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気ままにギャラリートーク~平櫛田中 №7 [文芸美術の森]

《福聚大黒天尊像》《満徳恵比寿尊像》

                             小平市平櫛田中彫刻美術館                                                                          主査・学芸員 藤井 明

大黒恵比寿.jpg

 

 今回はお正月らしい、縁起の良い作品を紹介しましょう。大黒天と恵比寿です。両者は、商売繁盛の神としてペアで作られることがあります。
 大黒天は、その発祥の地であるインドでは破壊力を持つ凶暴な神として恐れられていましたが、中国、日本へと伝わるうちに、現世利益を求める人々の欲求によって、次第に福をもたらす温和な神に変わっていきました。
この作品も、かつてのおそろしい性格はみじんも感じさせない、柔和な微笑を浮かべています。体ははちきれんばかりの充実ぶり。顔はその体と同じくらいもあろうかと思われる大きさがあり、いかにも私たちにご利益をもたらしてくれそうですね。
 恵比寿も大黒天と同じく七福神の一つですが、他の神々がインドや中国から来た外来の神であるのに対して、唯一の日本古来の神です。通常は狩衣(かりぎぬ)を着て、右手に釣竿を握り、左脇で鯛を抱える姿で表されますが、この作品の恵比寿は釣竿を握っておらず、尾をばたつかせて暴れる鯛を上から押さえ込むようにしています。
 この二つの作品は、制作年が異なりますが、形も顔の表情もよく似ていて、大きさもほぼ一緒。二つが並んで置かれてもおかしくないように、最初から考えに入れて作られていたことが分かります。
 ご覧のとおり、二つの作品は華やかな彩色が施されており、それがおめでたい雰囲気を高めています。大黒天の一部には、截金(金箔を様々な文様に細かく切って、貼付ける技法)も使用されています。
 けれども、田中はこれらの作品をたんなる御利益をもたらす神様にしたくはなかったようです。それは、彼が大黒天の箱に書いた、次の言葉からもうかがえます。
「このつちはたからうちだすつちならで のらくらもののあたまうつつち」
 大黒天が握っている槌は打ち出の小槌ではない。「のらくらもの」、つまり怠け者の頭をコツンと叩く槌なんだという意味です。神仏に願いごとだけして、あとは何も行動を起こさない人には痛烈な言葉です。やはり地道に努力を続けることが、幸運をつかみ取る一番の近道のようですね。

* * * * * * * * * * * *                                                                       平櫛田中について 

平櫛田中は、明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、上京して高村光雲の門下生となる。その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材にした精神性の強い作品を制作した。
大正期には、モデルを使用した塑造の研究に励み、その成果を代表作《転生》《烏有先生》など。昭和初期以降は、彩色の使用を試み、「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求め、昭和33年には国立劇場の《鏡獅子》を20年の歳月をかけて完成した。昭和37年には、彫刻界でのこうした功績が認められ、文化勲章を受章する。
昭和45年、長年住み暮した東京都台東区から小平市に転居し、亡くなるまでの約10年間を過ごした。昭和54年、107歳で没。


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