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私の中の一期一会 №160 [雑木林の四季]

        平昌五輪・銅メダルの高梨沙羅、「最後は自分を信じて飛べました」
 ~氷点下10度超の寒過ぎる平昌五輪、強風に競技中断や中止が続出。
                                 選手からブーイングも~

                    アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 スキージャンプ・女子ノーマルヒル決勝で3位となり銅メダルを獲得した高梨沙羅(21)が、2度目の五輪挑戦で念願のメダリストになれたのは良かった。
 この夜の高梨は1回目103.5メートルのジャンプで120.3点、2回目も103.5メートルを飛んで123.5点を加え、合計243.8点をマークしてメダルへの期待を残した。
 特に2回目のジャンプは自分でも会心だったらしく、着地した直後小さくガッツポーズをとり、涙ぐんだように見えたのが印象的に残っている。
 翌日の記者会見で高梨沙羅が発した第一声は「目標とした金メダルには届きませんでしたが、今はホッとした気持ちと悔しい気持ちが半々です」というものであった。
 一緒に飛んだチームメイトの伊藤有希(23)は「沙羅ちゃんは、この4年間ずっと苦しんできたと思うのでメダルが取れてホントに良かった」と涙ながらに語っていた。
 「悔しい気持ちをバネに練習に励んできたが、最後の本番で自分が納得のいくジャンプができた。自分を信じて飛べた。楽しんで飛べたのが一番の収穫でした」と述べる高梨沙羅の表情は晴れやかに見えた。
 女子ジャンプをテレビで生中継したのはNHK総合だが、この中継の瞬間高視聴率は関東地区が28.5%、関西地区は29.7%だったことが分かった。
 高梨沙羅は頑張ったが、力の差は歴然だったのではないか?ノルウエーのマーレン・ルンビ(23)が2回目に110メートルの大ジャンプを披露して金メダルに輝いた。
 高梨沙羅の銅メダルが確定した時、時計の針は23時47分を指していたが、瞬間最大視聴率28.5%はこの時間に記録されていたのである。
 沙羅が2回目を飛んだ時間帯(よる11時20分以降)でも、平均視聴率が24.8%(関西25.2%)を記録していたのはちょっとした驚きである。
 沙羅の地元、札幌地区での平均視聴率が26.0%を記録したのは当然としても、軒並み高い視聴率を記録していたことになる。
 4年前のソチ五輪の瞬間最高視聴率が12.6%(関西14.3%)だったことを考えると、「高梨沙羅にメダルを」という日本中の思い入れが如何に高かったかが分かるのである。
 因みに、高梨は試合後の午前0時4分にインタビューを2分ほど受けているが、深夜にも関わらず18%台の視聴率だった。“日本列島は深夜まで喚起に包まれた”とスポーツ報知も書いている。
 2月16日号の週刊朝日にプロゴルファーの丸山茂樹が高梨沙羅について書いているのを読んで、「いいこと言うなあ、その通りだよ」と私は思った。
 マルちゃんは、今シーズンW杯10戦で1勝も出来ず、不調のまま平昌を迎えた高梨沙羅のメンタル面をずっと気に掛けていたようだ。
 “沙羅ちゃんは大丈夫か?”なんて声も聞かれるが、「そんなのホントに気にすることないですよ」と言いながら「金メダルを取らなきゃいけないなんて、周りが言っているだけですからね。あまり周りが言うから本人もそんなふうにコメントするしかなくなってしまう。自分の力で掴んだ晴れ舞台なのだから、楽しく飛んでもらえたらそれでいいと僕は思う」というのだ。
 1月に他界した星野仙一さんも言っていたではないか。「差を埋めるのは技術や戦術ではない。気持なんだ」と・・・
 のしかかるプレッシャーを跳ね除けるのは至難のことだが、「自分を信じて、楽しんで飛べた」という沙羅ちゃんはメンタル面で一皮むけたと言ってもいいのかも知れない。
 プロゴルフのアメリカツアーで3勝を挙げた丸山茂樹でさえ日本メデイァの過剰な取材攻勢には辟易した経験があったのだろう。
 メディアには“才能を発掘する”プラス面と“才能を潰してしまう”マイナス面があることを知っておくことが大切なのではないだろうか。
 平昌は風が強い地域で、五輪開催前から強風の影響が心配されていたという。冬季五輪だから寒いのは当然だとしても、度を越して“寒過ぎろ”のは、やはり問題になると思う。
 極寒と強烈な突風の犠牲(?)になったのが、大会2日目の男子ノーマルヒルジャンプだろう。
ただでさえ気温が低下する21時35分の競技開始だったため、気温は氷点下10度を下回っていた。
この極寒に強風が加わって、あまりにも厳しいコンディションだったとスポーツ紙も書いていた。
 選手ばかりでなく観衆までもが体感温度マイナス20度の過酷な寒さに襲われていたのだ。
競技終了は、予定の23時20分から大幅に遅れ、日付けが変った午前0時19分になっていた。
 出場して21位に終わった葛西紀明は「信じられないくらい寒かった。風の音がすごい。こんなのW杯なら中止でしょう。気持ちがひるんじゃうくらいだった」と苦笑交じりにボヤくしかなかったのだ。
 今季W杯で総合1位のストフ(ポーランド)、同じく2位のフライタク(ドイツ)でさえ表彰台に上れなかったのだのだから・・・
 12日に強行されたスノーボード女子スロープスタイル(SS)の決勝では、前日の予選が中止だったため、出場登録した26人の全員が出場して、ほぼ全員が転倒する大荒れの展開になった。
 大怪我をした選手はいなかったが、優勝したジェイミー・アンダーソン(米)も転倒した一人だ。
 15位に終わったアンナ・ガッサー(オーストリア)などは「フェアな競技だったとは思えない。強行した主催者に失望している」とハッキリ不満を口にしている。
 韓国政府や組織委員会の運営能力に批判の声も出ているそうで、「史上最悪の五輪」というレッテルを貼られるかも知れない状況になっている。
 平昌のジャンプ会場周辺には風力発電の巨大施設があるくらいだから、もともと風の強い場所なのだ。
 そんな環境は競技に適さなのに・・と今更ボヤイでも手遅れというもの。
 スケートやジャンプの競技開始がよる9時半というのも「何でそんなに遅くするの?」という疑問が湧くが、五輪の放映権を持つアメリカのテレビ局、NBCの意向に逆らえないからだそうで、諸悪の根源はIOCにあるという評論家までいる。
 とにかく“開催ありき”が優先され、“アスリート”も“観客”もナイガシロにされているのが現状のようである。
 IOCは、利益のために最大スポンサーNBCの意向に逆らえない。テレビ放映権のために平昌五輪を強行しているという説が囁かれているのだ。
 全放映権料の半分近くをNBCテレビが支払うそうで、テレビ事情が優先されるのである。
 厄介なことにテレビ事情優先問題は、平昌五輪に限ったことではないのだ。
 IOCが変わらない限り、2年後の東京オリンピック(7月24日~8月9日)も、アメリカのプライムタイムに合わせて競技スケジュールが組まれるのは間違いない。
 平昌五輪は、20年東京五輪はにとって対岸の火事ではないのである。
 テレビ局の意向は開催時期をも左右している。秋はアメリカでNFL,NBAなど人気スポーツが開幕するシーズン、オリンピックは真夏の開催が望ましいというのがアメリカのテレビ事情である。
 近年、東京の真夏は、猛暑を通り越した酷暑だと言っても過言ではない。
 組織委員会の公式発表は、“大会期間中の最高気温は34度に達する”というものだが、よくもそんないい加減なことを言えたものだと呆れてしまう。
 毎年37度、38度になる日が何日もあるではないか。夜間だって30度以上の寝苦しさに体調管理だって容易じゃないというのに・・
 今の予定で五輪が開幕したら、競技によっては猛暑、酷暑の中でプレーを強いられることになるだろう。
 アスリートは勿論、大会ボランティアや観客までが熱中症で、バタバタ倒れるかも知れないのだ。
 平昌五輪の度を越した寒さは、“アスリートのパフォーマンスを低下させる”ことを教えてくれた。
 夏季東京五輪の過酷な暑さがアスリートのパフォーマンス低下に影響しない筈はないのだ。
 酷暑の中でのプレーには命の危険だって生じてくる。
 そんな五輪には、出場しないほうがいいという海外のアスリートが増えるかも知れないと私は危惧する。
放射能の問題も残る上に、健康上も危険が予想される東京には“参加しない”という国が出てきても不思議ではないだろう。
 酷暑の東京五輪も平昌同様の混乱が、あちこちで起こる可能性を否定できない。
 日本の組織委員会は、今の開催時期で五輪を強行するのは無謀だと知るべきなのだ。
 無責任と言われても返す言葉が思い浮かばないではないか。NBCの意向には背くだろうが、せめて9月~10月への開催時期変更をIOCに申請すべきだと私は思うがどうだろう。
 IOCが認めないなら、潔く五輪を返上した方がサッパリすると思うのだが・・ 


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浜田山通信 №211 [雑木林の四季]

ピョンチャンオリンピック開会式

                   ジャーナリスト  野村勝美

 はっきり言って私はオリンピックが嫌いだ。2年後の東京五輪などいまでも中止にならないかなと思ったりする。何が嫌だといって日の丸が何本上がった、君が代が何回演奏されたなんてことでテレビが喜んだり、悲しんだりするのがおもしろくない。ただ何気なくTVをみたら開会式の中継があり、これには感動した。夜になっての開会式、しかもマイナス14度とか日本では考えられない酷寒で、会場は吹きさらしだったが、すべてのイベントがすばらしかった。IT技術というのか、光と音を巧みに使った演出、選手団の入場行進、点灯式、なるほどオリンピックは平和とスポーツのお祭りなんだと納得がいった。とくに選手団1人と役員3人とかの国や地域からも参加があり、それぞれに先導役の韓国人女性と子供がついた。この子供たちは、混血の子だという。私は今福竜太さんのクレオール主義を読んで以来、ナショナリズムNO、ハーフ・ブリード賛成になっている。考えてみれば人間の歴史は、アフリカに始まって以来、何万年もの間に限りなき温血を続けてきたのに、ある時から共同体同士で闘いを始めた。近代国家の誕生以後はついに世界大戦にまで進んだ。最終的に核とミサイル、生物兵器。平昌オリンピックの裏というか表では、北朝鮮と韓国の統一旗、美女軍団、位官級会談などが進行し、安倍首相も迷ったあげく開会式に参加した。
 いつも年のことを言うので恐縮だが、私の年になると隣国朝鮮、韓国との付き合いももの心ついて以来ずっと続いている。生まれた時福井市の町はずれで、頭に荷物を乗せたチマチョゴリの小母さんは見慣れていたし、小学校の同級生に4人の朝鮮人がいた。学校では彼らを半島の人と呼べなどと言われた。皆、植民地化され、田畑も奪われ、日本に出稼ぎにきた人たちの子供だった。
 朝鮮というと、いつも彼らのことを思う。同時に“歴史”を考える。歴史にたらればはなしというが、どうしても日韓併合や朝鮮戦争がなかったならと考えてしまう。もしヒトラーがもう1、2か月早く死んでいたら、ソ連軍はもっと早く太平洋戦争に参加し、朝鮮半島、北海道も占領  していたかもしれない。朝鮮には人民共和国が成立し、ソ連の一員に。そして90年代には共産党政治が崩壊し、いまのウクライナやカザフスタン、ジョージア、モンゴルのような国になっていたかもしれない。もちろん38度線も朝鮮戦争もないのだからいまごろ核ミサイルで大騒ぎなんてこともなかっただろう。すべては日本の植民地  支配に始まり、朝鮮半島の分断も、慰安婦問題もら致もそこから生まれた。
 それにしても、マイナス10度、20度、いくら冬季五輪、雪と氷の祭典とはいえよくやるなあと感心する。故里福井の豪雪、38豪雪、56豪雪では見舞いに行ったが、今年ほどではなかった。生活上の便利さが、格段によくなった半面、非常事態が起きると悲惨なことになるということだ。


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徒然なるままに №29 [雑木林の四季]

 豪雪、平昌五輪、NPR、etc・・・

                エッセイスト  横山貞利

 二月も前半分が過ぎ去ったが、この半月にはさまざまなことがあり過ぎて、どうにも落ち着かない。いったい、この国はどうなっているのだろうか。
 この半月に生じたことをアットランダムに書き出してみると、
○福井地方などで豪雪、国道8号線で車両大渋滞
○国会で安倍首相「改憲」議論に熱中
○「国の借金」1085兆7537億円、国民一人当たり約858万円
○NY株価ダウ平均続落、東証株価も追随
○平昌冬季五輪、与正氏が金正恩親書を文在寅大統領に手渡し「訪北」促す
○トランプ大統領、NPR指示、日本は評価
○沖縄米軍ヘリ・オスプレイ事故、名護市長選、自衛隊ヘリ墜落
○ソウルで安倍・文会談、安倍首相、米韓軍事演習の実施要請、文大統領「内政問題だ」
○殺人事件頻発、不寛容社会、惻隠の情喪失
○火災頻発、高齢焼死者多発
○校長、アルマーニの学服奨励
○石牟礼道子さん死亡、また昭和時代の一つが消えた
○外務省「国連制裁室」新設計画
全くランダムに思いつくまま列記してみたが、多分どの一つの項目を取り上げてみても結構な枚数に達したレポートになるだろう。
 とりあえず、上に記した項目のうち、四つの項目について記しておきたい。

○福井地方などで豪雪、国道8号線で車両大渋滞
福井市で140cm弱の積雪になった。このため福井県福井市からあわら市にかけて国道8号線で車両が自力で脱出できなくなり約1500台の車両が動けなくなって大渋滞になった。このため自衛隊に災害派遣を要請した。道路は車両と高く積もった雪ため重機が入れず、仕方なく自衛隊員は人海戦術をとりスコップで除雪に務めて1台ずつ掘り出してワイアーをかけて重機に結んで引き出した。こうして9日までに全車両を引き出して運行できるようにしたのである。この間、沿線の人たちが炊き出しに務めて握り飯や味噌汁を自衛隊員に配ってもらったほか、大手食品会社も食べ物をカンパした。
北陸地方の豪雪は、昭和38年(1963年)の「三八豪雪」{徒然なるままに(26)参照}そして昭和56年(1981年)の「五六豪雪」以来の豪雪である。「三八豪雪」から55振り、「五六豪雪」から37年振りのことである。「天災は忘れたころにやってくる」が災害処理は人間が行うものであることを確認できたように思う。

