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正岡常規と夏目金之助 №1 [文芸美術の森]

    子規・漱石~生き方の対照性と友情、そして継承
                    子規・漱石研究家  栗田博行

  序Ⅰ ― 生き方の対照性

                       「卑怯な振舞をしてはなりませぬ」。

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  会津藩にあった「什(じゅう)」という子供たちの集まりの掟の一節です。近来、日本社会にいじめ問題が言われだしたころから、漠然とではありますが、「卑怯を嫌う気持ちが消えたからでは…」と感じていました。ふと「什」の掟に当たってみて、「ヘエ…」と小さな驚きがありました。
  「四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ」の項に続いて、「五、弱い者をいぢめてはなりませぬ」が挙げられているのです。そしてそれらの前に、「三、嘘言(うそ)を言ふてはなりませぬ」ともあったのでした。少年時代、古老から「ヒキョウと言われたら、日本の男は、ハラ切って見せたんヤ…」などと聞かされたことも、蘇ったりしました。
  今の時代の難問「いじめ」を考える中で出会っただけに、これらの価値観は古ぼけたアナクロな道徳の教条ではなく、時代や人種を超えて「あるべき根源的対人感覚」とでもいうべき普遍性を持っているのではないか…と思いました。
  そんな思いを、20年余り引きずってきました。それが、いったん三島由紀夫に行ったりして迂回を重ねた思考の末に、最近になって子規や漱石を考えることにも重なってしまい、冒頭に掲題した「子規・漱石 ~ 生き方の対照性と友情 そして継承」 という観点に辿り着いている次第です。


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  互いに一目置き、張り合いながら肝胆相照らす仲でもあった正岡子規と夏目漱石。
  よく知られているように、二人は文学の領域で、近代日本の精神史に大きな足跡を残したのでした。この二人の、明治日本男子としての「生き方の対照性」が一番際立って顕れたのは、日清戦争をめぐってでした。

  子規は、すでに日本新聞の社員として、結核の病身を押して健筆をふるっていたものの、日清戦争が始まると(明治27年7月)、同僚や友人が次々遼東半島へ渡っていく中で、自分が病身であることを慮外において、「文学者も、征かねば卑怯だ」という想いを募らせてしまったのです。そして、

   「行かばわれ筆の花散る処まで」  (俳句)
       「かへらしとちかふ心や梓弓矢立たはさみ首途すわれは」  (短歌)

とまで詠んで、明治28年4月 日本新聞記者として従軍を決行、遼東半島に渡ってしまいました。子規=本名・正岡常規、明治の日本人男子の一典型です。 

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 これに対して、漱石=本名・夏目金之助は、その3年前の明治25年4月、帝国大学英文科2年在籍中に、当時兵役免除の地であった北海道岩内郡吹上町町に戸籍を移すということをしています。漱石夫人鏡子さんの後年の回想によると、これは「兵役回避」が目的でした。この「送籍」を、夏目家の誰が企て進めたかを推定する資料は欠無なのですが、その事実は、北海道岩内町の戸籍簿に記録され残っています。

その2年後の明治27年、日清戦争が始まってしまうと、兵役回避の「送籍」について夏目金之助は、(筆者の推測では、)「自分は卑怯だったのではないか…」と、苦悩し始めます。そして妙な転宅を重ねた末に、鎌倉円覚寺の僧房・帰源院に1-2.jpg飛び込み、参禅修行をします。 
 年末から年始にかけて10日間のその修行は、「なんの収穫もなかった」とのちに述懐するような結果に終ります。
 下山するとすぐ、やはり親友だった菅虎雄の介添えで、英字新聞「ジャパン・メール」に就職しようとしますが不採用に終わります。
  そして結局は、友人子規の郷里の松山まで「都落ち」し、松山中学の英語教師になってしまった帝大卒の学士・夏目金之助でした。
  この一連のことがらを「漱石の第一期ノイローゼ」として沢山の論が書かれていますが、私はプライドの高い神経質な精神が苦しむべきことを苦しむ、きわめてまともなこころの動きの軌跡だったと考えています。

 日清戦争は、明治維新を経て近代国家となった日本がはじめて行った対外戦争でした。この国家の一大事に際して、かくも際立った態度の違い=「生き方の対照性」をみせていた子規・漱石だったのです。そしてこの事は、二人の生涯のその後のあゆみに、それぞれ「根源的」と言ってもいい大きな影響を与えます。それを、この連載の主題のひとつとして、詳しく追ってゆこうと思っています。
  ところが、これほどの生き方の違いを見せながら、(-明治という時代にあって「戦争と平和。国家と男子の自己」という根本的な次元で-) 二人の間には不思議とも思えるような「友情」が成立し、生涯にわたって続いたのでした。これもまた大きな主題なのです。
  
  次回10月15日は、序にかえて Ⅱ として、二人の間のこの「友情」の一端を垣間見ていきます。
 
                                        平成三十年八月二十七日

筆者略歴
1-5.jpg栗田博行  正岡子規・漱石研究家。元NHKプロデューサー。
1939年松山市生まれ。早稲田大学文学部卒。1963年NHK入局。教育・教養番組を中心に制作現場を歩む。         
「大江健三郎・私の子規」、「人間・正岡子規」(坪内捻典・司馬遼太郎共演)、「司馬遼太郎・大江健三郎対談 子弟の風景」(吉田松陰と子規を論評)、「司馬遼太郎 雑談『昭和への道』」(NHKブックス「昭和という国家」に再録)などを手掛けた。
講座「人間・正岡子規~迫りくる死を睨みすえ生ききった力 」 「人間・夏目漱石~北海道送籍がその生涯にもたらしたもの」 講演「月給四十円~子規が墓誌銘に込めたもの」「漱石―明治という時代との格闘」など。いずれも全時間、原文や証言、関連資料をスクリーン提示する手法で行っている。

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石田岩夫

元気に過ごされている様子、しかも知的関心も相変わらず健在で嬉しい限りです。「生き方の対照性----」、時代が人間性のあり方にどの様に関わって行くのか、これからの展開に興味があります。
小生、現在87歳なりの体調でまあまあ元気に過ごしていますが、いつどのような局面を迎えるか定かでないことも事実で、一日一日を大事にしていこうと思っています。




by 石田岩夫 (2018-10-11 13:41) 

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