知の木々舎
立川市長20年のあとに№4

砂川村立西砂川尋常高等小学校 

                                   前立川市長  青木 久

入学式・登下校
 昭和7年(1932)4月1日、砂川村立西砂川尋常高等小学校の入学式の日だった。学友の青木三郎と手をつないで校門を入る。それは五日市街道に面していて、わが家の文字通り隣にある。それまで、私にとっては単なる門柱でしかなかった。だから注意したこともない。しかし、この日は違った。新しい世界への標識だった。(この後、私はいくつもの門をくぐったが、この最初の記憶はあざやかである)他の子は、親に付き添われて来ていたが……。

 演壇のかたわらに松村競校長先生がモーニングに威儀を正して坐っていた。(しばらくして学校の大切な行事の時にこの服装になるのを知る)教職員がその横に。上級生が整列している間に、新入生男女それぞれ20数人が進んで並んだ。全校生徒は、尋常科、高等科をあわせて約550人。木造平屋建ての校舎がコの字型に建っていた。
 オルガンの伴奏で、国家・君が代を歌った。感動していたせいなのだろう、後は何も憶えていない。

 学校への登下校は、集落ごとに集団で行う。なかなか難しい行事だった。所定の集合地点に集まり、一年生を先頭に学年順に二列縦隊を組む。この集団を校長先生が児童長に任命した高等科の生徒が引率するのだ。児童長には権威があった。「ちゃんと並べ」と叱られると、誰も口答えしない。「はい」と従う。「あいよ、あいよ」とかけ声を掛け合いながら登校した。
授業は「ハナ、ハト、マメ」から
 最初の授業は、国語だった。黒い小型の教科書を開き、担任の熊谷先生の声にあわせ、
 「ハナ、ハト、マメ、マス、ミノカサ、カラカサ、カラスガイマス」   
 大声で読み上げた。

 春の砂川には、名物の赤っ風が吹き荒れる。強い風が吹くと、畑の土を巻き上げて赤色の風となる。教室の中にも吹き込んできた。窓枠ががたぴししていて隙間だらけだからだ。
 先生が呼びかける。
 「床をみがいて心をみがくんだよ」
 みんな雑巾を手にして丁寧に掃除した。
 一年生の一学期は、午前中に授業が終わったが、二学期になると午後までになった。
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(ふるさと立川・多摩・武蔵)09-07-26 13:06


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