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ロシア~アネクドートで笑う歴史 №58 [文芸美術の森]

ユーモアのペレスtpロイカ 8

            早稲田大学名誉教授  川崎 浹

後悔

 九三年二一月の選挙では予想を裏切って、「極右」ジリノフスキイの自民党が躍進して世界を不安におちいらせた。他方、期待の改革派ガイダールの「ロシアの選択」は辛うじて一位になった。「ロシアの選択」も選挙戦でけんめいの追い込みをかけ、一定の効果はあった。選挙は二つ、新憲法案の承認と下院代議員をえらぶ投票がおこなわれた。新聞記事によると、レニングラードの投票所でこんな会話がかわされた。

 「(ロシアの選択)ってどれ? 勤め先の同僚たちが電話してきて、投票を頼んだの」
 「あなたは民主派なの?」
 「民主派なんか支持するものですか。いやったらしい。勤め先で憲法賛成と〈ロシアの選択〉に投票しろといわれたの」

 こうして「ロシアの選択」に投票し、五人に一人が後悔したが、しかし自民党への投票でも五人に三人が自分の誤りを認めた。馬


「もっと、ひどくなるよ」

 九〇年代半ばソ連で投資信託会社MMMがバブル崩壊し、私が訪れたときにも払い戻しを要求する群衆が会社の前で列をなしていた。テレビはMMM批判の番組で監獄にいる社長の言い訳と、不運を訴える市民を映しだした。私が驚いたのは、その直後同じチャンネルがMMMのコマーシャルを流したことである。いっしょにいたロシア人は笑うだけである。どうやらテレビ局がMMMと契約した放映期間がまだ切れていないらしい。そのコマーシャルたるや、人は働かずに大酒を飲みながらも、投資でいかに利益をあげてアメリカ旅行に行けるかという、文字どおり「寄生」という言葉を使って社会への寄生をすすめる内容である。
 コマーシャルの間抜けなキャラクター「リョーニヤ」とMMMの社長マブロージもすっかり有名になった。マブロージは責任を政府におしつけ、破産した大部分の株主たちもかれに同調し、国家が自分たちの損失を補償し、投資信託会社MMMへの課税を免除するよう要求した。
 長インルレで物価が高騰し、マフィアが牛耳り、市民は犯罪におびやかさればがらも、警察が対処できないため、に、犯罪に鈍感になっている。零下のウラジオストク市では選挙を何度しても、定足数の不足や不正の検挙で市長が何カ月も決まらない。一般に何年も前から、状況は悪だといわれ、他方ではまだ悪くなるといわれてきた。

 オプチミストとペシミストの会話。
 ペシミスト(うち沈んで=だめだ、もうこれ以上悪くなりようがない」
 オプチミスト(喜ばしげに)「いやあ、もっと、なるよ、なるよ」

 このアネクドートは英語流にいえばNOとYESを使い、ハムレット式の地口でNOT TO BEとTO BE、否定形と肯定形を巧みに掛け合わせたたたいへん面白いテキストだが、日本語にはうまく乗らない。実際、話は代わるが、もっと悪くなるのだから、現状はまだ楽ではないか、という見方もできる。
 私の友人が仕事でウラジオストクに出張し、お婆さんに「ひどい状態ですね」と話しかけると、彼女は笑って「いあや、もっと、もっと、ひどくなるよ」と楽天的に答えたという。友人はロシア人の忍耐心にすっかり感じいったようだ。精神的耐久度を気候におきかえれば、北海道をのぞいて、「寒いですねえ」という日本人の標準度は零度、モスクワ市民がマイナス二〇度、、極東やシベリアでマイナス五〇度になる。
 もっとも場所によっては「たかが五〇度で」寒がっている訪問者を見下すと地もあると聞くが…。
 二二年を収容所ですごしたシャラーモフの小説『大工』では、古参囚人は温度計がなくとも、大気中の白い濃霧で零下四〇度と判断する。作家ソルジェニーツィンの収容所では四〇度で戸外作業休止になったが、シャラーモフのコルィマ収容所では五五度になっても働かねはならなかった。吸う息吐く息が音をたて、それでも苦しくなければ四五度。息切れがすると五〇度。吐いた唾が途中で凍ると五五度。途中で唾が凍るようになって二週間、長い収容所生活で衰弱している三〇歳のポタシニコアはもう人生一巻の終わりだと覚悟するが、翌々日、零下三〇度まで下がり、「もう春だ、助かった」と安堵(あんど)する。
 私たち日本人は零度から零下五五度に「下がる」という言い方をするが、なぜかロシア人たちは「上がる」といい、私たちとは逆の目盛りの読み方をする。どうやら私たちの下降感覚にたいして、かれらは上昇感覚の楽天主義で耐えられぬ事態を迎えでもするかのようだ。
 モスクワにいたある冬、珍しく真っ青に空が澄み渡って、いっきょに零下二五度になった。タクシーを拾ったら、真っ青と真っ白の空間のなかをおんぼろ車をがたがた運転しながら(車も道路も悪い)、ドライバーがにこにこしている。私が「今日はマイナス二五度だって?」といったら、「いやあ、もっとあるよ、もっと。三〇度まで上がる」とはしゃいで答えた。


『ロシアのユーモア』 講談社選書


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