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論語 №72 [心の小径]

二二四 子のたまわく、これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、それ回(かい)なるか。

                法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「一応説明してやると、それで済んだつもりで気がゆるむのが普通で、そうでないのは顔回ぐらいのものか。」

  次章にも見えるとおり、顔回はさらに一歩前進するのである。

二二五 子、顔淵(がんえん)を謂(い)いてのたまわく、惜しいかな。われその進むを見たり。未(いま)だその止(とど)まるを見ざりき。

 顔淵の死後、孔子様が追懐(ついかい)しておっしゃるよう、「ほんとうに惜しいことをした。進むところは見たが止まるところを見なかったのに。」

 その学徳の日進月歩して止まるところを知らず、この様子ならばどこまで伸びるかと楽しみにしておられた様子が、短い言葉にあふれている。

二二六 子のたまわく、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者あるかな、秀でて実らざる者あるかな。

 孔子様がおっしゃるよう、「苗のうちはよさそうだったが、それきりで花の咲かぬ者もあることかな、花は咲いたが実のならぬ者もあることかな。」
                                        
 いわゆる「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」の多いことを遺憾として、小成(しょうせい)に安んずるな、大成(たいせい)せよ、と門人たちをはげまされたのである。前章との連想から顔回の短命を惜しんだ言葉と解する説もあるが、どうもそうではあるまい。寿命の問題ではなくて、学徳の問題である。
 私は両親が芝居ずきで、子供の時九代目団十郎・五代目菊五郎を見せておいてくれたことを感謝している次第、それ以来ずいぶんおおぜいの役者を見たが、いつでも感心するのは子役の上手なことだ。父はよく「ガクシャの子よりヤクシャの子の方がえらいぞ。」と私をからかったものだが、それで将来どんな名優になるかと楽しみにしていると、存外(ぞんがい)期待はずれの場合が多い。個人をさしては悪いが、二代目左団次の弟の莚升(えんしょう)が「ぼたん」といった少年時代は実に驚くべき名子役だった。坪内逍遙作「牧の方」の初演のとき、政範(まさのり)という役で、芝翫(しかん)すなわち後の歌右衛門の牧の方を向うに回して大芝居を演じ、兄左団次(当時の莚升)の北条義時などは問題でなかった。その後「ヴイルヘルム-テル」の翻案劇で左団次が「猟師照蔵」を演じたとき、例のりんごをあたまにのせるその子をつとめてスッカリ兄貴を食ってしまったこともある。これに反して左団次は莚升時代には大根楽者と罵(ののし)られた。「矢の根」の五郎を演じたとき、新聞漫画に大根が馬上で大根を振り上げているところがかいてあったのを覚えている。初代左団次の追善興行のとき、弟ぼたんとならんで舞台にすわり、私はご承知のとおりの未熟者でござりますが、これなる弟は末の見込みがござります故御引立を願い上げまする。という口上を言って、見物を気の毒がらせたものだ。しかしさすがは団十郎で左団次のぼたん時代に、こいつは大物になる、と言っていたそうだが、果して洋行帰朝以来あの通り我が国の劇界に新生面を開き、先代とはまた型のちがった、そしてより偉大な名優になった。それに引きかえ麒麟児ぼたんは莚升になってから「秀でて実らず」で済んでしまった。さらに団十郎すらが、若い権十郎時代には「権ちゃん甘い」といわれたそうな。大器晩成なるかな、大器晩成なるかな。


『新薬論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №62 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 3

                      内村鑑三

 異教は、基督教国で基督教として通っているものと等しく、道徳を教え、そしてそれの遵守(じゅんしゅ)を我々に説く。それは我々に道を示し、そしてその中を歩むことを我々に命ずる。それ以上ではなく、またそれ以下ではない。ジャッガノート、幼児犠牲、等々は、我々の異教談からはこれを取除こうではないか、なぜなら財神(マモン)礼拝、鰐(わに)の餌食(えじき)にする方法以外の方法による幼児殺害、基督教国のその他の恐ろしい事と迷信とが基督教ではないように、それらは異教ではないからである。
 そういう点では我々は他を判断するに公平寛大であろうではないか。我々は我々の敵にはその最善最強の点で相会したくある。
 余は躊躇せずに言う、基督教は同じことをすると、すなわち、歩むべき道を我々に示すと。じつにそれは他のいかなる宗教にもまさって明白に誤ることなくそうするのである。それには余がしばしば他の信仰において出会う導きの光の鬼火(おにび)的性質はすこしもない。じつに基督教の顕著な一特徴は、光明と暗黒、生命と死との区別のこの鋭さである。しかしいかなる公平な裁判官にであれモーセの十誠と仏陀(ぶつだ)のそれとを比較せしめよ、そうすれば彼は直にその相違は昼と夜の相違のような相違ではないことを知るであろう。仏陀、孔子、その他の『異教の』教師たちの教えた人生の正道は、基督信徒がこれを注意深く研究すれば、何か自分たちの以前の自己満足を恥かしくおもわせるものである。シナ人と日本人とをして彼ら自身の孔子の誠めを守らしめよ、そうすれば諸君はこれら二国民から諸君がヨーロッパやアメリカで有するいかなるそれより立沢な基督教国を作り出すのである。基督教回心者のうち最もすぐれた人々は仏教や儒教の精髄(せいずい)をけっして捨てなかった。我々が基督教を歓迎するのは、それが我々を助けてなおいっそう我々自身の理想のどとくにならしめるからである。ただ熱心党、『リバイバル屋』、見世物好きの宣教師たちのお気に入りが、彼らの以前の礼拝の対象に対する宗教裁判(auto-da-fe)に没頭するにすぎない。『わたしはそれを廃するためではなく、成就するために来たのである』と基督教の創始者は言った。
 基督教が異教よりより以上でありより高くあるのは、それが我々をして律法を守らしめる点にある。それは異教プラス生命である。それによってのみ律法遵守が可能事となる。それは律法の精神である。すべての宗教のうちでそれは内側から働くものである。それは異教が多大の涙をもって探求摸索(もさく)しつつあったものである。それは我々に善を示すのみならず、我々をまっすぐただちに永遠の善それ自身につれて行くことによって我々を善ならしめる。それは我々に道を備えてくれるのみではない、生命そのものをもまた与えるのである、レールとともに機関車をもまた与えるのである。他の宗教に同様のことをするものがあるか、余はいまなお『比較宗教学』の教を乞いたくある。(註)

(註)グラッドストン(The Right Honourable William Ewart Gradstone)の基督教の定義は左のごとし、-『確立した基督教観念による基督教は、借受すべき抽象的教義を我々に提示するものではなく、我々が生命的合体によりて結びつけらるべき生ける神的の人格者を我々に提示するものである。それは罪によって神から断たれた者の神との再結合である、そしてその方法は教訓を教えるという方法ではなく、定められたようにもろもろの賜物と能力とをそれが授けることにより薪生命を賦与するという方法である。』 - ロバート・エルスミアーについての批評から


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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ミツバチからのメッセージ №3 [心の小径]

山の木が伐られた

       造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝

 第二次世界大戦中、日本の森で大量に木が伐採され、燃料など様々なことに利用されました。国家の非常事態及び人手不足と言う理由で、伐採跡地は放置されていました。
 戦後150万haの伐採跡地を含む1000万haの森にスギ、ヒノキ、マツ、カラマツなどの針葉樹を植林しました。その森の大部分は広葉樹の森でしたが、それを伐採した跡地に針葉樹だけを植林したのです。
 日本の国土面積3779万haに対して森林面積は2512万haですが、天然林1477万haに対して人工林1035万haです。なんと日本の森の41,2%が広葉樹から針葉樹へと林種転換されてしまいました。
 広葉樹の森では多くの花が咲き実を付けますが、花の花粉や蜜だけでなく実や葉っぱなどは、虫や鳥や動物のえさになります。それに対して針葉樹は風媒花なので受粉昆虫を必要としないため必要性が有りませんし、エサもありませんから生きることができません。つまり41,2%の生き物のすみかが消滅したことになり、間違いなく個体数を減らしたに違いありません。
 九州の五島列島では乱伐がたたり、エサ不足でニホンミツバチが絶滅してしまいました。福江島では戦時中都市部から疎開してきた人が増え、森を切り開き食糧生産のための畑を大量に作りました。タバコの生産などが盛んで葉っぱを乾燥させるための燃料として木を伐ったため、ほとんどの木が伐り倒されてしまいました。
 温暖な気候で雨も多いので木も草も直ぐに復活したのですが、離島では一度絶滅したニホンミツバチは復活することができませんでした。


3ウワミズザクラ のコピー.jpg
ウワズミザクラ
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キハダ


広葉樹の森には蜜と花粉がいっぱいの花の咲く木が沢山有ります。
ウワミズザクラ…サクラなのにブラシのように花が咲きブドウの様な房状の実がなります。
キハダ…この花が咲くとミツバチが乱舞します。樹皮は胃腸薬になり珍重されます。 


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論語 №71 [心の小径]

二二〇 子のたまわく、出でてはすなわち公卿(こうけい)に事(つか)え、入りてはすなわち父兄に事え、喪事(そうじ)敢(あ)えて勉めずんばあらず、酒の困(みだ)れを為さず。何ぞわれにあらんや。

