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続・対話随想 №49 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

続・対話随想47の3 関千枝子から中山士朗様へ

                       エッセイスト  関 千枝子

 広島から帰って、地区(品川区)の平和展に顔を出しました。ここは私より年上の女性が頑張って世話役をやっておられるのでどうしても行かなければ、と思ってしまいます。大井町駅から近くとても便利な場所ですが、とにかくスペースが小さい。そうした制約がありながら35年続いているのは立派だと思いますが、思いなしか来場者が少ないように思え心配でした。品川特有の戦争の記憶もあり、空襲で焼けたところも多い。学童疎開に行った八王子郊外の、静かな“田舎“で、機銃掃射で学童が殺されたのです。子どもを安全なところで守ろうと学童疎開にやったのに。悲しんだお母さんは近くのお寺の地蔵さんに死んだ子のランドセルをかけてやります。この話は絵本にもなり有名ですが、私は昨年八王寺の戦争遺跡のフィールドワークに行き、ランドセル地蔵が大事に保管されているのを見、感銘を受けました。でも、学童疎開と言ってもぴんと来ない人が多いので、展示場の小さな説明で分かるかしら。(追記) この平和展のこと昨九月二〇日に報告の葉書来て三日で四〇〇人の来館あり中高生も来て大成功とありました。四〇〇人で大成功か、複雑!

