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にんじんの午睡(ひるね) №43 [文芸美術の森]

供花

                       エッセイスト  中村一枝

 最近、古い知り合いの一人が亡くなった。気がついたのは新聞だった。彼は声優さんとして名の売れた人だった。住んでいる場所も近かったから、駅の近くで何度か会った。彼と知り合いになる前、20年以上前に亡くなった彼の奥さんとは同じテニス仲間以上に彼女の個性感性に惹きつけられて、ずいぶん親しくなった。20年以上たった今でも彼女の人一倍小さな体 やきらきらした大きな目が目の前に浮かぶ。今だに会いたい人の一人なのだ。
 八ケ岳の山荘に連れてきたときは、すっかり辺りの景色と山荘が気に入って、そばの桐の木にすがりついてうわあと大声をあげた。小さな体で大きな桐の木にしがみついていた彼女の姿がまるできのうのことのようだ。一度は嵐の夜、山荘から電話かかって、今一人で来たという。そんな大胆さ、思い切りの良さも私は好きだった。ご主人とはいつも別行動だったが、彼女がどんなに夫を愛しているかよくわかった。とても昔風の、今でいえば嫁のやることなすこと気に入らないお姑さんがいて、一緒に暮らしていた。けれど彼女は割り切ってその代わり出来るだけの行動の自由を得ていた。彼もまた普段の抑圧の代償に出来る限りの行動の自由を与えていたようだ。彼女は車の免許も取り、自分の鬱屈を上手に発散させていた。
 ご主人は声優さんでかなりの売れっ子、それに謙虚で穏やかでいい人だなと私はいつも思っていた。彼女は身体の具合の悪い事を誰にも告げず1人でがんセンターに行き、辛い宣告も胸のうちにたたみ込んで、いつもの一人旅と同じように、一人でなんでも処理しようと思っていたらしい。わたしは彼女が病気になってからほとんど会っていない。今考えると残念で仕方ないが、また若くて現実に病気で死ぬことに対処できなかったのか、私の至らなさで最後、彼女と関われなかったことが未だに悔やまれてならないのだ。
 若いとき死というものがとても遠くて現実に考えられないのは、わたしがかなり自分勝手ということと関連がある気がする。それにしても今一番会いたい人なのにそのときどうして飛んで行かなかつたのか、いまだに自分でも残念である。彼の方とはその後も街で会えばさりげない立ち話の「じゃあ又」が永遠に断ち切れたまま終わってしまった。脚が不自由になってからあちこち行かなくなったこともあり、せめてもの気持ちと言うつもりで花を花屋さんから届けてもらった。
  何日かたって息子のD君から電話があった。さっぱりとしたその声に私はホッとした。今家族の変化を考えるとお悔やみにお花という発想はそろそろあらためるべきかもしれない。もしかしたらD君は沢山のお花を抱えて処理に困ったかも知れない。とふと、思ったのだった。


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