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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №56 [文芸美術の森]

ユーモアのペレストロイカ 6

            早稲田大学名誉教授  川崎 浹 

 行列が一、二年でなくなる理由

 だがアネクドートは質の低下を見ることにはならなかった。つまり多幸症症候群が消えて、社会がふたたびよからぬ不吉な兆しを見せはじめたからだ。なかには予言的な役割をはたすアネクドートが姿をあらわした。

 ソ連共産党機関紙プラウダが世論調査を行い、行列をしている市民に「行列はいつなくなると思うか」と質問した。すると回答の大方が「行列は一、二年でなくなる」という楽観的なものだった。
 驚いた調査員がその理由を尋ねると、つぎの答が返ってきた。
 「売りにだす商品がないのだから、行列もなくなる」

 私は一九八八年秋からしばしばソ連にかよい、市民の生活をこの目で確かめてきたので、アネクドートの予測どおりになったとだけいっておこう(拙著『カタストロイカへの旅』、岩波書店、一九九三年)。

一〇分間の自由

 八九年にはゴルバチョフはま民族紛争の勃発や経済状勢悪化の責任を問われ、「書記長をやめてもいい」と発言し、九〇年二月のリトアニアとラトビアの独立宣言騒ぎでは、ソ連内務省軍が鎮圧に乗りだした。ゴルバチョフはバルト沿岸諸国の首脳や市民と対話し、「事を急がないように」これ説得に努めてきた。日本の著名な評論家もゴルバチョフに同調していた。それでも……。

 エストニアが一カ月の自由をもとめた。ゴルバチョフは閣僚たちと相談して、拒絶することにした。
 それでエストニア人はしばらく考えてから一日だけの自由をもとめることに決めた。
 ふたたび拒絶された。
 エストニア人は一〇分間の自由をもとめた。ゴルバチョフはこう考えた。「彼ら一〇分間でなにができよう?」というわけで、許可した。一〇分後にゴルバチョフが尋ねた。
 「エストニアではなにが生じているかね?」
 「ミパイル・セルゲビチ、最初の五分間でエストニアはフィンランドに宣戦布告しました。それから五分後に降伏して、捕虜になりました」

 エストニアはソ連領に一九四〇年に強制編入されたが、ソ連の北部に隣接したフィンランドとは、フィンランド湾をはさんで向き合っている。ソ連に従属しているようでしていない「フィンランド化」という言葉がかつてあったが、フィンランドはソ連との間で微妙なバランスの上に立ってきた独立国である。かつてはソ連軍と熾烈な戦闘を交わし、地の利もあって防衛に成功し、ソ連は侵攻をあきらめた。
 エストニアがソ連からの独立をもとめるあまり、一計を案じてそのフィンランドに宣戦布告し、軍門に下って、ソ連との関係を断ち切ったという奇想天外なミステリー・アネクドートである。


『ロシアのユーモア』 講談社選書



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