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玉川上水の詞花 №193 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ツルオドリコソウ (しそ科)

                         エッセイスト  中込敦子


turuodorikoso2.jpg 上水沿いの圃場・どんぐり広場で春らしいトーンの斑入りの葉の陰に、ふっくらとした卵色の花が開花しかかっていた。

 直立した茎の周囲に丸い蕾が取り巻いて段咲きになっている。もしかしてオドリコソウの仲間では・・・と図鑑で調べたところ、最近野草化しているツルオドリコソウ(蔓踊り子草)に間違いなかった。

しかしヨーロッパ東部からアジア西部原産で、園芸用に持ち込まれた外来種だけに、在来のオドリコソウ仲間とは花も葉も全く違う。

 唇弁型の上唇がプックリ膨らんで大きく、その縁には白い毛が目立ち、拡大鏡で見るといささかグロテスク。黄色い怪獣が舌なめずりをしているようだった。一二歩下がって見ると、可愛くチャーミングなのに!

花の径は1~2センチ、茎丈は20~40センチ。花茎だけを見ると蔓性には見えないが、花の終わった後に根元から匍匐枝を伸ばして増殖する。

 白い斑が鮮明に入った卵形の広めの葉がきれいで、グランドカバーとして利用されているとか。
 
花 期
春 3~5月 夏 6~8月 秋 9~11月 冬 12~2月

もぐら通信:http://www.h4.dion.ne.jp/~mogura1/index.htm
       ○     


赤川BONZEと愉快な仲間たち №90 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

石川雅人・スプリング展

             銅板造形作家  赤川政由

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石川くんは、ボンズ工房に、10年いた、選手。いまは、立派に独立して、個展を開くようになりました。いちじ、京都に、2年すみ、工房をかまえました。平面を、しごとにする、若きなかまと、アトリエを、シエアして、ついに、ニューヨークで、グループ展を開催。センスをみがいてきたみたいです。今年から、東京に、まいもどり、たてつづけに、個展を、ひらきました。成長の、楽しみな作家になりました。

旬の食彩 僕の味 №97 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

黄金カニのアミューズ

           レストラン「ヴァンセット」オーナー  大澤 聡

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黄金ガニ。今年から初めて使う食材です。
このカニは、松葉ガニとズワイガニにの天然のハーフ。幻のカニと呼ばれています。
2000尾に1尾位しか入らないと言われているカニなのです。
黄金ガニは生命力が強いらしく、みずみずしい鮮度が長時間保て、足の身がりぎっしり詰まっていてずっしりとした重みがあるんです。
味わいもズワイの旨味に紅ズワイの甘みを合わせたいいとこ取り。巷では究極のカニなどと言われるそうです。
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そして、黄金ガニは水深200mから1000m以上の広範囲水域でも生息できるので常に新鮮な栄養を補給できる環境にいるようです。
屈強な甲羅と驚異的な生命力を持っているからでしょうか味が抜けにくいです。

味わいが結構強めでインパクトのあるカニなので、アミューズで少量でもお客様の印象に残るだろうと思いました。
お客様に今日の料理はどうでしたか?と尋ねると黄金ガニの話題になることが多いです。
今回はブロッコリーと合わせたアミューズです。
ブロッコリーは塩茹でします。玉ねぎをバターでしんなりするまで炒めたものとフォン・ド・ヴォライユ(鶏の出し)と合わせてミキサーに。滑らかになるまでかけて
そのまま冷やします。生クリームを泡立て器でたてます。これをブロッコリーのピューレと合わせて少量のゼラチンを加えて型に流します。
カニはしっかりと塩を効かせたお湯で茹で、冷ました後に身を外して先ほどのブロッコリーのムースの上に。
上からコンソメジュレですが、これは黄金ガニでとった出汁を澄ませたものです。ゆるいジュレにしてます。
ディナーではその上にウニがのって豪華版にシャンパンとぜひ!最強の組み合わせですよ。
黄金ガニは5月中は入りそうです。ぜひこの機会にたべにきてください。

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東京都立川市柴崎町3-5-2むつ花ビル2F  042-526-6716
ヴァンセット27シェフブログ  http://www.sprasia.com/tv/user/vanset/blog
ヴァンセットHP http://www.restaurant27.hello-net.info/

