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台湾・高雄の緑陰で №67 [雑木林の四季]

 沖繩紀行
          在台湾・コラムニスト  何 聡明

   今年の6月5日の誕生日に家内と4番娘を連れて沖縄諸島のクルーズを楽しんできた。乗った船は香港籍の麗星郵船「処女星号」で、75,338トンの豪華船である。私が40年ほど前に旅行社の経営を兼ねていたころ、業務でアメリカ軍事統治下にあった沖縄本島を旅客機で那覇空港を3回往復した。今回は始めての船旅である。

   乗客の多くは台湾人で、その他は香港人、中国人と少数のアメリカ人及びヨーロッパ人である。船は午後8時に高雄港から船出すると南まわりでバシー海峡より太平洋に入り、終始15ノット前後の船足で平穏な航行を続けた。夜間は黒い海とまばらな星空を見ながら、昼間は紺碧の海と青空を眺めながらの航海で、まる1日2夜を海上で過ごした。船内には色々な設備があったが、利用したのはサービス・カウンタ、3軒の食堂、おみやげ売店、劇場のショー、上層の散歩デッキ、書斎等だが、プールやカシノは利用しなかった。6日夜に外人男女が主演したショーはなかなか見甲斐があった。海上でのおだやかでリラックスした日夜を過ごして那覇港に着いたのは6月7日の午前7時である。日本入国の手続きを済ましたあと、指定の観光バスを探すのに随分苦労した。やっとバスを探し当てた時、娘が中国人の女性ガイドにすごく文句を言ったが、当地の旅行社に落ち度があったのは否めない。
 
 那覇では多種の観光コースが提供されたが、僕は「首里城、守礼の門、國際通り観光」6時間半のコースを選んだ。過去那覇を訪問した時は首里城と守礼の門の外観を乗用車から見ただけだが、今回は歩行で丘の上に鎮座する城の中心部まで見学することができた。國際通りは40年前とは全く比較にならないほど大変化を遂げていた。町並みはよく整理されており、通行人も多かった。そこで僕も、妻も、娘も沖縄ラーメンの昼食とショッピングを楽しんだ。僕は妻の目星に叶ったアロハシャツを一着のほかに、沖縄史と沖縄問題に関わるる本を2冊買った。予定の時間に遊覧バスで船へ戻り、船は午後7時に那覇港を離れた。 

   6月8日午前7時頃、船は宮古島港の沖に停泊した。港には7万5千トンの船が横ずけできる埠頭がないからである。船から宮古島港の間は片道10分間を中型シャトルボートが送迎した。宮古島観光は6時間の「伊良部島の旅」コースを選んだ。何故このコースを選んだかというと、コースには宮古島の他に伊良部島と下地島が含まれているので一挙3得であるからだ。観光バスのガイドは沖縄に40年間住んでいるという60代の台湾人であったので、台湾語での案内が続いた。バスは港から先ず伊良部島へ向かった。宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋は政府が380億円をかけて2015年1月に開通した3,540メートルの美しい橋である。橋をわたり歩行で伊良部島の最も高い展望台に登ると、先ほどわたった大橋とその先の宮古島、そして美しく広がったエメナルド色の海が見えた。伊良部島と下地島は10メートルほどの短い橋で結ばれていた。下地島の見所は熱の連続変化で色が変わって見える『通り池』である。池の中央には天然の石橋が架かっているので池は2つに分かれているように見えるが水中で繋がっており、さらに海にも通じていると言う。再び大橋を渡って宮古島に戻ると、スーパでまたショッピングである。懐かしい古い西洋映画のDVDが安かったので3本買った。予定の時間がつくとバスに搭乗して宮古島港へ、そこて出国手続きを済ませたあとシャトルボートで船へ戻った。船は午後5時に宮古島を離れた。未だ明るかった海上には多くの「アジサシ」と言う名の海鳥が猟をしているのを見た。この鳥は魚群の上を飛び回り、小魚を見つけると急行下し更にダイブをして餌を取っていた。

   翌日9日には高雄港へ帰港となるので、晩餐後船尾のデッキで盛大なショーをともなった「さよならパーティ」が開かれた。30分ほど騒々しいパーティ・ショーを見たあと、3人でデッキを散歩しながら夜の海に別れを告げた。朝八時に起床したあと食堂で朝食を取りながら右舷の船窓から見えたのは台湾の山々であった。船が太平洋からバシー海峡を通過して高雄港へ向かっているのは、来た道を辿って帰航していたことが分かった。船は正午12時頃に高雄港の埠頭に横付けした。入國管理局で入国手続きをすませると、長い列を作ってタクシーを待つ帰郷人のむれに加わった。

  5日4夜の船旅は那覇と宮古島で各6時間の観光を含めても、さして疲れを感じなかったので総じて良い旅であったと思っている。昨年の5月にアメリカの郵船でロスよりカナダのヴァンク―ヴァまでクルーズをしたが、今回のクルーズと比較すれば船上の食事とサービスは先回の方が相当優位であったが、ルームサービスは今回の方がやや優位であった。陸上の観光は船会社と現地の旅行社が企画とサービスの向上を図るべきだと思う。若し日本郵船所属の5万トン級の「飛鳥2」が台湾へ出向いてくることがあれば、是非乗船して今まで乗った船と比較してみたいと考えている。


私の中の一期一会 №147 [雑木林の四季]

              中学生プロ棋士・藤井聡太四段は、もうすぐ15歳になる
      ~自分でも成長できた1年だった、次の1年も強くなるよう頑張りたい~

         アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 将棋の最年少プロ棋士・藤井聡太四段は、19日に15歳の誕生日を迎えるそうである。
 若手棋士らが参加する加古川青流戦トーナメント3回戦が、11日大阪市の関西将棋会館で行われ、藤井四段は3回戦で都成竜馬四段(27)を破ってベスト8に進出した。
 14歳最後の対局になるからだろう、この日も約40人の報道陣が将棋会館に詰めかけ、相変わらずの“藤井フィーバー”が続いていると各メディアが伝えている。
 藤井少年は、中学2年で史上最年少のプロデビューを果たしただけでも「すごい」のに、デビュー以来無傷の29連勝で歴代最多連勝記録を更新してしまった。今風に言えば「メッチャすごい少年」なのだ。
 おとなしそうな顔つき、静かな物腰、謙虚な言動などからは“怪童”というより“神童”の印象が強い。
 連勝街道驀進中に、非公式戦ながらトップ棋士の羽生善治三冠を破ったときは、日本中が驚いた。
羽生三冠は藤井少年棋士について「攻守のバランスが非常によく、とてもしっかりしている将棋でした。今の時点でも非常に強いですが、ここからどのくらい伸びていくのか。すごい人が現れたなと思っています」と語ったのである。
 私は将棋を指さないから、藤井四段が「どれだけすごい」のか、「何故こんなに強いのか」はよく分からない。
 将棋は、チェスやブリッジ、囲碁など高い思考力を用いて競う“頭脳のスポーツ”とされているのは知っている。派手に身体を動かさないが、脳で汗かく“マインドスポーツ”という捉え方なのであろう。
 棋士たちが内面でぶつかり合う激しさが、面白い将棋となって記録に残る。無限に存在する棋譜は将棋好きにとっては貴重な教科書といえるのだ。
今はテレビ中継などで、将棋が分かり易く速報されるので新たなファンも年々増えるのである。
 藤井聡太四段は, 中学2年の2016年10月1日に四段に昇格、プロ棋士としてタートを切った。
 公式戦初対局では加藤一二三九段(76)と対戦、110手で勝利したことが“藤井フィーバー”の始まりになった。
 加藤一二三九段といえば、“神武以来の天才”の異名をもつプロ将棋界のスーパースターである。
 19世紀、20世紀、21世紀の3つの世紀生まれの棋士と対局した“史上唯一の棋士”とも言われている。
 将棋界の大天才を、中学生棋士が倒したのだから話題にならない筈がない。
 両棋士の年齢差62歳6カ月は、最多年齢差として話題になった。14歳2か月でのプロデビューは、加藤一二三九段が保持していた14歳7カ月の最年少デビュー記録を5カ月も更新していたから尚更であった。
 将棋界をよく知らない私は、プロになりたての四段がデビュー戦で九段を相手にしたって勝てる訳ないじゃないかと思ってしまうが、新米四段が見事に九段を破ったと知ったときは驚きであった。
 記録を見ると、2戦目は豊川孝弘七段、3戦目、4戦目が浦野真彦八段、5戦目北浜健介八段と続くのだ。
29戦のうち9回しか同格の四段との対局がない。あと20戦は全て上位者との対戦なのだ。
 連勝が続いて“藤井フィーバー”盛り上がったころ、対戦する「相手の棋士はどんな心境なのだろうか」と気になったことがある。
 段位が上、年齢も上、中学生に負けたら笑われるかも・・なんて考えることはないのだろうか?
妙なプレッシャーもあるかも知れない。「形勢有利と思ったけど、自分がミスしてしまった」という敗戦の弁も出易いのではないだろうか・・
 6月21日、藤井四段は王将戦1次予選の4回戦で澤田真吾六段(25)に勝ち、公式戦28連勝とした。
 神谷広志八段が丁度30年前に作った歴代最多連勝記録に、デビュー以来負けなしの28連勝で並んだのである。
 藤井四段は「普段通りと思って臨んだが、先に責められる展開になって自信はなかった。28連勝は思ってもみなかったことで非常に幸運、ツキがあった」と語った。
 神谷八段は「記録が抜かれることはあり得ると思っていた、まさかデビューから勝率10割でここまで来るとは。映画か漫画のようで信じられない」と驚いていた。
 6月26日、藤井四段は遂に歴代単独トップの29連勝を達成する。
 第30期竜王戦決勝トーナメントで、増田康宏四段を91手で破り、新記録が生まれたのである。
 羽生三冠は「歴史的快挙です。内容が伴っている点で凄みがあります。将棋界の新しい時代の到来を象徴する出来事になりました」と語り、いつかヒノキ舞台で顔を合わせることを楽しみにしていると続けた。
 7月2日、佐々木勇気五段(22)、に敗れて、デビュー以来の連勝は29でストップした。
 “藤井四段敗れる”の速報がテレビで流れたとき、残念に思うと同時に“ホッとした感覚”もあったのは何故だろうか・・
 藤井聡太四段は、終始落ち着いていると、よく記事に書かれる。じっと相手のミスを待てる忍耐力があるに違いない。「脳の中を見てみたい」というツイートも一つや二つではない。
 羽生善治三冠の「すごい人が現れた」という一言は当分忘れられそうにない。
 毎日新聞の記者が14日の朝刊に藤井聡太四段の29連勝は“社会現象”になったと書いている。
 彼のすごさが早く広く世間に伝わったのは実力に加え、情報通信技術の急速な進歩によるものが大きい。テレビやスマホによる対局の可視化が進んだことを見逃してはならないとしている。
 将棋会館に行かなくても、リアルタイムで将棋盤が見られればファンは特等席で観戦しているのと同じ感覚になれるのだ。
 どんな天才でも足踏みする期間がある。学業と対局の両立は藤井四段にとっても大きな問題になるだろう。
 藤井四段にも、そうした壁が訪れるかも知れない。
 14歳での実績を通算31勝1敗で終えた藤井四段は「内容に関しては精査してみないと分からないが、結果的に勝てたのは良かった。1年前とは周りの環境を含めいろいろ変わった。自分でも成長できた1年だったかと思います。次の1年も強くなるよう頑張りたい」と抱負を口にした。
 藤井聡太四段が何処まで伸びるのか、私には想像さえもつかない。
 ところで・・
 加計学園の獣医学部開設を巡って、野党が要求してきた衆議院予算委員会の閉会中審査開催を自民党は一貫して「必要性を感じない」と拒否し続けてきた。
 ところが13日、与党が“首相出席の集中審議”に応じると方針転換したことでニュースになった。
 一転した背景には、報道各社の内閣支持率が急落していることへの危機感があるのは確かだ。
 自民、民進の国対委員長が会談した際には自民党が委員会開催を拒否していた。この報告を受けた安倍首相が「自ら説明する用意がある」と党の方針を覆したのである。
 竹下亘国対委員長から「首相の出席に応じる」と伝えられた民進党の山井国対委員長は「予算委開催は当然で、遅すぎたくらいだ。国民の疑問を晴らせるよう十分な時間を取って欲しい」と述べている。
 政権への風当たりが一段と強まるという懸念が自民党内にはある。
 審査に応じて「首相が丁寧に説明すべきだ」という声が出ていた一方で、「いくら説明しても水掛け論になり疑惑は深まったと言われるだけだ」という消極論もあって、党内での意見対立もあったようだ。
 いずれにしても政権内に危機感が広がっていることは確かで、首相自身が閉会中審査に応じない訳にはいかなくなったのであろう。「あるものを無理矢理ないことにしてきた」政権の驕りが、政権に重くのしかかってきたのだ。
 共産党の志位委員長ら野党首脳は「安倍政権は強権政治だ。丁寧に説明すると言いながら、ずっと逃げてきた。お友達は優遇するが自分が敵とみなしたら徹底的に攻撃する。そういう首相の姿勢に国民は嫌悪感を抱いた」と指摘している。
「こんな人たちに負ける訳にいかない」と秋葉原でヒステリックに叫ぶ首相の姿勢に、国民の多くが不信感を抱いたのだ。
 慌てて国会に出てきてももう遅い。8月には内閣改造で信頼回復を目論んでいるようだが、果たして支持率は回復するのだろうか?
 元衆議院議員で、弁護士の早川忠孝氏によれば、大阪地検特捜部がそろそろ籠池氏の身柄を確保し、取り調べに踏み切りそうな雲行きになってきたと発信している。
 閉会中審査を24日まで引き延ばしたのは、隠蔽工作のための時間稼ぎではないか‥と疑えば疑えるのだ。
野党がダラシナイから、加計学園問題から逃げ切れると思っているのだろうか。たとえ野党は誤魔化せても国民は騙されないと私は思う。さらに森友学園が再び火を噴く可能性だってある。
 支持率だってジリ貧状態を通り越し、急落傾向が増している。流れは、もはや何をしても効果が上がらないように思えるのだが・・・
 時事通信による7月の世論調査(14日15時配信)では、内閣支持率が悲惨な数字になった。
 前月比15.2ポイント減の29.9%、不支持は14.7ポイント上がって48.6%となっている。
 説明責任を「果たしていない」79.9%、「果たしている」7.1%だ。
 早川氏は「官邸は初期対応を誤った。一手の狂いが全てを台無しにしてしまった」と述べている。
 官邸は 不利な形勢をじっと耐え、誰も思いつかない妙手で逆転できる藤井聡太四段が羨ましいことだろう。
「安倍総理、貴方はもう詰んでいますよ」という少年プロ棋士の声が聞こえそうだ。


浜田山通信 №197 [雑木林の四季]

「やすらぎの郷」と「四つの恋の物語」②

          ジャーナリスト  野村勝美

 年をとると世の中のたいていのことはどうでもよくなる。北朝鮮が核実験したりミサイルを飛ばしても、日本国が国連で核兵器禁止条約に参加しなくても、福島原発の廃炉のメドがいつ立つのかさっぱり判らないのに、九州では西海やら川内原発が次々に再開する。同じ九州で豪雨災害があり、気の毒になあと思ってもTVのチャンネルを切り換える。'16年の世帯貯蓄が1820万円、世帯主が60歳以上の高齢者では平均2385万円だと。この「平均」というのが曲者で、10人のうち1人が2億3850万円の貯蓄を持っていれば他はゼロでも10人の平均は2385万円になる。1対99 問題が論じられるようになってから久しいが、政府は経済問題がぐあい悪くなるとこんな統計を発表して戦後2番目か3番目の好景気が続いているといい、メディアも大きく報じる。日銀や財務省がいろいろ操作して円安、株高を演出し、人々はなんとなく景気がよくなったのかなと思わされる。すべてはあきらめの心境なのか、森友も加計も忘れてしまい、芸能人の離婚騒動をおもしろがってみてしまう。私が近頃唯一腹を立てたのは、近所のコンビニでおにぎりを買おうとして店員に「並んでください」と言われた時。客はレジに1人いるだけ。カッとなっておにぎりを元にもどして帰った。若い人が減り、ベビーブーマーたちは会社を去るため働き手は減って新卒者は引く手あまた。そんなことがコンビニやファミレスの接客態度にも自然と現れてくる。

 こんなことを書くつもりではなかった。思い出だけが人生だという超老人の部類に入りつつある私は、ただ今テレビ朝日の午すぎ、作者がシルバータイムにすると称する連続ドラマ「やすらぎの郷」と戦後すぐの「四つの恋の物語」のことを書いているのだった。倉本聰の「やすらぎの郷」に出ている八千草薫の亭主は17歳年上の監督谷口千吉であり、彼は「四つの恋の物語」に出ていて当時早大生だった私の心をつかんだ若山セツ子の旦那でもあった。八千草薫は「やすらぎ…」では92歳の“姫”役、今も私にはかわいい女性だが、若山セツ子はもう誰も憶えていないだろう。どんなに有名になっても死んだらまたたくまに忘れられていく。同時代に同じ空気を吸った人たちだけが、何かのきっかけで思い出す。「四つの恋の」はオムニバス映画で第4話は「恋のサーカス」といい、主演は浜田百合子というちょっとおきゃんな、のちにはヴァンプ役もやった女優だった。戦後の'46年、今井正の有名な映画「民衆の敵」でデビュー、この時のプロデューサー本本荘二郎と51年に結婚する。「民衆の敵」は埼玉県の本庄市のボスがモデルで当時、朝日新聞は映画の筋書き通り主人公を顔役扱いし、毎日は市の復興のために尽力したと持ち上げた。この時の浦和支局長は、私が毎日新聞入社時、編集局次長になっていて、右翼系の派閥の大ボスだった。戦後の新聞はどこも左翼が力を持っていて、読売など最左翼だったのだ。

徒然なるままに №21 [雑木林の四季]