 十一日、朝始発のバスで、品川駅へ、新宿駅八時二分の中央線あずさ53号で小淵沢に向かいました。この日の午後北杜市の八ヶ岳やまびこホールで行われる「Peace Concert 2018」を見に行くので。
これは行くまでが大騒ぎだったのです。今年二月十一日、山梨の劇団やまなみが私の「広島第二県女二年西組」の朗読劇を甲府で演じてくださったことは前に書いたと思いますが、その時北杜市に住む早川与志子さんと、久しぶりに会いました。早川さん、ご存知、一昨年「原爆の図」がアメリカの大学で展示された時のプロヂューサーです。(往復書簡第Ⅲ集<被爆70年>の中であなたがスピーチを引用されている方です>。
私は彼女が日本テレビの現役のときからの友人です。「原爆の図」での活躍を知り「あなたでしかできないことをした」と絶賛したら。「そんなこと」と謙遜しておられましたが、甲府に朗読劇を観にきてくださった時、夏に「平和コンサート」をすると言われ、大変力を入れているようなので、ぜひ行きたいといったのです。
六月ごろだったかしら、コンサートのチラシをいただいたのですが、「コンサート会場は駅から遠いし、体力がいるから無理しないで!」というのです。そうなるとかえって行きたくなって、思いついて池松俊雄さんに電話してみたのです。池松さん、もと日本テレビの名ドキュメンタリストです。一九六〇年代、私は毎日新聞の記者として彼を何度も取材しました。彼がそのころから手掛けているサリドマイド児のドキュメント「貴くんの4745日」が国際エミー賞を受賞したのは1975年。
1990年代「女性ニューズ」記者として私が再び彼と会ったのは一九九〇年代、そのころ彼はイベントなどを所轄する局の局長でしたが、彼が「話が合いそう」と紹介してくれたのが早川さん。彼女はアメリカの留学から帰って来たばかりで、元の報道でなく、展覧会の仕事をしたいということでした。そして彼女は素晴らしい展覧会をいくつも企画し、私は大いに書きました。 
 池松さんに電話をすると、彼もコンサートに行く予定で、北杜市に親類がいて駅まで迎えに来てもらう、一緒に行こうと言ってくれました。八時半ごろのあずさに乗ることを決め安心していたのですが、七月に入って池松さんから電話が来て、八月十一日のあずさは超満員、臨時の八時二分発のあずさ53号の切符がやっと取れた、あなたも早く切符を買え、というのです。慌てて駅のみどりの窓口で切符購入、携帯電話で〔買えた!」と報告。この翌日に切符を買ったやはり日本テレビ関係の方は。あずさ五十三号最後の指定席券だったそうで、危ないところで、めでたく北杜行が成功したわけです。その日で帰ることも可能ですが私の体力が心配と、早川さんはペンションをとってくださいました。北杜市のホテルやペンションも、八月十一日ごろは超満員だそうで、潜り込めたのは、早川さんの「顔」です。
 というわけで早朝に家を出、新宿駅に駆け付けたわけですが、指定席に座っていると三つ向こうの車両から池松さんが様子を見に来ました。「互いにジジイ、ババアになったなあ」
年賀状などのやりとりはあっても会うのは、二十数年ぶり、ですから。
彼、足が痛いと言っているという話を聞いたことがあったのですが「もう直っちゃった」そうで、元気です。私も同じ八六歳、頑張らなくちゃあ。でも、私が一生懸命取材した頃の日本テレビ報道局の人びと、ほとんどみな、亡くなっています。でも、あの頃はテレビ草創期、考え方は色々違っていても、とにかく皆、テレビ大好き。新しいメディアをどう創るか、皆一生懸命で、局には熱気がみなぎっていました。だから、私も、あの頃の取材先の人びとを忘れられないのです。
 二時間で小淵沢着。池松さん、池松夫人と私と三人で、池松夫人の妹さんとそのお連れ合いの車に乗せていただき、山々を観ながら、評判の手打ちのソバのお店に。十一時開店なのですが、まだ店が開かないのに、もう待っている車が二台。あっという間に満席、人気にたがわずおいしいお蕎麦でした。開場までまだ時間があると池松さんの義理の弟さんのお宅にお邪魔、すっかりお世話になってしまいました。
 会場のやまびこホール,少し早目に行ったのですが、あっという間に満員、補助席も出して五〇〇人以上の入りだそうです。北杜市は人口四万数千人の市、すごいと思いました。
 コンサートは、「原爆許すまじ」の独唱で始まりました。ステージに「原爆の図」の映像が流れます。
 第一部は「戦争と子どもたちの物語」。.佐々木禎子さんの甥の佐々木祐滋さんの歌で「INORI]。続いて「一本の鉛筆」。このコンサート、独唱が多いのですが、歌は杉田博子さん、すがすがしい歌声です。ことに、この「一本の鉛筆」、誰もが美空ひばりの歌を思い出しますが、早川さんが「演歌調でなく」と厳しく注文をつけたそうです。杉田さんも苦労したらしいですが、ひばりさんのとはまた違った、凛とした歌唱に胸打たれました。
 映像は、ベトナム戦争へと移っていきます。ナパーム弾に焼け焦げた少女が逃げる!石川文洋さんや有名な写真作家の映像が流れます。あとで聞いたところによると文洋さんも中村梧郎さんも、早川さんの頼みに、,いいよと、ただで写真を使わせてくださったのだそうです。
 第二部「平和と命の歌」と進みますが、ナレーションが簡潔なのに心打つのです。スペインカタルーニャの民謡「鳥の歌」、バイオリン独奏で,聞かせましたが、戦中反ファシズムを貫いたカサルスが国連でこの歌を演奏した時「わが故郷の鳥はピースピースと啼くのです」と説明します。心に刺さるような語りです。この語り(司会)は井田由美さん、現役の日本テレビアナで、女性アナのトップです。私は「プロ」の語りの凄さを知りました。