立川陸軍飛行場と日本・アジア №145 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

2万人のラジオ体操 訪欧機「東風」引退
               近現代史研究家  楢崎茂彌

 暫らくお休みをいただいている間に、自衛隊の護衛艦が朝鮮半島に向かう米原子力空母と共同訓練を行ったり、憲法擁護の義務を負う安倍首相が突如憲法9条に第3項を加える改憲案を言い出すなど、世の中を大きく変える動きがあり、しかも、どちらについても、国権の最高機関である国会では満足な説明がされていません。主権者が納得する説明をしないまま、多数で押し切る政治を許してはならないと思います。
                                                               
 集団でのラジオ体操始まる
 国立公文書館に「特別展 誕生日本国憲法」に出かけて、僕の同級生である「日本国憲法の実物」を見に行きました。中に入ると展示ケースの前に見学者が一列に並んで、じっと制定の過程に関する展示物に見入っています。立憲主義は王政の時代のものだと言った安倍首相が声高に“憲法改正”唱える中、人々の関心が高まっていることを感じました。国家権力を縛るための憲法を、権力者側が変えたいというのですから、私たちのためにはなりませんよね。
 それはさておき、年輩の男性がガラスケースに貼りつくようにして史料に見入っていました。見覚えがある方に似ているので慎重に確かめたのち声をかけると、都立砂川高校で同僚だった政経の先生でした。とてもお元気で、憲法原文を自分の目で確かめにくるなど知的好奇心も旺盛な御様子にとても嬉しい思いがしました。もう87歳になられるというので、健康の秘訣を聞いたところ「毎朝体操をしています」とのこと「ラジオ体操ですか」と聞くと「そういう集団でするものではありません」と言われて、連載NO51に“日本放送協会の逓信省宛ラジオ体操新設許可申請書はラジオ体操放送の理由を『老若男女の別なく家庭内にて日課的に体操を為す習慣を作るは国民保健上必要なることと思料せらるる処最近文部省に於いて考察せられたる「ラヂオ体操」を見るに其運動方法等覚え易く且何人にも誠に容易に実行し得るものにして之を実施普及することは只に国民健康上のみならず其他にも資する処不尠ざるものと信じるによる』と説明しています(放送145-1.jpg50年史)。…当初ラヂオ体操は、私達がイメージするような集団で行うことを想定していなかったことが分かります。なぜ集団体操になって行くのかは後に扱いたいと思います。”と書いたことを思い出しました。
 ラジオ体操を集団的に始めたのは東京市神田万世橋警察署の面高叶(おもだかかなう)巡査だとされています。総武線の秋葉原駅と浅草橋駅の間にある佐久間公園に“ラジオ体操会発祥の地”碑が立っており、碑文には
“ ラジオ体操は 昭和3年11月 簡易保険局が 国民の健康増進のために 国民保険体操と名づけて 制定したものである これがひとたび放送されるや ラジオ体操として親しまれ 全国各地に ラジオ体操145-2.jpg会 の誕生をみるにいたった
 この地は 当時万世橋警察署の 面高巡査が 町内会の人達と共に 全国に先駆けて「早起きラジオ体操会」を始めた ゆかりの地である
 ラジオ体操50年に当り これを顕彰する
 昭和53年8月1日 郵政省簡易保険局  日本放送協会 全国ラジオ体操連盟”
と刻まれています。言わば国家公認の発祥の地ですね。
 面高巡査は、昭和7(1932)年、ラジオ体操会の創始者としてAKと東京市から表彰されることになりました。「読売新聞」(1932.9.4)は“氏は昭和五年ごろ同署の児童係をしていたが、当時管内に避暑や海浜、林間学校にも行けない児童が多数あり、これらの児童が無規律に夏休みを過ごす事は保健上有害な事を感じ、せめて朝だけでもとラジオ体操を思いつき神田平河町、松永町、和泉町など付近十一ヶ町会の賛成を得、同区和泉町一の通称宮川広場で始めたもので、最初は約二百名ほどの参加者があり二ヶ月後には児童だけでなく一家を挙げてこれに加わり千五百人も数えるに至り、これが契機となって今日の如く団体的屋外のラジオ体操をやることが全国的に普及したものである。”と紹介しています。
 記事にある宮川広場は、佐久間町公園から北へ200m位離れた神田和泉町1丁目にありました。佐久間公園は神田佐久間町にあります、“この地”としてあるのが味噌で、“神田佐久間町も含めたこの地域”という意味なのでしょう。この碑の除幕式に参加した粉川幸太郎さん(81)は48年前を回想して「会を始めたのは面高さんと私、それから故人になられた米屋の小川清太郎さんの三人。ささやかな屋外体操が国民的大運動になるなんて望外の喜びです」と語っています(「読売新聞」1978.8.2)。
 実はラジオ体操が始まる前から、夏休みの早朝に集団で体操することは始まっていて、開始後には神社の境内などで集団ラジオ体操が行われていました。文京区大塚公園には“文京区ラジオ体操発祥の碑”があり、1929年1月15日に区内にある本伝寺で町内有志が集まってラジオ体操を始めたと書かれています。

