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バルタンの呟き №46 [雑木林の四季]

           「平成の終わりに・・・」

                             映画監督  飯島敏弘

わたしはせんそうをしらない。おかあさんもしらない。

おばあちゃんもしらない。

でも、ひいばあちゃんはしっている。

えきでへいたいさんをみおくったかえり

ひこうきがとんできて

「きじゅうそうしゃ」でやられそうになったって。

はしってはしってはしってようやくにげたって。

ひいばあちゃんがいきたから

おばあちゃんがうまれ、

おかあさんがうまれ、

そしてわたしがうまれた。

へいわをまもるけんぽう

いのちをつなぐけんぽう

わたしがおおきくなっても

このままのけんぽうであること

それがわたしのねがい

(尾池ひかり  7歳 日本弁護士連合会賞応募主席選定の詩)

 なんとすばらしい詩ではあるまいか。新聞紙面でこの詩を見た、僕は、思わず口から飛び出そうとした感嘆の声を呑み込みました。あやうく、家人が、何事か、と驚くと思ったからです。歳のせいか、ちかごろ、うたた寝をしている時などに、夢の続きでしょうか、奇声を発することがあるらしいのです。しかし、これは、正真正銘の感嘆の声でした。今までに、平和を訴える言辞には数えきれないほど出会いましたし、僕も幾たびかの作品で、戰爭反対の訴えをしてきたつもりですが、これほど簡潔に、しかも、痛切に平和を訴える言葉に出会ったことはありませんでした。まさに、このわずか7歳の詩人ひかりさんに脱帽です。「それじゃ、せんそうをわずかながらしっている この ひいじいちゃんは どうしたらいいんだろう」直接、ひかりさんに 訊いて見たくなりました。この単純素朴な詩こそ、非戦を称える憲法第9条を象徴する極限にあたいするものではないか、と、打ちのめされたのです。

 先週、僕は、妻が近所の方から頂いてきた招待券を持って、九段の国立武道館で行われた「自衛隊音楽祭」に出かけて行きました。五年ほど前にも一度、自衛隊関係の仕事をしているプロダクションの人に誘われ観たことがあって、その時、いろいろ感じたことがその後どうなったろうかと、久しぶりに出かける気持ちになったのです。いや、驚きました。初めて見物した時と変わらず、というよりも、前回に比して更に人気が高まった様子で、全席自由という事もあってか、余裕を持って開場一時間前に現場に到着した時には、入場者の列が、蜿蜒長蛇の列といった既製の言葉では表現できないほどの観客が、あの巨(おお)きな国立武道館でも、果たして全員収容し切れるのかと心配になるほど並んでいたのです。今回は、一般向けの招待券でしたので勿論指定席ではなく、券面に、「満員お菜は入場をお断りすることがあります」と小さな字でプリントされているのが気になったほどです角々に立っている看板を掲げた隊員の案内にしたがって、歩いて、歩いて、ようやく最後尾と書かれた看板を掲げている自衛官の姿が見えた時には、すでに入場が始まっているのか、巨大な芋虫のように、ゆっくりと列が動き出していたのです。

 「申し訳ありません、長い時間お待たせして・・・」

 案内係の腕章を付けた下士官らしい制服の自衛官が、丁寧な口調で、行列している人たちに、実にこまめに、誠実な口調で謝っているのですが、時計を見ると、まだ入場時間にはなっていません。おそらく、本部と現場のやり取りで、今にも降り出しそうな雲行きなど察して適宜な指示が出たのでしょう。その時、僕の皮肉な性癖からですが、ふと、「沖縄の人たちの心に寄り添って・・・」と、米軍辺野古基地問題で、政府関係者がしばしば口にする言葉が連想されたのでした。せめて、このくらい寄り添って事情を明かし合い、誠実にアメリカ軍戦略参謀部と正面から再交渉し、お互いに納得できる条件を引きだす努力があれば、と、心の中で呟いていました。勿論僕自身は、いくら寄り添われても、辺野古の米軍基地のレゾンデーテルそのものが、「世界一危険な普天間基地の負担を軽減する為に」という理屈が、沖縄の人々には不可解に違いない、と思うのですが。

