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論語 №79 [心の小径]

二五三 色みてここに挙(あが)り、翔(かけ)りて後(のち)に集る。のたまわく、山梁の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかなと。子路(しろ)これに共(むか)う。三たび嗅(な)いて作(た)つ。

                法学者  穂積重遠

 本章はいささか難解でいろいろの説があるが、孔子様が雉の進退時を得たりとほめたことを語って、孔子様自身の進退こそ「時なるかな、時なるかな」とほのめかし、もって郷党第十の聖人描写を結んだもの、とする説がおもしろい。

 孔子様が門人たちと山路を行かれたとき、行手の山橋のほとりにおりていた雌雉が、人のけはいに一度飛び立ったが、一回り輪をかくと、害心なしと見定めて、再び元の所へおり立った。孔子様がこれを見て、「山路の橋の雌雉よ、飛ぶも返るも時を得たるかな、時を得たるかな。」と感嘆された。すると子路が、おとなげもなくつかまえようとでも思ったか、雉に近寄ったので、雉は三度鳴いて飛び去った。

 最後の二句を、子路が雉に食物を投げ与えたところ、三度かいだだけでたべずに飛び去った、という意味に解する説もある。
 中村正直が本章に関連して『論語』の文章につき左のごとく言っているのは、すこぶるわが意を得たものだ。
「色みてここに挙り、翔りて後に集まる、とは何物たるを言わず、読みて下段に至りて・まさにこれ雌雉たるを知る、絶世の妙文、天衣無縫なり。けだし郷党一篇、門人力を極めて描写し、聖人の声音笑貌(しょうぼう)、躍然として現出し、行住座臥(ぎょうじゅうざが)、八面倶(とも)に到る。儀礼・檀弓(だんぐう)。考工記皆及ぶこと能(あた))わず。知るべし、周人の文精妙絶倫、而して論語の文はすなわち又類を出で萃(すい)
を抜くもののみ。」

二五四 子のたまわく、先進の礼楽におけるは野人なり。後進の礼楽におけるは君子なり。もしこれを用いば、則ちわれは先進に従わん。

「先進」「後進」は「先輩」「後輩」である。ここでは殷(いん)末周初の人と周末すなわち当時の人をいう。ここの「君子」は現在の「紳士」というくらいの意味。「先ず礼楽に進むは」「後に礼楽に進むは」とよんで全然別の解釈をする人もあるが、省略する。

 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人の礼楽に対する態度は、いなか者的質朴であった。
今の人の礼楽に対する態度は、紳士的華美である。いずれも完全ではないが、もしどちらか一つによれというなら、わしは昔流儀に従おう。」

 安井息軒いわく、「周公の礼を制する、文を尚(とうと)びて以て殿の質を変ぜり。すなわち周公の俗は必ず質文に勝てり。周道すでに衰え、孔子の時に至りては、文日に勝ちて質衰う。孔子これを周初の盛に反(かえ)さんと欲す。故に此の言を発せるなり。」

ニ五五 子のたまわく、われに陳蔡(ちんさい)に従いし者は、皆(みな)門に及ばざるなりと。徳行には顔淵(がんえん)・閔子騫(びんしけん)・冉伯牛(ぜんはくぎゅう)・仲弓(ちゅうきゅう)、言語には宰我(さいが)・子貢(しこう)、政事には冉有(ぜんゆう)・季路(きろ)、、文学には子游(しゆう)・子夏(しか)。

「陳蔡方面に同行して共に難儀した門人たちも、あるいは死亡し、あるいは出(い)でて仕(つか)え、あるいは帰国して、今は誰も門下におらぬ。さびしいことかな。」と孔子様が晩年に歎息された。その人々は、徳行がすぐれた者としては顔淵・閔子騫 冉伯牛、言語にまさった者としては宰我.子貢、政治で聞えた者としては冉有・季路、文学に長じた者としては子游・子夏であった。

 この十人は編者の附記と思われるが、これがいわゆる「孔門の十哲」である。もっとも曾参(そうしん)・有若(ゆうじゃく)などという優等生がはいっていないが、この二人は若い門人で、陳蔡に随行せず、また当時門下にいたのであろう。なお冉有も「陳蔡に従いし者」ではないが、古い門人だから加えたらしい。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №70 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象 帰国10

                  内村鑑三

 諸君の基督教が諸君自身のいろいろなイズムからふるい分けられ、諸君の常識が十分に鋭くされ(すでに鋭くなかったならば)、そして何よりもよいことは、悪魔が歳君自身の霊魂において戦い披かれて、諸君が異教徒に無限の善を為し得ないという理由は何もないとおもう。異教国はいままでそういう宣教師をもあ(神に感謝すべきかな)、そしてもっと多くのそういう人々を呼び求めつつあるのである。我々はすぐに彼らが他国人であるとは考えない。彼らが我々の言葉に通じていないそのことさえ彼らと我々との間には何の障害でもない。基督教は彼らのその眼にある我々はそれを彼らの我々との握手において感ずる。おお、いかに彼らが我々の間にて光輝を放つことよ! 彼らのその存在が暗黒を追いはらう。彼らは我々に対して説教する必要はない。我々が彼らのかわりに説教するであろう、ただ彼らをして我々を背後から支えしめよ。むしろ一人のそういうひとが幾ダース、幾膏の宣教師的冒険家と実験者より望ましい。『天使の長(おさ)も羨む事業 ― キリストを異邦人に伝える事業』である。天使の長彼自身のほかに誰がこの羨むべき事業に
従事し得るか。
 然り、基督教を我々は要するのである。我々はそれを我々の木と石の偶像を破壊するためだけ知に必要とするのではない。それらは異教国その他にて詩せられる他の偶像とくらペて無害のものである。我々は我々の悪をより悪として現し、我々の善をより善として現すために、それを必要とするのである。それのみが我々に罪を悟らせることがでる、そして我々にそれを悟らせて、我々を助けてそれ以上にのぼらせ、それを征服させることができる。異教を余はつねに人間存在の微温的状態と考える。 ―  それは非常に温かくもなく非常につめたくもない。昏睡的生命は弱い生命である。それは苦痛を感ずることがより少ない、それゆえ喜ぶことがより少ない。ディ・プロファンディス(深き罪より)は異教のものではない。我々が基督教を必要とするのは、我々を強化するため、我々の神には忠誠を、悪魔に対しては敵対を、誓うがためである。蝶の生命ではなくて、鷲(わし)の生命である。ピンクの薔薇の小柄な完全ではなくて、オークのたくましい強さである。異教は我々の幼年期には役立つであろう、しかし基督教のみが成年期に役立つ。世界は生長しつつある、我々は世界とともに成長しつつある。基督教は我々のすべてにとってなくてならぬものとなりつつあるのである。

