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国営昭和記念公園の四季 №4 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

春待つケヤキ 公園砂川口前広場

砂川口前広場ケヤキ.jpg

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『知の木々舎』第211号・目次(2018年2月下号編成分) [もくじ]

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【文芸美術の森】

フェアリー・妖精幻想 №79                      妖精美術館館長  井村君江
 詩集・豪華本の妖精挿画 3

にんじんの午睡(ひるね) №27                     エッセイスト  中村一枝
 ああ百年

渾斎随筆 №3                                                       歌人     会津八一
 西大寺の邪鬼

石井鶴三の世界 №111                                    画家・彫刻家  石井鶴三
 たかまつ岳1965年/湯の又の滝1965年

はけの森美術館Ⅲ №45                          画家  中村研一
  バラ

ロシア~アネクドートで笑う歴史~ №49     早稲田大学名誉教授    川崎 浹
 花開く「風刺」と「皮肉」 -ブレジネフの時代 5

【ことだま五七五】

日めくり汀女俳句 №4                中村汀女・中村一枝
 一月十日~一月十二日

草木塔~種田山頭火  №11                俳人  種田山頭火
 鉢の子 11

読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №34                   川柳家  水野タケシ
 1月31日と2月7日放送分

【核無き世界を目指して】

続・対話随想 №33                                        エッセイスト  関千枝子 
 関千枝子から中山士朗さまへ              

丸木美術館から見える風景 №50  原爆の図丸木美術館学芸員  岡村幸宣
  語れない記憶 

2017オスロ訪問記 №3                                             小寺隆幸・美和
  オスロで感じた核なき世界への熱い思い

【心の小径】

論語 №44                                                             法学者  穂積重遠
 一三一 子游(しゆう)、武城(ぶじょう)の宰(さい)となる。子のたまわく…

余は如何にして基督信徒となりし乎 №34                     思想家  内村鑑三
 第七章 基督故国にて - 慈善家の間にて 1

【雑木林の四季】

浜田山通信 №211                                       ジャーナリスト  野村勝美
 ピョンチャンオリンピック開会式

私の中の一期一会 №160                アナウンサー&キャスター    藤田和弘
  平昌五輪・銅メダルの高梨沙羅、「最後は自分を信じて飛べました」

徒然なるままに №28             エッセイスト  横山貞利
 豪雪、平昌、NRA etc…

BS-TBS番組情報 №155                                        BS-TBS広報宣伝部
 2018年2月のおすすめ番組(下)

ロワール紀行 №71                             スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎
  アゼィ・ル・リィドオの城館 3

バルタンの呟き №28                  映画監督  飯島敏宏
 「♪春よ、こい!」

ZAEMON 時空の旅人 №29                                      文筆家  千束北男
  第二十四章 宇宙覇権抗争

医史跡を巡る旅 №36                                   保健衛生監視員  小川 優
 「紀行シリーズ」~人道・博愛精神のルーツをたどる・後篇 熊本篇
 
いつか空が晴れる №29                    渋澤京子
   -ハーバートランドの子守歌 -

梟翁夜話(きょうおうやわ) №8                               翻訳家  島村泰治
 Nihonngo Made Easy

検証 公団居住60年 №4    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治
 憧れの団地に入居するまで 4

台湾・高雄の緑陰で №81       在台湾・コラムニスト  何 聡明
 米国の台湾関係法

中華の風 №4                中国文化研究科  堂園 徹
 司法にも守られない農村出身者

コーセーだから №35            (株)コーセーOB  北原 保
 白髪が自然に気にならなくなるヘアトリートメントを発表

地球千鳥足 №110     グローバル教育者・小川地球村塾塾長  小川彩子
 地球の滝に魅せられて~ジンバブエ、ブラジル、ベネズエラ、その他~

シニア熱血宣言 №00                                            映像作家  石神 淳
  高齢者ドラーバーから

【ふるさと立川・多摩・武蔵】

赤川Bonzeと愉快な仲間たち №103                 銅板造形作家  赤川政由
 水まき

立川陸軍飛行場と日本・アジア №157               近現代史研究家 楢崎茂彌
 満州事変1周年・正田マリエさん2等飛行士に

線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №96                  岩本啓介
 雪国の朱備え 五能線

押し花絵の世界 №56                                        押し花作家  山﨑房枝
 「時の過ぎゆくままに」

渋紙に点火された光と影 №29           型染め版画家  田中 清
 「神木」

多摩のむかし道と伝説の旅 №9                                                 原田環爾
 八王子千人同心にゆかりの日光街道を行く 2

【代表・玲子の雑記帳】             『知の木々舎 』代表  横幕玲子
         *       *      *      *
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フェアリー・妖精幻想 №79 [文芸美術の森]

『老水夫行』と『眠り草」

              妖精美術館館長  井村君江

 サミュエル・T・コールリッジの物語長編詩『老水夫行』(一七九八)が、彼の友人で流行の挿絵画家クルックシャンクが語った「人影が見える骸骨船を見たという不思議な夢にもとずいて書かれている。この詩全体が、幻想的で視覚的なタブローを見る思いがするのは、そのためであろうか。この詩には妖精は現れないが、生き残った老水夫の乗る船を操るのは「南極の精(ポーラー・スピリット)」の仲間である守護の精霊(ガーデアン・デーモン)で、「宇宙の元素の目に見えぬ生きもの」とコールリッジが註で言う超自然の生きものである。
 この詩に四十二葉の挿絵を描いたギュスターブ・ドレは、南極の精霊たちを、背に羽を持ち風になびく金髪に蝶の翅の冠をのせ、薄い衣をなびかせた美しい女性の姿に描いていた。
 また、ウイリー・ボガニー(一八八二~?)は『老水夫行』一篇を、モリスのケルムスコット版のように、ゴチック体活字デザインをし、別刷り挿画二十葉を入れ、帆船に金のアルバトロス(あほうどり)の飛ぶデザインを革押し天金にした装幀で飾り、中世の小写本のような豪華で気品のある詩集に仕立てている。
 イルカ、海蛇、タツノオトシゴ、魚のパターンがアラぺスクとグロテスクの紋様のように入り額縁飾り(プロセニウム)のなかに、物語の筋に沿った、老水夫、アルバトロス、精霊を象徴的にデザインしたモノクロームのカット等は、エキゾチシズムにあふれ、アイルランドの古写本『ケルズの書』(八世紀頃)のデザインに現れる奇怪な生きものに似て
原始的なアニミズムの息使いが感じられる。
 明確な輪郭の線描によるそれらの動物とは対照的に、挿入されている挿絵は色彩のみで描かれ、輪郭のない人物や海、空、船、木などが一つに溶けあったような、幻想的で色彩のシンボリズムとも呼べるような画面である。
 ハンガリー生まれのウィリー・ポガニーは、イギリス生まれの妻と共に、ミュンヘンやパリ、アメリカやイギリスを転々とし、ニューヨークのメトロポリタンオペラ劇場で、装置や衣裳デザインもやるというように、大海を一人漂う老水夫のような生活を送り、コールリッジの老水夫の詩篇に共感を覚えたのであろう。異なった装幀で、三度も同じ詩集本を次々と出したのである。彼はやがて一度は追われたイギリスでエドワード朝時代になってから挿絵画家として迎えられ、一時はアール・デコの流行の波に乗り、挿絵画家としての地位を得ることができた。
 ポガニーがコールリッジの長詩一編を豪華な一冊の詩集に仕立てたように、チャールズ・ロビンソン(一八七〇~一九三七)はシェリーの『眠り草』(一八二一)一編を取り上げ、別刷りの彩色図版十八葉を入れ、各ページに着色二色のカットをつけ、見返しにもモノクロームの線描画を描き、白仔牛革の表紙に金押しでデザインするというように力を入れて豪華な一巻を作っている。
 原題の『センシティヴ・プラント』は学名が(ミモザ・プディカ)で、さわると葉をとじる植物であるが、これをシエリーは光によって、「昼は開き夜は眠る」とし、詩の中でこの性質を用いている。
 この詩はシェリーがイタリアの海で船の転覆で生命を落とす二年前に、イタリアのピサで書かれている。
 この詩の内容は鈴蘭やヒヤシンスなどさまざまな花の咲き乱れる春の庭園で、眠り草は輝く花も香りも色もなくひとりばっちで立っているが、一人の美しい婦人がこの庭園の花の世話をし眠り草にも目をかけてくれる。この婦人は庭園の精霊であり、美の精霊で、愛によってこの花々を咲かせる愛の女神でもある。彼女の死によって庭園には死と荒廃が訪れ、夜と寒さが支配し、眠り草は葉も落ちてしまう。しかし最後に、形のない「愛」と「美」と「歓び」が永遠に残ることを歌っている。
 眠り草は詩人の心を仮託されており、愛の花園を支配する美の化身である婦人を憧れ、その暖い保護を求めている。
 これはそのまま現実のモンキヤツシェル伯爵夫人マーガレット・ジェーンへのひそかな詩人の愛慕の情を歌い上げたもののようである。従って花々を愛育する女神はシェリーのミューズであり、楽園の主であり、植物の生命を育てる精霊であるといえよう。
  チャールズ・ロビンソンによる『眠り草』の挿画と各ページのカットは、作品の意図をよく汲んでおり、百花咲き乱れる花園に薄い衣をひるがえす愛の精霊を、無防備な赤子が、求めるようなまなざしで見上げている図は、象徴的によくこの詩を表しており、背景に描き込まれた建物が古典的な雰囲気を強めている。
 またもう一つの絵のランプを掲げた夜の精霊は、ナイトガウンを身にまとっているが、安眠を守護する羽をつけた天使のようであり、前景の芥子の花が眠りの象徴のように描かれている。背景の闇の奥深くにそびえる不思議な三角の丘につらなる風景の中にしゃれこうべが配され、「死は眠りなり」ということも示されている。挿絵の中でこの絵が独立して百号ほどの油絵に描かれたが、現在ヴィクトリア・アルバート美術館に保存されている。
 シェリーのこの詩は挿絵画家たちの想像力を刺激したようで、ローレンス・ハウスマン(一八六五-一九五九)も独特の世界を繊細なエッチング挿絵で構成している(一八九七)。
W.ボガニー「老水夫行」.jpg
ウイリー・ボガニー「老水夫行」

『フェアリー』 新書館


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にんじんの午睡(ひるね) №27 [文芸美術の森]

