So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

渾斎随筆 №10 [文芸美術の森]

 歌材の佛像 1

                   歌人  会津八一

 私はこれまで、割合にたくさん古い時代の佛像を歌に詠んで来た。その中でも、飛鳥、奈良、平安あたりが一番多く、時にはずつと下って、室町、江戸にまでも及んでゐる。まづ飛鳥時代としては
        法隆寺百済観音
 ほほゑみ て うつつごころ に ありたたす くだらぼとけ に
 しく もの ぞ なき
        同夢殿救世観音
 あめつち に われひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を
 きみ は ほほゑむ
奈良時代では
         東大寺盧舎那仏
  おほらか に もろて の ゆぴ を ひらかせ て おはき はとけ
  は あまたらし たり
                     聖林寺十一面観音
  さくはな の とは に にほへる みほとけ を まもり て ひと
  の おいに けらし も
          新薬師寺十二神将
  たぴぴと に ひらく みだう の しとみ より 迷企羅(めきら)が たち
  に あさひ さし たり
と、いろいろあって、そして平安時代の初期に入ると
          観心寺如意輪観音
  さきだち て 僧が ささぐる ともしび に くしき はとけ の
  まゆ あらは なり
  なまめき て ひざ に たてたる しろたへ の ほとけ の ひぢ
  は うつつ とも なし
          室生寺如意輪観音
  みほとけ の ひぢ まろら なる やははだ の あせむす まで
  に しげる やま かな
          法華寺十一面観音
  ふぢはら の おはき きさき を うつしみ に あひみる ごとく
  あかき くちびる
などがある。
 すると、批評家の中には、この最後の四首あたりを拾ひ出して、そもそもこれが会津のエロだと云ふものがある。これを云ひ出したのは、私の義弟の櫻井天壇で、かなり古い話であるのに、今でもこれを引きあひにして、遙に呼應せんとする人がある。なるほどエロといへばエロでもあらう。しかし、これを私だけのエロにして、簡単に片づけるといふわけにも行かぬ。
 奈良には、もと竹尾ちよといふ人があった。あちらでは誰知らぬものも無いほどに有名な歌人で、『うたかた』『大和路巡禮の歌』などの歌集もあり、地もとに出来た繒葉書に、この人の歌を刷ったものが、いろいろあったりして、東京にも相當に知られたものである。この人は、後に大阪へ移って、今も健在な松山夫人であるが、この人が、ある時、私の奈良の宿へ訪ねられて、一と晩、歌の話をしたことがある。
 その時、竹尾さん問うて日く、私の歌は、何庭の何寺の佛さまも、同じやうに詠んでゐますけれども、それにくらべて、あなたの御歌の佛さまは一體づつ気持を捉えて、別々に詠んでありますが、伺うした加減で、あんな風に御出来になるのでせうかと。私の聞き違ひかも知らぬが、この時竹尾さんは、いくらか羨ましいことででもあるようにかう云っていら。私はこれに加へて、私もかねてから、此の開きを感じてゐましたが、これは、つまり、御互の性分のちがひ、流儀のちがひから来るので、しかたの無いことでせう。あなたは、いつも人間として、ことに女としての感傷で、佛にすがってお詠みになってゐるから、像としての様式とか技法とかいふことに、こだはりの無い御歌が出来るのでせう。佛教の目から見たら、その方が、ずつと神妙な詠み方なのでせう。私の方では、そこのところが、あなたのやうにまつ直ぐに、ひたぶるには行かない。その上、私は美術の方で、いくらかの心遣ひを持ってゐるので、同じく佛像といふ中でも、しらずしらず、その間に差別をつける。そして同じ御釋迦さんでも、観音さんでも、歌になれば、つい一體づつ詠みわけてゐるやうなことになる。佛さんの方から見たら、これは決して良い態度では無いのでせう。

『会津八一全集』 中央公論社


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。