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徒然なるままに №34 [雑木林の四季]

 霞が関ビル、50年

                エッセイスト 横山貞利

 去る4月12日に、霞が関ビルが竣工オープンから50年を迎えたそうである。霞が関ビルディングは、三井不動産が旧東京倶楽部(明治時代にできた会員制社交クラブで旧華族、皇族、政・官・財の著名人が会員になっていた)と霞会館(全身は華族会館)の地に建設した日本で最初の超高層ビルで1968年4月12日に竣工してオープンした。地上36階、地下3階で地上147メートルの高層ビルである。
 実は、霞が関ビルはわたしにとって懐かしい想い出のある建物である。
 あれは、1967年1月1日即ち元日のことであった。その当時、わたしは報道局特別報道部でモーニングショウ「おはようにっぽん」(60分番組)の担当スタッフの一人だったが、偶々この年の元日がわたしのディレクターの日であった。そこで、何をやろうか考えながら窓外の風景をぼんやり眺めていたら、建設中の霞が関ビルが目にはいった。その時「そうだ、霞が関ビルの36階にスタジオを作って60分ナマ中継をしよう」と閃いた。そこで、早速三井不動産の広報担当者に電話をいれて趣旨を話して了解を採ろうとしたが、さすがに広報担当者で決められなかったようで返事を保留された。それでも1時間もしないうちに「社長が会いたい」という返事があって、もう夕方だったがすぐ日本橋の三井ビルにある不動産本社に伺った。当時三井不動産の社長は江戸秀雄さんであったが、お会いしてみるとなかなか気さくな方だった(ピアニストの江戸京子さんは江戸社長のお嬢さんである)。
 社長室で江戸社長を紹介されて、早速中継放送の意図について説明した。
1、放送が1967年1月1日即ち元日の朝8時から9時であること。
2、日本最初の超高層ビルの建設について。
 この2点が主な視点である。
まず1について、
 この日が正月の元旦であり、尚且つ朝8時台である。そこで地上140mからの東京都心の眺望を紹介したい。多分、地上140m台の高度からナマ中継で見られる都心の風景は、大多数の人々にとって最初の経験であるだろう。きっと何か新しい発見がある筈であり、記憶にのこる風景になるだろう。
次に2について、
 地震が多い日本にあって地上140mを超える超高層ビルを建設することが何故できるようになったのか。奈良・平安時代の五重塔にあっては耐震構造を日本人自らが生み出した。現在の鉄筋、鉄骨時代にあって耐震構造は如何なものか。
 この上記2点を中心に中継放送の中で表現して、これからの都市の在り方を探る契機を見出したいと思うと話した。
 これに対して、江戸社長から、次のようなお話がなされた。
 1の東京都心の眺望にあって、霞が関ビルのすぐ北側にある“皇居”の眺望はしないでほしい。その他については異存ない。
 2の超高層ビルを可能にしたのは2点ある。
(1)H型鉄鋼の生産が可能になった(多分これにより柔構造の鉄鋼の組み合わせが可能になったのであろうとわたしは理解した)。
(2)タワークレーンの開発が可能になった。これにより、階が上がる都度タワーを上げていけるので高層階の鉄鋼材の組み合わせや壁材の組み込みがスムースに作業できるようになった。
 この2点について江戸社長から教えて戴いた。こうした技術的なことは、当時三井不動産の技術面のアドバイザーの立場にあったと思われる郭さんを紹介して戴いた。郭さんから教えられたことは有難かった。郭さんの説明をそのままキャスターの小泉 博、横山道代、高野昭平アナにレクチャアできた。
 ОA当日、江戸社長にはゲストとして出演して戴いた。

 さて、次は社内の問題である。先ず部長に話して許可を取った後、中継部との打ち合わせである。中継車の機材を全て霞ヶ関ビルの35階(最上階の36階は使用できず)に上げてスイッチング(映像)、ミキシング(音声)できるようにする。また、電源車を霞ヶ関ビルの南側に駐車して、そこから、80mの電源ケーブル2本を8の字に接続して繋いでその位置から太い綱で36階から吊り下げることで2本の電源ケーブルの繋ぎ目が外れないようにした。電源ケーブルの接続部分が外れと本社のテレビシステムが完全に破壊されてしまう恐れがあるので、それを回避できるようにしたのである。また、マイクロウエーブは35階から社のタワーに送信した。
 また、特設スタジオについては美術部と打ち合わせて大道具、小道具、花、飲み物などの消え物の用意を依頼した。
 これらの中継機材のセッティングや特設スタジオの準備は12月31日に行った。
 さて、ОAの当日である“元日”には、午前5時30分に霞ヶ関ビル35階に集合した。中継現場のディレクターはわたしとAD2人(社員1、アルバイト1)、中継スタッフ、美術スタッフ。社内で中継の受けを担当するディレクターは先輩にお願いした。
 この他、簡単な台本、Qシート(時間入り進行表)、出演者や場所などのスーパー・イン・ポーズのテロップの用意なども自分でやらざるを得なかった。
 こうして、1967年1月1日 朝8時から史上初めて地上140m余の設スタジオから元日朝の東京都心の眺望と超高層ビルが建つ近未来都市のさまざまな動向を考える契機になるようにON AIRを行ったのである。


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