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気ままにギャラリートーク №3 [文芸美術の森]

《法堂二笑》

                  小平市平櫛田中彫刻美術館 主査・学芸員 藤井 明

法堂二笑.jpg

 

 この作品は、臨済宗の開祖である臨済の言行を記録した『臨済録』の、次のような逸話にもとづいて作られました。
 ある日臨済が高座の上で説教をしていると、麻谷という老僧がやってきて「降りろ、降りろ」という。臨済がそれに従うと、今度は麻谷が高座で説教を始めたので、臨済が麻谷に対して「降りろ、降りろ」とやり返す。そうしたやりとりを何度か繰り返してから、二人はにっこり笑いながらそろって壇上から降りるという話です。
 禅問答における、問う側と答える側の力量が接近している場合の「賓主互換」がテーマになっているのだそうです。なんだか難しいですね。作品は向かって右が臨済、左が麻谷です。
 ある展覧会の終了後、岡倉天心に次回作を問われた田中が作品の構想を語ったところ、天心から「どこが芯になるかな、笑いかな」と言われたことがヒントになって制作されました。出品作はこの時代には珍しい木彫による群像で、臨済のまなざしによって、臨済と少し前を歩く麻谷との関係が緊密に結び付けられています。
 この作品にはこんなエピソードがあります。
 明治40年、田中と妻の花代の間に待望の第一子が生まれましたが、あいかわらず収入は乏しく、生活が苦しい中で次の展覧会に出品する《法堂二笑》の制作を続けていました。
そして、苦心の末に迎えた展覧会の初日。天心が会場に姿をあらわしました。天心は会場を一巡すると、もう一度、今度はゆっくりまわりはじめました。会場の中ほどに田中が必死の思いで制作した《法堂二笑》があります。天心はその前に立ち止まると、固唾を飲んで見つめる田中を呼び寄せました。「はい」という返事とともに田中が恐る恐る近づくと、天心から次のような言葉をかけられました。「平櫛さん、よく出来ましたよ」。その言葉に田中は感極まって、思わずぽろりと涙をこぼしてしまうのです。
 さいわい《法堂二笑》の評判は良く、複数の作品購入者があったおかげでなんとか生活を持ち直すことができました。
 展覧会に出品された木彫作品は、三越が購入し、さらに美術界のパトロンとして有名な原富太郎(三渓)の手に渡りますが、その後の行方は分かっておりません。
 また、その時、当館にあるようなブロンズ像を鋳造しており、ドイツ人によって購入されました。先日ドイツから私の勤務する美術館にその作品の照会があり、作品がまだ存在していたことが分かりました。

* * * * * * * * * * * *                                                                       平櫛田中について 

平櫛田中は、明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、上京して高村光雲の門下生となる。その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作した。
大正期には、モデルを使用した塑造の研究に励み、その成果を代表作《転生》《烏有先生》など。昭和初期以降は、彩色の使用を試み、「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求め、昭和33年には国立劇場の《鏡獅子》を20年の歳月をかけて完成した。昭和37年には、彫刻界でのこうした功績が認められ、文化勲章を受章する。
昭和45年、長年住み暮した東京都台東区から小平市に転居し、亡くなるまでの約10年間を過ごした。昭和54年、107歳で没。


秋季展示
  会期:平成25年8月28日(水)~平成25年11月10日(日)
  田中が収集した円空仏など「信仰のかたち」をテーマに展示します。

わくわく体験美術館ウィーク◆
  日にち:10月26日(土)~11月4日(月・祝)
 上記の期間中、小・中学生は無料で観覧できます。


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