145-3.jpg 靖国神社で1万人のラジオ体操
 「東京朝日新聞」(1931.11.6)は、満州事変の二か月後に開かれたAKとBK(日本放送協会・東京放送局・大阪放送局)の打ち合わせで、“来春を期して全国各放送局が一せいに立って全国民総動員の「ラジオ体操デ―」を催すことになった”と報じています。早くもラジオを通じた“国民総動員”が始められたわけですね。一年後の読売新聞の記事は、ラジオ体操の会場は全国に2000余り、参加者は500万人を越えていると報じています。江木アナウンサーの号令で全国の参加者が一斉に同じ動作をするのを想像すると不気味ですね。
 2年後の昭和8(1933)年7月21日、第3回夏期ラジオ体操の会開会式が靖国神社で行われました。開会は午前5時50分、主催16団体の関係者や麹町区の小学校児童、在郷軍人会、青年団有志など1万人以上が参加し、荒木貞夫陸軍大臣が激励の辞を述べます。そのあと江木アナウンサーの号令のもと“健康報国”の奉献ラジオ体操が行われました。右の写真は1941年8月1日に靖国神社境内で行われた「興亜奉公心身鍛錬ラジオ体操大会」の様子です。
  佐久間公園の碑は、面高巡査たちの活動が国の政策に取り込まれていったことを145-4.jpg象徴しているわけです。東京大空襲で焼く尽くされた地域にある佐久間公園には“戦災犠牲者慰霊碑”も建っています。
 子どもの頃、秋葉原駅で何度か乗り換えた記憶があり、山手線の上を総武線が跨ぐ不思議な構造に、いつも迷った覚えがあります。今回、秋葉原駅から浅草橋駅にかけての総武線の高架を初めて下から見ましたが、その壮大なアーチの連続に圧倒されました。このアーチがある、お茶の水ー両国間が開通したのが、1932年のことでした。
 
 3月1日、『満州国』建国、訪欧機「東風」科学博物館で陳列 
  上海事変が激戦を続ける最中の3月1日、関東軍が中国の中に作った傀儡国家『満州国』が建国されました。当日の「東京朝日新聞」の扱いは控えめで“けふ!三月一日新満洲国生る 珍しい吉日で急に繰り上げ 国家元首の就任は大体三月五日になる模様”と報じています。
 この日から、立川で訓練飛行を続け大正14(1925)年に、立川で組み立てられた145-5.jpg「初風」と共に訪欧大飛行を行った「東風」(こちかぜ)が、上野にある科学博物館の二号館に陳列されました。大風により大破し、修復後は立川の朝日新聞格納庫に常駐し、大正天皇の柩が葉山の御用邸を出る写真を大阪に夜間空輸するなどの活躍した「東風」が引退しました。一つの時代が終わった感じがしますね。(国立科学博物館に展示された「東風」のことは連載NO34、35で紹介しています。)
 3月9日『満州国』の建国式が長春で行われ、清朝のラスト・エンペラー(中国のラスト・エンペラーでもあります)宣統帝溥儀の執政(元首)就任式が行われます。翌日溥儀は関東軍司令官本庄繁に“幣国は今後の国防治安維持を貴国に委託し其の所要経費は総て満州国に於いて之を負担す”“貴国人にして達識名望ある者を幣国参議に任じ、其の他中央及地方各官署に貴国人を任用すべく。其の選任は貴軍司令官の推薦に依り、其の解職は同司令官の同意を要件とす”などを内容とした書簡を送りました。溥儀は、関東軍が『満州国』を操ることを認めた上で国家元首に就任したのです。
 こうして、石原莞爾参謀が“謀略により機会を作製し軍部主導となり国家を強引すること必ずしも困難ならず。"として、関東軍が進めた満州を日本の領土にする計画が、多少形を変えて実現したのです。
                                                              