 五十日間、余は、帰国の空、海上にあった。余は南十字星の下を航海した、真の十字架が立ち、偽りの十字架が倒れるのを見た。しかし諸君は余が愛する者たちとまもなく会って幸福であったと思うか。然り、敵との遭遇の後に征服を夢見る兵士が幸福であるという意味で幸福で」あった。余は彼によって見出された、彼は余をしばりたもうた、そして余の欲しないところへ余を連れて行くであろうと余に告げたもうた。銭湯を彼は余自身の小さな領域にて余に割り当てたもうた、そして余は否と答うべきでなかった。ああ、余は悪戦苦闘して彼を求めた。余は彼を発見した、そして彼は余に直ちに彼の戦場に行けと命じたもうた! これは武士の家に生れた者の運命である。余をして呟(つぶや)くことなからしめよ、ただ感謝の心をわだかしめよ。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』

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論語 №78 [心の小径]

二四八 君食を賜(たま)えば、必ず席を正して先ずこれを嘗(な)む。君腥(せい)を賜わえば、必ず熟してこれを薦(すす)む。君生を賜えば、必ずこれを畜(やしな)う。君に侍食(じしょく)するに 君祭れば先ず飯(はん)す。疾(や)むとき君これを視(み)れば、東首(とうしゅ)して朝服(ちょうふく)を加え紳(しん)を引く。君命じて召せば、駕(が)を待たずして行く。

                法学者  穂積重遠

 君がお料理をくださると、必ず席を正しくしてさっそくちょうだいする。君が生肉をくださると、必ず育てまず祖先の霊に供える。君が生きた動物をくださると、必ずそれを飼っておく。君のご相伴をするとき、君が食前の祭をされる間に、先ずお毒味をする。病気のとき君が見舞に来られると、東枕にねて君が南面なさるようにし、礼服を寝具の上にかけ、束帯をその上に引く。家に在るとき君のお召があると、馬車の用意ができるのを待たずに出かける。

 「紳」は官服の大帯で、わが国ならば束帯というところだ。「紳士」という言葉はこれからきている。

二五〇 朋友死して帰する所無ければ、のたまわく、われにおいて殯(ひん)せんと。朋友の饋(おくりもの)は、車馬と雉も、祭肉にあらざれば拝せず。

 「殯」は「かりもがり」入棺してまだ本葬をしない間をいう。天子は七カ月、諸侯は五カ月、大夫は三カ月、士は二カ月、という古礼になっている。そして中国では今でもそうのようだが、放都外で死んだ者の遺骸は、「かりもがり」しておいて便宜の時、祖先の墓地へ帰葬するのが、古来の慣行であった。

 友人が死んでこの土地に遺骸を引取るべき親類のない場合には、わしの所で「かりもがり」を引受けよう、と申し出た。朋友から贈物があった時には、友達の間柄のことだから、車馬のような高価な贈物でも、祭の供物の肉の場合の外は、拝礼をしない。

 出獄人保護事業で有名だった放原胤昭翁は、元は相当の幕臣で、印旛沼のほとりに広い墓地をもっているが、その墓地には同家一族以外の者の墓が五十何基かある。それは世話になった人々のうち死んでも引取り手のない者及び前科者なるが故に故郷では遺骨をも容れられぬ者を葬った墓である。中には先生の墓地に葬ってくれ、と遺言して死んだ者もあるという。実際そこまでの親切はなかなかできないことだ。

二五一 寝(い)ぬるに尸(しかばね)せず、居(お)るに容(かたちずく)らず。斉衰者(しさいしゃ)を見れば、狎(な)れたりと雖も必ず変ず。冕者(べんしゃ)と、(こしゃ)とを観れば、褻(な)れたりと雖も必ず貌(かたち)を以てす。凶服者(きょうふくしゃ)にはこれに式(しょく)す。負販者(ふはんしゃ)にも式す。盛饌(せいせん)あれば必ず色を変じて作(た)つ。迅雷(じんらい)風烈(ふうれつ)には必ず変ず。

 「版」は戸籍者。民政の根本たる大事の書類故、それをかついで行くのは役所の下役小使でも、戸籍そのものに対して敬意を表されたのである。

 ねるときには、死骸を投げ出したようなねぞうのわるいかっこうをしない。起きているときには強いて容態ぶらない。喪服をきた人を見ると、親密な間柄でも顔色を変ずる。衣冠をつけた人やまた盲人を見ると、別懇の間柄でも形を改める。車に乗って通るとき、喪服の人にあうと、車の前の横木に手をかけてあたまを下げた。戸籍簿の運搬者にも礼をした。りっぱなご馳走が出ると、これはこれはと驚いた顔つきをし、立って主人の厚意を感謝した。急に雷鳴がしたり烈風が起ると、天変地異に恐催する意味で、いつも顔色を変えて立ち上がった。
                                        
「いぬるにしかばねせず」は、若人たち相当耳がいたかろう。斉衰者、冕者、瞽舎については、前にも同様の記事がある。
 雷鳴や暴風を恐怖するのではない天変地異をばかにせず、天の渓谷ととって畏(かしこ)み慎むのでであって、『礼記』(玉藻篇)にも「もし疾風迅雷甚雨あれば、すなわち必ず変ず。夜と雖も必ず興(た)ち、衣服冠して坐す。」とある。ともかく本章の末句は有名だ。『十八史略』に左の記事がある。「車騎将軍蕫承(とうしょう)、密詔を受くと称し、劉備とともに曹操を誅せんとす、曹操一日従容(しょうよう)として備に謂っていわく、今天下の英雄は、ただ死者と操のみと。備まさに食す。匕チョ(ひちょ)を失す。雷震に値(あ)って詭(いつわ)っていわく、聖人いう、迅雷疾風には必ず変ずと・まことに以(ゆえ)あり。」

『新訳論語』 岩波文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №69 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象 — 帰郷 10