最後は沖縄になります。締めは、「さとうきび畑」。ざわわ、ざわわ、で有名な曲ですが、これの全曲を聞くのはそう多くありません。まさに圧巻でした。
 最後に早川さんの挨拶もすごかった。ナパーム弾の中を逃げ回るベトナムの少女は、後カナダで暮らしますが、早川さんの友人だそうです。彼女が日本に来た時、まず広島を観たいといい早川さんが案内したのだそうです。涙を浮かべて資料館の展示を見ていた彼女は「自分はナパームなのでまだ命は助かったが、原爆だったら死んでいたかもしれない。」と戦争は嫌だという思いを語ったと言います。
早川さんの平和への思い、彼女がテレビ人として、またフリーのジャーナリストとして生きてきたことが凝縮されている三時間だと思いました。
終わってロビーに出ても、参加者はなかなか帰らず、ロビーにも熱が立ち込めているようです。こんなに感動したコンサートは久し振りでした。
この日の夜と次の日の昼、スタッフや池松さん関係の方、早川さんと食事を共にしましたが、早川さんがこのコンサートのためにつぎ込んだ熱と力が判りました。自分はコンサートのプロヂュースをしたことがないからと日本テレビの後輩、現役の人たちに頼み、選曲、演出をしてもらったこと、演出をしたKさんが、この司会は井田さんしかできる人はないと井田さんを引っ張り出したこと。井田さんは日本テレビにきちんと申請して出演したそうです。日本テレビ関係の方、池松さんが管理職時代の部下だった方が多く、彼が皆に慕われる良き管理職だったこともわかり、さわやかな気持ちになりました。
 コンサートの日の夜も、早川さんのところには「良かった。「平和のために自分も何かできる、しなければと思った」「来年もう一度やれ」という電話がかかりぱなしだったそうで「来年もう一度やったら私死んじゃうよ」と「少しかすれた声」で言いながら、嬉しそうでした、私も本当に、来て良かったと思いました。
 八月十八日、大田区の「平和のための戦争資料展」に参りました。大田区は大きな区民プラザという会館を持っていて多摩川線の下丸子の駅の真ん前にあります。展示場も品川の3倍くらい広く、別室もあって、この日、私の「似島」の朗読があるので行きました。
 展示場が広いので詳しく充実した内容です。満蒙開拓や慰安婦の問題等、幅広く詳しい展示がありました。満蒙開拓団について、東京から行った(行かされた)人の多さに驚いていますが、最初の満州開拓に行かされたのが東京、しかも多摩川河畔に満蒙開拓団女子訓練所があったのだそうです。まさに、大田区の地元。
 戦争中の遺品(代用品など)も数多いのですが、大田区はこの実行委員会が置き場を借りて保存しておられるとのことです。大田区はすごいな、よくやるな、と思いました。
 さて、朗読ですが、山口勇子さんの「おこり地蔵」と私の「似島」を長澤幸江さんが演じてくださいました。長澤さんは、大田区在住で、朗読の活動をされている方です。この日までに、長い「苦心談」があります。 
 元もとこれは竹内さんのフィールドワークで似島に行ったとき思いつき、似島にまつわる様々なエピソード(最後を飾るのが、中山さんの文章です。池田昭夫くんのお母様と似島に行かれるときの話ですが)。広島原爆で最大の収容所となった似島。でも広島の方でも似島を知らない人が多い今、似島のことを少し知ってほしいと、五年前に書いたものです。でも、その時は朗読に使ってもらえなかったのですが、二年前、長澤さんにお目にかかったとき、お見せしたら、大変気に入ってくださったのですが、朗読実現まで二年がかりでした。男性の朗読者と組んで、熱演していただいたのですが、私は申し訳ないような感じになってしまいました、というのは朗読の文章の問題で、いろいろな手記の組み合わせですが、ダブる個所もあり、全体にもう少し簡潔にした方が共感をそそるかと思い、構成の未熟さを反省せざるを得ませんでした。北杜市のコンサートの司会の言葉のすばらしさを感じた後だけに、忸怩たる思いです。でも終わったあと何人かの方と、似島のことなどについて話しました。長澤さんは、「往復書簡」も読んでくださって、中山さんの思いもよく理解してくださいました。
 長澤さんもすごい方です。六月の沖縄の日、式典で読まれた沖縄の中学生の素晴らしい詩を覚えておられますか。あの全文が墨書で書かれているのです。「私が書きました」と長澤さん。これ難しいと思いますよ、何しろ詩が長い、一か所でも失敗すると全部だめになってしまいます」「一気に書きました」と。「詩」も、もちろん素晴らしいけれど、「書」も思いが溢れていました。
 朗読と言えば前にお話ししたことのある、茅ケ崎の宇都さん。がんのため十数年続けている原爆詩、手記の朗読会を昨年開くことができませんでした。今年は、と思っていたのですが、今年も開けず、心配していたのですが、茅ケ崎の社旗教育を考える会の機関誌「息吹き」に、じっとしておられず八月、孫を連れて広島(似島にも)行ったことが書かれていました。すごい。さっそく手紙を出してみましたら、抗がん剤で体力もいまいちでしたが、たまらず孫を連れて広島に行き、元気で帰って来た。抗がん剤治療も近く終わるので、体調は回復すると思う。来年は、朗読会を必ず復活すると書いてありました!


