第四章 わが政権を回想する ⑫

                                                 元内閣総理大臣 中曽根康弘

税制の大改革には失敗
 一九八五年以降、私は、税制改革をやらなくてはならないという思いに捕らわれるようになりました。行財政改革を標榜した以上、ここにメスを入れられなくては本当ではないと考えたのです。
 問題をごく簡単に述べるなら、直接税と間接税の比率の是正、つまり直間比率の見直し、是正を考えなくてはならないということです。
 戦後日本の税制は、アメリカ・コロンビア大学のシャウプ教授(財政学博士)によって、作られました。GHQの要請でシャウプを団長とする税制調査団が来日し、三カ月で『日本税制報告書』いわゆるシャウプ勧告をまとめ上げたのです。
 シャウプ勧告の基本理念は、
 ①所得税を基本とする直接税中心主義、
 ②地方財政の充実、
 ③税の公平、
 ④納税意識の定着、
 でした。この中で、現在までしっかりと受け継がれてきたのが、直接税中心主義です。これを支えたのは、源泉徴収という日本独自の制度でした。給与から税金を天引きする制度は、戦後の奇跡的な経済復興と高度経済成長とがあいまって、わが国の直接税中心主義を揺ぎないものとしていました。
 しかし、一九六〇年代半ば以降は高度成長にもかげりが見え始め、東京オリンピック後の不況で、税収不足が初めて現実化しました。不足分を補うため、建設国債が発行されましたが、一九七〇年代には事態はさらに悪化します。石油ショック後の大幅な税収不足は、赤字国債の発行の呼び水となり、そのまま財政赤字は続き、今日に至ったのです。
 財政改革を唱える以上、税制度の見直しが避けられないことは明白なのです。財政赤字からの脱却を目指すためには、恒常的な歳入を確保できる間接税の導入は避けて通れないものでした。
 一九八六年に入ってすぐ、内密に勉強会を始めようと、明治大学の由井常彦教授に依頼して会合を招集してもらいました。そこで、直間比率の見直しをしなくてはならないが、どうやって消費税導入までもっていくか、方向付けの議論がされたのです。
 「シャウプ税制が施行されて、ずっとそれに沿ってやってきたが、この税制はもう金属疲労を起こしている。シャウプ以来の大改革に着手しなくてはダメだ。直間比率の是正、マル優など優遇税制の是正、この二つを目玉にしていこう」。私は国会でもこの発言を意識的に繰り返し始めました。
 折りも折り、国会で公明党の矢野絢也君が「間接税をやる気なのか」と質問してきたので、「縦横十文字に投網をかけるような大型間接税はいたしません」と答弁したのです。そうした状況で大蔵省はその秋から税制調査会に諮問して、この案件を税調に勉強させ始めました。私は、あらかじめ税調に「国会で言ったことは守って欲しい」と大型間接税は行なわない旨を確認して、複数の選択肢を持ってくるように注文を出したのです。
 大蔵省が税制調査会と協議して持ってきた四つの選択肢は、つまるところ「ヨーロッパ・タイプの付加価値税がよろしい」というもので、過去、大平正芳君はこれを鵜呑みにして、選挙で一敗地にまみれています。私は出てきた案を見て、大蔵省という所が「政治家殺し」だったと思い出すことになります。大平首相は、これで政治生命を寸断されたようなものでしたから。
 「私は、君らには殺されないよ」と大蔵省の人間に話をして、国民がアレルギーを起こさないような、害の少ない〃日本的な〃消費税を作れと命じました。そして、大蔵省と税調で考えてもってきたのが、中小企業や低所得者に配慮した特例や特別措置をたくさん付けた、つまり消費税を免れる例外を多くつくった日本的な消費税でした。
 これなら行けると税調の山中貞則君も自信ありげなので、「売上税」という形で立ち上げて世に問うたのです。ところが、これが大きな騒動になってしまいました。配慮したつもりの中小企業などが反対で、たちまち暗礁に乗り上げたのです。
 私自身、自分で党員を集めて支持を訴える演説会を開いたり、パンフレットを拵えたりもしましたが、どうにもいけません。
 長年の友人で当時、日本商工会議所の会頭をしていた五島昇君は、中小企業者が大反対し、日本商工会議所も大反対していることに胸を痛め、どう調整したものかと心労を重ねていました。それが彼の死期を早めはしなかったかと、ひそかに私は申し訳なく思っています。
 同じ頃、夜、官邸に帰ったところ、家内が居間にしょんぼり座ってテレビを見ています。なんだか元気のない様子があんまりいつもとは違うので、どうしたのかと思ってそっと入っていってブラウン管を眺めてみると、「資本主義最後の悪税、売上税、絶対反対! 中曽根を葬れ」と叫ぶ人たちの顔が映っています。声をかけることもできず、そっと部屋を出ました。
 そんなことがあって、結局、徹夜国会で牛歩戦術まで繰り出され、どうにも動きが取れなくなったのです。本当は、あともう一日あれば、法案は成立させられました。しかし、ここで売上税まで成立させては中曽根政権がさらに継続する、それはなんとしても避けたい、という自民党内の一部勢力がいたのかもしれません。
 売上税は廃案にはなりましたが、議論の火付け役は全うしました。幸いその火は消えることなく、一九八九年に三度目の挑戦で竹下君が「消費税」として成立させたのです。
『自省録・歴史法廷の被告として』新潮社 抜粋