                   内村鑑三

 つぎに、諸君が我々のところに来る時には、健全な常識をもって来れ。一国民は一日のうちに回心させられ得ると諸君に語る外国伝道(ミッション)軽業師(かるわざし)の言葉を信ずるなかれ。この地上で発見さるべきいかなる精神的「黄金国」(El Dorado)もない。いかなるところであれ霊魂は数ダースずつ、数百ずつ回心させられ得るものではない。ここもかしこも同じ当り前の世界である。人々は疑い、偽り、つまずくのである、ここでも他のどこででも。余は宣教師のうちには、我々が彼らの同国人であるかのように、我々に説教する者のあるのを知っている。彼らは、アメリカ人とイギリス人にあのようにうまく行っているムーディ・サンキー方式は、日本人とシナ人にもひとしく成功すべきであると考えているように見える。しかし日本人とシナ人はアメリカ人ではない、諸君のよくご承知の通りである。彼らはその幼時を『主はわが僕者(かいぬし)』、『今われ眠る』その他の天使のメロディーではぐくまれたのではない。彼らは銅鑼(どら)にエスティ・パイプオルガンだけの喜びを感ずる。彼らは『異教徒』である、そして諸君はそのように彼らを教えなければならない。しかるに或る人々は彼らにイエス・キリストを説教し、新約聖書を一部ずつ彼らに与え、洗礼を受けるように説得し、教会員名簿にその名を登録し、かくて彼らを母教会に報告させ、そして彼らは安全であり、ともかくも天国には行くであろうと考える。おそらく彼らはそうかもしれない、おそらくそうでないかもしれない。遺伝的影響、心理的特質、社会的環境は、(彼らのうちにある罪を犯そうとする同じ古いアダム的傾向については何も言わないとしても、)彼らに宣べ伝えられる新しい聞きなれない教義には、それほどたやすく適合し得るものではない。我々は不敬虔(ふけいけん)な科学は軽蔑しても、しかも科学なき福音宣伝には多くの価値を置かない。余は信仰は全く常識と両立し得るものであると倍ずる、そして熱心な成功した宣教師はすべてこの感覚を豊富にもっていたのである。
 藷君自身の霊魂のなかで悪魔と戦いぬいてのちに、我々のところにもまた来れ。ご承知のようにジョン・バンヤンは悪魔にはほんの僅かな経験しかない牧師先生のことを語っている。彼がバンヤンの霊魂を癒すことができなかったように、彼のような牧師は我々異教徒を癒すことはできない。回心のことは『遠方からの報告』として開いただけの『生れながらの基督信徒』は、暗黒から光明への我々の死闘に我々を大いに助けることはできない。余はアメリカに三人のクエーカーの教授を知っているが、彼は余がキリスト目指す余の闘いにおいて克服しなければならなかった疑問と困難について彼に話した時、どうしてそういうことがあり待たか自分にはよくわからない、基督教は一つの単音節L・O・V・Eのなかに含まれているほど簡単なものであると思うから、といった。ただ一音節、しかし宇宙それ自体がそれを入れることはできないのである! 羨(うらや)むべき人なるかな、彼は。彼の祖先が彼のためにその闘いを闘ってしまったのである。彼は闘いを意識しない。この世に来たのである、レデイ・メード(出来合い)の基督信徒である。百万長者の息子が自力自立の艱難辛苦を理解することができないように、この教授や基督教国おける彼のような多くの人々は、我々異教徒があの一一音節のなかに平安に落ちつくようになる前に何を我々の霊魂において闘わなければならないかを理解することができない。彼のような人は自国に教授として留まり、宣教師として我々のところに来ないようにすすめる、彼らの単純さと一本気とが我々を当惑させるように、我々の複雑さと剛回りくどさが彼らを当惑させるかもしれないからである。本当に我々のうちで基督教に対して何か真摯な経験をもったことのあるものは、それが全く安易な、ホーム・スウィート・ホームの、すべての人に平安あれの、事柄ではないことを知ったのである。我々はそれがいくぶんか詩人ブライアントの「自由」のようなものであることを知ったのである、
  『有髯(ゆうぜん)の男子、
  寸分すきなく武装せるが、なんじなり、鎖籠手(くさりごて)せる一手は
  広き盾を、一手は剣を把る、汝の額(ひたい)は
  美しさに輝くとはいえ、傷あとあるは
  古き戦いの印なり、汝の巨大なる四肢は
  闘いのゆえにたくまし』
である。我々は『天路歴程』の責価は解することができる、しかしあの幸福な幸福な蜜月式宗教については、我々はそれが何であるかを知らない、ただ知っているのはそれが十字架につけられたまいし者の基督教ではないことである。異教はまず諸君自身の霊魂において征服せられて、然る後に諸君はそれを我々においてりつばに征服することができる。


『余は如何にして基督信徒ありし乎』 岩波文庫


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論語 №77 [心の小径]

二四五 郷人(きょうじん)の飲酒に、杖者(じょうしゃ)出ずればここに出ず。郷人の儺(だ)には、朝服してソ階(そかい)に立つ。

               法学者  穂積重遠
                            
 「杖者」は老人。『礼記』(王制篇)に「五十は家に杖つき、六十は郷に杖つく。」とある。
 「儺」は「鬼やらい」。わがの国節分豆まきに当るが、三月・八月・十二月と年三回行った。豆をまいたかどうかは知らぬが、正月の獅子舞のように、村人が家々をまわって厄払いをしたらしい。「ソ階」は堂の東の階段、主人の出入する玄関。

 村人の酒盛にも、長老が退席するのを待って続いて出た。村人が鬼やらいをしに来ると、大夫の官服をつけ玄関に立ってそれを受ける。
 たわむれ事みたようになっている年中行事にも、大まじめであられたのだ。

二四六 人を他邦(たほう)に問わしむれば、再拝してこれを送る。康子薬を饋(おく)る。拝してこれを受く。いわく、丘(きゅう)未(いま)だ達せず、敢えて嘗(な)めず。

 使いを他国へやって人を見舞わせる場合には、再拝して送り出された。魯の大夫の李康子(きこうし)が病気見舞に薬を贈ったとき、病中であるのに拝礼してこれを受け、さて使者に向かって、「ご好意かたじけなくお礼申し上げますが、お薬が病症に適するかどうかまだ心得ませんので、早速には服用致しませぬ。」と言われた。
 前後両段続かぬようだが、使者を出したりせ受けたりするときのまじめな態度という意味で一章にしたらしい。前段については、伊藤仁斎が左のごときおもしろい話を書いている。「宗の楊簡(ようかん)嘗て書を作りて人に与え、楊某再拝と書してこれを附す。僕(ぼく)既に発す。忽ち自ら思えらく、親(みずか)ら拝せず而して拝と書するはこれ儀(ぎ)なりと。急に僕を呼び返し、書を案上(あんじょう)に置き、拝を設けてしかる後に遣(おく)る。暗に孔子拝して使者を送るの意に合す。学者かくの如きの忠信あり、しかる後に哲学を言うべし。」後段については古註に左のごとくある。「大夫賜(たま)うあり、拝してこれを受くるは礼なり。末だ達せずして敢て嘗めざるは、病を謹むなり。必ずこれを告ぐるは直なり。」

二四七 厩(うまや)焚(や)けたり。子(し)朝(ちょう)より退いてのたまわく、人を傷(そこな)えりやと。馬を問わず。

 孔子様がお役所へ出勤の留守、馬屋が失火で焼けた。帰宅してそれを聞かれたが、「人にけがはなかったか。」といわれたきりで、馬のことを問われなかった。

 これは「厩火事」という落語があるほど、有名な一段だ。馬をも問わぬのは不仁だというので、「人を傷えりや否や。馬を問う。」とよみ、まず人を、次に馬を、と解する人があるが、それは考え過ごしだ。むしろ責任問題の起ることを避ける意味で馬を不問に附されたのだ、と解したい。
 昭和二十四年十二月二十八日の夜、何心なくラジオのスイッチを入れたら、小金井の東宮仮御所がつい先刻、殿下が葉山へお成りのお留守中に全焼し、書籍その他お身のまわりの品品何一つ取り出せなかったと、報じているではないか。わたしにとっても思い出の御殿なので、実に驚いた。その時とっさに胸に浮んだのは、『論語』のこの一節で、このことが葉山に急報されたとき殿下が何とおっしゃるだろうかということであった。ところが後に承ると、その時、殿下は「人にけがはなかったか。」とおっしゃったきりであられたよし。さすがはと感激したことであった。


