイ(一八七九~一九四〇)は赤軍の軍事顧問として軍の強化に貢献した。華々しい才能にめぐまれたトロッキイはレーニン(一八七〇~一二四)と互角に渡りあった。当時はまだレーニンとトロッキイのいずれが主導権をとり、いずれが追放されるか定かではなかった。
 二人は、共産主義者でない「反革命」側からすれば、同じ穴のムジナであるが、レーニンより文学芸術を理解し、雄弁で、レーニンの死後スターリンに追放された、世界革命の唱道者トロツキイには支持者が多く、のちにスターリンにとって都合のわるい連中はすべて「トロツキスト」として粛清されることになる。
 右のアネクドートはレーニンとトロッキイのどちらが勝ち残れるかまだわからぬ、レーニン神話が成立する前の民衆の率直な見方を反映している、驚くべき早い時期の秀作といってよい。
 「住民に住居が与えられた」とは、内戦中の「戦時共産主義」時代に、ボリシェビキによって収奪された貴族、知識人、商人など元有産階級の館(やかた)が、民衆に分配された事実をさす。
 吊す(ボヴェーシチ)にはもちろん絞首刑にするという意味がある。「張りつける」もまた十字架を連想させる。

『ロシアのユーモア』 講談社選書


石井鶴三の世界 №90 [文芸美術の森]

天竜川1957年/みいけ・観音岩1958年

                                   画家・彫刻家  石井鶴三

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                       天竜川 1957年 (174×126)

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                   みいけ・観音岩 1958年 (200×144)

**************                                                                           【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】

明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社


はけの森美術館Ⅲ №25 [文芸美術の森]

水田

                                        画家  中村研一

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                                                       スミ 22cm×30cm

*************                                                                【中村研一画伯略歴】

鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の長男として、福岡県宗像郡に生まれる。
1920年、東京美術学校を卒業。同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞、1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞する。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となる。1923年、パリに留学、ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞する。
戦時中は、藤田嗣治らとともに、軍の委嘱を受け作戦記録画を制作した。「コタ・バル」は代表作として名高い。
戦後は、小金井市中町に転居し永住する。日展、光風会展を中心に作品を発表し、1950年、日本芸術院会員に推挙される。1958年、日展常務理事となる。画面に感情や情緒などを付加せず、抜群のデッサン力と構成力で写実的な画風を創り上げ、そのアカデミックで堅実簡明な画風は昭和新写実主義を代表するものであった。夫人をモデルにした婦人像と裸婦像を多く制作している。
1967年8月28日、胃癌により国立癌センターで死去。享年72。

小金井市立はけの森美術館  〒184-0012 東京都小金井市中町1丁目11−3

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中村研一記念はけの森美術館正面


読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №12 [ことだま五七五]

                読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆3月1日と8日放送分

                            川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、                                                                  ◆2017年3月1日放送分の内容です。

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           AD桃佳さんが就活で不在のため、今朝も二人の自撮り写真

「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
                   http://fm839.com/program/p00000281
3月1日の再放送の音源は、こちらから!https://youtu.be/o_JxM9OJT_o 

【質問】
いつも楽しく聴いています。
川柳さんて、どんな人だったのでしょう?
例えば、口数が少なくて、モテていたとか。
ミーハーな答えだと助かりますが。(諏訪市・平谷妙子さん)

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                        柄井川柳さん肖像画

回答の音源はこちら…… https://youtu.be/o_JxM9OJT_o

【今週の一句】158句の投句がありました!! たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・ブログはね恵庭弘でぐぐってね(恵庭 弘)
・投票で決まる公募のハラハラ感(入り江わに)
・おまつりだ誰の魚だ平目釣り(ラジゴ)
・関与だろ名誉校長なんだから(秦野てっちゃん)
・ご先祖も7つの星に居る期待(外科系)

☆タケシのヒント!
「最近送ってくださる、外科系さん。「人間もDIYと弁置換」という作品も送ってくださいました。こちらも面白いですね。「外科系」さんという柳名から、ひょっとしたら職業ネタなのでしょうか。職業ネタはその作者でしか描けない世界。皆さんそれぞれの職業ネタも楽しみにしています。」

・痛む腰曲がった腰に介護され(キャサリン)

☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「ラジ川。ついに『名人』誕生!今週の秀逸に選ばれること三回。相模原のけんけんさんです!りっちーZさんごめんなさい。放送開始10ヶ月にして名人誕生。今後、大名人目指しますますの精進を。今週のボツのツボ。「ハイハイのハイの返事が早すぎる(キャサリンさん)」。我が家では『だめ!』の返事が速攻です。」

・口パクで昨夜のヒミツ言う金魚(どんぶらこ)
・合格を知って安心した椿(アキちゃん)
・若い人大きく一歩踏み出して(平谷妙子)
・おばさんと安倍さん怖いものはなし(グランパ)
・膨らんだ蕾このごろ父を避け(けんけん)
・女房がいても美人に向く視線(やんちゃん)
・敬遠が敬遠される大リーグ(離らっくす)
・金プレで会社出たけど何をする(六文銭)
・独裁者なって気が付く崖っぷち(龍龍龍)
・横見たら耳栓をして寝る夫(荻笑)
・胡散臭っ豊洲豊中地下の闇(あさひろ)
・正義ぶる百条委員会議員(東海島田宿)
・人休め金は動けよプレミアム(鈴木紘一)
・旅に出て新聞ラジオ無い不安(夢見夢子)
・放送じゃ読めない歌が気にかかり(パリっ子)
・あ”-ウマイ父のマネしたソーダ水(ユリコ)
・彼の地には八億円が埋まってる(北の夢)
・半ドンの世代にゃ眩しいプレミアム(不美子)
・雨降って地固まらず又ケンカ(のりりん)
・どうでした?初プレミアムフライデー(かたつむり)

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                 今回のかたつむりさんのファクス。かわいい!!

・プレミアム3時退社で4時バイト(鵜野森マコピィ)
・青虫の登る墓石陽の射して(ただのおやじ)

本日の秀逸!・膨らんだ蕾このごろ父を避け(けんけん)
   ※けんけんさん、初の名人位、おめでとうございます!! パチパチパチパチ!!
2席 ・おばさんと安倍さん怖いものはなし(グランパ)
3席  ・痛む腰曲がった腰に介護され(キャサリン)

【お知らせ】
アノ東海大相模高校の最寄り駅でもあり、川柳家・水野タケシも住む、小田急相模原こと「おださが」。
去年、駅そばの松ケ枝公園で、第1回「おださが・さくら祭り」を行い、1万人(!)を超える方が集まり、大いに盛り上がりました!!

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おださが在住以外の方にも広くご応募いただけますので、ふるってご参加くださいませ!!

◎お題「おださが」もしくは「さくら」に関する川柳                                                ◎応募方法……ハガキ・ファクス・メール(送付・送信先は下記まで)
◎応募期間……~3月15日
◎賞の内容……優秀賞・特別賞など
◎賞品……おださがで使えるお食事券や記念品など
◎結果発表……3月25日(土)の「第2回おださがさくら祭り」において(15時20分から30分程度)
◎審査委員長……水野タケシ(おださが在住・川柳家)

(ご送付先・お問い合わせ先)
〒252-0313 相模原市南区松が枝町3-21
おださがさくら祭り実行委員会・イケメンの青島さん宛                                         (メール)ka.hi1928since2013@gmail.com

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お待ちしていま~す!

【放送後記】
「ラジオ万能川柳」常連の入り江わにさん。

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そのわにさんが、「第12回あなたが選ぶオタク川柳大賞」の最終選考に残っています。
                  https://www.575.moe/

わにさんの句は「トランプよオタクの萌えに壁はない」です。
私もわにさんの句に一票入れました!!
皆さんもぜひご投票お願いいたします!!よろしくd(ゝ∀・*)ネッ!
タケシ拝

◆2017年3月8日放送分の内容です。

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       AD桃佳さんは今朝は風邪でお休みのため、今朝も二人の自撮り写真
 
3月8日の再放送の音源は、こちらから! https://youtu.be/sSVRh1VVtgA

【質問】                                                                          タケシ先生、19歳から詠まれていらっしゃるとか。第1句ぜひ教えてください。
過去放送いつも聴いています。皆様、ぐんぐん成長なさっていますね。
(足踏みのかたつむりさんより)                                                          回答の音源はこちら…… https://youtu.be/sSVRh1VVtgA

【今週の一句】115句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・ロボットが疲れると聞きホッとする(平谷妙子) ※添削例「ロボットも疲れると聞きホッとする」
・奥の手はあの手この手の汚い手(キャサリン)
・満天に星がいっぱい乱視です(ラジゴ)
・アカデミー賞でドッキリ賞狙い(外科系)
・広辞苑昼寝にちょうど良い高さ(のりりん)
・ブティックの仕入れが豊富年金日(アキちゃん)
・百均のペンと眼鏡で名人位(名人=けんけん)
・レジ横で大福餅が私見る(光ターン)
・今までの苦労ゆっくり花ひらく(やんちゃん)
・切れやすい人が持ってる核ボタン(グランパ)
・チューの時うす目あけたら目が合った(荻笑)
・春の恋キスを邪魔する白マスク(どんぶらこ)
・結論は出たが決断下せない(りっちーZ)
・南洋で散った人待つ祖母の恋(入り江わに)
・川柳は詠むものじゃなくできるもの(子ワニ)
・そのうちに順位予想は春の季語(離らっくす)
・人生はリセットできないゲームだね(恵庭 弘) ※添削例「人生はリセットできぬゲームだね」
・谷村さんサライ歌うの今でしょ(クッピー)
・ヘンな園なんで今まで言わなんだ(夢見夢子)
・年度末つぶやく事も忘れそう(初=あまでうす)
・他人事のように責任認めても(北の夢)
・春色で弾んで見える靴売り場(はる)
・ミサイルよ真上にあがり落下なら(東海島田宿)
・右手より先にドア押す太鼓腹(はるかなる)

☆タケシのヒント!
「はるかなるさんの作品、よくこんなところに気がつきましたね(笑)。細かい観察眼が魅力的です。しかも、カメラならば、相当速いシャッタースピード。どんな「気づき」でもOKです。気づいた瞬間にメモしましょう。句材は、あなた自身の中に、まだまだ眠っています。」

・めくる音紙の感触好きな辞書(ユリコ)
・昭恵さん公人私人肝心よ(鵜野森マコピィ) 

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                      マコピィさんからのファクス
・息乱れはずむステップ老いダンス(鈴木紘一)
・月星がちょっとぬくもる冬花火(不美子)
・救いたい救助のプロを是が非でも(かたつむり)

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                      今回のかたつむりさんのファクス

・こんにゃくがイカッテいます無礼者(六文銭)
・オレだけじゃないとウチの子元都知事(雷作)
・レッテルを貼って議論を封印し(司会者=あさひろ)
・大切な人は近くに居ると知る(ただのおやじ)