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赤川Bonzeと愉快な仲間たち №120 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

安東けいさんのしごと

                      銅板造形作家  赤川政由

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安東さんは、わたしの、工房に、12年いた。学芸大学大学院を、そつぎょうして、わがボンズ工房に、きた。わたしと、おなじ、大分市の、出身だった。大分弁を、しゃべれるので、弟子にした。故郷の方言で、しゃべれるのは、とても、うれしい。あか抜けしない作品だったが、12年の、歳月と、独立してからの、切磋琢磨の努力の、せいか、作品が、とても、よくなってきた。内面が、深まって、センスも、よくなりだした。今回の、展覧会の、葉書のさくひん、[100年][と、たいとる、が、ついている。サーカス小屋を、背中に、しょった、かめを、でんでん虫が、ラッパを、ふいて、応援している、ゆっくりした、かめを、、ノロノロカタツムリが、応援しているのが、おかしい。ユーモアーが、ある。かめの、背中の、サーカステントも、カタツムリの背中の殻のなかも、悲しみが、つまっている、のかも、知れない。いきつづけていく長い、
年月のなかで、みんかなしみを背負いながら、頑張っていく姿に、エールを、送りたい。ゆっくりすすめば、いい[exclamation]、安東けいちゃん、頑張れ!

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立川陸軍飛行場と日本・アジア №167 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

  奉天までの耐寒飛行・在郷軍人模擬動員演習

                    近現代史研究家  楢崎茂彌
  
   あの猛暑が嘘のような寒い日が続きますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。7月、8月のビデオ上映会には平均50人の参加があり、盛況に終わりました。そのあと、「立川名画座通り」映画祭に参加し、別の原稿にも追われてしまい、前回に“9月下期には復活します”、と書きながら一月も遅れてしまいました。誠に申し訳ありません。今後もよろしくお願いします。
 
   奉天までの耐寒長距離飛行
  1933年2月9日、陸軍飛行第五連隊の八八式偵察機2機が、奉天(現・瀋陽)に向けて約2000キロの長距離耐寒飛行に飛び立ちました。この飛行には試用する特殊航空用食糧(ウイスキー入りボンボン・チューブ入りコーヒー)を積み込み、搭乗員は特殊航空用被服を身にまとっていました。
  零下20度の酷寒をついて奉天に到着した2機は、19日には立川陸軍飛行場に帰還します。六三六号機に同乗した吉川千賀蔵大尉は“特殊服は例の電熱装置のもので、私が調節器を失って鼻に凍傷を受けたのみ。食糧はチューブ入りウイスキー、ブドウ酒等、特にいける口の私はよく機上でチビリチビリやった。寒さを耐えるのに頗るよろしかった。”(「東京日日新聞・府下版」1933.2.21)と語っています。この特別被服とは顔を覆うもののようですが、今のところ詳細は分かりま167-1.jpgせん。前年12月にも立川から奉天まで耐寒飛行が行われています。飛行第五連隊がこのように頻繁に耐寒飛行を行ったのには何か事情があったのでしょうか。
 実は満州(今の中国東北地方)に配置され、満州事変を引き起こした関東軍がこの時期に冬期試験を実施していたことが次の資料で分かります。
 
  “昭和7年12月8日   昭和8年7月1日了結 「満密」 決裁案
  北満ニ於テ関東軍ノ實施スル冬期試験ヲ援助セシムル為左記ノ如ク出張セシメ滞満 ハ関東軍司令官ノ区処ヲ受ケシメラレ度
  右乞決裁 昭和7年12月9日 左記 昭和7年12月10日
  時期 昭和8年1月下旬ヨリ同ニ月中旬ニ亘ル約三週間(往復日数ヲ舎ム)
  場所 北満地方
  出張人員 陸軍省統制課課員二  兵務課々員一 参謀本部々員二 陸軍技術本部(銃器、火砲、弾薬、器材関係者各一)四  陸軍科学研究所(毒瓦斯関係者)一  陸軍衛生材料廠一 
陸軍被服本廠一  陸軍野戦砲兵学校一  陸軍自動車学校(代用燃料関係者)一  陸軍通信学校(無線電信関係者)一  陸軍航空本部(無線電信、燃料関係者各一)二“
 
  飛行第五連隊の名は資料には出てきませんが、関東軍の冬期試験に係わった耐寒飛行だった可能性は高いと思います。吉川大尉が“あちらには辻隊長以下皆いて大変な元気”と言っていることが、その根拠です。それに飛行第五連隊の一部は満州に出動したままなのですから。
  1月22日の「東京日日新聞・府下版」は“化学戦時代”と題した記事で、“立川飛行隊では、二一日午後二時から、同隊最初の化学戦演習を行った。地上勤務員は敵機が首都をガスで攻撃したとの仮想のもとに、防毒マスクを使用大活躍、午後三時終了した。”と報じています。上の資料によると“陸軍科学研究所(毒瓦斯関係者)”も出張対象者となっています。第五連隊の毒ガス演習も関東軍の冬期試験に連動していたのではないでしょうか。
 