○国の借金1085兆7537億円、国民1人当たり858万円
財務省が9日に発表した「国の借金=国債、借入金、政府短期証券の合計」は2017年12月末時点で1085兆7537億円で国民一人当たり858万円の借金を抱えている計算になるという。これは、生まれたばかりの赤ちゃんから100歳超の老人に及ぶもので全く働けない人たちを含んだ計算である。
 ところで、金融政策の大元締めである日本銀行総裁には、現在の日銀総裁である黒田東彦氏の再任が決まっていた。黒田総裁の基本姿勢は「経済、物価、金融情勢を踏まえて必要な政策の調整を行う」とし、特に「米国の経済政策は世界経済や国債金融市場に大きなウエイトを占めるので、トランプ大統領の政策や影響を注視する」としている。この原稿を書いている13日(日本時間)にトランプ大統領が「予算教書」を議会に提出した。この「予算教書」では、公共事業やトランプ氏の執念であるメキシコとの境界の壁建設費も計上されている。また、東証の株価が不安定な状況にあるが、その動向は日銀主導と言われている。ところで、黒田総裁が打ち出した「ゼロ金利政策」で日銀が抱える国債は400兆円に達していると言われている。
 最高裁が纏めた「個人の自己破産」は前年比6.4%増の6万8791件で2年連続増加であるということだ。

○平昌冬季五輪、与正氏が金正恩親書を文大統領に手渡し「訪北」促す
平昌冬季オリンピックが10日開幕した。北朝鮮は、金正恩労働党委員長の妹・金与正氏が出席したが、与正氏は文在寅大統領に金正恩委員長の親書を手渡して「早期の訪北」を促す「ほほ笑み外交」を繰り拡げた。これに対して文大統領は「条件を整えて実現したい」と前向きの姿勢を示した。文大統領は、平昌五輪に金正恩委員長の意向を汲みとって金委員長の望み通りに整えた。将に文大統領の“忖度五輪”だ。文氏は、盧泰愚政権時代には民情担当の要職にあったから「北朝鮮に行くこと」が念願であり、「南北首脳会談を成功させること」で歴史に残る大統領でありたいのだろう。金正恩委員長にとっては、日米韓の結びつきに穴をあけて韓国をおびきだしたい意向を確実にしたいのであろう。日、米、露、中の諸国の動向を注視しなければならない。
それにしても、平昌のスキー会場は五輪の競技会場ではないように思う。IОCの会場視察委員は雪や風などをしっかり見極めて報告したのだろうか。

高梨沙羅さん、銅メタル、おめでとう。よく頑張ったね。

○トランプ大統領、NPR指示、日本評価
トランプ政権は「核体制の見直しNPR(Nuclear Posture Review)」を2日は発表した。トランプ大統領が「一般教書」で訴えた「力による平和」を推進するため爆発力を抑えた小型核弾頭など新たな核兵器の開発を行う意向を示したのである。即ち「戦略核」から「戦術核」の多様化を図り通常兵器に対する報復にも核兵器使用を排除しない方針を表明したものである。特にSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)に用いる小型核の開発である。これによって中国、ロシア、北朝鮮、イランの脅威に対応するためだという。
昨年、ノーベル平和賞を受賞したNGО「核廃絶国際キャンペーン=ICAN」に反する方向である。米国の動向は新たな「軍拡競争」を迎えるものである。米国の新たな戦略について、河野外相は、「米国による抑止力の実効性の確保とわが国を含む同盟国に対する抑止力拡大になる」という談話を発表し、国会でも明言している。この米国の決定は日本が進めている「包括的核実験禁止条約=CTBTの批准を否定するものであるが、政府は何もしていない。

終末時計は、あと2分に迫っている。

上記した2月前半の社会の動向で気になったことを羅列したが、その中から特にコメントしておきたい4項目について考えてみた。しかし、水俣と向き合い格闘した人生を生きた石牟礼道子さんの死を悼む気持ちをどうしたらいいのか解らない。また一つ、大切な昭和時代が消えてしまった。


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BS-TBS番組情報 №155 [雑木林の四季]

BS-TBS 2018年2月のおすすめ番組
                        BS-TBS広報宣伝部

高島礼子・日本の古都 2時間スペシャル
絶景歴史ミステリー「信長の城 15の謎」

156高島礼子日本の古都_信長の城.jpg

2018年2月16日(金)よる9:00~9:54/10:00~10:54

☆今はなき安土城…信長最期の11年に迫る!

出演:高島礼子

今回の舞台は滋賀県近江八幡市の安土城址。
1571年、比叡山を焼き討ちした織田信長。その11年後の1582年、比叡山の麓、坂本を治めていた家臣・明智光秀に本能寺で焼き討ちにされ絶命。この間、信長は何を考え天下への道を歩んだのか?その答えは、比叡山から琵琶湖の対岸にあたる安土城に隠されていた!信長の死後、謎の焼失を遂げた安土城だが、昭和3年以降、発掘調査が進められ、その全貌が少しずつ明らかにされてきた。戦国時代の城の常識を覆す斬新さ、石垣をふんだんに使った堅牢な城郭、一直線の広い道…、その全てに信長の思想が込められているのだ。信長はなぜ比叡山を焼き討ちし、なぜ常識外れの城を安土に築いたのか?比叡山の焼き討ちから、本能寺の変、そして安土城の焼失まで、天下布武に向け走り続けた信長最期の11年を、安土城から紐解く!

健康科学ミステリー!“若返り”医療最前線

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2018年2月23日(金)よる7:00~8:54

☆日々進歩を続けるアンチエイジング医療の最前線に迫る!

ナビゲーター 真矢ミキ
監修・コメンテーター 冨田 勝(慶應義塾大学先端生命科学研究所 所長)

いつまでも若々しく、元気に生きたい。
そんな願いを叶える最新の医療と科学に迫るスペシャル番組。
人類最大のテーマ「老化」。
2017年には日本初となる老化研究の国家プロジェクトが発足。老化のメカニズムを解き明かすことにより、いま医療は、「病気を治す」から「病気を防ぐ」へと進化を遂げようとしている。
そこで今回、番組は「アンチエイジング(抗加齢・抗老化)」に注目。
「若返りを導く6つのキーワード」をもとに、日々進歩するアンチエイジング医療の最前線に迫る。
ナビゲーターは女優の真矢ミキ。
監修・コメンテーターは、わずか一滴の唾液からがんを発見する新技術を開発し、世界から注目を集める医学・工学博士の冨田勝氏。
番組は冨田氏が所長を務める山形県鶴岡市の慶應義塾大学先端生命科学研究所にて収録した。
▽長寿のカギを握るのは「慢性炎症」!?
▽見た目の“老け”には、原因となる体内物質AGEがあった! 
▽健康寿命を延ばすカギ…私たちの体の中にある「命の回数券」の秘密。
▽長寿に関係する「サーチュイン遺伝子」って何?活性化すれば夢の老化防止薬が!?
▽最強生物「クマムシ」の遺伝子研究が、アンチエイジング研究につながる!?
▽不可能が可能に…脳細胞は再生する時代へ。脳を再生させる新薬に迫る!

命の星「地球」物語4

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2018年2月25日(日)よる7:00~8:54

☆地球上に生きる野生動物の不思議と命の物語を見せるスペシャル番組

出演者:田中直樹(ココリコ)
MC:古谷有美(TBSアナウンサー)

南極!北極!砂漠!洞窟!絶海の孤島!
今回はなぜ、こんな場所にと思える極地、僻地に生息している動物たちを大特集!
小説ロストワールドの舞台!南米、ギアナ高地の上にはどんな生物が生きているのか?
ダーウィンが進化論を唱えるきっかけとなった絶海の島々、ガラパゴスに生きる生き物たち。
キューバの洞窟で遭遇した10万匹のコウモリ、地底湖に暮らす未知の魚。
厳しい環境を生き抜くために身につけた不思議な生態を持つ動物たちの数々を紹介する。




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ロワール紀行 №71 [雑木林の四季]

アゼイ・ル・リイドオの城館 3

           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 一八七〇年のことであった。
 普仏戦争に負けたフランスは、プロシアの占領下にあった。
 プロシア軍はこの地方にまで侵入し、アゼィ・ル・リィドオのシャトオほ、方面軍の司令部となった。プロシア王子フリィドリッヒ・カルルが、ここの独軍を訪問した時、この城館が宿舎にあてられた。

 その夜、プロシア軍司令官が多くの将星や幕僚とともに、王子歓迎の大夜宴を催した。
 きらびやかな肩章や勲章が、シャンデリアの光に燦めき、宴ようやく酣(たけなわ)となったとき、天井の大シャソデリアが大音響とともに食卓の上に落ちた。
 宴席は騒然となった。
 直ちに、けたたましい非常呼集のラッパが吹鳴(すいめい)され、精悍なプロシア軍は時を移さず戒厳令を布(し)いた。
 王子は、アゼィの住民が自分を謀殺しょうと企(たくら)んだと考えた。彼は布告を発し、プロシア占領軍に対する反逆の報復として、村とシャトオを焼き払い、住民を悉く銃殺すると宣告した。
 しかし、この事件は単なる偶発的な事故であった。だが、それが立証されるまで、アゼィ・ル・リィドオの人々は生きた心地がしなかった。
 「人道的見地から考えて、殿下のプライドよりも人命と村と城館の方が、より重いものがあります」というプロシア軍司令官の諌言は、王子の烈しい怒りを和げた。城も救われた。
 この頃のプロシア、即ちドイツ軍人は、日清日露の日本軍人と同じく立派な良識があった。第二次大戦下、フランス占領中のドイツ軍がこの。ワール地方やナント方面で示した蛮行を顧みると、隔世の感があると思う。
 ここからやや東南、六粁ほど上流に、オノレ・ド・バルザックのシャトオとして有名なサッシェの城館がある。シャトオはアンドルの河畔に、公園に囲まれて立っている。
 一八二九年から約二十年間、バルザックがここに住み著作の日々を送った。
 彼の書斎はバルザック美術館として、当時のままに保存され、肖像や原稿、初版本、日記、手紙などと共に、この文豪の数々の思い出の品が陳列されている。
 彼はこの部屋で、『知られざる傑作』『トクールの司祭』(一八三二年)、『ウージェニイ・グランデ』(一八三三年)、『ゴリオ爺さん』(一八三四年)、『従妹ベット』(一八四六年)、『従兄ポンス』(一八四七年)などを始め、多くの傑作を書いた。
 このアンドル川の谷は、彼の『谷間の百合』(一八三五年)の舞台でもあった。
 その一節に、「女性のなかの花ともいうべきあの女(ひと)が、もしこの世に住んでいるとすれば、その土地は此処以外にはない」と書いている。それほどまでに、このトゥーレエヌの美しさを愛したバルザックは、「トゥーレエヌというものがなかったら、恐らく私は生きていられなかったかも知れない」とも云っている。
 まことに、このトゥーレエヌとアンドル河の美しさ、ことに空の青の美しさは、「愛する女性がトクーレエヌに住んでいると思うと、私は空気を吸うのさえ快よく、季節の空の青さには、何処の空にも見られない色があるような気がする」と、その美を讃えている通りである。
 私も、バルザック以上に、このトゥーレエヌの美しきを愛する。

『ロワール紀行』 経済往来社

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バルタンの呟き №28 [雑木林の四季]

「♪春よ、こい!」

                映画監督  飯島敏宏

 ♪春よ、こい! 早く、こい! ~
 誰でも知っている歌です。陳腐極まりない常套句で恐縮ですが、暦の上ではもうとっくに春です。が、今日現在、東京ですら朝の気温がまだマイナス、東北北陸では、家々の軒先まで雪が積もって、いったい春はいつ来るのでしょうか。陽春来復の旧暦正月もとうに過ぎ、春分も過ぎた今、本来なら、気候的にも三寒四温、猫の額ほどのわが庭でも、地中にあっては間近に迫る啓蟄を待ちかねて虫たちも蠢き始め、ちらほらと開き始めた紅梅白梅にも、メジロやツグミが忙しく枝を渡りまわる姿を見せる筈なのですが、今朝も汲み置きの水瓶には相変わらず薄氷が張り、鉢植えの花々はほとんど霜げているあり様です。
 この寒さが果たして異常なのか、それとも以降地球の温暖化と共に恒常となってしまうのか計りかねますが、ともあれこのところの寒さでは、治まりかかった流感が形を変えて再流行しているというのも肯ける次第です。
 僕としても、かかりつけの医者(せんせい)のご託宣どおり、わずかに高めの血圧を理由に、365日元旦以外休むことなく続けられている中央公園早朝ラジオ体操会も失敬して、旅の途上に病んだ松尾芭蕉を決め込んで、抜け出す勇気の湧かない床寝床にお蚕ぐるみよろしく潜り込んで、ひたすら枯れ野に夢ばかり駆け巡らせている有様です。
 枯れ野といえば、いまや僕を巡る現実は文字通り枯れ野です。今年86歳を迎えようという僕ですから当たり前と言えば当たり前なのですが、この年末年始は、歳の近い友人知己が石積みの川向こうに旅立ったという知らせが、重なって届きました。いえ、年始どころか、つい昨朝も、開いたPCに「Aのやつが昨日の朝早くトイレで倒れ、病院へ運ばれたが、そのまま・・・」という五十年来の仕事仲間の訃報に、「幸せな奴だ・・・」というブラックジョークを添付したメールが、届けられていたのです。床の中からリモコンに手を伸ばしてテレビをつけても、このところの、東北、北陸の豪雪風景ばかりが、テレビニュースのトップを占め続ける有様でした。今朝はしかし、突如、枯れ野に咲いた華麗な花々! 平昌冬季オリンピック競技開幕!の筈でした。昨夜、生中継でテレビに映し出された開会式の、見事な光と影と音楽と選手たちが見事に混然一体化して、煌びやかに輝いた入場式に始まった開会のペジェントとが、華やかに春をもたらしてくれた!筈でした・・・
 数多の困難を乗り越えて、韓国と北朝鮮選手団と応援団が協調和合してアリランを唄い奏で、VIP席に見た光景は、次会夏季オリンピック開催国の日本を代表して、ある種の決意で参列した安倍首相の笑みはやや表情が固いものの、文在寅、金永南、金与正の両朝鮮半島国代表の人たちの表情は和やかで、満面に媒介者としての笑みを湛えるIOCバッハ会長などの光景には、たしかに両鮮および日米の氷結した関係を溶融する援けに、という思いも窺われて、直前の軍事パレードや合同訓練の一触即発ムードが緩和される予感さえ抱いたのです。
 しかし、入場行進後の開会式が始まり、数十機と伝えられたドローンが放つ光の群れの移動、予想をはるかに超えて、実に見事な演出効果を上げた開会セレモニーのあの華麗な光の流れが、僕の浸っていた夢を、一瞬にして消し去ってしまったのです。あの、無数の光の球の流れは、平和を望む華やかな宴とは映らずに、僕には、あの時の、あの寒い夜の、恐ろしい光の群れ、母親が「提灯行列みたいだ・・・」と見上げた、やがて、我が家に降りかかってくる米軍の巨大爆撃機B29が空を覆うようにばら撒いた無数の焼夷弾の放つ光の群れを連想させてしまったのです。温ろみはじめた池の水面に、日向ぼっことばかり首を上げかかったとたん、空の一角から急降下してきたトンビに手ひどく頭を突かれた亀、といった具合に、僕はまた布団にもぐりこんでしまいます。一夜にして、東京を焦土化してしまったあの大空襲の恐ろしさは、容易には表現できないのです・・・
 あの戦争の体験は、ヒロシマの被曝までが風化しつつある今となっては、世間的にはほとんど希薄な記憶になっています。むしろ、体験した本人たちまでが、ある種レジェンドのように、誇らし気に語る自慢話となった向きさえもあります。被災、敗戦の語り部も、二代目となっている現況ですが、あの一夜払暁こそは、僕にとってはけっして消し去ることの出来ないトラウマとして残っているのです。
 核開発という武器を神器として掲げて専制を維持し、なおかつ最低生活保持のために富国強兵に狂奔せざるを得ない金正恩の北朝鮮、核兵器の極小化による濫用をちらつかせ、兵器を産業振興の具として政権維持を図らなければならないトランプのアメリカ、そして軒を重ねる隣接国を脅威としてとらえて、最強と踏む一方に加担する危険を選択し続ける苦渋の安部首相・・・日本の行く道は果たして、これしかない!のでしょうか・・・
 一方では、潜りこんだふとんの暗闇にまでで侵入して来る狂信的な北朝鮮軍団の足並み、画面を遮って登場した巨大な弾道ミサイルの姿。あのドローン群のように、弾道ミサイルが群れをなして飛んできたら、軍需産業のセールスマン、トランプ大統領から買わされた、未完成な精度下で辛うじて撃ち落とした二基の高価な武器で、全て撃ち落とせるのだろうか・・・否、まさに、悪夢が枯れ野ならぬ荒野を駆け巡るだけの僕たちにとっては、殆んどが無意味なお守りさんのお札に他ならないのです
 いまだかつて、戦争によって素晴らしい解決が導かれた事例があったでしょうか。圧迫に圧迫を重ねて、平静な結果を生んだ事例があるのでしょうか・・・まずは、押し込まれ押し込まれて窮乏の極みに達した北朝鮮に、「緒戦のみは、勝利を収めて進じましょう・・」と申し出る山本五十六のような存在が現れて、人類が作り上げてしまった禁断の最終兵器のボタンを押してしまわないか、と杞憂するのです。
 春よ!来い!まさしく北朝鮮、韓国、そして中国、ロシア・・・日本に隣接する諸国に、脅威と怯えるのではなく、温暖な春がやってくることを願って、今回のバルタン星人は呟くのです・・・春よ!こい! はやく こい!