久し振りにバグパイプ演奏を聴いた

               エッセイスト 横山貞利

 6月中旬の頃、無性にバグパイプの演奏が聴きたくなってYou Tubeでバグパイプの音(ネ)を楽しんでいる。何年振りのことだろうか。バグパイプの吹奏はスコットランド兵士の行進につきもので、先頭に立って行進をリードするのがスコットランドの伝統になっている。こうした兵士の隊列でバグパイプを吹奏する模様を聴いているうちに、行進とは直接に関係のないような曲のバグパイプ演奏を観ていてスコットランドの人たちにとってバグパイプの哀調ある音色が血肉になっているように思え感銘を受けた。
そこで、そうした曲について記述してみたい。

○勇敢なるスコットランド(Scotland,the Brave)
 スコットランド兵士の行進では、隊列の先頭に立って10人くらいのバグパイプ奏者そして大太鼓1人、小太鼓5人くらいが演奏して行進の歩調を促す。例えばエジンバラ城の門を出て、指揮者がもっている指揮杖によってリズムとメロディーを成立させる。だからスコットランドでは兵士の隊列に「勇敢なるスコットランド」の演奏を欠かすことはできない。中世には、スコットランド王国とイングランド王国が戦った戦場にあって「勇敢なるスコットランド」を吹き鳴らして兵士を鼓舞したそうである。この伝統は第2次世界大戦でもスコットランド兵の先頭にあって先導した。「Dデー」即ちノルマンディー上陸作戦を描いた映画「史上最大の作戦」に於いても上陸したスコットランド兵士の先頭にバグパイプを吹き鳴らして先導する映像があったのを想い出した。

○スコットランドの花(The Flower of Scotland) 
「スコットランドの花」とは「アザミの花」である。「アザミの花」はスコットランドの紋章になっている。この曲「スコットランドの花」は非公式の国歌にもなっていて、ラグビーやサッカーのゲームでは開会式に必ず演奏されて選手も観客も一斉に斉唱する。「アザミの花」が紋章になったのは、古代ローマ軍がスコットランドに攻め入った時にローマ軍兵士の裸足にアザミの茎の棘が刺さって声を上げたのでローマ軍の侵攻を知って撃退できたという伝説に由来しているそうである。

○ゲール人(The Gael)
 ゲール人とは、スコットランド高地地方のケルト系の人々のことであるらしい。元々、スコットランドやアイルランドの人たちはケルト民族の末裔であるのに対してイングランドはゲルマン系のアングロサクソンなどがケルトを追い出して成立した王国である。スコットランドがイングランドと合併したのは1707年のことである。
 因みに、ロンドンのイギリス首都警察庁のことを「スコットランド ヤード」と呼ぶのは、その場所が旧スコットランド王国の宮殿があったからであるという。

○アメイジジング グレイス(Amazing Grace 「驚くべき恵み」)
 2009年、エジンバラの広場で行われたスコットランド軍の「帰営セレモニー」で演奏された「アメイジグ グレイス」の演奏が素晴らしく感銘を与えられた。100人くらいのバグパイプ奏者と50人くらいの金管・木管奏者及び打楽器の壮大な「アメイジング グレイス」の演奏は嫋々と哀愁を帯びた調べがエジンバラ広場に響きわたり左右のスタンドを詰め尽くした人々の心を惹きつけたに違いない。その映像とバグパイプや吹奏楽の渾然一体となった響きに異邦人であるわたしであっても惹きつけ安寧の境地に惹き込まれてしまった。これまでに聴いた「アメイジング グレイス」と異なり、全身を清浄に洗われた思いにさせられた。これこそ「こころの平和」を導く調べであるように想う。暫く身動きできないで安堵している自分に気づかずにいた。
「アメイジング グレイス」は、スコットランドやアイルランドの民謡(Folk Song)であって作曲者は不明である。歌詞はジョン・ニュートン(1725~1807)が1755年に書いたものであるということで、聖歌(讃美歌第196番」)になっている名曲である。この名曲を大合奏で聴いた人たちには大きな感銘を与えずにはおかないであろう。それにしても、バグパイプと管楽器の大編成が響かせる「アメイジング グレイス」を忘れることはできない。これからもザラザラと心が苛立った時には、この「アメイジング グレイス」の大合奏を聴いて心を鎮めて生の限りを全うする糧にしたいものである、と憶う。

○ハイランド カテドラル(The Hightland Cathedral)
 スコットランドの高地地方にあるセント・メアリーズ大聖堂などのイメージを曲にしたのであろう。この「ハイランド カテドラル」は明澄な響きをもった名曲である。
 わたしのような異邦人で無信心な人間にとっても大聖堂がもつ清々しさを感じさせる。それにしてもスコットランド人の祖先はケルト人であるからアミ二ズム信仰であって多神教であったのであろうが、2世紀頃からキリスト教―多分ローマン・カソリックが伝わり6~7世紀頃までに根を下ろしていったようである。でも、当初はそれぞれの地方で土俗性の色彩を帯びていそうであるが、やがて「スコットランド国教会(国民教会)」に収斂されたようである。いくつかの教会のイメージを込めた曲であろう。清々しい曲想を奏でている。矢張り、バグパイプと吹奏楽器の合奏を聴いていると大聖堂の内部に身を置いたときの心持ちを抱かずにはいられなくなる。

○広い河の岸辺(O、 Waly Waly=Water Is Wide)
 16世紀ころからスコットランドに伝わっている民謡(Folk Song)である。
    その水辺は広く/向こう岸へ渡れない/僕には飛んでいく翼もない/
            二人を運ぶボートがあれば/恋人と僕で漕いでいくのに・・・
 この歌詞でも解るようにLove Songである。スコットランドにはわたしたちに馴染みな美しい数々のFolk Songがある。「蛍の光」、「アニー ローリー」、「故郷の空」、「ロッホ ロ-モンド」など日本でもよく知られている名曲で、小中学校の頃歌った記憶があるだろう。いまでは歌詞を忘れていてもメロディーは憶えていることであろう。
  「広い河の岸辺」も100人くらいのバグパイプ演奏が美しい。

   暫く、バグパイプ演奏を楽しもう。


パリ・くらしと彩りの手帖 №124 [雑木林の四季]

2017年の革命記念日のパリとオランジュ                                                                

  
         パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

革命記念日の二人の大統領

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パリ祭の更新をコンコルド広場のマクノシタから眺める二人の大統領 
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前夜のエッフェル塔の川向こうの花火
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空からももちろん
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フランスとアメリカの大統領夫妻が帰途につくところ

 フランスの一番大切な祭である革命記念日7月14日は、軍隊が朝から空のパレードをし、シャンゼリゼ大通りを凱旋門の方からコンコルド広場に向かって、軍隊はもちろん、警察や消防隊、そして有名校の優秀な学生達も軍服でみんな行進、フランス独特の外人部隊も、見物する人々が毎年楽しみにしているところだ。こうしていつも2-3時間にわたるパレードをし、現在のフランスの技術をフルに使って作り上げる新型の、そしてこれまでのものより一段とよくなったものを、国民の皆に見てもらうために、誇らしげに行進するのだ。そしてこの日だけコンコルド広場の一部にテントのようなものを張り、この席に座るのは大統領や閣僚、そして多くはこの記念日に、フランスが招待するお客様だ。日本からは、たしか昔、中曽根総理がこの日にここで日本で言うパリ祭を満喫されたはずである。そして今回、新しい政界が誕生したばかりのこの国で、マクロン新大統領が招いたのは、なんと数日前までG7で 数日を一緒に過ごしたばかりのアメリカのトランプ大統領で、その夫人とともにこの招待に応じたのだということで、フランスの主賓としての二日間だったのだ。前日パリに着いたトランプ大統領夫妻はまず到着の日からエッフェル塔の2階に上って、そこにあるアラン・デュカスの持つレストラン、ジュール・ヴェルヌで、パリを真下に見ながら、マクロン大統領とともに、フランス料理に舌鼓を打ったという。あのサイエンス・フィクション、80日間世界1周などを書いた作家ジュール・ヴェルヌの名前のここは、美味しいフランス料理だ。もちろんマクロン夫人のブリジットも同席だ。実は米大統領を迎える直前にはマクロンはドイツのメルケル首相と別れを惜しんだところだ。トランプ米大統領とメルケルとが合わないことは周知のことだから、もちろんパリ祭のパレードにその姿は重ならなかった。それに、戦争の歴史を考えたとき、現在の友好関係とは別にどこかから文句が出ることだろう。大体、米大統領の出席を、フランスの左派の人々が嫌っているし、せっかく国連のイニシアチーヴで世界の196カ国がフランスに集まって会議をし、世界の温暖化を妨ぐために一層の努力することを、ほとんど全世界が約束してパリのCOP2一の誓いをしたというのに、あの時、米国の大統領だったバラコラマもテロリの大統領当選を支持している米国の金持ち企業に報いるために、あっという間に米国はこの約束を反故にしてしまったのだ。それでもマクロン大統領はトランプ大統領を招いたのだからフランスの人々が怒るのも無理ないことだろう。決定は早いけれど、十分に考えを実らせることのできるフランスの新大統領が、では一体なぜ米大統領をこのような国の大切な日に賓客としてフランスに招いたかは、しばらく待てば、答えが現れてくるに違いない。第一、大統領としては、一般の国民にむけては、十分な理由があることで可能な事だったのだ。それは今から百年前の第1次世界大戦の時に米国軍隊の大量参加によって、ドイツによって散々な目にあわさたれていたフランスが救われたという先祖の思い出がある。特に米軍の死者の数は多く、その墓地は延々と広がる。フランスはこの部分の土地を領土として米国に贈ったということである。今回のマクロン外交について、このCOP21にアメリカを引き戻すための準備だと言い切っいる人もいるし、それにマクロンは実はすべてをじっくり考えてやる人だから、世界の中の米国の存在というものが、避けて通れるものでない以上、一歩でも近づき、友好関係を持っていたほうがいいからなのだといったふうな穿った考え方も語られているのだ。それに、どこの国とでも、少しでも友好的にしていられる範囲で、やっていくことは結構なことというべきなのだろう。   
 左派の党に属していようが、右派であろうが、有能と思われる人を選んで作った新しい内閣、そして何よりもあの動いている共和国の巨大な力の中で、大量の国会議員を選出したのだから、国会の討論で、採決を測れば概ね希望に沿った採決になるわけだ。しかも、政治家としてそんな考えには当然反対するような議員でも、政治家として一目置けるような人物である場合は、そのような政治家の地盤には自分たちの立候補者が入りすぎないようにして行った議員選挙だったのだ。だから、国会では反対意見をとうとうと述べる人がいて、賛成派と反対派が意見を戦わせる場面もできて、本当によくもそこまで考えて、あの熱しに熱した短い時間にこのような体制を作り上げてしまったとは本当にすごいことだ。マクロンの党を代表して立候補した人々は皆と言っていいほど、政治には素人だ。でも議論を経てから意見が取りまとめられる。その流れは変えていないのだ。一番最初に議題になったことはマクロンが選挙戦でも繰り返していたように、子供達の教育の初め、つまり小学校に入った時にはひとクラス12人を超えてはならないと決めた。そしてそのためには教員の数と質を上げなければ、ということがすでに決まった。あとはこれから秋の上院があるが、子供の教育に関するこのような議題に反対する議員がそういるとは考えられない。選挙戦が始まった、昨年の秋に、早くから最高位で当選するつもりでいたサルコジー時代に首相だったひどい政治家が、教員の数を減らすことを第一に掲げていたことは実に不思議としか言えなかったのだが。これをお念仏のように繰り返していたのだったが、いろいろなことがバレて、ついに、少なくとも、今の所は消えてしまっている。政治の世界というのは本当に不思議なところのようだ。そして、昨日はマクロン新大統領は、今まで、すべて間違いなく順調にきているが、昨日初めて味噌をつけてしまったというような解説が繰り返された。それは、フランスの軍隊を代表する英雄が、新年度の軍隊への予算について、ひどく減らせれてしまったことに憤慨して、議員たちの前で話し、それからみんなの討論となッタ事を知って、マクロンがあなたがをそんなことを国会に持ち出す立場ではないはずだとしたためたというが、その軍お最高司令官よりも、マクロンの方がさらに一番上の司令官であることをくりかえした。それが強調しすぎたという事で不評を買い、その翌日の今日は、その軍人たちに尊敬され、愛されている司令官が、パッと辞任し、他の軍人が司令官となったことが発表されたという次第だ。
 さて、7月14日のお革命記念日が済むと、あとは、フランスの名高い自転車競技、山を越え、谷を走って、何日間も競争する。もともと、フランス国内のものだったけれど、今はフランスから出たり入ったり、参加の選手たちにもいろいろの国籍があって、周りの国々も大いに楽しんでいる。あと数日で終わるから、今日はマクロン大統領も応援に駆けつけているようだ。

オランジュのオペラ

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左が舞台mその前に出ているのがオーケストラボックス そのさらに右のポツポツが聴衆
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第3幕の最後の場面
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拍手に応えて;張り出した舞台の下は 
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スター達の衣裳が現代的なのが驚き
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リゴレットは道化役者の名前です。        
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現代の服装と混ぜた演出が気に入りません  
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ヴェルデイ
 さて、今年もオランジュの古代劇場でオペラが始まった。2000年前にシーザーが前進するところにその足跡を記したものの一つがこのローマ劇場だ。そのあとは地球上のかなり北のほうまで伸びているけれど、ここほどに劇場として素晴らしいのはそうあるものではない。ギリシャなどによく見る円形劇場は、舞台も客席も円形で、学生の旅で、こういうところを見ていたときに、一緒にパリから行ったギリシャ人の建築家画、芝居心のある人だったので、ムズムズしてしまったらしく、真ん中にとびだしていって騰々と芝居を始めたのである。私たちも医師の円形の段々に腰掛けて、観客としての態勢を整えたのであった。今にしてみれば、素晴らしい思い出だ。ギリシャなどにはこうして、舞台が円形の中心になっているものが多いが、オランジュのように、芝居をする空間が直線を持ってうまくできていて、しかも観客席が円形になっているのはそんなにあるものではないから、ここでオペラを見られるのは実に素晴らしいのだ。今年もこうして、本当の夏が来る。
 今年7月初めのプログラムはヴェルデイの名作「リゴレット」。フランスの作家ヴィクトル_ユーゴーが書いた「王は楽しむ」を元に、ジュゼッペ・ヴェルデイが作曲、初演はイタリアのヴェニスのオペラ座フェニーチェで、今から160年前に遡る1851年だった。純情な娘を持つ道化師のリゴレットは、自分の娘に手をつけたマントウ公爵を恨み、呪いをかけるが、公爵を殺してほしいと頼んだのに、今もこの公爵に思いを寄せている道化師の娘それを悟って自分が身代わりになって死ぬというものがたりだ。こういう様々な恐ろしい思いを込めた物語でありながら、たくさんの登場人物を乗せた舞台は一見平穏で、陽気な空気が充満した舞台であり、現代人の服装を取り入れた舞台はややもすると見るものの感動に何か一つ欠けるものがあるような気がするのは私だけなのだろうか?このコレジーの組織を作って、オペラを中心に音楽をいろいろとやるようになったのも40年ほど前からだが、今年からはモナコのオペラ座の演出家に変わり、これからどんな方向に伸びていくのかが楽しみだ。オペラのあとで一言話したが、丁度日本から帰ってきたところだ」と一言言っておられたがこれからが楽しみだ。今年の二つ目のオペラは同じヴェルデイ作曲の「アイーダ」どんな動物が出てくるだろうかと、今からの楽しみ。オランジュの街をもう少しご紹介したいと思っている。2、30年前にフランスで初めて国民戦線の候補者がこの町の責任者人って、大きな話題となった。コレジーはここの古代劇場に別れを告げて、どこか他の街に行くと決めてあsっていたが、どうやら話し合いができて、元に収まったのだった。そして、あれから、何回市長選挙があったのだろうか?いつも、いつも選ばれ、市民はいい町長さんだと言っている。あんなに恐ろしがっていたのにどうした事だ?あの人が超お町になってから、街は綺麗になったし、質のいい、素晴らしい市場が立つようになったこともみんなの誇りだ。それじゃもう政党の事はいいのか?関係ないし、噂によれば、あの人はもう党員ではなくなったときいているし、、、、え、え>本当ですか?いやはっきりはわからないけれど、、、大統領選挙で最後に争った二人、国民戦線の候補者は、かろうじて、議員選挙を通過したが、あとは全く伸びを見せていない。声を聞くのは、新大統領のやる事に文句をつけるときだけだ。今後どう変わっていくのかは未知である。


気楽な稼業ときたもんだ №61 [雑木林の四季]

異世界の二人の雄の秘蔵っ子、五木ひろし 2

         テレビ・プロデューサー  砂田 実

 そして、もっとも印象に残っているのは「ヨイトマケの唄」である。
  何度目かの全国公演の時、僕は五木に丸山明宏(現・美輪明宏)が作詞作曲した「ヨイトマケの唄」をぜひ歌ってほしいと要求した。この歌にはなにか気になるものがあったからだ。この歌がテレビでの放送禁止曲に指定されてしまったこともある。どこの誰が、どんな主張の下にこんなに心に響く歌を禁止曲に指定したのか!と腹を立てていたことも理由のひとつだ。
 ところが、それまでは僕の選曲に異論をはさまなかった五木が、「ヨイトマケの唄」には、一瞬の戸惑いを見せた。最終的には歌ってくれたが、この曲のある歌詞の部分になると必ず声をつまらせ、時には涙ぐみさえするのが見てとれた。何回かの公演が終わったところで、彼に尋ねてみた。
 彼はしばしの間うつむき、「じつは、この二番の歌詞のところなんですけれど…⊥と話しはじめた。そして、「姉さんかむりで泥にまみれて…・‥」と小声で歌い出すと、「母ちゃんの働くとこを見た……父ちゃんのためならエンヤコラ子供のためならエンヤコラ」と、遠くを見るような目線で最後まで歌いきった。
「この歌詞、そのまま僕の子供時代の原風景なんです。小学校から帰る途中で、本当に男性に混じって、工事現場で、エーンコーラと網を引くお袋を見つけたんです。僕は、急に関係のない話を友達にぶつけて、その場所を駆け抜けて帰ったことを今でも覚えています」
 五木は僕の眼をまっすぐ見ながら話し、静かな微笑みを浮かべた。

 僕は、この歌を五木の声でテレビ放送したくてたまらなくなった。そしてある日、それを敢行した。放送後、始末書を書かされたことはいうまでもないが……。

 五木は今も現役で活躍中である。野口さんと山口さんは、ともに病を背負い療養中だ。思えばあの頃、野口さんも山口洋子さんも、それぞれ絶頂期で光り輝いていた。その光が強くまぶしいほど、つらいであろう晩年を見ているのは、かぎりなくさびしい。かたやキックボクシングという格闘技界で時代の主役になり、かたや水商売の世界で銀座の超一流クラブの経営で名を成した二人のカップルは、その表舞台の印象が華やかであればあるほど、過酷な裏の実人生もあったろう。それはきっと想像を超えてあまりある物語の連続だったにちがいない。人との出会いは、このようにおもしろく、せつなく、そして素晴らしい。
 黎明期のテレビ、CM演出、そしてコンサート演出を通して出会った人々、前例にしぼられずに伸び伸びとできた数々の仕事は、僕の人生の大事な宝物である。

『気楽な稼業ときたもんだ』 無双社

BS-TBS番組情報 №141 [雑木林の四季]

BS-TBS 2017年7月のおすすめ番組

                                               BS-TBS広報宣伝部
世界陸上ザ・ベスト 北京

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2017年7月22日(土)午後1:00~2:54

☆まもなく「世界陸上ロンドン」開幕!2年前の北京大会の名場面をプレイバック!