『新薬論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №68 [心の小径]

第十章 基督教国つわりなき印象 ― 帰郷 9

                内村鑑三 

 しかし諸君は自分自身の国土の中に十分な異教徒をもっているのに、何故に異教徒に宣教師を遣(おく)るのであるか。
 ご承知の通りこの世は一単位であり、人類は一大家族である。これは余が余の基督教の聖書において読むところである、愛国心は、基督教的なものも、そうでないものも、このことを否定するように見えるけれども。諸君は他人を完全にすることなしに諸君自身を完全にすることはできない。囲繞(いじょう)する異教の真中にある完全な基督教国という観念は、不可能である。他の国民を基督教化することにおいて、諸君は諸君自身を基督教化するのである。これは実際の経験によって豊富に証明せられる哲学である。
 諸君がその外国伝道を中止し、その全勢力を国内伝道に集中すると仮定せよ。何を諸君は得るであろうか。めざましい回心が増加し、ウィスキーの害悪から免れた家庭が増加し、恥かしくない身なりの子供が増加する、これは疑いがない。しかしそれとともに何が起るか。異端征伐が増加し、教派的の陰口(かげぐち)が増加し、それとともにおそらく日曜学校の遠足と教会における『日本の花嫁』が増加するであろう。すでに千八百年以上にわたって基督教を所有してきた諸君は、一つの方向において為された善は他の諸方向において為さるべき善を減少せしめるというあの愚かなそして異教的な考えを、この時までには乗越えてしまっているとおもう。― 外側の生長は常に内側の生長を意味する。諸君が何か体内の倦怠(けんたい)になやんでいる。諸君は医師のもとに行く、そしす医師は諸君に妙薬につぐ妙薬を投ずる。しかし何一つ諸君を癒(いや)さない、諸君は医師に信用を失い始める。ついに諸君は自分の悩みの真の知識に到達する。諸君は自分の注意を内側から転ずる、すなわち諸君は自分自身を忘れる、そして諸君は何か外側の仕事におもむく、キャベツの栽培、それでもよろしい。かくて諸君は自由に呼吸し始める、諸君の二頭筋は少しく大きくなり引き締ってくる。徐々に諸君は自分の悩みが去ったのを感ずる、そして諸君は今や以前にまさる強健な人であることを感ずる。諸君は反射作用によって自分自身を癒したのである。諸君はキャベツに自分自身を引き渡した、そしてキャベツは諸君を癒したのである。
 教会についても同様である。異端征伐で剪定(せんてい)し新神学で治療すること決して彼らを癒さないかもしれない。いな、彼らはより悪くさえなるかもしれない。そこで或る賢い人々が彼らに外聞伝道を処方する。彼らはそれに参加する、そしてすぐにそれに関心を抱く。彼らは全世界を自分の同情の中に取り入れた、そしてそうすることによって自分自身の拡大するのを感ずる。かくして生じた新しい同情は、異端裁判と新神学治療とによって睡ってしまった晋の同情を呼び起こす。彼らが自分自身を自分自身に対して費(ついや)すことによって自分のうちに生還らせることに失敗したものが、自分自身を自分自身以外のものに対して費すことによって、今や自分に帰って来つつあるのを彼らは見る。諸君は異教徒を回心せしめた、そして異教徒は今や諸君を再回心せしめる。そういうものがヒューマニティーである、それほど密接に諸君は全人類と結ばれているのである。異教徒を憐れめと? 諸君は悲惨な境遇にある自分自身の兄弟を憐れむか。諸君は彼を恥じ、彼の悲惨な状態のために自分自身を責めないか。これが基督教外国伝道の真の哲学であると余は信ずる、そしてこれ以外の土台の上に開始された外国伝道は、ショーであり、芝居であり、その反対者によって非難せられ、またそれが派遣されたその異教徒によって無視せらるべきものである。
 しかし諸君は問う、君たち異教徒は基督教をもちたいのかと。
 然り、我々分別ある異教徒はそうおもう、そして我々のうちの無分別なものは、宣教師に石を投じたり、その他いたずらな事を彼らにするけれども、彼らがその分別を取り戻すやいなや、自分たちが間違ったことをしたことがわかるであろう。もちろん我々は基督教の名のもとにやってくる多くのものを好まない。聖麺●(ホスト)、自法衣(サープリス)、強制的の祈祷書、神学は、もしそれらが基督教そのものを我々の現在の心的発展の状態において我々に伝達するに絶対に必要かくべからざるものでないならば、我々はそれらのものは無しに済まされることを願うものである。我々はまたいかなるアメリカ教(Americanianity)とアングリカン教(Anglicaniarity)をも基督教として我々に押しつけられるのを好まない。我々のうち一人としてキリスト彼自身に石を投じたことはなかったとおもう。もし我々がしたとすれば、我々は全能者の御座そのものに石を投じたのである、そして我々は頁理そのものに裁かれるであろう。しかしキリストの名において自分自身の意見を我々に教え ― 神学と彼らはそれを称する ―、そしてまた彼ら自身の風俗習慣、『自由結婚』『婦人の権利』のようなもの、その他いずれも我々には多かれ少かれ好ましくないものを我々に教える宣教師たちに石を投ずるからとて、我々を叱責することなかれ。我々はこれを自己保存のためにするのである。カトリック教には堪えてもロマ・カトリック教には堪えられず、ピウスとかレオとかが諸君の学校問題やその他の公共問題に干渉することに対し、高壇の説教や新開の社説を真向に画とむかって彼らにたたきつける諸君よ、アメリカ教、アングリカン教、その他の外国の何教に反対する我々の抗議について、我々に同情を寄せよ。


『余はいかにして基督信徒となりし乎』 岩波文庫


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論語 №76 [心の小径]

二四三 食は精(しろ)きを厭わず、膾(なます)は細さを厭わず。食の饐(い)してアイ(「食」プラス「曷」)せる、魚の餒(たい)して肉の敗れたるを食わず。色悪しきは食わず。臭悪しきは食わず。シン(「食」プラス「壬」)を失いたるは食わず。時ならざるは食わず。割正しけらば食わず。その醤(しょう)を得ざれば食わず。肉多しと雖も毒食気に勝たしめず。ただ酒は量(はかり)なし、乱に及ばず。沽酒(こしゅ)市脯(しほ)は食わず。薑(はじかみ)を撤せずして食う。多く食わず。公(こう)に祭れば肉を宿せず。祭肉(さいにく)は三日を出(いだ)さず。三日を出ずればこれを食わず。食うに語らず、寝(い)ぬるに言わず。疎食菜羮(そしさいこう)瓜と錐も祭る。必ず斉如たり。

                     法学者  穂積重遠

 これは孔子様の食生活である。今時こんなことは言っていられないが、孔子様のキチョウメンな性質があらわれている。文字の講釈もいろいろあり、また異説もあるが、前者は略し後者は二三を後にしるそう。「言」は自ら言う。「語」は人の言に答える。