ああ百年

               エッセイスト  中村一枝

 この一月から始まったNHKの大河ドラマ、西郷どんが好きで気に入っている。大河ドラマにはあまり興味のなかったわたしが時間のくるのが待ち遠しい。というのも主役を務めている鈴木亮平くんに一目惚れしてしまったのである。そういうおばあさんは多分五万といる。以前朝ドラにも出ていたそうだが朝ドラには興味がないので今回が初対面、役者としてより画面からにじみ出てくる人間味に興味を引かれたというのが本音。私がずっと好きだったのはデビュー当時から近藤正臣。もう、5、60年になる。
 子供の時から本は大好き。身体の弱い子だったから外遊びよりうちの中で本ばかり読んでいた。父親が物書きなのは知っていた。いつも机に向かって何か書いている。多分その真似をしてわたしもなにか書いていた。育った時代は戦争真っ盛りだから子供の読み物も戦時色濃厚、戦国時代から維新まで勇ましい話が多かった。その頃より少し前、わたしの父は朝日新聞に「成吉思汗」を連載していて、原稿ができ上がると決まって二階の部屋で母の前でそれを読んだ。私は母のひざを枕にそれを聞くのが楽しみだった。ジンギスカンの母親がほかの部族の酋長に掠奪されるどころは特に印象的で刺激的だった。多分父も母も母の膝をまくらにねているむすめがどんなに胸をときめかして聞いていたかなど考えもしなかったたはずだ。父の語り口には一種独特の抑揚があり、おそらく父も文章を読みながら、自分の作った物語に浸っていく楽しさを感じていたにちがいない。私はこの物語に触発されて、「じんかん」という絵ものがたりをつくった。
 明治維新にハマったのは多分それから二年くらい先のことだ。静岡県伊東温泉に引っ越しそこの小学校から中学に進学した。玄関先の二畳が私の読書室だった。小学生の時は戦争末期で頭の上をB29や艦載機が通過して行った。帰りがけに何をして行くかわからないというので空襲になると畑の中をかけて帰った。そんな中で読む明治維新の話は尊王攘夷一辺倒でしばらくそれにはまっていた。
 私の父のところには色々な人が出入りしていて、それは多彩だった気がする。そういう中で自分の好みで生き方を決めたというのも、多分父は自分の生きザマを人に押し付けることだけは決してしなかったからだと思う。おかげで私はのびのびを通り越し好き勝手に振舞う事で生き延びてしまった気がする。最近気がつくとおばあさんをとうに通り越している。そのくせ自分はおばあさんなんかじゃないと思い込んでいる滑稽さ。人間って自分のいる位置が段々わからなくなるものかもしれない。
 「一かけニかけて三かけて四かけて五かけて橋をかけ…」と始まるわらべうたのようなものがなんとなく耳に残っている。お手玉をしながら歌うそのうたの中に「西郷隆盛娘です」というそこのところだけ覚えている。私が小さいとき誰かが教えてくれたものだろうが、テレビをみていてふとおもい出した。西郷さんなんて歴史上の人物として遠いひとに思っていたのだが、100年前なんて大昔でもなんでもないことがわかってきて、改めて私は古老なのかなあと一人感心している。




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渾斎随筆 №3 [文芸美術の森]

 西大寺の邪鬼

                       会津八一
                                                   西大寺四三堂にて
   まがつみ は いま の うつつ に ありこせ ど ふみし ほとけ
   の ゆくへ しらず も
 私の歌は、すべて難解だといふ評判を、まへまへから聞いてゐるが、これなどは、恐らく屈指の方かも知れない。
 しかし、私の歌は、奈良地方で、懐古的な気持で詠んだものが多いから、もし人が見て、すぐ解らないところでもあったら、何かの折に、自分で奈良へ行って、西大寺なら西大寺の、その堂の中へはひつて見たら、解るべきものは案外たやすく解るのであらう。しかし、その現場へ行つてもまだ解りにくいことを、書物が教へてくれることもあらう。最初『南京新唱』を出すと、その頃はまだ、面識の無かった吉野秀雄君から、書面で、この歌の質問を受けた。その返事にも、私は先づ旅行と讀書とを勧めておいた。歌枕(うたまくら)を探るために、遠い旅をするといふことは、古い逸話もあるし、近頃では、『萬菓集』の地理的研究が、やかましく云ほれて居るくらゐで、別に新しいことでも無いが、自分の歌のために、人にこれを勧めた私は、いかにも高慢に聞えたかも知れない。けれども、作家は誰にしても、つまりは同じことであらう。歌はわづかに三十一文字の短いものであるから、つい手軽に手が出したくなるのか、気軽に、一日に何百首といふものに目を通すことを何とも思はない。そこで、ものが投げやりになりたがる。従って一首づつにあまり手をかけてゐるわけには行かないと云ふのが一般の風ではなからうか。これはまことに面白くないことである。短くとも、一首づつが獨立した文學であるといふなら、作る方はもちろん、読む方でも、もつと慎重にして貰ひたい。歌は世界に類の無いほど短いものであればこそ、これは大切なことである。それほどにすることも要らないといふならば、歌はそれだけの値打ちがないと、自認するのも同じことである。『萬葉集』などをあけて見て、誰にも気がつかねばならぬことは、わづか五六首の ― 少くも吾々にはそれだけしか傳はってゐない ― 作者でも、尚ほその五六首で、千年の今日まで脾睨してゐる人もある。深く気を入れずに、あまり軽々と、澤山のものを手がけるといふ風は、つとめて一掃したいものである。
 奈良の西郊に、大軌(だいき)電車の西大寺驛があり、そこで下車すれば、すぐ西大寺がある。天平神護元年に稱徳天皇の勅願によって建立せられ、御父聖武天皇御願の東大寺が、迄か東の山の麓に聳えるのに対して、西大寺の名を得た。その建立常時、善美をつくした壮麗絢爛のありさまは、これを距ること久しからぬ、寳亀十一年に記録された此の寺の流記(るき)資財帳によっても、ゆたかに想像されるが、傳説によると、天皇は創建の寺に親臨せられ、玉手を以てみづから熟銅を撹(か)かせられて、四天王像の鑄製に力を致されたといふ。この造像は、恐らく『金光明最勝王経』の所説によって、彿土守護のためにされたのであらう。しかるに、その後、平安時代に入って、貞観二年には、火災のために堂宇は焼け落ち、持國、廣目、増長の三天が失はれた。そしてこの三體は、やがて改鑄されたが、室町時代の文亀二年には、再び火災に邁ひ、この度は、さきに再鑄した三體は逃れたが、これまで天平原作のままでゐた多聞天が、左脚の一部だけを残して、壊滅してしまった。この一體は後に補はれたが、それは木彫であった。寺運の衰微が、おのづからその間にも窺はれる。そしてこの不揃の四天王を、今この寺の四王堂(しおうどう)の中に見るのである。
 ところが、先づ気になることは、四天王が、脚下に践んでゐた邪鬼どもは、二度の業火を経ながらも、殆ど恙なく、いづれももとのまゝに遥しく、今も變らず蹲まってゐる。そもそも邪鬼としいへば、正法に敵封する外道のシムポルである。そのともがらが、外道ながらに、古い藝術の威力を以て、今も揃って踞してゐるのに、その上を践み鎮めでゐる筈の四天王は、護法の名も空しく、いつも旗色が悪く、次第に厳亡して、新作が入り代はるごとに、素質はますます貧弱になった。私がこの歌を詠んだのは、實はこの鮎に容易ならぬ皮肉を感じてのことであった。そして誰しも、實際この堂に立って、この異様な封照を見るものは、たやすく此の感懐を、私とともにするであらう。
 まづ、これくらゐの説明で、あの西大寺の歌は、私の気拝に近い理解を受けるであらう。しかし、その後、私が東大寺の二月堂で詠んだ一首の歌になると、これ等の邪見に對する私の態度はさらに一歩を進めてゐる。その歌は
  ぴしゃもん の おもき かかと に まろぴ ふす おに の もだえ
   も ちとせ へ に けむ
この堂の毘沙門の脚下に伏し轉(ま)ろぶ那鬼の苦悶も久しいかなと、私は慨いてゐる。そしてこの場合、私はいつしか毘沙門よりも、その鬼の方に、より多くの同情を傾けてゐるらしい。

『会津八一全集』 中央公論社


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石井鶴三の世界 №111 [文芸美術の森]

たかまつ岳1965年/湯の又の滝1965年

               画家・彫刻家  石井鶴三
1965たかまつ岳.jpg
たかまつ岳 1965年 (120×169)
1965湯の又の滝.jpg
湯の又の滝 1965年 (120×169)

**************
【石井 鶴三(いしい つるぞう)画伯略歴】
明治20年(1887年)6月5日-昭和48年( 1973年)3月17日)彫刻家、洋画家。
画家石井鼎湖の子、石井柏亭の弟として東京に生まれる。洋画を小山正太郎に、加藤景雲に木彫を学び、東京美術学校卒。1911年文展で「荒川岳」が入賞。1915年日本美術院研究所に入る。再興院展に「力士」を出品。二科展に「縊死者」を出し、1916年「行路病者」で二科賞を受賞。1921年日本水彩画会員。1924年日本創作版画協会と春陽会会員となる。中里介山『大菩薩峠』や吉川英治『宮本武蔵』の挿絵でも知られる。1944年東京美術学校教授。1950年、日本芸術院会員、1961年、日本美術院彫塑部を解散。1963年、東京芸術大学名誉教授。1967年、勲三等旭日中綬章受章。1969年、相撲博物館館長。享年87。
文業も多く、全集12巻、書簡集、日記などが刊行されている。長野県上田市にある小県上田教育会館の2階には、個人美術館である石井鶴三資料館がある。

『石井鶴三素描集』形文社

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はけの森美術館Ⅲ №45 [文芸美術の森]

バラ

                    画家  中村研一

バラ3.jpg
水彩 43cm×31cm


************                                         
【中村研一画伯略歴】
鉱山技師であり、後に住友本社鉱山技師長となる中村啓二郎の長男として、福岡県宗像郡に生まれる。
1920年、東京美術学校を卒業。同年、『葡萄の葉蔭』が第2回帝国美術院展覧会(帝展)で初入選し、『若き画家』が東京大正博覧会で3等賞、1921年、『涼しきひま』が第3回帝展で特選を受賞する。1922年、帝展無鑑査(鑑査なしで出品できる資格)となる。1923年、パリに留学、ここで、モーリス・アスランから大きな影響を受けている。1927年、サロン・ドートンヌ会員となる。
1928年に帰国し、滞欧作『裸体』が第9回帝展で特選を受賞する。
戦時中は、藤田嗣治らとともに、軍の委嘱を受け作戦記録画を制作した。「コタ・バル」は代表作として名高い。
戦後は、小金井市中町に転居し永住する。日展、光風会展を中心に作品を発表し、1950年、日本芸術院会員に推挙される。1958年、日展常務理事となる。画面に感情や情緒などを付加せず、抜群のデッサン力と構成力で写実的な画風を創り上げ、そのアカデミックで堅実簡明な画風は昭和新写実主義を代表するものであった。夫人をモデルにした婦人像と裸婦像を多く制作している。
1967年8月28日、胃癌により国立癌センターで死去。享年72。

小金井市立はけの森美術館  〒184-0012 東京都小金井市中町1丁目11−3

中村研一美術館正面.jpg
中村研一記念はけの森美術館正面 

 



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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №49 [文芸美術の森]

ブレジネフの時代 5

            早稲田大学名誉教授  川崎 浹

 黒いボルガと酒飲み

 「アルメニア放送」は原則としてこのように短い作品から成っているが、すべてが短いわけではない。つぎは長い作品の例である。

 「ソ連人はいかなるカテゴリーに分類できますか?」
 「赤い人と黒い人に分けることができます。黒い人とは ― 黒塗りの〈ボルガ〉を乗りまわし、黒イクラを口にし、黒い裏道から物品を得ることのできる連中のことです。赤い人とは ― 五月一日に赤い鼻をして、一一月七日には赤旗をもって、赤の広場を歩く連中のことです」

 黒塗りの国産ボルガは当時のステータス・シンボルであり、キャビアを常食できるのも、国営商店ではなく、特別のルートから入手できたからである。黒い人とは要するに高級官僚の特権階級を指しているが、他方で当時ソ連経済の一〇パーセント以上を占めていた闇経済のマフィアをも指していておかしくない。赤い鼻は酒の飲み庶民のシンボルである。いうまでもなく五月一はメーデー、一一月七日は革命記念日。