8月4日に開幕する世界陸上ロンドン大会。200を越える国と地域から、2000名以上のアスリートがイギリス・ロンドンに集結し、“人類の限界”に挑戦する。
その開幕を2週間後に控えた7月22日、2年前に行われた前回・北京大会の名場面を一挙にプレイバック!
▽名場面1 「男子100m/人類最速対決」
人類最速U.ボルトとアテネ五輪金メダリストのJ.ガトリンとの頂上決戦。1/100秒で決着した世紀の名勝負をお届け!ボルトが走った200m、4×100mリレーも。
▽名場面2 「女子400m/悲しみのヒロイン アリソン・フェリックス」
2013年モスクワ大会で右太もも筋断裂によりまさかの途中棄権となったアリソン。悲しみの淵から救ってくれたのはいつもそばで支えてくれた兄・ウェスだった。
▽名場面3 「男子400m/南アフリカの新星現る!」
ともに世界陸上・五輪で金メダルを獲得したL.メリットとキラニ・ジェームス。誰もがこの2人の一騎打ちになるだろうと想像していたレースに割って入ったのが南アフリカの新星・W.バンニーキルクだった。
▽名場面4 「男子10000m・5000m/長距離2冠の超人」
陸上界でボルトに並び超人と言われるイギリスのM.ファラー。世界陸上・五輪で長距離2冠を成し遂げたファラーは北京で前人未到の2大会連続2冠を目指す!
▽名場面5 「女子1500m/最強姉妹の秘密兵器」
世界陸上・五輪で計8個の金メダルを獲得したティルネシュ・ディババとアテネ五輪10000m銀メダリストのエジャガエフ・ディババを姉に持つゲンゼベ・ディババ。姉に続き、世界の頂点を狙う!
▽名場面6 「奮闘!チームJAPAN」
男子200m、史上最年少で準決勝進出を果たした当時16歳のサニブラウン・A ハキーム、女子マラソンで7位入賞の力走を見せた伊藤舞、男子50km競歩で史上初の銅メダルを獲得した谷井孝行など、チームJAPANの活躍をお届けする!

サワコのひとり旅inフランス~天才彫刻家ジャコメッティを訪ねて~

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2017年7月22日(土)午後4:00~4:54

☆阿川佐和子が彫刻家・ジャコメッティが暮らしたフランスへ!

出演:阿川佐和子、島田順子、田中泯

20世紀ヨーロッパにおける最も重要な彫刻家、アルベルト・ジャコメッティ。
オークションで約94億円という破格の値がついた、「歩く男Ⅰ」の作者として知られている。
そんなジャコメッティの真実を解き明かすため、作家・エッセイストの阿川佐和子が彼の暮らしたフランスを訪ねる。
南仏のマーグ財団美術館では、サワコが初めてジャコメッティと対面。
またパリでは、ファッションデザイナー島田順子さんを訪ね、ファッションの観点からジャコメッティを紐解く。
さらに、ジャコメッティを実際に撮影したことがある92歳の写真家との出会いも!
サワコが「聞く力」でジャコメッティの人物像に迫る。
また、今回は、ジャコメッティに強い関心を抱いていたダンサー・田中泯が、日本にやってきたジャコメッティ作品と対面。何を感じ、どのように表現するのだろうか?

釣り百景

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毎週(木)よる10:00~10:54

☆海あり!川あり!秘境あり!「釣り」「自然」「人」との出会いを求めて、地球を巡る釣り紀行番組

海あり!川あり!秘境あり!
「釣り」「自然」「人」との出会いを求めて、地球を巡る釣り紀行番組。
釣りを通して紡ぐ人間ドラマをお届け。
釣り人は各界の著名人とその道を極めたアングラーたち。
コアな釣りファンも必見!

▽2017年7月20日(木)放送
#195「シーズン到来!上州三川の鮎に出会う」
釣り人:島啓悟、松田克久
友釣り解禁直後の6月上旬、全国の鮎師達がこの時期を待ち焦がれていた。数々の大会で優勝を重ねるトップトーナメンターの島啓悟さんも、もちろんその1人である。高崎在住で島さんの友人であり、自身も釣具店を営む松田克久さんに招かれて、関東屈指の人気河川である碓氷川、鏑川、烏川の上州三川を訪れた。2人は河川の状況や特徴を読み、釣りを進めていく。天候の安定しない中、シーズン序盤から着実に鮎を掛けていった。

▽2017年7月27日(木)放送
#196「江戸前の鮨ネタを釣り、食す」
釣り人:照英、阪本智子
100万人が暮らしていたとも云われる江戸。人々の食を支えたのは、身近に広がる豊かな海だった。「江戸前」とは、江戸湾でとれた海産物を指す言葉。保冷技術の乏しい時代…職人たちは工夫を凝らし、魚介類の旨みを「鮨」に凝縮する。先人が遺してくれた「江戸前鮨」の今を感じるために、潮風薫る東京湾へ繰り出したのは熱き男、照英と阪本智子。「釣り」と「食」にこだわる二人が、江戸前で旬の鮨ネタ6品1本に挑む。


ロワール紀行 №57 [雑木林の四季]

アンリ二世、カトリィヌ・ドゥ・メディシスとディアヌ・ドゥ・ポワチエ

          スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 王太子は王位を継ぎ、アンリ二世となった。

 フランス文学の古典として名高い、ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』のなかに、「宮廷にこの頃ほど、美男美女の会していたことはかつてなかった」といわれた、アンリ二世時代のプロワ城館の生活、貴公子や貴公女をめぐる愛憎が、巧みに描かれている。

 アンリ二世は王太子のころから、父王フランソワ一世の、愛妾であった十八歳も年上の、ディアヌ・ドゥ・ポワチエを熱愛していた。

 王は彼女に、ヴアランチノワ公妃の称号を与えた。メディシスは、ディアヌが美しかったと同じほど、醜くかったという。

 カトリィヌ・ドゥ・メディシスは十年の間、懐妊しなかった。王の乱行が原因であろう。


 アンリ二世在位の晩年の頃ほど、豪奢や優雅の風の栄えたのは、フランスでも例のないことである。陛下みずから雅びを愛せられ容姿も端麗に、恋さえしておいでになった。ヴァランチノワ公妃ディアヌ・ドヶ・ポワチエをはじめてお愛しになったのはもう二十年も前のことだったが、その寵は少しも衰える気配がなく。


 メディシス王妃は、王の情事に苦しめられた。しかし冷徹な彼女は「ヴアランチノワの奥方は、全く淑徳の誉れが高い」と官廷中に宣伝した。こともあろうに、自分の夫の寵愛を受け、公然と宮廷に出入する、情婦を称揚したのである。


  ヴァランチノワ夫人を陛下が御寵愛になることも一向気にされない様子で、嫉妬の色を少しもおみせにならない。しかしこの方は、いつも本心を奥深く包んでいる性質だから、ほんとうの御気特まで察しるのは容易なことではなかった。


 このイタリア的老檜さに、後年、摂政としてサン・バルテルミィの大虐殺に示した冷酷無残の片鱗が窺える。メリメは『シャルル九世年代記』のなかで、カトリィヌ・ドゥ・メディシスを次のように描写している。


  水水しい小肥りの女、歳のわりに立派な女だが、鼻が大きく唇は薄く、眼を半開きにして、始終欠伸(あくび)をしている。その声は、人を毒殺する命令を下すときも、愛犬に牛乳を与えるのを命ずるときと全く変らない。


 アンリ二世は内治、外交とも巧みに処理し、国力を充実した。フランス最大の追うの1人といわれる。このような女性関係も、彼の声望を傷つけなかった。

 ルネッサンスとは、そのような時代であった。彼は野試合の最中、誤って部下の槍に傷ついて死んだ。四十一歳のときだった。

 メディシス王妃は、王の臨終の枕許から、彼の寵妃、ヴァランチノワ公妃を斥けた。

 「死に行く王は王妃のものです」メディシスは、この有名な言葉を冷然と言い放った。ニ十三年間、一日とて忘れることなく待った、復讐の日が、遂にきたのである。

 権勢の寵妃と不遇の王妃とは、そのところを替えた。メディシスは王妃の威厳をこめて、ヴァランチノワ公妃に、昂然と命令した。

 即座にその館に退き、王が今までに与えた宝石、シュノォンソオのシャトオ、そのはかすべてを返すように。

 王妃は、王が寵妃に与えた贈物の品目を、二十年間、克明に記録してあったという。恐るべき忍耐と周智さ。流石に銀行家、メディチ家の娘である。

 イタリアに、ルネッサンスの花を咲かせたメディチ家。その血の流れる彼女はフランソワ一世に次ぐ、プランス・ルネッサンスの推進者であった。

 プラソソワ一世翼部二階で、最も興味を惹くところは、カトリィヌ・ドゥ・メディシスの居室である。イタリア風の彫刻と彩色を施した、二三七枚の羽目板で床上から天井まで美しく飾られている。

 彼女の机のちょうどまうしろ、椅子にかけたまま、少し体をそらせて、手を伸ばすと、指の届くところ、その壁の羽目板の四枚ほどが、左右に開く秘密の小文庫になっている。

 壁板の模様は一様であるから、どこが開くのか、本人以外にはわからない仕掛け。

 よく西欧の邸宅で、主人の書斎の名画のかかる壁の、その画をはずすと、壁に小さな金庫がとりつけてあるのも、これに着想したものであろうか。

 ガイドは、それを秘めやかに開けて見せる。ギィツと、木の軋み触れ合う、徴かな音がする。王妃として次に摂政として、カトリィヌ・ドゥ・メディシスが、大きな権力を振ったことが、扉の開く音とともに思い出される。

 中世の秘事を秘めた空気が、その中文庫から、流れでるような気配。

 宝石や毒殺用の毒薬を納めた戸棚とも、宗教や政治に関する機密書類をしまった金庫だともいわれる。

 アンリ二世と結婚したこのフィレンツェの大財閥の娘が、中世イタリアの悪習をフランス宮廷にもちこんだという。当時のイタリアでは「ポルジャ毒薬」いらい、暗殺と陰謀は日常茶飯のことだった。この秘密の文庫を見て、数々の謀略、証拠を残さぬ毒殺、手の皮膚から毒を渉透させる毒手袋の使用法などは、彼女がプロワの城にもちこんだものだろうかと、考えてみた。

 ガイドは手真似、身振りよろしく、棚から毒の小瓶を取り出す仕草を演じて見せる。

 来客から菓子などの食物を貰ったら、その面前で包みを開き、まずその客に奨めるという、今日でもフランスに残っている風習も、このあたりに起源があるのだろうか。

 サント・ブゥヴは、「ここにあるものは、毒薬の状態にある顔料だ。少し許り薄めれば色が得られよう」という書き出しで始まる、有名なエッセェ『我が毒』を書いている。

 しかし、私は思う。毒の真に恐るべきは、心の毒であろう。

 話が余談に亘ったが、カトリィヌ・ドゥ・メディシスも、イタリアから悪い面ばかり持参したわけではない。現代プランスの重要な産業となっている香水の製造をフランスに伝承をしめたのも、彼女である。責あるばかりでは、気の毒かも知れない。南仏プロヴァンスの花園といわれるグラッスの町が、香料の世界的産地となったのは、それまでイタリアのフィレソツェで、国外不出の秘法だった香水製造の技術を、彼女がフラソスに伝えたためだといわれる。





バルタンの呟き №16 [雑木林の四季]

                          「後期高齢者認知度検査」

                               映画監督  飯島敏宏

「K電鉄T不動尊駅前バスターミナルのM銀行看板下にある2番乗り場でJR線H駅行きのバスに乗って、三つ目の停留所で降りて頂きますと、通りの向こう側に用水が流れています。用水に沿った道を、川上に向かって10分ほど歩きますと、右側にウチの看板があります。その左が事務所ですから、受付に、運転免許証、通知はがき、筆記具、受験料580円を差し出してください。予約の時間の15分前に、申し込みを受け付けますので・・・」

 とにかく、30度は確実に越している蒸し暑い昼下がりでした。九州から始まって、近畿、東海と、毎日のように、未曽有の異常大量降雨で、警報、注意報、避難警報が飛び交っていました。各地で、河川の氾濫、地滑り、崖崩れの甚大な被害が報じられる梅雨期の最中にありながら、なぜか関東一円は、このところ連日、灼熱の太陽がギラギラと輝いていて、すっかりオゾン層の薄くなった空から、紫外線たっぷりの強烈な光線が降り注いで、乾ききった地表に熱風を巻き起こしています。テレビ、ラジオは、連日、熱中症予防のために水を飲め水を飲めと叫び続けています。

 閑話休題、その炎天下、僕は、昼下がりの暑熱に喘ぎながら、冒頭の案内電話で丁寧に説明を受けた通りに、わが家を出てから、自主運行の乗り合いバス、電車、モノレール、市バスと乗り継いで約一時間半の移動を終えて、指定のバス停に降りたったのですが・・・
 そこには、教習所らしき看板はおろか、周囲にある数棟の建物は、看板は出ているものの、すべて廃業したかのように、人の気配すらないのです。たしかに、説明されたように、通りの向こう側に見つかった2・5メートル幅ぐらいの用水でしたが、水が澱んでいて、どちらが上流なのか決め難いのです。僅かな水の動きと、藻草の揺れ具合で察した上流方向と思しき側道を、ひたすら自動車教習所めざして歩きだしました。

 用水沿いには、農家と思しき、広い敷地に建物がある家並みが続いているのですが、道を確かめようにも人影が全く見当たらないだけでなく、用水路そのものが緩く右側に湾曲して流れているせいで、歩いて行く先が見通せないのです。周囲の光景も、畑地や、果樹林が広がりはじめ、人家が疎らにしか見あたらなくなってきました。
果たしてこの先に自動車教習所などあるのだろうか、と、心配になってきた頃、漸く背後に車の音を聞いて、思わずヒッチハイカーのように、車の先方に立ちはだかって片手をあげたものです。
「この先に、自動車教習所が、ありますか?」
「教習所? あ、それみたいなもん、ありますけど」
運転席の窓が開いて、中年の主婦らしき女性が、行く手を指さして、愛想よく答えてくれましたが、あたりの田舎びた光景から、僕がひそかに期待していたような、どうぞ乗って下さい、みたいなおもてなしの提案はなく、走り去ってしまいました。

 折も折、頭上の電線から降ってきた、しまりのない、人をからかうようなカラスのひと声に、いっそう暑気を煽られたような腹立たしさを感じながら歩くうちに、ふと、道端のブロック塀沿いにぽつんと置かれた、飲料水の自動販売機があるのに気がついて、慌ただしく小銭入れをまさぐって代金を放り込み、取り出し口に落ちてきた冷たいお茶のプラスティック壜を、蓋を取るのももどかしく一気に飲み干しました。バス停から、歩き始めて、すでに10分以上の時間が経っています。
「田舎道、何処まで行っても、あと一里・・・」
そんなカビの生えたような俚諺を思い出して、苦笑しかかったとたんに、突然、
「このくそ暑い日の、こんな日の高い時間に、何だってこんな遠い辺鄙な田舎の自動車教習所まで、来なけりゃならないんだっ!」
 思わず誰もいない空間に、声を荒げて口走ってしまったほどに、むらむらと、熱い怒りがこみ上げてきました。

 そもそも、これは、一枚のハガキからはじまったのです。「あなたは、今回免許更新を行う前に、{認知機能検査}を受け、その結果に基づいて、検査とは別日に{高齢者講習}を受ける必要があります」という注意が書かれている「免許更新のための認知機能検査と講習」の通知ハガキです。
近ごろ、後期高齢者による事故が頻発して、ある種突出して社会問題化したために行政の要請から警視庁の取った、急遽75歳以上の、高齢者の免許更新のハードルを高くするための処置、の一環で、昭和一桁うまれの僕が、運転免許所持者として背負わなけばならない当然の義務だという訳です。しかも、30年来の無事故無違反、ゴールドカードを自慢していた僕でしたが、昨年の暮れ、所轄警察署の点稼ぎとしか思えない、卑劣なネズミ取りにひっかかって、免許取得以来初めて行政処分を受けてしまった僕としては、抗えない義務なのです。
 が、しかし、さっそく最寄りの自動車教習所の予約をと電話したところ、すでに、僕の免許期限ぎりぎり近くまでの予約が満杯だというではありませんか。そこで、ハガキに登録されている教習所から、やや遠いドライビングスクールを幾つか選んで申し込んだのですが、どこもすでに来月まで満杯、来月1日午前9時に再来月分の予約受付、という騒ぎだったのです。ハガキに載せられている教習所の、わが家からかなり不便なところ数か所にも電話を掛けたのですが、すべて、誕生日まで満杯でした。(誕生日一か月後まで免許は有効ですが、検査後にもう一度後期高齢者講習を予約しなければならないのです)。行政が、世論に押されて認知度検査を義務付けたのですが、条例だけ決めてその受け皿が従来からの教習所だけという、お粗末な処置の結果なのです。
注!読者の中には、この事実をまだご存知でない方が大勢いらっしゃると思いますが、もし既にこんなハガキが来ていたら、いち早く手じかな教習所の予約を取ることをお勧めいたします。僕の場合、入院を含めて半月ほどの遅延が、致命的に響いたのです。