 飯は精白な方がよいとはされるが、ぜひそうなくてはならぬというのではない。さしみは細切りの方がよいとはされるが、ぜひそうなくてはならぬというのではない。
 飯のすえて味の変ったもの、また魚のただれたもの、獣肉の腐ったものはたペない。煮過ぎた色の悪いものはたべない。においの悪いものはたべない。煮過ぎたものや生煮えのものなど、料理の適度を失ったものはたべない。行儀よく切ったものでなければたべない。魚や肉は、何にはカラシ醤油、何にはショウガ醤油、何にはワサビ醤油というようなそれぞれ合い物のかけ汁がなければたべない。副食の肉料理がたくさんあっても、主食なる飯の食欲を圧倒するほどはたべない。ただ酒は、どのくらいという分量はきめないが、酔って取り乱すほどは飲まない。町で売る酒や市場で買った乾肉はたペない。料理のツマについているショウガは、毒消しになるから、下げさせずにたべる。大食しない。殿様のお祭のおてつだいをした時ちょうだいして帰る供物の生肉は、宵越しをさせずに家人にいただかせる。また家の祭の供物の肉は、三日たたぬうちに処分し、三日を過ぎたらたべない。食事中絶対に談話せぬというのではないが、食物をたべかけているとき人から話しかけられるとも返事せず、また寝床にはいってから人に話しかけない。玄米飯や野菜汁や瓜のようなものでも、まず一箸を膳の向いに供えて、天地と祖先と生産者とに謝意を表する。それも形式的のおまじないでなく、まごころこめて供養するのである。

 「厭わず」をただ「厭わず」ではあたりまえのこと故、「厭わずとは、これを以て善しと為すを言う。必ずかくの如きを欲するの謂にあらず。」という古証に従った。「時ならざるに」には三説がある。第一説は「食時にあらざるを謂(い)う」とする。すなわち間食をしないというのだ。第二説は「五穀成らず、果実末だ熟せざるの類なり」とする。すなわち未熟のものをたべぬというのだ。第三説は「生ずることその時にあらざるを謂う」とする。すなわちいわゆる「はしり」というような初物などを賞翫(しょうかん)せぬというのだ。第三説によった。前にも「酒の因(みだれ)を為さず」(二二〇)とあって、講師様はお酒は相当お好きだったらしい。一高名物の「デ力ンショ節」に「論語孟子も読んでは見たが、酒を飲むなと書いてない」というのがあるが、しかし酔っぱらってストームをしろ、とも書いてないようだ。
 町で売る酒や乾肉(ほしにく)を買わないというのは、昔は衣服飲食は必ず家庭でととのえたもので『礼記』に「衣服飲食は市に粥(ひさ)がず。」とあるような次第だからだが、今日そういうわけにはいかない。しかし露店・屋台店などの酒や肉は用心した万がよさそうだ。メチールか猫か知れたものでないから。「多く食わず」を、ショウガをたくさんたべない、と上に続けてよむ説もあるが、大食のいましめとする方がおもしろい。一箸のお初穂を膳の向いに供えるのは、わが国でもしたことだ。水戸義公(ぎこう)の「農人形」などはこの本文から出ているのかも知れない。

二四四 席正しからざれば坐せず。

 座席の敷物がまがったりしているとすわらない。キチンとなおしてすわる。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №67 [心の小径]

第十章 基督教国偽りなき印象―帰郷 8

                    内村鑑三

  もう一つ基督教国の特徴を述べてそれについて善事を語るのを止める。最近の生物学がにぎやかな食後の話旗にしている、基督教における一つの教義がある。― 余は復活のことを言っているのである。ルナンとその弟子たちをしてこの教義を何とでも好きなように解釈せしめよ、しかしこの独一無二の教義の実際的意義はいかなる思考傾向の『歴史学派』によっても看過され得ないのである。異教徒は一般にかくも速かに老衰に陥るが、しかし基督信徒は一般に全く老衰を知らず、死そのものにおいてさえ希望をもつのは、それは何故であるか。まだ二十歳台であるかのようになお未来のために計画しつつある八十歳台の人々は、我々異教徒にはほとんど奇蹟的驚異の的(まと)である。我々は四十歳以上の人々を老年の中にかぞえる、しかるに基督教国では五十歳以下の人は大なる責任の地位に適するものとは考えられない。我々は自分の子供が大人になればすぐ休息と隠退を考える、そして孝行の教訓に支持されて、我々は若い世代の人々に世話をされ大事にされる懶惰(らんだ)な安逸にあずかる資格を与えられる。宣教師ジャドソンは、その生涯にわたる艱難(かんなん)の後に叫ぶのである、余には休息すべき永遠があるのであるから、生きてさらに働きたいとおもうと。ヴィクトル・ユーゴーは八十四歳のときに言うことができる、『余はこの世を祖国として愛するが故にあらゆる時間を活用する、余の仕事は始まったばかりである。余の記念碑はほとんどその土台を出ていない。余は永久にそれが高まりまた高まり行くのを見て喜ぶであろう』と。老年の慰めを酒杯に求めたシナ詩人陶淵明、あるいは頭に白髪が現れるやいなや忙しいこの世から御免こうむる余の国人の多くと、以上の人々とを比較せよ。不敬虔(ふけいけん)な生理学はすべてこれを食事、気候、等々の差違に帰する、しかし我々もまた、米と季節風(モンスーン)とともにあっても、過去に我々の常態であったものとは異なるものであり得るというその事実は、何か生理学的より以外の説明を要求するのである。
 余は基督教国の進歩性をその基督教に帰する。信仰と希望と愛、死とその使者に挑んでこれを退(しりぞ)けるこの三つの生命の使者が、過去千九百年間それに働きかけて、それを今あるようなものとしたのである。
   『生命は、その最高の敵なる死の、
    空(むな)しき憎悪を嘲る、 - 然り、
    暴君の王座なる墳墓(ふんぼ)の上に坐し、
    その仇敵に対する大勝利をもって
    おのが食物となすなり。』--ブライアント
これらの人々の罪はいまなおきわめて大きくあっても、彼らはそれを征服する力をもっている。彼らは癒すことはできないと考えるいかなる悲しみもまだもっていない。基督教は、ただこの力だけのためにも、有つ価値はないか。        
 著教外国伝道の存在理由(レーゾン・デートル)は? 余はすでにそれは述べたと思う。それは基督教それ自身の存在理由である。デーヴィツド・リヴィングストーは言った、『外国伝道の精神は我らの主の精神、彼の宗教の真の特質である。拡散的慈善は基督教そのものである。それはその純粋性を立証する不断の伝播を必要とする』と。ひとたびそれが伝播を中止して、それは生きることを中止する。神は人類のかくも大きな部分を依然として異教の暗黒の中に捨てておかれるのは何故であるかを、諸君はかつて考えたことがあるか。余は、おもう、それは諸君の基督教が暗黒を減少させようとする諸君の努力によって生きて生長するためであると。一億三千四百万の異教徒がまだある! 神に感謝せよ、まだそれほど多数のものがある、我々はアレキサンダーのように征服せられる世界の不足を嘆く必要はないからである。神は諸君に故国に留まり、諸君の財布の紐(ひも)をひきしめて諸君の心を異教徒に対して閉ざしてわくよう告げたもうと仮定せよ。諸君は無用な負い目から免かれさせてくださるのを彼に感謝したいと思うか。もし基督教外国伝道は諸君の負い目であり、それに対して諸君には神の一層の祝福があって諸君に報い異教徒の感謝があって諸君の心を暖かくしておかなければならないのであれば、諸君はそれに参加することを止める方がよいと余は信ずる、神も異教徒も諸君からは何の善きものをも得ないからである。『もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。』それは使徒・パウロであった。余は信ずる、彼には最大のの試練は伝道者であることではなかったと。拡張的生命が彼のうちにあって、彼は普遍的愛へ拡張せずにいられたであろうか、そしてそれが基督教外国伝遇である。『伝道地の困難』、『異教徒の無礼』、その他卑怯なことを呟くよりは、我々は何ら語るべき基督教をもっていないと、ちゃんと正直に白状した方がよい、と信ずる。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫


