So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

渾斎随筆 №12 [文芸美術の森]

 小鳥飼 1

                   歌人  会津八一

 越後に生れた私は、子供の頃には、誰もするやうに、やはりいろいろと小鳥を飼ったことがある。その頃は、いつも兄と小遣い繡を出しあって、町の鳥屋から、繡眼兒(めじろ)とか、小雀(こがら)とか、四十雀とかいふところを買って来て、その當座だけは、両方で競争のやぅに世話をしたがるが、間もなく厭きてくると、両方でそれを押しつけあひになって、手を出さうとしない。つい口論にもなる。そのうちに、鳥は膨らんで死ぬ。いつもきまってこれなので、私たちが、まるでそれを忘れたやうに、また庭の隅で、何か鳥銅の相談をして居るのを、祖母などに聞かれると、何よりも鳥がかはいさうだからと、止められる。それを隠して買って来ては、同じことを繰り返したものである。その後、ずつと本を読む人の生活をするやうになって、折々その頃のことを思ひ出すことはあったが、また飼って見ようといふ気にはなれなかった。          
 小石川の女子大學の坂下に居る頃、ふと三越から、白文鳥の番ひを買って来て、太い竹籖(ひご)の、箱には赤い漆を塗った横籠に入れて、毎日欒しく眺めて居たが、間もなく或る晩、たぶん鼠であらう、二羽とも嘴を噛み取られて死んでゐた。それがあまり無残に思はれたので、やはり小鳥は飼はないことにきめた。
 ところが落合へ移ることになった。もちろん其頃は落合村で、あざ不動谷の、崖を右に控へた高臺で、木の多い邸で、三方とも廣々と畑になってゐて、奥の茶室から眺めると、向うの丘に獨逸人の赤い屋根が一つ見えるだけで、満目ただ青々として淋しいところであった。これは春城翁の別荘であったのを、私の生計が急に怪しくなって来たときに、それを気の毒に思って、いつまでも無賃で貸してくれられたもので、もとは玄関に、佐藤一齋の筆で「閑松奄」といふ額が懸けてあった。私は小石川にゐる頃から「秋艸堂」と号してゐたが、ここへ来て見れば、崖に臨んで二本の大きな松があり、その太い幹が、茶室の窓を、斜めに横ぎつてゐるから、少し気取つて、黄山谷の『煎茶賦』でも思ひ合せて、「閑松庵」の「閑」を「澗」に改めようかと思ったりした。しかし不動谷などいっても、正直に云っててみれば、もともと薮竹の生えた傾斜地だけのものを、「澗」など云ふのは、少し大袈裟でもあるし、第一に、私は一齋の書はあまり好かないから、それを原案にして修正をするのも、気乗りが薄いし、とつおいつしてゐると、或る日、詩人の阪口五峯老人が見えたから、相談すると、今度こそほんとの「秋艸堂」ぢやありませんか、と云はれて、なるほどと、やはり「秋艸堂」にした。實はこの庭には、南向の正面に、大きな萩の古株が、いくつもあった。これは、たしか、逍遥先生の牛込余丁町の邸から、文藝協合解散後、何事にも記念の好きな春城翁が、貰って来て、ここへ植ゑておかれたものだと聞いてゐた。この萩が、よく延びて、誰の目にもつき、文字の姿は、「艸」冠に「秋」で、秋艸堂にしっくりしたのである。
 私がここへ引っ越して来たのは、秋の初めであった。荷物の取片付けが、まだ済まないうちから、毎日つとめ先の中學校から帰れば、すぐ日當りのいい縁側に、のびのびと寝て、楽しく幾日かを送った。もう時節であったので、小鳥が絶えず渡って来て、庭の樹立で鳴く。私の近眼では、その姿は見えないが、子供の時に、郊外へ囮に出かけたりなどして、聞き覚えのある囁き聾で、たいてい名ざしも出来た。この縁側の安臥は、その頃、何所となく少し疲れてゐた私のためには、たしかに養生でも修養でもあったらしい。ことに、だんだん冬が来、春が近くなると、たまたま庭の真ん中で、秋の暮に睡蓮が枯れたままにしておいてある大きな鉢の緑に、何か鳥がゐて水を飲む。庭の何所かに巣を懸けてゐるやつが、食後の喉を濡すのであらう。それが居なくなると、すぐ後へ、ほかのが来る。後から後からいろいろのが来る。が、気をつけて見ると、毎日その順序が決まってゐるらしいこときへわかって爽た。そんなことを一人で見てゐると、三越から物珍しげに白文鳥を提げて掃った頃とは、いつしか別な目で小鳥を見るやうになってゐた。
 そんな風にしてゐれば、それこそ、あらゆる小鳥を放し飼ひにしておくやうなものであるから、籠などに飼ふ必要もないわけであるのに、年来自分の調べてゐる法隆寺を「イカルガデラ」といふ聯憩から、一番(つがい)の数珠掛鳩を飼ひ出して、つらつらこれを眺めてゐると、これを見る目も、やはりいつしかだいぶ變つて来た。鳩には二枚の翼と二本の脚があるのは、元から知ってゐたが、その翼は背中の何の邉から生えてゐ、脚はおなかのどの邉から出てゐるのか。その翼や足で、どんな具合にして飛んだり歩いたりするのか。どんな風に首を動かして稷(きび)を拾ふのか。どんなに身を絞って、夢中になって雄は鳴くのか。私は、生きものとしての鳩を、始めてほんとによく見るやうになったらしい。そしてこれは、何ともいへないところであるが、何かよほど良いものを得たやうにも思はれるので、ほんとに良いことをしたといふ気持に満ちてゐた。
 それからは、いくらか解って来たやうな気がして、いろいろの鳥を飼って見たが、今でも思ひ出すと、私をいい気持に導くものは、世間で一番平凡なものに思はれてゐる、十姉妹である。まだ郷里で小學校へ行く頃、此の鳥を近所の行きつけの床屋で飼ってゐたのが、どうかすると、時たまに思ひ旧されたものであるが、或る時、難司谷の畠の店で、ふと此の鳥を買って来て飼ふことになった。まことに穏かな、行儀のよい鳥で、低くジョリイ・ジョリイと鳴きながら、きびきびと振り動かす白い尻尾を眺めてゐる私を、首を傾けて、いくらか解るといふやぅな限つきをしながら、餌入れから一つづつ餌を拾っては、すっきりとした嘴から、殻だけをしづかに喰ひこぼす此の鳥を、しばし打ち見ることも、心ゆく楽みの一つであった。′

『会津八一全集』中央公論社


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。