 途方に暮れた僕でしたが、ある教習所が、親切なことに、「運転免許試験場に相談してご覧なさい」と言ってくれたのです。取るものもとりあえず、試験場に電話を掛けましたが、予想した通り、電話は、なかなかかかりませんでした。抗議、陳情が、殺到しているに違いないと踏んで、「お掛け直しください」を何度か聞いてから、「このままお待ち・・・」を続けたのです。結局、運転免許試験場からの紹介で、警視庁の運転免許本部運転教育課試験係の電話までたどり着くのに、何時間かかったでしょう、その挙句に、僕の抗議と、陳情の果てに与えてくれた「ここでしたら、今すぐかければ多分予約が・・・」というヒントでたどり着いたのが、この用水の上流にあるという教習所だったのです。

 下車駅のT不動には、戦前、小学校高学年の頃の遠足(日帰り行軍)か何かで、はるばる訪れた記憶があるものの、土地勘などは、まったくありません。渇き切った喉を潤して、たちまち空になったプラスティック壜を空き容器入れにねじ込もうとした時も時でした。
販売機の陰から、いきなり、僕と同じような年齢の男性が、ぬっと現れたのです。
「こんちわ!暑いねえ・・・ご苦労さんです」
馬鹿に陽気で、共犯者的な親密さを含んだ挨拶でした。見ると、彼の手にひらひらと例のハガキが見え隠れしているではありませんか。
なんと、販売機の裏にプレハブ風の古びた建物があり、その奥に見える広場に、数台の教習車らしき車が目に入りました。コースには人影はありませんでしたが、なるほど落ち着いて見まわしてみると、販売機の向こう側に、字の薄れた小さな看板がありました。

 戦後の高度成長期には、この辺りの農家にも、青年男女が大勢いたでしょうし、車社会の成長と共に、この教習所も繁盛していたに違いありません。しかし、6名の予約受験者が案内された教室は、40インチほどのテレビが一台据えられた、12,3名で満室になるようなこじんまりした教室でした。一応の手続きが終わると、時間になり、親切そうな初老の試験担教官が現れて、この試験の結果によって、高齢者講習の内容が違うので、皆さん、集中して受験するように、といった説明と、運転経歴証明書の紹介、実は免許返上の薦めの一席があってから、いよいよ、認知機能検査です。

 試験用紙が配られます。時計、携帯、スマホを仕舞うように求められます。認知度を計られるのは嫌だな、という気持ちと、よし、ならばいっそ百点満点を!という気概が交錯します。
 見まわしたところ、ほとんどが、僕とどっこいどっこいのかなりの高齢者でしたが、さっき声を掛けてきたご苦労さんの男が、最も若い部類でした。僕の観察では、皆さん、現在、実際に車を運転している人たちで、ペーパードライバーはいない様子でした。特に、ごくろうさん、の男は、運送業か農業従事者か、職業として運転免許が必須と思われたのです。
 生年月日、試験当日の年月日と曜日の書き込み、時計、16種の画の記憶などなど、試験の詳細は省くとして、すでに過去の高齢者講習で経験したものが殆どでしたから、残念ながら今回も満点は逃したものの、内心懼れていたほど、記憶力の衰えはありませんでした。

 この詳細な顛末は、決して、まだまだバルタン老人はボケきっちゃいませんよ、という自慢話ではなく、この試験は、受験する我々にも負担がかかるし、行政の予算も増大するのに、果たして本当に必要なのだろうか、という疑問を感じながら書いているのです。
 バルタンとして呟きたいのは、ここの試験官の、実に時宜をわきまえた措置でした。彼の懇切な誘導で、試験中の様子で、僕が密かに心配していたご苦労さん氏も何とか合格、職業上決して落第できないと踏んでいた彼の喜びようは大変なものでした。あらかじめ用意していたのか、受験した同志一同に、「お疲れさあん」とチョコレート粒を振る舞って、実にうれしそうに帰って行ったのです。
 試験中、あのベテラン試験官の行いには、僕の知る限り一点の規則違反もありませんでした。許される温情のぎりぎりで励まし続け、彼を合格に導いたのです。
 注、この一章から、類推してここを特定されても、全く支障はありません。もっとも、あなたの予約日に彼の試験官が担当するかどうかは、神のみぞ知る、です。

 僕の家からは、実に遠く、辺鄙な教習所ですが、迷うことなく、僕は、この教習所で高齢者講習の予約をして帰ってきたことを呟きます。あの、がらんとしたコースを、彼の試験官の念入りな指導を受けて、初心を取り戻せば、いつかまた実質上の優良運転者にもどることが出来ると信じて・・・


ZAEMON 時空の旅人 №17 [雑木林の四季]

「ZAEMON・時空の旅人」               

                 文筆家  千束北男
                
                第十二章 水嶋次郎左衛門

考えるまでもなく、これは、人類のエゴイズムをみたす非道な武器、という非難を免れることはできません。これが使わる時は、殲滅されるのは、ストリクト星人ばかりではないからです。核爆発は、自然環境にも甚大な被害を及ぼす結果、その連鎖は地上のあらゆる生物が生きてゆけなくなる危険をはらんでいるからです。この兵器の使用で、たとえ人類が生き残ったとしても、長期的な残存有害物質の完璧な防御のために、いったいどんな装備を身に着けて生き続けようというのでしょうか。
「いったい女王カオリはこのホーリー・クレイルの存在をどう・・・」
女王カオリがこの最終兵器ホーリー・クレイルの存在を知っているのかどうか、どう使うのかを訊こうと口を開きかけた途端、
「叱ッ・・」
いきなりイソハタ副指令が手を伸ばして僕の口を塞ぎ、エノキド君までも手を貸して、突き飛ばすような勢いで僕を近くの部屋に押し込んだではありませんか。
周囲の衛士の眼を恐れたにちがいないこの極端な行動は、いったいどういうことなのでしょうか。
かっと熱い血が、頭に上ってきます。
「わずかでも機密に触れる者は、容赦なく射撃することが許されているのだ」
エノキド君が、説明します。それほどの機密性がなぜ必要なのでしょう。
「女王になぜ・・なぜ女王にこれの存在をかくすのだ! 君たちが選んだ女王だろう・・それをなぜ信頼していないのか!」
勾玉から、カオリに逢えとしきりに僕に気配を送ってくるのは、こういう事情もあったのでしょうか・・僕は、必死にその意味するものを考えました。
西暦2030年のリアルで、カオリは、選ばれて女王になり、いまは、ストリクト星人に囚われている・・・そのカオリに逢って、僕はいったい何をすればいいのか・・僕に気配を送ってくるのは、誰なのか。
「女王カオリを、われわれは全面的に信頼している・・だが・・ストリクト星人の手から人間たちを守るには、時間、手段を選んでいる余裕はない。最終核兵器ホーリー・クレイルの使用は、軍団司令の決断にかかっているのだ」
大声を出せないように、僕の口に押し当てた手はそのままで、にべもなく、言い切るイソハタ副司令です。
僕はエノキド君の眼を見すえて、彼が口にしようと頭に浮かべている次の言葉をうながしました。彼が、一番の良識者だと思っていたからです。
しかし、口を開きかけたエノキド君の意思に反して、彼の口から、意外な言葉が流れ出したのです。
「目には目を、は、世界を盲目にする・・そのために死んでもいいという真実はあるが・・殺してもいい、という真実はない」
彼の頭の中に存在した言葉ではないのははっきり読み取れました。口を動かしたエノキド君自身が驚嘆していたからです。
エノキド君の口から出た言葉は、まさしく、僕の見たピルグリム三世の暖炉の壁面に掲げられていたインドのマハトマ・ガンジーのことばではありませんか。ということは、やはり、女王は、カオリ、夏樹香織だということを意味しています。僕が、めぐり合うことを運命づけられたカオリにちがいないのです。
「女王カオリは、その言葉をモットーにしている」
エノキド君の強いられた告白をひき取って、イソハタ副司令が続けます。
「もし、最終核兵器ホーリー・クレイルの存在を女王カオリが知れば、まちがいなく、ただちに建造の中止、破壊を命じるだろう・・だがハヤト、われわれ人類がストリクト星人を制圧し、グレンデルを破壊するには、この兵器が最低限の必要悪なのだ」
イソハタ副指令の手をふりはらって、こんどは僕が彼の肩をつかんで揺さぶりました。
「必要悪! 言い逃れの常套語など使わないでくれ! 悪はどんなことがあっても悪に変わりはないだろう! 必要な悪!そんなものはない! それこそ、ご都合主義じゃないか!」
「・・・・」
「力と力で、お互いが傷つけあって、この地球を台無しにしてきた政治から抜け出すために、自分たちの選んだカオリを女王にしたのじゃないのか? それとも、単に、シンボルとして女王を飾っただけなのか?」
言葉を口にすればするほど、激しい怒りが沸いてくるのです。
「あんな恐ろしい核兵器を使って・・・この上さらに自然環境を壊し、血を流しあって・・いったいどんな平和を勝ち取ろうというのか・・・僕にはまったくわからない」
「ハヤトの言う通りだ。たしかに、われわれの理想を実現するために選んだのが女王カオリだ、だが現状は・・・」
エノキド君がなにか反論しようとするのをさえぎって、イソハタ副司令が、はげしい言葉を投げつけてきました。
「ハヤト! 理想で、この戦いに勝てるのか? 宇宙十字軍を払いのけられるのか? ノーだ」
「矛盾している! 君たちの女王制は! カオリを利用しているだけの便宜主義だ!」
僕は、これ以上彼らとむだな議論をするのを打ち切ろうと考えました。
「戦争が決して紛争の解決にはならないことは、人類の歴史が、嫌というほど証明しているじゃないか!」
「・・・」
黙り込んだイソハタ副司令とエノキド君の苦しげな表情が、現在の人類のおかれているみじめな状態を物語っています。
「理想を貫こう・・・貫いてこその理想じゃないか」
そうはいったものの、二人の苦衷にゆがんだ顔を見ると、次の言葉が出なくなりました。
イソハタ副司令の気持ちも、エノキド君の迷いも、今のみじめな状態も、わかる気がしましたが、それでも、どうしても僕には、おそろしい殺戮核兵器「ホーリー・クレイル」が、人類に平和な暮らしを取り戻してくれる兵器だとは思えなかったのです。
「仮にホーリー・クレイルで、ストリクト星人を滅ぼしたとしても、かならず次にまた地球に侵攻して来る宇宙人がいるのじゃないかな」
黙り込んだ二人に、できるだけ冷静に話しかけました。
「それが・・・バルタン星人だと言うつもりなのか? ハヤト」
イソハタ副司令は、どうやら、バルタン星人を、人類に敵対する宇宙人だと思い込んでいるらしいのです。
「いや、バルタン星人に限らず、そういう宇宙人もいるのではないかというだけのことだ・・」
僕は、次の言葉を探して、わずかに逡巡しただけなのですが、
「・・・なにかバルタン星人について情報を持っているのか? ハヤト」
イソハタ副司令が、さらに詮索する目で僕を見つめます。
「いや、なにも持ってはいない・・・」
かれらへの友情を裏切って、ここは白を切ることにしました。
これまでのピピン、パパンの行動、バルタン星人がZAEMONに対して行ったという処遇など、僕も疑問だらけだったのですが、あえて、彼らとは、バルタン星人についての話を避けたのです。
勾玉のペンダントが、彼らにピピン、パパンの存在を知らすことは危険だ、と警告を送ってきていたからです。
「自分の身に何が起きたのかも充分解らずにいる僕が、宇宙十字軍や、その他の宇宙人について君たち以上に何を知っていると思う? 逆に、なぜそこまで君たちがバルタン星人を恐れるのか、君たちの持つバルタン星人の情報を聞かせてもらいたいくらいだ」
僕の質問に、イソハタ副司令もエノキド君も、沈黙です。
「宇宙十字軍がいきなり地球にやってきたわけじゃないだろう・・・われわれ地球人が、ほかの惑星・・月や火星に手を出したからじゃないのか? まず、それをやめることが、かれらの怒りを鎮めることになるのじゃないかな・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
だれも、なにも、言葉は出しません。いいえ、出せないのです。でも、何も口にしないまま、ただ黙って、三人が手を握り合っていました。
と、そのときです。
「え? ミズシマ? 水嶋次郎左衛門・・ですか? ええ、ミズシマ・ハヤトはここにいますが」 
どこからかの通信を受けたイソハタ副司令が、目で僕に問いかけます。
「水嶋次郎左衛門、僕の曽祖父の名だ」
僕は問いに肯きながら、いったい、なんだろう、と、唐突に飛び出した曽祖父の名に、一瞬とまどいました。
「すぐ行きます!」
僕を促して、三人一緒に部屋から回廊へ飛び出しながら、
「カクタ軍団司令からだ。過去の地球からの宇宙船が不時着したというのだ・・」
「過去の地球から? 宇宙船が? 不時着?」
彼らと一緒に軍団司令室へ駆けつける僕の頭の中に、ピルグリム三世で、僕の曽祖父ZAEMONの語った話との符合に気がつきました。
「ニンジャ美穂からの通報なのだが・・・」
待ち受けていたカクタ軍団司令の席の背後のスクリーンには、すでに宇宙船の着陸位置が示されています。
「西暦2012年の地球からの宇宙船が不時着したというのだ。ピルグリム三世という船名で、かなりな破損をしているらしい。乗員は地球人だというが・・水嶋次郎左衛門と名乗っている」
僕の記憶の回路がさらに動きます。
ZAEMONの言ったことは本当だったのです。水嶋次郎左衛門は、本当に自作のピルグリム三世で、西暦2030年の地球に不時着したのです。
「着陸地点はNEWS1313か・・危険な場所だな」
イソハタ副指令が呟きます。
おそらく、ストリクト星人が制圧している地点なのでしょう。
「ニンジャ美穂が向かっているが、問題の宇宙船から発信している素朴なSOS信号は、たぶんストリクト星人側にも傍受解読されているに違いない」
カクタ軍団司令の言葉が終わらないうちに、エノキド隊員が声をあげます。
「ノダ君と、応援に行きます! ニンジャ美穂ひとりでは、手におえないかもしれない」
エノキド君が志願してくれたのです。名指されたノダ隊員も、ただちに手配にかかります。
「僕も行かせてください!」 
宇宙船で漂着したのが曽祖父の次郎左衛門だとあれば、当然僕も行かなくてはなりません。
僕は武装したエノキド、ノダ両隊員と同行で、大型のエアロ・スクーターに乗って現場に駆けつけました。
NEWS1313の地点に到着すると、なるほど大破した宇宙船が、大地に激突したような様子でよこたわっています。
バルタン星人から譲り受けたというピルグリム三世とは、デザインの基本思想がまったく異なる、いかにもメカニックな構造の宇宙船でした。
どうやら、八ヶ岳の秘密研究所で、ZAEMONが自製のピルグリム三世の誤操縦で西暦2030年の地球へ行ってしまった、と話したのは、嘘ではなかったようです。
エノキド特務隊員とノダ隊員に警護をまかせて、先に到着していたニンジャ美穂と協力して、相当な被害をこうむっている宇宙船ピルグリム三世の内部に入り込んで、救出に取り掛かりましたが、ZAEMONのピルグリム三世と違って、次郎左衛門の宇宙船内は窮屈な構造で、船橋は、おびただしい機械類と計器類で、びっしりと埋め尽くされています。
コックピットに残っていた水嶋次郎左衛門と名乗る人物は、かなりな重傷を負っていて、放置していたら生命の危険もあるのではないかと思われたのですが、ニンジャ美穂の甲斐甲斐しい応急処置のおかげで、ようやく止血も成功して、酸素吸入の出来る全面ヘルメットも装着できました。
「いまいましいエイパの奴が、操縦士が・・」
次郎左衛門が、苦しい息の下でつぶやいていた宇宙人操縦士のエイパは、いちはやく遁走してしまったのか、近辺には姿を見かけませんでした。
苦しい息遣いで述べ立てた次郎左衛門の説明によると、宇宙船操縦のベテランだということで雇った宇宙人操縦士のエラーから生じた誤差で、西暦2030年の此処に不時着してしまったのだというのです。ZAEMONが、ボクに話してくれた内容と符合します。
僕の知るZAEMONと違って、目の前にした西暦2012年の地球からやってきたという曽祖父水嶋次郎左衛門は、極端な痩身(そうしん)痩身で髪を長く伸ばし、クリント・イーストウッドというよりも、東洋の仙人といったイメージです。身に着けているものは、かなり着古した旧式な宇宙服のようなものでした。胸元に目をやったのですが、勾玉のペンダント風なものは見当たりません。
どうやら、船内に徳治さんはいないようです。徳治さんは、ZAEMONのピルグリム三世には搭乗しなかったのでしょうか。バルタン星からあたらしいピルグリム三世で出航した時に、ピピン、パパンといっしょに乗ったということかもしれません。
「次郎左衛門さん! 僕は、あなたのひ孫にあたる水嶋速人です。お分かりになりますか?」
山本久美子先生! 計算の得意な先生は、すぐにお気づきだと思いますが、これはまったく無理な質問なのです。
次郎左衛門さんが秘密研究所に引きこもった時には、パパのパパがまだ幼いころだったのですから。西暦2016年の運動会に現れるZAEMONは、この左衛門さんにとっては、未経験の未来なのです。
そしてその時、はたと、重大なことに気がつきました。
ぜったいにこの水嶋次郎左衛門をバルタン星に送り届けなければならない、ということです。
もしここで、この左衛門が死んでしまえば、いま、ピルグリム三世で僕を待つはずのZAEMONの存在が消滅してしまう!
行動を起こす前に、僕はただ一つだけ左衛門さんの答えを求めました。
「西暦1966年、バルタン星人が地球に来たことをご存知ですか?」
「バルタン星人・・」
左衛門さんは、じっと目を閉じて、何かの思いにふけってから、いかにも慚愧に堪えないという風情で重い口を開きました。
「ああ、私の開発した宇宙ロケット噴射の技術がね・・・」
「・・どうなったのですか?」
「あの時、バルタン星人に止めを刺そうとした核ミサイルに利用されたのだよ。ああ、君と同じようにね、アインシュタイン!」
なぜか、彼の名を呼んで、空を仰いで超嘆息をもらしたのです。
すると突然、ニンジャ美穂が、
「目には目を、は、世界を盲目にする・・・」
なぜかその事実を知っていたかのように、叫んだのです。
「ニンジャ美穂・・・なぜ、君がその言葉を・・」
僕が聞き返す間もなく、
「ハヤト! ピルグリム三世を、水嶋次郎左衛門を、確実にバルタン星に送らなければ!」
勾玉が僕に送ってきた気配と同じことを言うのです。
「しかし、いったい・・どうすればこの宇宙船を・・」
途方に暮れて、大破した左衛門のピルグリム三世の無残な姿に目をやった時、
「気をつけろ! ストリクト星人だ!」
外部で見張りに立っているエノキド隊員の緊迫した声が聞こえました。
「宇宙十字軍の憲兵です! こっちへ来ます!」
続いてノダ隊員の声が聞こえます。
するとその声が消えないうちにニンジャ美穂が叫んだのです。
「ピルグリムへ! 宇宙船の中へ! エノキド隊員! ノダ隊員! 急いで!」
一体これはどういうことでしょう、大急ぎで船室に戻る僕たちと入れ替わりに、ニンジャ美穂が一人で外に飛び出して、宇宙船ピルグリムのハッチを閉めてしまうではありませんか。 
それから後、僕たちの目の前で起こった信じられない出来事を、ニンジャ美穂はあとになって、あれはすべて偶然だったのだと言いましたが・・
「ニンゲン!ニンゲン!」
人間、と聞こえる奇声を放ちながら、武器を抱えて近づいてきた数人の宇宙十字軍の憲兵たちの前に、ニンジャ美穂がたったひとりで立ちはだかったのです。
「あぶない!」
「無茶だっ!」
ハッチの窓から見ていたエノキド隊員とノダ隊員が同時に声をあげました。
宇宙十字軍の憲兵たちは、たちまち、単身で身構えているニンジャ美穂を取り囲みます。
ニンジャ美穂の周囲をかこんだ彼らが一斉に放って、投網のようにぱっと広がった光りは、なにか人間捕獲のためのシステムが始動したのにちがいありません。
「ああっ!あぶないっ!」
思わず飛び出そうとした僕の腕を、
「待て!」
ノダ隊員が掴んで引き戻します。
宇宙十字軍憲兵の隊列が、ニンジャ美穂を中心にして輪になり、彼らの放った光の輪がニンジャ美穂を円心において回転しはじめたその時です。
いきなり僕たちの視界に、バルタン星人、ピピン、パパンの姿が飛び込んできました。どこから現れたのか、全く突然でした。
「あっ、あれは・・・」
と、ノダ、エノキド両隊員が言葉を呑み込んで、顔を見合わせます。二人とも、図鑑でしか見ることが出来ない宇宙人、バルタン星人を目の当たりにした衝撃で、身動きが出来なくなりました。
はじめ二人と見えたピピン、パパンが、瞬時に無数に分身して、大きなリングになり、十字軍憲兵の輪を外側から包み込んだと見る間に、直ちに球形に変化してしまったのです。
驚くべきことが起こったのはその直後です。
彼らを包み込んだバルタン星人の球が独特の大きな爪を広げて一斉に閃光を放った瞬間、宇宙十字軍の憲兵たちの姿が、まるでブラックホールに飲み込まれるような様で、消滅してしまったではありませんか。
「あ、あ、あ、あ・・・」
あまりのことに、喉の奥が、貼りついたようになって、しばらく、だれもが声も出せずに、その場に凝固してしまいました・・・       つづく