☆あさひろさんの「ボツのツボ」
「今週は「森友学園」ネタが多くありました。鴻池元大臣の記者会見は衝撃的でしたね。8億円値引きのからくりの背景を知りたいものです。鴻池事務所はさながら時代劇のシーン。今日のボツのツボはボクのボツ「越後屋と代官様のやりとりが」(あさひろ)『無礼者!』『おぬしも悪よのう~』。」

・大切な人は近くに居ると知る(ただのおやじ)

本日の秀逸!・右手より先にドア押す太鼓腹(はるかなる)
2席 ・ヘンな園なんで今まで言わなんだ(夢見夢子)
3席  ・そのうちに順位予想は春の季語(離らっくす)

【お知らせ】
大好評「仲畑流万能川柳文庫」から第15弾、ドド子さんの「あの日もこの日」が刊行されました。
今回は、来週の投稿分から2名の方に、ドド子さんの貴重なサイン入り句集をプレゼントしします。

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ドド子さんは岩手県・釜石市出身。
6年前の東日本大震災後、しばし「心の旅」に出ていたドド子さんですが、今回、ふるさとへの深い思いも込めて句集を編まれました。

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・何事もなったように海は凪
・被災地じゃ放置国家と呼ばれてる

やはり釜石出身で漫画家の夫・千葉利助さんの絵も必見です。
ちなみに印象的な表紙は、釜石の海に、かつての釜石市民の台所、橋上(きょうじょう)市場が映り込んだイラストになっています。
私もドド子さんとの思い出を書いていますので、ぜひ手に取ってご覧くださいませ。

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仲畑流万能川柳文庫のお問い合わせは、万能川柳クラブ事務局(03‐3212‐2349)までお願いします。

【放送後記】
ここ2回ほどお休みだった番組の人気者、大学生ADの桃佳さん、今週は風邪でお休みでした。
彼女が番組に携わるのは3月いっぱい、ということで、残りはあと3回です。
早く風邪が治って、来週は元気に会えるといいなと願っています。                                                            タケシ拝

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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。                                            ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」 http://ameblo.jp/takeshi-0719/


雑記帳2017-3-15 [代表・玲子の雑記帳]

雑記帳2017-3-15
◆世田谷区烏山に、散策マップ片手に寺町巡りをしてきました。

都内有数の住宅地世田谷は、かって武蔵野台地に茶畑や、水田、桑畑の広がる農村でした。
中でも烏山村は、水に恵まれて人口も増え、大正2年の京王線開通によって市街化が始まりました。

大正12年、関東大震災の被害にあった下町の寺々が、区画整理によって、当時烏山村の中でもまだ開発の進んでいなかったこの地域に、次々に移転してきました。
さまざまな宗派の26の寺が建ち並んだ一角は、周辺の開発が進むなかで、静かなたたずまいを残して、小京都の雰囲気のある、散策の地になっています。

寺町は京王線千歳烏山駅から甲州街道を横切って、徒歩で15分ほどのところにあり、1時間半ほどでぐるりと巡ることができます。

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                    区民集会所そばに立つ寺町のマップ

まず入口にあるのが妙高寺。天保改革を行った水野忠邦がねむっていたところ、移転の際、墓だけはゆかりの茨城県に移ったそうな。

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                                                                               多くは木造ですが、中には独特の姿の寺もあります。

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 順生寺
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存明寺
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幸龍寺
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                                  妙裕寺

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                          歌麿の墓のある専光寺

広大な境内を持つ妙壽寺は境内の竹や松の林が保存樹林に指定されています。

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                               妙壽寺                                                                               

寺町のはずれの高源院は浮御堂のある弁天池に、冬場は鴨がおとずれます。
世田谷には多くの湧水がありますが、弁天池は目黒川の水源にもなっていて、世田谷百景のひとつとして、区特別保護区に指定されています。

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                            高源院の弁天池 

烏山寺町のあたりは、関東ローム層の中に地下水層があることが知られています。
それは武蔵野台地の浅い地下水よりさらに浅い地下水で、「宙水」とよばれています。
浅い地下水は枯れやすいため、残っているところは少なく、この烏山寺町以外には所沢などわずかです。

寺の再建にさいしては、話し合いを重ねて、地下水を枯らさないための規制がもうけられました。                            周辺に、都会には珍しく、サクラやアカマツをはじめとする150種以上の植物が茂り、コジュケイや、ヒヨドリ、オナガ、モズなど多くの鳥類をみることができるのは、宙水が守られているおかげなのです。                                  烏山では、水があるから木がそだち、木があるために水が保たれるという自然の循環を、寺がたくさんあるという社会環境が支えてきたといえるでしょう。                                                      さらに、人々は自主的に「環境協定」をむすんで、まちづくりに地下水の保護をうたっています。全国でもユニークな試みだということです。                                        

◆『森の妖精』を連載中の吉川潔さんから個展の案内をいただいて、お邪魔しました。

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会場の「Gallary銀座一丁目」は、華やかな銀座の通りをちょっと路地に入ったところ、銀座一丁目の「奥野ビル」にありました。
関東大震災後、地震に強い建築をめざして建てられたビルは、昔は銀座アパートメントと呼ばれて、銀座界隈でも屈指の高級アパートだったそうです。
そんな時代の外装、内装がそのまま残るこのビルの4階に、ギャラリーがありました。

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奥野ビル正面
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                     今では珍しい手動のエレベーター

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                           会場入り口から中を覗く

今回のテーマは「生きること」。檜の木から出ずる命の精は、新しい命の生命力を表しています。
月1回の連載ですが、『知の木々舎』にも「生きること」のタイトルで、妖精たちは登場しています。
そして、吉川さんの作品の、木も焼き物も、妖精の頭から出ている双葉.は、命の再生と生命力を表しているのです。
会場でひときわ目立つ、大きな作品がありました。

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                                                                              ◆立川市の市の花、コブシが咲き始めました。

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私の中の一期一会 №139 [雑木林の四季]

南スーダンのPKOから突然の撤退方針。“治安情勢の悪化が要因ではない”ってホント?
  ~稲田防衛相が国会で集中砲火を浴びた。内閣支持率の下落が気になる安倍政権~

                             アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 この11日から12日にかけて行われた朝日新聞の全国世論調査によれば、“森友学園への国有地売却”をめぐる問題で、籠池泰典理事長や国の担当者を国会に呼び、「参考人として説明を求めることが必要だ」という回答が70%もあり、「必要でない」の18%を大きく上回った。
 また「国有地売却は法令に基づき適正に処理された」という安倍内閣の説明に「納得できない」が71%、「納得できる」は12%であった。
 国有地の格安取り引きについても「妥当ではない」が81%と高く、「妥当だ」は6%しかない。
 当然ながら安倍内閣の支持率も2月の調査に比べ「支持する」が52%から49%に下がり、「支持しない」は前回の25%から28%に増えている。支持率に神経を使う安倍政権としてはショックなのではないか。
 政権に嫌われていると言われる毎日新聞も朝日と同じ日に全国世論調査を実施いている。
 森友学園があまりにも安く国有地を取得していた問題について、政府のこれまでの説明に「納得していない」と考える人は75%に達していることが分かった。国民の4分の3が納得していないことになる。
 目立ったのは、“安倍内閣の支持層”ですら69%が「納得していない」と回答していることだ。
 やはり“そうだろうな”と思えるのは、安倍首相の妻昭惠さんが“瑞穂の国小学校”の名誉校長を一旦は引き受けておきながら、問題が起こってから辞任したことについて、「辞退しても問題は残る」が58%、「辞任したので問題はない」の28%を大きく上回ったことだ。
 政権がいくら昭惠夫人と森友学園の関係を否定しても、国民は信用していないのだ。
 内閣支持率も2月の前回調査から5ポイント下がって50%、不支持は4ポイント上がって31%であった。
 支持率の下落は6か月ぶりだと調査は伝えている。
 11,12の両日は共同通信も世論調査をしていて、国有地が格安で売却された問題について、実に86.5%が「適切だと思わない」と回答した。「適切だ」は6.6%しかいない。
 一連の問題に対する政府の説明が「十分ではない」との回答は87.6%という高い数値を記録した。
 退任の意向を示した籠池理事長を国会招致し、説明を求めることに「賛成」が74。6%という結果であった。
 NHKが13日に伝えた内閣支持率は、2月より3ポイント下がった51%、不支持は8ポイント増の31%である・・・聴き方の違いで、数字には差が出る訳だが、支持率が下がり始めたことは確かだ。
10日に安倍政権が「南スーダンのPKOに派遣している陸上自衛隊の施設部隊を5月末までに撤収する」方針が決定したと“電撃発表”したのにはビックリした。
 政府の発表は、森友学園の籠池泰典理事長が、大阪・淀川区の幼稚園で緊急会見を開いて「小学校の設置認可申請を取り下げた」ことや責任を取って「理事長を退任する意向」などを表明している最中に行われたからである。
 森友学園問題は安倍政権を直撃している「不都合な事案」であることは国民の大半に知れ渡ってしまった。
 籠池理事長の会見にぶつけた電撃発表は、“政権に都合の悪いこと”から国民の目をそらし、支持率の維持だけを考えた安倍政権の「籠池隠し」ではないかと書いた新聞もある。
 安倍政権のやりそうなことだが、ホントに「森友学園報道潰し」を意図したのだとしたら、何とも姑息なやり方だし、国民をナメた策略だ。国民は「安倍首相がんばれ!」と叫ぶ幼稚園児と同じではない。
 各社の世論調査から、政権に厳しい目を向け始めたことが読み取れて、「国民ガンバレ!」と言いたい思いである。
南スーダンの治安情勢が極端に悪化していることは国際的な常識である。
 日本ではあまり報道されないが、2013年から続く内戦で、16年9月までに“南スーダンからの難民”は100万人を突破、その後もさらに増え続けているという新聞報道を読んだ。
 それなのに官邸は、南スーダンに戦闘はなく「積極的な平和主義を掲げる安倍政権としては簡単に撤収できない」と言い続けてきた。
 今回の電撃発表でも安倍首相は「南スーダンの国造りが新たな段階を迎える中、自衛隊が担当している南スーダンの国造りは一定の区切りをつけることが出来ると判断した」という説明しかしていない。
 菅官房長官も記者会見で「治安の悪化は要因になっていない」と強調した。
 稲田防衛相が、いくら「戦闘ではない」と言い張っても「武力衝突」はあったのだ。武力衝突=戦闘ではないか。PKO参加5原則の一つ、「紛争当事者間に停戦合意がなされている」ことに整合性を保てない状況だったのだ。
 安保法制で、「駆け付け警護」が可能になったことで、現地の自衛隊は今までと違う判断が必要になってくる。治安の悪化が続く中、万が一“隊員に犠牲者”が出れば大変なことになるのだ。
 変事が起きれば、高い支持率に胡坐をかいている政権といえども“吹っ飛んで”しまうだろう。
 表向きは「活動に区切りをつける」なんて恰好をつけても、本音は「リスクの回避」にあったことは間違いない。「自衛隊の撤収」は国際貢献から一時手を引く訳で、重大な政府発表の筈である。
 本来なら“籠池理事長の会見”と発表が重ならないように配慮しなければならないものだろう。
 敢えてあの会見にぶつけたことで、政権の“なり振り構わない籠池隠し”という思惑が透けて見えるのだ。
ムキになって自説を強引に言い張る安倍晋三首相は、異端のアメリカ大統領ドナルド・トランプにそっくりで、私には“似た者同士”に思えて仕方がない。
 世論調査からみる限りも、安倍政権の「籠池隠し」は無駄な努力であったようだ。今後の国会で野党の執拗な追及を受けることになるだろう。
 「国民の財産である国有地が格安で売却されているのに、きちんとした説明が出来ない政府に問題があることは明白です。政府・与党に“籠池氏を呼んで”疑惑を解明しようという姿勢が全く見えません。
 よほど都合が悪いことが隠されているのではないかと疑惑は深まるばかりです」というのは尼崎市の主婦が書いた投書の一節である。
 この女性は、もしこの疑惑がうやむやに終わるなら日本の将来が不安だと書いている。
 テレビ朝日系(ANN)ニュースは、森友学園の理事長退任を表明した籠池泰典氏が15日午前、“都内で予定されていた会見”をキャンセルしたことが分かったと報じた。
 ANNによれば、籠池氏は午後2時半から千代田区の「日本外国特派員協会」で記者会見を行う予定だった。
しかし、直前になって籠池氏側から「会見を延期したい」と特派員協会に連絡が入ったという。
 籠池氏を巡っては“豊中市の土地取引”の問題に加え、稲田防衛大臣が学園との関係について“国会の答弁を訂正する”などの問題が指摘され会見への注目が高まっていた。
 「何か圧力があったな」と想測は出来るが、推測だけじゃどうにもならない。
 森友問題は、底なし沼のように疑惑は深まるばかりだが、分かったことは一つもないといっていいのだ。
 国会での追及に期待するしかないが、今日15日は稲田防衛相が集中砲火を浴びた。
 稲田防衛相が森友学園の顧問弁護士として裁判に出たことがあるのでは?と野党から追及され、「出たことはない」と強気に否定していた。しかし裁判記録の存在が確認されて一転、答弁を訂正する羽目になった。
 籠池氏と最近会ったかという問いに「面識はあるが、大変失礼なことをさたことがあり10年前から付き合いを絶っている」という答えは変更しなかった。
 それにしても稲田氏の答弁は“へたくそだ”としか言いようがない。大臣はやめたほうがいいだろう。
 森友学園の国有地は大阪府豊中市にある。豊中市議らは11日、「売却交渉に当たった財務相近畿財務局の担当者を 背任容疑で今月中に告発する」方針を明らかにした。
 市議らは「小学校の認可申請は取り下げられたが、これで幕引きは出来ない」と訴えている。
 ある自民党幹部は「森友問題の質疑は当分続くと思う」と語り、内閣支持率に大きな影響を及ぼすような事態になれば、与党内に危機感が広がる可能性があるという見通しを語っている。
 安倍政権が、籠池氏を“トカゲの尻尾切り”して問題をウヤムヤにしてしまわないかだけを、私は心配している。 