  立川陸軍飛行場で、北多摩郡在郷軍人の非常時模擬動員演習が実施される
   2月19日、麻布連隊区の藤田中佐たちが、非常時模擬動員演習の集合地になる立川陸軍飛行場を視察します。動員対象者は北多摩郡の在郷軍人です。
  3月7日早朝、麻布連隊区司令官から動員令が下されました。府中警察署と田無警察署には各役場の兵事関係者が詰めかけ、午前9時過ぎに「モギドウインヲシレイス」という連隊司令官の電報が署に投げ込まれると、ただちに動員召集令状の読み合わせが行われ、各市町村に配布されました。市町村が受け取った令状は兵事係によって応召員に渡されます。受け取った応召員は3月10日の指定された時刻に、指定された場所に集合しなければなりません。
  ちょっと古いのですが「在郷軍人の心得」(「在郷軍人会」1910年刊)は演習召集について次のように説明しています。
 
  第4節演習召集
一 演習召集とは演習の為め在郷軍人を召集することを謂う。
四 応召員中傷痍疾病、犯罪、所在不明等のため応召すること能わざる者は…但し傷痍疾病にかかるときは医師の診断書、犯罪、所在不明にかかわるときは憲兵又は警察官吏の証明書を添ゆべし
七 正当な事由無くして、前各項の規定に背きたる者は、五十銭以上一円九拾五銭以下の科料に処され、又は五日以上十日以下の拘留に処せらる
八 応召員中父母妻子の疾病危篤又は死亡のため延期を願わんと欲するものは演習召集延期願に、疾病危篤の者は医師の診断証書を添え、本籍地市町村長(寄留地に於て召集に応ずべき許可を受けたる者に在りては、寄留地市区村長を経て本籍地若しくは寄留地連隊区司令官に差し出すべし。
     
  模擬動員演習だからといって軽いものではありません。
  模擬動員演習が行われた3月10日は陸軍記念日でした。日露戦争で日本軍が奉天に入場した日を陸軍記念日としたのです。新聞には“コサックに囲まれた当時”“力の限り敵兵を斬る”などの勇ましい見出しつけた日露戦争体験者の談話が並んでいます。
167-2.jpg  この日、北多摩郡下25町村の在郷軍人は各集合場所に参集し、9時には立川駅に到着、分会旗を先頭にラッパに合わせて駅前通りを行進して第五連隊正門を入り、10時には5044名が勢揃いしました。令状交付者は5224名、参加率は9割6分で予想外の好成績だと新聞は報じています。この模擬演習には青年訓練所生徒2000名も参加しています。
  一同は飛行場北方に整列し、平田司令官の閲兵を受け、軍人勅語奉読、式辞のあと分列行進が行われました。空には飛行第五連隊の八八式偵察機、乙式偵察機が編隊を組んで立川、扇町屋(現・入間市)、青梅、八王子、立川を回る飛行を行いました。飛行場上空では新鋭九一式戦闘機が妙技を披露し在郷軍人たちの度胆を抜いたようです。
  演習終了後、在郷軍人大会が行われ次の宣言が読まれました。
  “わが帝国が支那事件に際して交酬したるゆえんのものは、一に東洋平和の確立を期したればなり。しかるに連盟は暴戻なる勧告を発して帝国を誣(し)う、視ずや支那の現状を。今日外連盟の恫喝を斥け遂に脱退に決せるは正にその所たり。正義を重んずる吾人は世界を敵とするも敢えて怖るるに足らずと雖も、内今なお軽佻浮薄な思想を弄し、国民一致の歩調を紊(みだ)さんとするものあるを憂う。ここにおいてか国防の大任、思想の善導、吾人の双肩更に重きを加う、この秋に方り益々協力結束を固うして無窮の節を誓ひ憤然蹶起わが国策の貫徹に殉ぜんことを天下に宣す。
   昭和八年三月十日陸軍記念日 
  北多摩在郷軍人大会
  軍人たちが乱れた“思想を善導する”と言い出したら、誰にも止めることは出来ませんよね。滝川事件が起こったのはこの年です。
  こんなことが二度と起こらないように、日本国憲法は
  第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
  と定めています。
 