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ZAEMON 時空の旅人 №29 [雑木林の四季]

ZAEMON」第24章  宇宙覇権抗争

                         文筆家  千束北男

僕のいる時元で、ここは、西暦2024年現在の日本です。財界と軍の傀儡である大宰相は、特定の大企業および軍部優先で政治経済を動かし、国民に対しては、声高に経済活性化を提唱して、成長という通りのいい名の膨張経済を強引に推し進めています。通貨操作によるみせかけの好景気を演出して、国民の支持を取りつけようという下心です。そのために、企業間格差だけでなく、いまや国民の貧富の差は極端に広がり、ワーキング・プアが大量発生する一方、企業、人口共に中心都市に集中して、地方経済は破たん、ついには無人化して消滅する都市も多数発生する事態となり、繁栄し続けると見えた首都TOKYOでさえ、一部地域に巨大スラムが発生するありさまだったのです。
その一つ、西暦2020年東京オリンピックを機会に急遽開発された東京湾岸の高層ビル・マンション街も、災害と超インフレを免れずに、わずか4年で早くもスラム化していました。人々はそれを、ガラスの森のスラムと呼んだのです。
都会的な洗練されたファッションに彩られているガラスの森のスラムには、異様な残酷さがあります。経済という怪物に痛めつけられて取り残された人々は、つい最近まで欲しいままにしていた見栄も外聞もすてて、ひたすら、残照の街に現れる夕焼け天使の訪れを待って、長い長い行列を作っていました。食生活までが維持できなくなっていたのです
夕焼け天使とは、毎日のように、暮れ方になると、ガラスの森のスラムの広場に夕餉の食料を持参して、あたたかいスープと食事を無償でサービスする女性たちの一団を、誰呼ぶともなく、名付けたものです。
ながい行列のつづく広場に設けられた、電機メーカー設置の超大型8Kテレビモニターでは、相変わらず、大宰相の広舌が大音響で繰り返し流れ続けています。
「国民よ、いまこそ挙国一致、大同団結し、一億一心、国民総動員で、欧米先進国と肩を並べ、近隣諸国に後れを取ることなく、しっかりと、宇宙覇権を勝ち取ろうじゃありませんか! わが日本の行く道は、これしかありません! 宇宙制覇に指導的役割を果たすのです!」
自己過信から、欧米と歩調を合わせて、科学技術による宇宙覇権の烽火(のろし)烽火を上げるつもりなのです。日本だけではなく、ロシア、中国も、競い合うように宇宙開発の名のもとに、宇宙資源の乱獲と破壊の手を伸ばしていました。
西暦2024年には、日米はじめ国連加盟国ロボットの大軍団を乗せた火星への開発移民船「ラー号」の日本からの発進が予定されて、着々と建造作業が進められていたのですが、一方、「ラー号」のそれと競って中国の宇宙開発移民船「長城」の出発も間近い、と噂されていました。
噂に踊らされた大宰相は、SETI日本支部に要請して、「ラー号」の日本発進を、宇宙にむけて宣言したのです。高等生物生存の可能性のある全惑星に、宇宙航路の安全を要請したつもりだったのですが、無知ほど恐ろしいものはありません。それが、宣戦布告と受け取られて、ストリクト星人による宇宙十字軍結成、日本来寇の一因となることは明らかだったのに、です。ZAEMONの提案したミッションの第一目標が、まず、ラー号発進の阻止と決められたのは、そのためです。

大宰相が、サカリの熱に浮かされた獅子のように吠え続ける8Kテレビ大画面、並び写されているラー号は、巨大で、メカニカルで、どことなく、西暦1970年代に大流行した戦艦ヤマトに似た雰囲気の、武装した宇宙船です。宇宙十字軍に、挑戦的で、宇宙侵略の巨艦と受け止められたのも、無理はありません。

山本久美子先生!
 西暦2024年の地球上では、理想社会を築くどころか、ボクが旅に出た西暦2016年現在よりも、さらに世界各国の間に政治的不信が広がり、競い合って軍が強大化されていました。洋の東西を問わず、かつて政治の理想と考えられていた民主主義は変貌して、経済成長偏重の極端な競争社会になり、政治的、軍事的、宗教的な対立も、経済格差も、人権格差も、どれをとっても、先生がおっしゃったように、やがては、世界各国も漸く自覚して、協力して改善に努める・・という成果が表れることなく、戦争を伴う経済競争は、さらにエスカレートしているのです。
 環境破壊についても同じことが言えます。ただでさえ、西暦2017年の富士火山系連続噴火の影響が色濃く残っている上に、このところの太陽活動の衰えも加わって、雨と、曇りの天候が続いた自然現象に加えて、膨張経済推進のための生産活動が過剰に行われたために、京都議定書の条項を優に超える二酸化炭素やその他の有害物質をたれ流しにして、空気汚染が減少しないばかりでなく、温暖化も一段と亢進しています。

ところで、バルタン星人ピピン、パパンはあざやかに一番槍の凱歌を挙げたのに、僕の必須の命題であるカオリとの遭遇は、何の手がかりもありません。
その日も、胸に下げた勾玉からの気配を期待しながら、漫然とした気持ちのまま大学に向かったのです。すると・・・・

旧大名家江戸屋敷の敷地に開かれた僕の大学の、江戸時代から遺された冠木門をくぐり、明治時代の文学作品の登場人物の名を戴いた大池のほとりに陣取って、いつものように、洋琴を弾きながら、詩句を創りはじめた僕の耳に、突然、ラウドスピーカーから流れる大きなだみ声が飛び込んできたのです。語尾を不自然なまでに延ばした語調は、最近では聞かれなくなった、旧態依然としたアジテーション節です。
「眠れる豚のォ諸君よォ!・・・」
あ!この洒脱気どりの出だしはカクタくんだ、とすぐにわかりました。小学校の同級生だった彼は、いつもこんなとっかかりで話を始めたものでした。大学に細々と残る学生自治会の委員長を買って出たのですが、多分、なにかの闘争を描いたルポルタージュ映画に触発されて壇上に立つ決意をしたに違いありません。
カクタ君の声は、かつての、激しい学生運動のシンボルとなった拠点である講堂前の広場から聞こえてきます。
「諸君! 象牙の塔より出でよ! 塔より出でて、実学せよ。書を捨てて街に出でよ! 痩せたソクラテスよりも、肥えた豚となれ! はははは、さて、諸君! 本題に入ろう・・」
なにが始まったかと集まった学生たちも、さしたる興味も示さずに、眺めているだけです。
演壇の傍らに置かれた大きな立て看板には、
「革命せよ! 火星侵略船「ラー号」の発進を阻止せよ! 環境破壊の根源、傀儡大宰相政権を倒せ!」
と書かれています。 
全学自治会の呼びかけに応えて、学生組織LHS(Life of Health and Sustainability)が、起ちあがって闘争を開始しているのです。LHSの本部は、たしか、大学運動部のプール下の地下室にあります。そして、学生主体の平和維持義勇軍LHSSは、世界的な広がりの「緑の友党」グリーン・フェローズGFと連携しているはずです。世界的には、依然として宗教戦争、資源戦争が続いている状態ですが、「緑の友党」GFは、ネットを通じて世界に繋がっているNGOの平和団体です。ですから、ここでの聴衆のあつまりには、この人数で十分なのです。いまごろ、スマホやネットを通じて、このスローガンは、日本中はおろか、全世界に伝わっているのですから。
その証拠に、カクタ君の呼びかけから、一時間経つか経たないうちに、やはり同級生だったイソハタ君が、他大学の代表として数十名の学生とともに参加してきたのです。続いて現れた新聞雑誌労働組合連合の一団の中には、エノキド君がいます。
ところで、山本久美子先生!お笑いになってはいけません。GF日本支部の代表は、なんと、山本久美子先生!先生なのです! 西暦2016年の今はまだご存じないと思いますが、山本久美子、あなたご自身なのだということをお認めになるでしょうか。あなたの凛!とした性格が、GF日本支部の指導者に最もふさわしいと、パリのGF本部から白羽の矢がたったのです。
人間の運命というものは、いったい何に支配されているのでしょう。膨大な分量で先生の連休を台無しにしたこの長大な日記を、先生が小学生新聞の懸賞に推薦して下さって当選作になったのが、やがて僕が詩作に没頭するきっかけになったのですから・・・
演壇から降りてきたカクタ君から、スラム街で貧しい人々に慈善の給食を行っている一団に、かつて転校生で人気のあった夏樹香織に似た人物がいるという思わぬ情報を聞き、詳細についてはエノキド君が詳しいと聞いた僕は、増え続ける集会参加者たちの間を縫って、新聞労連の一団にいるエノキド君を探し出しました。
しかし、エノキド君も、直接彼女を見たわけではなく、
「うわさに聞くガラスの森の天使という存在が、ひょっとすると、あの人気のあった転校生、夏樹香織ではないか・・・」
という話を、夕焼け天使を実際に目撃した元同級生のサカグチ君から聞いた、という婉曲なはなしだったのです。
ZAEMONから与えられた僕のミッションは、まず手始めにカオリに逢う事でした。カオリに関しては、どんな小さな情報でも、あるいは重要な手掛かりに繋がるものかもしれないと思った僕は、さっそく建築会社に勤務しているというサカグチ君を訪ねようと、聴衆の群れを抜けかかった時です。
「ハヤト! ミズシマ君!」
聞いたことのある声に呼び止められて振り返りました。
「ニンジャ美穂?」
僕に呼びかけたのは、ソバカスだらけのあのニンジャ美穂でも、凛々しい戦士のニンジャ美穂でもなく、和やかな面ざしの美しい女子学生だったのです。
「でも、ニンジャ美穂が、どうしてここに・・・」
ニンジャ美穂は、西暦2030年の現実(リアル)現実で、厳しい戦いの中に身を置いていると思っていたからです。
「私、いま、隣りの女子大で、新聞研究会やってます。専攻は、ユニバーサル・コミュニケだけど」
今、僕の前にいて、にこやかに微笑んでいるニンジャ美穂は、若々しく溌剌とした印象の女子大生です。
「詩人なんですね、水嶋君。同人誌や新聞で拝見したことがあります。現役の学生で、すごい・・・」
眼の前にいるニンジャ美穂は、当然、西暦2030年の未来のニンジャ美穂を知りません。未来の彼女が、いま非常に危険な状況の中にいることを知らないのです。このまま何も変わらず、もし、西暦2030年に到ってしまえば、惨憺たる焦土と化したTOKYOで、非情極まりない戒律原理主義のストリクト星人率いる宇宙十字軍を相手に、劣勢のニンゲン達を救うための熾烈な戦いに身を投じていなければならないことを、どう告げればいいのでしょう。
しかし、いまの僕のミッションは、カオリにあうことです。
思っていた事とは反対に、僕は、ニンジャ美穂ならば、と、「
「ガラスの森の天使のことだけど・・・」
と質問しかけたのですが、果たしてここのニンジャ美穂もさすがニンジャです。僕の質問が終わらないうちに、
「あ、ガラスの森のスラム街に毎夕姿を現す慈善団体のヒロインね・・・」
僕の心を読み取ったように即答です。
「もしかして、転校生の夏樹香織さんかと・・・」
「水嶋君もそれをいうのか・・カクタ君も、そんなこというけど、あのころ、皆んな、お熱だったからね、転校生夏木香織には・・」
「・・・・・」
「たしかにそんなことをするかもしれないけどね、あの人なら」
此処にいるニンジャ美穂は、西暦2025年の宇宙十字軍来寇の未来も知らず、もちろん僕が抱えているミッションなど知りません。
目の前のニンジャ美穂は、ますます増長して膨満な経済成長一辺倒の悪政を敷く大宰相府を斃して、宇宙環境を破壊する火星侵略宇宙船ラー号の発進をストップさせることに熱情をそそぐ学生闘士であるようでした。
                                つづく


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医史跡を巡る旅 №36 [雑木林の四季]

「紀行シリーズ」~人道・博愛精神のルーツをたどる・熊本篇 後篇

              保険衛生監視員  小川 優

田原坂へは熊本駅から車で約40分ですが、公共交通機関で行くのには難儀します。JRの田原坂駅か、木葉駅が最寄りとなりますが、どちらも無人駅で駅員がいないため道を聞くこともできず、田原坂駅に至っては普通列車でも通過することがあります。さらにバスも構内タクシーもないので、駅から田原坂までは歩くしかなく、それも山道を片道約3キロ、4~50分の行程となります。よく知られた史跡であるにもかかわらず、著しく不便なことが残念です。