リアリティを持つ世界の形成

 この章を閉じ、つぎの章へ移るに際して、第二章、第三章で共通する現代アネクドートの重要な分母について、まとめておきたい。
 近代アネクドートでは、実際にはありえないような珍奇な出来事を興(きょう)がったとはいえ、ニュース性を重んじたために、「頭でひねりだしたような作り話」ははずされたが、現代のアネクドートはまったく逆である。機知の利いた笑いそのものが重視され、周囲の生活を切り取ってアネクドートの額縁に収めるのではなく、自分で作品を制作する傾向が決定的となり、これがひろく密かに市民の間に伝達された。現実に生じた生活や事件を写実的に切り取るのではないゆえに、一八世紀アネクドートの規範からすれば、それはとうぜん「頭でひねりだした作り話」ということになろう。
 近代アネクドートでは漫然と面白い話を収集したものが多いが、現代アネクドートの作者は、「作り話」とはいえ、標的とそこへの距離が定まっていて、対象にたいする風刺、皮肉、諧調など、笑いの質が明確である。つまり「作り話」にもかかわらず、というより逆に推定と論理を用いての「作り話」だからこそ、現代のアネクドートは作者がここぞと思う所に焦点をしぼり、練りあげた意味をこめることができた。それは対象のなかに弾丸のようにのめりこむのではなく、対象と平行して、反映の鏡のようでありながら、写実ではなく、暗示や象徴や隠喩や抽象という特殊レンズによって、もう一つのリアリティをもつ世界を形成する。
 たとえばプロローグの最初にかかげた「作り話」のアネクドートを聞きながら、私たちはだれも現実の出来事とは思わないが、しかしこれが、真実らしい顔をしている現実より、さらに真実味をおびていることを認める。

『ロシアのユーモア』 講談社選書


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日めくり汀女俳句Ⅱ №4 [ことだま五七五]

一月十日~一月十二日

           俳句  中村汀女・文  中村一枝

一月十日
ばら黄なり春著(はるぎ)いよいよ薄色に
            『紅白梅』 春著=正月

 自分が年を重ねたせいか、成人式の女の子を見ると、どの子もそれぞれにかわいいなと思う。ひと頃は目の敵のごとく言われた白いショールもそれなりに定着して無難に若さを引き立てている。近年はぐっと年増っぼくアレンジした色衿に、渋い色合いの和服もよくみかける。玄人っぽく見えるとか、清純さに欠けるとかこれも又いろいろ批判の対象になっている。でも、今自分が若かったら、本当のところ、あれも着てみたい、これも着たい、もしかしたらあっちの方が似合うかなと様々に模索して選ぶだろう。基準などあってなきが如し、それが二十の若さというもの。

一月十一日
ひややけく神おはしけり初竃(かまど)
           『汀女句集』 初竃=正月

 今年も初場所が始まった。私の父(尾崎士郎)は大の相撲好きで、作家になるより横綱になりたかったと言っていたくらいの男だったから、初場所の初日は欠かさなかった。
 外の寒風吹き荒い(すさ)ぶ気分が反映し、更に一年の幕開けとあって力士の一進一退にも凛洌(りんれつ)とした気分がみなぎった。力士たちの肌が冷気をはね返すように艶(つや)やかに輝く。館内にも新春気分がたちこめ、稲穂の髪飾りをつけた芸者衆の艶(あで)やかな姿もある。華やかな内に荘厳さのこもる初場所風景だった。

一月十二日
たんねんな賀状の責(せめ)をいつ果たす
           『薔薇粧ふ』 賀状=正月

 暮れに写真屋に行くと、幼子二人を連れた若い母親が熱心に子供の写真選びをしていた。
 「子供とか家族の写真付きの年賀状はどうも白けるわ」と言っていた友人がいて、そんなものかなという気もしたのだが、片手で赤ん坊を揺すりながら夢中になっている母親の横顔は、ちょっとほのぼのとした。
 今はファックスだ、Eメールだ、ケイタイだと消息を伝える手段は無数にある。でも一枚のはがきに託す一年の人生の重みは年賀状ならではのことである。


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草木塔~種田山頭火 №11 [ことだま五七五]

鉢の木 11

                  俳人  種田山頭火

大浦天主堂

   はや芽吹く樹で啼いてゐる

   笠へぽつとり椿だつた

   しづかな道となりどくだみの芽

         蕨がもう売られてゐる

         朝からの騒音へ長い橋かかる

         ここにおちつき草萌ゆる

         いただいて足りて一人の箸をおく

         しぐるる土をふみしめてゆく

   秋風の石を拾ふ

   今日の道のたんぽぽ咲いた


『草木塔』 青空文庫


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読む「ラジオ万能川柳」プレミアム №34 [ことだま五七五]

            読む「ラジオ万能川柳」プレミアム☆1月31日と2月7日放送分

         川柳家・コピーライター  水野タケシ

川柳家・水野タケシがパーソナリティーをつとめる、読んで楽しむ・聴いて楽しむ・創って楽しむ。エフエムさがみの「ラジオ万能川柳」、2018年1月31日放送分の内容です
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授業のために放送は早退したスミカさん
                  
「ラジオ万能川柳」は、エフエムさがみの朝の顔、竹中通義さん(柳名・あさひろ)がキャスターをつとめる情報番組「モーニングワイド」で、毎週水曜日9時5分から放送しています。
エフエムさがみ「ラジオ万能川柳」のホームページは、こちらから!
放送の音源は…https://youtu.be/DDzyq2i_OnE 

【質問コーナー】
タケシ師匠の「川柳に関する著作(2冊目)」はいつ頃全国の書店に並ぶのでしょうか。
教えて、タケシ師匠!(離らっくすさん)
【回答】

【今週の一句】
今週は句の338投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・虚飾のテレビ本音のラジオ(名人・グランパ)
・平昌へ土足であがるきたのか(名人・春爺)
・すっぽりとかまくらン中福寿草(かたつむり)
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ラジ川名物、かたつむりさんのファクス
・痛いけどいっぱいころぷ恋はいい(平谷妙子)
・肉野菜肉肉野菜鍋料理(外科系)
・観覧車キスする前に降ろされる(やんちゃん)
・雪ダルマ手足動けば走りたい(ラジゴ)
・相撲みるあの席の人皆勤賞(名人・アキちゃん)
・北からの将軍様に居座られ(あまでうす)
・てにをはを迷いクリック明日にする(でんでん虫)
・氷盤に立つと大きく見える選手(ひと)(龍龍龍)
・あの笑顔また会いたくて里の道(はる)
・外遊と不倫は秘書にやらせない(名人・秦野てっちゃん)
・相撲道ジョウジア国に教えられ(六文銭)
・政治家が政治をしてた野中さん(東海島田宿)
・マジヤバイフランス語ならトレビアン(不美子)
・肉眼で見えぬシワまで撮るカメラ(名人・荻笑)
・この寒さ遭ってサクラが目を覚ます(名人・雷作)
・おおとりは親方達の大相撲(アンリ)
・落ちないでヘリオスプレイ受験生(小把瑠都)
☆タケシのヒント!
「ヘリ、オスプレイ……と来て、受験生!この意外性にやられました。意外性だけでなく、小把瑠都さんのやさしい視点が良いですね。ご自分の長所を意識して句作りに活かすようにしてみてください。」

・薬よりラジオとマンガ枕元(キジバト交通)
・恵方巻上のフロアはバレンタイン(名人・入り江わに)
・親方の不名誉隠す栃ノ心(フーマー)
・今日もまた母笑わせに施設行く(名人・ユリコ)
・梅一輪咲いたあなたの香りする(名人・どんふらこ)
・青い目のイケメン力士に貰い泣き(のりりん)
・その話今月3回聞いている(司会者=あさひろ)
・分からない仮想通貨で買えるのが(鵜野森マコピイ)
☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳、これまでおよそ120名のリスナーに投句頂いています。今週現在で秀逸3回獲得の『名人』は13名、1~2回獲得者は30名。名人への道も険しいですね。没の壺は(あさひろのやっかみも入って)『名人にならなくたっていいんだもん』鵜野森マコピイさん。皆さん!めげずに頑張りましょうね~。」

刻む音息子がサラダ作る朝(模名理座)
・あっ桜何かいいことありそうな(名人・けんけん)
・ままごとの仮想通貨はイチョウの葉(爽抜天)
・読むだけの総理はどうぞ平昌へ(名人・光ターン)
・別れてもなぜかまた会う腐れ縁(名人・酔とぉよ)
・相撲道微塵もみえない理事選挙(横手敏夫)
・冬将軍よ、やる気出し過ぎ(あやや)
・句を詠めば愚痴も涙も消えて行く(ただのおやじ)

今週の一句・落ちないでヘリオスプレイ受験生(小把瑠都)
2席・ままごとの仮想通貨はイチョウの葉(爽抜天)
3席・おおとりは親方達の大相撲(アンリ)

【お知らせ】
昨年4月から毎週第2土曜日16時から、竹橋にある毎日新聞の毎日文化センターで「笑って上達!仲畑流万能川柳句会」という句会をおこなっています。
おかげさまで、どんどん新しいメンバーが増えております。
2月は10日(土)16時から「宮本杯句会」を行います。
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「万能川柳を趣味にしたい」「一度載ってみたい」「スランプを克服したい」……
そんなアナタ、安心して句会の輪の中にとびこんできてください。初めての方でもなじめる、アットホームな雰囲気の中、「アハハ」「ウフフ」と笑い合ううちに、しぜんと作句力が鍛えられます。
句会こそが、川柳上達の早道です!
「笑って上達!仲畑流万能川柳句会」のお問い合わせは、
      毎日文化センター(03・3213・4768まで、どうぞ!

【放送後記】
まだまだ雪が残る相模原、道を選んでクロスバイクで放送局に入りました。
木曜、金曜と雪が降るとか。
来週はまた電車かな。ああ、早く春になってほしい(苦笑)
                                タケシ拝
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2018年2月7日放送分の内容です。
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 いつもとちょっと違う並び位置
放送の音源はhttps://youtu.be/F-mH8O5mFTA 

【質問コーナー】
30年、俳句ばかりやって来ました。そのせいか川柳のつもりが「季語のない俳句」になってしまいます。本当はウフッと笑えるような句を詠みたいのですが、ユーモアセンスに欠けるのかも。
句をつくるのに苦しむのはナンセンスと言われますが、タケシ師匠は、俳句から川柳へ、何の違和感もありませんでしたか?(けんけんさん)

【今週の一句】
今週は171句の投句がありました!!たくさんのご投句ありがとうございます!!
(みなさんの川柳) ◎が秀逸、敬称略)
・硬貨見てオリンピックを思い出し(ポテコ)
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・張り手より意地を張り合う相撲界(名人・グランパ)
・キョンキョンの不倫力(リキ)入るあさひろさん(かたつむり)
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・日向ぼこ二つ並んだマグカップ(やんちゃん)
・満月に血が通ってる冬の空(外科系)
・最強の寒波に猫と籠る日々(はる)
・国産の大豆よ全部拾うのよ(名人・荻笑)
・夜の星周りが暗く光ってる(平谷妙子)
・出題者解けない程の難しさ(名人・秦野てっちゃん)
・豊国の豆は惜しいが鬼は外(名人・入り江わに)
・恵方巻食べてるときに宅配便(名人・酔とぉよ)
・この寒さ桜咲く頃皆忘れ(六文銭)
・もう恋はしない浮気はするけれど(名人・りっちーZ)
・断食(ラマダン)でメシ抜けるなら身も正せ(小把瑠都)
・熱中症注意されてた夏恋し(名人・雷作)
・やっと来たバスと一緒に来た尿意(不美子)
・鬼の面取れって?これは素顔です(名人・けんけん)
・今年こそ思案してたらもう2月(鵜野森マコピイ)
・もりかけにスパコン線香ケムに巻き(司会者=あさひろ)
・外遊は行くが国会来ぬ夫人(名人・光ターン)
・君の香に刺されて狂う春の宵(名人・どんぶらこ)
・福は内鬼も内だと独り者(キャサリン)
・勝負服ぬいで静かな小池知事(名人・アキちゃん)
・五日ほど寝込む脳から川柳消え(東海道島田宿)
・二票でも改革進む貴に笑み(つや姫)
・関口さん自分で提供ビッグ記事(爽抜天)
・飲まんのと飲めないとでは大違い(のりりん)
・初めてのフリで聞くからまた言われ(名人・ユリコ)
☆あさひろさんのボツのツボ
「ラジオ万能川柳。今週は171の投句。有難うございます。先週、あさひろと愚妻の会話『その話もう3回聞いた』とネタにしたところ、ユリコ嬢から強烈なカウンターパンチが。『覚えない子ね初耳のフリですよ』と。文句なくボクのツボ。目から鱗と言うか晴天の霹靂と言うか、修行が足りないあさひろでした。」
・落ちてくるミサイルだけと限らない(アンリ)
☆タケシのヒント!
「最近絶好調のアンリさん。今週は事故が多発しているヘリコプターを詠んでくれました。事故を批判するだけでなく、北のミサイルを巧みに利用しているように思える政権も皮肉っています。」
・宅配じゃないがとにかく佐川呼べ(フーマー)
・婚活の話弾ます想い人(クッピー)
・株下落受験生には聞かせない(名人・春爺)
・外に出てヘリの行方を気に掛ける(初投稿・?み助)
・残雪の足元注意する孫に(模名理座)
・会いたいと思えば皆夢の中(ただの仁)
・その内にきっとマスクのファッションショー(あやや)
今週の一句・落ちてくるミサイルだけと限らない(アンリ)
2席・外遊は行くが国会来ぬ夫人(名人・光ターン)
3席・国産の大豆よ全部拾うのよ(名人・荻笑)