                 法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「朝廷に出ては上官に服従し、家庭に入っては父母兄姉に奉仕し、葬儀や服喪にはできるだけを尽さぬということなく、酒は飲むが乱酔(らんすい)するまでに至らぬ。まずそのくらいのところで、ほかには何のとりえもないわしじゃ。」

 これは、第一四九章と同様、孔子様の謙遜と自信との言葉だ。前の場合にも申したとおり、「何ぞわれにあらんや」を「以上のこともわしにはできない」の意味に解する説があるが、この場合には「酒の困れを為さず」が変なことになる。第二四三章に「量(はかり)なし乱に及ば」ざる孔子様の酒の上のよかったことが出ているではないか。

二二一 子、川の上(ほとり)にありてのたまわく、逝(ゆ)くものは斯くの如きかな、昼夜を舎(お)かず。

 孔子様が川ばたにたたずんで歎息されるよう、「人間万事過ぎ去って帰らぬこと、川水の昼となく夜となく流れてやまぬようじゃのう。」

 道は流れて絶ゆることなし、学問もすべからく間断(かんだん)なかるべし、の教訓と解する説もあるが、それでは詩的でない。本章はいわゆる「川上歎(たん)の章」であって、安井息軒(そっけん)の左の説明が正に図星だ。「春秋の末、天下大いに乱れ、人その生に聊(やすん)ぜず。孔子、明君を輔(たす)けて以てこれを拯(すく)わんと欲す、しかも世の主、用うる能わず、歳月流るるが如く、孔子も亦すでに老いぬ。たまたま川流(せんりゅう)の一たび去って反らざるを見る。ここにおいてか喟然(きぜん)として以て歎じ、この言を発せるなり。」

二二二 子のたまわく、われ未だ徳を好むこと色を好むが如くなる者見ず。

 孔子様がおっしゃるよう、「色を好むごとく熱烈に徳を好む者を、わしはまだ見たことがない。遺憾(いかん)なことじゃ。」

 本章の「色」も、前の「賢(けん)を賢として色に易(たと)え」(七)の場合と同じく、婦人の容色である。さりとてまた「有徳者を好むこと美人を好む如くなる者を見ず」と解するのも、あまりに直説法過ぎる。「色」を美人と見るにしても、「徳」は徳そのものとしておく方がよい。

二二三 子のたまわく、譬(たと)えば山を為(つく)るが如し。未だ成らざること一簣(いっき)なるも、止むはわが止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆すと雖も、進むはわが往(ゆ)くなり。

 孔子様がおっしゃるよう、「たとえば山を築く場合に、もうひとモッコというところで山が出来上がらないのは、誰のせいでもない自分がやめたのじゃ。また、たとえば地ならしをする場合に、たったひとモッコあけただけでも、それだけ自分で仕事をはかどらせたのじゃ。」

 学問修養についての言葉だが、万事にあてはまる。それからこれが出たのか、これからそれが出たのか、議論があるが、「九仞(きゅうじん)の功を一簣に虧(か)く」という諺がある。

『新薬論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №61 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象—帰郷 2

                     内村鑑三

 基督教国の正しい評価を為すに当って、我々が何よりまず、純粋単純な基督教と、その教授たちによって装飾され教義化された基督教との間に、厳格な区別を設けることは必要かくべからざることである。余はこの世代の正気(しょうき)の人にして敢て基背教そのものを悪く言う者は一人もないと信ずる。余の手に入ったすべての懐疑的(かいぎてき)文学を読んで後に、余が到達した緒論は、ナザレのイエスは彼の名をもって唱(とな)えられている人々に対して為されたあらゆる激しい攻撃ののちに依然として一指も触れられずにいるということであった。もし基督教が余がいまそうであると信じている通りのものであるならば、それはヒマラヤそのもののように確固不動である。それを攻撃する者は、攻撃して自分自身に不利を招くのである。馬鹿者でなくて誰が敢て岩に向って突進するか。
   或る人はなるほど自分が基督教であると想像するものに向って突進する、だがそれはじつは基督教でも何でもなくて或る不真実な信徒たちの建てたそのものの上部建築なのである、彼らは「岩」はそれだけでは「時」のあらゆる消耗磨滅に堪えることはできないと考えてそれを神殿、伽藍(がらん)、教会、教義、三十九箇信条、その他の可燃性の構造物をもって蔽(おお)ったのである、そしてこの世の曇のうちには、そういうものが可燃性であることを知ってそれらに火を放ち、その炎上を喜び、「岩」そのものもまた火焔の中に消滅してしまっと考えるものがある。見よ、「岩」はそこに存在している、『移り行く世にも変らで立ちて』。
 しかし何が基督教であるか。確かに聖書そのものではない、たとえその大部分が、また
おそらくその精髄(せいずい)が、その中に含まれているにしても。またそれは一時の急場に間に合わすために人間の作成した一聯の信仰箇条でもありえない。じつに我々はそれが何であるかよりもそれが何でないかをかをより多く知っているのである。
 我々は基督教は真理であると言う。しかしそれは定義し得べからざるものを他の定義し得べからざるものをもって定義しているのである。『真理とは何ぞや』と、ロマ人ビラトやその他の不誠実な人々によって問われている。真理は生命のように定義するに最も困難である。しかり不可能である。そしてこの機械的世紀はそれらの定義不可能性の故をもって両者を疑い始始めたのである。ビシャー、トレヴィラーヌス、ベクラール、ハクスレイ、スペンサー、へッケル、各自自分自身の生命の定義をもっている、しかしすべて不満足である。『活動における組織』と一人は言う、『死に抵抗する勢力の総和』と他の一人は言う。しかし我々はそれがそれ以上であることを知っている。生命の真の知識はそれを生きることによってのみうまれる。解剖ナイフと顕微鏡はその機制を示すにすぎない。-真理がそうである。我々はそれを守ることによってのみそれを知るにいたるのである。屁理屈(へりくつ)、詮議(せんぎ)立て、こじつけはそれをより少なく真ならしめるにすぎない。真理は、誤る余地なく堂々と、存在している、そして我々はただ我々自身の方からそこに行かなければならないのであり、それを我々の方に呼び寄せてはならない。真理を定義しようという試みそれ自体が、我々自身の愚鈍(ぐどん)を示すのである、なんとなれば無限の宇宙のほかに何が真理を定義する(de-fine)すなわち限定する(li-mit)、ことができるか。それゆえ我々は、単に我々自身の愚鈍を隠す目的のためにも、真理の定義をあきらめるであろう。
 そのようにして余は基督教の定義不可能性は、その非実在の、いわんやそのごまかしの、証拠でないことを知るようになった。余がその教に一致すればするほどそれが余にいっそうすぐれたものとなるというその事実が、無限の真理そのものとのその密接な関係を示すのである。余は基督教が他の諸宗教にまったく関係のないものでないことを知っている。それは『十大宗教』の一つである、そして我々はある人々のように、他の一切を貶(けな)してそれを有つ価値のある唯一の宗教と見せることはしないであろう。しかし余にはそれは余の親しく知っているいかなる宗教よりもすぐれている、はるかにすぐれている。すくなくとも余の育てられた宗教よりはより完全である、そしていま『比較宗教学』について講義されてきたことをすべて精査して後にも、余は未だそれ以上に完全なものを考えることはできない。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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論語 №70 [心の小径]

ニ一七 子貢いわく、美玉(びぎょく)ここに有り。匱(とく)におさめててこれを蔵せんか。善賈(ぜんこ)を求めてこれを沽(う)らんか。子のたまわく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。われは賈(こ)を待つ者なり。

                 法学者  穂積重遠

 これは孔子様が盛徳(せいとく)をいだきながら仕官されないのを、子貢が「宝の持ちぐされ」と惜しみ、例の美辞麗句のたとえをもっておたずねしたのであって、孔子様と子頁との問答はいつもながらおもしろい。「匱」は箱のこと。「賈」を「こ」とよんで買い手と解したが、「か」とよんで値段と解する人もある。

 子貴が「ここに美しい玉がありはすが、櫃(ひつ)に入れてしまっておきましょうか、あるいは善い買い手をさがして売りましょうか。」と言ったところ孔子様がおっしゃるよう、「売ろうとも、売ろうとも、わしは買い手を待っているのじゃ。」

 孔子様の言葉には、「しかしこちらから売りつけることはしない。」という意味がふくまれている。すなわち「これを用うればすなわち行い、これを舎(お)けばすなわち蔵(かく)」れるのである(一五七)。

二一八 子九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲す。或ひといわく、陋(いや)しきことこれを如何(いかん)。子のたまわく、君子これに居る、何の陋しきことかこれあらん。

 支那(シナ)は中国で、四方は皆野蛮国、という風に考えていたので、それがすなわち
東夷(とうい)・南蛮(なんばん)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)である。そして東夷が九カ国あるというのが「九夷」なのだが、その中に「倭人(わじん)国」というのがあり、それが日本だなどという。そこで伊藤仁斎などは、孔子が本国に愛想をつかして、いわゆる「夷狄(いてき)の君ある」(四五)日本に渡ろうとしたのだと説く。私は仁斎先生の説には感服して、おりおり引用するが、これなどはどうかと思う。「桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん」(九八)の場合と同様、実際に外遊しようというのではなくて、天下道なきをなげく孔子様の歎声にほかならぬのだ。本章の「或ひと」なども、本当のことと思って口を出したのだろう。