パリ・くらしと彩の手帖 №118 [雑木林の四季]

 芸術のパリ今や花爛漫

                       在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

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  美術に関心のある方にとっては現在のパリを見逃すことはできないだろう。もちろん、ヴェルメールを12点、この世に現存する彼の絵の3分の1、世界中の幸運な大美術館で大切に守っているヴェルメールが、パリのルーヴル宮で12点、同時に見られるのだ。そして、そのために企画 した二つの展覧会と合わせて、かつてのオランダの美術の素晴らし さを再確認させているのだ。そして、さらにこれに追い打ちをかけるように、ルーヴルで始まったのが、”日常をデッサンする”と題して、”黄金の世紀、オランダ”のタイトルで、数日前から、デッサンの展覧会も始まったのだ。次から、次へと始まっていく展覧会はそれぞれ関連があって、私たちを離さない。これが同じ日に始まっていたら、その見方ももっと早かったかもしれないけれど、このやり方だから、連日出席して、まとめなければならないのだ。それはもう、私たちに何のゆとりも与えないのだ。ところがルーヴルだけではない。ポンピドーセンターが、その創立40週年記念を、やるぞ、やるぞと、宣伝しながら今まで引きずってきたのだが、パッと花開いたような煌びやかな催しをしたと思ったら、今度は私を恐怖に陥れるような展覧会を始めたのだ。”世界をすべて、3次元印刷してしまおう”というタイトルである。私などは見終わった後で、その作家の名前さえ頭に入っていない。その強烈さは作品の方のみにあったのだ。この世に存在するすべてのものを再現してしまおう、印刷してしまおうというのがテーマだから、生き物であろうとすべてが対象となる。 椅子もあれば、人間もあり、それがコンピューターの力で、即、再現されてしまうのだ。一応見終わり、会場を出て、資料を受け取るところに行くと、驚いたことに、若者たちが、小さな機械の周りにいて、チョコレートをくれた。一体何事かと説明してもらうと、コンピューターで即再現できるのだから、その、元になるものがあればこうして、見ている前で、チョコレートを流すことができるのだ。もっと早く来てくれれば、、見本から作ってあげることもできたのだ、という説明。テレビのニュースで、片方の手が生まれつきなかった子供のために、父親が、右手を作って、はめた日から、この子供はもうコンプレックスもなく、遊べるようになったというニュースで、喜んだものだったが、このスピードで行くと、早すぎて、消滅に向かって走っていくのではないかと恐ろしいが、それもこの世界になんとなく恐れを抱いている私の特別な、そして世紀遅れの感覚のせいなのだろうか?常に恐ろしさの方が先に立ってしまうのだ。さて、この加速の展覧会事情、とても回りきれるものではないが、それでもことをお知らせして、興味のある方がいつ美術館巡りに来ようかの指針になるといいがと思っている。昨日、プレスのために始まったのがオーギュスト・ロダンの死から百年を記念する大、大展覧会。これについては、パリのロダン美術館とフランス国立美術館グループとが一体となって実現したものだ。一般オープンは3月22日から7月末日まで、グランパレの大展覧会の会場を駆使してのものだ。ロダンの全体を見せようというものではなくて、現代彫刻の父と言われるロダンの芸術の、そのあとの流れを見せようという意図とわたしは受け止めた。また、カミーユ・クローデルの美術館もこのてんらんかいにあわせて、来週オープンということでみんなといっしょに行くが、幹線をちょっと離れた町などでの行動はフランスでは車がないと実に不便だから、従うしかないのだ。ずっと前、簡単に運転免許をとったが、好きでないことは気が乗らず、運転を始めると、恐ろしいことばかりが想像されたから、事故の経験もないのにやめて車を売ってしまったのだ。
 あの日本でも非常に名高い詩人ポール・クローデルの4歳上の姉カミーユとロダンとの恋はフランスの美術史の一部になっているのかもしれない。ロダンに弟子入りして、メキメキと才能を見せたから、アシスタントに昇格すると、この二人は恋に陥た。来週、新しい美術館を見れば、いろいろ感じるところもあろう。今回のロダンの死後100年を記念する展覧会では、その後に排出したフランスの彫刻家たち、いや、フランスに集まってきたヨーロッパのアーテイスト達の作品の展示が、最後の部分を大きく占めているものだ。ジェルメーヌ・リシエやロベール・クーチュリエ、そして思いがけないドデーニュすらもその流れを受け継いでいる作家として、作品が並べられていて嬉しかった。その意味で、今回の展覧会の意図はよくわかったが、ただ、日本人としては、あんなにたくさんある日本の踊り子の花子のシリーズなどが全く顔を出していないのがちょっと寂しい思いだ。ロダンにとって花子は、あのパリの大見本市に迷い込んで来なかったらロダンにインスピレーションを与えるものではなかったことだろう。という訳で、今回の快挙にはこれでいいのだと思う。数日前に、オート・クーチュールのバレンシャガの作品の黒い服ばかりでオープンした展覧会の会場は何と常にロダンと並べられる彫刻家、ブールデルの美術館でだった。例によって招待状をよく見ないで、私は服装美術館の方に行ってしまったのだった。近々ここも、ザッキンの美術館も併せて紹介したいと思っているが、何と言っても今回はこの大きな展覧会、いやこの大きなロダンに終始してしまうものだ。このアーテイストは生前から十分に認められ、その名もヨーロッパに響き渡っていたのだ。いや、すでに世界に響いていたと言われるロダンは、生前から、その作品は高く売れ、立派な邸宅ビロン館をパリに持ち、パリ郊外のムードンの森にも大きなアトリエをもっていた。すでに作品、自他共に認める、大芸術家としての存在だったのである。世界にはロダンの作品が7000点あると言われている。この内、日本人は古くからロダン信仰に熱いから、日本にある作品の数も相当なものなのかもしれない。この彫刻家が日本のアーテイスト達に及ぼした影響と言ったら大変なものだったことだろう。ともかくも一昔前日本で、西欧の彫刻、といえば、ロダンだったと言っても言い過ぎではないだろう。絵とちがって、ブロンズでは決められた数までは正式に何点も抜くことができるし、それより前にブロンズに抜く前にはきっと粘土や石膏でいくつも試作している。それでもどうにか、これ、と決まってからも手を加えたり、いろいろの道を通るから、その間の作品も、特にこのような巨匠が作ったものなら重要だ。日本では今までにも何度かロダンの展覧会があり、以前のロダン美術館の館長は、何度も行く日本を良く知っていたが、とっくに引退されてあれから3代くらい代わっている。現在の館長はカテリーヌ・シュヴィヨ、ロダンの専門家であり、ロダンについてたくさんの本も書いている。フランスの国立美術館のグループと共にこのようなロダン没後100年を飾る展覧会が実現したことはロダンにとっても、美術館にとっても、さらにそれにあやかることのできる観客のわたしたちにとっても、大変幸運なことと言えよう。とにかく、美術の面での現在のシーズンのパリは、素晴らしいとしか言いようがない。

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                          大島由美子さんの作品