写真1番目 「ラヂオ体操 生みの親」    「読売新聞」(1932.9.4)
写真2番目  ラジオ体操会発祥の地(中央区佐久間公園)   2017.5.11著者撮影 
写真3番目 「二万人のラジオ体操」     「写真週報」(1941.8)
写真4番目  秋葉原駅ー浅草橋駅間の高架     2017.5.11著者撮影
写真5番目 「東風 ブレゲー式十九AⅡ型」  「東京朝日新聞」(1932.3.1)

線路はつづくよ №79 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

八重桜と葉桜   

多摩モノレール 柴崎体育館~甲州街道  4月25日  
                             岩本啓介                   

染井吉野が葉桜に変わるころ 満開を迎える八重桜                                 
足を止めて見入る人 少ないかな 八重桜                                                                        でも 葉桜とのコラボ 中々じゃあないですか 

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上に葉桜 下に八重桜もあります
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押し花絵の世界 №39 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「チェリッシュ」

                      押し花作家  山崎房枝

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40cm×33cm 

背景には写真の台紙を使用して、押し花とコラボレーションしました。林檎は紅葉の葉で制作しています。


渋紙に点火された光と影 №14 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

松前漁村

                  型紙版画家  田中 清


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浜田山通信 №193 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

今 ここ 自分だけ主義

                                     ジャーナリスト  野村勝美

 放言とか失言を公開の場でやらかして、謝ったり、辞任、辞職しない限り名前も知らない大臣、副大臣、政務官がもう何人も出ている。今回も復興大臣が「大震災があっち(東北)でよかった。もう少し東京に近かったら大変だった」とやって辞任せざるを得なかった。親分の二階自民党幹事長だけが「マスコミは政治家の話の一行、悪いところがあったらけしからん、すぐに首を取れという」とメデイア批判をしたが、福島・東北の人にとっては頭にくる発言だった。
 この大臣は少し前に、「自主避難者が解除区域にもどらないのは自己責任」といって批判されたばかりだが、本人はいまも悪いことを言ったとは思っていないのではないか。東日本大震災の直後は絆だの救援だのと大変だったが、5年も6年もたった今では、もう冷たいものだ。いつまで甘えているんだと福島から遠い人々は、心の奥底で思っている。子供たちは避難者をバイキン扱いし、なかにはお前らは援助金もらっているのだから金を寄こせといじめをやるのまでいる。
 東北、福島の復興などどれだけ金がかかるかわからない。大臣自身が社会資本だけで25兆円との計算もあると言っている。原発の廃炉、廃棄物処理費用など、計算のしようがない。この金は自分たちの税金から出ていく。自分たちが生きていくためには、もう福島の面倒は見ておれないと腹の中では思っているのだ。
 辞めた復興大臣は佐賀県選出。地元の玄海原発は大臣の失言の前日、県知事が再稼働に同意した。原発が動けば、補助金が地元に入る。チェルノブイリ、フクシマの惨状があっても、ただ今カネが欲しいというのが、原発立地地区の思いだ。電力会社は大枚をかけた原発が動けば、少しは助かると思っている。皆ただ今、ここだけ、自分だけがよければいいのだ。かんじんの福島県でも、かって石原伸晃元環境相が言ったように「最後は金目(かねめ)」で、少しでも多く復興費をもらえるよう結局自民党に投票してしまう。
 大臣辞任以上に辛いのは、沖縄の辺野古問題。駐留米軍のために女性が乱暴されたり、オスプレイが墜落したりしてオール沖縄で翁長知事が誕生したのに、今年になってから宮古島、浦添、うるま市長選で自民党系が三連勝。うるま市長選の翌日には辺野古の埋め立て工事が始まった。分断政治はいつの時代もあった。本土政府によってさんざんな目にあった沖縄にして然りだ。
 総理大臣は、森友事件関係の夫人と恋人つなぎで手を結んで、ロシアの空港に降り立った。とにかく外遊が好きな人だが、内閣支持率は何があっても50%を割ることはない。こいつにやらせておけば、我が生活はなんとか保てるだろうと思う人がけっこういるのだろう。10年先のことはわからないのだから、いま、ここだけ、自分だけ主義がはびこるのは、仕方のないことである。北のミサイルがとんでくるかもしれないというのに、大臣11人が外遊中。気楽なもんだ。  


玉川上水の詞花 №192 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

カジイチゴ (ばら科)