 孔子様が東夷の国に住もうと望んでおられると聞いたある人が、「風俗が野蛮下等でどうにもなりますまい」と言ったのに対して、孔子様がおっしゃるよう、「君子が行って住めば、その感化によって風俗善良となりそうなことじゃ。何の野蛮下等なことがあろうか。」

 「言(こと)忠信、行い篤敬(とっけい)、蛮貊(ばんばく)の邦(くに)と雖も行われん」(三八一)という孔子様の自信が、ここにもあらわれている。

二一九 子のたまわく、われ衛(」えい)より魯(ろ)に反(かえ)り、然(しか)る後楽正しく、雅頌(がしょう)各(おのおの)その所を得たり。

 魯の哀公の十一年、孔子様六十八歳の時、衛の国を最後として魯に帰り、門人の教育と古礼・古楽の復興とに専念したのであるが、音楽整理の成績を自ら満足して語られた言葉。

 孔子様がおっしゃるよう、「わしが衛から魯に帰って以来骨折ったかいあって、乱れていた音楽が是正され、朝廷の舞楽なる雅、宗廟(そうびょう)の舞楽なる頌、その他それぞれ正しい音楽が正しい場合に演奏されるようになった。」


『信也う論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №60 [心の小径]

 第十章 基督故国の偽りなき印象 - 帰郷 1

                     内村鑑三

 基督教国における余の修行は終りを告げたのであるから、読者諸君は余がそれについて結局どういうふうに考えているかを知りたく思われるであろう。余は初めてそこに上陸して受けた印象を最後まで保持したか。基督教国は結局は異教国より勝(まさ)っているか。基督教は余の国に取り入れる価値があるか、あるいは基督教外国伝道の存在理由はあるか。
 まず余をして率直(そっちょく)に告白せしめよ、余は全く基督教国に心を奪われたのではないことを。三年半のそこでの滞在は、それが余に与えた最善の厚遇と余がそこで結んだ最も親密な友情とをもってしても、余を全くそれに同化せしめなかった。余は終始一異邦人であった、そして余はけっしてそうでなくあろうと努力したことはなかった。文明化された国にいるテラ・デル・フェゴー人が南十字星の下の白波寄せる海角を徘徊(はいかい)した昔を慕い、ラテン化されたインディアンが故郷の草原(プレアリ)で再び野牛の友となることを求めるというようにではなく、より高いより高貴な目的をもって、余は基督教国滞在の最後にいたるまで『ホーム・スウィート・ホーム』の思慕をもって余の故国を慕ったのである。かつて余はアメリカ人やイギリス人になろうという願いをいささかでもいだいたことはなかった、かえってむしろ余の異教的関係を余自身の特別な特権と考え、余を『異教徒』として、そして基督信徒としてでなく、この世に生み出したもうたことを幾度となく神に感謝したのである。
 なぜなら異教徒として生れる幾多の利益があるからである。異教を余は人類の未発達の段階であって、基督教のいかなる形態によって達せられた段階よりもより高いより完全な段階に発展し得べきものと考える。尽きざる希望が、すべての先人のそれよりより壮大な人生にむかって冒険を試みる青年の希望が、基督教によって触れられていない異教諸国民の中にあるのである。そして余の国民は歴史上では二千年以上の年齢であるけれども、キリストにおいてはまだ子供であり、未来のあらゆる希望と可能性はその急速に進歩しつつある日々のなかに隠れているのである。そのような日々を数多く目撃することができることは、余の感謝に堪えないことである。 - かくして余は新真理の力をより多く感ずることができた。『生れながらの基督信徒』には陳腐な常套譜と響いたものが、余には新しい啓示であった、そして
  『薄明の露の帳の下に、
  大なる落日の光を浴びて、
  宵(よい)の明星(みょうじょう)は天の衆軍とともに現れ、
  見よ! 創造は人の視野に拡がりき。』
その時、おそらく我々の最初の親たちによって歌われたであろうすべての讃美を、余から引き出したのである。余の中に余は基督教十八世紀間の変化と進歩を目撃することができた、そして余が余のすべての争闘の中から出て来た時に、余は自分が同情共感の人であることを知った、偶像崇拝から、十字架にかけられたまいし神の子における霊魂の解放にいたるまでの、霊的発展のあらゆる段階に余は通じていたからである。かかる幻想と経験とは、神の子のすべてに与えられてはいない、そして第十一時に招かれた我々は、少なくともこのように長く暗黒の中にとどまっていたすべての損失を償(つぐな)うべき、この特権を有するのである。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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論語 №69 [心の小径]

二一五 顔淵(がんえん)喟然(きぜん)として歎じていわく、これを仰げばいよいよ高く、これを鑚(き)ればいよいよ堅し。これを瞻(み)れば前に在り。忽焉(こつえん)として後(しりえ)に在り。夫子循循然(じゅんじゅんぜん)として善(よ)く人を誘(みちび)き、われを博(ひろ)むるに文を以てし、われを約するに礼を以てす。罷(や)めんと欲して能わず、既にわが才を竭(つく)せり。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すと雖(いえど)も、由なきのみ。

                     法学者  穂積重遠

 顔淵が溜息をついて言うよう、「先生のお徳は、高山の仰げばいよいよ高くして登るべからざるがごとく、金石の切ればいよいよ堅くして刃がたたぬと同じである。またその真相のとらえがたきこと、今まで前に見えたかと思えばたちまちうしろに在るような始末である。しかし先生は順序よく人を誘導されて、われわれの知見をひろむるに文字をもってし、われわれの行為を規律するに礼をもってされるので、やめようにもやめられず、力いっぱいを出し切ってここまで追いすがってきた。ところがどこまで行ってみても、先生はわれわれの目の前にそびえ立っておられて、どうかして追いつこうと思っても、及びもつかない。」

 高弟たちが孔子様に追随精進する模様が目に見えるようだ。「立つ所」を顔淵自身のこととして、ともかくも自立し得るところまではきたが先生の位置までは達し得ぬ、の意に解する説もあるが、前記の方が続きもよくおもしろいようだ。

二一六 子疾(やまい)病(へい)なり。子路門人をして臣たらしむ。病(やまい)間(かん))にしてのたまわく、久しいかな由(ゆう)の詐(いつわり)行うや。臣(しん)無くして臣有りと為す。われ誰をか欺かん。天を字無冠や。且つわれその臣の手に死なんよりは、むしろ二三子(ひさんし)の手に死なんか。且つわれたとい大葬(たいそう)を得ずとも、われ道路(とうろ)に死なんや。
                                        
 大夫が病気ならば家臣が見舞客の応接もし、また死ねば葬儀も執り行うのだが、孔子橡は当時退官しておられたから家臣というものがない。そこで子路が、それでは体裁もわるいし、万一の場合は葬儀も盛大に執り行いたいと思って、若い門人たちを家臣に仕立てたのである。前に出ていた「祷(いのら)んことを請う」と同じ時かどうか知らないが、子路はとかく師匠思いのあまり出過ぎたことをする。殊に重態だからとて葬式の心構えまでしたのならば、少少気が早過ぎる。江戸笑話にこういうのがある。今度雇った下男は、「エヘンと言えばたばこぽん」でまことに気がきいている。咳(せき)をすれば医者にかけつける、二三日ねると寺に行く。「久しいかな」は、今さらならぬことながらの意。わが国でも「久しいものだ」という。

 孔子様の病気が重態なので、子路が門人たちを家臣に仕立てた。病気がややおこたったとき、はじめてそれを知っておっしゃるよう、「久しいものだ、由がこしらえ事をするのも。わしに家臣がないのは皆が知っているから、家臣があるように見せかけたとて、誰をだませようか。よし人はだませても、天道様をあざむけようか。その上わしは、大夫として家臣の手で死ぬよりか、むしろ先生としてお前ら弟子たちに死に水を取ってもらいたいのだ。たとえ大夫の礼で葬られずとも、まさか道ばたでのたれ死をしはすまいじゃないか。」

 「二三子の手に死なん」というのがいかにも人情があってよい。私は某元老の国葬の儀に参列して、万端一切が係役人の手で取りしきられ、親族友人は隅の方に小さくなっているのを見て、この本文を思い出したことがある。


『新訳論語』講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №59 [心の小径]

