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往復書簡・記憶へ架ける橋 №5 [核無き世界をめざして]

記憶へ架ける橋5

                        東松山市・丸木美術館学芸員  岡村幸宣 

和泉舞さま

深々と冷え込む季節になりました。
閉館後に美術館を出ると、街燈のない暗い夜空に冬の星座が大きく見えます。

《原爆の図》のある美術館なので、絵を見て「怖い」と言われるお客さんに出会うことは珍しくありませんが、無理もないと思う一方、10年以上もこの美術館で働いていると、たとえ夜であっても「怖さ」を感じなくなります。
絵に慣れてしまったから……ではなくて、「描かれた死者たちに守られている」ということが少しずつわかってきたから、なのだと思います。
「私たちは死者の上を歩いている。その上を歩く。」
大野一雄さんの言葉、心に響きました。

《原爆の図》に向き合う、ということ。
そして時間と距離の隔たりを超えて、原爆に対する想像力を広げる、ということ。
いずれも、その言葉がもたらすものにつながっているのではないかと思いました。

石牟礼道子さんが、丸木美術館について書かれた文章があります。
『幽霊 原爆の図世界巡礼』(丸木俊著、朝日新聞社、1972年)によせられた文章です。
私は、まよったり、つらいことがあったりすると、この文章を読みかえします。
あんまり何度も読みかえすと、読むことに慣れてしまいそうなので、本当に大事なときだけ、読みかえすことにしています。

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妣たちの国のこと

不思議な夕ぐれの下で、ひとりの若者はうつむいて、ろくろをまわしていました。
女のひとは、まだ乾かない壺や皿をならべていました。裾短なすり切れたズボンをはいて、赤い鼻緒の藁草履をはいて。

ろくろをまわすなんて、なんて優しい若者なんだろう。
夕闇の熊笹の中にかがんで、じいっと彼の両掌をみていると、その指の先の壺は、なよなよと妖しくゆらぐのです。

ああここは、むかしむかしの国ではあるまいか。万葉あたりの郎女たちの住むところ。
すると、赤ちゃんの声がきこえてくるのです。谷川のせせらぎの奥の方から。

川の名は都幾川というのです。あまりにひなびてみやびやかなたたずまいなので、ここにしたたかな暮しが、しかも一種の、世代や階層をこえた共同体がいとなまれているとは、夢みたいなのです。赤ちゃんを背中にくくりつけた郎女たちの、唐子焼の陶土をこねる腕と素足は繊く、しかも強じんでリズミカルでした。土と青草の匂う指で、サラダが出来たりおにぎりが出てきたり、長柄の肥柄杓で、こやしを汲んだり。

年上の男たち、つまり位里氏あたりのグループといえば、密漁で賑わうおはなしを肴にして、夜な夜な酒精を召しあがる気配のご様子でした。

あら、丸木俊さんが、きっと桃を拾いにいらしたんだと、わたくしは熊笹の中に膝を抱き、あごをうずめながら、かの優婉な壺を眺めていて思うのです。
彼女はきっと川上の方へ、お洗濯に行ったのね、と。草履の音をぴたぴたとさせながら、どんぶりこ、どんぶりこと歩いて行くんだよ、と俊さんのことを考えるのです。
うん、この桃も病気じゃよ、漢方薬を筆で塗ってやらねばねえ、それとも煎じて呑ませてやらねばいかんかしら、と思いはじめる彼女のことを。

埼玉県東松山の林の上の空は、そらごとのようにうつくしく、そこは丸木夫妻のあの、妣たちの国です。
空がそこだけそのようにうつくしいのは、若者たちが壺をつくっていたり、原爆の図の中の、あの赤んぼたちが、あんまり愛らしいせいだろう、とわたくしは思います。

わたくしは東松山の、「原爆の図・丸木美術館」の、あの暗く無限に広い部屋を出たりはいったり、屋根裏にもぐりこんで、制作室を探検したりいたします。心の中はいつもひとりで、あの、やさしい幽霊たちの前に、足を投げ出し、膝を組んで坐っているのです。

ここはどこの広野かしらん……。
なんとまあ、ひとりひとり、やさしい幽霊さんたちだろう。ひょっとすると丸木俊さんは、幽霊たちの悲母さまかもしれないな、と。

するとわたくしは、逆さになって垂れ下がっていたり、赤んぼを抱いていたり、そのような母子を運んでいる男の幽霊たちが、もう好きで好きで、親しくてならなくなってくる。そこでいろいろと、幽霊たちと話をし、許されない筈のにんげんたちが許されて、自分もつい、許されたような気になって、外に出ると、景色がまたもやぱあっと陽転し、丸木さんたちの国の、陽の当る歴史の野原がそこにあり、お地蔵さんがいるかと思うと、埴輪や羅漢さまが長々とのびて寝ていらっしゃる。

ここはとても幻妙の国で、彼女はいつも眩しそうにしわしわとまばたき、絵の力よりも、そのまなざしのやわらかい力で、訪れるものたちをホトホトと溶かしてしまい、あれは夢ではあるまいか、と思うけれども、いや、ここもなおかつ、彼女の掌の中ではあるまいかと思われるのです。

一九七二年六月

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なんとなく、石牟礼さんも、大野さんと同じものを見ていらっしゃるのではないかという気がします。
私たちは、「やさしい幽霊さんたち」に囲まれながら、その上を歩いている。

いま、丸木美術館では、本橋成一さんの写真展「屠場(とば)」を開催しています。
大阪・松原の「屠場」で働く人たちの作業を約30年にわたって記録し、「命あるものは自分の命を保つために、命がけでほかの命をいただく」という根源的な問題をテーマにした写真です。
「屠場」を撮りはじめた頃、本橋さんは丸木美術館にも通っていて、丸木夫妻の日常を撮影していました。
そのときの仕事は、『ふたりの画家』という写真集にまとめられています。

その本橋さんが、昨年、写真集『屠場』を刊行されたとき、「この写真は、丸木夫妻にこそ見てもらいたかった。だから、ぜひ丸木美術館で展示をしたい」と言って下さったことから、展覧会が実現したのです。

本橋さんや石牟礼さん、あるいは銀林さん、和泉さんも含めて、さまざまな方の無数の思いが受け継がれてきたからこそ、この小さな美術館は今まで続いてきているのだと、実感しています。
いつかは誰かに、私も思いをつないでいくことになるのでしょう。
美術館開館から45年目、そして丸木俊生誕100年の節目の年が暮れようとしています。
本年もたいへんお世話になりました。

和泉さんから往復書簡の話をいただいたおかげで、「原爆の図」舞踏を見る目が変わっていきそうです。
また、来年もよろしくお願いいたします。


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