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論語 №75 [心の小径]

二四〇 圭(けい)を執(と)れば鞠躬如たり、勝(た)えざるが如し。上ぐるは揖(ゆう)するが如く、下ぐるは授(さず)くるが如し、勃如として戦色あり、足シュクシュクとして循(したが)うことあるが如し。享礼(きょうれい)には容色あり、私覿(してき)には愉愉(ゆゆ)如たり。

                法学者  穂積重遠

 「圭」は天子が諸侯を封ずる時に授けるその位のしるしの玉の笏(しゃく)。諸侯が大夫(たいふ)を他国へ使いにやる場合には、いわば信任状というような意味で、模造の圭を持たせてやる。「循」は足の爪先を上げかかとで地をすって進むこと。諸侯の使いが相手国の君に謁するに、第一段の正式会見が「聘礼(へいれい)」、第二段の贈物披露が「享礼」、第三段の個人としての和郎が「私覿」である。

 君の使いとして相手国の君に謁するとき、まず聘礼では、圭を両手にささげ小腰をかがめて進まれるが、圭はさして重いものではないけれど、その重さにたえないという風に大事に持ち、動作につれて多少の上がり下がりはあるが、上がっても手をこまねいてあいさつする程度の高さであり、下がっても人に物を授ける程度の低さである。そして落してはたいへんだというように、顔色を変じてすこしふるえる気味があり、足は小股ですり足の形である。享礼となると顔色やわらぎ、さらに私覿となると、いちだんと打ちとけられる。

 孔子様が魯(ろ)の君の使いとして他国に行かれたことは記録に見えないから、この一段はこうもあろうかという想像だ、という説があるが、逆にこれを孔子様が外交使節をつとめられたことのある証拠と見たい。伊藤仁斎いわく「按(あん)ずるに、孔子隣国に聘せられし事は、農に経伝に載せずと錐も、然れども当時門人親しく見て直ちにこれを記したるは、すなわち郷党の一篇にして、もっとも信拠(しんきょ)すべきなり。」

二四二 斉(さい)すれば必ず明衣有り、布をもってす。斉すれば必ず食を変じ、居れば必ず坐を遷(かえ)す。
                                        
 「斉」は「斎」に同じ。「ものいみ」、いわゆる斎戒沐浴(さいかいもくよく)すること。

 ものいみをされる場合には、必ずあかるい色の浄衣を著(ちゃく)する。その衣は布でつくる。ものいみ中は食事もかえて、酒を飲まず、にんにくのような臭いものをたべず、平生(へいせい)の居間とは別の部屋におられる。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №66 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象―帰郷7

                内村鑑三

 つぎに彼らの国民的良心は ― これによって余は一国民としての人民の良心の総和を意味するのであるが ― 彼らの平均的良心よりいかに無限に高くまた純粋であることよ! 個人としては彼らが自由きままに耽溺(たんでき)していることを、一国民としての彼らは強く反対するのである。幾多の無神論者が米国のさきごろの南北戦争の戦場で基督信徒の死を遂げたという話を開いた、そして余はその話を疑わない。その戦いは主義のそれであって、名誉と卑しい利益とのそれではなかった。彼らは基督教的目的を目途(もくと)として進軍した、劣等民族の解放がこれである。歴史上かつて一国民がかような愛他的目的を目途として戦争に入ったことはなかった。基督教国民以外のなんぴともそのような戦争におももむくことはできない。しかもこの戦争におもむいたものがすべて基督信徒ではなかったのである。― またこれらの人々が自分たちの大統領として選ぶ人々の道徳的完全についていかに慎重であるかをも観察せよ。その人々はただに有能な人であるのみならず、また遺徒的な人でもなければならない。一人としてリシュリューやマザランのような人は彼らの大統領たることはできない。禍(わざわい)なるかな、あの憐れな候補者は、彼は他の点においては統治の最適任者である、しかし彼の人格を傷つける一二の汚点が彼を失敗者としたのである。道徳性は普通に異教国では政治家たる資格の数に入らないのである。― 何故彼らはモルモン教徒をそれほどきびしく追究するのであるか。『秘密教の類(たぐ)い』の蓄妾(ちくしょう)と多妻は実際にはこれらの人々の間に実行されているではないか。おかしな矛盾、と諸君は言われる。おかしい、しかし賞讃さるべき
矛盾である。国民としては彼らは多妻を許すことはできない。それを実行する人々をして秘密に行わしめよ。国民的良心は未だこの種の秘密を追求するほどには鋭くはない。しかし国家の法律の黙許と保護の下にある一つの制度としての多妻主義、それは基督信徒も無神論者も見て見ぬふりはしないであろう。モルモン教徒は服従しなければならない、さもなければユタ州には、すでにかくも多くの輝かしい名誉ある星をちりばめた旗に、もう一つの星を加えさせないであろう。
 あらゆる高潔にして価値ある感情を育てるその同じ国民的良心は、下劣にして価値のないあらゆるものを寄せつけない。白昼の日光はあらゆる種類の魔女どもにはこばまれているのである。そういうものたちは、人々の間に現れる時には、義の衣をまとわなければならぬ、さもなければ彼ら自分たちのような魔女たちに『私刑(りんち)』を加えられて、「忘却」というその使者たちにわたされるであろう。財神(マモン)は正義の法則によって歩むのである。正直は、政治においても、また他の金儲け仕事におけるように、最善の策略であると信ぜられている。良人は人中では妻に接吻する、その妻を家庭では打つのである。賭博場は撞球場という名で、堕落した天使たちさえ『レーディース』の称号で通っている。酒場は外側から見えないようにすべて仕切りされ、人はその悪習を明かに恥じて暗黒の中で酒を飲む。すべて最悪質の偽善を生ずるもの、と諸君は言われる。しかし徳とは悪行の免許のことをいうのであるか。余はをうは考えない。
 それゆえにこのように善を悪から、天空を愛する雲雀(ひばり)を穴居する蝙蝠(こうもり)から、左側の山羊を右側の羊から区別するということ、― これこそ余は基督信徒の状態であり、我々がみなその中に入ろうとしている状態、善の悪からの完全な分離の前味(まえあじ)であると考える。この大地は、美しくはあるが、もともと天使の国として意図されているのではない。それは我々をある他の場所へ導く準備の学校として意図されているのである。大地のこの教育的価値が、それをそのあるべきものとなそうとする我々の貧しい試みにわいて、見失われてはならない。功利主義と、感傷的基督教と、古代ギリシャ人のようにこの世を神々の家であると考える他の浅薄なものどもとは、コロムウェルや他の少しも甘くない預言者たちにつまずくであろう、彼らはすべてのものを幸福にすることはできないからである。『最大多数の最大幸福』が正義公正な政治の正反対を意味する場合はあまりに多くある。天が下にコンゴー、ザムベシ河岸のアフリカのジャングルにおいてほど多くの『普遍的満足』の見出されるところはないと思う。霊魂の最善の訓練が可能であり、したがってこの大地の創造の本来の目的が最も善く実現されているその状態こそが、最善の状態であるのである。これが成就されたときには、我々はみなこの地を去り、我々の或る者は永遠の祝福に、他の者は永遠の非祝福に、そして大地そのものはその仕事を完了してしまったものとしてその原始の要素に還(かえ)ってさしつかえない。