                                   エッセイスト  中込敦子

kajiitigo.jpg細かな襞の入った純白の花弁が重なり、繊細な工芸細工のような花芯部と調和した花の径は3センチ前後。

4月末頃、小金井橋付近で鋭い鋸歯に縁取られた掌状の葉の所々で咲いていた。清楚だが野趣に富んで、野薔薇の一種かしら…。葉はモミジイチゴやニガイチゴなどの木苺の仲間に見えた。

花や葉を一瞥しただけでは判別がつかない“植物音痴”の悲しさで、このカジイチゴも後々になって確かめることができた。

カジイチゴは関東以西の本州太平洋岸から四国・九州の海岸などに生育する落葉低木で、5月から6月にかけて橙色に熟す実が美味しいので庭先などにも植栽されている。

大人の背丈ほどの高さになり、上部は分岐して枝葉を茂らせるが、モミジイチゴやニガイチゴのように枝や葉柄に棘はない。葉は大型で5~7枚に深裂して、その縁は粗い目立て鋸の歯のようだ。

葉の形がカジノキ(梶の木)に似ていることから構苺と書いてカジイチゴと名称されたそうだが、古来から神に捧げる木とされ、複雑な切れ込み形をしているカジノキの葉と実際には似ていないように思うのだが…。
 
花 期
春 3~5月 夏 6~8月 秋 9~11月 冬 12~2月
     ○
 


赤川BONZEと愉快な仲間たち №89 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

小さなお墓
                                 銅板造形作家  赤川政由
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若くして亡くなった青年のために、依頼された、お墓のうえに、モニュメントを、制作。生前の、姿を、偲んで、ご両親からたのまれました。自転車が、すきで、イタリア製の、ビアンキが、愛車だったとか。ステキな旅をしてほしいと願いをこもました。八王子の、龍泉寺。桜が、沢山咲いていて、それは素晴らしい場所、この寺では、小さく小分けにした、墓地を、分譲。30Х30cmのささやかな石板で、分譲。我々もここを買おうかと、連れ合いと、ひそかに話し合いました。
おもえば、これでいいんだなとおもいました。

旬の食彩 僕の味 №96 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

讃岐サーモンのマリネ

                        レストラン「ヴァンセット」オーナー  大澤 聡

ヴァンセットでは、サーモンをよく使います。今年は讃岐サーモンを使い始めました。
瀬戸内海の水温が低下する12月から育成が始まるのだそうです。そして約5ヶ月かけて育てられた讃岐サーモンは毎年4月から5月下旬まで限定出荷するそうです。どうやら、この12月の瀬戸内海の水温がトラウトサーモンの生育にあっているとのことでした。
味わいが上品で臭みがなく適度に脂の乗った讃岐サーモンの旨さは春の前菜にぴったりだと思い期間限定でメニューに登場しています。

この讃岐サーモン東日本大地震で東北沿岸部のサーモンの養殖場が大打撃を受け、内陸部稚魚生産業者が稚魚を出荷できなくなって困っている状況を香川の漁業関係者が知り、被災地支援の意味も込めて稚魚を購入したことがきっかけだそうです。
この讃岐サーモンは餌にシナモンやジンジャーなど4種類のハーブを与え健康的に育てられています。
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刺身で食した。上品な味わいでさっぱりしている感じ。
マリネして使ってみようかな、
ハーブ食べてるのでやっぱりハーブと野菜。人参、セロリ、玉ねぎ、エシャロット、コリアンダー…。塩と砂糖を合わせて、いつもより短めに漬け込んでみよう。

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4時間から5時間。その後水洗い。オイルはオレンジオイルを使って真空パックに。
短時間でマリネしてあるので適度に身が締まった感じ。
春なので野菜多めの前菜にしよう。スナックエンドウ、インゲン、オニオンブランシュ、そら豆、絹さや、ブロッコリー。最初の野菜達は濃いめの水塩に数分漬け込んで野菜の甘みを引き出す。それに定番グレックは、パプリカ、新玉ねぎ、セロリ、ゴボウ、レンコン、ヤーコン、人参と盛りだくさん。グレックの酸味と野菜の甘みと讃岐サーモンの旨味が一皿に乗った春らしい爽やかな前菜になりました。

この季節にしかない讃岐サーモン。ぜひヴァンセットでお楽しみ下さい。

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東京都立川市柴崎町3-5-2むつ花ビル2F  042-526-6716
ヴァンセット27シェフブログ  http://www.sprasia.com/tv/user/vanset/blog
ヴァンセットHP http://www.restaurant27.hello-net.info/