 「自衛隊の方々が、プライドを持って任務に当たれるように、憲法九条を・・・」という言葉も、しばしば使われます。しかし、この自衛官たちにしても、観客たちの周囲できびきびと動き回っている支持班(会場整理から舞台の設置進行などを担務する)の制服(行動服)の隊員たちも、実に晴れがましく矜持に満ちた表情で、立ち働いています。全国の自衛隊挙げての自分たちが作る「音楽の祭り」の御輿を担いでいるといった風なのです。

 音楽祭としての出来栄えが前回よりも更に数段進歩していたことは、敢えて省きますが、ここで是非にも呟きたいのは、今回のコンセプトが、非常に強く、平和希求へのメッセージ性が高かったこと、です。おそらく、この音楽祭が、上意下達ではなく、むしろ下意上達で作り上げられていると感じたのです。いや、それは、巧妙な、宣伝的策略なのさ、と僕の甘さを指摘される方もいらっしゃると思います。それとも、あえて自衛隊の宣伝臭を希薄にして、志願者を増やそうという戦略だ、と決めつける人もあるかも知れません。確かに、入場者が自衛隊員の父母兄弟、親戚、知己などを中心にした高年齢層が主流であることは変わりませんが、若い人たちが、前回よりも格段に増えていました。演奏レベルや、パフォーマンスの向上にも目を見張るものがありましたが、前回は、宝塚歌劇団の男役プリマ張りの美声女性隊員に魅せられて、その隊員を含む若い隊員たちが、東日本大震災の救援出動で泥まみれになって活動する映像にいじらしさを感じて、「この若者たちを、不条理な戦争で死なせてはならない」と痛感したのですが、今回は、災害出動や訓練の映像にもまして、ほとんど全てのプログラムが飛躍的な向上を示した以上に、すべてが平和への希求と賛歌だったことに、ある種の感銘さえ覚えたのです。吹奏楽団の交錯する軌道を自在にこなす移動と演奏は、かつては、一段格上の技量を示した米軍チームのそれにまったく遜色がないどころか、凌駕さえ覚えさせるものでしたが、特筆的な変化は、まるでアニメーションで作画されたように、一様に見事な体躯で揃っていた事です。防大生を主流にするという儀仗の演技は、僕がはるか昔の記憶に遺している旧日本帝国陸軍のただ厳格でごつごつしたものとは別物のしなやかで美しい力強さに満ちていました。北朝鮮軍の、むりやり高く足を上げる威力鼓舞一辺倒な苦しげな歩調とは、全く別ものの精悍さを発揮していました。今回フューチャーされたただ一人(?)の女性ジェット戦闘機乗りの乗務映像を見て、たしかこの一二年の、隣接国との空の緊張の高まりが、ジェット戦闘機隊希望者の減少の証左と判じる部分が無いでもありませんでしたが、災害出動の中に混じって認めた彼女の自信に満ちた映像内の言動にも、宣伝臭は感じられませんでした。

 「自衛隊が、SELF DEFENCE FORCEなどと、惨めな表示でいてはプライドを持てない」

といい、「自衛隊の皆さんが誇りを持って行動できるように憲法を改正・・・」と説く閣僚や議員の方々にこそ、この平和賛歌の音楽祭を見てほしい、この素晴らしい若者たちをMIRITARY FORCEやARMYにして、決して、「この道しかありません!」と突き進んで行く政治に任せて、他国間の政争、利害に起因する戦場に送り込むことは、絶対にしてはならない、させてはならないのだという思いを改めて抱きました。 日本国憲法第66条にある通り、内閣総理大臣および閣僚は、文民(軍人およびかつて軍人であったもの以外の人物)でなければならない、のですが、僕、バルタンとしては、現状で見るかぎり、名ばかりの文民統制 シビリアンコントロールの方が却ってこの国の自衛隊をとんでもない道に進ませてしまうのではないか、と・・・

 自衛隊の諸君が、嬉々として、胸を張って、矜持、誇りを持って行動しているのは、我が国の自衛隊は、専守防衛、戰爭をしないのだ、という前提があってのことなのではないでしょうか。今回のバルタン呟き、自衛隊員賛歌の呟きは、そんな呟きなのです・・・ 

 昭和16年12月8日、大日本帝国が、まちがったとんでもないこのみちにつきすすんでいってしまった記念日に。


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