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「熊本市田原坂西南戦争史料館」 ~熊本市北区植木町

明治10年2月鹿児島を発った薩軍は、鎮台のある熊本城を包囲し、さらに北上します。政府軍側も2月19日の征討令を受け、九州各地の兵を集結させて反撃に移り、各地で激戦となります。一度は高瀬まで進出した薩軍もじりじりと後退、田原坂で戦線は膠着状態に陥ります。熊本は山に囲まれ、熊本城に通じる軍隊の進撃できる街道は限られていました。中でも田原坂は峠をはさんで、視界を遮る藪と、見通しのきかないつづら折りの山道、道沿いには塁のような崖と守るには堅く、攻めるに難しい要害でした。こうして3月には南下する政府軍と、薩軍との間で田原坂の戦いが始まります。圧倒的な物量と、新式小銃など優秀な装備で押す政府軍ですが、兵士の多くが徴兵された農民で、接近しての戦いとなると、士族を中心に組織され、抜刀して白兵戦を挑む薩軍に苦戦します。

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「田原坂 一之坂」 ~熊本市北区植木町

天候不順な中で戦いは長引き、両軍で数十万発の弾薬が消費されたといいます。当時の小銃はその多くが単発式(一度発射するごとに弾を込める)で、現在の自動小銃や機関銃(一度引き金を引くと、数発から数十発が発射される)とは異なり、連続して発射することができません。こうした操作方法の銃で、多数の銃弾が消費されたということは、いかに激戦であったかを物語ります。田原坂近くの民家の壁は、銃弾で穴だらけになりました。

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「熊本市田原坂西南戦争史料館 弾痕の家(復元)」 ~熊本市北区植木町

戦いの中で政府軍、薩軍ともに多くの死傷者が出ました。田原坂の北側、官軍の本陣がおかれた玉東町木葉の寺院は臨時の野戦病院となります。

本陣に近い所に位置した徳成寺には、官軍病院がおかれました。山道右脇に「官軍病院跡」と記した石碑が建てられています。

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「官軍病院跡碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 徳成寺

政府軍とはいえ野戦病院に配置する軍医の数は足りず、近隣の開業医が協力して治療にあたります。病院とは名ばかりで実際は包帯所ですから十分な治療が行われたとは思いにくく、止血し、包帯するのが精一杯で、状況は酸鼻を極めたことでしょう。本堂の脇を通って山道を登り、徳成寺墓地を抜けた先には宇蘇浦官軍墓地があります。戦死者ばかりでなく、病院に収容されても手当の甲斐なく、命を落とした兵士もここに葬られました。

そしてより戦場に近い街道沿いに置かれたのが、正念寺の官軍病院。道路に面した山門の左手に官軍病院跡の碑があります。正念寺の山門には今も当時の弾痕が残っています。

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「官軍病院跡碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 正念寺

境内には、「西南の役 官薩両軍供養碑」と「博愛」の文字を記した石碑があります。

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「西南の役 官薩両軍供養碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 正念寺

最初は憎み合うだけだった彼我の兵士も、故郷に生きて帰りたいのは皆同じ。両軍とも兵士の多くが若者で痛みに泣き叫び、会いたい人の名を呼ぶその姿に胸を打たれ、戦場では互いに自然と救いの手を差し伸べるようになります。一方で戦場から遠く離れた指導者たちは、官軍、賊軍という形式論的な区別にこだわり、負傷兵といえども罪人として厳しく処罰しようとします。

ここで登場するのが佐野常民です。文政6年(1823年)佐賀県に生まれ、緒方洪庵の適塾に学んで医者となります。安政2年(1855年)、幕府の開設した長崎海軍伝習所に参加、佐賀藩海軍の創設にかかわり、慶応3年(1867年)にはパリ万国博覧会に参加するため渡欧、滞在中に国際赤十字の活動を知ります。翌明治元年になって帰国した時にはすでに幕府はなく、新政府のもとで博覧会御用係として手腕を発揮します。西南戦争時には元老院議官となっていた佐野は、西南戦争の惨状を伝え聞き、明治10年4月に両軍差別なく治療する、日本版赤十字ともいえる「博愛社」の設立を政府に願い出ます。そして彼自身は戦場である熊本に向かいます。

当時の熊本の状況はどうだったのでしょう。政府軍は白兵戦にたけた士族出身者からなる警視庁の警官隊を投入したこと、近隣の高地を占領して砲陣地とし、激しい砲撃を与えたことなどにより、じわじわと薩軍の戦線は崩れて、3月20日には田原坂での戦闘は終了します。しかしその後も植木、木留、健軍、保田窪、大津と戦闘は続きました。

熊本入りした佐野の足取りは、公式には記録されていません。しかし当時もまだ多くの負傷者が収容されていたと思われる、木葉の官軍病院の実状を視察したのではないでしょうか。そして東京からの知らせで博愛社設立が却下されたことを知ると、征討総督の有栖川宮熾親王に直訴、その許可を得ることに成功します。
繰り返しますが実際に官軍病院を佐野常民が訪れて、博愛社設立につながったという史実の確認はできません。しかしかの地の惨状を知り、彼が行動を起こしたことは疑いようなく、徳成寺が「日赤発祥之地」、正念寺は「博愛社発祥縁起の地」とそれぞれ名乗っています。

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「日赤発祥之地 碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 徳成寺
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「博愛社発祥縁起の地 碑」 ~熊本県玉名郡玉東町 正念寺

博愛社は当初、赤丸に一文字を標識としました。明治19年(1886年)に日本がジュネーブ条約を調印し、正式に国際赤十字に参加することとなった翌年(1887年)に名称を日本赤十字社と改称、万国共通の赤十字マークを用いるようになります。

田原坂は、規模こそ違えど近代戦における人的被害の大きさ、その悲惨さ、そして赤十字活動に繋がった所以から、第二次イタリア独立戦争時の激戦地ソルフェリーノの丘に例えられます。

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画像⑨「田原坂史料館 赤十字発祥の地プレート」 ~熊本市北区植木町

また、佐野常民が有栖川宮熾親王に直訴し、博愛社設立許可を得た場所が水前寺公園にあったジョーンズ邸。親王の執務室を「日本赤十字発祥の部屋」としていましたが、建物そのものが熊本地震で倒壊してしまいました。再建が期待されます。

設立許可を得た佐野常民は、志を同じくする大給恒と連絡を取り、元尼崎藩藩主であった桜井忠興より寄附を受けて活動を開始、5月には4人の医員を確保して再び熊本に戻り、医療活動を開始します。その後9月に西南戦争が終結した後も継続し、熊本での戦時活動は10月一杯で終了します。

不幸にも最後の内戦の舞台となった熊本が、赤十字発祥の地といわれる所以、ご納得いただけましたでしょうか。
さて次回は、古城医学校以後の、熊本における医学教育の歴史について触れてみたいと思います。


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いつか空が晴れる №29 [雑木林の四季]

いつか空が晴れる
         ―バードランドの子守歌―
                       澁澤京子
 
 いろいろな歌手がこの曲を歌っているけど、なんといっても耳に残っているのは、~ディビダダディッディヤ~で始まるサラ・ヴォーンの歌。
改めて聴いてみて、今更だけどサラ・ヴォーンの歌唱力の凄さに驚く。
凄い人が凄いレベルで、自然にさらっと流して歌っているので、軽く聴き流していたのにずっと耳に残っていたのだ。
おまけに、私のような音痴まで思わず引きずり込んで一緒にハミングさせてしまうのは、なんの構えもなく軽いタッチでスキャットしているせいだろうか?

ニューヨークのバードランドというジャズクラブのざわめきの中でこの曲は生まれた。作曲したのは盲目のジャズピアニスト、ジョージ・シェアリング。

ジャズクラブのざわめきの中で、盲目のピアニストは何を感じたのだろう?

恋人たちの睦言があったり、別れがあったり、すれ違いがあったり、孤独があったり、それがざわめきとなって聞こえてきて、人と人との間にはそれぞれ微妙なずれと孤独があるけど、全体は安らぎに満ちていてまるで子守歌のように聞こえたのではないだろうか?

ジャズクラブのざわめきにも、都会の雑踏にもいろんな見知らぬ人生があって交差する。家族の会話、恋人たちの語らい、友人とのおしゃべり、恋をしたり恋を失ったり、泣いたり笑ったり悩んだりが意味を失って、まるで小鳥のさえずりのようにあちこちにあっていずれも時間の大きな流れの中に消えていく。

渋谷のスクランブル交差点のような見知らぬ大勢の他人が交差する都会の雑踏にも、耳をすませば子守歌の軽快なスキャットが聞こえてくるかもしれない。

いろいろな人のいろいろな人生の悲喜こもごもの感情、怒り喜び、憎しみ、やさしさは遥か上空から見下ろしてみれば、まるで窓から射す光に照らされて舞い落ちる埃のようにキラキラ光っているように見えるだけなのかもしれない。
そこでは人生の悲惨もこの上ない喜びもみな等しく、瞬間、瞬間に輝いては消えていくように見えるのかもしれない。

世界全体を愛おしく思う何かとてつもなく大きな何かが、いつも子守唄を歌っているのではないかという気が時々するのである、「大丈夫、安心して」と子供をあやしているかのように。


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梟翁夜話(きょうおうやわ)№8 [雑木林の四季]

Nihongo Made Easy

                  翻訳家  島村泰治
日本に五輪が来るという。前回を知っているものには懐かしいかぎり、初めてというものには胸躍る出来事だから、それはもう随所に五輪話が渦巻いている。'64年のときに選手村のサポートで相談されたこともある私には、「またあれか...」という思いが過(よ)ぎる。あのときは、会場周辺はいうに及ばず選手村に無数の通訳が動員され、箸の上げ下げまで下にも置かぬお世話をしたのだが...。
東京五輪、傘寿になって何ができようかと不図思いついた企てが発酵して、今ある書物を書き上げる大事(おおごと)に発展して、私は日に夜を継いで頑張っている。こっちで日本語の世話をするくらいならむこうに日本語を教えてしまえ、と、まあ糸川流の逆転の発想から外人が日本語を習うための本だ。
Nihongo Made Easy という粋な題を冠した英語の本だが、これがいま第四コーナーに差し掛かっている。日本語をサラッとテーブルに載せたような入門の章からBeyond Nihongo Made Easy と唱えた高等な手引の章まで、なんだ日本語は意外に面白いぞと思わせ(ようとす)る工夫に満ちた「力作」(?)だ。
本稿は、じつはこれを書きながらしみじみ思う日本語のユニークさをお話してみたい。英語の習得に汗を書いているひとには、日本語を習うのに四苦八苦している外つ国びとの悩みは分かるまい。その逆転もあるという、そんな話だ。
発音はいいがこれは困るというのが、何を隠そう日本語の動詞の活用だと外つ国びとはいう。たしかにそのようで、Made Easyだという意識で快調に滑っていた筆がにわかに躓(つまず)いたのがこのところだ。英語なら I go/ went /gone/ going で時制の変化が底流だが、日本語の動詞は、できる、できない、もし〜なら、などと仮定の話にまで及ぶ壮大な「活用」だ。上一段、下一段、カ変ラ変となると、これは外つ国びとの手には負えない。音はよくても動詞がこうではどうしようもない、と。
手に負えないからとて避けるわけにもいくまい。ならば、この歯応えのある食い物を流動食にして外つ国びとに喰わせてやろうじゃないか、Made Easy を謳うからには避けるとは何ごとか、とまあ私はいま老骨に鞭打っている次第。
骨の折れる仕事だが、そこは手練(てだれ)た言葉の話、一向に苦にならないのがせめてもの救いだ。
これで一人でも多くの外つ国びとが日本語に馴染んでくれればいい、東京五輪をどこかで後押しできればいい、まして Nihongo Made Easy を介して日本文化の伝播が小指ほどでも進めばいい、などと、子と身を先取りして春の白昼夢に浸る私なのだが、さて。 


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検証 公団居住60年 №4 [雑木林の四季]