第九章 基督教国にて―神学の一瞥 6

                     内村鑑三

 憐れむべき厳格な東洋人には、しかしながら、この簡単な科学的議論を洞察することはできない。彼らは信ずるのである、人はパンのみによって生きるものでないこと、精神はある点では肉体的食物でもあること、そして自分のうちにある満ち満つる天の霊で生きる人々には羊肉チョップと鶏肉パイは無くて済まされ得るものであることを。宣教師の生活様式に対する『不親切な』批評はそのためである。もちろんこれらの宣教師たちは、時には外国伝道の敵によって報告されることのあるように、『宮殿風』に生活してはいない。彼らはただ自分の国で生活するように生活しているにすぎない。しかし彼らがそのなかに派遣されて来たその国民には、彼らは宮殿暮しをしているように見えるのである。ご存知の通り富と快楽は単に比較的の名辞にすぎない、そして長椅子は荷の上に転(ころが)っている者には贅沢である。こういうわけで、それゆえに、滅びる異教徒に救擬(すくい)の喜ばしい音ずれをもって近づくために、宣教師たちの熱心が苦闘して通過しなければならない一つの障害が現れるのである。
 そして時には『祝福せられた』宣教師たちが来ることもある、異教徒のこの特質を調べてそれに応じて振舞う人々である。彼らは白ネクタイをはずし、頭を辮髪(べんぱつ)にし、バイやその他の故郷の美味を断ち、蓆(むしろ)の上に膝を折ることを習い、そしてあらゆる方法とさまざまな手段によって、霊魂をイエスにかちとる彼らの熱心な仕事に従事する。そういう人々には、我々異教徒は喜んで堪える。彼らは光と真理に来ることに驚くばかり我々を援助する、そして我々は彼らと彼らを遣(おく)りたまいし「彼」を、彼らが我々に為す善のために、讃美する。そのような宣教師は長老派シナ派遣宣教師クロセット氏(Crossett)であった。彼はシナ人そのものになった、しかもシナ人のうちの宮人族にではなかった。ついには彼の『奇行』は彼から本国の補助を奪った、しかし彼には異教徒自身があって彼の事業を助けて行った。彼はペキンに救貧院を設立し、異教徒のペキン商人たちによって維持された。彼は普通のシナ人とともに船艙で旅行した。このようにして黄海一帯に彼の伝道を続けつつある間に、彼の天上のホームへの召命が彼に来たのである。船長の自分の船室に来て楽に寝るようにという彼への忠告はしずかに拒絶された、自分が遣わされたその人々のなかで死にたかったからである。人々は無理やりに彼を船室に運んだ、そしてそこで彼は息絶えた、周囲の一同を彼の神と救拯主とに委ねつつ。彼の訃報(ふほう)は彼の故国に達した。宗教新聞はそれに多くの論評を加えることなしに看過した。然り、それのみではない。彼の犠牲は愚かな犠牲であったこと、善行は白ネクタイをつけて一等船室のなかで為され得ることを、暗に証拠立てる事例が引用された。けれどもペキン人とテンシン人とその他の辮髪紳士とは彼の奉仕を忘れない。彼らは彼に『基督仏』の名をつけた、それほど彼の存在は彼らの間で崇められていたのである。彼の宗教からはおそらく彼らのうちのはなはだ少数しか恩恵にあずからなかったであろう、しかし彼からはすべてのものが神的な悲しみと愛とについて何事かを学んだに相違なかった。
 幸運な宣教師の彼よ! おそらく何人も彼を模倣することはできないであろう。おそらく彼の胃は駝鳥(だちょう)のそれであって、シナ人の食物を消化不良を起さずに消化することができたのであろう。余は言う、彼は幸運であったと、なぜなら彼のような人は『伝道地の困難』をつぶやく必要がないからである。我々は彼の人まねを試みないであろう、人まねは偽善であり、何の善いこともそれからは出て来ないからである。辮髪にすることと船艙で旅行することとは事の本質ではない、もちろんである、しかし被の精神が事の本質である。それを我々は『奇行』として軽蔑しないであろう。もし我々のうち誰でも異邦人の間で成功した宣教師になろうという野心をもつならば、我々は彼に似たものとせられるように祈るであろう。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

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論語 №68 [心の小径]

ニ一二 子のたまわく、われ知ることあらんや。知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、われに問う。空空(こうこう)如(じょ)たり。われその両端を叩きて竭(つく)す。

                 法学者  穂積重遠

 「空空」は前(二〇〇)に出た「怪怪」と同じく、誠実の意。あるいはこれを文字どおり無知の意に解する説もある。

 孔子様がおっしゃるよう、「わしが何を知るものか、何も知ってはいない。ただかりにいなか者があって、まじめにわしに物をたずねたとしたら、終始・本末・大小・上下・肺肝・厚薄のはしからはしまでを叩きつくして、知っているかぎりを残すところなく教えてやるだけのことじゃ。」

二一三 子のたまわく、鳳鳥(ほうちょう)至らず。河、図(と)を出さず、われ己(や)んぬるかな。

 「鳳鳥」は鳳凰。舜の時来儀(らいぎ)し、文王の時岐山(きざん)に鳴く、とある。
「図」は八卦(はっけ)の図。伏義(ふつぎ)の時にに龍馬(りゅうめ)(馬の八尺〔約二・四メートル〕以上なるを龍という)が図を負(お)いて黄河から出現しとある。

 孔子様がおっしゃるよう、「鳳凰も来り舞わず、河から八卦の図も出(い)でず、これ聖主名君なきしるし、ああわが道もこれでおしまいか。」

 聖主明君に遇いこれを輔佐して道を行おうというのが、孔子様の大願であったが、当時孔子を知りこれを用いる人君なく、これではわしも如何とも致しようがない、と歎息されたのである。孔子様が吉兆祥瑞(きっちょうしょうずい)を迷信されたのでないことはもちろんで、伊藤仁斎はその点を、「或(ある)ひといわく、聖人は祥瑞を言わずと、此に鳳鳥河図を言えるほ何ぞやと。いわく、これ祥瑞を説けるにあらず、鳳鳥河図を仮りて以て時に明主なきを歎ぜるなり。けだし聖人は人と与(とも)にして以て異を立てず、世と同じくして敢て聴を駭(おどろ)かさず。およそ事の大なる得失なきものは、皆旧套(きゅうとう)に従う。敢て粉粉(ふんぷん)の説を為して以て人の聴聞をみださず、鳳鳥河図は古来相伝えて以て聖王世を御(ぎょ)するの瑞(ずい)と為(な)せり。故に夫子これを仮りて以てその歎(たん)を寓(ぐう)せるのみ。」と説明した。すなわち明君なしと正面からいってしまうと、魯の君に対しては不敬となり、他の諸侯にも当り障りがある故、遠回しに聖主名君出現の吉兆がないとほのめかされたのである。

ニ一四 子、斉衰者(しさいしゃ)冕衣裳者(べんいしょうしゃ)と瞽者(こしゃ)とを見る。これを見れば少しと雖(えど)も必ず作(た)つ。これを過ぐれば必ず趨(わし)る。

 「斉衰」は第二級の喪服。第一級は「暫衰(ざんすい)」だが、ここでは一般に喪服という意味。「趨」は「わしる」とよむしきたりになっている。小腰をかがめて小走りすること。

 孔子様は、喪服をきた者と、大礼服の役人と、盲人とにであわれると、それが自分より若い人であっても、あちらがこちらの前に来る場合には必ず起立され、こちらがあちらの前を通るときには必ず小走りされた。

 孔子様が人の喪に同情し、爵位を尊び、不具者をあわれまれたことをいったものだが、喪服や大礼服に対してはともかく、盲人に対して相手に見えない札をつくすところが、孔子様だ。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №58 [心の小径]

第九章 基督教国にて―神学の一瞥 4

                      内村鑑三

 また霊魂回心(soul-converting)、教会員製造(church-member-making)、その他それに類した仕事の手段と方法とについては如何。手段と方法とによって基督教に霊魂を回心せしめられたものは手段と方法とによってやはり異教に再回心せしめられる。この唯物主義的時代にある我々は環境をあまりに重視すぎる。ダーウィニズムはついに基督教を回心せしめてしまったように見える。立派な合唱隊、愉快な教会親睦会(しんぼくかい)、若い婦人たちのバザー、無料のランチ、日曜学校のピクニック―およそそういうものが今や精神を維持するに重要な手段と考えられている、そして『牧公神学』の大部分はそういう仕事で占められているように見える。そしてもし洗練された修辞学が若い神学生によって「火」より以上に熱望されているとすれば―そしてその「火」さえも修辞学のためである―、そしてもし説教者の説教は火を点じ偶像を破壊する画より以上に雄弁的演劇的の見地から論ぜられるとすれば、―クリソストムが黄金の響きをもつ天からの託宣(たくせん)を述べた彼の舌を詛(のろ)い、アウガスティンが修辞学を欺瞞(ぎまん)の術として軽蔑するのももっともである。もし、批評家が我々に告げるように、聖パウロは人間のうちで最も美しい人ではなく彼のギリシャ語はギリシャ語としては最も純粋なものでなかったとすれば、もしポシュエーの雄弁とマシヨンの名文がフランス革命の猛襲を転じ得なかったとすれば、もし鋳掛け屋パンヤンと商店主ムーディがその時代の望みえたような立派な福音の真理の宣伝者となることができたとすれば、―それならば余は神学校において余の学業を修了することができなかったことを悲しむ必要はない。
 余は諸君に告げた、余が神学校に来たのはけっして聖職者免許は受けないという約束によってであったと。親しい友人のうちには余が聖職者免許を得るまで続けないで神学研究を去るのを悲しんだものもあった。余にとっては、しかし、聖職者免許は余が真剣に恐れていたものであった。そして余に対するこの新しい特権の授与について余がいだいていた恐怖がさらに大きくなったのは、その利益が神学校の壁の内部で噂されているのに気がついたときである。『牧師館つき一千ドル』、『シカゴ無政府状態についての二十ドル説教』、またそれに増したそういう語句の組合せがはなはだ不協和に余の耳に響いた。説教が豚肉やトマトや南瓜(かぼちゃ)がもつような市場価値をもつということは、少なくとも東洋的観念ではない。我々東洋人は甚だ疑い深い人種である。そうジョン・スチュアート・ミルは評し、我々をカトリック・スペイン人に比較した。そしてなんぴとをも我々は宗教を売物にするもの以上には疑わない。我々には、宗教は普通には現金に替えらるべきものではないのである。じつに宗教が多ければ多いだけ現金は少ない。我々は迷信的であるにしても、末だ宗教と経済学とを和解させることはできない。そしてもし聖職者免許が我々の宗教に市場価値を印するのであれば、幸福なるは余がそのように印せられないことである、なぜなら余はそのようにして誘惑から免れるからである。
 じつにこの有給伝道という事はまだ我々にははなはだ議論の余地ある問題である。我が異教の教師たちは自分たちの勤めに対し何ら規定の報酬を受けないのを常とした。毎年二回、その弟子たちはめいめいの力で持参できるものを何でも教師のところに持参する。金十枚から大根や人参の一束まで、かような贈物、『御礼の印(しるし)』(とそれは呼ばれていたが)には段階があった。彼らには教会税、座席料、その他そのようなもののために彼らを死ぬまで小衝(こづ)く教会執事はない。自分の肉体の維持のために全く天と自分の同胞とに頼ることができるまでに精神的訓練に十分な進歩を遂げてしまうまでは、教師は教師にして教師ではないと思われたのである。これを彼らは最も実際的な『自然淘汰(しぜんとうた))』の方法、こうしてにせ教師や時代迎合者を押しつけられる危険はないものと考えた。
 余はみとめる、人が生きるのは霊のみによってではなく、地より生ずるすべての物にもまたよることを。これは有給伝道のための一つの議論である、そして我々はこれはまったく正当な議論と考える。我々の今日の生理学は心理的の力と精神的の力を.バンと羊肉の数片から推論する、それなら何故『エネルギー可変性』の原迫にもとづいて精神を羊肉と交換しないのか。健康についての神の律法は、頭脳を働かせ心臓に負担を讃する福膏の聖職者が適当にまた相当に衣食を供せられることを要求するのである。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