私の葡萄酒遍歴 №47 [雑木林の四季]

第二章 アルゼンチンワインの生産地

          ワイン・グルマン  河野 昭

アルゼンチンは理想的なテロワール
アルゼンチンは自然資源の豊富な国で、雄大な風景の中に山脈と草原が一緒になり、緑豊かな土地と乾燥した荒野が交じり合っている。また、温帯葦原が広がり、有名な港や森林もあれば、氷河もある。どんな風景を想像してもアルゼンチン国のどこかにそれはある。
ほとんどの葡萄農場は乾燥地で栽培されているので、渓谷とか、傾斜があるとかが、一番適切であると言われている。
一番大切なのは、葡萄農場が町から離れた地域で栽培されていることである。汚染環境から離れ、若い土地で、農地として使われていなかった土地に栽培されている。その一つ一つの気配りがアルゼンチンワインの美味しい高級感を感じさせ、こくもあって、色も濃くて、香りと味が自然の果汁に近いものにしている。アルゼンチンは地理的にも、気候にも大変恵まれているので、ワインの「オアシス」と呼ばれてもいいだろう。そのオアシスは地方と地区に分けられている。その中の一か所が北のカルチャキー渓谷で、荒れ地でも一番いいとされている。次にメンドーサ州、サン・ホウアン州とラ・リオッハ州が続き、葡萄栽培地に適している地である。その他には、パタゴニア地方もあるが、そこでは、葡萄の実りが遅いと言われている。

アルゼンチンは大物になるワイン生産地
南アメリカに位置して、4200万人の人口があって、フランスの4倍もの広さを持つ国、アルゼンチンは、世界的の大資源を抱える国でもある。自然豊かで景色も雄大である。国内には偉大なるアンデス山脈がそびえ立っているし、広大な草原もあって、緑豊かな地と乾燥した荒野が交じり合っている。また、東には温帯草原に森林もあり、南には氷河もあり、北には世界的に大きな滝までがある。
自然に恵まれた様々な地質の中で、葡萄木の栽培に一番適した場所がアンデスのふもとの高台である。これは、アルゼンチンの西側に位置して、南北に広がっている。詳しく言えば南緯22度から42度までに広がる。面積で言うと22万7750ヘクタールにもなる。
アルゼンチンは、この自然の中で5世紀にも渡り、葡萄の栽培を発展させてきた。高台での栽培、昼夜の温度の変化、地元のノウハウ、新技術の取り入れ等、独特の葡萄文化が特別な品質のワインを生み出したのである。
            大陸性の気候と高度
特徴的な気候の中で、高台の土地で、葡萄栽培が行われている。世界での葡萄栽培と比べると、アルゼンチンでは様々な品種のワインが出来ると言われている。
ワインになる「果実」は唯一である。有難いことに、アルゼンチンの栽培地は大西洋からも太平洋からも離れた陸地栽培が行えるのである。また、山脈のふもとの高台で栽培出来るのは他のどこででも出来るわけではない。
       アルゼンチンの面積と土地の多様性
アルゼンチンは世界でも広い国と知られている。他の国よりも葡萄栽培面積は多いので、品質の良い葡萄木を育てるのに適している。対照をなす、広い面積は、南の氷が青く見える南極から北は土地が銅色に染まるような赤茶の土地まで、素晴らしい景色が見られる。
         栽培地は大変痩せた土地
土地は世界で最も「若い」と知られているが、若いだけではなく大変痩せている土地である。窒素が多いのと、栄養素が乏しいのは荒れた気候が理由だとされている。
            乾燥した気候
良いワインを作り出す葡萄の第一条件は良い気候と呼ばれる乾燥である。年間雨量が150ミリから400ミリだと言われている。そのため、自然環境に恵まれた乾燥地に栽培されているので、有機栽培管理も楽である。
           潅水用の水は清い
世界の葡萄景塔でもこの他で栽培されている作物を潅水する水ほど品質の良い水はなし、だろう。アンデス山脈の雪解け水なので、汚染はされていなく、量も多い。
           ワイン文化の歴史
アルゼンチンのワイン文化の歴史の道のりは長い。今日までの大物生産者は輸出業を盛んにさせているのと同時に、消費者でもある。400年以上の道のりが、昔と今を結び付けているのである。
         マルベック、私達の品質のシンボル
本当は、フランスの南東の品種だが、アルゼンチンの土地に馴染んで栽培されている。この土地には様々なエコ条件が揃っていて、大変良い質のワインに出来上がる。アルゼンチンは世界的に、一番マルベックのワインの生産国と知られている。
     トロンテス、オリジナル(原種)クリオージョ品種
アルゼンチン国でしか作られていない品種である。サルタ州とラ・リオッハ州で栽培されている。この地の気候が原種の苗木を最も適した育て方をしているので、それから、作られたワインは香りがフルーティーに感じられる。その他、味は口の中に長い間残るとされて、一回飲むと忘れられない味だと言われている。


気随気儘 №2 [雑木林の四季]

「天の詔琴1」常識からの逸脱

                 舞踏家  和泉 舞

  常識とはふかふかの布団に心地良く包まれ眠り込んだ安全地帯だ。
 真に「自由」になるのは難題だ。それは常識という隠れ蓑すら取っ払わなければならない。
 孤独にやりたいことをする者は、誰からもとがめられず進むことはありえない。
 常識を基準に周囲は良し悪しのレッテルを貼り、頭を下げたり、上から目線で見下したりするのだ。
 その世界に慄然と立ち「自由」な存在である人は、真に何者にも捕らわれず、心の声のままに生きる。
 何かをやろうと意気込むことなく、すでに動いている。一秒先のことを考えず自然と動いている。それが真の自由人だ。
 「常識、こうであらねば、こうあるはず」という決め事に縛られ辛いともがく。
 それは一番安全な場に逃げ込み社会の被害者であると主張する。
 自ら袋小路に行き、さらに壁を作り来た道をも塞ぐ。
 変容への新たな道・未知の道へ進む恐怖ゆえの自己防衛に走る。
 ほとんどの人がそんなことはしていないと自覚せずストレスで倒れてゆく。
 なぜ倒れたのかわからない。何が原因なのかわからない。
 自由になりたいでもなれないジレンマに陥っているのだ。
 鬱になる性質は完璧主義。こうあらねばになろうともがく。
 こうとは何なんだ。こうとは他人になろうとし自分から離れて行くことだ。
 そこに苦しみが生まれるのは理に適っている。
 無意識層の自分は自分でありたいと主張する。
 ではそこから抜け出すのはどうすればいいのか?
 今まで私はこうであると思っていた私ではない自分に変容するしかない。
 深層の心の声のままに生きる。
 意識的な生き方ではなく、無意識的な生き方へシフトする。
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私の中の一期一会 №146 [雑木林の四季]

都議選は「都民ファースト」が優位か、
         内閣支持率の低下で逆風が吹き荒れる「自民」は苦戦。
  ~続々明るみに出る安倍政権のほころび、全てが都議会自民党には逆風になるのだ~

          アナウンサー&キャスター 藤田和弘                

 東京都議選の投開票日7月2日が、いよいよ目前に迫ってきた。
  今回の選挙は「小池都知事対自民党」の対決という構図がはっきりしているだけに、選挙の結果によっては国政にも大きな影響が及ぶのは確実である。
 小池都知事は「古い議会を新しい議会に変えるチャンスがやってきた」と訴えて、“忖度の政治”や“隠蔽体質“の議会はもう要らないと強調している。
 選挙終盤の情勢を取材してきたという時事通信は、自民党を離党した小池知事が代表の「都民ファーストの会」が予想通り優位に戦を進めていると報じている。
  都民ファースト、公明党、生活者ネットワークなどの“小池都知事を支持する勢力”が議会定数127の過半数、64議席を確保するのは確実だろうとみているのだ。
  JNN(TBSニュース)が都民を対象に世論調査を行った結果も、“都民ファーストの会”と“自民党”が激しく競り合う展開ではあるが、情勢は都民ファーストがやや有利というところだろう。
  今回の選挙に「関心がある」、「ある程度関心がある」を合わせると都民の80%超が関心を示していることも分った。投票率が高くなることも予想される。
  選挙終盤の今、投票先を決めている約4割の都民の中で、「都民ファーストの会」が40代以上の中高年層を中心に無党派層にも支持を広げて26.7%を占めた。30代以下の自民党支持層は25.9%となっている。
  差は僅差で、情勢としては激しく競り合う展開という表現になった。
  前回自民に投票した人で“今回も自民に入れる”と答えた人は、約半数に留まっている。都民の4分の1以上が都民ファーストに投票すると回答していることも分った。
  小池都知事の支持率は66.5%と高い水準を保っている。
  都議選告示の3日前に発表した“市場移転”の方針は、豊洲と築地の両方を活かしたいという新しい視点だが、これについても「評価する」が54.9%で「評価しない」を上回った。
  安倍政権を擁護する姿勢が鮮明な読売新聞の調査でさえも、都民ファースト優位の数字が並んでいる。
  投票先は、都民ファースト26%、自民党 23%、共産党8%、公明党7%、民進党4%。
  自民支持者の24%、無党派層の31%が都民ファーストを選んだとも伝えている。
  小池氏が自民党に離党届を提出して都民ファーストの会代表に就任したことで、自民支持層が割れたことが支持の低下につながったという分析である。
  都議会に最も取り組んでほしい政策は、「医療、福祉」で31%と最多であった。豊洲市場の移転問題は7%にとどまり、都民は生活に密着した政策を重視していることが浮き彫りになった。
 前回の選挙で59人全員が当選を果たした自民党は、安倍内閣の高い支持率が背景にあったからだが、今回は内閣支持率の低下が自民党に逆風となっている。
  42の選挙区に60人の候補者を擁立した自民党は、現有の57議席を大きく減らすだろうと言われているのだ。
  政治ジャーナリストの角谷浩一さんは「各党の議席数は、投票率がどうなるかでかなり変わってくる。50%以下なら自民・公明が勝ち、50%を超えると都民ファースト、共産が伸びると思う。民進党は、蓮舫代表の進退に影響する結果になるかも知れない。全ては無党派層にかかっている」と予想した。果たして投票率はどうなるだろうか。
  加計学園問題への対応の拙さや「共謀罪」の強行採決で支持率が急落している安倍首相は26日、都内で自民党の候補者応援に駆けつけたが、自民党へのヤジが多い街頭演説は“やりづらい”として自民党支持者が多い“屋内”へ逃げ込んで演説したそうだ。
  演説では「売り言葉に買い言葉。私の姿勢に問題があった・・・」などと言い訳もしたという。己の傲岸不遜を棚に上げ、全て他人のせいにしてコソコソ逃げる“人間性の貧しさ”を情けなく思う。
  小池支持勢力が優位ではあるが、その差は僅差だ。まだ投票先を決めていない人が6割前後を占めているという情報もある。
  浮動票をより多く獲得するためには、総理大臣が自ら応援に駆けつけるのが最も効果的ではないのか。
  だが、「応援に入らないほうがいい」という声が官邸幹部から出るようではオシマイだろう。
  選挙期間中唯一の日曜日だった25日は、都内の自宅で一日中過ごしたというのだから・・・
  内閣支持率の下落という逆風の影響を受けて苦戦している自民党の候補者たちに、突然、予想もしない“突風”が吹きつけた。
  評判の悪い稲田朋美防衛相が、27日に板橋区の自民党候補の集会に出席して、信じられない応援演説をしたのである。
  「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」と支援を訴えたシーンがテレビニュースに何度も登場したから、政府や与党の幹部は驚いたに違いない。
  公職選挙法では、公務員の地位を利用した選挙運動を禁止している。自衛隊員は選挙権の行使以外は政治的行為が出来ないと定められている。
  稲田氏は政治家であると同時に弁護士だから、「知りませんでした」とは言えない筈。それなのに防衛省、自衛隊としてお願いしたのだから呆れる。安倍内閣の閣僚自らが犯した公職選挙法違反を疑われる失態である。
  菅官房長官は例によって“撤回し、謝罪したから問題ない”とお決まりの「問題ない」を口にして稲田氏を擁護した。安倍首相も大臣続投を認めて任命責任には触れていない。
  逆風はさらに吹き荒れる。29日発売の週刊文春が、自民党の下村博文幹事長代行が文科相だった13年と14年に、加計学園から200万円の“違法献金”を受けた疑いがあるという記事を掲載したのである。
  下村氏の後援会「博友会」の収支報告書に献金の記載がなく、政治資金規正法に違反しているという訳だ。下村氏は記者会見で「加計学園から政治寄付もパーティ券の購入もしてもらったことはない」と疑惑の否定に大汗をかく事態となった。
  週刊文春の記事によれば、下村事務所の13年と14年の“日報”にはそれぞれ“加計学園、1,000,000”と書いてあるのだ。
  下村氏は「加計学園から献金は貰っていない。事実無根で選挙妨害だ」だと不快感を露わにした。
  加計学園は、“当時の秘書室長が下村氏の事務所で計200万円を渡したことを認めた”と共同通信は報じている。
  下村氏は安倍首相の最側近で都議選の司令塔でもある。この時期のスキャンダルは都議選に大きなマイナスになることは避けられない。
 次々と出てくる失言や失態に、自民党のベテラン議員は「どうしてオウンゴールが続くのか?」と嘆いているという。
  なり振り構わず加計学園問題から逃げまくる安倍首相だが、首相続投に拘り続けることは確かだ
  「築城3年、落城1日。この気持ちを呼び起こし戦い抜く」・・最近、安倍首相はこうもらしたという。
  ポスト安倍の一人岸田文雄外相は「首相もいつかは終わる。終わった後、我々が何をすべきかだ」と語った。“安倍城落城の1日”は案外早く来るかもしれない。私は、フトそんな気がした。


私の中の一期一会 №145 [雑木林の四季]

