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バルタンの呟き №9 [雑木林の四季]

 「3・10東京大空襲のトラウマ」       

                                         映画監督  飯島敏宏
               
 3・11東日本大震災と東電福島原発事故を、断じて風化させてはならないのは勿論ですが、最近ややその陰になった感のある3・10東京大空襲も、決して忘れ去ってはいけない事実ではないでしょうか。
 金正男暗殺、弾道ミサイル発射など、国威発揚に狂奔している北朝鮮の異常な挑発や、中国の東アジア海域への軍事的進出を捉えて、米国のトランプ政権が「世界一の強国アメリカ」復活を懸けて軍事力再強化策を打ち出すのに追随するように、日米同盟強化を声高に唱えて軍事力を高めようとする日本政府のあり方は、安倍首相の称える「世界に平和を発信する積極的平和主義」という効果よりも、むしろ、中国、ロシア、はては韓国にまで、日本に対する懐疑と警戒の念を抱かせて、地域の緊張を高めているのではないでしょうか。
 しかも、虎の威を借りている心算が、肝心の虎(トランプ)が、獅子吼のみ頻発して、各国の支持さえ心許ない状況になってきた感があるのですから・・・
 気がついた時には、功を焦るトランプ大統領が、北朝鮮先制爆撃機発進の命を下した途端に、北朝鮮からの米軍基地報復攻撃の核弾頭付きミサイルが米との同盟国日本の沖縄は勿論、日本全国の米軍基地から首都東京、そして厚木基地に近い我が家にも着弾する・・・などというとり止めもない夢想が、このところ、私の睡眠を妨げるのです。いや、夢想に終わってくれればいいのですが、早くも、刺激的な見出しを求める夕刊紙に、「トランプ大統領、先制爆撃準備を指令」などという活字が現れているのにお気づきでしょうか・・・
 「自動車産業の繁栄には、戦争が不可欠」と、早くも軍需株を囃し立てる戦後の朝鮮戦争景気を知る筋も動き出したとか・・・「石油貧困国日本を制裁」と経済封鎖に踏み切って日本を戦争に追い込んだ国際連合のABCD包囲陣を想起させるような、北朝鮮圧迫も緊縛を強めて進行しています・・・なにやら、戦争の足音さえ聞こえて来た気がしてならないのです。