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論語 №67 [心の小径]

ニ一〇 子匡(きょう)に畏(おそ)る。のたまわく、文王(ぶんおう)既に没して文(ぶん))ここに在(あ)らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろぼ)さんとするや、後に死する者斯の文に与(あずか)るを得じ。天の未だ斯の文を喪さざるや、匡人(きょうひと))それわれを如何。

                 法学者  穂積重遠

 「匡に畏る」は、後に出てくるが(二七五)、孔子様の一行が衛(えい)を去って陳蔡(ちんさい)方面に向かう途中(二五五)、匡という土地で遭難したこと。「畏」は畏るべき事件にあったということで、孔子様がこわがられたというのではない。伝説によれば陽虎(四三二)が匡で乱暴したことがあったので、匡人が今度来たらばと手ぐすねひいて待ちかまえていた。そこへ一行が通りかかったところ、孔子様の顔形がたまたま陽虎に似ていたので、匡人が兵をもってこれを囲むこと五日だったという。孔子様がそんな大悪人に似ているはずがないという議論もあるが、そんなに気にすることもなかろう。曾呂利新左衛門の言い草ではないが、孔子様が陽虎に似ていたのではなく、陽虎が孔子様に似ていたのだ、ということにしておこう。
「文」は道の形にあらわれて文をなすもの、すなわち札楽制度、「後に死する者」はすなわち「後に生るる者」であって、ここでは孔子様自身。

  孔子様が匡で大難にあわれたとき、おっしゃるよう。「文王がなくなられた後、その
名に負える文はこのわしに伝わっているとは知らぬか。もし天がこの文をほろぼそうというおつもりならば後に生れたわしがこの文に参与することはできなかったはずである。もしまた天がまだこの文をほろぽさぬおつもりならば、文の代表者たるこのわしが殺されることなどは断じてあり得ない。匡人ごときがわしに指一本でもさせようや。」

 「桓魋(かんたい)それわれを如何」(一六九)とともに、孔子様の毅然たる大勇を私たちの眼の前に活き活きと出現させる。

ニ一一 大宰(たいさい)、子貢(しこう)問いていわく、夫子は聖者か、何ぞそれ多能なるや。子貢いわく、もとより天これを縦(ゆる)して将に聖ならんとす、又多能なり。子これを聞いてのたまわく、大宰われを知れるか。われ少くして賎(いや)し。故に鄙事(ひじ)に多能なり。君子多(た)ならんや、多ならざるなり。牢(ろう)いわく、子云えり、われ試(もち)いられず、故に芸(げい)ありと。

 「大宰」は官名、大官らしい。名はわからない。「牢」は門人子張の名、姓は琴(きん)、子張は字(あざな)だが、子開という字もある。

 大宰某(なにがし)が子貴に向かって、「先生はなるほど聖人でもあろうか、何と多能なことよ。」と言ったので、子頁が「先生は元来天の許せるところでほとんど聖人の脇に達しておられ、その上に多能であられます。」と答えた。孔子様がこれを聞いておっしゃるよう、
 「大宰はわしのことをよく知っておられる。わしは若い時賎(いや)しかったので、つまらぬことに多能なのじゃ。元来君子の君子たるゆえんが多能なことであろうか。否、君子はけっして多能でない。」それについて子張も言った。「先生が、わしは世の中に用いられなかったので多重になったのじゃ、と言われたことがある。」

 大宰は多能だから聖人だと思い、子頁は、聖人であることと多能であることとは別問題だが、先生は聖人にしてかつ多能なのである、と述べ、孔子様は、謙遜と同時に多芸多能はけっして聖人君子たるゆえんにあらざることを語られたのである。

『新薬論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №57 [心の小径]

第九章 基督教国にて―神学の一瞥 3

                     内村鑑三

  十二月五日 各人ノ生涯ニハ神ノ予(あらかじ)メ定メ給ヒシ一種ノ語形変化表(パラダイム)アリ。彼ノ成功ハ、此の語形変化表(パラダイム)と自己ヲ一致セシメ、ソレニ及バザルコトナク、ソレヲ超エザルコトナキニアリ。其処ニノミ完全ナル平和アリ。彼ノ心身ハソノ中二歩ム時二最モ善ク有利二用ヒラルルナリ。野心(アンビション)の欠乏ハ彼ヲソレニ達セシメザルコト屡々アリ、彼ハ己ガ能力ヲ傾倒シテソノ事業ヲ成就(じょうじゅ)セシムルコトナクシテ此ノ世ヨリ去ル。他方ニハ、野心有リ余リテ彼ヲシテソレヲ跳ビ越サシメ、ソノ結果ハ五体ヲ毀(そこな)ニ死ヲ早ム。人ノ選択力(自由意志)ハ此ノ語形変化表(パラダイム)ヲ自己ニ合致セシムルニアリ。一度自己ヲソノ流二投ゼンカ、彼ノ費ス努力ハモハヤ彼ヲ前進セシムルコトニアラズ、タダ流ノ中二彼ヲ止メ置タコトノミ。コノ流ノ中ニアル如何ナル祝福モ之ヲ取レヨ、享受(きょうじゅ)セヨ、然レドモ其処ヨリ歩ミ出デテソレヲ追求スベカラズ。コノ流ヲ妨グル如何ナル障害(しょうがい)ヲモ冒(おか)シテ進メ、神ガソノ途ヲ定メ給へル以上、ソノ障害ハ揺(ゆる)ギナ山岳タルコトヲ得ザレバナリ。ソレニ拘(かかわ)ラズ、汝自身二頼ルコト勿(なか)レ。神ハ汝ノ流ヲ定メ給へリ、彼ハマタ汝ノ為二船長ヲ定メ給へリ。『汝彼二聴ケヨ!』

  十二月廿九日 余ハ神学ヲ研究シツツアルヲ今ナホ他人ノ前二恥ヅルコトアルヲ恥カシク感ズ、実ハ、世俗ノ心ヲ抱ク者ハ如何ナル学問ニツキテモソノ精神的半面ヲ見ルコト能(あた)ハズ、而シテ勿論「パン」ト「バター」ノタメニ伝道ストノ考ハ彼等ニハ極度二卑劣ト思ハルルニ相違ナシ。福音ノ真ノ伝道者トナルトイフコトノ責ノ自己犠牲タル所以(ゆえん)ハ、ソノ自己犠牲ガ人類ノ多数者ニハ自己犠牲ノ如クニ見エザル事実二存スルナリ。然り更ニソレハ彼等ニハ最大ノ卑劣ノ如ク思ハルルナリ。実際的ノ慈善トソノ他ノ善行トハ然ラズ。ソレ(神学ノ研究)ヲ犠牲ト考フル人々ヨリハ能フ限リソレヲ隠スコト、而シテソレヲ卑劣ト考フル人々ノ前ニハソレヲ告白スルコト、― 嗚呼(ああ)、然り、基督信徒ハコノ世ニテ相当ノ荊棘(いばら)ノ途(みち)ヲ歩マザルベカラズ。実ニ、狭キハ十字架ノ子二定メラレシ途ナリ。父ヨ、人々ノ前二余ノ公然ト汝ヲ拒ムヲ許シ給へ、而シテ余ノ天職二更二大ナル勇気ト確信トヲ与へ給へ。