憧れの団地に入居できて 4

       国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

自治会設立と日常活動

 自治会は、あとで述べるように、内部的にはごみ処理やマイカー駐車の問題、公団にたいしては住宅修繕や環境整備の要求、そのほか対市交渉等の課題につぎつぎ直面した。こうした課題にいつでも住民が結束して立ち向かえる基盤をはぐくむには、日常活動を基礎にした多彩な恒例行事の積み重ね、それに広報活動は欠かせなかった。
 自治会は結成後すぐ団地外に事務所を設け、役員会の決定にもとづき事務局が中心になって動きだした。広報舌動がまず先行した。B5版20ページ前後の「会報」を隔月に、3年後には「自治会ニュース」として月2回、いずれもタイプ印刷で発行している。役員体制は、会長、副会長5名、事務局長、渉外、厚生、広報、文化、婦人、会計の各専門部部長と次長など約25名で厚生していた。執行部役員のほかに棟ごとの評議員、階段ごとの階段委員のネットワークをいかして運営し、大きな行事では別に実行委員会をつくり、広く会員の参加・協力を得てきた。
 特定のテーマのもとに集まり散じる種々の団体とちがって、地域自治会(町内会)は、その地域に住むすべての人たちによって、日々起こるあらゆる問題に、昼夜をとわず常時とりくむことを旨としている。賛否の対立があれば無理に決めない、合意に達するのを待つ。大事なのは「中立」「回避」ではなく、概ねの合意と協力を得る努力と忍耐である。
 自治会事務所は実にこまごました活動をし、さまざまな相談事に応じている。そのうえ年に何回か恒例行事をおこなっている。初期は住民のほとんどが30~40歳で活力にあふれ、幼い子どもたちも多く、7月初めは七夕まつり、7月末に夏まつり、8月子ども映画会とラジオ体操、10月ハイキング、11月は団地祭で運動会や作品展示会など、12月子どもクリスマス会、1月自作たこ揚げ・羽根つき大会、等々旺盛に行事をこなした。半世紀をへて少子高齢化がすすみ自治会行事に変化はあるが、それでも2010年代の現在も、夏まつり、月見の秋まつり、バスツアー、作品展のはか、毎月1回、喫茶室、居酒屋、映画や麻雀のサロンをひらいて住民の親睦交流をはかり、「助け合いの会」をつくって支援活動、自主防災活動等をつづけている。
 手許にあるので第3回団地祭(1969年秋)のプログラムを紹介しておこう。10月11日の物品交換会にはじまり、交通安全教室、民謡のつどい、団地運動会が各1日、サークル発卦展示会を5日間おこない、11月9日に終わった。
 運動会は、第5小学校の校庭で朝10時から4時近くまで、第1団地の赤組、第2、第3と分譲団地の白組に分かれ、幼児から大人まで23種目を競った。その時の運動会だったかどうか、前夜の雨で水はけの悪かった校庭は朝になっても水浸し、みんなで古新聞を持ちより校庭に敷いて雨水を拭いとり、ようやく運動会にこぎつけたことを思い出す。
 団地の子どもはすべて5小児童、居住者みんなが若かった。運動会は、おおげさにいえば、団地住民が全員集合、大いに盛りあがった。縁あってこの地に住むことになり、見知らぬ者どうしがここの住人として「新しいまち」を創るんだという気分がみなぎっていた。
 団地入居の初期は、新しい土地にきて何かやってみよう、仲間をつくろぅと意欲が芽生えたのであろう。自治会に30をこえるサークルが登録した。その一端をあげれば、幼児教室、長寿会、カークラブ、野球、少年野球、卓球、囲碁将棋、民謡、ダンス、人形劇、華道、茶道、書道、ギター、尺八、謡曲、絵画、折り紙、編み物、洋裁、等々。これらのサークルは自治会と協力関係をたもち、自治会活動を支える大きな力となった。
 消費生活の面では、周辺にまだ商店が少なく、自治会が一役を担っていた。1966~67年の一般紙をみると、「日用品の共同購入」「新鮮な肉を安く、自治会は仕入れて販売」「がっちり団地商法、市価の半額」などと報道され、味噌、醤油、豚肉からトイレットペーパー、洗剤、網戸、金魚鉢まで自治会事務所ところ狭しと並べ、「さながらスーパーマーケット」と書かれていた。
 とりわけ注目をあっめたのは「15円牛乳合戦」だった。団地にたいし11店が牛乳の売り込みにしのぎをけずっていた。自治会は牛乳版売店と交渉し66年5月、当団地にかぎり1合ぴん18円の普通牛乳を15円に大幅値下げをすることになった。ところがメーカーと販売店組合は「全国に及んだら大変」と1か月後の6月に契約撤回を申し入れてきた。自治会は8月にグリコ協同乳業と「一括購入による直売」契約をむすび、団地主婦による早朝配達で普通牛乳を日本一安い1合ぴん15円で販売し、新聞紙上でも話題となった。ピーク時には1日5,000本をさばいた。
 しかし好評の自治会牛乳も、72年ころから乳児人口が減り、学校給食で牛乳がだされるようになり需要は減退、配達員の確保もむずかしくなってきた。ましてパック入り牛乳がスーパーの目玉商品となり、まとめ買いが当たり前になると、自治会牛乳を続ける理由はなくなり、75年にやめた。日用品の廉価販売もすでにやめていた。
 自治会事務所は入居49年後の2014年になって初めて団地内に構えることができたが、それまでは富士見台2丁目内をあちこち移転してきた。牛乳事業をしていたときは牛乳冷蔵庫が置ける建物の二階に間借りしていた。
わが団地の幼児教室

 国立では私立幼稚園が、1950年の国立音大付属をはじめ、60年までに6園、しかし、中、青柳、東、北に限られていた。西と谷保(富士見台をふくむ)の地区にはなく、団地入居がはじまった後の66年に3園(国立ふたば、富士見台、文化)ができた。ついでにいえば、国立にはいまも公立幼稚園はなく行政は保育園づくりに努め、第2団地となりに66年開園した町立なかよ保育園が第1号である。
 団地に越してきて、近くに入園できる幼稚園があるのか、幼児の親たちは気が気でなかった。わたしも地元の知人に紹介され、のちに衆議院議員になる園主宅に菓子箱をもってたのみに行った。娘はお父さんの勤め先を聞かれてちゃんと言えるように、長いながいカタカナばかりの会社名を必死におぼえていたのを思い出す。高い倍率で入居できた団地の4・5歳児にとって幼牡園も狭き門だった。
 入居するとすぐ第1団地と第3団地で20代、30代の母親有志が3歳児保育を、各35人クラス、過3回午前中、月謝1,200円で発足させた。早く集司生活に慣れさせたい願いのはかに、4歳になって狭き門への入園対策の思いもあったろうが、当初から「自主保育」への志向がうかがえた。希望者が多くて抽選で入室を決め、はずれた子どもには、幼いときから気の毒な思いをさせた。
 団地の集会所を保育室とし、本やおもちゃ、積み木などを持ちより、手作りの保育が始まった。結成したばかりの自治会も低い机や小さな椅子を寄付した。
 やがて富士見台地域の幼児増も落ちつき、どこの幼稚園にも入園しやすくなったころ、わが幼児教室に4・5歳児の自主保育をもとめる声がつよまり、1974年に自治会でも取り組み、施設について市と交渉した。自治会直轄の形をとり幼児教室から市に100万円余を寄付し、園舎は77年3月に市と公団の協力でできあがった。
 多摩地区では、自治会ないしは自主運営の幼児教室を、公立幼稚園の設立を要求しその実現までの手立てとみる考えと、一般の幼稚園と目標や運営を異にする自主保育それ自体をめざす考えに、団地によって分かれ、わが教室は後者の道を選んで今日にいたっている。
 近年では団地の少子高齢化がすすみ、団地に住む園児はごく少数で、近隣のマンションなどの幼児を迎えている。団地の幼児が少ないのに自治会が幼児教室を支える意味、責任があるのかとの声が聞かれる。幼児教室の50年を顧みると、その意味、役割、期待は変化しているが、わが団地がいまも子育てにひじょうに恵まれ、地域に開かれた貴重な環境であることに変わりはない。団地住民の善意とすぐれた環境に囲まれ、施設を活用し共同して子育てをしようとする人たちがいる限り援助したいし、高齢者にとっても団地のなかに子どもたちの声が聞かれ、若い親たちと育っていく姿を目にするだけでもいいではないかと思っている。


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台湾・高雄の緑陰で №70 [雑木林の四季]

米国の台湾関係法

           在台湾・コラムニスト  何 聡明
 
 最近台湾の民進党政府が神経を高ぶらせている事態が起こっている。それは米国貿易代表署と國務院領事事務局がそれぞれのネット・サイトに載せていた中華民国国旗の絵を削除した事である。民進党政府は直ちに米国政府にその絵のネット・サイトへの恢復を要請したのだが、国務院は「台湾関係法」と「米中(中共)三公報」に基ずいた米国の台湾政策に変化はないと応じ、同時に米国が「米中三公報」で確認した一つの中国とは「中華人民共和国」であることにも変化はないことを示唆した。
 1980年元旦、米国は台湾へ亡命した中華民国と断交し、中華人民共和国を承認して今日に至っている。その後米国と台湾人民の関係は米国国会が立法した「台湾関係法」に拠り、中華民国政府に代わって「台湾行政当局」と台湾と緊密な関係を維持してきた。台湾関係法には米国が台湾の国防に必要な武器を売却する条項も含まれている。
台湾では米国政府各部門がそれぞれのネット・サイトから中華民国国旗の絵を削除したのは、中国からの圧力に負けたからだと考える者もいるが、米国政府は「台湾関係法」立法後、台湾行政当局と交流すると決めた時点で、中華民国の名称とその国旗の絵を全て削除すべきであったのを、元中華民国政府の面子を慮ってか今日まで延ばしていたのだと私は考えている。何故ならば、米国は既に中華民国と外交関係はなく、「台湾行政当局」を代表する旗は制定されていないからである。
 民進党が2016年に中国国民党より政権を勝ち取った後、蔡英文総統は台湾の現状維持を謳った。それは、「台湾即ち中華民国、中華民国即ち台湾の現状維持」を意味する。だが、米国が関係を結ぶ「台湾行政当局」は現在に至るもなを中華民国国旗を使用しながら「台湾政府」と自称するので、米国は困惑したに違いない。この度米国はその困惑からの脱出を決行したのであろう。
 今後民進党政府が積極的に「台湾は台湾である」と唱え、中華民国と其の国旗、国歌または国家年号より完全離脱を計らねば、米国国会は「台湾関係法」の修正、または破棄を迫られる恐れがあるかもだ。
私は米国の「台湾関係法」は民主制度を遵守する台湾が完全に脱中華民国を果たしたあと、「台湾国」と名乗れることを切望する台湾人の道しるべであると思っているので、民主制度国家である日本にも「台湾関係法」の早期立法を期待し続けて来た所以である。     
 

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私の中の一期一会 №159 [雑木林の四季]

              「平和の祭典」平昌冬期五輪の開幕が間近に迫ってきた
      ~日本メディアの五輪報道は“ニッポン礼賛一色”にならないでほしい~

          アナウンサー&キャスター  藤田和弘

 平昌冬期オリンピックの開幕が間近に迫ってきたが、4年に一度の「冬のスポーツの祭典」が開幕直前になって、国際政治に利用されるような状況になっていることを私は残念に思う。
 オリンピックの政治利用は当たり前かも知れないが、洋の東西を問わず、スポーツに政治が絡むと、碌な結果にならないことが多いからである。
 ロイター通信によれば、北朝鮮の金正恩氏は正月1日に発表した「新年の辞」の中で、“朝鮮半島の緊張緩和”を呼び掛け、“平昌五輪に選手団を派遣する用意がある”ことを述べていた。
 一方韓国の文在寅政権は北朝鮮との対話を模索していた。また、更なる核開発やミサイル実験によって五輪を邪魔されることを嫌い、“北朝鮮選手団の大会参加”を呼び掛けていたというのである。
こうした思惑を持つ韓国と北朝鮮が17日に、板門店の韓国側施設「平和の家」で開いた両国の次官級実務協議で、五輪開会式にそれぞれの国旗ではなく“朝鮮半島を描いた統一旗”を掲げて合同入場することで合意したのだ。また“女子アイスホッケー競技にも南北合同チームで出場する”ことで話し合いが纏まったと韓国統一相が世界に明らかにした。
 開催国の韓国が、自国の太極旗(テグキ)ではなく統一旗で入場することに国民は違和感を抱かない筈はない。韓国側が譲歩し過ぎのように思うのは、私だけだろうか。
 北朝鮮の参加決定を受けて、河野外相は記者会見で「五輪は平和の祭典なので、北朝鮮が参加の意向を示したのは良いことではないか」と述べている。
 また菅官房長官も会見で「北朝鮮の姿勢の変化は評価したい」と述べ、同時に核・ミサイルの開発は我が国を含む地域の平和と安全に対する重大、かつ差し迫った脅威であることに変わりはないと語り。圧力をかけ続けていくことを強調した。
 重大な挑発行為を執拗に繰り返してきた北朝鮮が、急に五輪参加を持ち出してきたことについては「五輪参加などは見せかけの譲歩だ。北朝鮮が実際に何かを手放す筈がないではないか」と主張するのは、アメリカのシンクタンクで米韓政策を担当するスコット・シュナイダーという専門家である。
 「北朝鮮の五輪参加を許すならば、地球上で最も非合法な政府に正当性を与えることになる。北朝鮮が参加するなら我々は参加しない」という言い分もあったりして、北朝鮮に対する風あたりは依然として強い。
 IOCは、国ぐるみのドーピング問題を抱えるロシアが、平昌パラリンピックを含めて“ロシア選手団”としての参加を認めていない。
 フィギュアスケート女子のエフゲーニア・メドベージェワやアリーナ・ザギトワらドーピング違反歴のない選手169人は、“個人の資格”で参加できることになった。メダルに絡んだ場合はロシア代表ではなく、「ロシアから来た五輪選手」として紹介されるという。
 これまでの冬季五輪に比べ“異質”な雰囲気が漂う平昌五輪だが、大会組織委員会は29日、参加エントリーを締め切ったことが明らかになった。
 冬季五輪史上最多となる92の国と地域から、2925人の選手が登録されたという。
肝心の韓国国内では盛り上がりに欠け、チケットが売れていないというマイナスの話しも伝わっているが、2月9日の開会式を皮切りに、17日間に亘り102種目でメダルが争われることになっている。
 平昌五輪に臨む日本選手団の結団式と壮行会が24日に開かれ、前回ソチ五輪で得たメダル8個を超える“9個以上のメダル獲得”を目指す選手らが本番への決意を新たにした。
 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は、結団式で「自己最高のパフォーマンスを発揮できるよう万全の態勢を整え、正々堂々と全力で挑んで欲しい」と挨拶し期待を示した。
選手が全力を尽くす姿と活躍は、20年の東京五輪を目指す夏季競技の選手たちへの激励になり、モチベーションになるという訳である。
 オリンピックに限らずW杯など世界大会に日の丸をつけて戦う選手たちは、メダル至上主義の中でプレッシャーと戦うことにならざるを得ない。
 「メダル至上主義」とは、オリンピックやW杯でメダル獲得を社会全体で異様なまでに熱望することをいう。
 期待の選手が出てくると、テレビや新聞が寄ってたかって「メダル、メダル・・」と騒ぎ立てる。
 選手へのインタビューでは「金メダルをとれるように頑張ります」と言わせないと気が済まないのがメディアとだ思えばよい。
 期待の選手がメダルを逃した瞬間に、選手の地元でテレビ中継を見ていた人達がガックリと肩を落とすシーンもテレビには必要なのである。
 日本の代表選手は男子52人、女子64人の合計123人で、男子48人、女子65人の113人だった前回のソチ五輪同様、女子が男子より多くなっている。
 平昌五輪メダル候補の一人、女子ジャンプの高梨沙羅は28日、ノルウエーのリュブノで行われた個人第10戦で87mと88.5mのジャンプを見せ、合計256.6点で4位に終わった。
 昨年は17戦して9勝を挙げ、表彰台を逃したのはたった2回という圧倒的な強さは何処へ行ってしまったのか不思議でならなかった。
 今季10戦未勝利のまま、五輪の本番に臨むことになるなんて想像も出来なかった。
 高梨本人が口にしていたのは、“ジャンプ台助走路への対応が出来ていない”というものだった助走の姿勢が安定しないと踏み切りのタイミングが遅れてしまう。空中でのバランスも崩れる。そうなると風の抵抗を受け粘れない。飛距離も落ちるのだ。
 難しいと定評のある平昌のジャンプ台を意識し過ぎて迷っているのかも知れないが、百戦錬磨の高梨沙羅にしては不調が長すぎるように思えるのだ。
 今季の第10戦は、五輪前の最終戦だったが、試合後「混戦の中で自分のやるべきことが出来た。収穫も多く、手応えがあった」と五輪を目の前にしてよい経験になったとコメントしている。
 昨季から11戦未勝利というのは自己ワーストの更新だったが、それでも1位との得点差は5.8点、飛距離にして3メートルというからボロ負けした訳ではないのだ。
 平昌五輪で「W杯通算54勝の歴代最多勝達成を」モチベーションにしたら、念願のメダルが手に入るかも知れない。
 スピードスケートの小平奈緒、高木美穂らは安定した強さがる。ノルディックスキーの男子複合は、渡部曉斗は、好調を維持していて期待が持てる。
フィギュアの羽生弦結は、怪我の回復次第で結果が変わるだろう。羽生は、今回“メダル、メダル”を頭から消し、“楽しめればいい”と気楽に滑ればよい結果が出るのではないか。
 作家の中島京子さんが、新聞に書いた「平和の祭典、五輪の魅力」という文章が目に留まった。
 ちょっと長目なので要約して紹介したい。
 「平昌五輪が始まれば、しばらくの間“ニッポンがメダルをいくつ取った”などという話題で持ち切りになるだろう。私(中島さん)が注目するのはフィギュア・スケートのフランス・ペアである。
 バネッサ・ジェームズは黒人女性、モルガン-シブレは背の高い白人男性というペアだ。昨年のヨーロパ選手権で3位という実績がある。
 黒いコスチュームの二人は、美しいパラレルな滑りや大胆な技を見せてくれる。
 世界中で紛争が起き、難民がいくつもの国境を越える。大国のリーダーが耳を塞ぎたくなるヘイトスピーチを平気で口にする“異様な分断の時代”に、黒人と白人のペアスケーターが、分断どころか信頼や結びつきで、一人でなく二人で行うパフォーマンスの美しさは見応えがある。
 鍛えられたアスリートたちの正確な演技。豊かな感性が紡ぎ出す肉体表現は、観客に感動を与えてくれる。
 日本メディアの五輪報道がニッポン礼賛一色になることなく「平和の祭典」の魅力をそのまま伝えてくれることを切に願っている」
 メダル至上主義から抜け出せない“スポーツ報道への警鐘”だと私は思った。
 