  写真上 「精鋭八八式三機立川出発の光景」 東京日日新聞・府下版1932.12.16
  写真下 「召集場全景」          東京日日新聞・府下版1933.3.11
 
 

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線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №112 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

秋の足音  しなの鉄道 三才~豊野   

                                 岩本啓介 
 
112.jpg
三才~豊野 はリンゴ畑の中を列車が走ります                   
『リンゴが真っ赤になるのは11月中旬だよ』                    
作業中のリンゴ農家の方に教えてもらいました                   

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押し花絵の世界 №72 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「コスモスの籠」

                        押し花作家  山﨑房枝

72.jpeg
29cm×24cm

変わり咲きやウインターコスモスなどの様々な種類のコスモスを使用しました。
花籠は舞茸を重ねて制作してみたところ、味わいのある籠が仕上がったので満足しています。

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渋紙に点火された光と影 №45 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

春の嵐Ⅰ

                      型紙造形作家  田中 清

春の嵐Ⅱ.jpg

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赤川Bonzeと愉快な仲間たち №119 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

そのこ人形新作

                       人形作家  さとうそのこ

IMG_20180922_164157.jpg
119-2.jpg

さいきんは、ぬのを、つかい、ちくちくと、布人形に、うちこんでる。さとうそのこさん。子供のころは、人形遊び、なんか、したこど、がなかったのに、といいながら、作ってます。まごむすめは、この人形が、だいすきで、あそびにきては、よくあそんでます。勝手に、名前をつけて、おはなしを、作っておしゃべりしているすがたは、きいていて、楽しいものです。たいとるのように、やさしいかぜにふかれてるよいなかんじがします。

119-3.jpg

群馬県桐生市のギャラリー、とおりゃんせの、オーナーの、かないさん、と、つーしょっと。かないさんは、その子さんの、大ファンです。

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線路はつづくよ~昭和な鉄路の風景に魅せられて №111 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

秋の足音  飯山線 蓮~替佐    

                                 岩本啓介  

111飯山線・蓮~替佐・第2おくて山踏切.jpg
黄金色の輝き 奥手山集落のミニ棚田です                                
案山子の役目も あとしばらくでしょうか   
 

111蓮~替佐・千曲川と棚田●.jpg
千曲川の流れと飯山線に挟まれた細長い棚田も黄金色                               
秋雨で田んぼがぬかるみ 刈り入れは少し遅れそうです

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押し花絵の世界 №71 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「True colors」

                        押し花作家  山﨑房枝

71.jpeg
39cm×32cm

白い胡蝶蘭が美しく映えるように、背景は黒で、落ちついた色合いのガーベラなどを取り入れ、ポイントに白く漂白したシダを使用しました。

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渋紙に点火された光と影 №44 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

電柱Ⅰ Ⅱ

                     型初め版画家  田中 清

電柱Ⅰ.jpg
電柱Ⅰ
電柱Ⅱ.jpg
電柱Ⅱ

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国営昭和記念公園の四季 №18 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

キバナコスモス みんなの原っぱ


キバナコスモス2.jpg

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赤川Bonzeと愉快な仲間たち №118 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

作り直し

                      銅板造形作家  赤川政由

118.jpg
118-2.jpg

一生懸命製作したけど、引き取りをことわれてしまいました。表情が怖いとのこと、人形は、顔が、命といわれますが、まさに、そのとおり、依頼された、おじいさん、のかおを、似せようと頑張りすぎて、こわくなってきたみたい難しいものです。[]家族を、優しく見守るような、おじいさん]といった。注文に、こたえられなかった。暑い夏の中での制作で、体調も崩しさまざまな、事けんが起こったなかであったためか、気持ちが、あらわられたけっかみたい。ゆめゆめ、心を、しっかりもって、制作に、当たらねばと。反省しきり。時間と、日にちを、もらいゆっくりと、頭を、作り直しします。
おじいさんの、かたわれの、おばあさん。
優しい、慈愛に、満ちたお顔、に、とは、ならなかった。目元が、きつい、!似せようとして、懲りすぎた、難しい。

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押し花絵の世界 №70 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