線路はつづくよ №78 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

薄墨桜の里  樽見鉄道 

                  岩本啓介                                                                    

樽見鉄道終点の樽見は日本三大桜のひとつ根尾谷淡墨桜の里です。                   
また 途中の駅や沿線も桜の名所が随所に見られるサクラ鉄道です。                 

満開の桜につつまれる 谷汲口駅                                                     
小雨の降り続く一日でした、でもお陰で カメラマンは数名。                       
いいアングルで撮れました。雨の日も しっとりして いいものです。

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                            雨の谷汲口(たにぐみぐち)駅

淡墨桜ライトアップ                                                   

夕方に淡墨桜に到着、ライトアップの時間には雨が上がりました。 

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日当駅の桜                                                    

“ひなた”と読みます。駅名のごとく 日当りのよい駅です。                       
ヘッドマーク“うすずみ観桜号”を付けた単行列車が静かにホームに入ります。 

78FI6A9427★日当ひなた駅・鍋原なべら[→]日当★.jpg
                                                                  


犀川鉄橋の桜                                                  

赤さびた犀川鉄橋の土手には桜並木が続きます。   

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押し花絵の世界 №38 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「クレマチスのステンドグラス」

                                  押し花作家  山崎房枝


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ステンド風押し花コンテスト 優秀賞受賞作品 52cm×43cm   ステンドグラス風に黒いクッション紙を切り取ってデザインし、クレマチスの花びらや、薔薇、周りには葉牡丹などを使用して制作しました。

渋紙に点火された光と影 №14 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

鮃中落ち

                                  型染め版画家  田中 清

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多摩のむかし道と伝説の旅 №4 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

-小仏峠を越えて甲州道中を行く-

                                         原田環爾

 甲州道中は江戸幕府が代官大久保石見守長安に命じて整備させた五街道の一つである。日本橋を起点に江戸と甲州を結ぶ街道で今は旧甲州街道と呼ばれている。慶長9年(1604)に甲府まで、慶長15年(1610)に下諏訪まで延長して中山道と接続し完成した。天下を掌中に納めた徳川家康であったが、甲州武田の残党の動静を監視する必要があり、また万一の事態に備えて逃走路を確保しておく必要もあって整備されたと言われる。
 甲州道中のルートは日本橋から高尾までは概ね現在の甲州街道と同じかまたはその近傍を縫う道筋であるが、高尾の小名路からは大いに異なっていた。すなわち現在は高尾山南麓を経て大垂水峠を越え、相模湖畔の与瀬に出る道筋であるが、これは明治21年に開かれた道で、それ以前の甲州道中は、小名路から裏高尾に入り小仏峠を越え、美女谷を経て小原宿、与瀬宿、吉野宿へと通じていた。
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 街道の整備として裏高尾の駒木野には関所が置かれ千人同心を配した。関所を通るには通行手形が必要で、監視は厳しく、特に「入り鉄砲に出女」と称して、鉄砲流入と女の出国は厳しく詮議された。関所破りは磔で刑場は小名路にあった。また街道を往来する旅人の便宜を図るため一里塚を設け、塚には榎が植えられた。これには面白いエピソードがある。長安が塚に植える木を二代将軍秀忠公に尋ねたところ「余の木を植えよ」との返事があった。そこで榎を植えたという。余の木とは適当な木という意味であったが、長安は耳が遠く「えのき」と聞き違えたという。また街道には宿場が設けられ、宿場ごとに本陣、脇本陣、旅籠、問屋場が置かれた。しかし甲州道中は信州信濃の高島・高遠・飯田三藩の大名大名の参勤交代と、三代将軍への宇治茶献納の茶壷道中として利用される程度で、旅人も少なく寂れた街道であった。
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従って宿場毎に常備する馬、人足は25疋、25人と、東海道の100疋、100人、中仙道の50疋、50人に比べて少なかった。宿場の経営は苦しく合宿が行われた。今でいうワークシェアリングである。例えば高井戸では月の前半を下高井戸宿、後半を上高井戸宿、布田五宿では月を5等分、八王子では横山宿と八日市宿は1月交代、駒木野宿と小仏宿では月の前半と後半で分け合い、相州の小原宿と与瀬宿では上りを小原宿、下りを与瀬宿が分担した。そのほか民間郵便とし4-4.jpgて甲府と江戸の間を飛脚が走った。月に三度往復したことから三度飛脚と呼ばれ、小仏宿には「三度屋」という定宿があった。宝珠寺には彼らが寄進した石灯籠が残されている。ちなみに三度笠は彼らが被っていた菅笠に由来している。
 時代は下って、風雲急を告げる幕末の動乱期、甲州道中は官軍と幕府軍の衝突の舞台ともなった。鳥羽伏見の戦いに敗れ、京から敗走してきた新撰組は、新たに隊士を募り甲陽鎮撫隊を結成し、官軍への最後の組織的抵抗を企てた。世に言う甲州勝沼戦争である。板垣退助を参謀とする東山道軍が江戸へ向け甲州道中を進軍する中、慶応4年3月1日甲陽鎮撫隊はこれを阻止すべく甲府城を目指し江戸を出発した。隊士は200名足らず、装備は大砲2門に小銃500丁であったという。翌2日八王子に宿陣、3日は猛吹雪の小仏峠を越え与瀬宿に入った。4日には雪の降りしきる笹子峠を越え駒飼宿に入ったが、ここで甲府城がすでに官軍の手に落ちたことを知る。やむなく勝沼の柏尾山麓に陣を敷き最後の一戦を決意した。6日、午前1時、甲州勝沼戦争の戦端は切られた。近藤勇は鎖帷子で武装して奮戦したが、官軍の圧倒的な火力、兵力に甲陽鎮撫隊の大砲2門は沈黙、1発の火をふくこともなく壊滅。同日5時には戦闘は終結し甲陽鎮撫隊は敗走した。敗走の途中、大月では猿橋の破壊も考えられたが、隊士のひとり日野の名主佐藤彦五郎は橋は村人にとってかけがえのないものであることを知っていたので、破壊を断念させた。結果、猿橋は三大奇矯の一つとして今日に残されている。美女谷では寺を焼きその明かりで小仏峠を越えたという。そして8日八王子の多賀神社で隊は解散した。小仏峠越えの甲州道中は甲陽鎮撫隊に名を変えた新撰組最後の進撃路でありまた敗走路でもあった。
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 余談であるが小名路から与瀬までの小仏峠越えの甲州道中を辿れば面白い伝説が残されていることに気づかされる。三話ばかり紹介する。