    「総理のご意向」と書かれた文書は文科省に存在した。怪文書ではなかった。
 ~“森友・加計疑惑”で下がり始めた安倍内閣支持率。共謀罪でさらに・・?~

        アナウンサー&キャスター  藤田和弘
      
 “モリそばとカケそば食べて、おなかを壊す安倍総理”・・こんな川柳があったような気がする。
「森友学園」と「加計学園」にまつわる疑惑を称して「もり・かけ疑惑」とは、言い得て妙だ。
 森友学園では昭惠夫人、加計学園には安倍首相ご本人が、恥じることなく縁者に利益供与を計ったように見える「もり・かけ疑惑」は、“一強の驕り”の弊害に他ならない、何とも腹立たしい限りである。
 NHKが12日のニュースで、9日から行っていた世論調査の結果を報じていたが、それによると安倍内閣を「支持する」と答えた人は48%で、前回より3ポイント下がっていた。「支持しない」は逆に6ポイント増えて36%であった。
 “支持する”の3ポイント下落は兎も角、“支持しない”の6ポイント増は、今後の支持率に影響するかも知れない。
 日刊ゲンダイ・デジタルに興味ある支持率調査の結果が記事になっていた。
 北海道新聞が、先月末に3日間にわたって実施した世論調査によれば、「安倍内閣を支持する」は41%で、4月の調査より12ポイント下がっていた。「支持しない」は12ポイント増えて57%だったという。
特筆に値するのは、支持しないが急激に増えていることだ。
 また、6月1日に発表された日経新聞・電子版「クイックvoto」の調査結果は衝撃的で、安倍官邸が慌てたそうである。
 安倍内閣の支持率が、前回調査の52.1%から26.7%へと“半減”していたからある。
 北海道新聞の調査は、全道を対象にした電話による調査方法だったから、NHKなどと同じ調査方法だ。
 一方、クイックvotoの多くは都市部に住むビジネスマン層が中心で、比較的年齢も高い。
 普通の世論調査とは違って、加計学園問題などに絞った調査だった。だから加計問題に関心のある人の多くが“不支持”だったことになるのだ。
 地方と首都圏という地域の違いや調査対象も違うので単純に比較は出来ないが、多くの有権者が「安倍にノ-」を突きつけ始めたことは確かとみられ、官邸は危機感を覚えたようである。
 不支持の理由は、「もり&かけ疑惑」、「共謀罪」、「レイプ告発」の4点に集中していたとのこと。
 学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題では、文部科学省の内部文書が大きな焦点になっている。
 問題ないから再調査はしないと強弁していた松野博一文科相は、9日の会見で「追加調査の必要があるとの国民の声が多く寄せられており、状況を総合的に判断した」と語り、一転して再調査をすると表明した。
「調査の必要はない」と頑なに再調査を拒んでいた官邸が態度を変えたのは、来月の都議会選挙を見据えてだという説もあるが、支持率の更なる低下を恐れたのが本音とみてもいいかも知れない。
 どうやら安倍官邸は追い込まれつつあるようだ。
 首相は再調査について「国民に冷静に一つ一つ丁寧に説明する努力を積み重ねていく」と語ったそうだが、これは自民党の役員会での発言だから、国民に向けて言った訳ではない。
 国会答弁で「国民に丁寧に説明する」という言葉は、何十回、何百回も聞いたが、本当に丁寧に説明したことなど一度だってないのではないか。
 安倍首相が“印象操作”という言葉を繰り返し、野党からの質問にまともに答えない姿は日常の光景になっている。答弁は常に不誠実であり、はぐらかしばかりではないか。誰も丁寧な説明など期待しないだろう。
 政府は週内に結果を公表する方針だというが、文書の存在が確認され場合でも、“官邸の最高レベルの関与”は否定する構えだという。またしても不誠実かと思うとイヤになる
 NHK世論調査で、“支持しない理由”の一つに「人柄が信頼できない」が43%あった。この数字も今後増えていくのではないか。
 ジャーナリストの山口道宏氏は、かつてこれほどの“職権乱用”や“不正”を疑われた政権はあっただろうかと呆れている。“保身のための隠蔽体質”に国民が愛想をつかし始めても当然だと断言している。
 森友学園問題で籠池氏を悪者にして逃げ切ろうとしたように、加計学園では、前川前文科次官を「出会い系バーに出入りする人物」とメディアを使って誹謗し、人格まで否定させた。やることが汚い。 
「もり・かけ疑惑」は、安倍晋三夫婦が最高権力を利用して成した“税金私物化の疑惑事件だ”という識者もいる。この疑惑は必ず安倍政権の崩壊につながっていくと私は思っている。まだまだ追及を終わらせてはいけない。
 前川喜平前事務次官が「出会い系バーに通っていた」と、朝刊一面トップと社会面に掲げて、臆面もなく安倍官邸を援護射撃したのは讀賣新聞である。
 日本一の発行部数を誇る全国紙の読売新聞が“政権の御用新聞”であることは周知の通りだ。
 安倍政権と読売新聞の親密ぶりはメディアの中でも群を抜いているそうだ。
週刊文春の集計によると、第2次安倍内閣発足以来の4年5カ月で、安倍首相とナベツネら読売幹部との会食は30回を数えるとされる。
「出会い系バー」の記事が出た5月29日にも、安倍首相と読売新聞の田中隆之前政治部長と現政治部長の前木理一氏らが赤坂の居酒屋で2時間にわたって会食したことまで突き止められているのだ。
 あの報道以来「読売の購買をやめる」というメールが、読売の読者センターに多く寄せられているようで、“不買運動”が拡がるのかどうか上層部は懸念していると証言する社員もいて、社内も困惑気味だとか・・
 元読売新聞大阪社会部の記者だったジャーナリスト大谷宏昭さんは「あの記事の書き方は完全に“ワケアリ”だと分かる」と語っている。
 同じニュースでも、東京。大阪.西部それぞれの本社で編集するので記事の大きさが違ったりするものだが、前川氏の「出会い系バーに出入り」の記事は全て同じがった・
 これは依頼が断れない記事だということを指している“ワケアリ”の特徴を備えていた。
 大谷さんは「官邸は否定するだろうが、読売新聞は“超えてはならない一線を”越えてしまった」と述べている。超えてはならない一線とは“ジャーナリズムの矜持”ことで、フェイクニュースの時代に大切にしなければならない一線である。
 もう一つ不自然な点がある。記事は「教育行政のトップとして不適切な行動に対し批判が上がりそうだ」と演説を入れたことだ。(演説とは道理や意義を説くこと=国語辞典)
 社会面の事件報道で「容疑者に世間の怒りが沸き起こりそうだ」とは書かない。原稿の“趣旨”まで決められていたことが分かると大谷さんは言う。
 安倍政権のために、読売社会部がアシになって記事を書く・・こんな理不尽に何故記者は抵抗しないのか?と嘆いていた。
「読売新聞は死んだに等しい」というブログ記事を書いたのは、元東京地検検事の郷原信郎さんだが、郷原さんも「出会い系バーに出入り」の記事について激しく批判した一人だ。
 あの記事は、社会部が独自にネタをつかんで記事にしたものとは到底思えない。何らかの形で官邸サイドから情報提供された可能性が高いとみている。
 おそらく社会部に政治部が関わって、政治的な意図によって記事が作成された可能性が考えられる。
 前川氏が、政権に打撃を与える発言を行う直前のタイミングで大々的に報じる決定がなされていた。
 記事が批判されると、原口隆則社会部長は「次官時代の不適切な行動。報道すべき公共の関心事」と題するコメントを紙上に掲載し「批判は全く当たらない。我が国の教育行政のトップという公人の行為として見過ごすことは出来ない」と書いた。
 郷原氏は「原口氏のコメントは、反論というより単なる開き直りにしか見えない」と手厳しい。
 今回の不祥事で読売新聞は、言論機関とは言えず、単なる公共機関になり下がってしまったと切り捨てている。
 テレビが騒がしいと思ったら、文科省が怪文書(?)の存否を巡る再調査結果の発表だった。
「ない」と突っぱねていた「総理のご意向」などの文書が省内に存在していることが確認されたと公表した。
もう怪文書とは呼ぶことは出来ない。
 さらに「調査しないと」言っていた“内閣府”も、担当者から聞き取り調査をすると、山本幸三地方創生相が発表した。明日16日に結果を公表するそうである。
 今朝は参議院で、悪名高い「共謀罪」が強行採決された。
 またも強行採決かと苦々しい気分だが、共謀罪や加計疑惑で国会がゴタゴタすると、来月の都議選に影響するからが理由とのこと。安倍政権の“国民そっちのけ”は今に始まったことではない。
    2017年6月15日は、“政変”の始まりなのだろうか?・・   (6月15日記)


浜田山通信 №196 [雑木林の四季]

「やすらぎの郷」と「四つの恋の物語」

              ジャーナリスト  野村勝美

 ファシズムは人々が、世の中のできごとをバカバカしく思い、勝手にしやがれと思ったときにつけ込んでくる。共謀罪なんて私には関係ないが、担当大臣自身さっぱりわかっていないものをなぜ強行採決するのか。加計学園問題も、もうめちゃくちゃで、官房長官や文部大臣、副大臣がよくも筋の通らないこと言ってへりくつをまくしたてる。老人はどうせヒマをもてあましているので、つい毎日TVのニュース番組を一日中見続けてしまうが、さすがにアホらしくなって11日の日曜日は「男はつらいよ・寅次郎夢枕」を見てしまった。寅さん映画は第一作が69年8月。渋谷松竹で見て、ものすごく面白く感じた。まだ40歳になったばかりで、単なる娯楽映画としてしか見なかったので、その後の作品を映画館で見た記憶はない。いつ頃からテレビで放映されるようになったか知らないが、全48作のほとんどを見て居る。今回はだいたい毎週土曜日の午後6時半からテレビ東京で見られる。ヒロインは八千草薫だった。彼女は私より1歳半年下なのでこの時38歳だが、女盛り、まだまだ若々しい。このところ毎日お午の12 時半からのテレビ朝日、倉本聡「やすらぎの郷」を見ている。浜田山に住む山本圭さんが、“大納言”役で出ていることもあり、おつきあいの意味もあるが、さすが倉本聡の脚本、みごとなものである。石坂浩二、ミッキー・カーチス、野際陽子(6月13日死去)、みんなうまいものだ。中島みゆきの主題歌「慕情」がまたぐっと胸にくるみゆき節である。中島みゆきの歌は、車を乗り回していた時よく聴き、口ずさんだものだ。年をとると、音楽やラジオを聴いても、すぐ昔のことどもと結びつき、懐かしく感じる。

 八千草薫の若い頃は、ほんとにかわいかった。「やすらぎの郷」でも“姫”と呼ばれていて、同じように年をとってきたものには昔のままかわいい。彼女は本名を谷口薫という。57年に「乱菊物語」に出演し、その時の監督谷口千吉と結婚したから姓が変わった。谷口は17歳も年上である。戦後すぐ「銀嶺の果て」という映画を作り、山好きの私はすぐファンになった。結婚直後、東宝で大争議があり、当時の大スターたちは新東宝という会社に移った。急遽新人を募集して「四つの恋の物語」というオムニバス映画が作られた。ニューフェイスの4人は4千人の応募から選ばれた男16人、女32人の中の4人。当時この映画と少しあとの「また逢う日まで」ほど私の心を揺さぶった映画はない。なかでも「四つの恋」第3話「恋はやさし」にエノケン相手の踊り子役で出演した若山セツ子にいかれた。スクリーンの女優に心を奪われるのは若者の特権。外国映画では「誰がために鐘はなる」のイングリッド・バーグマン、「格子なき牢獄」のコリンヌ・リュッセル、日本映画では若山セツ子と三条美紀だ。若山は私と同年同月生、それがこともあろうに16歳も年上の谷口千吉と結婚してしまう。そして7年後には離婚、すぐ八千草薫が谷口と結婚する。若山セツ子は60年に引退、難病にかかり、85年入院中自死。(つづく)

パリ・くらしと彩りの手帖 №123 [雑木林の四季]

音楽の話題2つ

        在パリ・ジャーナリスト  嘉野ミサワ

 次の日曜日にはフランスの国会議員の2度目の投票があって、これでフランスの政治の、新しい枠組みのひととおりができあがる。第1回の投票の結果ではマクロン大統領の率いる「発展する共和国のムーヴマン」への投票率は全く飛躍的で、数日後の第2次選挙によってこれが確認されるという事だろう。そうなると600席に近い国会議員の多くがマクロンの考える政治の改革などに賛成する事になって、彼の公約したような改革を実現する事は問題ないのだろう。そしてこれからもっともっと多岐にわたる改革、改善を探る時が来るのだ。適当数の反対派があってこそ、賛成と反対の議論を深めていき、良い事は全て実現、デリケートな難しい問題ならば時間をかけてやって行こうといういことにもなって、一層健全な議会政治というものになるという意見もあることだろう。この日曜日の第2回投票によって決まる国会議員数がどのように現実の政治に反映されていくか、ここでそれをじっくりと見る事ができるというのは、興味津々のわたしにとって、なんとありがたいことか。 日本から今回のフランス大統領の選挙に関するものを書いて欲しいと言われた時には、これは嬉しい、とすぐにOK。今でもまだ燃えているのだ。でもこの18日の日曜日に迫った、国会議員の第2回投票日が来なくては選挙の結果はわからないから、それではこの日曜日を待つ事にして、しばらく遅れてしまっていた、音楽の方のニュースの報告をしよう。
 フランスには幾多の素晴らしい作曲家が出ている。しかし、これをドイツなどの大物と比べた時、どうしても粒が小さく感じられるのだ。もちろん、ベートーヴェンほどの大物が世界の他の国にいるかといえばそうはいかない。でも、それにしても、ベートーベンに続く大物の音楽のクリエーターは次々と出ているのだ。ロシアにも確かに大物がいるけれど、それでは私たちの国、日本にそれだけの息をもった作曲家がいるかということになると、日本を長年離れているという私の特殊な環境と相まって、答える事ができない。それでも、フランスの国立放送局(当時は官立が一つあるだけだった)にいた時に、サルトルが、ボーボワール夫人とともに日本に行った事がある。日本のフランス文学族が 「スワッ!」となった時の事だ。フランス国立放送の文化番組が私を日本に送ったのはその時である。この時には私も「スワッ」と日本の文化面の取材をいっぱいお土産に戻ったものだ。ただ、フランス語で話せる人を中心にしなければならないという点で、十分に思うようではなかったのを覚えている。それらの録音が、その後しばらく、フランス国立放送局の文化番組に組み込まれて放送されたのも、今考えると懐かしい事だ。その後数年、ミッテランが大統領になった時に、自由放送が可能になって、私立の 放送はもちろん、私立のテレビも生まれたのである。昔の国立時代のテレビは確か1、2、3チャンネル、あったと思うが、私立テレビが生まれる時のやり取りを今でも覚えているが、ある金持ちが、チャンネルを自分のものとして買う事になった時に、第1を買うというのだ。すると国立のものは第2か第3になってしまうので、反対意見が多かった。しかし、そのしぶとい買い手は、第1というのは誰でも最初に出す番組だからこれがいい。第2、第3になったらテレビを探さなくなると言って、一番高い第1を強引に買ったのだ。それ以来、第1を見ていないが、スポーツなどは高い費用を払っていつもいいところを出しているそうだが、それを見る事もない。持っても今回の大統領選挙のような事でもなければ、私のテレビは3、4ヶ月も使えないでいたのだから、あんまり反応がない人種というわけだ。 

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アルザスの街ストラスブールのカテドラル
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ストラスブールのコンサート
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歌姫マリア・クレヴァッサ
   
 フランスの東、アルザス地方の大きな町、このストラスブールの市電が間もなく、国境を越えてドイツまで通うことになっている。わずか20キロ先が国境という事だから、今まで、フランスより職があって、給料もいいドイツに、フランスから通っている人々も多い事だろうが、この市電の延長で、よろこぶ人々の数もかなりなものだろう。第2時大戦の時代、ナチの時代の罪の償いを続けてきたドイツも、今はフランスとともにヨーロッパの中心の国、今回のマクロンのフランス大統領就任も、どんなにほっとしたことだろうか。
 今回、フランス国立のストラスブール・フィルハーモニーオーケストラが特別なプログラムを組んだことで、この地方の常連メロマーヌ(音楽ファン)はもちろん全員出席だったのだろうと思う。私たちのプレスの国際グループもアメリカやカナダまで、会員がそれぞれ居るのだけれど、パリ地区に定住するものの中から、15人ほどの旅になった。おそらくこの国立オーケストラの優れた活躍が今は地方自治体の誇りとしてより大きく認識してほしい、という事であろうか?ストラスブールの町の東にある大きな国際会議場の建物の中がこのオーケストラの空間である。そして以前使っていたリハーサルの部屋よりも広い空間に、演奏会場に最も近い環境の中で、演奏の練習をする事ができる空間も今回作られたという。これでは、演奏する側も張り切るのは当然、こうして、今回は、フランスの誇る大作曲家エクトール・ベルリオーズの「トロイの市民たち」が選ばれたのだ。これをオペラ形式ではなくて、コンサート形式でやるというから、ある歌い手の中にも素晴らしい声を持っていて、素晴らしい感性で歌うのに、オペラ、となると、演というものが邪魔をして、その人の実力が出ない場合もあるものだし、その反対もありうることだから。その意味ではもう一つ面白い企画だ。えんじ色に塗ってある演奏会場もなかなかいい音質だ。私が前から知っている日本人のヴァイオリニストのエチカさんは、もう20年のヴェテランだ。でもお子さんがまだ小さいからまだまだ活躍していくことだろう。そして、今は何と4、5人の日本人がこのオーケストラにいるのだという。しばらくぶりで会って、懐かしい思いをした。フランスのオーケストラで仕事をしている日本人もそろそろ定年の人が多い。ラジオ・フランスの第一ヴァイオリンだった破魔すみこさんもテレビ放送の中で、みんなから花束をもらって引退となった。昔、あの日本人指揮者が世界に羽ばたいた最初の一人であった、岩城宏之が、「ドイツのオケで、日本人奏者のいないところなんてないよ、モグリだよ」と豪語していたのを思い出す。あれからまた世界の舞台は変わった。中国の演奏家たちが活躍するヨーロッパのオーケストラだが、中国人の場合はらんらんのようなスターが多くてむしろソリストとしてオーケストラと一緒に演奏するような場合が多い。中国人が入り始めてきた頃、らんらんの演奏を私と一緒に聴いたフランスの同業者が、もう耐えられない、サーカスじゃないんだ、と出て行ったのを思い出す。この時はらんらんのお父さんがアンコールに応えて、中国の琴を演奏して、息子とその演奏のスピードを争ったのを思い出す。今ではこうしてらんらんは世界のピアニストになってしまったのだ。日本人と中国人の気性の違いといいうものをよく感じさせられるのは音楽の世界である。ストラスブールの国立オーケストラも、世界の様々な舞台で演奏する機会に恵まれていることだろう。じっくりと聴きに来る定期のメンバーを持っているということは実に重要なことだと思うが、日本などにも行っているのだろうか。練習風景も見せてもらいたかったが、それは無理だった。この日の演奏はオーケストラの方も、歌い手の方も難しいことが多かったのだろうけれど、聴衆である私たちにはわからない巧みな処理によって、何事もないように、綺麗に聞かせてくれた。こうして私たちは、フランスの、稀な、大型作曲家の作品に堪能することができたと言える。あの曲に対してはあれでもまだ舞台が狭いという感じが残ったところだ。2回のごく短いアントラクトを通して、全長5時間半、終わって、外に出たら、この町の市電も何も全てなくなっていた。タクシーが来ると、みんな必死でサインするけれど、誰のために来たとか言って載せてくれないから意味がない。とにかく町の外れだから、自分たちの車で行っていなければ、あとは歩くよりない。と、いうわけで、45分歩いて、2時過ぎ、駅前のホテルに戻った。