「First Birthday」

                        押し花作家  山﨑房枝

70.jpeg
55cm ×46cm

友人が結婚記念日に旦那様からもらった花束を記念に残したいと提案してくれました。
花束のお花は作品の上下に入れて、子供の名前にちなんだペガサスが水面に写り込んでいる様子も植物で表現しました。

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渋紙に点火された光と影 №43 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ニワトリ

                       型染め版画家  田中 清

ニワトリ.jpg

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国営昭和記念公園の四季 №17 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

秋の気配  日本庭園いろはもみじ

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赤川Bonzeと愉快な仲間たち №118 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

新潟県新発田駅前モニュメント。ハサギ

                      銅板造形作家  赤川政由

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ハサギといって。稲刈りのあとに、稲穂を、乾かすために、干しておく場所がある。この辺の、風物だったらしい。にほんのきに、柱をわたして、そこなに、稲をかけておくわけだが、さいきんは、そのはさぎも、すくなくなったらしい。時計とうの、いらいが、あり、地元の、ご婦人が、あちこち、さがして、いらいしにきた。楽しいものを、作りたいと、のおもいから、行田の童人形を見て相談しにいらした。過去と、現在と、未来を、あらわした。ハサギの木ノ上で、遊ばした。右端は、この地で、生まれたという、堀部やすベイの、子供の頃の、イメージ。左端は、不思議なおじいさんが玉子を、だいていて、これからうまれる命を、あらわしている、真ん中にいる子供たちは、今の子供たち。はさぎで、遊ぶ姿に、時を、あらわしてみました。何故この作品を、紹介したかといいますと、制作して、かれこれ、12年ほどがたち。台風や、地震が、あるたびに心配していたら、たまたま、地元の、工務店から、連絡があり、時計が、止まり、市民からクレームが、きたとのこと。セイコーに、連絡したら、内部の、バッテリーの、じみょうだったらしく。交換して復活したらしい。作品の、破損がなくて、安心でしたが、あちこちなの、時計とうを、制作しているので、このようなトラブルが、今後出てくることが予測される。それにしても、最近の、台風が、大型になっているのが、きにかかる。心穏やかでは、いられない。たまには、過去の、作品を、訪ねてみたいものです。

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音楽のある風景 №8 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

スタジオlalalaのパッチワークは今

                  MATプロデューサー  しおみえりこ

昨年8月6日(日)我がスタジオlalalaの前の立川公園ガニガラ広場に、東北支援の支援のために続けている「できることをできるだけプロジェクト」の、ちくちくきもの5×5next(津波で被災した泥だらけの着物を譲り受け、音楽家の舞台衣装に。そのハギレで未来の子供達への応援旗として、どこかに被災した布を入れて50センチ四方のパッチワークの布を作ってもらっています。)この布は公園に並べた時に2000枚、現在は2300枚ほど。世界は33カ国から寄せられています。期せずして、この日は広島に原爆が投下された日。原爆雲を緑の芝生に抜いた部分に表しています。駆け付けてくれた皆さんが持っている横断幕には<NO! More Wars>と願いを込めました。

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今年はカナダのバンクーバーで3月に、台湾人、日本人、カナダ人の皆さんが、市の中心にある教会で、1日目/放射能を考える講演会、二日目/ちくちくきもの5×5nextワークショップ、三日目/出来上がったパッチワークの布を壁面に飾ってチャリティコンサートを開催してくださいました。演奏したのは我が夫クラリネット橋爪恵一とバンクーバーシンフォニーで活躍するチェロ奏者、ピアノはシカゴで活躍する方と共演させていただきました。企画してくださった皆さんの熱意から大きな力をもらい、国境を超えた友情に感謝でした。

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コンサート終了後、ナッシュビルにいる友人からアメリカにもワークショップに来て欲しいと頼まれ、現地に出向きました。長く外国に住んでいる日本の方は特に、あの震災の時に何も出来なかった….と心の葛藤を抱いている方が多く、今回のこのパッチワークのワークショプに参加できたことで、心が落ち着いたと仰っていました。布の力を感じます。

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6月は、イタリアのマルケ州ファレローネとう町の遺跡のある小さな教会で現地の音楽家と我が夫クラリネットの橋爪恵一が演奏。この地でも一昨年大きな地震があり、まだまだ復旧が追いついていない様子。町のあちこちの建物が補強されたままでした。

