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続・対話随想 №13 [核無き世界をめざして]

 続対話随想13 関千枝子から中山士朗様へ

                                    エッセイスト  関 千枝子

 本当ならここは中山さんの複信が入るはずなのですが、中山さんがペースメーカーの取り換え手術の前であり、目に何か炎症が生じて体調が悪く、もうひとつ落ち着かないということがありまして、私の「報告」をつづけてもう一回入れることにしました。
 ペースメーカーの入れ替え、経験のない私は簡単に思っていたのですが、大きな手術なのですね。それに当たって誓約書やらなにやら、いろいろ書類をとられて(このごろ病院面倒ですものね)、中山さんがナーバスになられるのもよくわかります。それに、私、近頃、同年配の方々(ヒバクシャでなくても)急に弱る方が多くて気にしているのです。この一年でずいぶん友を亡くしました。そして具合が悪くなっている方も多く、気にしています。
 誤解されると困りますが、私、中山さんの手術には何の不安も持っていません。電話で話す中山さんの声には張りがあります。声が変わってしまいいわゆる老人声になる方が多いし、耳が弱る方も多いのですが、中山さんの声若いです。私も幸い、目、耳、声などが元気なのはうれしく思っています。不器用な私は、目がだめになったらもう暮らしていくことはできないなどと思い、目がいいことをありがたく思わなければと思います。
 
 私の方は、この三月、四月、忙しくなりそうです。前の便で報告したシェフタルさんをこの間、被団協の事務局長田中熈巳さんに紹介しました。田中さんは、前からとても立派な方だと思っているのですが、安保関連法制違憲訴訟の原告になっておられ、この間、法廷で陳述もされました。それを読みまして、シェフタルさんに会ってもらいたいと思いました。シェフタルさんは、前にも書きましたが、日本滞在三〇年、日本語もうまいし、日本のことに精通しておられます。とても進歩的で平和主義者です。学者として、特高のことを調べたりしていますが、原爆のことに突っ込む勇気がなかったと言われます。原爆を投下した国、加害の国の国民としての複雑な思いは私にもわかります。そしてオバマが広島に行ったことで、勇気をもらったと言います。オバマ広島来訪についてはいろいろ考えがありますが、シェフタルさんがそういう風にとらえて、原爆のことに取り組もうと決意されたのなら、悪いことではないと思いました。そしてシェフタルさんを応援してあげたいと思い、ぜひ被爆者できちんと生きてきた方を紹介したいと思いました。田中さんにお願いしましたところ、田中さんも快く承諾してくださいまして、ちょうどビキニデーで焼津に行くから、静岡で会いましょうと言ってくださいました。シェフタルさんは浜松在住なので、静岡でお会いできればありがたいわけです。
 行きがかり上、私も静岡に行くことになりまして、一緒にお会いしました。私は田中さんが長﨑のヒバクシャだということくらいしか知らなかったのですが、親類を多くなくされ、お金がなかったのでしばらく働いてお金を貯めて東京理科大にいらしたこと(授業料が安かったかららしいです)、大学生協の運動を長くなさったこと、東北大にお勤めになっていたことなど初めて知りました。私は、被団協のような様々な考えの方がいる団体がともかくうまくまとまっているのは田中事務局長の力が大きいと思っているのですが、田中さんがもう今年位で事務局長もやめにしたいのだが、と言われるので、もう少し頑張って下さいと無責任なことを言ってしまいました。被爆者団体もいろいろあって自民党から左まで、いろいろありますからというと、シェフタルさんが、自民党?と驚くので、広島など、昔から自民党が強くて有名なところですよ、と言ってしまいました。そして「被爆者にはいろいろな考えの方がおられます。超保守から左翼までいろいろ。しかし、原爆だけはもうごめん、世界中のどこにも落としたくない、それだけは一致しています。これは絶対にわかってください。書いてください」と言ったのです。
そして、どんな方に体験を聞いても、さまざまなことに忘れっぽくなっている方も、あの日のことだけは、きちんと語ります。これをわかってほしいのですが(たぶんシェフタルさん、わかって頂けたと思いますが)。
 そのほかにも、前々回でお話ししたパリの松島かず子さんの映像制作も三月末から始まります。この準備打ち合わせも大変なのですが、とてもハードなスケジュールになりそうです。
 四月初め、松島さんとともに広島に入るのですが、撮影がすんだら、戸田照枝さんのところにお見舞いに行こうかと思っています。戸田さんのこと、往復書簡ではあまり書いていないのですが、国泰寺高校三年のときの同窓生で、後に彼女はクリスチャンになり、広島YWCAで地道な活動をつづけました。原爆詩や手記の朗読を熱心にされ(朗読グループ)、私の活動をつねに親身になって支えてくださった友です。第二集で、二〇一四年の八月四日のフィールドワークで、広島には珍しく雨が降り、雨が降ったので、中学生の参加者は学校から不参加命令が出て(事故を心配して)来なかったのですが、そのことを書いた文章で八〇代の参加者が「このくらいの雨で近頃の子どもはなんねえ」と怒った話を書いていますが、その怒った八〇代の女性が戸田さんです。
 元気だった戸田さんが、昨年お年明けから急に体調がおかしくなり、結局すい臓がん、大手術をやり手術は成功した、はずなのですが、腰痛がひどく、再発と分かり、私はとても心配で、撮影がすんだら彼女のところに飛んでいこうかと思っているのですが。とても心配です。たくさんの友が先に逝ったのですが、彼女のことを思うと叫びだしたいくらいです。長生きするのはいいことかもしれませんが、多くのゆかりの人を失うことでもあるのですね。でも、またそれだけに、生きている間は全力でしっかり生きなければと思うのです。
 ここでやめるはずでしたが、新ニュースを知りました。沖縄の摩文仁の平和記念公園に「全学徒隊の碑」ができ、除幕式があったというニュースです。沖縄戦での学徒の悲劇はひめゆり隊や鉄血勤皇隊など有名校のことはよく知られていますが、全部の学徒が動員され悲惨な目にあっているのです。有名校は「力がある」ので、記録や文集を出せますが、弱小校はできません。戦争の悲劇が有名校だけの物語に終わる。私は常々これは問題だと思っていました。広島の疎開地作業動員学徒の悲劇も同じです。国民学校高等科のことなど誰も知りません。この記事を読んで私は沖縄はやったな!と思いました。沖縄の場合、元学徒の要望を聞いて県がつくってくれたそうです。
これまで私、平和資料館の展示にきちんと入れてもらうことのみを考えていましたが、そうか、碑があったらなと思いました。広島でも運動できないかしら。広島市が作ってくれるなど考えられないですね。でも何とかできないかしら。途方もないことを考えています。


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