【お知らせ】
 不肖・水野タケシ、昨年12月から、東京新聞読者と中日新聞読者に配達されるフリーペーパー2紙で、川柳コーナーの選者をつとめることになりました。
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地域限定の川柳コーナーですので、全国からご投稿いただけないのが残念なのですが、
その地域にお住まいのお知り合いにご推薦いただけると嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします!!
1つ目は、東京新聞用フリーペーパー「暮らすめいと」の『ときめき川柳・新鮮組』
こちらは、関東と静岡の方限定です。
お題はなし。9日まで、3月に配布の4月号の川柳を受付中です。
秀作には図書カードを進呈します。
2つ目は、中日新聞用フリーペーパー「ローズ」の『人生バラ色!ローズ川柳』。
こちらは、名古屋の方限定です。
お題「色」カラーの色です。こちらも2月9日締め切りです。
秀作には図書カードを進呈します。
メールでも投稿できますので、どうぞお気軽にご参加ください!!

【放送後記】
アンリさんが今日で秀逸3回目、見事、名人に昇進です!!
アンリさんおめでとうございます!!パチパチパチパチ!!
アンリさんは初代名人・けんけんさんに続いて相模原市から二人目の名人です。
大名人めざして、ますますご健吟くださいね!
                                タケシ拝
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水野タケシ(みずの・たけし)
1965年生まれ。コピーライター、川柳家。東京都出身。
ブログ「水野タケシの超万能川柳!!」
 


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雑記帳2018-2-15 [代表・玲子の雑記帳]

2018-2-15
小金井に武蔵野の新田開発の跡を辿りました。

8大将軍吉宗の時代、玉川上水が開設されて武蔵野の新田開発が進みました。
指揮したのは大岡越前の守、82村が開かれました。南町奉行としてしられる大岡越前守は相当有能な官吏だったようです。
その指揮のもとに実際に開発にあたるのはもちろん農民ですが、東小金井あたりには開発した梶野氏の名前が各所に残っています。

東小金井駅にほど近いところにある「梶野公園」は、子供を遊ばせるために、住民が企画を持ち寄って作られた住民本位の公園として、町づくりの一つのモデルになっています。遊具も何もないだだっ広い公園は実は子供たちにとっては天国、周辺の小高い樹木も残しました。ベンチの下には災害時に備えて煮炊きの道具がおさめられているなど、防災公園でもあります。

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住宅街を縫うように進むと、「くぬぎ公園」にやってきました。猫の額ほどの小さな公園にはカラフルな滑り台。これはこれで子供が喜びそうです。
公園の前にある建物はスタジオジブリです。映画監督の宮崎駿さんが最初に作ったスタジオで、もののけ姫やとなりのトトロなど多くの作品がここで生まれました。

くぬぎ公園.jpg
スタジオジブリ.jpg

新田を開いた梶野氏は群馬県館林から菩提寺を移しました。曹同宗長昌寺は茂林寺の末寺です。境内の薬師堂には応仁年間の薬師如来が安置されています。(市有形文化財)

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玉川上水が出来たのは今から370年前になります。上水からはたくさんの用水が引かれて武蔵野の台地を潤しました。梶野用水もそのひとつです。
用水に並行する梶野通りを玉川上水にむかって北に進む途中に立派な二本の松がみえてきます。明治2年の農兵一揆のあと、植えられ、根元に佇む庚申塔とともに、150年近く梶野通りをみまもってきました。

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玉川上水の堤の桜は江戸時代に歌川広重や葛飾北斎など文化人によって紹介されています。大正12年には名勝小金井として国の名勝に指定されました。ヤマザクラなので改良されたソメイヨシノより寿命は長く、よく手入れされて今日にいたっていますが、最近では小金井公園に押されがち。往時の景観をとりもどそうとの動きもあるとか。

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その小金井公園は緑地から公園になった、東京で一番大きい都立公園、都内屈指の桜の名所です。

小金井公園のそばの真蔵院には、武蔵野の新田開発に功績のあった川崎平右衛門の供養塔があります。大岡越前のもとで新田開発を指揮しました。石見銀山の開発も手掛けたそうで、なかなかのやり手です。
上記の名勝小金井を作った恩人でもあり、今年は没後250年ということで、郷里の府中市では記念の植樹が行われたと、翌日(2月5日)の朝日新聞多摩版に載っていました。

真蔵院2.jpg
真蔵院。川崎平右門供養塔.jpg

小金井公園を出て、静かな住宅街をぬけていくと、見えてきた林が浴恩館公園です。
ここに、「次郎物語」の舞台になった浴恩館が京都から移築されています。浴恩館の建物は市の文化センターとしてまだ現役です。

浴恩館2.jpg

散策の最終地、お目当ての精進料理をいただく臨済宗・三光院は、京都嵯峨野の曇華院(どんげんいん)の流れをくむ尼寺です。曇華院は竹之御所と呼ばれ、代々皇女が門跡となる格式の高いお寺です。その竹之御所流精進料理を、竹林の中にある十月堂でいただきました。


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三光院の紋ササリンドウを押した三光院最中に続いてだされた皿は色鮮やかなお煮しめです。
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大和芋の磯部巻き、高野豆腐の含め煮、ごぼうの胡麻和え、南京の煮物、ナンテンの葉添え

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  かぶらの茶碗蒸し かぶのすり流し、中に椎茸、にんじん、麩、ぎんなん

精進料理に定番のごま豆腐の後に三光院名物の香栄とうふを味わいました。豆腐を味噌につけ、桜のチップで燻製にした、香栄禅尼考案の自慢のとうふです。

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茄子の田楽には木枯らしという名前がついていました。形が楽器の琵琶に似ていることから、建礼門院愛用の名器「木枯らし」にちなんで名づけられたそうです。

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甘めの西京味噌、振り柚子、茶の葉添え。油で揚げるのではなく蒸し揚げにしてある。

利尻昆布を3時間煮だしたという出しの一口吸物のあとは、締めのおばんと香のものです。おばんは御所言葉でご飯のこと、香のものには出しをとったあとの昆布がでました。

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◆ご夫婦で途上国を好んでバクパッカーを続ける小川彩子さんの『地球千鳥足』が本になりました。帯にあるように「ダマされても スラれても」はたまたガンもなんのその、お二人で訪ねた111か国の中から厳選した50の旅とコラムがつめられています。幻冬舎 1200円(税別)

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私の中の一期一会 №160 [雑木林の四季]

        平昌五輪・銅メダルの高梨沙羅、「最後は自分を信じて飛べました」
 ~氷点下10度超の寒過ぎる平昌五輪、強風に競技中断や中止が続出。
                                 選手からブーイングも~