 フランスにはかつて国立の放送局しかなかったのだが、テレビもない時代に生まれたそのラジオ付きのオーケストラがナショナルの名前のと、フィルハーモニーの名前のと二つあり、これに、オペラ座付きのオーケストラがある。そしてもっと新しく、それでも数十年前に生まれたのが、パリオーケストラで、この他に各地方ごとのがあるという構成になっている。私はこれらのオーケストラのどこにも誰か友達がいるのだけれど、それぞれ年をとっ定年になって、抜けていく人が増えるのも、当然のことなのだろう。その中で、オペラ座でヴァイオリンを弾いているのが、まだまだ先が長い大島リサさん。こちらはいつの間にか、お母様の方が元だったような気になっているけれど、そのお母様までが私に比べるとずっと世代が若い。この大島由美子さんは、日本でも、そして娘さんのいるパリでも個展をしたり、グループ展に参加したり、日仏をよく往復しておられる。今回はグランパレでの展覧会に出展中とのことで、私も数年来見ていないComparaison展(比較展)に行ってきた。中には戦前からずっと続いているル・サロン”などという展覧会があり、最近は、グランパレの向こうを張って、その同じ期間中すぐ近くにテントを張って対抗するような動きも定着してきたところだ。グランパレの中をいくつにも仕切って、古くから続く展覧会で同時に続けているわけだが、コンパレゾンはそれらの中では、若いほうだ。初めてこの名前での展覧会が開かれたのは、従来のサロンに満足できなくなったアーチストたちが求めた新しい空間で、それぞれの作品を比較しようではないかいう考えから生まれたものであり、現在コンパレゾンの会長の画家、ポール・アレクシスの説明では1956年が最初の開催であったという。グランパレの工事その他に阻まれて、ここで開催できないことも続いたが、今回もどって来ることができたという。ここで30近いグループに分かれて展示している、その最後だったが、そこに着くまでに大部分の作品を通ってきたので、この部屋にある作品の良さが私の目に飛び込んで来たのだ。それは、日本人のグループの仕切りの中なのだとわかった。そしてそこにこの大島由美子さんの作品もあった。以前の個展で作品を知って、その仕事に興味を持ったのだったが、今回の出品もくっきりした線を持つ立体だ。
 そのくっきりが若々しいさを感じさせるのだ。色と光と影を駆使したこの作品は、私たちに明快な答えを提供しているようにすら思えるのだ。次回、お話しできるときに、一言その行方を聞いてみたいと思っているところだ。

パリのオペラ座も新しい道を開こうと、いろいろやっている所だ

 オペラの切符が高すぎるという声をよく聞くが、実はそれでも赤字、赤字の山なのだという。切符を一枚売る時、観客が払う料金ではとても賄えないから、そのためにも国の援助が必要なのだ、という説明 。更に、買う人が増えるだけその穴は大きくなるともきく。私のような経済オンチには人が買えば買うほどに、赤字は大きくなるということも、穴はますます大きくなっていくという説明はわからないから、聞き憶えでいく。私のような頭にはこのような説明は無理なのだ。沢山の人が買えばいいじゃないかと思うのだけれど、そうなると赤字がますます増えていく、と言われてしまうと私の議論はストップなのだ。そこで、近年オペラはテレビ放送にも売るようになったし、時々は幾つかの映画館と契約して、映画館で見ることもあるようになったらしい。これはどうやら、希望する映画館に無料でヴィデオを貸して、映画館は普通の映画の料金を取る、こうして、オペラの愛好家を増やしてしていこうということらしい。愛好家を増やすことは確かに大切だろうが、これでは、オペラに収入は入らないそうだから、これをもう一歩進めて、オペラが作ったヴィデオをもう少し彩りよくして、これを映画館に売ろうということを今は計画しているらしい。その第一歩が来週試されるが、こうなるとオペラと言っても歌い手はそう多くはなくて、それよりも一般の人が映画や芝居で親しんでいる人気の高いスター達を入れて、ヴィデオを作るというものらしい。今は研究試作中ということで、あまり話したがらないが、それでも撮影が来週ぐらいに始まると言うのだからいよいよなのだろう。はっきりしたことがわかったらお知らせするつもりだが。


浜田山通信 №190 [雑木林の四季]

「教育勅語」②

                                   ジャーナリスト  野村勝美

 この2、3週間、森友学園問題にふり回されて何も手につかなかった。別に仕事があるわけでもない年寄りには、むしろ絶好の時間潰し。新聞、週刊誌の切り抜き(これは新聞記者時代の名残)が袋に何杯も貯って整理もつかない。国有地の安値売却から始まって教育勅語の暗誦、アベ総理大臣バンザイバンザイ、瑞穂国記念小学校建設、アベ昭恵名誉校長など、すでに一冊の本ができるだけの問題が山積みされた。
 籠池泰典理事長は、国会で安倍首相に「しつこい男」だといわれ、松井大阪府知事にも小学校の認可は難しいとされて、「とかげのしっぽ切りはやめてほしい」と訴えたが、結局小学校建設申請を「断腸の思い」で取り下げた。本人や関係者はこれで幕引きするつもりだったかもしれないが、いくら世の中や政界、財界、メディアが甘くても、そうは問屋がおろさない。14日には長い付き合いの稲田防衛大臣が野党にうそ発言を追求されて弁解させられる。「昔大変失礼なことをされて以来つきあっていない」なんて言わずもながなことを言ってつぎからつぎへと材料は出てくる。
 一連の問題の発端は、誰が何と言っても安倍昭恵首相夫人の森友学園名誉校長就任にある。国会で「アッキード事件」と言われ、首相は「妻を犯罪者扱いするのは不愉快」と色をなしたが、誰も犯罪者扱いなどしていない。国有地の払い下げにしても、競売入札もなしにいろいろと理由をつけて安くした。一時は安倍記念小学校として寄付集めまでしたので、担当役所がいろいろと忖度して安売りしたのではないかと質問されると水戸黄門の「印籠ではあるまいし」と言い、すべて規則に基づいてやったことで忖度など入る余地はないと開き直った。安倍さんは三代も四代も続いた政治家、忖度などということをしたことがないだろうが、役人や下じもはいつも上の人のことを忖度しまくる。ファーストレディに経産、外務官僚などが5人もついて森友学園に講演に行こうが私人の行動だからとやかく言われるスジではないと開き直った。
 籠池理事長(やめて娘が継いだ)は日本会議の役員をしていた大阪では超有名人だったらしい。日本会議と安倍さんは思想的に通じていて、だからこそ昭恵夫人も共鳴し名誉校長になった。問題が浮上して校長をやめたが、私人たる夫人はそれについて何も言っていない。
 安倍夫妻と籠池理事長、稲田防衛相の関係は、単に思想的に同じだというだけではなく、人間関係としても深い。昭恵夫人の外務省職員の一人は、大阪の住吉大社権宮司の娘、籠池夫妻は権宮司夫妻と付き合いがあり、小学校の地鎮祭は権宮司が執行、校内の「瑞穂神社」でもこの人のアドバイスがあった。稲田大臣の父、椿原泰夫氏は右派の活動家で籠池理事長とは親しい間柄だった。昨年10月には防衛相名で、自衛隊との交流で士気高揚に貢献されたと感謝状を贈っている。大臣の夫は弁護士で塚本幼稚園の裁判に関わり、妻の大臣はそのことを追求された。
 教育勅語の「朋友相信じ、博愛衆に及ぼし、すすんで公益を広め、国法に遵じ」は全部どこかにすっとんでいるのだが、教育勅語の一番の問題は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壊無窮の皇運を扶翼すべし」というところにある。天皇陛下のためならばと歌って死に行かされた若者たち、そして国が滅んでいった。その反省の上に国民主権、言論の自由、人権の確立の新椎平和憲法ができたのではないか。いまの天皇は、この騒ぎを嘆き悲しんでいると私は思う。


徒然なるままに №15 [雑木林の四季]

桜の季節

                                     エッセイスト 横山貞利

 サクラの季節・・・か。それにしても「3.11東日本大震災」から6年が経ってしまった。しかし、一向に復旧は進んでいない。東電・福島原発の廃炉は何時になるか皆目わからない。何が「アンダーコントロール(under contorol)か。冗談じゃない。被災者の一日も早い「こころの平和の回復」を祈るばかりである。

 サクラか・・・。櫻といえば二首の歌を思ひ出す。
  西行 一首
 ねがはくは 花のしたにて 春しなむ
       そのきさらぎの もちつきのころ
 
  本居宣長 一首
 しき嶋の やまとごゝろを 人とはゝ
       朝日にゝほふ 山ざくら花 

 上記の二首の歌は、多分、多くの方々がご存知のことであろう。わたしは、この二首を高校時代に覚えたと想う。
 西行については、1984年(昭和59)ころに浦安図書館の「図書館カルチャー」で作家の中野孝次が月1回6か月にわたって西行について講義をしたのを拝聴した。まるで学生の頃を想い出しながら妻と二人で毎回楽しみにしていた。その頃には「山家集」をはじめ西行に関する文献をかなり読んでいたので中野孝次の講義をわたしなりによく理解できたと思う。また、夏の終わりころ中野孝次と木下順二の対論「平家物語」を聴くことができた。この対論「平家物語」は公民館の7,80人座れる大会議室で開かれ、多くの人が集まって立っている人もいて立錐の余地もなかった。約2時間半の論議は白熱して大変貴重な論考だったと思っている。
 本居宣長の一首は、何度か終戦特番を制作しているうちにどうしても昭和史をじっくり研究したいと思いたった1965年(昭和40)頃に大西瀧治郎・海軍中将が「神風特攻隊」を編成してレイテ湾のアメリカ艦隊に突入させた時に「敷島、大和、朝日、山櫻」の4隊(各隊4機で編成)の名称にしたことを知った。その特攻隊の隊長は関行男・海軍大尉であったが、関大尉は「オレのような真珠湾攻撃の生き残りのゼロ戦乗りを死なせてどうするのか。KA(妻のこと)のために死んでやる」と言って出撃したということであった。これも昭和史関連の書を読んで知って、太平洋戦争の本質を示していると考えたことを想い出す。多分、草柳大蔵の「特攻の思想 大西瀧治郎伝」を読んで「しき嶋・・・」の歌から隊名を採ったことを知ったのだと思う。