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浜田山通信 №210 [雑木林の四季]

「うちの女房にゃ髭がある」

                   ジャーナリスト  野村勝美

 1月22日の大雪以来5日ばかり一歩も外へ出なかった。道が氷結して転んだら大変の怖れもあるし、インフルエンザもこわいし、1日中暖房付け放し、猫同様にTV見ながらうとうとしていた。正月に頂いた年賀状の返事でも書けばいいのにそれもせず、もはや人間廃業状態、とてもエラそうなことを書く資格などないのだが。
 毎日朝から晩までTV漬けで気付いたのだが、近頃やたらと老人向けの番組が多い。昨年の「やすらぎの郷」や黒柳徹子、越路吹雪などは特別かと思っていたら、気がついてみるとNHKを先頭に、ニュース、ドキュメンタリーなど興味深い番組が多い。若い者にきくと皆スマホの動画を見ているからTVは見ないという。マンガまで違法の動画で見るのでコミックの本や雑誌まで売れないと書店主が嘆いている。新聞もTVも出版も、SNSに興味のない年寄り向けのものしか作れなくなっているわけだ。
 ということで27日の午後6時からNHKの「SHOW学校、五木先生の爆笑歌教室」というのを見てしまった。もう何回か見ているのだが、どれも昭和の歌謡教室で生徒はベテランが一人か二人、ほかは若い演歌歌手。この日は古賀政男特集で「誰か故郷を想わざる」など戦前の歌まで登場した。古賀メロディは私より年上の世代の心をつかんだ音楽で、いつだったか逗子の堀田善衛さんをたずねた時、大先生はうっとりと出たばかりのLPレコードの「古賀政男全集」を聴いておられたのだった。「懐かしくてねえ」。イントレピットの脱走米兵をかくまったあとだった。
 それはともかく番組の終わりの方で「うちの女房にゃ髭がある」が歌われたのには驚いた。「何か言おうと思っても 女房にゃ何だか言へませぬ そこでついついうそをいう (女)なんですあなた (男)いや 別に 僕は その あの パピプペ パピプペ パピプペポ うちの女房にゃ髭がある」
 昭和11年発表、私は幼稚園児だった。母の実家に蓄音器があり、私は軽快なこのメロディーがお気に入りだった。パピプペ パピプペをなぜかステカテ ステカテと聴いて叔母たちに訂正されたことをおぼえているが、いくらかませたところのある子供だった。歌手は杉狂児、これも有名な喜劇俳優で戦後、映画で見た。
 昭和11年といえば2・26事件のあった年だが、事件は全く記憶にない。翌12年は小学校入学、支那事変が始まり、父が兵隊にとられる。NHKはこの夜続けてBSで「朝日新聞阪神支局襲撃事件」をとりあげていた。'87年の憲法記念日5月3日夜支局が襲われ、小尻知博記者が散弾銃で射たれて死亡した。この時重症を負った犬飼兵衛記者が一週間ほど前の1月16日、73歳で亡くなった。私はもう毎日新聞を退社していたが、朝日新聞は“反日”として本社などもねらわれた。いまも“反日”が右翼関係でさけばれている。時効成立から15年過ぎた。こんな事件は二度と起きてほしくない。

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徒然なるままに №28 [雑木林の四季]

強烈寒波の襲来だ
               エッセイスト  横山貞利

 新しい年を迎えて、早くもひと月が経ってしまった。正月以来、この1カ月に次々と寒波が押し寄せて、日本海側の地域では大雪に見舞われている。1月中旬ころ、新潟に単身赴任している息子から電話があり積雪が1mを越えていると言っていた。1月23日、テレビの天気予報を視ていたら「今季最強寒波」により、今後北陸地方では1m~1.7mの積雪があると予測していたから、もっと積雪が増えていることだろう。
 また、1月25日には、東京都心で氷点下4度を記録した。東京都心の最低気温がマイナス4度になるのは1970年(昭和45)以来48年振りであるそうだ。こうした状況により気象庁は、1985年(昭和60)1月以来33年振りに「低温注意報」を発令して低温ついて注意するように呼びかけた。この異常な低温で1月22日に降った東京地方の雪が建物の日陰などに溶けずに残っている。また道路では雪が溶けだし凍ってアイスバーンになったりしているから通勤、通学の歩行で滑って転びケガをした人も多いことだろう。

 年末以来の葉もの野菜を中心にした値上がりがつづいている。昨年は、8月の降雨による日照不足そして10月の2回にわたる台風の影響で野菜の収穫量が少なくて野菜の値段が高騰した。新しい年になっても依然としてキャベツ、レタス、白菜、大根などが高騰したままである。台風によってビニールハウスが倒壊したり、雪で壊れたビニールハウスも多いことだろう。そうした施設の倒壊だけでなく、この強烈な寒波の襲来で大雪に襲われているだけでなく太平洋側の農業地帯では異常低温で野菜の生育が遅れているようだ。いったい何時になったら野菜の高騰はおさまるだろうか。
 わたしたちは、肉類や魚類を食べなくても豆腐、油揚げなど大豆類の加工品で蛋白質を補給できるが野菜を食べない食生活は不可能である。
 さてさて、この強烈寒波だ。いつになったら野菜類の高騰がおさまり平常な生活に戻れるのだろうか。

 ところで、2012年(平成24)12月26日に第2次安倍政権が発足してから、もう5年1カ月になるが、一強支配の政治構造がいつまでつづくのか。この状況がもたらす結果が怖い。
 1月22日に、通常国会が始まったが、安倍首相の「施政方針演説」を読むととても危険な方向に無理やり進めようとしていることが解かる。 安倍首相の自民党総裁任期は今年9月まであるが、当然再任を目指すだろうが再任できるかは不明である。従って任期中に「憲法改正の国会発議」に向かって自民党内を引き締め、同時に「改憲」を認めている政党を糾合して「国会発議」にこぎつけることを狙っているに違いない。
 通常国会が召集された1月22日に行われた自民党両院議員総会に於いて安倍首相・自民党総裁は次のように「改憲」を訴えた。
 「わが党は結党以来、憲法改正を党是として掲げ、長い間、議論を重ねてきた。
  私たちは政治家だから、それを実現していく大きな責任がある。いよいよ実現する
  時を迎えている。その責任を果たしていこう。」
 何とも大見得を切って「憲法改正」への意欲を表明したものだ。しかし、通常国会初日に行われた「施政方針演説(所信表明)」では、一番終わりの部分で、たった6行で「憲法改正」について触れただけであった。
 「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法です。各党が憲法の具体的な案を国会に持ちよ
  り、憲法審議会におい て、議論を深め、前に進めていくことを期待しています。」
 この施政方針演説を読んでいて、全身に寒気が走った気がした。
わたしは、戦後1947年(昭和22)の教育制度改革による新制中学校で「あたらしい憲法のはなし」(昭和23年2月7日、文部省発行)で「日本国憲法」について学んだ。この「日本国憲法」の真理を追究することにその後の人生を賭けた世代である。因みに安倍晋三首相は1954年(昭和29)9月21日生まれであるが、わたしは1954年には新制高校2年生であった。あの大戦の焦土の中から幣原喜重郎などによって「戦争」を否定し「平和」を目指して悲壮な決意の思いで作り上げたのが現行の「日本国憲法」でる。こうした先人の「熱情・思い」に学ぶべきである。
 施政方針演説で内閣総理大臣が「改憲」を促す方針を演説すること自体、閣僚の「憲法尊重義務」を違反しているのではないか。兎に角「日本国憲法」の条文が充分達成できているのであろうか。例えば総理大臣の専権事項といわれる「衆議院の解散」を憲法第七条「天皇の国事行為・第三項」に基づいて行われることの是非、第二五条「生存権、国の社会的使命」による「社会保障制度」など現行憲法の規定を徹底的に履行すべきことの方が優先されねばならないのではないか、と思う。

 アメリカの核の傘の下にあって、イージス・アショアや巡航ミサイルを備えヘリ空母「い
ずも」を改装して米軍のステルス戦闘機F35Bが発・着艦できるようにしたり補給したりできるようにするという。こうなれば将に米軍の指揮下にはいることであり、米国の戦争に積極的に参戦することになるのであろう。これらの軍拡について安倍首相は「北朝鮮」に対応とするのが目的のように言っているが、本当の目的は「対中国」にあるのだ。

 昭和前期の戦争の反省から「平和国家」を目指してきた「この国のかたち」を全て変えてしまおうとする安倍政権の試みを認めてはならない。その縮図が“沖縄”である。戦後73年目になる今日まで一貫してつづいている「沖縄の占領」を解消する努力がなされなかった。江戸時代の薩摩による支配、明治時代には謝花 昇(ジャハナ ノボル)らの努力を無視して沖縄を支配した。そして戦後、1972年(昭和47)5月15日の施政権返還後も米軍による占領支配は何も変わっていない。この1月には3回のヘリコプター・トラブルがあったが、安倍首相は基地が普天間から辺野古に移れば危険から逃れられるという発言をしていた。なんということか。いつまで、沖縄を放り出しておく心算か・・・。

 この原稿を仕上げているとき、夕方のテレビニュースで野中広務氏の訃報を知った。こうした戦争を知っている人たちが政界からいなくなっている。戦争を知らない人たちが国会議員を占めている現状が怖い。

 倉本 總
 「昭和からの遺言」(1951年第1刷発行 双葉社刊)

   欲しがりません、と心で唱えていた
   あの頃の自分がなつかしい。
   小さな自制が自分にあった頃
   それが当たりまえだと思っていた頃
   自分は今より豊かではなかったが
   何となく今より倖せだった気がする
              (20頁より)
               


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BS-TBS番組情報 №154 [雑木林の四季]

BS-TBS 2018年2月のおすすめ番組(上)

                  BS-TBS広報宣伝部

湯のまち放浪記 2時間スペシャル~雪の東北 秘湯旅~

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2018年2月3日(土)よる7:00~8:54

☆湯のまち放浪記、4年ぶりの新作!今回はみちのく、青森と岩手をゆる~く楽しむ!

出演:清水国明、酒井敏也、おかゆ

温泉街をゆる~く楽しむ大人のための紀行番組、4年ぶりの新作!今回は、清水国明さんが素敵な旅のパートナーとみちのく青森と岩手を旅する2時間スペシャル。
まずは、俳優の酒井敏也さんと岩手県花巻市へ。岩手県の郷土文化、南部鉄器や郷土料理「ひっつみ」や「わんこそば」を楽しみ、岩手出身の文豪・宮沢賢治ゆかりの大沢温泉で、ひとっぷろ!
続いて、日本でただ一人の女性流し「おかゆ」さんと青森県津軽へ。雪に包まれた世界遺産・白神山地や、冬の津軽海峡の風物詩・ストーブ列車など、冬の青森は楽しみが沢山!青森の温泉でひとっぷろの後は青森の美味しい幸に舌鼓!

三宅裕司の昭和お宝フィルム大発掘

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2018年2月9日(金)よる7:00~8:54

☆日本全国に眠るフィルムを発掘!上映すれば、そこには「懐かしの昭和」があった!

司会:三宅裕司
ゲスト:なぎら健壱、田村幸士
進行:皆川玲奈(TBSアナウンサー)

日本全国のご家庭やお役所など、様々なところに眠っているフィルムを発掘!貴重な映像を見ながら、「昭和の日本」を懐かしむ。
司会は、昭和26年・神保町生まれの三宅裕司。ゲストは昭和27年・銀座生まれのなぎら健壱と、昭和52年・目黒生まれの俳優・田村幸士。三宅裕司はお父様撮影の8ミリフィルムを持参。父に俳優の田村亮、祖父に阪東妻三郎をもつ田村幸士は、祖父や父・叔父たちが映る貴重なフィルムを持参。
▽昭和の大スター…力道山、芥川龍之介自殺2か月前の姿など、昭和の大スターの貴重映像が続々登場。
▽庶民の暮らし…昭和30年代~40年代の普通の暮らしを懐かしむ。
▽昭和の子どもたち…フィルムに残された昭和の子どもたちの姿は?
▽東京オリンピック…街頭テレビ、聖火ランナー、後楽園での前夜祭など、1964年(昭和39年)東京オリンピック当時の空気を映した映像を発掘!

歌手デビュー50周年特別企画 前川清オールヒット決定版

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2018年2月10日(土)よる6:30~8:54

☆デビュー50周年を迎えた前川清のヒット曲オンパレード!