                    アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 スキージャンプ・女子ノーマルヒル決勝で3位となり銅メダルを獲得した高梨沙羅(21)が、2度目の五輪挑戦で念願のメダリストになれたのは良かった。
 この夜の高梨は1回目103.5メートルのジャンプで120.3点、2回目も103.5メートルを飛んで123.5点を加え、合計243.8点をマークしてメダルへの期待を残した。
 特に2回目のジャンプは自分でも会心だったらしく、着地した直後小さくガッツポーズをとり、涙ぐんだように見えたのが印象的に残っている。
 翌日の記者会見で高梨沙羅が発した第一声は「目標とした金メダルには届きませんでしたが、今はホッとした気持ちと悔しい気持ちが半々です」というものであった。
 一緒に飛んだチームメイトの伊藤有希(23)は「沙羅ちゃんは、この4年間ずっと苦しんできたと思うのでメダルが取れてホントに良かった」と涙ながらに語っていた。
 「悔しい気持ちをバネに練習に励んできたが、最後の本番で自分が納得のいくジャンプができた。自分を信じて飛べた。楽しんで飛べたのが一番の収穫でした」と述べる高梨沙羅の表情は晴れやかに見えた。
 女子ジャンプをテレビで生中継したのはNHK総合だが、この中継の瞬間高視聴率は関東地区が28.5%、関西地区は29.7%だったことが分かった。
 高梨沙羅は頑張ったが、力の差は歴然だったのではないか?ノルウエーのマーレン・ルンビ(23)が2回目に110メートルの大ジャンプを披露して金メダルに輝いた。
 高梨沙羅の銅メダルが確定した時、時計の針は23時47分を指していたが、瞬間最大視聴率28.5%はこの時間に記録されていたのである。
 沙羅が2回目を飛んだ時間帯(よる11時20分以降)でも、平均視聴率が24.8%(関西25.2%)を記録していたのはちょっとした驚きである。
 沙羅の地元、札幌地区での平均視聴率が26.0%を記録したのは当然としても、軒並み高い視聴率を記録していたことになる。
 4年前のソチ五輪の瞬間最高視聴率が12.6%(関西14.3%)だったことを考えると、「高梨沙羅にメダルを」という日本中の思い入れが如何に高かったかが分かるのである。
 因みに、高梨は試合後の午前0時4分にインタビューを2分ほど受けているが、深夜にも関わらず18%台の視聴率だった。“日本列島は深夜まで喚起に包まれた”とスポーツ報知も書いている。
 2月16日号の週刊朝日にプロゴルファーの丸山茂樹が高梨沙羅について書いているのを読んで、「いいこと言うなあ、その通りだよ」と私は思った。
 マルちゃんは、今シーズンW杯10戦で1勝も出来ず、不調のまま平昌を迎えた高梨沙羅のメンタル面をずっと気に掛けていたようだ。
 “沙羅ちゃんは大丈夫か?”なんて声も聞かれるが、「そんなのホントに気にすることないですよ」と言いながら「金メダルを取らなきゃいけないなんて、周りが言っているだけですからね。あまり周りが言うから本人もそんなふうにコメントするしかなくなってしまう。自分の力で掴んだ晴れ舞台なのだから、楽しく飛んでもらえたらそれでいいと僕は思う」というのだ。
 1月に他界した星野仙一さんも言っていたではないか。「差を埋めるのは技術や戦術ではない。気持なんだ」と・・・
 のしかかるプレッシャーを跳ね除けるのは至難のことだが、「自分を信じて、楽しんで飛べた」という沙羅ちゃんはメンタル面で一皮むけたと言ってもいいのかも知れない。
 プロゴルフのアメリカツアーで3勝を挙げた丸山茂樹でさえ日本メデイァの過剰な取材攻勢には辟易した経験があったのだろう。
 メディアには“才能を発掘する”プラス面と“才能を潰してしまう”マイナス面があることを知っておくことが大切なのではないだろうか。
 平昌は風が強い地域で、五輪開催前から強風の影響が心配されていたという。冬季五輪だから寒いのは当然だとしても、度を越して“寒過ぎろ”のは、やはり問題になると思う。
 極寒と強烈な突風の犠牲(?)になったのが、大会2日目の男子ノーマルヒルジャンプだろう。
ただでさえ気温が低下する21時35分の競技開始だったため、気温は氷点下10度を下回っていた。
この極寒に強風が加わって、あまりにも厳しいコンディションだったとスポーツ紙も書いていた。
 選手ばかりでなく観衆までもが体感温度マイナス20度の過酷な寒さに襲われていたのだ。
競技終了は、予定の23時20分から大幅に遅れ、日付けが変った午前0時19分になっていた。
 出場して21位に終わった葛西紀明は「信じられないくらい寒かった。風の音がすごい。こんなのW杯なら中止でしょう。気持ちがひるんじゃうくらいだった」と苦笑交じりにボヤくしかなかったのだ。
 今季W杯で総合1位のストフ(ポーランド)、同じく2位のフライタク(ドイツ)でさえ表彰台に上れなかったのだのだから・・・
 12日に強行されたスノーボード女子スロープスタイル(SS)の決勝では、前日の予選が中止だったため、出場登録した26人の全員が出場して、ほぼ全員が転倒する大荒れの展開になった。
 大怪我をした選手はいなかったが、優勝したジェイミー・アンダーソン(米)も転倒した一人だ。
 15位に終わったアンナ・ガッサー(オーストリア)などは「フェアな競技だったとは思えない。強行した主催者に失望している」とハッキリ不満を口にしている。
 韓国政府や組織委員会の運営能力に批判の声も出ているそうで、「史上最悪の五輪」というレッテルを貼られるかも知れない状況になっている。
 平昌のジャンプ会場周辺には風力発電の巨大施設があるくらいだから、もともと風の強い場所なのだ。
 そんな環境は競技に適さなのに・・と今更ボヤイでも手遅れというもの。
 スケートやジャンプの競技開始がよる9時半というのも「何でそんなに遅くするの?」という疑問が湧くが、五輪の放映権を持つアメリカのテレビ局、NBCの意向に逆らえないからだそうで、諸悪の根源はIOCにあるという評論家までいる。
 とにかく“開催ありき”が優先され、“アスリート”も“観客”もナイガシロにされているのが現状のようである。
 IOCは、利益のために最大スポンサーNBCの意向に逆らえない。テレビ放映権のために平昌五輪を強行しているという説が囁かれているのだ。
 全放映権料の半分近くをNBCテレビが支払うそうで、テレビ事情が優先されるのである。
 厄介なことにテレビ事情優先問題は、平昌五輪に限ったことではないのだ。
 IOCが変わらない限り、2年後の東京オリンピック(7月24日~8月9日)も、アメリカのプライムタイムに合わせて競技スケジュールが組まれるのは間違いない。
 平昌五輪は、20年東京五輪はにとって対岸の火事ではないのである。
 テレビ局の意向は開催時期をも左右している。秋はアメリカでNFL,NBAなど人気スポーツが開幕するシーズン、オリンピックは真夏の開催が望ましいというのがアメリカのテレビ事情である。
 近年、東京の真夏は、猛暑を通り越した酷暑だと言っても過言ではない。
 組織委員会の公式発表は、“大会期間中の最高気温は34度に達する”というものだが、よくもそんないい加減なことを言えたものだと呆れてしまう。
 毎年37度、38度になる日が何日もあるではないか。夜間だって30度以上の寝苦しさに体調管理だって容易じゃないというのに・・
 今の予定で五輪が開幕したら、競技によっては猛暑、酷暑の中でプレーを強いられることになるだろう。
 アスリートは勿論、大会ボランティアや観客までが熱中症で、バタバタ倒れるかも知れないのだ。
 平昌五輪の度を越した寒さは、“アスリートのパフォーマンスを低下させる”ことを教えてくれた。
 夏季東京五輪の過酷な暑さがアスリートのパフォーマンス低下に影響しない筈はないのだ。
 酷暑の中でのプレーには命の危険だって生じてくる。
 そんな五輪には、出場しないほうがいいという海外のアスリートが増えるかも知れないと私は危惧する。
放射能の問題も残る上に、健康上も危険が予想される東京には“参加しない”という国が出てきても不思議ではないだろう。
 酷暑の東京五輪も平昌同様の混乱が、あちこちで起こる可能性を否定できない。
 日本の組織委員会は、今の開催時期で五輪を強行するのは無謀だと知るべきなのだ。
 無責任と言われても返す言葉が思い浮かばないではないか。NBCの意向には背くだろうが、せめて9月~10月への開催時期変更をIOCに申請すべきだと私は思うがどうだろう。
 IOCが認めないなら、潔く五輪を返上した方がサッパリすると思うのだが・・ 


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浜田山通信 №211 [雑木林の四季]

ピョンチャンオリンピック開会式

                   ジャーナリスト  野村勝美

 はっきり言って私はオリンピックが嫌いだ。2年後の東京五輪などいまでも中止にならないかなと思ったりする。何が嫌だといって日の丸が何本上がった、君が代が何回演奏されたなんてことでテレビが喜んだり、悲しんだりするのがおもしろくない。ただ何気なくTVをみたら開会式の中継があり、これには感動した。夜になっての開会式、しかもマイナス14度とか日本では考えられない酷寒で、会場は吹きさらしだったが、すべてのイベントがすばらしかった。IT技術というのか、光と音を巧みに使った演出、選手団の入場行進、点灯式、なるほどオリンピックは平和とスポーツのお祭りなんだと納得がいった。とくに選手団1人と役員3人とかの国や地域からも参加があり、それぞれに先導役の韓国人女性と子供がついた。この子供たちは、混血の子だという。私は今福竜太さんのクレオール主義を読んで以来、ナショナリズムNO、ハーフ・ブリード賛成になっている。考えてみれば人間の歴史は、アフリカに始まって以来、何万年もの間に限りなき温血を続けてきたのに、ある時から共同体同士で闘いを始めた。近代国家の誕生以後はついに世界大戦にまで進んだ。最終的に核とミサイル、生物兵器。平昌オリンピックの裏というか表では、北朝鮮と韓国の統一旗、美女軍団、位官級会談などが進行し、安倍首相も迷ったあげく開会式に参加した。
 いつも年のことを言うので恐縮だが、私の年になると隣国朝鮮、韓国との付き合いももの心ついて以来ずっと続いている。生まれた時福井市の町はずれで、頭に荷物を乗せたチマチョゴリの小母さんは見慣れていたし、小学校の同級生に4人の朝鮮人がいた。学校では彼らを半島の人と呼べなどと言われた。皆、植民地化され、田畑も奪われ、日本に出稼ぎにきた人たちの子供だった。
 朝鮮というと、いつも彼らのことを思う。同時に“歴史”を考える。歴史にたらればはなしというが、どうしても日韓併合や朝鮮戦争がなかったならと考えてしまう。もしヒトラーがもう1、2か月早く死んでいたら、ソ連軍はもっと早く太平洋戦争に参加し、朝鮮半島、北海道も占領  していたかもしれない。朝鮮には人民共和国が成立し、ソ連の一員に。そして90年代には共産党政治が崩壊し、いまのウクライナやカザフスタン、ジョージア、モンゴルのような国になっていたかもしれない。もちろん38度線も朝鮮戦争もないのだからいまごろ核ミサイルで大騒ぎなんてこともなかっただろう。すべては日本の植民地  支配に始まり、朝鮮半島の分断も、慰安婦問題もら致もそこから生まれた。
 それにしても、マイナス10度、20度、いくら冬季五輪、雪と氷の祭典とはいえよくやるなあと感心する。故里福井の豪雪、38豪雪、56豪雪では見舞いに行ったが、今年ほどではなかった。生活上の便利さが、格段によくなった半面、非常事態が起きると悲惨なことになるということだ。


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徒然なるままに №29 [雑木林の四季]

 豪雪、平昌五輪、NPR、etc・・・

                エッセイスト  横山貞利

 二月も前半分が過ぎ去ったが、この半月にはさまざまなことがあり過ぎて、どうにも落ち着かない。いったい、この国はどうなっているのだろうか。
 この半月に生じたことをアットランダムに書き出してみると、
○福井地方などで豪雪、国道8号線で車両大渋滞
○国会で安倍首相「改憲」議論に熱中
○「国の借金」1085兆7537億円、国民一人当たり約858万円
○NY株価ダウ平均続落、東証株価も追随
○平昌冬季五輪、与正氏が金正恩親書を文在寅大統領に手渡し「訪北」促す
○トランプ大統領、NPR指示、日本は評価
○沖縄米軍ヘリ・オスプレイ事故、名護市長選、自衛隊ヘリ墜落
○ソウルで安倍・文会談、安倍首相、米韓軍事演習の実施要請、文大統領「内政問題だ」
○殺人事件頻発、不寛容社会、惻隠の情喪失
○火災頻発、高齢焼死者多発
○校長、アルマーニの学服奨励
○石牟礼道子さん死亡、また昭和時代の一つが消えた
○外務省「国連制裁室」新設計画
全くランダムに思いつくまま列記してみたが、多分どの一つの項目を取り上げてみても結構な枚数に達したレポートになるだろう。
 とりあえず、上に記した項目のうち、四つの項目について記しておきたい。

○福井地方などで豪雪、国道8号線で車両大渋滞
福井市で140cm弱の積雪になった。このため福井県福井市からあわら市にかけて国道8号線で車両が自力で脱出できなくなり約1500台の車両が動けなくなって大渋滞になった。このため自衛隊に災害派遣を要請した。道路は車両と高く積もった雪ため重機が入れず、仕方なく自衛隊員は人海戦術をとりスコップで除雪に務めて1台ずつ掘り出してワイアーをかけて重機に結んで引き出した。こうして9日までに全車両を引き出して運行できるようにしたのである。この間、沿線の人たちが炊き出しに務めて握り飯や味噌汁を自衛隊員に配ってもらったほか、大手食品会社も食べ物をカンパした。
北陸地方の豪雪は、昭和38年(1963年)の「三八豪雪」{徒然なるままに(26)参照}そして昭和56年(1981年)の「五六豪雪」以来の豪雪である。「三八豪雪」から55振り、「五六豪雪」から37年振りのことである。「天災は忘れたころにやってくる」が災害処理は人間が行うものであることを確認できたように思う。

○国の借金1085兆7537億円、国民1人当たり858万円
財務省が9日に発表した「国の借金=国債、借入金、政府短期証券の合計」は2017年12月末時点で1085兆7537億円で国民一人当たり858万円の借金を抱えている計算になるという。これは、生まれたばかりの赤ちゃんから100歳超の老人に及ぶもので全く働けない人たちを含んだ計算である。
 ところで、金融政策の大元締めである日本銀行総裁には、現在の日銀総裁である黒田東彦氏の再任が決まっていた。黒田総裁の基本姿勢は「経済、物価、金融情勢を踏まえて必要な政策の調整を行う」とし、特に「米国の経済政策は世界経済や国債金融市場に大きなウエイトを占めるので、トランプ大統領の政策や影響を注視する」としている。この原稿を書いている13日(日本時間)にトランプ大統領が「予算教書」を議会に提出した。この「予算教書」では、公共事業やトランプ氏の執念であるメキシコとの境界の壁建設費も計上されている。また、東証の株価が不安定な状況にあるが、その動向は日銀主導と言われている。ところで、黒田総裁が打ち出した「ゼロ金利政策」で日銀が抱える国債は400兆円に達していると言われている。
 最高裁が纏めた「個人の自己破産」は前年比6.4%増の6万8791件で2年連続増加であるということだ。

