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渾斎随筆 №14 [雑木林の四季]

小鳥飼 3

                            歌人  会津八一

 最初来た時は、まだ至って若鳥で、南方から船で神戸へ着いたばかりのところを、波止場で買ひ取って来たといふことで、船底で鸚鵡や何かの鳴聲を覚えて来て、毎日午頃になると、それをしきりにやつてゐた。それが柄になくうまいものであった。するとある日、ある経験家がやって来て、一とくさりそれを聞いて、鳥が鳥の眞似をやつてゐるうちは問題にならない。それをやめてからでないと、ほんとに人間の眞似は出来ない。それが出来なければ九官などとは云はれない。と云ほれてみると、なるほど、支那では「秦吉了」といふ鳥である。俗書によると、昔その名を某九官といふ支那人が、一羽の秦吉了に自分の名の「九官」を、よく教へ込んだのを携へて長崎へ来た。そしてそれを日本の通事に見せて、こいつがこの通り自分の名を申しますといった。それを思ひ違って、鳥の名にしてしまったのが起りだといふから、九官といふ以上は、いくらか人間の言葉も知らなければならぬといふ理窟にもなる。しかしそれよりも、鳥の聲を開いて人が楽しむものならば、人の言葉を習って鳥が喜ばぬこともないかもしれぬと、とにかく内でも教へることにした。
玄人のする方法としては一と言葉をを二十回も、しかも毎日それを繰り返して云ひ聞かせるのだといふが、そんなことは、とてもしてゐられないので、「御早ウ」とか、「今日ハ」
とかいふのを、一度にいろいろと矢胆早につづけて教へることにした。初めはたゞ黙って開いてゐるだけであったが、しばらくすると、ぽつぽつ云へるやうになった。が、かうした気短かな教へ方のためか、それとも個性とでもいふのか、この鳥は、こちらで云へといふのを除(よ)けて、その次、その次と、一つ後れに答へるやうになってきた。「オ早ウ」といふのに「ハイ」はやさしくてよかったが、「今日ハ」といへばいつも鵬鵡返しに「左様ナラ」と来るのは、大にひねくれてゐて苦笑の至りであった。十(と)言ばかりを覚えると、時としては当意即妙、時としては言語道断、時としてはまたとんちんかんを極めたものだが、しかしながら彼の最も誇とすべきは、一言も人の口眞似をしないところにあった。これはまことに感心で、これならば世話の仕甲斐もあるといふものであったが、こちらにそんなことに凝ってゐる暇があるわけではないから、自然その辺でやめてしまった。しかし語学に油の乗りかけた此の天才は、それからは、教へもせぬことを、ひとりで覚え初めた。朝早く目をさますと、窓の上げ下げの滑車の音を、しばらく「キリキリ・キリキ
リ」とやる。やがて御用聞きが来て元気よく「今日ハ」といへば、すぐ「ハイ」と答へて、それから「アノ今日ハネイ」と何か註文でもするやうなことをいひっづけるし、私が大聾で「オイ・オイ」と呼べば、いつも人間よりもさきに「ハイ」といふ。私の外出の時に、玄関のたたきに立つ靴の音がすると、「行ッテラヅシャイマシ」といふ。或は私が御客を食堂へ案内して、主客が卓に着くと、間髪を容れず「ドゥゾ」といふ。そして此時、悪くすると、「食べタイノ」と失礼なことをいふ。そしておまけに、鳥の癖に、何が可笑しいのか、高聾で笑って笑って、しばらくは笑ひやまない。いつか或る精神病の医者が訪ねて来て、應接間で私と何か民芸の話かなにかしてゐると、急に板戸のあちらから、この高笑ひが起った。それを黙って聞いて居たこの医者は、病院へ帰ってから、落合でも本物を一人預かってゐられると語つたといふ。後でそれをほかから伝へ聞いてこんどは私が大に笑ったことがある。
 とにかく私のこの鳥には、思慮といふほどのものは無いのかも知らぬが、少くもその場合場合に應じるだけの勘があって、その勘で物を云つてるらしい。一口にいへば、それまでのことであるが、考へてみるに人間の言葉なども、一日中の大部分が、たいていその場合場合の御座なりで、機械的と云つてもいいのが多いのでは無いか。朝の挨拶は斯う云ふものだと教へられれば、暴風雨でも、吹雪でも、或はあひ手が大病でも、遇へはかならず簡革にグッド・モーニソグとしか云はない。そこに希望を寓してあるのだといっても、そんな風には受取れない。こんな具合に、まるで動きの取れない、時としては思慮の働いてゐるとも思はれないことを、御互に平気で云ひ交してゐるので、挨拶も口上も大体は版で刷つたやうである。そしてそれが版で刷つたやうである。ことに学問と名がつけば、大にあたまの働きが必要であらうから、九分九厘まで、他人の意見の暗誦や、請売りなどであってはならない。もし実際そんな風であったとしたら、九官鳥の浅薄はかりを嗤ってもいられないであらう。九官を物眞似の名人だなどと、感服するにしても冷笑するにしても、人間の方がやはりその方面では、一等の名人ではないか。
 むかしは十姉妹を飼って、やうやく萬有の化機を黙契したといふ私も、一たび九官を貰つてから、こんな風に、だいぶあからさまに物を考へさせられるやぅになった。
 私の歌に
   このごろ は ものいひさし て なにごと か 九官鳥 の
   たかわらひ す も
といふのがある。この高笑ひは、私の飼ってゐるやつを、実際に一度聞いてゐる人でないと、歌としては少し突然で、或は不自然なくらゐに響くかも知れぬ。だからある批評家が、これをば、老いたる作者の詩懐の物凄さといふことに節してゐられるのは、一應尤もではあるが、実際あれを聞かれたら、その批評家は、私よりも此の黒装束の皮肉屋を、より多く恐れられるであらう。                  (昭和十六年三月三日稿)


『会津八一全集』 中央公論社


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