 ところで、わたしはソメイヨシノよりヤマザクラのほうが好きだ。ベランダの先の公園にヤマザクラがあって、ソメイヨシノから遅れて薄茶色の葉を下敷きにしたようにして薄い五弁の花が開く。その楚々とした花姿がとても風情がある。
 子どものころ家のやや広い道の両側にソメイヨシノの古樹が5,6本あったし、5分くらい歩いた先にある蓬莱山正麟寺(永平寺の末寺)の手前にも数本のソメイヨシノの並木があった。更に寺の前を過ぎて山道を登って城山(じょうやま)の頂上につくと、そこにもソメイヨシノが10数本植えられていて花見をする人たちを見かけた。そう言えば、わたしは花見ということをやったことがない。若い時からサクラの下で酒を飲んでオダをあげている人たちを見るのが嫌いだった。若山牧水流に言えば「酒は静かに飲むべかりけり」だと思っていた。室内で酒を飲んで大騒ぎしても公衆の面前で大声をあげてオダをあげているのはどうにも不愉快である。
 でも、サクラを見るのが嫌いではない。上野公園や千鳥ヶ淵などを歩いたことがあるが人出が多くてサクラを見るのか群衆を見るのか判らないくらいでとても風情を楽しむことなどできなかった。でも、四谷駅の南にある江戸城の外堀を埋めて上智大学のグランドになっている土手に3本くらいのサクラの古木があって、その下でのんびりサクラを見たことがあった。多分、泊勤務明けの日ではなかったろうか。そんな時には独りでサクラの風情を楽しめたことを想い出す。
 兎に角、サクラの下で酒を飲むのは自由であっても一気飲みなどはよしてほしい。それにしても、花見で騒いでいたら「共謀罪」になるかもしれない。1943年(昭和18)の横浜事件(出版大弾圧事件)のきっかけになった細川嘉六の例もあるのだから・・・。

    種田山頭火 五句
  さくらまつさかりのひとりでねてゐる
  いちにちだまつて小鳥のこえのもろもろ
  つんできて名は知らぬ花をみほとけに
  蕗のうまさもふるさとの春ふかうなり
  みんな嘘にして春はにげてしまつた


気楽な稼業ときたもんだ №55 [雑木林の四季]

第7章 ショクナイざんまい 忘れえぬザ・ピーナッツ

                              テレビ・プロデューサー  砂田 実

 僕のショクナイ・アイテムの重要な一角に、コンサートの構成・演出もあった。幸いにして僕に依頼してくれるのは、当代の実力派とも言うべき、それなりの歌唱力を有している歌い手ばかりであった。演出家にとってはたいへん幸せなことだ。
 テレビの音楽番組の制作では、歌い手本人と会うのは、打ち合わせと本番を入れてもせいぜい二回である。だが舞台作りともなると、打ち合わせから始まって一ケ月はかかる。その分だけ、歌い手の素顔なり内面にほんの少し触れることができる。あえて「ほんの少し」と言ったのは、比較的長時間の接触であるにもかかわらず、それは「ともに舞台作りに臨む」という、限られた目的のための接触なのであって、それでその人間の真の姿がわかったつもりなどと言うと、倣慢に過ぎると思うからだ。大スターではなくとも、テレビに露出する彼ら彼女らは、普通の人々よりはるかに強い緊張の連続の中を生きているのであるから。
 僕が垣間見たスターたちの「ほんの」素顔を少し語ってみよう。

 ザ・ピーナッツ賛歌

 「ザ・ピーナッツ」という大スターがいた。抜群の歌唱力を誇った双子のデュオであるが、今では残念ながらすでに伝説上の歌い手になりつつある。というのも、絶頂期とも言える時期に、素晴らしいデュオを解散してしまったからだ。
 僕とザ・ピーナッツの交際は、彼女たちが完全にスターダムにのし上がってからの約十年ほどだ。双子のお姉ちゃんの日出ちゃん(芸名‥伊藤エミ)のほうは積極的、妹の月ちゃん(同ユミ)は控えめ、と性格は違ったが、風邪をひく時は一緒だったりと、一心同体だった。二人で手を振り合いながら、大スターという重圧を華奢な肩に必死に背負ってがんばっていた。人一倍仕事熱心だった彼女たちは、コンサートで歌う曲目選択の打ち合わせ時から顔を出し、真剣に討論に加わった。
 僕はどの歌い手にも、ふだん彼らのレパートリーにない、むしろ従来のイメージの殻を破るような曲をぶつけることがままあった。ジャズやシャンソン、あるいは洋楽のポップスに、その歌い手で僕自身が聞いてみたいオリジナルの日本語の歌詞をつけて歌わせるのだ。ザ・ピーナッツは、まず「NO」とは言わなかった。自分たちと音楽的に合わないと思った時だけ、「これはあたしたちには……」と、はっきりと意思表示をした。とかくアイドルというものは、表面ではニコニコ、イヤなことはマネージャーに言わせたり、裏で何を言っているかわからないタイプが多いものだが、彼女たちにかぎっては、そういうところがまったくなかった。
 超売れっ子だったピーナッツのスケジュールだと、オリジナル曲を覚える時間など割けないはずだが、最初のリハーサルまでにバッチリと歌えるようにしてくる。「この子たちはスゴイな」と何度思ったことだろう。その曲を一生懸命トライしてみてから、申し訳なさそうに「出来そうにない」と告げることもあった。彼女たちの言う「出来そうにない」とは、立派に歌いこなしてお客様の心に届くようにするのが無理だろう、という判断なのである。要するに、普通に歌いこなす分には充分なのだ。
 ミッシェル・ルグランの「風のささやき」という、本来インストゥルメンタルの曲に歌詞をつけたことがあった。インストの曲は歌いにくいものだが、懸命に練習してきたのだろう。聞かせてもらうと、すごく良かった。しかし、彼女たちは納得できていないようだった。「あたしたち、どうしても肝心なところが自信がない」。彼女たちは自分たちに、つねに高いハードルを設定していた。ピーナッツはただのアイドルではなかった。

 彼女たちのプロ根性がよくわかるエピソードを紹介してみよう。当時のザ・ピーナッツのスケジュールは、まさに殺人的であった。ある時、番組にどうしても二人の出演が不可欠だと思い、僕は彼女たちが所属する渡辺プロダクションに赴き、ピーナッツのスケジュール帳を勝手に覗いた。ちょうど予定したい日の夜が空いている。そこに鉛筆で線を引き、「TBS出演砂田」と記入した。もちろん、あり得べからざる所業である。そこへ担当のチーフマネージャー池田道彦が帰ってきた。彼は、のちに「アトリエ・ダンカン」という演劇プロデュース会社を立ち上げ、業界にそれなりの地歩を築いた人だ。
 その時の池田はべつに怒りもせず、僕が勝手に記入したスケジュール帳を見て、
「砂田さん、そこは彼女たちがほとんど二晩の徹夜の後、やっと睡眠をとる時間です。空いているわけじゃありません。ピーナッツを殺す気ですか?」
 しかし、僕にしても予定した番組は彼女たちなしでは成り立たない。スポンサーにも通告済みだ。必死に説得にかかった。
 「スタジオのセッティングの休みには、近くの旅館をとって少しでも睡眠をとってもらうようにするからさ!」
 それではまるで強制労働の飯場みたいだな、と思いながらも、あえて鉄面皮を装って頼みこんだ。池田は黙って腕組みをしながら、しばし考えていたが、
 「本人たちがどう思うか、です。今晩夜中に会いますから、その結果を砂田さんに電話します。ちゃんと家に帰っていてください」
 携帯電話など影も形もない時代。神出鬼没の僕の日常を知っての物言いだ。
 「もしやってもらえるとしたら、新しいジャズで『フィーバー』というペギー・リーが歌ったナンバーの譜面。編曲は前田憲男さん」と言いながら、デスクに楽譜の束を置く。
 「できなかったら、この譜面はゴミ箱に捨てますよ」と池田。
 「俺が拾い集めにくるから。ついでに、一緒に南京豆(ピーナッツ)の袋も捨てておいてくれ」
 じつは双方おおいに譲れない険しい場面だが、ジョークを添えながらぶつかりあった。
 深夜、池田から自宅に電話があった。
 「やらせてください。あの曲に惚れたそうです。でも、『フィーバー』の曲の途中から自然にドリームになっちまうかもしれないと申しております」
 なにせ二晩徹夜明けの『フィーバー』である。電話で二人とも笑いあった。
 本番当日、カメラなしの段取りリハーサルから始まった。その番組は、出演するすべての歌い手にオリジナルの曲を歌ってもらう内容だった。あらかじめ収録してあるオーケストラのバックに、それぞれの歌い手が手さぐりで声合わせをする。中には、ほとんど「この場が初体験です」というような、まったく自主的な練習をした形跡のない歌い手も何人かいる。
 ザ・ピーナッツの番になった。驚いた。すでに完壁に近いのである。もちろん、曲の途中に「ドリーム」はついていなかった。僕は感動した。なんでも、ピーナッツの二人は、「砂田さんじゃしょぅがないね」と言いながら、前田憲男アレンジのデモテープを聞くと、にこやかに顔を見合わせ、早速練習にとりかかったそうである。寝る間を惜しんで練習する二人を見た池田は、前日にあった持ち歌を歌うだけの他局の番組には、本番同様のリハーサルであるランスルーだけ参加させ、その局のリハーサル室でこの歌の稽古をしたようだ。その局こそいい面の皮であったろう。

『気楽な稼業ときたもんだ』 無双舎


BS-TBS番組情報 №134 [雑木林の四季]

BS-TBS 2017年3月のおすすめ番組

                                      BS-TBS広報宣伝部    

カリブ海縦断5000km 大森南朋 奇跡の楽園

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2017年3月18日(土)よる7:00~8:54 第一夜
2017年3月25日(土)よる7:00~8:54 第二夜

☆大森南朋が、カリブ海~南米大陸5000kmを縦断して世界でも類を見ない“楽園”の謎を解き明かす!

旅人:大森南朋

俳優・大森南朋が“地上の楽園キューバ”と“天空の楽園ボリビア”を旅する紀行ドキュメンタリー特番。第一夜では、天空の楽園と呼ばれるボリビアへ。謎めいた古代文明の痕跡や、神秘の絶景を体感し、高原地帯に育まれた楽園の謎に迫る。第二夜は、地上の楽園と呼ばれるキューバに。カリブ海に浮かぶ大自然と伝統建築に囲まれ貧しくも笑顔あふれる人々を通して“本当の幸せ”とは何かを探し求める。2つの国はなぜ、“楽園”と呼ばれるのか?旅人・大森南朋が、カリブ海~南米大陸5000kmを縦断して世界でも類を見ない環境・文化を築いた“楽園”の謎を解き明かす。

▼3月18日 第一夜「天空の楽園ボリビア誕生の秘密」
大森南朋が、「人生で一度は(写真を)撮ってみたい場所」と語る、ボリビア・ウユニ塩湖。『ウユニを超える絶景はない』とも言われるその絶景はいかにしてその姿を成しているのか…旅の始まりは世界遺産・ティワナク遺跡から。この古代文明の痕跡から“楽園”の原点をたどっていく。インカ帝国発祥の地とも言われているチチカカ湖の太陽の島、さらには、ボリビアに住む日本人集落“オキナワ”、南米三大祭りの一つオルロのカーニバルなど、ボリビアに住まう人々を通して大森が感じた楽園の姿とは?