○平昌冬季五輪、与正氏が金正恩親書を文大統領に手渡し「訪北」促す
平昌冬季オリンピックが10日開幕した。北朝鮮は、金正恩労働党委員長の妹・金与正氏が出席したが、与正氏は文在寅大統領に金正恩委員長の親書を手渡して「早期の訪北」を促す「ほほ笑み外交」を繰り拡げた。これに対して文大統領は「条件を整えて実現したい」と前向きの姿勢を示した。文大統領は、平昌五輪に金正恩委員長の意向を汲みとって金委員長の望み通りに整えた。将に文大統領の“忖度五輪”だ。文氏は、盧泰愚政権時代には民情担当の要職にあったから「北朝鮮に行くこと」が念願であり、「南北首脳会談を成功させること」で歴史に残る大統領でありたいのだろう。金正恩委員長にとっては、日米韓の結びつきに穴をあけて韓国をおびきだしたい意向を確実にしたいのであろう。日、米、露、中の諸国の動向を注視しなければならない。
それにしても、平昌のスキー会場は五輪の競技会場ではないように思う。IОCの会場視察委員は雪や風などをしっかり見極めて報告したのだろうか。

高梨沙羅さん、銅メタル、おめでとう。よく頑張ったね。

○トランプ大統領、NPR指示、日本評価
トランプ政権は「核体制の見直しNPR(Nuclear Posture Review)」を2日は発表した。トランプ大統領が「一般教書」で訴えた「力による平和」を推進するため爆発力を抑えた小型核弾頭など新たな核兵器の開発を行う意向を示したのである。即ち「戦略核」から「戦術核」の多様化を図り通常兵器に対する報復にも核兵器使用を排除しない方針を表明したものである。特にSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)に用いる小型核の開発である。これによって中国、ロシア、北朝鮮、イランの脅威に対応するためだという。
昨年、ノーベル平和賞を受賞したNGО「核廃絶国際キャンペーン=ICAN」に反する方向である。米国の動向は新たな「軍拡競争」を迎えるものである。米国の新たな戦略について、河野外相は、「米国による抑止力の実効性の確保とわが国を含む同盟国に対する抑止力拡大になる」という談話を発表し、国会でも明言している。この米国の決定は日本が進めている「包括的核実験禁止条約=CTBTの批准を否定するものであるが、政府は何もしていない。

終末時計は、あと2分に迫っている。

上記した2月前半の社会の動向で気になったことを羅列したが、その中から特にコメントしておきたい4項目について考えてみた。しかし、水俣と向き合い格闘した人生を生きた石牟礼道子さんの死を悼む気持ちをどうしたらいいのか解らない。また一つ、大切な昭和時代が消えてしまった。


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BS-TBS番組情報 №155 [雑木林の四季]

BS-TBS 2018年2月のおすすめ番組
                        BS-TBS広報宣伝部

高島礼子・日本の古都 2時間スペシャル
絶景歴史ミステリー「信長の城 15の謎」

156高島礼子日本の古都_信長の城.jpg

2018年2月16日(金)よる9:00~9:54/10:00~10:54

☆今はなき安土城…信長最期の11年に迫る!

出演:高島礼子

今回の舞台は滋賀県近江八幡市の安土城址。
1571年、比叡山を焼き討ちした織田信長。その11年後の1582年、比叡山の麓、坂本を治めていた家臣・明智光秀に本能寺で焼き討ちにされ絶命。この間、信長は何を考え天下への道を歩んだのか?その答えは、比叡山から琵琶湖の対岸にあたる安土城に隠されていた!信長の死後、謎の焼失を遂げた安土城だが、昭和3年以降、発掘調査が進められ、その全貌が少しずつ明らかにされてきた。戦国時代の城の常識を覆す斬新さ、石垣をふんだんに使った堅牢な城郭、一直線の広い道…、その全てに信長の思想が込められているのだ。信長はなぜ比叡山を焼き討ちし、なぜ常識外れの城を安土に築いたのか?比叡山の焼き討ちから、本能寺の変、そして安土城の焼失まで、天下布武に向け走り続けた信長最期の11年を、安土城から紐解く!

健康科学ミステリー!“若返り”医療最前線

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2018年2月23日(金)よる7:00~8:54

☆日々進歩を続けるアンチエイジング医療の最前線に迫る!

ナビゲーター 真矢ミキ
監修・コメンテーター 冨田 勝(慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長)

いつまでも若々しく、元気に生きたい。
そんな願いを叶える最新の医療と科学に迫るスペシャル番組。
人類最大のテーマ「老化」。
2017年には日本初となる老化研究の国家プロジェクトが発足。老化のメカニズムを解き明かすことにより、いま医療は、「病気を治す」から「病気を防ぐ」へと進化を遂げようとしている。
そこで今回、番組は「アンチエイジング(抗加齢・抗老化)」に注目。
「若返りを導く6つのキーワード」をもとに、日々進歩するアンチエイジング医療の最前線に迫る。
ナビゲーターは女優の真矢ミキ。
監修・コメンテーターは、わずか一滴の唾液からがんを発見する新技術を開発し、世界から注目を集める医学・工学博士の冨田勝氏。
番組は冨田氏が所長を務める山形県鶴岡市の慶應義塾大学先端生命科学研究所にて収録した。
▽長寿のカギを握るのは「慢性炎症」!?
▽見た目の“老け”には、原因となる体内物質AGEがあった! 
▽健康寿命を延ばすカギ…私たちの体の中にある「命の回数券」の秘密。
▽長寿に関係する「サーチュイン遺伝子」って何?活性化すれば夢の老化防止薬が!?
▽最強生物「クマムシ」の遺伝子研究が、アンチエイジング研究につながる!?
▽不可能が可能に…脳細胞は再生する時代へ。脳を再生させる新薬に迫る!

命の星「地球」物語4

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2018年2月25日(日)よる7:00~8:54

☆地球上に生きる野生動物の不思議と命の物語を見せるスペシャル番組

出演者:田中直樹(ココリコ)
MC:古谷有美(TBSアナウンサー)

南極!北極!砂漠!洞窟!絶海の孤島!
今回はなぜ、こんな場所にと思える極地、僻地に生息している動物たちを大特集!
小説ロストワールドの舞台!南米、ギアナ高地の上にはどんな生物が生きているのか?
ダーウィンが進化論を唱えるきっかけとなった絶海の島々、ガラパゴスに生きる生き物たち。
キューバの洞窟で遭遇した10万匹のコウモリ、地底湖に暮らす未知の魚。
厳しい環境を生き抜くために身につけた不思議な生態を持つ動物たちの数々を紹介する。




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ロワール紀行 №71 [雑木林の四季]

アゼイ・ル・リイドオの城館 3

           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 一八七〇年のことであった。
 普仏戦争に負けたフランスは、プロシアの占領下にあった。
 プロシア軍はこの地方にまで侵入し、アゼィ・ル・リィドオのシャトオほ、方面軍の司令部となった。プロシア王子フリィドリッヒ・カルルが、ここの独軍を訪問した時、この城館が宿舎にあてられた。

 その夜、プロシア軍司令官が多くの将星や幕僚とともに、王子歓迎の大夜宴を催した。
 きらびやかな肩章や勲章が、シャンデリアの光に燦めき、宴ようやく酣(たけなわ)となったとき、天井の大シャソデリアが大音響とともに食卓の上に落ちた。
 宴席は騒然となった。
 直ちに、けたたましい非常呼集のラッパが吹鳴(すいめい)され、精悍なプロシア軍は時を移さず戒厳令を布(し)いた。
 王子は、アゼィの住民が自分を謀殺しょうと企(たくら)んだと考えた。彼は布告を発し、プロシア占領軍に対する反逆の報復として、村とシャトオを焼き払い、住民を悉く銃殺すると宣告した。
 しかし、この事件は単なる偶発的な事故であった。だが、それが立証されるまで、アゼィ・ル・リィドオの人々は生きた心地がしなかった。
 「人道的見地から考えて、殿下のプライドよりも人命と村と城館の方が、より重いものがあります」というプロシア軍司令官の諌言は、王子の烈しい怒りを和げた。城も救われた。
 この頃のプロシア、即ちドイツ軍人は、日清日露の日本軍人と同じく立派な良識があった。第二次大戦下、フランス占領中のドイツ軍がこの。ワール地方やナント方面で示した蛮行を顧みると、隔世の感があると思う。
 ここからやや東南、六粁ほど上流に、オノレ・ド・バルザックのシャトオとして有名なサッシェの城館がある。シャトオはアンドルの河畔に、公園に囲まれて立っている。
 一八二九年から約二十年間、バルザックがここに住み著作の日々を送った。
 彼の書斎はバルザック美術館として、当時のままに保存され、肖像や原稿、初版本、日記、手紙などと共に、この文豪の数々の思い出の品が陳列されている。
 彼はこの部屋で、『知られざる傑作』『トクールの司祭』(一八三二年)、『ウージェニイ・グランデ』(一八三三年)、『ゴリオ爺さん』(一八三四年)、『従妹ベット』(一八四六年)、『従兄ポンス』(一八四七年)などを始め、多くの傑作を書いた。
 このアンドル川の谷は、彼の『谷間の百合』(一八三五年)の舞台でもあった。
 その一節に、「女性のなかの花ともいうべきあの女(ひと)が、もしこの世に住んでいるとすれば、その土地は此処以外にはない」と書いている。それほどまでに、このトゥーレエヌの美しさを愛したバルザックは、「トゥーレエヌというものがなかったら、恐らく私は生きていられなかったかも知れない」とも云っている。
 まことに、このトゥーレエヌとアンドル河の美しさ、ことに空の青の美しさは、「愛する女性がトクーレエヌに住んでいると思うと、私は空気を吸うのさえ快よく、季節の空の青さには、何処の空にも見られない色があるような気がする」と、その美を讃えている通りである。
 私も、バルザック以上に、このトゥーレエヌの美しきを愛する。

『ロワール紀行』 経済往来社

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バルタンの呟き №28 [雑木林の四季]