 ところで、私には、すでに70年以上たった今も消えやらぬ3・10東京大空襲の際の根深いトラウマがあります。
 昭和20年3月10日未明、アメリカ空軍の四発巨大爆撃機ボーイングB29数百機の大編隊が空を覆って波状に来襲し、まるで街中の住民の退路を断つかのように、無数の爆弾や焼夷弾を、東京の外側から内へ向かって絨毯を敷く要領でまき散らして、一夜にして東京中心部を塵灰焦土と化したのです。
 折悪しく集団疎開地から中学受験のために帰京していた6年生の私は、日ごろの訓練の甲斐も無く、次から次に響いてくるB29爆撃機のエンジンの重低音に怯えて、店(洋服店)の裁断台の下に眼耳を手指で塞ぎ口を開いて(爆風から頭蓋内を守る姿勢)、ミシン台の下にうずくまって震えていたのです。間近に迫った炎の大舌に包み込まれようとする我が家を、なんとか延焼から食い止めようと火叩き(尺杖の先に荒縄を括り付けた防火用具)を振り回す父母たちに急き立てられて、後楽園(現在東京ドームのある一帯にあった遊園地)の高射砲陣地の脇にあった(避難所と決めていた)広い空地目指して走り出したのです。子供心というのでしょうか、避難の途中で、ロータリー(交差点の中心にある輪状の囲い)がある大通りで出会ったクラスメート達と、それぞれが持ち出したものを見せ合って、火炎から逃れた安ど感と興奮から、励まし合うというよりも、むしろはしゃいだりしながら、避難所に向かったのです。見上げる空には、まだ、提灯行列のように上空を流れて行く、焼夷弾が見えていましたが、燃えさかるわが街は、もう標的ではなくなっていたのでしょう。
 不幸中の幸いといっては語弊があるかも知れませんが、一夜にして十万人の死者が出たと言われる空襲の中で、わが6年男組総員53名のうち、犠牲になったのは僅かにF君1名だったのです。F君は、家の事情で集団疎開はせず、空襲下の東京に踏みとどまっていたので、ガ島戦線帰りで、6年途中疎開先で担任になり、精神棒(短剣代わりの樫の木の棒)で僕たちを鍛え抜いた当夜学校に当直した先生が、折あるごとの挨拶で、「翌朝、焼け跡に生徒たちを訪ね歩いたのですが、幸いなことに、一人の犠牲者もありませんでした」と結んで、満場の感動を呼ぶ時、なぜか別扱いされるのです。 そのF君は、翌朝、昨夜避難途中でクラスメートと手を振りあったロータリーのある角に面した、当時この街では珍しかった鉄筋コンクリート造り3階建ての自宅ビル入り口のガレージで、恐らく、停電して動かなくなった電動式シャッターを押し上げようとしたままの姿勢で黒こげになった大人たちの遺体に混じって発見されたのです。ほんの数時間前に、ロータリーで手を振りあった笑顔の記憶が、私にはあるのです。あの場には、彼はいなかったというクラスメートもいるのですが、どうしても私には、燃えさかる木道(通りの舗装は木のブロック敷きだった)越しに、手を振っていたF君の記憶が残っているのです。
 昭和7年生まれ、もの心ついた時にはすでに満州国(現中国の一部)は日本の友邦として存在していて、支那(現在の中国)では事変(戦争)が頻発して、横町の遊びも、チャンバラごっこは兵隊ごっこに、鬼ごっこは水雷艦長に替わり、尋常小学校は国民学校になり、毎朝の宮城遥拝、皇紀歴代天皇暗記、教育勅語暗唱、体操は体育に、遠足は行軍、分列行進、匍匐前進、水練、竹槍、銃剣術、投擲などなど、少国民というよりも、むしろ、少年兵として鍛えられていたのです。
着の身着のままで家を焼け出されたわが家族は、職人の実家を頼って、大塚に移り住んだのですが、4月13日の空襲で再び爆撃されました。警報が鳴るか鳴らないうちに、B29が現れ、家を飛び出した途端、ガタガタ・・・と、屋根を突き抜けて、焼夷弾が落ちてきたのです。
 「焼夷弾は、すぐには破裂しない、落下を認めたら、30秒以内に、導火線に濡れ蓆を被せて消し止めろ!」と、胸に濡れ蓆を抱えて導火線の上に倒れ伏せる訓練を積み重ねていた僕でしたが、実戦で降ってきた焼夷弾ときたら、一発ならともかく、数本まとまっていて、屋根をも貫いて、私の周りじゅうを囲んで炎を上げているではありませんか。革靴の踵に、何か突き当たった感触さえ残っているのです。周囲の大人たちもすでに、何か叫びながら逃げて行きました。防火用水(大きな桶樽に水を張ったもの)の上に積んである蓆が目に入りましたが、反射的に、それを脇に付きのけて、抱え出すように託された刀剣などを水に突っ込んで、烈風のように吹きつける火の粉の中を、風上目指して駆け出していました。戦陣訓では、敵前逃亡!と嘲られる行動です・・・大通りの、すでに家屋が焼け落ちた地面の凹みに身を伏せながら、頭上を吹き抜ける火の粉の烈婦が過ぎるのを堪えて、耐えて、夜の明けるのをひた待ちに、ただ、神様や、仏様に祈り続けていました。
 なんと、B29は、その後も、執拗にわが家族を追いかけ続け、5月25日夜には、小石川の疎開したお邸の中に留守番として住み込んでいた処に焼夷弾の雨をもたらし、防空壕の屋根を踏み抜いた短気な母親の「私はもうダメだから、早く!」の声を残して、もう、迷いもなく敵前逃亡、広い女学校の校庭に走り込んで生き延び、翌朝、兄貴と二人であちこちに転がっている焼けトタンに覆われた屍体、防火用水から黒焦げの半身乗り出した屍体、コンクリートの車庫の寸前に倒れている屍体などを点検して探し歩き、「おーい!」という元気な呼び声と共に入ってくる我々より既に小さな母と邂逅することが出来たのです。
 「Fの奴はさあ、いたんだよ、あの時、ロータリーに・・・」
 ある時から、私はクラスメートと、あの夜の話をするたびに言うのです。
 「俺は、敵前逃亡して助かったけど、あいつ、ガ島帰りに教えこまれた通りに、あれから家へ戻ったんだよ。焼夷弾の初期消火をしに・・・そういう奴だったじゃないかよ、アイツ」
 10名までは秀(という採点)をやる、と言われて、最期の11人で競わされた時、無理を承知で、
 「突撃!」
という悲痛な声を残して、頭から跳び箱に突っ込んで行き落下、腕を骨折したF君・・・
 「あの頃、焼夷弾は油脂(ナパーム)に変わっていて、消せっこなかったんだよな・・」
 そう言いながら飲む酒は・・・焼夷弾の前から敵前逃亡して命を永らえた私に、にがい澱を残すのです。
少国民教育は、平和日本には不要です。教育勅語、戦陣訓・・・人間が生きて行くために必要なモラルは、自由の中に自ずから生まれるのです。
 だから、戦争は、ごめんです。なぜ、人類は戦いつづけなければならないのでしょう。少なくとも、日本にとって、戦争を知らないこの70余年は、忘れてはならない貴重な経験のはずです。ふたたび、不戦を貫いたマハトマ・ガンジーの言葉を思い出してください。
 「目には目を、は、世界を盲目にする・・・」


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笠井康宏

飯島さん、こんにちは。大変な思いをされましたね。金正恩、トランプと似たような者がトップですから、なんとも質が悪いです。日曜日の朝、三輪明宏さんのTBSラジオを聞いて出勤していますが、三輪さんは口癖の様に「現在は戦前のようだ。戦争は絶対にやってはダメだ。」と仰っていました。父と同世代の皆さんが声を大にして戦争反対の声をあげて下さるのですから、全国民はしっかり聞いて欲しいと思います。
by 笠井康宏 (2017-03-02 10:46) 

堀江 直子(リンデ)

 3月5日にシネマ・ノヴェチェントで「バルタンの呟き」のお話をうかがい、早速読ませてもらいにうかがいました。
 平成ウルトラを代表する脚本家の太田愛さんが、東京大空襲のおりの報道管制をテーマに大著「天上の葦」を上梓されております。
 そこでも、言論の危機と、「闘えるのは小さな火のうちだけだ」というメッセージが繰り返しでてきます。
 監督は私の父の世代でいらっしゃいますが、「第二の戦前」といわれるいまこそ、戦争だけはやってはいけない、そのことを70年の平和を実現した日本から発信してほしいと、心から思います。
by 堀江 直子(リンデ) (2017-03-16 17:24) 

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