 しかし余は余の神学研究をこれ以上継続すべきでなかった。過去三年間のはげしい精神的緊張は余の神経に落着きを失わしめ、きわめて怖しい慢性不眠症が余を捉えた。急速、催眠薬、祈祷はついに無効であった、そして今や余のために開かれている唯一の途は故国に通ずる途であった。余は神学を去り、そして異郷流鼠(りゅうざん)の間に得た獲物が何であれ、それを携えて帰国すべきであった。
 更にそれ以上の黙考は、しかし、かかる摂理の命令の知恵と道理を余に示した。アメリカの神学校は、明白にアメリカの教会のために青年を訓練するために設立されているので、同国と事情を異にする伝道地に赴かねばならぬ者を訓練するに最適の場所ではない。旧新約聖書の註解的研究以外は、これらの神学校で教えられている多くのものは、これを省いても、伝道地で実際に働く人々の用から多くを減ぜずにすむかもしれない。牧会神学、歴史神学、教義神学、組織神学が我々に無意義なのではない、人間の知識のいかなる部門も基督信徒の知る必要のないものはないことを我々は真面目に信ずるからである、しかし問題は比較的な重要さの問題である。けっして懐疑的なヒユームや分析的なパウルと我々は取り組むべきではない、しかしインド哲学の精緻、シナ道徳家の非宗教性、それとともに新興の意気は物質的であるが根本観念は精神的である新生諸国家の混乱した思想と行動と取組むべきである。西洋の基督信徒によって用いられる普通の語義での『教会』は、余の国人のあいだには全く知られていない、そしてこの制度が、たとえ他の諸国にて疑いなく価値あるものであるにしても、余の属する国民のあいだにいくらかでも安定の望みをもって植えつけられうるかどうかは、いまなお重大な問題である。我々がその国民生活二千年のあいだに慣れてきた道徳的宗教的教授方法は、テキストによる説教、講壇からの演述という方法ではない。我々には徳育と知育のあいだに何らの差別はない。学校は我々の教会である、そして我々はそこで自分の全存在を育て上げるものと思われている。宗教の専門といいう観念は我々の耳にはきわめて奇異に、また反撥的にさえ響く。坊主は我々にあるにはあるが、彼らは本来は寺の番人であって、真理と永遠的真実との教師ではない。我らの遺徳的改革者はすべて、文字と学問を教えたと同時に霊のことを教えた、教師であり、『先生』であった。『知識は義の道を放すが故に価値あり、吾人がその習得に従うは、以て本職の道学先生となる為にあらず。』そう言ったのはあの奇行ある異教的日本人高山彦九郎であった、そして彼こそは彼のような多くの者とともに遺徳、政治、その他諸般に渉(わた)りあの島帝国がかつて目撃した最も壮大にして最も高貴な改革を成し遂(と)げた人であった。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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論語 №66 [心の小径]

ニ〇六 子罕(まれ)に利を言う。命(めい)と与(とも)にし、仁(じん)と与にす。

                 法学者  穂積重遠

 孔子様は稀(まれ)に利のことを言われた。そしてそれを言う場合にも、利だけを言うと誤解が起ることをおそれて、常に天命のことまたは仁のことと組み合わせて言われた。

 「子罕に利と金と仁とを言う」と普通によむが、命はともかく、仁に至っては「まれに言う」どころではないから、前記のよみ方を採った。これは荻生徂来の説だという。
                           
ニ〇七 建巷党(たつこうとう)の人いわく、大(おおい)なるかな孔子。博(ひろ)く学びて名を成す所なしと。子これをを聞きて門弟子に謂いてのたまわく、われ何をか執(と))らん。御(ぎょ)を執らんか、射(しゃ)を執らんか。われは御を執らん。

 「達巷」は「党」の所在地名。「覚」は前にも出たが、五百家の隣保集団。

 達巷のある人が「偉大なるかな孔子様は。博学で何でもおできになるため、何か一つで有名ということがない。」と言った。孔子様がこれを開いて内弟子たちにおっしゃるよう、「それでは何か一つやってみようかな。卸にしようか。射にしようか。わしは御にしよう。」

 古註に「達巷党の人、孔子の大なるを見、その学ぶ所のもの広きを意(おも)い而してその壷一善を以て名を世に得ざるを惜む。」とあるが、「惜む」というよりは、むしろほめたのだろう。ところが孔子様はわざとそれを、いろいろかじるが一つも物になっていない、という悪口の意味にとり、それでは礼・楽・射・御・書・数の六芸のうちを何か一つ専門にやって、「名取り」にでもなってみようか、礼楽はむずかしいし、書数はめんどうくさい、まず射か御といぅところだろうが、一番下等な御ぐらいがわしに相応(そうおう)なところだろう、と言われたのであって、謙遜の言葉だが、同時に内弟子たち相手のじょ、つだんと見るべきだろう。

ニ〇八 子のたまわく、麻冕(まへん)は礼なり。今や純(いと)にするは倹なり。われは衆に従わん。下(しも)に拝するは礼なり。今上(かみ)に拝するは泰(たい)なり。衆に違(たが)うと雖もわれ下に従わん。

 孔子様がおっしゃるよう、「麻の冠が古礼だがそれは製作に手数がかかるので、今では絹糸(けんし)にすることになった。古礼には違うが簡素でよいから、わしは皆のするように絹糸の冠を用いよう。臣下が君主に対してはまず堂下で拝するのが古礼なのを、今ではイキナリ堂上で拝することになったが、それは僭上沙汰(せんじょうざた)だ。皆のやり方とは違うがわしは堂下で拝しよう。」

 孔子様は必ずしも古礼だから何でもよいといわれるのではなく、事のよろしきに従われるのである。

ニ〇九 子、四つを絶つ。意なく、必なく、固(こ)なく、我(が)なし。

 「意」は自分の料簡(りょうけん)で物事をおしはかること。「必」はぜひこうあらせねばならぬときめてかかること。「固」は一事にこだわって融通のきかぬこと。「我」はただ我れあるを知って他人を考えぬこと。

 孔子様は、意と必と園と我との四つを絶ち物にされた。

 すなわち、独善なく、先入主なく、固執なく、我意(がい)なく、真に円満な人格者たらんことをつとめられたのである。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №56 [心の小径]

第九章 基督教国にて—神学への一瞥

                    内村鑑三

 九月十八日 日曜日 神学ハ其ノ中二何一ツ現実的実際的ナルモノナキ学問ナリトスレバ、学ブノ価値ナキモノナリ。然レドモ真ノ神学ハ現実的ナル、然り如何ナル他ノ学問ヨリ更二現実的ナル、或者ナリ。医学ハ人ノ肉体的苦痛ヲ軽減ス、法学ハ人ト人トノ市民的関係ヲ取扱フ、然レドモ神学ハ肉体的疾患(しっかん)ト市民的不秩序ノ其原因ヲ検討ス。真ノ神学者ハ当然ニ理想家ナリ、然レドモ夢想家ニアラズ。彼ノ思想ノ実現ハ幾世紀ノ未来ニ存ス。彼ノ事業ハ完成二無限ノ歳月ヲ要スル大建築物ニ一二個ノ煉瓦(れんが)ヲ貢献スルこ似タリ。彼ノ其二従事スルハ、タダ正直ニシテ忠実ナル事業ノ決シテ失ハルルコトナキヲ信ジテノミ。
                                        
 九月十九日 神学ハ小人二理解セラルルニハ余リニ大ナル題目(だいもく)ナリ。小人ハ斯カル巨大ナル題目二対シテ自己ノ余リこ小ナルヲ知ルヤ、自己ノ小二適スル自己自身ノ神学ヲ建設シ、自己以上ニヨク其ヲ理解スル者二呪詛(じゅそ)ヲ放ツ。鳴呼、我ガ霊魂ヨ、神学ヲ汝ノ小二適セシムベク縮小スル勿(なか)レ、汝自身ヲ其ノ大二適セシムべク拡大セヨ。
                     
 十月十二日 復習室二於ケル職業ニムシロ嫌悪(けんお)セリ。我等ハ新約聖書註解二於テハ地獄ト煉獄ニツイテ、護教学ニ於テハ等シク非実質的ナル問題ニツイテ、議論セリ。無精神ノ神学ハ凡テノ学問ノ中ニテ最モ乾燥無味ニシテ最モ無価値ナルモノナリ。重大ナル問題ヲ論ジツツアル間二笑ヒ戯(たわむ)レツツアル学生ヲ見ルコトハ殆ド慄然(りつぜん)タルモノアリ。彼等ガ真理ノ根底ニ達シ能ハザルハ怪シムニ耐へズ。千歳ノ岩ヨリ生命ラ引キ出スハ最大ノ熱心ト真剣サヲ必要トス。

 十一月二日 余ハ『ネバナラヌ』ヨリヨリ高キ道徳ヲ求メツツアリ。余ハ神ノ恩恵ヨリ来ル遺徳ヲ渇望(かつぼう)シツツアリ。然シカカル道徳ハ人類ノ大多数ニヨリテ拒否セラルルノミナラズ、神学校ノ学生ト教授ニヨリテ信ゼラルルコト甚ダ少キガ如シ。余ハ此ノ神聖ナル壁ノ中ニテハ、外側ニテ聴ク所ノモノヨリ何等新シキモノ、異ナレルモノヲ開カズ。孔子ト仏陀トハ、是等ノ神学者ガ僭越ニモ異教徒二教へントシソツアル所ノ最大部分ヲ余二教へ得ルナリ。