「♪春よ、こい!」

                映画監督  飯島敏宏

 ♪春よ、こい! 早く、こい! ~
 誰でも知っている歌です。陳腐極まりない常套句で恐縮ですが、暦の上ではもうとっくに春です。が、今日現在、東京ですら朝の気温がまだマイナス、東北北陸では、家々の軒先まで雪が積もって、いったい春はいつ来るのでしょうか。陽春来復の旧暦正月もとうに過ぎ、春分も過ぎた今、本来なら、気候的にも三寒四温、猫の額ほどのわが庭でも、地中にあっては間近に迫る啓蟄を待ちかねて虫たちも蠢き始め、ちらほらと開き始めた紅梅白梅にも、メジロやツグミが忙しく枝を渡りまわる姿を見せる筈なのですが、今朝も汲み置きの水瓶には相変わらず薄氷が張り、鉢植えの花々はほとんど霜げているあり様です。
 この寒さが果たして異常なのか、それとも以降地球の温暖化と共に恒常となってしまうのか計りかねますが、ともあれこのところの寒さでは、治まりかかった流感が形を変えて再流行しているというのも肯ける次第です。
 僕としても、かかりつけの医者(せんせい)のご託宣どおり、わずかに高めの血圧を理由に、365日元旦以外休むことなく続けられている中央公園早朝ラジオ体操会も失敬して、旅の途上に病んだ松尾芭蕉を決め込んで、抜け出す勇気の湧かない床寝床にお蚕ぐるみよろしく潜り込んで、ひたすら枯れ野に夢ばかり駆け巡らせている有様です。
 枯れ野といえば、いまや僕を巡る現実は文字通り枯れ野です。今年86歳を迎えようという僕ですから当たり前と言えば当たり前なのですが、この年末年始は、歳の近い友人知己が石積みの川向こうに旅立ったという知らせが、重なって届きました。いえ、年始どころか、つい昨朝も、開いたPCに「Aのやつが昨日の朝早くトイレで倒れ、病院へ運ばれたが、そのまま・・・」という五十年来の仕事仲間の訃報に、「幸せな奴だ・・・」というブラックジョークを添付したメールが、届けられていたのです。床の中からリモコンに手を伸ばしてテレビをつけても、このところの、東北、北陸の豪雪風景ばかりが、テレビニュースのトップを占め続ける有様でした。今朝はしかし、突如、枯れ野に咲いた華麗な花々! 平昌冬季オリンピック競技開幕!の筈でした。昨夜、生中継でテレビに映し出された開会式の、見事な光と影と音楽と選手たちが見事に混然一体化して、煌びやかに輝いた入場式に始まった開会のペジェントとが、華やかに春をもたらしてくれた!筈でした・・・
 数多の困難を乗り越えて、韓国と北朝鮮選手団と応援団が協調和合してアリランを唄い奏で、VIP席に見た光景は、次会夏季オリンピック開催国の日本を代表して、ある種の決意で参列した安倍首相の笑みはやや表情が固いものの、文在寅、金永南、金与正の両朝鮮半島国代表の人たちの表情は和やかで、満面に媒介者としての笑みを湛えるIOCバッハ会長などの光景には、たしかに両鮮および日米の氷結した関係を溶融する援けに、という思いも窺われて、直前の軍事パレードや合同訓練の一触即発ムードが緩和される予感さえ抱いたのです。
 しかし、入場行進後の開会式が始まり、数十機と伝えられたドローンが放つ光の群れの移動、予想をはるかに超えて、実に見事な演出効果を上げた開会セレモニーのあの華麗な光の流れが、僕の浸っていた夢を、一瞬にして消し去ってしまったのです。あの、無数の光の球の流れは、平和を望む華やかな宴とは映らずに、僕には、あの時の、あの寒い夜の、恐ろしい光の群れ、母親が「提灯行列みたいだ・・・」と見上げた、やがて、我が家に降りかかってくる米軍の巨大爆撃機B29が空を覆うようにばら撒いた無数の焼夷弾の放つ光の群れを連想させてしまったのです。温ろみはじめた池の水面に、日向ぼっことばかり首を上げかかったとたん、空の一角から急降下してきたトンビに手ひどく頭を突かれた亀、といった具合に、僕はまた布団にもぐりこんでしまいます。一夜にして、東京を焦土化してしまったあの大空襲の恐ろしさは、容易には表現できないのです・・・
 あの戦争の体験は、ヒロシマの被曝までが風化しつつある今となっては、世間的にはほとんど希薄な記憶になっています。むしろ、体験した本人たちまでが、ある種レジェンドのように、誇らし気に語る自慢話となった向きさえもあります。被災、敗戦の語り部も、二代目となっている現況ですが、あの一夜払暁こそは、僕にとってはけっして消し去ることの出来ないトラウマとして残っているのです。
 核開発という武器を神器として掲げて専制を維持し、なおかつ最低生活保持のために富国強兵に狂奔せざるを得ない金正恩の北朝鮮、核兵器の極小化による濫用をちらつかせ、兵器を産業振興の具として政権維持を図らなければならないトランプのアメリカ、そして軒を重ねる隣接国を脅威としてとらえて、最強と踏む一方に加担する危険を選択し続ける苦渋の安部首相・・・日本の行く道は果たして、これしかない!のでしょうか・・・
 一方では、潜りこんだふとんの暗闇にまでで侵入して来る狂信的な北朝鮮軍団の足並み、画面を遮って登場した巨大な弾道ミサイルの姿。あのドローン群のように、弾道ミサイルが群れをなして飛んできたら、軍需産業のセールスマン、トランプ大統領から買わされた、未完成な精度下で辛うじて撃ち落とした二基の高価な武器で、全て撃ち落とせるのだろうか・・・否、まさに、悪夢が枯れ野ならぬ荒野を駆け巡るだけの僕たちにとっては、殆んどが無意味なお守りさんのお札に他ならないのです
 いまだかつて、戦争によって素晴らしい解決が導かれた事例があったでしょうか。圧迫に圧迫を重ねて、平静な結果を生んだ事例があるのでしょうか・・・まずは、押し込まれ押し込まれて窮乏の極みに達した北朝鮮に、「緒戦のみは、勝利を収めて進じましょう・・」と申し出る山本五十六のような存在が現れて、人類が作り上げてしまった禁断の最終兵器のボタンを押してしまわないか、と杞憂するのです。
 春よ!来い!まさしく北朝鮮、韓国、そして中国、ロシア・・・日本に隣接する諸国に、脅威と怯えるのではなく、温暖な春がやってくることを願って、今回のバルタン星人は呟くのです・・・春よ!こい! はやく こい!


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ZAEMON 時空の旅人 №29 [雑木林の四季]

ZAEMON」第24章  宇宙覇権抗争

                         文筆家  千束北男

僕のいる時元で、ここは、西暦2024年現在の日本です。財界と軍の傀儡である大宰相は、特定の大企業および軍部優先で政治経済を動かし、国民に対しては、声高に経済活性化を提唱して、成長という通りのいい名の膨張経済を強引に推し進めています。通貨操作によるみせかけの好景気を演出して、国民の支持を取りつけようという下心です。そのために、企業間格差だけでなく、いまや国民の貧富の差は極端に広がり、ワーキング・プアが大量発生する一方、企業、人口共に中心都市に集中して、地方経済は破たん、ついには無人化して消滅する都市も多数発生する事態となり、繁栄し続けると見えた首都TOKYOでさえ、一部地域に巨大スラムが発生するありさまだったのです。
その一つ、西暦2020年東京オリンピックを機会に急遽開発された東京湾岸の高層ビル・マンション街も、災害と超インフレを免れずに、わずか4年で早くもスラム化していました。人々はそれを、ガラスの森のスラムと呼んだのです。
都会的な洗練されたファッションに彩られているガラスの森のスラムには、異様な残酷さがあります。経済という怪物に痛めつけられて取り残された人々は、つい最近まで欲しいままにしていた見栄も外聞もすてて、ひたすら、残照の街に現れる夕焼け天使の訪れを待って、長い長い行列を作っていました。食生活までが維持できなくなっていたのです
夕焼け天使とは、毎日のように、暮れ方になると、ガラスの森のスラムの広場に夕餉の食料を持参して、あたたかいスープと食事を無償でサービスする女性たちの一団を、誰呼ぶともなく、名付けたものです。
ながい行列のつづく広場に設けられた、電機メーカー設置の超大型8Kテレビモニターでは、相変わらず、大宰相の広舌が大音響で繰り返し流れ続けています。
「国民よ、いまこそ挙国一致、大同団結し、一億一心、国民総動員で、欧米先進国と肩を並べ、近隣諸国に後れを取ることなく、しっかりと、宇宙覇権を勝ち取ろうじゃありませんか! わが日本の行く道は、これしかありません! 宇宙制覇に指導的役割を果たすのです!」
自己過信から、欧米と歩調を合わせて、科学技術による宇宙覇権の烽火(のろし)烽火を上げるつもりなのです。日本だけではなく、ロシア、中国も、競い合うように宇宙開発の名のもとに、宇宙資源の乱獲と破壊の手を伸ばしていました。
西暦2024年には、日米はじめ国連加盟国ロボットの大軍団を乗せた火星への開発移民船「ラー号」の日本からの発進が予定されて、着々と建造作業が進められていたのですが、一方、「ラー号」のそれと競って中国の宇宙開発移民船「長城」の出発も間近い、と噂されていました。
噂に踊らされた大宰相は、SETI日本支部に要請して、「ラー号」の日本発進を、宇宙にむけて宣言したのです。高等生物生存の可能性のある全惑星に、宇宙航路の安全を要請したつもりだったのですが、無知ほど恐ろしいものはありません。それが、宣戦布告と受け取られて、ストリクト星人による宇宙十字軍結成、日本来寇の一因となることは明らかだったのに、です。ZAEMONの提案したミッションの第一目標が、まず、ラー号発進の阻止と決められたのは、そのためです。

大宰相が、サカリの熱に浮かされた獅子のように吠え続ける8Kテレビ大画面、並び写されているラー号は、巨大で、メカニカルで、どことなく、西暦1970年代に大流行した戦艦ヤマトに似た雰囲気の、武装した宇宙船です。宇宙十字軍に、挑戦的で、宇宙侵略の巨艦と受け止められたのも、無理はありません。

山本久美子先生!
 西暦2024年の地球上では、理想社会を築くどころか、ボクが旅に出た西暦2016年現在よりも、さらに世界各国の間に政治的不信が広がり、競い合って軍が強大化されていました。洋の東西を問わず、かつて政治の理想と考えられていた民主主義は変貌して、経済成長偏重の極端な競争社会になり、政治的、軍事的、宗教的な対立も、経済格差も、人権格差も、どれをとっても、先生がおっしゃったように、やがては、世界各国も漸く自覚して、協力して改善に努める・・という成果が表れることなく、戦争を伴う経済競争は、さらにエスカレートしているのです。
 環境破壊についても同じことが言えます。ただでさえ、西暦2017年の富士火山系連続噴火の影響が色濃く残っている上に、このところの太陽活動の衰えも加わって、雨と、曇りの天候が続いた自然現象に加えて、膨張経済推進のための生産活動が過剰に行われたために、京都議定書の条項を優に超える二酸化炭素やその他の有害物質をたれ流しにして、空気汚染が減少しないばかりでなく、温暖化も一段と亢進しています。

ところで、バルタン星人ピピン、パパンはあざやかに一番槍の凱歌を挙げたのに、僕の必須の命題であるカオリとの遭遇は、何の手がかりもありません。
その日も、胸に下げた勾玉からの気配を期待しながら、漫然とした気持ちのまま大学に向かったのです。すると・・・・