▼3月25日 第二夜「キューバが地上の楽園と呼ばれる本当の理由」
首都ハバナの街は、世界遺産と市民の生活圏が同居する不思議な空間。街中を走るアメ車、英雄チェ・ゲバラのイラスト、鳴り響く音楽、そして何より印象的なのは市民の笑顔…なぜ彼らはいつも笑顔でいられるのか?それを体感するべく大森が、キューバ人の家庭に民泊する。現地の人々と生活を共にしていく中で、見えてきた彼らの“笑顔”の源とは何なのか!?

なかにし礼が語る 昭和の流行歌大全集

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2017年3月17日(金)よる7:00~8:54

☆なかにし礼が語る昭和歌謡史!なかにし礼が選んだ、その時代に一世を風靡した珠玉の10曲を石川さゆり・氷川きよしが熱唱!昭和歌謡史を彩った懐かしの名曲映像も登場!

出演:なかにし礼
ゲスト:石川さゆり、氷川きよし、ミッツ・マングローブ
進行:秋沢淳子(TBSアナウンサー)

日本の作詞家のトップランナーとして歌謡界を牽引してきたなかにし礼。この番組では、なかにし礼が愛してやまない昭和の歌謡曲を本人がわかりやすく興味深く紹介していく。長年、歌謡界のど真ん中に位置する彼が、当事者でなければ分からないエピソードも交え、名曲誕生の秘話を語る。
番組の目玉として、星の数ほどもある昭和歌謡のなかから、なかにし礼が厳選に厳選を重ねた珠玉の10曲、「歌謡曲の歴史を代表する10曲」を紹介。この10曲がなぜ選ばれたかをなかにし自身が一曲ごとに解説。そして、なかにし礼を師と仰ぐトップシンガー、石川さゆりと氷川きよしがその曲を歌いあげる。その他のなかにし礼のヒット曲や、昭和歌謡を彩った懐かしの名曲もVTRで紹介していく。
さらに、なかにし礼の作詞した膨大な曲の中から「詞」に焦点を当て、ミッツ・マングローブとの対談でその詞の魅力に迫る。

世界に誇る夢の超特急~新幹線開発物語

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2017年3月26日(日)よる7:00~8:54

☆開業から53年。進化し続ける新幹線の秘密に迫る!

ナビゲーター:井浦新
再現ドラマ:上條恒彦(十河信二)、藤本隆宏(島秀雄)、大谷亮介(鳩山一郎)
ナレーション:濱中博久、野々すみ花

日本が世界に誇る超高速鉄道、新幹線。
開業から53年、スピード、安全性でさらに進化し続けている。
すでに戦前から進められていた「弾丸列車構想」とは?
新幹線の夢を阻んでいた「37cmの枷」とは?
国鉄総裁・十河(そごう)信二と技師長・島秀雄の「執念」が結実した、熱き人間ドラマ…
幾多の苦難を乗り越え、“夢の超特急”新幹線を実現させた人々の「苦闘と歓喜」。
新幹線の進化に不可欠だった「国鉄分割民営化」、その意味とは?
JRになってなお進化し続けるスピードと安全の「最新技術」、その驚くべき秘密にも迫る。


バルタン星人の呟き №10 [雑木林の四季]

 「3・11を・・・」

                                      映画監督  飯島敏宏

 3・11に東京で行われた政府主催の「東日本大震災追悼式典」での安倍首相の式辞に対して、東京電力福島第一原子力発電所の事故に触れる文言が皆無だったことに、福島県知事が違和感を持った、と報じられましたが、式典のテレビ中継を見ていた私も同じように、東北の復興工事の実績を強調するばかりの首相の式辞には、あの大地震と津波の犠牲者や原発事故被害者への暖かい視線が欠けていて、いつも通りプロパガンダが過ぎる、という思いを抱きましたが、まさか、東電事故に全く触れていなかったとは気がつきませんでした。
 当該の県知事の指摘ですから、間違いないのだろうけれども、安倍首相が会場で読み上げた式辞は、おそらく慎重に練り上げられたものでしょうから、迂闊という事はあり得ません。 もし本当に、一言も東電事故に触れていなかったとしたら、飛んでもない事だと思ったので、翌日の新聞で、あらためて全文を確かめてみました。
「・・・・福島に於いても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます」
 福島については、想像していた通り、皆無、ではありませんでした。避難指示の解除、という文言に、福島第一原子力発電所事故という意味を込めているのでしょう。しかし、これもまた、除染の実績を述べているにすぎません。しかし、この文言は、野球で言えばファウルチップのようなもので、軽く触れただけ、到底、原発事故の被災者、被害者のすでに6年にも及ぶ永年の労苦を労わるものではなく、主眼はむしろ、現政権の復興の業績を称える文言に置き換えられていたのです。これだけでは、福島県知事や、県民の期待した、被害者に対する思いやりは、皆無だったと言われても仕方がありません。
 思い出してください。6年前、あの事故が起こった時には、避難を余儀なくされた地元福島の人々だけではなく、日本全国ほとんどの人々が、テレビの中継生放送で、大津波の悲惨な被害状況を見た後に、未だ嘗て経験したことのない、しかも、異様で不可解な、いかし底知れない恐ろしさを伴った原子力発電所事故を、発生した当初から、数日間、固唾をのんでテレビ中継の画面を見つめ続け、発電所内の緊迫した決死的な応急対策と、失意の連鎖を目の当たりにし、シーベルトだのベクレルだのという、初めて聞く言葉に一喜一憂していたはずです。自衛隊のヘリから吊り下げられた水が、頼りなげに原子炉の上から降りかけられる度に、うまく命中するようにと祈ったこと、全国各地から、大型クレーンを搭載した消防車を掻き集めて決死的な放水した数週間に及んだ状況を・・・
 しかも、6年を経た今日でも、終息の目安どころか、未だに事故状況の全容を知る手掛かりを探るロボットの進入さえ覚束ずにいる現況で、なぜ、昨年まであった東電事故関連の言葉を、わざわざ改変したのでしょうか。福島県知事の怒りは、至極当然だと言わなければなりません、その背景は、確りと見定めなくてはならない大切なことだと思うのです。
まさか、あの事故は前政権のミスリードが齎したもので、わが政権の責任ではありません、という訳ではないでしょうし、「直接、原発事故で死んだ者は皆無だから、犠牲者追悼の式辞であれば、福島第一原子力発電所の事故に触れる必要がない」という放射能無害説でもないでしょうけれども・・・

 ところで、式辞で述べられた安倍首相の感じる「復興の新たな段階」とは、一体どんな段階なのでしょう。いま、除染の結果、数値的には放射能被曝の危険はなくなりました、と、避難解除されても、その地区の我が家に帰って行くことの出来る人々が、果たしてどれだけいるのでしょうか。単に除染や最低限のライフラインの再建、建造物の復元が可能になったから、元の居所にお帰り下さい、と言われても、6年の間放置されていたコミュニティーは、完全に崩壊しています。決して簡単に元通りにはならない事実を、直接的な被害を蒙らずに済んだ遠隔地の私達でさえも、テレビ、新聞等の報道で、勿論十分とはいえないまでも、切実なものと知っているのですから。
 福島以外の地域でも、すでに今、無理やり推し進め始めた2020TOKYOオリンピック・パラリンピック関連工事遂行の為に、東京その他東北地方以外の地域に人手を奪われて、建設関係の従事者不足が、東北の復興に深刻な影響を及ぼしていることも弁えています。「復興の新たな段階」には、それ以外にも巨大な障壁が幾重にも待ち構えている筈ですが、読者の皆さんは、特別な情報を掴んでいる訳でもない私が敢えて呟くまでもなく、推察がお付きになると思います。
 敢えて呟かせて頂ければ、忘却です。忘却ほど恐ろしくもまた重宝なものはありません。都合の悪いものは忘れてしまえという、

 先日、東京国際フォーラムで催された、東北大震災支援イベントの映像部門に、知り合いの岩手県在住の新人監督が撮った作品が登場するというので出かけたのですが、岩手、宮城、福島三県の代表的な物産が並べられた出店の並ぶ広場を横切って、イベントのメイン会場に行ってみると、大震災被災地3県のどのコーナーも、被災地の現状と問題点を訴えるというよりも、土地のかさ上げ造成、海岸沿いに高く築かれたコンクリートの堤防、など土木建築関係の復興の実績を示す写真と、観光誘致のパネル展示、パンフレット、ご当地産品を、各県がそれぞれパーティフィケートされたパネル壁を隔てて配置されていて、多分それぞれの県の観光係と思われる人たちが、銘々別々に、まばらな訪問客を捕まえて、県別に作成されたパンフレットを渡しながら、自県産品の説明や自県の観光誘致に励んでいるのですが、それも、なんとなく熱意に欠けた、まったく通り一遍な感じなのです。
 やがて、上映開始時間になると、場内に特別なアナウンスが流れるでもなく、折りたたみ椅子の並んだ明るい照明のままの会場で、係員が周囲の来客に上映開始の一声かけたほかに、何の説明もなく、スクリーンに上映されたのが、企画審査を通って、県の復興予算で製作され、県出身の俳優村上弘明さん他の俳優さんたちが出演する新人監督作品だったのですが、驚いたのは主人公の少女が、震災で流れついたお石地蔵さんの霊験で、ある夜、大津波に浚われて未だに発見されない父親と再会することが出来たという屋や幻想的なドラマのラストシーンとなり、さて、いよいよテーマ音楽に乗って、俳優、スタッフに続いて晴れがましく新人監督のタイトルが映し出される筈のエンドロールが始まる、と私たちが姿勢を正したところで、なんと、プツン、ともいわず、いきなり画面が消えてしまったではありませんか。拍手も出来ず、あっけにとらわれている私たち観客に、何の説明もありません。私たち観客が、歯切れ悪く席を立つたところへ、いま、後方に据えられた映写機の電源スイッチを切った係員が、私たちを関係者と見たのか、満面に笑みを湛えて名刺を取り出しながら近づいてきたのですが、タイトルロールを残してスイッチを切ってしまったことには、なんの矛盾も感じている様子がありません。ここでは、時間通りに、全てが進行しているらしいのです。傍らで、いかにも東北人らしく、恥ずかしさと怒りで真っ赤になりながらも、無言で佇んでいる新人監督を促して、早々にその場から離れて、偶然居合わせた顔見知りの監督にも声を掛けて、会場外の喫茶店に席を取って、新人監督のあれこれの苦心談を聞いたりしながらも、一体あの会場と係員達のありようは何なのだろうと、理解に苦しんでしまったのですが、湧いてくる怒りをぶつける対象が見つからずに、割り切れない気持ちのまま、新人監督に別れを告げて、帰ってきてしまいました。

  3・11に私が経験したこの2つの事例でお分かり頂けたでしょうか。あの大震災と原発事故が、世間では、どんどん忘れ去られているのです。この6年の間に、現地でさえも、信じられないほど風化しているのです。このイベントに関わっている係員の人たちの係累には、あの大地震と津波、原発事故で直接被害を蒙った方がいらっしゃらないのでしょうか。いや、それとも、私たちでは計りかねない深い悲しみが、あの人たちを、仕事は仕事、と割り切らせてしまったのでしょうか。会場下の広場に並んだご当地物産のテントで、せめてもの支援と数点の買い物をして帰ったのですが、なんとなく、忸怩たるものが心の中に澱のように残って仕方がありませんでした・・・