出演:前川清
スペシャルゲスト:加山雄三
ゲスト:クール・ファイブ、紘毅(長男)、前川侑那(次女)
アシスタント:山内あゆ(TBSアナウンサー)

今から50年前の昭和44年。歌手・前川清が鮮烈にデビューを果たした。
若干20歳の前川がヴォーカルを務める、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」が大ヒットし、瞬く間にスターの座を射止めた。その後もソロとして数多くのヒット曲を生み出し、今もなお活躍している。
今回は、そんな前川が自身の数あるヒット曲の中から厳選した10曲を熱唱。スペシャルゲストには加山雄三さんが登場!前川の大ファンだと公言する加山さんと夢のコラボレーションが実現。プライベートでのエピソードも飛び出し、2人で「そして、神戸」を熱唱する。そして、前川清の息子でシンガーソングライターとしても活躍している紘毅(ひろき)と、バンド「DireWolf」で活動中の娘・前川侑那を呼び寄せ親子共演も。さらには、元妻・藤圭子の名曲「新宿の女」も披露する前川ワールド全開の2時間半スペシャル。
<放送予定曲>♪長崎は今日も雨だった、♪逢わずに愛して、♪噂の女、♪東京砂漠、♪嘘よ、ほか




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ロワール紀行 №70 [雑木林の四季]

アゼイ・ル・リィードルの城館 2

           スルガ銀行初代頭取  岡野喜一郎

 ここのシャトオは、百年戦争後、ロワール河岸に流行した武備を伴わない住居と悦楽のため作られた館の、典型的なものの一つである。
 王国の財政を司っていたジル・ベルトロは、その日常きわめて多忙であった。シュノォンソオを作ったカトリィヌ・ブリィソネ夫人と同じく、この城館もベルトロの妻、レスバァイの指図で、一五一八年から九カ年を費やして完成した。
 カトリィヌ・ブリィソネ夫人がシュノォンソオを造営したのが、一五一三年から二一年にかけてであるから、この二つのシャトオは同じころ出来たわけである。
 この両夫人は、ともにサンブランセエ家の出であり、互に往来し、建築について何かと相談したようである。もっとも、権勢高い女連のことであるから、心中、秘そかに相手のシャトオのアラを探し合って満足したらしい。
 そんな或る日、アゼィ・ル・リィドオを訪れたプリィソネ夫人が、シュノォンソオの方が地形的に優れているとお思いになりません?とレスバァイ夫人に切り出し、あわや大喧嘩にならんとした一幕もあったという。
 ともに富豪の出、趣味高尚、互に軽い嫉妬めいたものを感じながら、風雅なシャトオを競い合ったとは、衣裳のヴォグやパタァンを競うのとは異なった、ルネッサンス風の華麗なロマンティシズムを感ずる。
 かなりの距離のある、清々しい並木道を歩くと。降り勾配の周囲の地形まで、小諸城址の城門によく似た門がある。それを過ぎ、狭いアンドル川に架かる石橋を渡ると、楊柳の間にシャトオが白く見えてくる。
 建物の正面は、プロワ城のフランソワ一世翼部にちょっと似ている。だが、プロワと異り、装飾が控え目で心地よい。女の建てた城館としては、実にあっさりした意匠である。
 フランス・ルネッサンスもこの頃になると、豪華なイタリア風の模倣を脱して優雅簡素なフランス好みの味を漂わせはじめたのであろう。
  西南の側面から眺あるシャトオほ、アンドル川の水を引いた池に美しい影を落している。
 楊柳の老樹が、その葉を水に垂れて風情を添える。このシャトオほ「ロワールの真珠」と讃えられている。しかし私は、内部はアゼィ、外観と配置はシュノォンソオに指を屈する。
 正面入口の上に、フランソワ二世のFと、火トカゲ(サラマンダア)の紋章が刻まれている。恐らく、ベルトロの王にたいするお世辞であろう。
 この他にも、要所要所に、あっさりした彫刻があるがジャン・グゥジョンの作だろうといわれる。
 一階から二階、二階から三階への石の階段は、実に優雅で素晴らしい。プロワの『フランソワ二世の螺旋階段』の影響を受けているというが、螺旋ではなく、完全に踊場に登る設計であるのに、螺旋階段より足労を感じない。私は、プロワを凌ぐ、独自の工夫と美しさだと思う。
 何百年の間に、何万人の人々が、悲喜交交(ひきこもごも)の思いを秘めて、昇降したであろうか。
 石段の中央は擦りへって、窪んでいる。
 城主の居間には、ルゥイ十一世からアンリ四世までの、フランス王や大貴族などの肖像が飾られている。ことにカトリィヌ・ドゥ・メディシス、ギュイーズ大僧正、ギュイーズ公などのポォトレエが興味を惹く。
 初代城主の頃からの家具、穀物、道具類、絵画なども、よく保存されている。
 茶目なアメリカ婦人が、使用禁止の札の下っているその椅子の一つに悠然と腰を掛け、城主夫人を気取ったつもりで鷹揚に扇を使いシャトオ管理人にたしなめられ、笑い乍ら立つ時の台詞の、「ああ、お前か、御苦労」には一同大笑い。
 最も珍らしいのは、台所が昔のまま保存されていることである。当時の様々な台所道具が整然と壁にかけられ、四世紀を経た今日でも、即座に大勢の食事を調理できるだろうと思われた。御婦人達には大いに興味があるらしく、爽やかなマダムやマドモワゼルがガイドに熱心に質問していた。
 女の設計したシャトオだけあって、台所はその頃としては勿論、今日の男が見ても、充分広く明るく、能率的な配慮が行き届いているように感じた。

『ロワール紀行』 経済往来社


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バルタンの呟き №27 [雑木林の四季]

「冬の朝」

                 映画監督  飯島敏宏

 何十年ぶりとか、観測以来初めてとか、異常気象に冠する言葉が全く効力を失ってしまうほど恒常化した気象が、日本ばかりでなく、ほとんど地球規模で続いている昨今ですが、特にこの冬は、北海道、東北、日本海側の各地ばかりでなく、四国、九州、そして東海、関東までもが、久しく経験したことのない雪と寒さに震えあがっている有様です。未だに紆余曲折を重ねている平昌冬季オリンピックの開会式当日の予想気温が-20度だとか、安倍首相がどんな服装で登場するのか期待していますが、韓国や北朝鮮との関係の方は、ぜひ冷え込ませないようにお願いしたいものです。閉会式の花火の代りにとんでもないものを打ち上げられては溜りませんので・・・
「この寒波、あと、何日ぐらい居据わるのか・・・」
と、壁のカレンダーに手をのばして、2月4日立春とある文字に望みを託しかけた途端に、テレビから最近はやりの女性お天気キャスターの声で、この2月には関東地方太平洋側にも大雪が、と聞こえて来るではありませんか。おまけに、なんと3000年ぶりだといわれる本白根山の噴火も、なんだか一筋縄では終わらないという予測も・・・

 それでも、地球の自転は正常に行われていると見えて、6時ちょっと過ぎには、ようやく空が明るむようになってきたわが街の中央公園で元旦を除く一年364日行われ続けるラジオ体操に出かけようと、抜けがたいベッドから、気力を振り絞ってようよう抜け出したというところです。
 かかりつけのお医者(せんせい)からは、
「なにぶんご高齢なんですから、あまり寒い朝のラジオ体操は感心できません・・・」
虚血性心臓まひの危険がありますから、と釘を刺されているのを押して、四肢の衰えを少しでも遅らせたい一心と、ある種の見栄と意地で、耳覆いの付いたキャップにマスクという、顔面を完全に覆うあり様で出かけて行き、さすがに参加者の減少が目立つ公園の一隅にたむろする平均77歳に垂んとする常連男組の談論に加わって、
「いやァ、僕が子供の頃は、近くの銭湯から、ぬれた手ぬぐい振り回しながら帰ってくると、ウチに着く頃には、カチカチに凍って、棒みたいに突っ立っていたもんですよ」
「担任の先生が、軍隊帰りのバリバリの軍曹殿でね、手袋は禁止、3枚以上の重ね着検査ありでしたからね、霜やけ、皸(あかぎれ)皸、ひどいもんだったなあ。 それでも僕(ぼか)僕ァ、半ズボンで空脛だったんですからねえ・・・」
などと強がった会話を交わしたり、街の外縁を回るウオーキングを終えて家へ帰り、朝ごはんの支度をしているカミさんから、
「信州じゃ、凍った田んぼをリンクにして、下駄スケートをやったもんよ・・・」
と聞かされて、
「木下駄の歯に刃(エッジ)刃を付けたあれか、もちろん知ってるさ。僕ァ集団疎開で那須へ行ったからね。地元の学校への行き帰りには森の中を歩いて、竹を割って造った小さなスキーをはいて滑ったり、それを橇にして、焚き木を拾って運んだことがあるからね・・・」
「国民学校5年生の時だったかなァ、大雪が降った朝、先生を先頭に、男組全員裸足になって校門から飛び出してさ、学校から1キロメートル以上離れた上野公園の不忍池まで走って、砂利道を踏んで、一周1・5キロのマラソン競争をさせられたんだ。それでも、最初の内は泣きたいほど冷たかった足が、終いには感覚がなくなっちゃって、かえって楽になるんだよ。途中、帝大(東大)の弥生門の前で、オーバーを着込んで、マフラー、手袋をして歩く角帽の帝大生たちとすれ違った時、先生以下わざわざ足踏みして見せて、弱虫めとばかりあざ笑ったりしてさ、軍隊帰りの先生だったからね、反感もあったんだろう・・・でも、その大学生たちが、やがて動員されて戦争に駆り出されていったんだからね・・・」
 そんな話から始まって、登校の途中、街の角々で、仕事前の大人たちが焚火に当たっているところに潜り込んで、手を温めたり、何かの時には、そこへ家から持ち出したサツマイモを放り込んで焼き芋にしたり、などの断片的な思い出にふけったり、今となっては、ある意味では楽しかったと思う冬の寒さの話をしていたのですが、帰りがてら取り込んできた朝刊の新聞を広げて、開幕の迫った平昌冬季オリンピックに絡んでのアメリカと北朝鮮それぞれの動きを伝える記事や、対北朝鮮や中国を意識して、日米同盟を強調する安倍内閣の日本が、むりやりトランプ・アメリカから買わされることになっている自衛隊の必然的に核に関わることになる新戦闘爆撃機や、ミサイル迎撃兵器などの写真に眼をやったとたんに、なぜかあの、思い出したくない、みじめな戦争中の冬の夜々が、甦ってきてしまったのです。
 昭和20年国民学校6年生の時、忘れもしない3月9日夜からの米軍B29新鋭大型爆撃機大編隊のトウキョウ大空襲の、哀れな、屈辱的な、恐怖に身をこわばらせた夜から始まった、転々と避難する先々をまるで狙い撃つように追い回された両三度の夜間空襲の想い出です。
前年末から頻繁になった東京空襲のうわさは聞いていても、無事でいられた疎開先から、中学受験のために僕ら6年生だけ、毎晩のように空襲警報のサイレンが鳴り響く東京に帰って、ひたすら試験日を待ち続けたあの冬の情けない夜々のことです。
日本の新鋭戦闘機でも辛うじて到達できるほどの高々度に、大群でやってくる巨大な4発爆撃機B29から、膨大な量の焼夷弾をまき散らして、木と紙でできた家々の建ち並ぶ日本の首都TOKYOを、外周から順々に炎の絨毯を敷きつめるように焦土化する、軍民無差別爆撃の下で、鳴り響く空襲警報発令のサイレンと半鐘を追いかけるように迫ってくるB29の重々しい爆音に怯えきった僕は、厳しく鍛え叩きこまれた少国民の矜持など何処へやらで、洋服縫製の足踏みミシンの下の小さな空間に屈みこんで、マニュアルの爆風防御姿勢どおりに、両の指を使って、目、耳、鼻を塞いで大きく口をあけ、ひたすら身を縮めて震えている他はなかったのです。いわゆる東京大爆撃として名高い3月9日夜の爆撃の際には、すでに2月15日夜の爆撃で、神田周辺から隣り町まで、一夜にして焦土化されたことが分かっていただけに、ただただ恐ろしくて恐ろしくて、日頃鍛錬していた防火活動に加わるなどとは思いもせず、ひたすらに、頭の中に浮かぶあらゆる神仏に命乞いをしていたというありさまだったのです。
「逃げるんだっ!」
 突然、ダダダダッという何かが屋根を打つ音が聞こえて、なんだ、思ったとたんに、周りが急に明るくなり、火叩き棒を持って外から飛び込んできた中学生の次兄の引き吊った叫び声です。
 口々に、焼夷弾だとか防空壕だとか叫んでいたのでしょうか。お互いの名を呼ぶ声もあったでしょうけれども、ウチの周りが急に騒がしくなって人だのリヤカーだのが流れて行きます。
 浮足立ってミシンの下から這い出てうろうろするところへ、台所から走り出てきた母親から渡されたアルマイトの大ヤカンをぶら提げて家を飛び出し、避難する人の流れに加わって、一目散でした。日ごろ教えられていた避難所の後楽園遊園地(東京ドーム)にある高射砲陣地の周囲の広場に向かったのです。燃え上がる地上の炎が反射して赤く見える空には、戦闘機の低空飛行除けの積りでしょうか、河馬の形をしたガス気球が幾つも、ネットを張って浮かんでいたのを憶えているだけです・・・
 後楽園広場に向かう広い壱岐坂通りのロータリーのある交差点で一息ついた時に、同級生のF君を遠く見かけて、お互いに手を振りあったような記憶が、今でも、どうしても消えずに残っているのです。
「そんな筈はないけどな・・・」
という、その時に僕と出会った同級生もいます。
 母親の渡した大ヤカンの中身が、目覚まし時計だったことも、次兄が、逃げざまにいったん戻ってポケットにねじ込んできたのが、当時手に入りにくくなっていた電球だったことも、明確に覚えているのです。
 翌朝だったか、漸く火の静まった翌々日だったか、
「俺たちのクラスでは、Fの奴だけ死んだ・・・」
と聞いて、彼の家の焼け跡に行ってみると、コンクリート建築の車庫のシャッターを開けて出ようとしていた大勢の大人たちに混じって、F君の黒焦げの姿があったという消息を聞かされたからです。
「まさか・・・」
とは思うのですが、ガダルカナル島帰還兵だった担任教諭から、
「初期消火で、帝都を守れ!焼夷弾が燃え上がる前に、身を挺して口火に濡れ蓆を被せれば消せるのだ」
と聞かされて、真面目一徹の少国民だったF君は、熱心に訓練していたからです。
「あいつ、戻ったんだ、あれから後、家へ・・・」
 いまでも、それだけは、間違っていなかったんだ、と思ってしまうのです・・・


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ZAEMON 時空の旅人 №28 [雑木林の四季]

                第二十三章 西暦2024年日本大革命プレリュード

                       文筆家  千束北男

覚醒(かくせい)したのは、西暦2024年のボク、つまり20歳の僕です。
その齢に達するまでの幼少からの記憶が、すみやかに脳内に再充填されると同時に、その先、ミズシマ・ハヤトとしてすでに経験した記憶も、つまり、この現在(いま)の僕にとっては未来である筈の西暦2030年の記憶をも、ごく一部を除いて記憶している僕・・・なのです。
ごく一部の記憶の欠落があるのは、西暦2030年の現実(リアル)に経験した一部分、あまりの恐ろしさから、ニンジャ美穂の手で消去されたと思われる部分の記憶です。