■念珠坂の銀河夜叉
4-6.jpg駒木野関を抜けると念珠坂と呼ばれる長い下り坂がある。昔この辺りに銀河夜叉という鬼がいて、夕暮れ時に出没しては人を襲っていた。ある日、里の婆さんが高尾山に参詣した。思いのほか遅くなり銀河夜叉のことを心配をしていると、老師が通りかかり数珠をくれた。婆さんは数珠を持って山を降り坂を越えようとした時、 案の定銀河夜叉が現れて襲いかかってきた。婆さんは逃げたが足がもつれてひっくり返った。その弾みで数珠の紐が切れ、数珠球がコロコロと坂道を転がりだした。銀河夜叉は数珠球に足を捕られて、坂の下まで転げ落ち大穴に落ちてしまった。以来銀河夜叉は現れなくなったという。

■蛇滝の由来
4-8.jpgバス停「蛇滝口」の傍らに旧蛇滝茶屋がある。高尾山の蛇滝信仰の講中が利用した休憩所だ。参道入口はそこから少し進んだ所にある。蛇滝という名前の由来についてこんな話がある。昔、高尾山を中興した俊源大徳という偉い坊様がいた。ある日、水行に適した滝がないかと裏高尾を散策していると数人の猟師がなにやら騒いでいる。近づいて見ると白蛇を踏みつけて山刀で殺そうとしているところだった。聞けば鹿を射ようとしていたところ、この蛇が足に噛みついて取り逃がしてしまったと言う。以前にも同じ様なことがあり、今度こそはこの蛇を殺さないと気がおさまらないというのである。坊様は殺生はよくないと幾ばくかの金を渡して蛇を助けてやった。 蛇は大変喜んでお礼に坊様が求めるよい滝に案内しましょうと、沢伝いに這い進み大きな岸壁をするすると登り始めた。すると不思議なことに蛇が岸壁の上に達するや否や一条の清らかな滝が流れ落ちた。坊様は水行にとてもいい滝だと大変喜びんだ。蛇が滝になったことから以後この滝を蛇滝と呼ぶようになったという。

