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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №55 [文芸美術の森]

ユーモアのペレストロイカ 5

            早稲田大学名誉教授  川崎 浹

間の芸術

 政治アネクドートが隆盛するためには複数の条件を満たさなければならない。批判に価する体制なり権力者がいて、抑圧下で制作者も緊張しながら、暗示や隠喩や象徴の記号を使いながら、辛辣なとどめや、笑いを注入する。象徴の技法の名手である日本人は芸術空間や時間のなかに巧みに間をもちこみ、これを活かしている。アネクドートの語り手が一行から一行へ、一句から一旬へと微妙な綱渡りを演じるのは、間を尊重するからで、アネクドートも一種の間の芸術である。沈黙のコソマともいうべき間の連鎖の背景には「無」がある。
 詩人パステルナークが森のなかで、沈黙は最高の音楽だといったように、沈黙は象徴芸術のもっとも深い基礎である。政治アネクドートが他のいわゆるジョークや酒落からぬきんでているのは、背景に深い沈黙を擁していたからである。そのとき沈黙は最大の表現となる。あるいは最大の表現をうみだす母胎となる。
 げんにそれを証明した二〇世紀ソ連の亡命作家がいた。七四年にパリで「コソチネソト」誌を創設したマクシーモフは、『犀(さい)の神話』というエッセイでつぎのようにいっている。

 ソ連を去ってから四年をへた。出国してから失ったものは得たものよりはるかに大きい。国に郷愁を感じているのではない。だったらエトアールの売店で「プラウダ」紙を買って読めばすむことだ。それは、私の人生と相互に編みあわされている人びと、私の人間的、文学的うわさがつくられる言語世界、暗い悪の力と対決する人間がもつことのできる真実についての誇らしい気持ち、そうしたものの喪失である。(中略)
 あれはお互いが理解しあう魅惑的な島だった。みながちょっとした言葉や、ちょっとした目配せや、ちょっとした仄めかしでわかりあうことができた。ときには私たちは電話口でただ黙っていたが(おお、これこそ祖国の電話だった)、この沈黙が私たちにはもっとも熱い言葉や説明よりもはるかに雄弁だった。

「緊張と沈黙」はつまるところ個人の問題だが、とはいえ一定の社会的条件下で成立しゃすいことを、マクシーモフはみごとにいいあてている。
 この緊張と沈黙がいっきょに解消されたかのような、多幸症的な時期がゴルバチョフの就任初期にあった。ペレストロイカと同時に情報公開という言葉がゴルバチョフの口から放たれ、それらは直もに世界をかけまわった。緊張と沈黙の精神がいっきょに後退し、これが私のような外国のお節介焼きたちに、同時に芸術作品や政治アネクドートを衰退に向かわ言のではないかと取り越し苦労をさせた。

お祝いのキス

 実際、毒にも薬にもならぬアネクドートが顔をあらわした。ある講義でいちばん面白くないアネクドートの例として、つぎの作品を紹介したら、みんながどっと笑ってくれた。なかなか思いやりのある学生たちだ。

 ゴルバチョフが街を歩いてクレムリンに登庁した。みなが出迎えると、彼のほっべたがうっすらと赤く腫れていた。驚いて尋ねると、ゴルバチョフは答えた。
 「途中で出会った人たちが、みんなしてお祝いのキスを浴びせてくれたのでね」

 多幸症を絵に描いたようなアネクドートだが、読者は笑えるだろうか。さらにゴルバチョフ夫婦の多幸症アネクドート群が発生したが、ロシアの政界では夫人同伴は型破りだったし、夫人の個性も強かったので、だんだん嫌味な皮肉のつよいアネクドートが増えてきた。いちばん通俗的で、有名なのはこれだ。

 ある夜、ライサ夫人がベッドのなかで、横のゴルバチョフ書記長に尋ねた。
「あなた、書記長夫人と寝るって、どんな気分?」

 これは日本でなら倹約家の夫が家計のやりくりのへたな妻に、こういうときと同じ構造だ。「ぼくは山内一豊の妻の夫だよ」。ただし、日頃へそくりを貯めていた「山内一畳の妻」が主人公で、いざというときの蓄えを夫に差しだし、夫をして名馬を買わせ主君への忠勤をはたさせることができたという美談を、読者が私と共有することを前提にしての話だが。

『ロシアのユーモア』 講談社選書


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