ZAEMON時空の旅人 №10 [雑木林の四季]

   第五章 「あっ、これは・・・・縄文時代の遺跡だ!」

                                                                 文筆家  千束北男

ボクが思わず叫び声をあげたのは、画面に現れたのが、ボクの住んでいた街の市立遺跡、博物館に再現されている縄文時代そっくりな光景だった、というよりも、3D画面が、ボクたちをその中に引きずり込んでしまったようだったからです。
「よくおわかりになりましたね。ご賢察の通り、ここは、縄文時代の後期です。いまから約五千年前の、西暦2016年現在の山梨県北杜市で「金生(きんせい)金生遺跡」として発掘、保存されている場所です・・・」
徳治さんにほめられて、ちょっといい気分になったところへ、
「ミズシマ君、でも、これは遺跡じゃないのよ。いま、ボクたちが五千年前のここへ来ていると考えた方がいいの。ほら! あの人たちは、遺跡博物館にあるようなお人形じゃなくて、実際に、生きて、生活しているでしょう!」
まるで山本久美子先生のように、凛として自信に満ちた香織さんです。
「記録された映像を見ているのではなく、我々の乗った宇宙船ピルグリム三世が、大破消滅した旧ピルグリム三世の軌跡をたどって、実際にここへきているのだとお考えくださっていいのです」
徳治さんが、不思議な解説を加えるうちに、
「あっ!」
宇宙船がどんどん近づいて行くと、なんと、動いているのです。陳列されたマネキン人形ではなく、香織さんがいったように、ほんとうに本物の人間がいるのです。彼らは、いま、ボクたちの周囲で縄文時代を生きているのです。
「あのオ・・・」
と、声を掛けたくなるほど身近に、目の前で、縄文時代の人々の生活が行われているのです。
ピルグリム三世と彼らの間には、いったいどんな距離が保たれているのでしょうか、ふしぎなことに、彼らが、これほど近づいた宇宙船の存在に気づいている様子が、少しもありません。
「説明は簡単につきます。私たちが今経験しているピルグリム三世の行動は、彼らが過ごしている時間よりも、ほんのわずか、秒単位では計り切れないほどごくわずか後の時間だからです」
現役合格確実の受験予備校生のように明快な夏樹香織先輩の声です。
「流石は夏樹香織さん、ご明解。完璧なアンサーです」
徳治さんが感心します。
「え? そ、それ、どういうこと・・・」
香織さんと徳治さんの問答は、とてもボクの科学知識では追いて行けません。
「ミズシマ君!」
「あ、ボク、のこと?」
「ほら、いまキミのすぐ前にいるその人の肩を叩いてごらん」
「え? そんなこと・・・できるの?」
「ほんとうに、大丈夫だから・・・」
「・・・・」
「やってごらんなさい・・・」
二度も言われて、勇気がないと思われるのがくやしいので、半信半疑ながら、目のまえでドングリのようなものをすりつぶしている人の肩に手をかけてみました。が、手は空を切って何も感じません。
「どういうこと、これ?」
「いまここに、彼は、いないのです。ほんのわずか違う時間にいるのです」
「よくわからない・・・どういうこと・・・ですか?」
くやしいけれど、ここは下手に出るより仕方がありません。
「この人々と私どもの間に、ごく薄い時間の壁がある、と申し上げればよろしいでしょうか」
徳治さんが補ってくれます。
「たとえば、映画のフィルムで考えてみて。普通は一秒間に二十四コマ別々の映像が映っているでしょう。それをもっともっとスピードをあげて撮影したとしても、一枚一枚の画は、独立して成り立っているでしょう。時間というものが、縦に流れているのでなく、並列して流れていると考えれば説明がつくと思うけど・・」
「うーん、・・・何となくわかったような気がするけど、それ以上は、ボクにはムリムリ! 香織先輩は、すごい理科(り)理科系(け)系女子(じょ)女子なんですね」
「それよりも、いちいち先輩は、やめにしてくれないかな、こっちも、ハヤトでいくから」
ボクは、それ以上深く考えるのを止めました。頭が痛くなりそうでしたから。
それよりも、
「カオリとハヤト・・・」
のほうが、ボクにとっては重大です。香織さんをそんな風に呼んでいいのだろうか。思わずニヤつきかけたボクの脳裏に、一瞬、カクタ、エノキド、イソハタたちクラスメイトの怒り狂う顔がよぎりました。
「一万二千年前ごろから、地球は氷河期を終えて温暖化し始めていました・・・」
こんどは、井村徳治準教授の講義です。
「温暖な日本列島のこのあたりの人間たちの暮らしは、それ以前の、獲物を追ってつねに移動し続けなければならなかった狩猟時代から、野山にふんだんに実るようになったクリ、ドングリ、トチなどの穀物を食用に加工して生活する定住生活時代に移っていたのですね・・・ここは、幾組かの家族がともに暮らしている集落、ムラです」
石積みの囲いに茅葺きの屋根が乗った家屋、半地下の屋内の土間に石をならべ、炉が組まれ、各種の土器が容器として使われています。
いま、目の前の露天で人々が火を使って調理しているものは、ボクが遺跡の再現で見た、クリ、ドングリ、トチの実などの穀類から作られた食事と非常によく似ています。
いく棟か、おなじような家屋が並ぶ集落の中央の広場には、いくつかの丸石が並べられ、その真ん中に立てられた何かの象徴のような長い石を囲んで祈るひとびとの姿があります。
「あ、土偶(どぐう)土偶!」
人々の中心にいた人物の手の中から小さな土偶が現れて、その石のそばにおかれます。
この土偶には顔がありません。でも形は人間に似ていて、人が手を合わせて祈る形にも見えます。人間をかたどったのではなく、あるいはこの人々が畏れあがめる精霊かなにかの姿に似せたものでしょうか。
そして、それぞれが、頚から、あるいは耳に、イノシシの歯牙をかたどったような、瑠璃か滑石の飾りをさげています。
「マアカルタマ、勾玉(まがたま)勾玉ね」
カオリ先輩の言葉を待つまでもなく、ボクにもそれはわかります。
たいていの冒険映画やSFでは、こういうところで焚火がたかれて、集落の人間たち総出で祭祀(さいし)祭祀や踊りが行われるのが定番ですが、いま、目の前で行われているのは、日々くり返される夕べの祈りなのでしょうか、素朴でもの静かです。口の中で何か唱えているようにみうけられるけれども、声にはなっていません。
あ、でも、何か聞こえます。音楽、というほどのものではないのですが、なにか、心やすまる、現代の楽器で言えば、オカリナに似た音がきこえてくるのです。
土器です。顔の前に捧げ持った土器に口を当てて吹いている人がいるのです。リズムはありませんが、戦慄だけの響きが流れてくるのです。
イヌがいます。紐にも鎖にもつながれずに、まるで家族のひとりのように、人たちの間を動き回っています。
すぐ近くには、広い木柵に囲まれて、イノシシの子供、ウリの形をした、縞模様のはいったコッペパンのようなウリ坊がいます。飼育して食用にしているのでしょうか。そういえば、ボクの知っている遺跡では、ウリ坊の骨がまとまって発掘されていました。
「その日を生きるために必要なものだけを狩り、大切に保存して食べていたのですね」
さすがはカオリさんの推察です。最近しきりに聞く、ロハス(LOHAS)という言葉がボクの頭の中をよぎりました。
「もし、逆に縄文の人々が現代にやってきて、獲(と)獲るだけとって飽きるほど食べて、残りの捨て場に困っている有様を見たらどう思うでしょう」
山本久美子先生だったら、きっとそういうに違いありません。
「ZAEMON艇長! ピルグリム三世が、ほんとに縄文時代に行ったとしたら、なぜ、着陸して、なにか証明になるものを持ち帰らなかったのですか・・」
これがいけませんでした。
ボクとしてはごくあたりまえのことをきいたつもりだったのですが、どうやら、ZAEMONの、いちばん気に入らない質問だったようなのです。
「冗談を言ってはいかんぞ、ハヤト!」
ガツンと頭をなぐられた気分でした。
あたまごなしとは、こういうことをいうのでしょう。
「過去に行った場合はぜったいに着陸したり、宇宙船の外に出てはならない。これは、時間旅行者の鉄則だ。過去の世界で、たとえ小さな石ころひとつでも動かしたら、現在を大きく変えてしまうかもしれないだろう。ミズシマ・ハヤトは、少なくともそれぐらいの基礎知識は持ち合わせていると思ったが・・」
「・・・」
ZAEMON艇長の強い調子にめげかかったボクに、すかさず徳治さんの優しい解説が続きます。
「外に出る、ということは、その時間にキミが属してしまう、ということですから、過去の領域で、もし何かの事故に巻き込まれてキミが命を落とすようなことでもあれば、現在のキミが消滅してしまうわけです・・ので」
「それにハヤト、十歳のボクが五千年前のここに出かけたら、いったい、何歳になると思うの? ふふふ」
カオリに痛いところを衝かれます。
「・・・・」
「縄文時代に、だれかさんとだれかさんが、ムラはずれの道でばったり出会わなかったと仮定すると、ハヤトはこの世に生れてこなかった・・・わかる?」
「!!! すごい!」
ZAEMONに頭から一撃をくらってしょげかえっているボクに、カオリが、優しい調子でつけたして微笑をなげかけてくれた時には、なんだかどきどきしました。
縄文時代の緑あふれる川のほとりで、うら若い美しい女性と、若くたくましい青年とが出会う情景が、僕の頭の中に浮かびます。そうです。印象派のマネが描いた光あふれる野山の情景です・・
突然、ボク自身の誕生のためのかぎりない奇跡と生命の尊さ、みたいなことを、これまでになく強く感じて、目頭がジンとしてしまったのです。
と、
「おほん!」
ZAEMONの大きな咳払いとともに、ボクたちを押し包んでいた縄文の世界が消えて、現実のピルグリム三世の船室にもどっていました。
「これで、私のピルグリム三世が、時の壁をこえて、縄文時代をかいま見たことが証明できたというわけだ・・・」
ZAEMONが結論づけると、絶妙なタイミングで、徳治さんの食事がサービスされます。
「十三種の野菜に、たんぱく質として、シカの肉が使ってあります。残念ながら、イノシシではありませんが、ほぼ、縄文のロハスな食事と申せましょうか・・・」
不思議なことに、これがすべて、スープというかジュースというか、液体なのですが、飲み終わってみると、ちゃんとしたコース料理を味わったような満ち足りた食事の記憶が残るのです。
そのおいしかったこと! ママの「365日の健康レシピ」では、とてもとても太刀打ちできません。
「そして、火だ」
ZAEMONが、くぐもった声で続けます。
「ヒトは、火をつかうことで、食物の素材を食べやすく調理することを覚えた。やがて、土を焼き、土器をつくり、鉄を鋳(い)鋳ることもおぼえた。火は、文明のはじまりだ」
食事をしながら、ZAEMONと徳治さんの、縄文をめぐる論議が続きます。
「ヒトは、火を武器にして、襲いかかる動物を撃退する術も会得します。やがて、すべての動物を凌駕して、その名のとおり霊長類の地位をかちとるのです」
「しかし、縄文の人たちには、ヒトである自分たちがすべての支配者だとは思っていなかったふしがある、自分たちのよりどころになる、なにかすぐれた存在を感じ、あがめていた・・・」
「カムイ、カミです」
「石であれ、木であれ、海であれ、空であれ、彼らは、カミの存在を感じていた」
「あのように男根型(だんこんがた)男根型の石柱を囲んで何かに祈る姿には、多神教の気配がありますね」
「現代人の多くが、世界を動かしているのは人類の文明の力だと考えるのは、不遜な驕りに他ならない」
「いずれにしても、縄文の人々に信仰の気持ちがあったことを、物語っていますね」
「彼らの集団生活には、家族ばかりでなく、仲間たちとの共生があった。集落のあり方からは、一家のみでなく、コミュニティーが存在したことがうかがわれる」
「ムラ、クニというべきコミュニティーの単位はありましたが、それはあくまで生活の単位で、国家といった考え方はありません。まだ、コメなど稲作の技術を持たない狩猟民族ですが、厳しい気候の中で食料を求めて移動し続ける時代ではなく、周囲の野山で手に入れることが出来る食料を煮炊きして生活するようになったので、定住する住居をつくり、ムラが生まれたと考えられます」
「ムラとムラの境目はあったが、そこには何の目印もなかった、お互いが暗黙のうちに承知して仲良く入りあっていたのだ・・」
矢つぎばやに、ZAEMONと徳治さん、カオリの間で、縄文時代の人々の生活が議論されて、ボクはカヤの外におかれたかたちになってしまっていたけれど、
「縄文時代のひとびとは、平均寿命こそ短いが、ひょっとすると現在の地球人よりも楽しい一生を送っていたのでは・・・」
という一言を投げかけて見ました。
「逆にいえば、物質的に遙かに恵まれているはずの現在の人間生活のほうが、かえって貧しいと言えるのかもしれません」
徳治さんが応じてくれました。
「政治体制の違いからうまれる国同士の争い、過剰な経済活動が生み出し続ける貧富の格差、疫病、細菌、有害物質・・」
「文明は、人類に幸福のみを齎しはしなかった・・・」
なんだか、徳治さんの縄文風味のスープ料理がすごく美味しいのと同時に、縄文の優しくやわらかな風に包まれて自然のなかに横たわるような、平和と幸せを味あわせてくれたように感じました。
「ところで諸君・・・」
デザートに出された美味しそうなアイスクリームに手を出しかかったところで、
ZAEMONが切り出しました。
「われわれに課せられた重大なミッションについてだが・・・・」
「重大ミッションの詳細は、バルタン星に集合して知らされることになっています」
とんでもない話が突然飛び出してきたのです。
「 ミッション? バルタン星? ちょっ・・ちょっと待ってください! 艇長・・・いまの、徳治さんの言葉、バルタン星に集合する、とか聞こえたのですが」
ボクの、アイスクリームの乗ったスプーンは、口への旅の途中で止まったままです。
「その通り。本艇ピルグリム三世は、いま、バルタン星に向かっている」
こんどは、飛び上がるほどおどろきました。
「三日後にはゼッタイ帰ること」
あれほど固いママとの誓いは、どうなるのだ。
ZAEMONは、まるでボクの心のうちを見透かしたように、
「三日後の帰還の誓いだが、これは絶対に保証する」
と、にこやかに、しかも確信にみちた表情で言うのです。どう保証するのかボクには解りません。でも、誰がなんといおうと、水嶋家の夏休み家族旅行はゼッタイにはずせない行事なのですから・・・
「これからバルタン星に行って何事か重大なミッションを帯(お)帯びて、それをやり遂げて、三日後にはここに戻っている」
そんなこと、信じられるはずがないじゃありませんか!
これ以上、突飛でしかもわけのわからないチャレンジに付き合う気にはとうていなれません。
ところが、
「ウチへ帰りたい! 帰して!」
と、ボクが叫びだす前に、
「バルタン星に着く前に、もうひとつ、諸君にぜひ見ておいてもらいたいものがある!」
ZAEMONが、あの、どこまでも視通(みとお)視通す鷹のような目を、ボクの目にきっちりとあわせて、重々しく言いわたすのです。
「この地球の未来だ」
「地球の未来?」
「で、どのあたりの未来にいたしましょう・・・」
徳治さんの問いに、一瞬考える間をもって、
「西暦2030年の東京」
ZAEMONが命じました。
「ピピン!パパン! 出帆っ!」
(2020年には、東京オリンピックが開かれるはずだ。なぜ、2030年の東京を・・・)
「では。心構えはよろしゅうございますか?」
ボクとカオリさんに、均等に眼をくばりながら徳治さんが念を押しました。
カオリさんは、涼しい顔のままです。
ボクも、恐ろしさをこらえて、黙ってうなずきました。
「もし、私たちが飛び立ってきた地球が、西暦2016年現在の状況のまま進行して2030年を迎えた場合・・・」
徳治さんの言葉がおわらないうちに、
ズン!
という、何かを超える衝撃が感じられました。
そして、
山本久美子先生!
八ヶ岳山麓の森の中から、ゆらゆらと大きなカボチャが浮かび出るイメージではなく、瞬間移動などという旧い表現では計り知れない、人類未知の時空力学的な移動方法で、ボクは、夢でさえ見ることができない未経験の世界に飛び立ったのです。
バルタンの舟歌に乗せて、バルタン星人の操る宇宙船! パパだったら、ナント表現するだろう・・・、
山本久美子先生!
この日記を読む先生が、
「ああっ!」
と、思わずページを閉じてしまうような、決して信じることのできない西暦2030年東京の未来へむかって、ボクたちの搭乗した宇宙船、ピルグリム三世が旅立ったのです・・・
                                つづく