■美女谷伝説
4-7.jpg小仏峠を下りおりた所を美女谷という。谷筋を流れる底沢川には古びた橋が架かる。橋の名は美女谷橋という。美女谷とは何とも気になる地名だが、これには照手姫という美女にまつわる伝説が残されていることによる。室町時代のこと、底沢川の上流の西入川の七つ淵という所に照手姫という美しい娘がいた。ところが父母に先立たれ、やむなく八王子から藤沢へ出た所で横山太郎という盗賊に囚われた。折から常陸国小栗の城主であった小栗判官平満重が謀反の疑いで関東管領足利持氏に追われて藤沢にやってきて盗賊の宿に泊まった。盗賊は満重から金品を巻き上げることを計画し、照手姫を使って毒殺しようとした。驚いた照手姫は計略を満重に打ち明けたため、かろうじて一命を取り留めることができた。照手姫は盗賊の元を脱走し武州金沢へ向かったが追っ手に捕らえられ川へ投げ込まれた。幸い漁師に助けられたが、こんどは漁師の女房が嫉妬し美濃国の青墓宿に遊女として売られてしまった。一方、平満重は謀反の疑いが晴れて小栗城に復帰し、やがて横山太郎を討伐し、照手姫を救い出して妻に迎え平和に暮らしたという。

玉川上水の詞花 №191 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ジロボウエンゴサク (けし科)

                                    エッセイスト  中込敦子

 jirobouengosaku1.jpg 上水堤の新小金井橋上流右岸で見たことがあるようで、ないような不思議な容姿の花の小群落に出会った。

 草丈30センチ前後で、ムラサキケマンのように距をつけたほっそりした花をつけている。薄紫の花の長さは2センチぐらいで数個があっち向きこっち向きして写真に撮りにくい。

 図鑑で調べたところジロボウエンゴサクなる珍妙な名前らしい。関東以西 四国 九州に分布して平地の草地などに生える多年草で,和名は次郎坊延胡索。伊勢地方ではこの花の距と太郎坊と呼ぶスミレの距を互いにひっかけて草相撲をして遊び、太郎坊のスミレに対して次郎坊と呼んだ方言が由来とは愉快愉快!

エンゴサクは延胡索と書き、この仲間の中国名で漢方では根元の塊茎を掘り出し、茹でて乾燥した生薬を延胡索と称して鎮痛薬として市販。有名な「安中散」の鎮痛作用の主成分も延胡索だそうだ。

 同じケシ科仲間のムラサキケマン(紫華鬘)の名前も難しく珍名だが、ムラサキケマンの方は上水堤のあちこちに増殖しているが次郎坊の方はまだ希少。花の色も淡く草相撲をして遊ぶには忍びないが…。

花 期
春 3~5月 夏 6~8月 秋 9~11月 冬 12~2月
 ○   

モグラ通信:http://www.h4.dion.ne.jp/~mogura1/index.htm       


赤川Bonzeと愉快な仲間たち №88 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

子どものびのび支援センター「子どものお城」

                                               銅板造形作家  赤川政由

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                                                                               大分県大分市賀来(かく)の森にある博愛病院が、新しく開設した、未就学児童の為の、発達障害の子どもたちの「子どものおしろ。」全長100m。
 日本ではじめての大きさで、いろいろ、気をくばられています。てんとうむしさんは、入り口で、お出迎えする、門番サンです。反対側にかぶとむしくんが、たってます。院長は、作者の中学生の頃からの友人。長年の、臨床の経験から、発達障害の、ちびっこたちが、増えていて、何とか、子どもたちの身になった施設の必要を感じたとのこと。豊かな緑の中に、広々とした森にかこまれ、素晴らしい圓舎が、できました。

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           かぶとむしくん。後ろにみえるのが、豊かな賀来(かく)の森。


線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №77 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

梅から桜へ                       

                                     岩本啓介                          

梅林に“四季島” 現る 中央線                         

“四季島”が裏高尾の荒井梅林を試運転走行中。                           
5月1日から運行開始予定のクルーズトレインです。   

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                                  敷島の試運転・高尾洗井梅林                              
                               
飛鳥山の都電 荒川線                                  

信号待ちの都電の前を大勢の人達が行きかいます。 

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押し花絵の世界 №37 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「花車」

                                    押し花作家  山崎房枝

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40cm×33cm

ゴボウや筍の皮で作った花車に、春の花が沢山積んである様子を表現しました。


渋紙に点火された光と影 №13 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

竹藪に月

                                   型染め版画家  田中 清

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