旧大名家江戸屋敷の敷地に開かれた僕の大学の、江戸時代から遺された冠木門をくぐり、明治時代の文学作品の登場人物の名を戴いた大池のほとりに陣取って、いつものように、洋琴を弾きながら、詩句を創りはじめた僕の耳に、突然、ラウドスピーカーから流れる大きなだみ声が飛び込んできたのです。語尾を不自然なまでに延ばした語調は、最近では聞かれなくなった、旧態依然としたアジテーション節です。
「眠れる豚のォ諸君よォ!・・・」
あ!この洒脱気どりの出だしはカクタくんだ、とすぐにわかりました。小学校の同級生だった彼は、いつもこんなとっかかりで話を始めたものでした。大学に細々と残る学生自治会の委員長を買って出たのですが、多分、なにかの闘争を描いたルポルタージュ映画に触発されて壇上に立つ決意をしたに違いありません。
カクタ君の声は、かつての、激しい学生運動のシンボルとなった拠点である講堂前の広場から聞こえてきます。
「諸君! 象牙の塔より出でよ! 塔より出でて、実学せよ。書を捨てて街に出でよ! 痩せたソクラテスよりも、肥えた豚となれ! はははは、さて、諸君! 本題に入ろう・・」
なにが始まったかと集まった学生たちも、さしたる興味も示さずに、眺めているだけです。
演壇の傍らに置かれた大きな立て看板には、
「革命せよ! 火星侵略船「ラー号」の発進を阻止せよ! 環境破壊の根源、傀儡大宰相政権を倒せ!」
と書かれています。 
全学自治会の呼びかけに応えて、学生組織LHS(Life of Health and Sustainability)が、起ちあがって闘争を開始しているのです。LHSの本部は、たしか、大学運動部のプール下の地下室にあります。そして、学生主体の平和維持義勇軍LHSSは、世界的な広がりの「緑の友党」グリーン・フェローズGFと連携しているはずです。世界的には、依然として宗教戦争、資源戦争が続いている状態ですが、「緑の友党」GFは、ネットを通じて世界に繋がっているNGOの平和団体です。ですから、ここでの聴衆のあつまりには、この人数で十分なのです。いまごろ、スマホやネットを通じて、このスローガンは、日本中はおろか、全世界に伝わっているのですから。
その証拠に、カクタ君の呼びかけから、一時間経つか経たないうちに、やはり同級生だったイソハタ君が、他大学の代表として数十名の学生とともに参加してきたのです。続いて現れた新聞雑誌労働組合連合の一団の中には、エノキド君がいます。
ところで、山本久美子先生!お笑いになってはいけません。GF日本支部の代表は、なんと、山本久美子先生!先生なのです! 西暦2016年の今はまだご存じないと思いますが、山本久美子、あなたご自身なのだということをお認めになるでしょうか。あなたの凛!とした性格が、GF日本支部の指導者に最もふさわしいと、パリのGF本部から白羽の矢がたったのです。
人間の運命というものは、いったい何に支配されているのでしょう。膨大な分量で先生の連休を台無しにしたこの長大な日記を、先生が小学生新聞の懸賞に推薦して下さって当選作になったのが、やがて僕が詩作に没頭するきっかけになったのですから・・・
演壇から降りてきたカクタ君から、スラム街で貧しい人々に慈善の給食を行っている一団に、かつて転校生で人気のあった夏樹香織に似た人物がいるという思わぬ情報を聞き、詳細についてはエノキド君が詳しいと聞いた僕は、増え続ける集会参加者たちの間を縫って、新聞労連の一団にいるエノキド君を探し出しました。
しかし、エノキド君も、直接彼女を見たわけではなく、
「うわさに聞くガラスの森の天使という存在が、ひょっとすると、あの人気のあった転校生、夏樹香織ではないか・・・」
という話を、夕焼け天使を実際に目撃した元同級生のサカグチ君から聞いた、という婉曲なはなしだったのです。
ZAEMONから与えられた僕のミッションは、まず手始めにカオリに逢う事でした。カオリに関しては、どんな小さな情報でも、あるいは重要な手掛かりに繋がるものかもしれないと思った僕は、さっそく建築会社に勤務しているというサカグチ君を訪ねようと、聴衆の群れを抜けかかった時です。
「ハヤト! ミズシマ君!」
聞いたことのある声に呼び止められて振り返りました。
「ニンジャ美穂?」
僕に呼びかけたのは、ソバカスだらけのあのニンジャ美穂でも、凛々しい戦士のニンジャ美穂でもなく、和やかな面ざしの美しい女子学生だったのです。
「でも、ニンジャ美穂が、どうしてここに・・・」
ニンジャ美穂は、西暦2030年の現実(リアル)現実で、厳しい戦いの中に身を置いていると思っていたからです。
「私、いま、隣りの女子大で、新聞研究会やってます。専攻は、ユニバーサル・コミュニケだけど」
今、僕の前にいて、にこやかに微笑んでいるニンジャ美穂は、若々しく溌剌とした印象の女子大生です。
「詩人なんですね、水嶋君。同人誌や新聞で拝見したことがあります。現役の学生で、すごい・・・」
眼の前にいるニンジャ美穂は、当然、西暦2030年の未来のニンジャ美穂を知りません。未来の彼女が、いま非常に危険な状況の中にいることを知らないのです。このまま何も変わらず、もし、西暦2030年に到ってしまえば、惨憺たる焦土と化したTOKYOで、非情極まりない戒律原理主義のストリクト星人率いる宇宙十字軍を相手に、劣勢のニンゲン達を救うための熾烈な戦いに身を投じていなければならないことを、どう告げればいいのでしょう。
しかし、いまの僕のミッションは、カオリにあうことです。
思っていた事とは反対に、僕は、ニンジャ美穂ならば、と、「
「ガラスの森の天使のことだけど・・・」
と質問しかけたのですが、果たしてここのニンジャ美穂もさすがニンジャです。僕の質問が終わらないうちに、
「あ、ガラスの森のスラム街に毎夕姿を現す慈善団体のヒロインね・・・」
僕の心を読み取ったように即答です。
「もしかして、転校生の夏樹香織さんかと・・・」
「水嶋君もそれをいうのか・・カクタ君も、そんなこというけど、あのころ、皆んな、お熱だったからね、転校生夏木香織には・・」
「・・・・・」
「たしかにそんなことをするかもしれないけどね、あの人なら」
此処にいるニンジャ美穂は、西暦2025年の宇宙十字軍来寇の未来も知らず、もちろん僕が抱えているミッションなど知りません。
目の前のニンジャ美穂は、ますます増長して膨満な経済成長一辺倒の悪政を敷く大宰相府を斃して、宇宙環境を破壊する火星侵略宇宙船ラー号の発進をストップさせることに熱情をそそぐ学生闘士であるようでした。
                                つづく


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医史跡を巡る旅 №36 [雑木林の四季]

「紀行シリーズ」~人道・博愛精神のルーツをたどる・熊本篇 後篇

              保険衛生監視員  小川 優

田原坂へは熊本駅から車で約40分ですが、公共交通機関で行くのには難儀します。JRの田原坂駅か、木葉駅が最寄りとなりますが、どちらも無人駅で駅員がいないため道を聞くこともできず、田原坂駅に至っては普通列車でも通過することがあります。さらにバスも構内タクシーもないので、駅から田原坂までは歩くしかなく、それも山道を片道約3キロ、4~50分の行程となります。よく知られた史跡であるにもかかわらず、著しく不便なことが残念です。

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「熊本市田原坂西南戦争史料館」 ~熊本市北区植木町

明治10年2月鹿児島を発った薩軍は、鎮台のある熊本城を包囲し、さらに北上します。政府軍側も2月19日の征討令を受け、九州各地の兵を集結させて反撃に移り、各地で激戦となります。一度は高瀬まで進出した薩軍もじりじりと後退、田原坂で戦線は膠着状態に陥ります。熊本は山に囲まれ、熊本城に通じる軍隊の進撃できる街道は限られていました。中でも田原坂は峠をはさんで、視界を遮る藪と、見通しのきかないつづら折りの山道、道沿いには塁のような崖と守るには堅く、攻めるに難しい要害でした。こうして3月には南下する政府軍と、薩軍との間で田原坂の戦いが始まります。圧倒的な物量と、新式小銃など優秀な装備で押す政府軍ですが、兵士の多くが徴兵された農民で、接近しての戦いとなると、士族を中心に組織され、抜刀して白兵戦を挑む薩軍に苦戦します。

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「田原坂 一之坂」 ~熊本市北区植木町

天候不順な中で戦いは長引き、両軍で数十万発の弾薬が消費されたといいます。当時の小銃はその多くが単発式(一度発射するごとに弾を込める)で、現在の自動小銃や機関銃(一度引き金を引くと、数発から数十発が発射される)とは異なり、連続して発射することができません。こうした操作方法の銃で、多数の銃弾が消費されたということは、いかに激戦であったかを物語ります。田原坂近くの民家の壁は、銃弾で穴だらけになりました。

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「熊本市田原坂西南戦争史料館 弾痕の家(復元)」 ~熊本市北区植木町

戦いの中で政府軍、薩軍ともに多くの死傷者が出ました。田原坂の北側、官軍の本陣がおかれた玉東町木葉の寺院は臨時の野戦病院となります。

本陣に近い所に位置した徳成寺には、官軍病院がおかれました。山道右脇に「官軍病院跡」と記した石碑が建てられています。

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「官軍病院跡碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 徳成寺

政府軍とはいえ野戦病院に配置する軍医の数は足りず、近隣の開業医が協力して治療にあたります。病院とは名ばかりで実際は包帯所ですから十分な治療が行われたとは思いにくく、止血し、包帯するのが精一杯で、状況は酸鼻を極めたことでしょう。本堂の脇を通って山道を登り、徳成寺墓地を抜けた先には宇蘇浦官軍墓地があります。戦死者ばかりでなく、病院に収容されても手当の甲斐なく、命を落とした兵士もここに葬られました。

そしてより戦場に近い街道沿いに置かれたのが、正念寺の官軍病院。道路に面した山門の左手に官軍病院跡の碑があります。正念寺の山門には今も当時の弾痕が残っています。

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「官軍病院跡碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 正念寺

境内には、「西南の役 官薩両軍供養碑」と「博愛」の文字を記した石碑があります。

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「西南の役 官薩両軍供養碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 正念寺

最初は憎み合うだけだった彼我の兵士も、故郷に生きて帰りたいのは皆同じ。両軍とも兵士の多くが若者で痛みに泣き叫び、会いたい人の名を呼ぶその姿に胸を打たれ、戦場では互いに自然と救いの手を差し伸べるようになります。一方で戦場から遠く離れた指導者たちは、官軍、賊軍という形式論的な区別にこだわり、負傷兵といえども罪人として厳しく処罰しようとします。

ここで登場するのが佐野常民です。文政6年(1823年)佐賀県に生まれ、緒方洪庵の適塾に学んで医者となります。安政2年(1855年)、幕府の開設した長崎海軍伝習所に参加、佐賀藩海軍の創設にかかわり、慶応3年(1867年)にはパリ万国博覧会に参加するため渡欧、滞在中に国際赤十字の活動を知ります。翌明治元年になって帰国した時にはすでに幕府はなく、新政府のもとで博覧会御用係として手腕を発揮します。西南戦争時には元老院議官となっていた佐野は、西南戦争の惨状を伝え聞き、明治10年4月に両軍差別なく治療する、日本版赤十字ともいえる「博愛社」の設立を政府に願い出ます。そして彼自身は戦場である熊本に向かいます。

当時の熊本の状況はどうだったのでしょう。政府軍は白兵戦にたけた士族出身者からなる警視庁の警官隊を投入したこと、近隣の高地を占領して砲陣地とし、激しい砲撃を与えたことなどにより、じわじわと薩軍の戦線は崩れて、3月20日には田原坂での戦闘は終了します。しかしその後も植木、木留、健軍、保田窪、大津と戦闘は続きました。

熊本入りした佐野の足取りは、公式には記録されていません。しかし当時もまだ多くの負傷者が収容されていたと思われる、木葉の官軍病院の実状を視察したのではないでしょうか。そして東京からの知らせで博愛社設立が却下されたことを知ると、征討総督の有栖川宮熾親王に直訴、その許可を得ることに成功します。
繰り返しますが実際に官軍病院を佐野常民が訪れて、博愛社設立につながったという史実の確認はできません。しかしかの地の惨状を知り、彼が行動を起こしたことは疑いようなく、徳成寺が「日赤発祥之地」、正念寺は「博愛社発祥縁起の地」とそれぞれ名乗っています。

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「日赤発祥之地 碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 徳成寺
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「博愛社発祥縁起の地 碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 正念寺

博愛社は当初、赤丸に一文字を標識としました。明治19年(1886年)に日本がジュネーブ条約を調印し、正式に国際赤十字に参加することとなった翌年(1887年)に名称を日本赤十字社と改称、万国共通の赤十字マークを用いるようになります。

田原坂は、規模こそ違えど近代戦における人的被害の大きさ、その悲惨さ、そして赤十字活動に繋がった所以から、第二次イタリア独立戦争時の激戦地ソルフェリーノの丘に例えられます。

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画像⑨「田原坂史料館 赤十字発祥の地プレート」 ~熊本市北区植木町

また、佐野常民が有栖川宮熾親王に直訴し、博愛社設立許可を得た場所が水前寺公園にあったジョーンズ邸。親王の執務室を「日本赤十字発祥の部屋」としていましたが、建物そのものが熊本地震で倒壊してしまいました。再建が期待されます。

設立許可を得た佐野常民は、志を同じくする大給恒と連絡を取り、元尼崎藩藩主であった桜井忠興より寄附を受けて活動を開始、5月には4人の医員を確保して再び熊本に戻り、医療活動を開始します。その後9月に西南戦争が終結した後も継続し、熊本での戦時活動は10月一杯で終了します。

不幸にも最後の内戦の舞台となった熊本が、赤十字発祥の地といわれる所以、ご納得いただけましたでしょうか。
さて次回は、古城医学校以後の、熊本における医学教育の歴史について触れてみたいと思います。


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