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論語 №74 [心の小径]

二三六 孔子郷党(きょうとう)においては恂恂(しゅんじゅん)如(じょ)たり。言うこと能(あた)わざる者に似たり。その宗廟(そうびょう)朝延に在るや、便便(べんべん)として言う。ただ謹(つつし)むのみ。

              法学者  穂積重遠

 孔子様が郷里家庭におられるときには、恭順(きょうじゅん)質朴(しつぼく)なご様子で、ロクロク口もきき得ないように見える。大廟(たいびょう)や朝廷ではスラスラと物を言われる。ただ言語態度をつつしまれることはもちろんだ。

 郷里や家庭では、長老や目上もいること故、先に立って利口ぶった口をきかないのである。大願や朝廷は儀式や政治の大事な公務の場所だから、言うべきだけのことはハッキリと言う。ただ言葉づかいのていねいなことはもちろんだ。

二三七 朝(ちょう)に下大夫(かたいふ)と言えば侃侃(かんかん)如たり、上大夫と言えば誾誾(きんぎん)如たり、君(きみ)在(いま)せばシュクセキ如たり、与与如たり。

 朝廷で下級の大夫と語るときは、隔意なく打ち解けた様子であり、上席の大夫と語るときはかえってキチンとした中正な態度である。君が朝廷に出ておられる場合にはうやうやしくつつしんで席に安んぜぬようだが、さりとてしゃちこぼるのではなく、ユッタリと落ち着いておられる。

二三九 公門に入れば鞠躬(きっきゅう)如たり。容れられざるが如し。立つに門(しん)に中(ちゅう)せず、行くに閾(しきみ)を履(ふ)まず。位を過ぐれば、色勃如たり、足カクジョたり、その言(ことば)足らざる者に似たり。斉(もすそ)を摂(かか)げて堂に升(のぼ))れば、鞠躬如たり、気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。出でて一等を降(くだ)れば、顔色を逞(はな)ちて怡怡(いい)如たり。階を没(つく)して趨(わし)り進むや翼如たり。その位に復(かえ)ればシュクセキ如たり。

「屏」を「ひそめて」、「逞」を「のべて」とよむ人もある。

 御所の門をはいるときは、中腰をかがめて、いれてもらえないような様子である。ツカツカと大手を振って通ったりしない。門で立ちどまる場合にも、中央に立ちふさがらない。そこは君の通られる所だからである。また門の敷居は踏まずにまたいで通る。敷居を踏むのは無作法だし、あとから来る人の裾をよごすおそれがあるからである。門内に君の立たれる位置があるが、その前を通る時は、それが空席であっても、顔色を変じ足進まざる様子をする。門から堂までの間も、多言せずまた高ばなしせず、口不調法な人のようである。堂にのぼるときは、衣の前を踏んでつまずかぬよう、裾を引き上げ小腰をかがめて階段をのぼるが、息を殺して胡弓もせぬかのようである。御前をさがって階(きざはし)を一段おりると、顔色をやわらげてにこやかになり、階段をおりきると、両袖を翼のごとく張って小走りに席にかえり、うやうやしくひかえておられる。

「その位に復す」を、再び君の空席の前を通る意味に解する人もある。


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №64 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 6 