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サンマリノ共和国に日本の神社があるのを、皆さんご存知でしょうか?何とこの神社は、東北震災の慰霊のために出来た神社で、その発端はサンマリノ大使のマンリオ・カデロさん。彼は日本をこよなく愛し、日本は素晴らしい国と本まで書いてくださっています。神社の前で、現地にお住いのヴァイオリニスト矢谷明子さんとデュオで奉納演奏させていただきました。驚いたのは、その後の日本祭り。毎年6月に開催されるそうです。国会議事堂前の広場が晩餐会の会場となり、250人の出席者で、日本とサンマリノのお料理の融合と、琴演奏や和太鼓、神技のお料理など、宴は国際交流の場となり素晴らしいひとときを享受させてもらいました。

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日本よりも、外国の方々が今でも日本のことを思い、さまざまな形で応援してくださる心に深く感謝の旅でした。旅の間も、未来の子供たちへの応援旗を皆さんが作ってくださいました。今、私のプロジェクトのちくちくきもの5×5nextの写真集を準備中です。
「地球は円い、地球は青い、美しい地球を未来の子供たちに残すのは大人の責任。」
その思いで現在プロジェクトを進めています

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旬の食彩 僕の味 №102 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

アスパラガスのムースとクスクス
           レストラン「ヴァンセット」オーナー  大澤 聡

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最近の僕は暑い日が続いているので厨房サウナでいい感じに痩せていってます。
今年は異常に暑いので前菜には少しピリッと辛みのある前菜もいいかなと思い、今回はクスクスを使って前菜を作りました。
見た目はデザートのようだねとお客様から言われました。確かにデザートっぽいですかね。
緑色のムースはグリーンアスパラガスです。グリーンアスパラガスを塩茹でに。結構濃いめの塩水で茹でます。このアスパラガスと炒めた玉ねぎ、コンソメを合わせてミキサーで滑らかになるまで回します。最近のミキサーは性能が良いで、完全に滑らかなピューレになるので裏ごしの必要がありません。当然アスパラガスの味わい栄養を全て取れるので最高だなあと思います。ミキサー偉いですね。
クスクスはお湯で戻します。クスクスは粒状のパスタというひょうげんがわかりやすいですね。オリーブオイルと塩水を合わせて沸かしてクスクスに加えたものを冷やしておきます。
ラタトゥイユ。玉ねぎ、パプリカは5mm角に切ります。ニンニクとと共にソテーします。
ナスとズッキーニも同じ大きさに切ってそれぞれオリーブオイルで揚げます。揚げたなすとズッキーニはよく油を切っておきます。トマトは湯むきして細かく刻みます。
これらの野菜とクスクスを合わせていきます。野菜をそれぞれ別々に加熱するのは、ナスやズッキーニなどを色よく仕上げるためです。
クスクスとこのラタトゥイユとアリサ(唐辛子のペースト)を合わせて味を調えます。
オマール海老のジュレ。
オマール海老の殻、頭を小さめにカットしてオリーブオイルで香ばしい香りが出るまで炒め、フォンドヴォライユ(とりの出汁)とノイリー(ドライヴェルモット)とトマト、香味野菜を加えて煮出したものを卵白と牛スネ肉のひき肉と人参とポワローネギを合わせたものでオマール海老のコンソメをとります。
卵白と牛スネ肉で出汁を澄ませます。同時にに味わい深いコンソメがとれます。
ざっくりですがこんな感じで色々な出汁は取るわけです。
天使の海老は塩茹で火が入る少し手前で氷水に落として冷やします。
そして
盛り付け。
下にラタトゥイユを混ぜ合わせたクスクス隣にオマール海老のコンソメクスクスの上には天使の海老。周りにピメンデスペレット(フランスバスク地方の唐辛子の粉。とても高価)をふります。
しあげにグリーンアスパラガスのムースを絞って出来上がり。グリーンアスパラガスのムースはアスパラガスとコンソメゼラチンを少量入れたものでとても軽い食感です。
食感、海老に甘み旨味クスクスの爽やかな味わい、ハーブの香りコンソメジュレの食感
が合わさり爽やかで食欲を刺激する前菜が出来上がりました。
夏に疲れた身体にぜひ!

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東京都立川市柴崎町3-5-2むつ花ビル2F  042-526-6716
ヴァンセット27シェフブログ  http://www.sprasia.com/tv/user/vanset/blog
ヴァンセットHP http://www.restaurant27.hello-net.info/

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