So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

にんじんの午睡(ひるね) №34 [文芸美術の森]

チョコと汀女と

               エッセイスト  中村一枝

 つい先ごろ、隣の奥さんから「うちの娘、最近アルバイトに行ってるんですよ」というはなしをきいた。わたしより10才以上若い奥さんで、すでに3、40年の付き合いがある。おっとりとした口調ともの腰の柔らかい人である。それがね、と、彼女が急におかしそうに笑い出した。「チョコレート屋さんなんですよ、白金にある。」ウソーと言いかけてわたしは急いで言葉を飲み込んだ。「あのミントチョコの?」
 私が白金にあるミントチョコに出会ったのはかれこれ3、40年前。多分お店ができたばかりの時である。当時姑の中村汀女は下北沢に住んでいた。俳人としても、女流の著名人としてもめきめきと頭角を現わし始めたときだった。いま思うと私は何にも知らないくせに生意気な女の子で、始め、汀女さんときいてもその俳句さえ一つも知らなかった。おいおい本人を知ることになり、今になってもっと俳句のことなど聞いておけばよかったと悔やんでいるくらいだ。ところで最初のミントチョコを口にしたのは汀女の家である。「これね、白金か何か知らんけど美味しいチョコらしいっていただいたのよ。」
 当時汀女の家に行くと、部屋中おかしや果物で埋まっていた。その時もらったのがミントチョコで、わたしはその包装紙を頼りに白金まで訪ねて行った。あれから、チョコもお菓子も国内外を問わず手に入るようになったが、私にとって今でも1番すきなチョコなのだ。その大好きなチョコの店にとなりの娘さんがアルバイトに行こうが行くまいがなんの関係もない話なのになぜかウキウキするところが、わたしのミーハー度なのだろう。
 中村汀女と言う名前を初めて聞いた時は何も感じなかった。本当に知らなかったのだ。姑となってからも汀女と一緒に暮らしたことはないし、どこかへ一緒に行ったこともない。おっかなびっくり遠くから眺めてていただけだったとは随分勿体無いことをした気もする。ミントチョコと汀女さんなんておよそ合わない気がするのだが、熊本という、日本の中でも一種独特な地域に育ち当時としてはとてもおおらかに育った女の子。汀女が女学校時代に書いていたノートを見ると、当時の時代の先端を先取りしていた気もある。結婚した相手が大蔵省の官僚であった。普通その辺で夫の反対 とか、妨害とかありそうなものだが、夫は妻の才能と力を深く認めていた。その度量の広さとか、才覚の深さとか、当時の男としては珍しかったに違いない。ある意味汀女を延ばしたのは一つには夫の存在があったのではと思えてならないのだ。それともう一つ、汀女の夫重喜が横浜税関長の時代、横浜の新しい風を汀女なりに吸収したことはとても大きい。こういうユニークな人を身近に見ながら何も知らなかったことが悔やまれる。チョコレートは当時ハイカラの先端だった。そして汀女はいつも先を見ている人だった。

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。