現在(いま)いるここは、僕の家、僕の部屋、のようです。大震災で被災した痕跡が残る、やや古びた部屋。耐震の支柱が露出したまま補修された壁面に張られたペナントは、僕の大学の校章です。ほかに、良質の厚紙を羊皮紙に見立てて、ペンで書かれた、シェクスピアの詞(ことば)が掲げてあるデスク。曇り空の見える窓の様子では、二階です。
聞きなれた、好感の持てない耳触りな政策宣伝の弁舌の声が聞こえてきます。階下の居間にある8K大型モニターに、毎々、教書と称して弁舌をふるう大宰相(だいさいしょう)のものです。
あの夏の終わり、山本久美子先生に提出した日記が作文コンクールで優勝して、文学の道を志すようになり、僕は今、文芸誌に時おり作品が載る詩人になっているのです。洋琴を奏で、詞(ことば)を唄う、大学の文学専攻科に身を置いている僕、なのです。勾玉に似たペンダントは、依然として胸に下げられています。

富士山大噴火に続いた大震災、原発事故、酷熱下の東京オリンピック・・・大震災で僕たち一家は、ローン返済中のマンションが倒壊する憂き目にあって、亡くなったパパのパパの遺したこの家に転がりこんだのです。
働いているのはママ。パパの会社は、一時(いっとき)の国を挙げての株式狂乱の時期に、過大な投資その他の財務リスクが原因で倒産してしまったのです。ベンチャー起業も試みたパパですが、例によっての畳水練で・・目下、当てのない失業中、です。
パパは、本当は僕を理科系に進ませて、将来は宇宙飛行士か、ロケット博士にでもしたかったらしいのです。
「SETIに宇宙人からの反応が届いたことを、政権は認識しているらしいんだけど、特定機密保護法のおかげで、国民には、デマ化して伝わっているんだ。相手はどうやら火星人と踏んでいるんだけどね僕(ぼか)ァ・・」
と、ビール片手にパパ。
「火星人が攻めてくるの?」
と、まともに受け取ったふりをしてお相手するママ。
我が家は目下、低収入高物価の波をもろに受けていますが、どうにか家庭内の平和は保たれているようです。
「いくら政府が秘密にしても、左衛門さんなら、真相を知っているに違いないわね」
と、ママ。
「秘密研究所で、侵攻して来る火星人に対抗できる新兵器を考えているかもしれない」
と、相変わらずのパパ。
「かもしれないわね。さあ、ごはんにしましょう、なにもないけど・・」
とママ。
「ビールもう一缶・・・いいかな?」
と、ママの顔色を窺うパパ・・
超インフレの狭間で苦しんでいる今の我が家ですが、父母ともに楽天的なのが、せめての救いです。
一方、僕の不可解な曽祖父水嶋次郎左衛門は、もちろん八ヶ岳の秘密研究所に籠って研究にふけっている、と、思われているのです。

翌朝、胸の勾玉の気配に促されるままに、洋琴を背負って電車に乗り、大学へ出かける僕がいます。
まだ、西暦2025年のストリクト星人率いる宇宙十字軍が来寇する前の状態ですから、大地震と、富士山大噴火の影響を被った状態ではあるものの、無慈悲な戦火と、あの巨大怪獣ロボットのグレンデルが蹂躙した壊滅的な損傷は受けていない東京の景観が、窓外を流れてゆきます。
日本が世界に約束した西暦2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、西暦2017年の大災害からは、なんとか奇跡的に復興して、無理矢理の非常体制で乗り切ったものの、終わってしまえば元の木阿弥で、一部識者の予言どおりに訪れたオリンピック後の不況に、狼狽した政権が行った無謀な金利政策の濫用でむりやり達成した虚構の景気は忽ち低迷して、産業は停滞、農産、水産も不作不漁で、政権保持のために、さらに、奇矯な通貨政策を連発したけれども、一向に効果が発揮できずに、無能力化した政府はついに崩壊したのです。
代わって政権を担うはずの野党勢力も、ながい雌伏の間にほとんど根絶やしになっていて、空洞化してしまった議会民主主義は崩壊するほかはなく、恐ろしいことに、この空白に乗じて、前政権が増強した軍と財界が手を握って、憲法無視の国家戦略の独裁管理機関が、クーデター紛いの手法で政権を握ってしまったのです。
つまり、西暦2024年現在の日本を運営するのは、政府や官僚機構、政党ではなく、軍、財界が擁立した傀儡(かいらい)の総理大臣で、権威を強調する目的で、強引に自らを大宰相と称揚(しょうよう)称揚して、一党独裁よりもさらに閉鎖的な、ほとんど専制といっていい政治を行っているのです。この国はもはや、国会は存在するけれども選挙はなく、任命制の議員で構成されている大政翼賛の議会であり、司法と行政を同一にした大法院が施政を決定し、与党も野党も全く無力化して、もはや民主主義国家ではない状態になっています。

災害で水没してしまった霞が関官庁街に代わって、都心でも海抜の高い小石川の高台地区に近代的な高層ビルが林立して、官庁や大企業本社、金融資本が集結再建されたのですが、その中心に、みごとな回遊庭園まで備わった中世ヨーロッパの城塞まがいの設計で迎賓館を兼ねて建てられた壮大な大宰相府が、東京を見下ろすように聳え立っているのです。
「いいですね、大宰相。もし火星人が宣戦を布告してきたのなら当然戦うのです。地球の軍事力であれば、火星恐るるに足らず、断固戦うべきよ。これこそ火星侵攻のチャンス到来ですもの」
と耳元でささやく陸海空三軍の女性総司令官であるミス・ディーマンに、傀儡大宰相は全く反論できずに引きずられているのです。
「火星探査船ラー号の完成を急ぎ、一刻も早く火星に地球軍を投入して制圧すべきである。いま、火星を叩かなければ他の星人にも足元を見られる。たとえばバルタン星人を見よ! かれらは、かつて地球へ侵入して、地球への移住を要求したではないか。バルタン星人は、ウルトラマンによって排除されたが、地球人への復讐と、ふたたびの地球侵略を狙って、いつ攻めこんできてもおかしくないのだ」
ミス・ディーマンに唆かされて、いまこそ国民に、火星制圧の号令をかけようと、大宰相府の階上バルコニーに立って演説する大宰相です。
大宰相の周囲に居並ぶ付和雷同派の政治家や経済人が、大きな拍手で賛同を示します。バルコニーの下の広場に集まった、全国各地から動員されて集まった善良極まる市民たちからも、大宰相の威勢のいい弁舌に酔い痴れたように拍手喝采が沸き起こりました。
「いまこそ! いまこそである! 積極的攻勢に出て、火星人の思い上がった宣戦布告に立ち向かう決意を固めるときは、今である!この道しかないのだ!」

山本久美子先生!
自分の言葉に自分が酔う事を、自己(じこ)自己陶酔(とうすい)と言うんでしたね。
まさに、大宰相のありようがそれなのです。この新年、軍の核ミサイル群のパレードを謁見した時の高揚した気持ちを思い浮かべて、いつも通り、三軍総司令官ミス・ディーマンが送り込んでくるメッセージを、そのまま機械的に右から左へ、口移しに喋っているのです。威容を誇る新兵器。オスプレイ型兵員輸送攻撃機、ステルス新鋭戦闘機、そしてついに核弾頭ミサイルまでも・・・

折も折、まず、最初にZAEMONのミッションの実行に取り掛かったのは、たったいま大宰相から地球侵攻の仮想敵にされたバルタン星人の騎士、ピピン、パパンでした。
異時元からいきなり大宰相府バルコニーに跳びこんできたピピン、パパンは、無碍(むげ)の国民を心の中ではあざ笑いながら、表面ではあくまで滑らかに快い弁舌をふるう大宰相が、実は、背後にいる三軍総司令官ミス・ディーマンに踊らされているのだという事実を、あからさまに露呈してみせたのです。
「国民諸君! 手始めにまず、思い上がった火星人に、わが軍の先進核兵器の効能を知らしめようではないか! 準備は粛々と、スピード感を持って進められている!」
ますます調子を上げて演説する傀儡大宰相は、背後の三軍総司令官が口に出す言葉をそのまましゃべっているにすぎないのです。
ところが、ピピン・パパンの奇襲は、とてつもない始まり方でした。
得々と続く大宰相の声を、発言の途中でミス・ディーマンの甲高いソプラノにすり替えたのですから、バルコニー下の広場の群衆から、思わずざわめきと、やがて哄笑が沸いてしまったのです。さらにピピン、パパンは容赦なく、大宰相本人が心の内で思っている本音を、大宰相自身のダミ声で喋らせてしまったのです。
「ふふふ、国民の生命財産を守るためと称して、国家予算を湯水のように使いながら、本音では儂(わし)をバカにしている軍部の連中に、火星人相手の戦争で、少しばかり冷や汗でも掻いてもらおうじゃないか・・ふふふ・・」
傀儡大宰相の口から飛び出した意外な言葉に、満場の観衆が、思わず静まりかえると、
「なんですって?大宰相! 軍部がどうしたっていうの?」
ミス・ディーマンが聞きとがめます。
「え?あ、いえ、私は、なにも申しておりません。ですが、口が勝手に動いてしまって・・」
三軍総司令ミス・ディーマンの鋭い視線が、慌てふためく大宰相の隣で大笑いしている彼らを焙り出す直前に、すっと姿を消したピピン、パパンが、僕にはよく見えました。これが、ミッション達成のための彼らの挨拶がわりのみごとな一番槍でした・・・
                                 つづく


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医史跡を巡る旅 №35 [雑木林の四季]

「紀行シリーズ」~人道・博愛精神のルーツをたどる・熊本 中篇

               保険衛生監視員  小川 優

熊本入りして三日目。夜の間に台風は通り過ぎ、台風一過の好天とはいえないまでも、時折晴れ間がのぞきます。前日の夜は友人たちと合流して植木温泉に宿泊、夜遅くまで熊本名物の馬刺しと焼酎を堪能しましたので、少し寝不足です。そんな状況の中ですが、友人の車で田原坂に向かいます。

金峰山県立公園 田原坂」

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「金峰山県立公園 田原坂」 ~熊本市北区植木町

田原坂についたとき、大きな虹が出ました。

「田原坂から見る虹 史料館展望台から」

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「田原坂 史料館展望台」 ~熊本市北区植木町

田原坂は西南戦争の激戦場として知られます。西南戦争とは、一般には征韓論に敗れた西郷隆盛が、士族の不満を背景に起こした、最後の内戦といわれています。今年のNHK大河ドラマは西郷隆盛が主人公ですから、いずれ田原坂の戦いも描かれるかもしれません。
維新後初めての近代戦により、銃弾や砲弾の飛び交う戦場で、銃創を中心とした多くの死傷者を出し、悲惨な状況となります。広まりつつあった西洋医学をベースとして、戦場では軍が組織した軍陣医療のほか、地元の開業医有志が傷ついた将兵の治療にあたります。主な戦場となった熊本では、反乱軍とはいえ薩軍に対して親近感を持つ者も多く、また薩軍の中にもかつて政府軍に属したものもいて、たとえ敵味方であっても隔てなく手当てするようになったといいます。
こうした史実から国際赤十字発祥になぞらえて、熊本は日本赤十字発祥の地、田原坂は日本のソルフェリーノの丘とも呼ばれています。

西南戦争を理解するために、国内のできごとの流れに触れておきましょう。

明治2年(1869年) 版籍奉還
明治4年(1871年) 廃藩置県
明治6年(1873年) 徴兵令、明治六年の政変(征韓論派敗北)
          西郷隆盛、野に下り、鹿児島に私学校を設立する。
明治7年(1874年) 佐賀の乱
明治8年(1875年) 江華島事件
明治9年(1876年) 廃刀令、日朝修好条規締結、秩禄処分
          神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
明治10年(1877年) 西南戦争

明治10年1月、私学校の生徒が鹿児島にある政府の武器庫を急襲して武器弾薬を奪います。そして2月に入り、西郷隆盛を旗頭として部隊を編成した薩軍は熊本方面へ進撃します。鎮台(地方部隊の駐屯・司令部)の置かれていた熊本城を急襲・包囲し、さらに主力部隊は北上します。ところが熊本城は加藤清正の築いた難攻不落の名城、薩軍も大砲や小銃といった近代兵器を用いて何度も攻めかかりますが、なかなか陥とすことができず、徒に死傷者が増えていきます。
熊本城の北側、前回ご紹介したリデル、ライト両女史記念館の立地する立田山の西裾、北熊本駅の近くに拝聖院というお寺があります。

「拝聖院」

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「拝聖院」 ~熊本市北区室園町

拝聖院には薩軍の侵攻により城下から焼け出され、元細川藩医であった鳩野宗巴が避難していました。彼は薩軍熊本隊からの依頼で戦闘による負傷者の治療にあたります。

「鳩野宗巴像」

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「鳩野宗巴像」 ~熊本市北区室園町 拝聖院

鳩野家は代々細川家の範囲を務めた家柄で、八代目の鳩野宗巴の父は、蘭学とともに華岡青洲の流れをくむ華岡流外科術を学びました。その父の教えを受けた鳩野宗巴は父の死に伴い19歳で跡を継ぎます。25歳の時に戊辰戦争が勃発、藩命で医師として従軍、官軍の横浜軍陣病院では英国医師ウイリアム・ウイリスとともに治療にあたりました。蘭方医であったとはいえ、当時最先端の近代医学に基づく外科術を目のあたりにして、愕然としたとされます。技術だけでなく、ヒポクラテスを始祖とする西洋医学の考え方などを身に付けて熊本に帰ります。もしかしたらウイリスから、当時すでに活動を始めていた赤十字活動について話を聞いていたのかもしれません。
鳩野宗巴は薩軍からの要請にあたり、薩軍ばかりではなく政府軍の負傷者も分け隔てなく治療することを条件に、かつての細川藩医師とともに診察を開始します。

「西南の役 細川藩医師 結集の地 碑」

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「西南の役 細川藩医師 結集の地 碑」 ~熊本市北区室園町 拝聖院

この時治療にあたった同僚医師の中には、そのまま薩軍熊本隊に従軍したものもいます。鳩野宗巴も戦後、薩軍将兵を治療したことにより裁判にかけられますが、政府に盾突く意を共にしたわけではなく、あまねく傷ついた者を治療したことも認められて無罪となります。このわけ隔てのない医療活動を以て、日本の赤十字活動の起源の一つとされています。

「日本の赤十字活動発祥の地」

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「日本の赤十字活動発祥の地」 ~熊本市北区室園町 拝聖院

「細川藩医師団の赤十字活動について」

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「細川藩医師団の赤十字活動について」 ~熊本市北区室園町 拝聖院

実はこのあとも、赤十字活動発祥の地はいくつか出てきます。
熊本城攻めの部隊と別れた主力はさらに北上し、体制を整えて反攻に転じようとする政府軍と激突します。その激戦場が田原坂。次回はその田原坂周辺の散策となります。




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