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にんじんの午睡(ひるね) №41 [文芸美術の森]

バンの話

                     エッセイスト  中村一枝

 このところ近くにバン屋さんが、二、三軒オーブンした。バン好きのわたしのことで当初はあっちのバン、こっちのバンと食べ歩いて、バンの味を満喫していた。今でこそバンの味とか言ってあっちのバンこっちのバンと食べ歩き、好きなバンを賞味できるが、戦争が終わってしばらくしてもバンを賞味するなんて贅沢は許されなかった。ある日学校から帰ると、下宿先の伯母が「今日バンの配給があったのよ。食べる?」と言って出してきたのか、とうもろこし入りのバンだった。戦後初めて食べたバンらしいバンだった。その美味しかったこと、一切れ一切れを細かくちぎって、全部無くなるまで惜しみ惜しみ食べた。なん年ぶりかのバンらしいバンだった。爾来なん十年、私はご飯よりパン、パンがあれば何もいらないと未だに一日二食はバンを食べている。
 バンの味に関してもひとそれぞれ、あすこのバンが美味しい、ここのバン最高、と薦められて色々のバン屋を試してみるが、自分の好みはあまり変わらない。パン屋の変遷を眺めて見ても、わたしが感激して食べたとうもろこしバンを作っていたバン屋さんもとうの昔に姿を消した。そこで作っていたクリームパンとかチョコレートパンとか昔からあるひなびた味。最近はこういう味のバンが消えている。値段も上がった。見た目にお菓子っぽい衣装映えするパンが増えている。
 一斤の焼きたての食パンを真ん中から割って匂いを嗅ぐと、ぷーんとイーストの匂いが漂ってきた。その真ん中をかき出して食べるというお行儀の悪い食べ方のおいしかったこと。イーストの味なのか、ぷーんと立ち上る香ばしさ、要するに野蛮な食べ方が美味しかったのだ。戦前のある日いわゆる食パンの類いが姿を消した。戦争だから仕方ないと子どもなりに思った。戦争が終わったあと、大学の工学部に通っていたいとこが変なブリキの箱を持って、伊東までやってきた。そのブリキの箱に溶いたメリケン粉を入れて電気を通すと、なんとパンっぽいものができたのには驚いたおぼえがある。少なくともバンまでは行かなくてもバンに似た味がした気もする。
 戦後初めてどこからかもらったハーシーのチョコ、チョコってこんなに美味しかったのか。しゃれた包装の包みを眺め、無くなるのが惜しくて惜しくて最後の一切れまで口の中に転がしていた。食べ物を惜しみ惜しみ食べるのは、父親が、郷里から送ってくる海老煎餅を長火鉢の火で丹念にやきあげ、もの惜しそうに口の中に入れていたその姿、その辺りが原点かもしれない。いまたいていのものはお金さえ払えば手に入る時代である。二度と不自由な時代には戻りたくないと思うのは、そいいう時代を通り越して来た人間だからこそで、そこいら中にものが溢れていたら、ものが無いということさえ想像するのは難しいに決まっている。たったひとつ残っていた、タンスの上の森永のミルクキャラメル、それが毎日一つずつ減って行くのが本当に悲しかった。
 そういう時代を経験してきた人間には二度とああいう時代には戻りたくないという切実な願いにつながつていく。

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