 十一月七日 此ノ世ハ何者ゾヤ。ソハ怨恨(えんこん)ト軋轢(あつれき)ノ遍満セル舞台ナリ。不信仰対基督教、「ロマ・カトリック」教対「プロテスタント」教、「ユニテリアン」教対「オルソドックス」(正統信仰)—人類ハ一部分ハ他ノ部分二対立シ、一部分中ノ一区分ハ同一部分中ノ他ノ区分二対立シテ其ノ天幕ヲ張り、—各自ハ他ノ誤謬ト失敗トニヨリテ自己ヲ利セント試ミツツアリ。タダ編入ガ信頼シ得ラレザルノミナラズ、人類ハ全体トシテ蝮(まむし)の裔(すえ)、人間嫌悪者、「カイン」ノ末裔ナリ。鳴呼我ガ霊魂ヨ、主義トイフ主義ヨリ離レヨ、ソレガ「メソヂスト」主義デアレ、組合主義デアレ、或ハ他ノ如何ナル高尚二響ク主義ナリトモ。真理ヲ求メヨ、汝自身ヲ一個ノ人間ノ如クニ振舞へ、人々ト絶テ、而シテ汝ノ上ヲ仰ギ見ヨ。

 十一月十八日 「デーヴィツド・ヒユーム」伝ヲ読ミツツアリ。余ノ宗教的熱心ハ此ノ鋭キ哲学者ノ冷静ナル心二接触シテ冷却セシメラル。然レドモ余ハ喜ンデ余ノ宗教的経験ヲ厳格ナル科学的方法ニテ検セントス。余ハ『哲学的夢想国ノ蜃気楼(しんきろう)』中二住シツツアルニ非(あらざ)ルコトヲ知的二確カメント欲ス。コノ形而下的学問進歩ノ時代こ、「アナテマ」(呪詛・じゅそ)ヲ以テ懐疑者ヨリ免レント欲スルモ無益ナラン。宗教ハ客観化セラレ、『触フルべキ』モノ、科学的ニ解セラルベキモノトセラレザルベカブズ。然レドモ噫(ああ)! 余ハ余ノ周囲二同ジ旧キ途ノ踏マレツツアルヲ見ル、各自如何ニシテ『教区民ノ大好キ』ナル善良ナル老牧師ヲ真似シテ他ヲ凌駕センカト試ミツツアルナリ。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫


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余は如何にして基督信徒となりし乎 №55 [心の小径]

基督教国にて—進学の一瞥 2

                    内村鑑三

 ルーテルもまた、よし普通の牧師ではなくても、牧師ではなかったか。あの勇敢な偶像破壊者ジョン・ノックスは牧師にして神学者ではなかったか。世界の最も偉大な勇士の幾人かもまた神学の恩慮深い研究者ではなかったか。余の理想の紳士にして基督信徒なるジョン・ハムプデン、よし彼は英国人であっても、—彼の英雄的行為はその深い神学的確信の結果ではなかったか。ガス.バール・ド・コリニー、—彼の神学は彼の愛するフランスの大改新計画を立てるにあたって彼に何の価値もなかったか。もし神学が遊戯であり、世界の最大の嘘つきと偽善者との魔法使いの盃であったとしても、それはまた世界の最も偉大な知力の使用であり、また世界の最も高額な霊魂の鍛錬者ではなかったか。もしその語源が示すように、神学(Theology)は神の学であるならば、いかなるアダムの真の子らがこれの敬慶な研究を辞退することができるか。神の宇宙についてのいかなる学が神学でないのか。そして神の学に導かれなければ人間のいかなる行為が正しく且つ真であり得ようか。おお我が霊魂よ、なんじはそれならば神学生となれ。それを偽善者と霊的薮医者(やぶいしゃ)の手から救え、ダビデがペリシテ人の手から神の箱を救ったように。その学それ自身はあらゆる学の中にて最も高貴なものである、ただ『異教徒』の手にそれを放置してわく人間が悪いだけである。
 霊的経験の日々に増し加わる現実感が、余を助けて余がかつて神学に結びつけていた空虚さと非実用性との観念をことごとく駆逐(くちく)せしめたのである。じつに余は余の神学整心の理由が判った。もし米や馬鈴薯(ばれいしょ)が現実であるように霊が現実であるならば、何故に神学を軽蔑して農業を賞讃するのであるか。もし穀物を生長させて余自身と余の飢えている同胞とを神の大地の果実をもって養うことが高貴であるならば、彼の御霊を我らの飢えている霊魂のものとするため彼の律法について学び、それによってより高貴により男らしくされることが、何故に卑むべきであるか。ただ穀(から)と藁(わら)だけを産し、そしてそれを本当の麦と米であるとして公衆に与える農業をば、我々は軽蔑(けいべつ)し馬倒(ばとう)する。そういうものはじつに農業(Agriculture)などというものではない、それは岩業(Rock・Culture)であり砂業(Sand・Culture)であり、現実には何人をも養わないものである。それゆえに余が罵っていた神学(Thology)は非神学(No Theology)なのである。それは霊の代りに風を、説教の代りに修辞学を、音楽の代りに音響を与える悪魔学(Demonology)であったのである。神学は実質的であり、食べられ飲めるものである、-—それが与える水から飲む者は誰も渇くことはなく、それが与える肉を食べる者は誰も飢えることがないほど、それほど実質的、それほど栄養的である。神学を恥じるか。しかり、なんじは永久に非神学を、悪魔学を恥じよ、それが神学校その他の機関で教えられても。しかし本当の神学は、何処で教えられても、なんじはこれを誇るべし。貧者と飢餓者の救援のため昌分の朽つべき富を惜しみなく献げたジョージ・ピーボディとスチーブン・ジラードの名を尊敬する世界は、我々の宗教的思想を組織化して善を為すことと神に仕えることとをほとんど科学的可能事としたネアンデル、ユリウス・ミュラー、その他そういう種類の人々の名をあがめ続けるであろう。『心は神学の中心なり』と教会史の父は言った、そして心がなくてただ胃だけのものは、その外に立つべきである。
 かように信じて、余は神学を学ぶべく余の心を決した、しかし一つ重要な条件をつけた、そしてそれは余はけっして聖職者免許を受けないであろうということであった。余は心の中で言った、『主よもし、貴神(あなた)方が私をレヴェレンドとなることを強制したまいませんならば私は神学を学ぶでありましょう、もし基督教国のあらゆる神学を取り入れることに成功しましても、私は二重のDによって示されたあの重々しい称号を私の名に加えないでありましょう、貴神は私を私のこの最後の犠牲のためにそれから免除してくだきらなければなりません』と。彼は言いたもうた、よしと、そして余はその同意に基づい三神学校に入学したのである。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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論語 №65 [心の小径]

二〇三 子のたまわく、大なるかな堯(ぎょう)の君たるや、巍巍(ぎぎ)乎(こ)たり。ただ天を大なりと為す。ただ堯これに則る。蕩蕩(とうとう)乎として民能(よ)く名づくるなし。巍巍乎としてそれ成功あり。煥(かん)乎としてそれ文章あり。

                        法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「さてさて大いなることかな、堯の天子様掛りは。実にりっばなことじゃ。およそ唯一の大きなものは天だが、堯のみが天と肩をならべる。その広大無辺なること、何と名のつけようもない。ただ見るところは高くそびえるその事業と、光りかがやくその礼楽制度とのみ。」

 伊藤仁斎の左の解説が要領を得ている。
 「言う心は、民堯の徳化に涵育(かんいく)して、而してその徳化の然(しか)る所以(ゆえん)を知らず。なお人天地の中に在りて、天地の大いなる所以を知らざるが如きなり。ただその見る所のものは、功業文章の巍然(ぎぜん)煥然(かんぜん)たるのみ。」

二〇四 舜に臣五人有りて天下治まる。武王いわく、われに乱十人有りと。孔子のたまわく、才難(かた)しと、それ然らずや。唐虞(とうぐ)の際ここにおいて盛んなりと為す。婦人有り、九人のみ。天下を三分してその二を有(たも)ち、以て殷(いん)に服事す。周の徳はそれ至徳と謂(い)うべきのみ。

 「乱臣」の「乱」は「治」だという。変なことだが、昔はこういう逆な用法もあったらしい。「唐虞」は堯舜のこと。堯は陶唐(とうとう)氏、舜は有虞(ゆうぐ)氏。

 舜には賢臣が五人あって天下が治まった。武王は、自分には乱を治める重臣が十人ある、と言った。それについて孔子様がおっしゃるよう、「人才は得難し、という古語があるが、なるほどそうではないか。堯舜以来周が人材あることにおいて一番盛んだったが、十人のうち一人は女で男は九人だった。しかしともかくもそれだけの人材があったので、天下の三分の二までがその勢力下にはいったが、それでもなお殷に臣として事(つか)えていた。文王時代の周はまことに徳の至極なものといってさしつかえない。」

 「天下を三分して」以下は別章だという説もあるが、前記のごとく解すれば意味が通る。孔子様がしきりに文王をはめる裏には、臣として君を討った武王にあきたらざる気持が含まれている。

二〇五 子のたまわく、禹(う)はわれ間然(かんぜん)する所なし。飲食を菲(うす)くして孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美を黻冕(ふつべん))に致し、宮室(きゅうしつ)を卑しくして力を溝洫(こうきょく)に尽す。禹はわれ間然する所なし。

 「黻」は前掛(まえかけ)、「冤」は冠、共に祭祀用。

 孔子様がおっしゃるよう、「禹王にはわしも非の打ちようがない。自身の食事は軽少にして祖先の祭の供物を豊富にし、「ふだんぎ」は粗末にして祭服をりっぱにし、御殿を質素にして灌漑(かんがい)水路に全力をそそいだ。禹王にはわしも非の打ちようがないわい。」