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セーヌ川の中之島で生まれ変わったのはルノー工場の跡地、新しい、コンサートホール。屋根の上には庭園が造られています。
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いたるところに白木の肌が見えます。
初コンサートではいろいろな楽器や人の声などあらゆる音楽の分野にホールがどう反応するかをみせてくれました。

 ところでもう一つ、音楽界の大きな話題がある。それは100年も前から、ルノーが車を作っていたパリを流れるセーヌ川の中の島、いわば中洲に当たるところのセガン(Seguin)なのだ。実を言うとパリの外になるのだが、パリのブーローニュの森にも近いセーヌ川の中のこの島は、小さいと言っても11万平米以上あって、ここであの、フランスの誇る自動車のルノーが生まれたのだった。近年になってルノー社が移転してからは、フランスの大富豪がここを現代美術館にするということでこれも私が大好きな日本の建築家、安堂氏が選ばれたのだったが、工場跡では長年に及ぶいろいろの薬品によって土が、深く深く汚染しているはずだから、これを完全に取り除かなければ何もできないということになり、フランス1とフランス2の大富豪が争ったところだ。現代美術館の計画を持っていた富豪は彼と公約をかわしていたここの町長に対して、約束違反だ、もうこれ以上は待てないと、しびれを切らして、ついに、ヴェニスのパラスを買って美術館にしてしまった。そして、ここは音楽の聖堂となったというわけである。セガン島一杯に新しく生まれたコンサートホールはあの東の町メッツに弟2のポンピドーセンターを作ったに日本人建築家、坂茂(ばんしげる)の作品で、メッツでは建物の屋根をシナのシャポーと呼んでいたものが、今度はホールの中から見る天井に日本古来のザルのような模様が並んでいる。そして、近年世界中に作る[るんるん]ホールの音響は、どこの国のものでもいいのは全て日本人の専門家がやっているそうだが、ここもきっとそうなのだろう。そしてここのホールにつけられた名前は、SEINE MUSICALEなのだ。このスペルをよく見てほしい。Seineは、パリを流れるセーヌ川のセーヌ、そしてフランス語では舞台という言葉が、Sceneなので、これをもじって使って、音楽の舞台という名前にしたわけなのだ。こけら落としには、小さいオーケストラや、歌い手が、それぞれの持つ音がどのように聞こえるかを知ってもらうための共演をした。音は十分にゆったりと広がりを見せてくれた。そして、この演奏が終わって出てきた途端に、現代の子供達を魅惑する猛烈な音量の演奏に取って代わられた。私にはそこにとどまることもできないほどのヴォリュームだった。そして、外に出ると、巨大な白木の板がこの建物の周りを囲んでいる。入った時には気づかなかったものだ。ロボットでも出てきそうな側面を持つこの音楽堂に、このような木材が、それも一見、何のトリートメントも施していないように見える白木の巨大なもの、板というより、大木から切り取ったように見えるものがこの建物を囲んでいるということが分かった時、私は、何か安らぎを見出したような気がした。ガラスや金属やプラスチックが割れここにありというような姿を見せている都会の建物に、このような白木のままに見える材料を見つけた時には、何と、自分自身までが土に返ったような気がするものだ。地球上の汚染とか、温暖化とか、遅まきながらも1秒でも早く何とかしなければ、どうなって行くかわからないところまで来ているというのに、アメリカの大統領は世界との約束を反故にして、条約を破棄してしまったという。地上の人間どもはこれ以上に罪を重ねてもいいといいうのか。恐ろしいことだ。
 ストラスブールのオーケストラが選んだ曲、トロイの市民は、当時のベルリオーズはどんな意図でこうもトロイのチミンたちの関心を持ち続けたのであろうお。彼の老年に入ってからもこの若い時の曲を十分に手を入れているのは何故か。私が一番最近観たベルリオーズの姿は、詩人のヴェルレーヌと その友、ランボーに囲まれた幸せそうな姿だったけれど、、、、                


気楽な稼業ときたもんだ №60 [雑木林の四季]

 異世界の二人の雄の秘蔵っ子・五木ひろし 1

         テレビ・プロデューサー  砂田 実

 当時キックボクシング界に君臨していた野口ジムのオーナー野口修氏は、作詞家の山口洋子さんと組んで、歌い手の発掘、養成も手がけていた。そして、それまで泣かず飛ばずでいた五木ひろしを売り出した、特異なプロダクションとして音楽業界の話題になっていた。野口氏と山口さんとは、僕が二度日の妻と離婚した頃、「さびしいだろう」と毎週のように遊びに誘ってくれた楽しい思い出もある。
 野口さんと山口さんは、僕に、一人のスターのデビューに立ち会うという、音楽プロデューサーにとっては、またとない幸運な出来事も作ってくれた。野口さんと山口さんに紹介された五木ひろしは、デビュー曲「よこはま・たそがれ」が、やっとヒットチャートにランクインしたての頃であった。
 五木ひろしについて、音楽ジャーナリストの湯浅明氏に取材を受け語ったことがある。湯浅氏は好意的に紹介してくれた。
 ◇歌謡曲◇
 歌は世につれ…といわれる。ヒット曲を大別すると、記録に残るものと、記憶に残るも
のがある。昭和の歌謡曲は記録と記憶の両者が一致するものが多い。また、一曲の大ヒッ
トを出せば一〇年間は食べられる、ともいわれた。それは、全国どこで歌ってもお客を呼
べるほど、歌が浸透していたということなのだ。
 そのヒット曲を出すため、一振りのスターへの仲間入りを果たすため、歌手とスタッフ
は日々、努力を重ねている。
 音楽プロデューサー砂田実氏は「自力を持った歌手でも、辛い人生ドラマを経験する人
が多い。世に出るためには『時が動くことが必要』です」という。天のとき、人の縁が重
なった場面が、いわゆる転機となる。砂田氏の思い出から、いまも鮮やかに思い出すとい
う、五木ひろしのデビュー当時のエピソードを教えてもらった。
 僕が語ったエピソードは二つ。その思い出は今でも僕の中で鮮明だ。
「よこはま・たそがれ」が大ヒットした翌昭和四七年(一九七二)、野口さんと山口さんから五木の初リサイタルの構成・演出を頼まれた。
 曲目の選択に入ると、マネジャーは、「五木には『よこはま・たそがれ』『長崎から船に乗って』『待っている女』くらいしかヒット曲がありません。それで一時間半も一人で歌うリサイタルができるんですか」と心配そうな顔をした。通常のヒット曲を並べるステージを想定したらしい。
 僕は、「だからおもしろいじゃないか」と胸を張った。
 じつは、その数日前に五木本人と会って、歌謡曲に対する知識の豊富さに舌を巻いたばかりだったのだ。これはおもしろいことができそうだ、という予感がした。僕は、五木を狭い意味での演歌歌手にしようと思わなかった。また、なんでもこなせる器用な歌手というようにも見せたくなかった。そこで、僕が「五木の歌唱で聴いてみたい曲」を選曲の基準と考えることにした。
 具体的に考えたのは、叙情歌としても通用する洗練されたスケール感を持つ曲。日本の歌謡曲の原点ともいえる「雪の渡り鳥」や「旅笠道中」という股旅もの。つづいて、じっくり歌わせてみたい「人生の並木路」や「船頭小唄」。それに、初リサイタルのための長尺のオリジナルである。これらをすべて歌いこなすには相当の実力が必要なのだが、あえてぶつけてみた。
 曲目を静かに聞いていた五木は、一言の異論もさしはさまず、「わかりました。頑張ってみます」とうなずいた。正直、多彩な歌の数々にビックリして声が出なかったのだと思った。だから、十日後の音合わせの日には、きっと泣き言を言うだろうからどう対処しようか、と密かに思案していた。
 ところが、心配は杞憂に終わった。五木はすべての曲をほぼマスターしてきたのだ。僕は「この男は大物になる」と確信した。
 音合わせを終え、調々と語り出した五木の話に心を打たれた。彼はデビューしたもののなかなか芽が出ず、名前を変えながら銀座や新宿のバーで弾き語りのアルバイトをしてした時代がある。店の客は、ありとあらゆる曲をリクエストしてくる。なかには意地悪く、「これは歌えないだろう」という曲をあえて選び、ジャズナンバーを要求したりする客もいたらしい。五木はリクエストに答えられないのが口惜しくて、必死になって曲の資料を探し、勉強してレパートリーを増やしていったという。
 この初リサイタルが成功したのはいうまでもない。
『気楽な稼業ときたもんだ』 無双舎


バルタンの呟き №15 [雑木林の四季]

「第三の人生」         

                映画監督  飯島敏宏
              
 不覚にも、数日続けた暴飲暴食が祟って、胃全摘出後の代替胃(空腸)と十二指腸との接合部が閉塞し、強度の便秘症状で一週間ほどの入院騒ぎになりました。癌胃の全摘出後15年、油断大敵というものです。二年前、同様の閉塞を起こした経験から、数日の便秘後訪れた腹痛に一晩中脂汗を流しながら耐えて、翌日この小規模な消化器外科病院に駆け込んだのは、深夜に救急車を呼んで無作為に運び込まれた病院で、いきなり当直医の手で開腹手術でもされたらひとたまりもないだろう、との自己判断からでした。
 一昨年、同様の症状に苦しんだ時に、ふと以前なにげなく聞いていた評判を思い出して、家人にこの病院に電話を掛けて貰ったところ、紹介ナシの初診で、しかも外来診療終了後の夜間にも拘らず受け付けてくれて、慎重な検査と診察の上になお僕の全摘手術の詳細を執拗なほど質した上で、開腹などの外科的手術でなく、内科的治療で対応してくれたこの病院への信頼からでした。今回も、前回入院のデータからの判断と詳細な検査の結果、一週間の断食と、消炎剤と栄養、水分補給の点滴で便通を待つ、という治療計画を告げられての入院でしたが、幸いにも前回と同様な経過を経て、臓器の癒着、がんの転移、新がんの発生もなく、一週間で退院することが出来た次第です。もっとも、今回は、退院に際して、院長先生から、「なにぶん、ご高齢なのですから、繰り返しては危険ですよ・・・」と、厳重注意を申し渡されての退院でしたが・・・
 一日中点滴に繋がれた状態で、しかも、「あなたが眠れば、腸も眠ってしまうのです」、「高年の患者は、眠ってばかりいると、必ずボケます」、「一日中横になっていては、歩けなくなりますよ」等々、医師、看護師総員の注意忠告に追われて、院内の廊下歩き、階段上り下りを終えて部屋に戻り、持ち込んだ本を広げていると、「読書も結構ですが、長時間の前かがみの姿勢は、胃腸の活動を妨げます」とのご託宣に責め立てられて、結局、暇さえあればベッドを出て、窓外を眺めて、ひたすら便意の顕現を俟つという日々を送らされたのです。
 街道に面した街なかの道路沿いの病院の3階でしたから、病室の窓からの眺めは、古びた戸建て住宅越しに、ぽつぽつと立つ高層のマンションと、低層のコンクリート建て団地、アパート群の向こうに、丹沢、高尾などの山並みが遠く望める程度の、典型的な郊外の街の景観です。通りを隔てた正面には、三階建の大きなコンクリートビルがあるのですが、ビルの半分が、電気器具の安売りチェーン店、半分が大型スーパーという立地で、平凡極まりないものだったのです。
 入院一日目には、絶食、炎症を鎮める抗生物質と、水分、栄養補給の点滴治療で、詰まっている内容物の自力溶融を待つ療法ですから、さほどの痛みがあるわけではありませんでしたので、一週間から十日程度と言われたこの入院生活はさぞや退屈だろうと思い、明日また来るから何か必要なものがあれば、と言って帰るカミさんに、読み物などの持ち込みを頼んだのですが、二日目、三日目になって、ふと、意外なことに、退屈どころか、この窓辺からの眺めを、楽しんでいる自分に気が付いたのです。
 街道越しに見える建物の一階真正面が、電気量販店と、大型スーパーの入り口です。ぐんと日が伸びた近頃ですから、早朝に窓外が明るみ始めると、眼が開きます。起き上がってシャッターを開いて外を窺がうと、5時前だというのに早くも、新聞配達のバイクが二台、S字に交錯しながら各家の戸口を走り回っています。そこへ、何の用事で、何処から現れて何処へ行くのか解らないのですが、荷台に膨らんだ布袋を載せた自転車にへばりつくように跨ってのろのろと漕いで行く老人を皮切りに、早くも現れたのが、犬を繋いで並走する中年男性です。出勤前に愛犬の生理的欲求を満たしてやるのでしょうか。次に、部活動の朝練へでも行くのか、立ち漕ぎで自転車を飛ばしてゆく中学生、そして、間もなく、乗車駅に自転車を置いてという通勤スタイルらしき、若い男たち女たちの流れを追うように、街道に自動車が流れ始めるのです。
 この街の自転車の流れは、大手不動産会社が開発した丘陵地の戸建住宅団地のわが街では見られない、平坦な街地ならではの光景です。漫然と眺めているうちに、ひと昔前に比べると、圧倒的に軽自動車が多くなったと気が付き、次にハイブリッド車の普及率の高さに驚き、未だにガソリン車を運転する自分を、時代遅れの温暖化対策怠慢者ではないかと自省し、しかし、すでに後期高齢者として、事故への惧れから運転免許返上を息子から迫られていることに思いを馳せ、やがて姿を見せ始めた、登校する小学生たちの群れを縫うように自転車を走らせる男女中高校生の、みずみずしく圧倒的な発育を誇る見事な四肢と、躍動する身のこなしには、羨望と、嫉妬の入り混じった感情を掻き立てられ、保育園へ急ぐのでしょうか、一台の自転車の前後の荷台と座席に幼い子供とやや肥満した子供を載せて軽々と自転車を漕いで行く小柄な主婦をあっぱれと讃えながら見送り・・・と、退屈するどころではなくなってしまったのです。
 扇状に広がった丘陵を大規模開発して生まれた、坂の多いわが街と比べて、田野の広がる平坦な地形のこの辺りは、自転車の通行が主流と言って差し支えないような光景が続くのです。やがて、開店時間間際になると、老人たちが現れるのですが、やはりここでは自転車が、高齢者の交通手段の主流を占めているようです。乳母車のような車輪付きキャリーバックを押してくる老人もいれば、颯爽と、ダンディズムまる出しのファッションで自転車に跨ってくる団塊世代の老人もいるし、それに混じって、補助エンジン付きの自転車を操ってくる高齢のおじいさんおばあさん。中には、ほとんど漸く杖なしで歩けるほどの老人が、店からよろめき出てきたのが、なんと補助動力なしの普通の自転車に跨ると、まるで人が代わったように、重い荷物を荷台に載せて、ふらつきもせずに走り去っていきます。

 人生の定点観測、とでも言ったらいいのでしょうか、色々な光景の背後に、高齢者の独り暮らしの問題や、老老介護の問題や、老後貧困の問題やらを感じたりもしました。なかでも、もっとも興味を引いたのが、折から高額賞金のかかった宝くじ売り場の繁盛ぶりでした。現役世代の男性よりも、うら若い主婦や、高齢老人の姿が多く見られたのが、意外でした。杖にすがって漸く歩く超高齢に見える老婆が、窓口にすがりつくようにして、籤を買い求める姿には、当り籤が判れば渡してあげて呉れよ、と売り子のおばさんに声を掛けたくなる心境になりました・・・
 退院の日、病院から一歩街に踏み出して、洋服店のガラスに映る、文字通り骨と皮、俗にいう骨皮筋衛門となってだぶつくズボンと上衣に包まれた姿と、脚腰の衰えに改めて驚きながら、ふとあの病室の窓からの眺めを思い出して、僕と入れ変わった誰かが、あそこから僕を眺めたら、どんな感興を抱くのだろうか、と想ったものです・・・
 定年後久しく、いわゆる第二の人生を過ごしてきたいま、ぼくは今日からの日々を、第三の人生と位置づけて、新しい道を歩き出してみよう、と決めたのです。
 あれから、今日で、何日になったのでしょう・・・第三の人生ははたしてどんな人生にしたらいいのか・・・いまだに、決めかねているのです


ZAEMON 時空の旅人 №16 [雑木林の四季]