ロワール紀行 №51 [雑木林の四季]

しいシャンボールの城塞 4

                            スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎 

 フラソソワ一世が、これと前後して一五一五年ごろ、改築したルゥヴルのシャトオの古図を見ると、そのレイ・アウトはこのシャンボールに酷似している。
 この主館donjion(ドンジョン)は巨大である。
 これだけで、城全体を構成している。幅四十五米の石造、四隅に強大な角塔を配し、建物の中心をレオナルド・ダ・ヴィンチの発想と伝えられる有名な、二つの螺旋(らせん)階段が交叉しながら貫通している。
 シャンボールでは、明りをとるため、中央階段はどうしても螺旋形にする必要があった。しかし、このような広大な石造建物の中心に、螺旋階段を置くことは、非常に大胆な試みだという。この斬新な着想は、レオナルド・ダ・ヴィンチだろうといわれる。シャンボールの工事開始は、一五一九年九月だから、彼の死後である。彼の手記を読むと、プロワやアムボワーズの名は散見されるが、シャンボールの名はない。
 しかし芸術を愛したフランソワ一世が、近くに住むこの不世出の大芸術家の生前にシャンボールの構想について相談したことは、充分考えられるところであろう。
 彼の遺稿の中にも、このような二重の、更に四重、八重の螺旋階段のアイデアが残されているという。彼のみが、ゴシックとルネッサンスの調和の中に、バロックに近似した新しい様式を生みだしたといわれる。
 彼を除くと、ルネッサンスは階段の発展にきわめて冷淡だったという。階段は建築の中で、いつも隠れた部分に置かれた。小さいほど、その占める面積の少ないほど良い設計であると考えられていた時代である。この大胆なレイ・アウトは、蓋し意表に出たものであろう。
 この螺旋階段は極めて心地よく、美しい。
 階段らしい傾斜もなく、その一段の高さも低すぎず高からず、平らなところを歩行するのと殆んど変らない足捌(あしさば)きで、知らぬ間に登高しているといった理想的な設計である。
 恐らく、プロワ城の『フランソワ一世の螺旋階段』やローマのヴアティカン美術館の螺旋階段とともに、私の昇降した無数の階段の中で、最上のものであろう。

 今日では、王侯の戴冠式の式服や西欧の花嫁衣裳、さてはソワレや僧衣にしか残っていない、裾を長く曳く、長衣の慣習。
 その裾を曳くような衣服を、日常着ていた時代には、このような緩やかな、心地よい勾配(こうばい)の階段が、ことさら好まれたのであろう。
 建物の善悪、設計の良否の一つは、階段のレイ・アウトとその昇降に要する足労の如何と私は思う。
 うちつづく戦争による、財政不如意のため、この巨大なシャトオはフランソワ一世の存命中には完成せず、次のアンリ二世の代に落成した。
 しかし、中央の主館(ドンジョン)など主な部分は、フランソワ一世の在世中、一五三三年に竣工した。四四〇の室、三六五の暖炉、無数のガラス窓をもつ、この巨大な宮殿は、フランス・ルネッサンス最初の大傑作である。
 四三九年後の今日でも、このシャトオの斬新な意匠とその気字は、水々しい新しさを伝える。この偉大な文化を生んだ時代と、それを創造した人々の叡智(えいち)に畏敬を禁じ得ない。
 屋上に無数に立っている怪奇な、ビザンティン風の大小さまざまな煙突や塔、その妖しい美しさ。この森で獲た鹿や猪を、そのままバべキユウのように串刺しにして、火に焙(あぶ)りながら丸焼にした長い廻転串炉のある、一階「騎士溜の間」の大きな暖炉。
 その前で酒を酌み交し、夜の更けるまで、狩の手柄話をしたのであろう。
 マントル・ピィスの壁に古色蒼然と飾られている、剥製の鹿の頭。その角。私の立っているこの石畳の床で、公妃や廷女たちが裳裾(もすそ)をつまみながら、公達(きんだち)と踊ったのであろう。
 大広間の高い石壁に垂れている、ゴブランの壁掛け(タピスリ)。
 その三十畳敷もあろうかと思われる大きさの中に、馬に跨り拳(こぶし)に鷹を据えた騎士、小鹿とグレイハウンドを侍(はべ)せた長衣の女、背景に天幕と森、狩装束の多勢の兵士たちに囲まれた、王侯の狩の風景。
 それは、数百年前、ここに練りひろげられた、ヴアロワ朝の雰囲気に人を誘う。

『ロワール紀行』 経済往来社


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