『新訳論語』 講談社学術文庫

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論語 №64 [心の小径]

一九九 子のたまわく、師摯(しし)の始め、関雎(かんしょ)の乱(おわり)、洋洋(ようよう)乎(こ)とし耳に盈(み)つるかな。

                          法学者  穂積重遠

 「師摯」は魯の楽師の摯という人。「始」は楽の名目(みょうもく)で「四始」といい、「関雎」がその第一段だとする説もあるが、簡単な説に従って文字通り「始め」のこととした。
「乱」は終曲、曲調が変るから「乱」というのだという。能の「猩猩(しょうじょう)の乱れ」などというのも、あるいはここからきたのだろう。

 孔子様がおっしゃるよう、「楽師摯(し)の演奏する関雎(かんしょ)の曲は始曲からけっこうだが、殊に終曲が美しく盛んで、曲終って後も密教がゆたかに耳にみちていることかな。」

 これも孔子様が音楽鑑賞家であることを示す一節である。

二〇〇 子のたまわく、狂にして直ならず、洞(どう)にして愿(げん)ならず。控控(こうこう)として信ならずんば、われこれを知らざるなり。

 「狂」は気位のみ高くして思慮行動粗雑なこと、その代りそういう人は正直なもの。「洞」は無知、その代り律義なのが普通。「控控」すなわち無能な人は概して信実。

 孔子様がおっしゃるよう、「気位が高いくせに不正直であったり、ばかなくせにずる かったり、無能な上に不まじめだったりしては、わしも手がつけられぬわい。」

 漱石のいわゆる「行徳のまないた」で、ばかですれていては、全くとりえがない。

二〇一 子のたまわく、学は及ばざるが如くするも、なおこれを失わんことを恐る。

 孔子様がおっしゃるよう、「学問は逃げる人を追いかけても追いつき兼ねるような気持であっても、なお取り逃しそうな心配がある。」

 「学問は坂に車を押すごとし、油断をすればあとに戻るぞ。」
 追いかけるといえば、江戸笑話に「追いかける名人あり。ある時盗人を追いかけてゆく。
むこうから友達来り、なんだなんだ。どろばうを追いかけてる。その泥棒はどれだ。アレあとから来る。」というのがある。追いつかなくてはならぬが、目標を飛び越して先走りしてしまっても困る。

二〇二 子のたまわく、巍巍(ぎぎ)乎(こ)たり、舜禹(しゅんう)の天下を有(たも)つや。而して与(あずか)らず。

 孔子様がおっしゃるよう、「高大なことかな、舜や禹が天下をりっばに治められたことは。そしてご自身は関係のないようなお顔をしてござる。」

 いわゆる無為(むい)にして治まる徳治の理想をあらわしたものである。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №54 [心の小径]

   第九章 基督教国にて ― 神学の一瞥 1

                                 内村鑑三

 長く続いた恐しい争闘の後であった、余が終(つい)に屈して神学生となったのは。余が武士の家に生れたことは前に諸君に話したが、武士はすべての実際家とともにあらゆる種類の衒学(げんがく)と感傷主義とを軽蔑するのである。そしていかなる部類の人間が通例、坊主(ぼうず)よりさらに非実用的であるか。彼らがこの忙しい社会に提供する商品は、彼らが感傷と称するもの ― 世の中で最悪の怠け者にでも製造し得るあやふやな無用物(no-thing)― であるが、彼らはその代りに食物、衣服、その他現実的実質的価値ある物を得る。それゆえ我々は坊主はお慈悲によって生きていると言う、そして剣はお慈悲よりもより名誉ある生存の手段である、と我々は信じたのである。
 坊主となることがすでに悪い、しかも基背教の坊主となることは余の運命の終りであると考えたのである。余の国のような異教国にては、基督教聖職者は直接にか間接にか外国人によって支持されていて、何かしらの外国人監督の支配下に置かれている。真のドイツ人にしてイタリー人やフランス人の坊主に文配されることに甘んずるものが一人もないように、真の我が国人にしていかなる種類の外国勢力にも拘束されることに甘んずるものは一人もない。「自由放任」(Laissez faire)や「或物に或物を」(Quid pro quo)のような経済原則の助けを求めて、この国家的名門に対する良心的な顧慮(こりょ)から自分自身を解放することは卑劣である、そして我々の国家的独立に対する危険でさえある、と我々は考える。思想はコスモポリタン(全世界的)である、我々はあらゆる国々のあらゆる人々によって教えられることを喜ぶ、しかり感謝するのである。しかしパンはそうではない。実際には、心の束縛は束縛のうちで最も危険な種類のものではない、しかし胃のそれはそうであるのである。フランスはフレデリック大王の心を束縛した、しかしドイツをフランスの統治から救ったのは彼であった。プロシアはヴォルテアの胃を束縛した、そして見よ、彼の悲惨と堕落とを。物の分野におけるコスモポリタン(全世界)主義はつねに有害な主義である。
 かくして余の場合には基督教の坊主たることは二重の性質の束縛を意味した、そして余自身のための名誉と余の国のための名誉とは、余に基督教聖職者の仕事に入るといういかなる考えをもいだかしめずに来たのである。じつに余が初めて基督教の信仰を受けるように勧められた時にいだいた最初のまた最大の恐れは、彼らが余を坊主に仕立てるかもしれないということであった。
 そして後に宗教的事業における余の熱心が余の基督信徒の友人たちの注意をひき、この人生における余の使命はおそらく伝道であろうと彼らに思わせた時、余は誓いをし拳を固めて彼らの暗示を拒否した。職業的牧師を余は心の底から嫌悪した、そして友人の誰であっても余にそれになることを勧めるもののあった時には、余は全く気ちがいであった。
 しかし坊主たることに対するこの終生の偏見は、程度の高い高潔な牧師たちとの接触によって大いに緩和せられた。余のニュー・イングランドのカレッヂの総長先生は牧師にして神学者であった。余が洗礼を受けたメソヂスト聖職者は最も敬慕すべき性格の牧補であった、そして余は主階級に対し例の痛罵(つうば)をほしいままにした時、いつも彼を例外とした。余の聖書註解の先生F博士、我々のカレッヂ附き牧師B博士、その他、― 彼らはみな牧師であって詐欺師や法螺(ほら)吹きではなかったのである。牧師は時には社会の最も有用な一員である、社会は善き聖職者を有するために金を払うものである。彼らはここでこの地上で或る事を、そして幾多の場合には偉大な事を、為しつつあるということを、余は知るようになった。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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論語 №63 [心の小径]

一九七 子のたまわく、篤(あつ)く信じて学を好み、死を守りて遠を善(よ)くす。危邦(きほう)には入らず、乱邦(らんぽう)には居らず。天下道有ればすなわち見(あら)われ、道無ければすなわち隠る。邦(くに)道有りて貧しく且つ賎(いや)しきは恥なり。邦道無くして富み且つ貴きは恥なり。

                           法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「道を信ずること固く、学を好んで道を求め、学び得たる 正しき道は命にかけても守り通さねばならぬ。これが人の身の立て方である。乱れんとするきざしある国には入らず、既に乱れたる国にはおらず、天下に道義が行われている場合には出でて働き、天下に道義が行われぬ場合には隠れて出でぬ。これが人の世に処し方である。したがって道ある国にありながら用いられずして貧賎(ひんせん)なのは恥ずべく、また道なき国に用いられて富貴なのも恥である。」

 初二句はわが国にも通用する金言だが、第三句以下は中国戦国時代の話だ。当時諸侯の国がならび立ち、魯の人だから魯の国に仕えねばならぬというわけではないのだから、危邦だの乱邦だの道があるのないのというよりごのみができるのであり、また乱世ならばいわゆる傍観者(ぼうかんしゃ)である方が賢明だとされる。しかしわが国にしてもまた今日の中華民国にしても、単一無二の現代的国家として、入るも去るもあり得ず、邦道あればもちろん、邦道なくばなおさら全力をつくして道ある国とせねばならぬのである。

一九八 子のたまわく、その位(くらい)に在らざればその政(まつりごと)を謀(はか)らず。

 ここの「政」は必ずしも「政治」とは限らず、「仕事」というほどの意味。

 孔子さまがおっしゃるよう、「各人その分を守るべきであり、その地位にいない者がその仕事に口出しせぬがよい」

 これは局外者が無責任な批判や干渉をするなというのであって、当時の中国にはいわゆる「処士横議(しょしおうぎ)」の弊が甚だしかったからの警告である。天下国家を憂いての正論は、その位置職業、ないし男女長幼を問わず許さるべきである。も一度『大功記』十段目を引けば、「女わらべの知る事ならず」とどなりつけるのは、光秀の封建思想である。また役所などがこの名言を逆用して独善になりセクショナリズムになっては困る。
 安井息軒(そっけん)いわく、「これ在位者の尉めに言うなり。その田を舎(お)きて人の田を芸(くさぎ)るは、古今の通弊(つうへい)なり。ここを以(もっ)てみだりに思慮を費(ついや)してその職荒(すさ)む。孔安国(こうあんこく)云う、『各(おのおの)その職に専一ならんことを欲す』と。各の字昧うべし。」第三五八章に重出。

『新訳論語』 講談社学術文庫
                                        

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