「ZAEMON・時空の旅人」          

                                                 文筆家  千束北男

       第十一章  悪魔領域が造る最終兵器ホーリー・クレイル
        
イソハタ副司令とエノキド君が、地底基地を案内してくれるということで軍団司令室を出ると、そこには、二三百人の集会が出来るほどの、かなりの面積の広場があり、そこから八方に枝分かれして放射状に広がって行く、洞窟の回廊の一つに入って行きました。察すると、地底基地全体は、当初僕が想像したよりもかなり広く、複雑な構図で作られているようです。
「でも、ふしぎなことに・・」
並んで歩くエノキド君が、イソハタ君の説明に補足します。
「宰相政権でなく、我々の意志でカオリという女王を選んで動き出してみると、カオリ女王を中心に、いままで、てんてんばらばらだった集団が、自然に、まとまる気持ちになったというか、団結心が沸いてきたというか、なにか希望が見えてきた気もするんだ。なあ、そう思わないか、イソハタ副司令」
「うむ・・・たしかに」
イソハタ副司令も否定はしません。
「カリスマ性というのか、あの女性には、もともとそういうものがあったのか、いつのまにか自然に人を惹きつけて、信奉者にしてしまう」
エノキド君は、もともと楽観的で、物事をすべていい方に考えるタイプでもあるのです。
そして、なにかと気配りもしてくれるのは、学校時代と変わりません。
僕の極端な空腹を見てとり、ありがたいことに、まず、基地の食堂に案内してくれたのです。ところが・・・
山本久美子先生! ここで出された食事について書き連ねたら、百ページを費やしても足りません。先生が教室で話してくれたことのある、西暦1945年、第二次世界大戦で日本が敗れたころの、絶望的に貧しかったという食事ですら、ここでは、垂涎ものだったのです。
もちろん、ストリクト星16人の眼が光っている地上に食材を求めることは、危険すぎて叶えられません。出されたものは、味、食感などを無視した物理的な栄養補給、と決意さえすれば、なんとか口に入れることが出来るものばかり、とだけ書いておくことにしますが、一つふたつ例を挙げれば、あとは類推していただけると思います。食材は、モグラです。ミミズです。さらにつけ加えるとゴキブリです。地下で調達できる重要な蛋白源として、それらを加工したものが出されました。それに、ビタミン摂取のための、少量の菌類、キノコ類がそえられていました。
もちろん、僕は迷わず、それらを口に運びました。生き延びるために、です。
対照的に、食後に用意されたあたたかいお茶は、いかにも消化作用のありそうな、美味しいものでした。これも地下の菌類から醸し出したのだそうです。
「すべては、西暦2020年の東京オリンピックからはじまったのだ・・・」
食事する僕に付き合ってお茶を飲みながら、副司令のイソハタ君は、西暦2030年の日本の現状を、以下のように要約してくれました。
「世界の歴史をみると、オリンピック待機大会と戦争はつきものである。オリンピック大会の後には、かならず戦争がはじまる。西暦2020年の東京オリンピック・パラリンピック以降も、世界各地で戦争が起こり、枯れ野に燃え広がる火のように世界中がたちどころに収拾のつかない混乱に陥ってしまった。すでに世界総人口が百億を突破していて、人口爆発と貧困に苦しんできた途上国の混乱に拍車がかかって、食料の生産が追い付かなくなった。   それに加えて、さらに、先進国も含めて、各国間の成長経済競争が過熱して、コントロールが利かなくなり、グローバル経済が破綻・・領土、物資、食料、経済、宗教に起因する世界各地に蔓延する戦争やゲリラは、世界大戦という規模を超えた地球大戦争に拡大、核兵器、原子力発電所テロ攻撃など、核の使用による放射性物質の拡散等々、地球人類の生存環境バイオスフェアは完全に破壊されてしまった・・その上、戦争が激化するのと申し合わせたかのように、新しい伝染性ウイルスに起因する疫病が蔓延して、とりかえしのつかないパンデミックをおこしてしまった・・・」
食事を終えて、ふたたび歩きはじめても、イソハタ副司令は、絶え間なく語り続けました。
「人類は、たとえ西暦2025年に宇宙十字軍を称えるストリクト星人の来寇がなかったとしても、いずれ、自ら消滅するほかなかったかもしれない・・」
回廊にひびく三人の足音が、イソハタ副司令の昂揚とともに、早まり、高まってゆきます。
「もちろん、日本も、例外ではいられなかった。政治的経済的混乱に収拾のつかなくなった日本の人間たちは、迷走し続ける政府を見限り、ひたすら救世主を待ち受けていた・・救世主は現れないものか・・誰か強力な、この国を救う指導者が生まれないものか・・とね」
イソハタ副司令の口調には、口惜しさが溢れていました。
「西暦2025年の日本は、そんな情勢だったのだ。そこへ、宇宙十字軍がやってきた!」
「救世主どころか、人間社会の終焉を宣告する相手がやってきてしまったというわけだ。ひとたまりも無かったのだよハヤト、宰相の誇っていた精鋭部隊も最新兵器も、彼ら十字軍の前に。各国との軍事同盟も、連絡網を断たれて、何の役にも立たなかった」
イソハタ副司令の口から宇宙十字軍ということばが吐き出されると、さすがのエノキド君も、楽観的な補足を加えることができずに、自嘲の笑いをもらすほかありません。
地底基地内を歩きながら、ピルグリム三世から、西暦2030年の現実に飛び込んできた僕が体現していない時元の西暦2030年の驚くべき日本の現実についての知識が白紙に滴り落ちたインクのように、すみやかに僕の中に浸透してゆくのでした。
その時です。エノキド君が、意外な問題を提起します。
「かれらは、宇宙十字軍と称しているけれども、宇宙十字軍に、すべての宇宙人が参加しているのかといえば、けっしてそうじゃない。いまここでリーダーシップを握っているのは、ストリクト星人だが、まだ、十字軍に加わっていない強力な宇宙人がいる」
「例えば、バルタン星人だ」
イソハタ副司令が割って入ります。
「バルタン星人だって?」
どきん、としました。ピピン、パパンのことが想起されたからです。
ピルグリム三世から、カオリ先輩が出発すると同時に姿を消したピピン、パパンは、僕の想像では、ここ、西暦2030年のリアルに向かったはずです。
「そうだ。ハヤトだって、バルタン星人が、実在する宇宙人だということは知っているだろう」
イソハタ副司令たちの言葉の様子だと、バルタン星人は、此処の世界を脅かすものとして実在するように感じられます。それで僕は、ここはひとまず、ピピン、パパンの存在を明かさずに、イソハタ副指令の話すことを黙って聞いた方が賢明じゃないか。そう思ったのです。
「うん、まあね・・」
「西暦2020年に地球にやってきて、人類との共存を求めて排撃されたバルタン星人が、宇宙十字軍に加わっていないのは、なぜだと思う」
「・・・・」
「われわれの住む地球に、大いに興味を抱いている筈のバルタン星人が、西暦2025年以来の宇宙十字軍の地球侵攻に参加していないのは、なぜか」
「・・・・」
「むしろ、宇宙十字軍のイニシャティブをとっていてもおかしくないほど、地球には因縁の深い宇宙人なのに、なぜ手をこまねいて傍観しているのか。不気味じゃないか、なあ、ハヤト」
学友だった彼らとの友情を裏切るようで心苦しかったのですが、ピピン、パパンの存在を、ぼくは、終いまでけっして明かしませんでした。僕の思いと同じく、勾玉ペンダントからも、ここで彼らにピピン、パパンの存在を知らせてはならないという警告の気配を送ってきていたからです。
「真の相手は、いまだに表舞台に登場してこないバルタン星人・・・そう、僕はにらんでいる・・」
イソハタ副司令は、確信的にそう言って話を結びました。
僕たちが歩き続ける地底基地の隧道は、ちょうどメロンの表面にある網目のように、多方向に枝道が広がっていて、その交差する角々に広いスペースがあるのですが、それは、この地底基地が、全国各地の原子力発電所から次々に運び込まれるプルトニウムその他を含む使用済み核燃料などの放射性有害廃棄物の最終処理までの置き場として構築された広大な地底倉庫だったからなのです。
「ふふふふ、皮肉なことに、人間にとって危険極まりないものが、人間を守ってくれているという矛盾だよ。この地底基地は、さすがのストリクト星人も迂闊に手が出せないほどの被曝危険地帯だからね、難攻不落、というわけだ・・・」
隧道を相当奥まで進んだところで、イソハタ副司令が立ちどまりました。
通路の脇にある人物認識装置に、めいめいが掌をかざします。すると、突き当りのドアが開きます。僕たち三人が入ると直ちに閉まって、さらに次のドアと認識装置です。
そんな感じで、幾重にも重なるチェックと、厚い扉で厳重に隔離された最奥の洞窟が、最終処理を待つ放射性物質の格納庫だったのです。
最後の扉の前に、火災、地震、爆発、などから生じる物理的なリスク、強酸、強アルカリ、経年変化などの化学リスクに耐えうる特殊合金で出来ているものと、堅牢なセラミックで作られたものとの、二種のモニュメントが立てられています。
そこには、あらゆる言語。文字。音符。記号。絵。数式。化学記号。DVD。HD。音楽。音声。音響。映像。などなど。危険物がという表現が・・考えうるすべての方法で示されているのです。
「なにしろ最短で二万年、学者によってはその十倍といわれる期間、危険物であり続けるわけだからね。相手は、もちろん人間ではありえないかもしれないし、あるいは非常に知的水準のひくい生物であるかもしれないのだから・・人間が考えて、これだけいろいろなジャンルの表示をならべても、はたして意味が通じるかどうかだ」
西暦2030年現在でさえ全面ヘルメットなしでは生活できない地球上で、二万年後に果たしてどんな生物が生き残っているというのでしょう。
「さすがのストリクト星人も、安易にこの地底基地に手を出すことが出来ないのは、ここにある何びとにも始末のできない、危険極まる核廃棄物のおかげなのさ」
地底基地の案内はそこまで、と、僕は思っていました。
ところが、この先に、さらに恐るべき秘密が存在していたのです。
少し前から、通りかかる辻々で、僕たち三人の周囲に、どこからともなく、衛兵と思われる武器を携えた兵士が現れては、通り過ぎるわれわれを注意深く見送っていることに気がついていました。
一体この先に何があるのだろう。この厳重な警戒ぶりは、核廃棄物の保管場所よりも、はるかに緊迫した感じじゃないか。核より、重大な存在とは、何なのだろうか・・・
考えながら歩を進めるうちに、
「ああっ・・・」
突然、思わず目を射るような強烈な光線が襲いかかってきました。
さすがに僕も、かっと、血が頭に逆流しかかったのですが、瞬間的な照射が終わるとまさに間髪をおかずに、頭上から、穏やかな女性のアルトが、聞こえてきたのです。
「失礼いたしました。イソハタ副司令、エノキド特務隊員、そしてゲスト、ミズシマ・ハヤトさん。たしかに認証させていただきました。お通り下さい」
すると、目の前にあった重厚な鉄扉が音もなく開いて、素朴なスーツの平服を着た女性と、数名の衛士と思しき屈強な男たちが出迎えて、僕たち三人を取り囲むようにして内部に案内します。
大型航空機の格納庫ほども高さ広さのあるスペースに、それ、はありました。
「ホーリー・クレイル」
スーツ姿の女性の声でしょうか、さっきの声と同じやわらかなトーンです。
と同時に、ホーリー・クレイルのテーマなのでしょうか、ヘルメット内に、重厚で勇壮な音楽が流れます。僕には、それはただ重苦しい、うめきのように聞こえました。
見上げても見上げても、頭部まではかなり顔を振り上げなければならない距離があるほど巨大な兵器、としか書けません。その恐ろしい外観は、兵器というよりも、巨大な殺戮マシーンとでも表現するのがもっとも適切だろうと思われる、おそろしい印象を僕に与えました。
「生き残った人類が、科学の粋を結集して建造している最強最終の兵器です。グレンデルを打倒し、ストリクト星人はじめ宇宙十字軍を皆殺しにするための、究極の核兵器です。」
スーツ姿の女性兵士が、無感情に淡々と、そんな恐ろしい言葉で説明しはじめたのです。
そしてつぎには、意外なことに、トップシークレットのはずの巨大兵器の内部に私たちを案内して、これが宇宙十字軍を殲滅する、と明言する最終兵器「ホーリー・クレイル」のすべてを、くまなく、どんな求めにも応じて、女性兵士の詳細な説明を加えて見せてくれたのです。僕がどこに入り込み、何を見ても、なぜか咎められることはありませんでした。
「この兵器が使用されるとき、われわれ人類は、かならずストリクト星人を殲滅して、宇宙十字軍の支配から解放され、地上には待ちに待った平和が訪れます。そして、その完成は、間近なのです・・・」
素朴なスーツ姿の女性兵士の説明は、最後のフレーズにやや感情をこめて、盛り上がる音楽とともに、こう結ばれました。
そうなのです、山本久美子先生!
「ホーリー・クレイル」の形や性能に関しての、僕のここまでの奥歯にものの挟まったような抽象的な描写から、賢明なあなたがすでに推察されている通りだったのです。
見学が終わり、鉄扉が閉められると、どういうことか、同時に、ここの内部で見たものすべての記憶が、瞬時に消去されてしまったのです。僕の脳内に残されたのは、以上の事柄の他には、おぞましく、おそろしい、戦慄だけでした。
「やっぱりそうでしたね・・ふふ」
と、お笑いになる、推理好きの先生の顔が浮かびます。
でも先生、「ホーリー・クレイル」は、ほんの数語で説明できる兵器です。
「操縦者の頭脳が思うままに遠隔操作のきくロボット核兵器」なのです。
ストリクト星人を殲滅する人知をあつめた最終兵器として建造されていた、人間の悪魔領域が作り出す大量殺傷兵器だったのです。
                       つづく


BS-TBS番組情報 №141 [雑木林の四季]

BS-TBS 2017年7月のおすすめ番組

                 BS-TBS広報宣伝部 

五木ひろしが選び歌う 歌こそ我が命!船村徹物語

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2017年7月8日(土)よる6:30~8:54

☆五木ひろしが、船村徹の「歌と人生」に迫る!

メインナビゲーター:五木ひろし

アシスタント:堀井美香(TBSアナウンサー)

ゲスト:鳥羽一郎、島津亜矢、静太郎、走裕介、村木弾

「涙」や「故郷」「別離」を歌に込め、哀愁あふれるメロディーで、大衆の心をつかんできた、作曲家・船村徹。

「別れの一本杉」春日八郎「王将」村田英雄「みだれ髪」「哀愁波止場」美空ひばり「風雪ながれ旅」北島三郎「東京だョおっ母さん」島倉千代子「矢切の渡し」ちあきなおみなど不朽の名曲をはじめ、5000曲以上を手掛けた、まさに、戦後の歌謡界に大きな足跡を残した作曲家が、今年2月、他界した。

そんな、船村徹を敬愛してやまない、五木ひろし。

「五木ひろしとして、ここまで来られたのは、先生のおかげ、恩人でした。」としのび、「船村メロディーを永遠に伝えていきたい。」と話す。この番組では、五木ひろしが、船村徹の名曲の数々をカウントダウン形式で歌い、さらに船村徹への思いを存分に語る!

「五木ひろしが選び歌う 船村徹名曲ベスト10」を軸に、「五木ひろしが語る船村徹」、「縁のあるゲストによる持ち歌&カバー歌唱+トーク」「懐かしの貴重映像」などを織り交ぜ、作曲家・船村徹の「歌と人生」に迫る!


昭和銀幕スター伝説

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2017年7月16日(日)よる7:00~8:54

☆お宝映像で綴る!映画スターたちがいま語る珠玉のエピソード。高倉健さんの想い出も。

司会:三宅裕司 

ゲスト:梅宮辰夫、千葉真一、三田佳子

「銀幕」。映画がまだそう呼ばれ、活気に満ち溢れていた昭和のあの頃。スクリーンには、綺羅星のごとく、たくさんのスターたちが輝いていた。今回は登場するのは、梅宮辰夫、千葉真一、三田佳子、3人の銀幕スター。「不良番長」シリーズをはじめ大衆娯楽映画一筋の梅宮辰夫さん。アクション映画の第一人者にして時代劇にも数多く出演、海外にもその名を響かせる千葉真一さん。数々の受賞歴を持つ日本を代表する名女優・三田佳子さん。梅宮さんは東映ニューフェイスの5期生、千葉さんはその翌年の6期生、三田さんは第二東映の看板女優だった。映画全盛期の時代に映画の世界で青春を過ごした3人がいま集い、当時の貴重な映像を見ながら、思い出話に花を咲かせる。そこには、50年を経て明かされる、涙あり、笑いありの貴重なエピソードの数々が!3人にとっては東映の先輩、故・高倉健さんの想い出も語られる。映画名シーンの数々や、当時の芸能ニュース映像も続々と登場。進行役は三宅裕司。

▽3人の映画共演は1作品のみ?!55年前の貴重な1シーンをオンエア。

▽あの「柳生一族の陰謀」は千葉真一の企画だった?!

▽三田佳子のファーストキスのお相手は?高倉健との幻のキスシーンとは?

▽梅宮辰夫が語る「仁義なき戦い」撮影の裏側

▽三田佳子の家を建てたのは映画スタッフだった?!

▽梅宮辰夫、驚きの豪遊&超モテモテエピソード。千葉真一が梅宮の口説き方を暴露!

▽当時37歳の高倉健さん、貴重な映画撮影風景の映像もオンエア。

▽三田佳子、高倉健さんと23年ぶりの再会秘話…忘れられない想い出の写真を公開。

▽映画会社からクビ宣告!千葉真一を救ったのは…!?

▽梅宮辰夫、帽子に秘められた盟友・松方弘樹との想い出。


2018世界バレー 男子アジア最終予選

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7月12日(水)よる7:00~8:54 「日本×チャイニーズタイペイ」

7月13日(木)よる10:00~11:54 「日本×ニュージーランド」

7月14日(金)夕方5:00~6:54 「日本×タイ」

7月15日(土)よる6:30~8:54 「日本×オーストラリア」 ※生中継 最大延長9:54まで

7月16日(日)よる11:30~11:54 「大会ダイジェスト」


BS-TBSは2020年に向け、「男子バレーボール ワールド リーグ2017」に続き、「2018世界バレー 男子アジア最終予選」を放送!

4年に一度開催される、バレー界で最も権威と伝統のある大会「バレーボール世界選手権」、通称「世界バレー」。男女ともオリンピックの中間年の4年毎に開催され、次回大会は来年、2018年秋、男子はイタリア&ブルガリア(共催)、女子は日本で開催される。女子チームは開催国として出場権を得ているが、全日本男子はその最後の切符を懸け、7月12日からオーストラリア・キャンベラで行われるアジア最終予選に挑む!

五輪には行けなかった全日本男子チームだが、石川祐希や柳田将洋といった新世代の台頭が今後の飛躍を大いに感じさせた。石川は、昨年末から世界最高峰のイタリアリーグに2度目の武者修行に向かった。柳田も来季からプロ転向し、海外に挑戦することを明らかにした。若き2人のエースが、固く閉ざされていた世界への扉をこじ開けてくれるはずだ。

7月12日から始まる「2018世界バレー 男子アジア最終予選」は、BS-TBSで独占中継!

全日本男子の熱き戦いを見逃すな!



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