                 内村鑑三

 しかしもし基背教国の悪はそのように悪くあるにしても、その善はいかに善くあることよ! 異教国を縦横にくまなく尋ねよ、そして人類の歴史を飾る一人のジョン・ハワードを諸君は見出すことができるかどうかを見よ。余の父は、本書の第二章で余が諸君に語ったように、深い儒学者であり、シナの古人に対する賞賛の念ははなはだ強いのであるが、彼が再三余に語ったことは、彼がジョージ・ワシントンについて知るところからすれば、孔子があらゆる頌徳(しょうとく)の辞を惜しまなかった堯(ぎょう)と舜(しゅん)は、このアメリカの解放者とくらべて無価値であるということであった、そして余の父以上にワシントンについての知識をもっている余は彼の『歴史批評』を全部是認することができる。英雄的行為と心の柔和さ、才能と目的の公正無私、常識とその宗教的確信の熱誠との結合、オリヴ7-・コロムウエルのそれのようなそういう結合は、非基督教的経編のもとにおいては存在を想像することはできない。我々は我が国のお歴々が巨万の富を蓄えてそれを自分自身の『後生のため』に寺に寄進し貧乏人に供養するということを聞いた、しかしジョージ・ピーボディのような、あるいはスチーブン・ジラードのような、与えるために蓄えそして与えることを喜びとしたものは、異教徒の間で観察のできる現象ではない。そしてこのような選ばれた少数者のみならず、もちろん人目には隠れてはいても広く基督教国中に分布していて、特に善人と名づけられてさしつかえないもの — 善をそれ自体のために愛し、人間一般が悪を行う傾向があるように善を行う傾向がある人々-が、見出されるのである。いかにこれらの人々が、用心ぶかく公衆の目に触れないようにしながら、自分の努力と祈祷とによって少しなりとこの世を善くしようと努めつつあるか、いかにしばしば彼らはただ新聞紙で読んだだけでその人々の境遇のみじめさのために涙を流すか、いかに彼らは全人類の福祉をその心に留めるか、またいかによろこんで彼らは人間の不幸と無知とを改良する事業に参加しているか、—こういうことを余は自分自身の目をもって実見し目撃した、そしてそれらすべてのものの底にある純粋な精神を証言することができる。これらの無言の人々こそ、彼らの祖国の危機にはまっさきに自分の生命をその奉仕に捧げる人々であり、異教国における新しい伝道計画を開けば、それを行う宣教師に自分の汽車賃を差し出し、自分はとぼとぼ歩いて家に帰り、自分がそうしたことのゆえに神を讃美する人々であり、その大きな涙もろい心で神の憐れみのすべての秘密を理解し、それゆえに自分の周囲のすべての者に対して憐れみのある人々である。狂烈性と盲目的熱心はこれらの人々には全くない、ただ柔和さと善を行うに当っての冷静な計算がある。じつに余は誠心誠意をもって言うことができる、余は善人をただ基督教国にわいてのみ見たと。勇敢な人、正直な人、正しい人は異教国に皆無ではない、しかし余は疑う、はたして善人が—それによって余はいかなる他国語にもまったく同義語のないジェントルマンという一つの英語に要的されているあの人々を意味するのであるが—、余は疑う、はたしてそのような人々が、我々を形作るイエス・キリストの宗教なくして可能であるかどうかを。『基督信徒、全能なる神のジェントルマン』 — 彼はこの世における独一無比の人物である、筆舌(ひつぜつ)につくしがたいほど美しく、高貴にして、愛すべくある。
 そしてただにそのような善人が基督教国に存在しているばかりではない、基督故国においてさえ善人の比較的に稀れなことを考えれば、彼らの悪人に対する勢力は無限である。善事が異教国にわいてよりもそこではより可能でありより有力であるというこのことは、基脅教国のもう一つの特徴である。『友なく名なき』一ロイド・ガリソンがあって、一民族の自由が彼とともに始まった。一ジョン・B・ゴフがあって、巨大な不節制がよろめき始める。少数はこれらの人々には敗北を意味しない、彼らの憲法はそういう意味のことを含んでいるように思われるけれども。彼らはほんとうに自分たちの正しい立場を確信している、ほんとうに国家的良心を確信している、彼らはかならず国民を自分たちの味方になしうるものと感じている。富者を彼らは畏れ尊敬し感嘆する、しかし善人はそれ以上である。彼らはワシントンの勇よりも徳を、ジエイ・グールドよりフィリップス・ブルックスを、より多く誇る。(じつに彼らの大多数は前者を真に恥じるのである。)正義は彼らには一の勢力である、そして正義の一オンスは富の一ポンドに対応し、またしばしばそれを凌駕(りょうが)する。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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文化的資源としての仏教 №17 [心の小径]

「縁起と因縁3-ご縁」文化的資源としての仏教最終回

             立川市・光西寺  寿台順誠

 さて、私は「文化的資源としての仏教」と題するこのエッセイを書き始めてから、最初2回は総論的な問題を記し、次に「往生」(第3回~第7回)、それから「四苦八苦」(第8回~第14回)という言葉について考えた。が、そこまでは結構順調に話を進められたが、その次に「縁起と因縁」について考えるという予告をし、「縁起」も「因縁」も元来は因果に関する仏教の根本思想を表す言葉であるのに、「縁起が良い・悪い」や「因縁をつける」といった、仏教の因果論がどこかで捻じ曲げられて派生したのではないかと思われる言葉について、そのルーツを確認し、それが仏教本来の因果論としての縁起説とどのように関係しているのかを考えてみたい、としておいた(第15回)。が、そのようなルーツを突きとめるのは難しいことであろうし、そもそも不可能なことかもしれないので、一応「この問題に何らかの目処が立つまで、しばらくの間(場合によっては、数か月間になるかもしれないが)このエッセイを休ませていただきたい」とお断りしておいた。が、それから何も調べられないまま、「数か月」どころか「1年半」もの年月が経ってしまった。ただその際もう一つ私は、「この休止状態を永遠に先送りするつもりはないので、ある程度のところで見切りをつけて、仮に以上の語法のルーツを辿ることが不可能だと考えるに至ったならば、話を別の形で展開するなどのことを考えることにしたい」ということも付け足しておいた。今回、忘れた頃にこの文章を書いているのは、そろそろ「見切りをつけて…話を別の形で展開するなどのことを考える」べき時が来たと思うに至ったからである。
そしてそう思ったとき、私が改めて思い出したのが上記の結婚式の話である。つまり、「縁起」や「因縁」という本来は仏教の因果に関する思想を示す言葉が、「縁起が良い・悪い」などといった形で捻じ曲げられて行くのは――そうした派生語のルーツはよくわからないとしても――、結局、マイナスの価値を示すこと(上記の文脈で言えば「離るべき縁」)は何でも避けて通ろうとする我々人間のもつ性向によるのではないか、と思ったのである。日頃、僧侶をしていると、どれだけ近代化が進み科学技術が発達しても、人は「縁起が良い・悪い」という観念から免れることはないだろうと思わされることが多い。「友を引く」といけないので友引に葬儀をしない、死者が帰ってくるといけないので火葬場から葬儀会場に戻る時には同じルートを通らない、死は穢れているので清め塩を用いる等々(←別に友引に葬儀をしなくても、人は誰でも皆いずれは引っ張って行かれるのだから、心配無用だ! 懐かしい故人なら、ついて帰ってきてもらえばよいではないか! 死を穢れと見て塩をまくのは、死すべき運命をもつ将来の自分に向かって撒いているようなものではないか!)。今も、「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀つとめとす」(『正像末和讃』)と親鸞が悲歎せざるを得なかった時代と、本質的には変わっていないのではないか。まったく「恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』信巻)である。
以上、ともかくこの話を記すことで、「縁起と因縁」の一応の区切りとしたい。(「因縁をつける」という言葉については、この文では触れられなかったが、これは本来因果関係のない事柄を、別の目的のために無理やり関係づけようとするという意味をもつ言葉だと思うので、これについても仏教本来の因果論から考えていけば、「反仏教的」或いは「疑似仏教的」な言葉であることは明らかであろう。この語源についても、また機会があれば調べてみたい。)

なお、以上のように文章が書けなくなってしまったこの期間に、物書きでもない私にとっては、そもそもこのブログのためにモノを調べて書き続けるということには限界がある、ということも痛感させられた。従って、この「文化的資源としての仏教」というエッセイそのものを、これで打ち切りにさせていただきたいと思うようになった。当初計画していたよりも早い打ち切りとなるが、今までのところでも結論的に言えることはある。それは、我々日本人は、日常、無意識のうちに随分多くの仏教用語をそれと気づかずに、また仏教本来の意味とは異なる形で使っているが、その使い方を少し反省し見直してみることによって、少しずつ仏教徒に近づいて行けるのではないかということである。その意味において、ここまで取り上げた「往生」「四苦八苦」や「縁起・因縁」に限らず、日常使用している言葉を検討し直す作業は今後も折に触れて続けていきたいと思っている。

最後に、以上のように今後はこのブログのためにモノを調べて書くことはできませんが、私が住職をしている光西寺で日常的に行っている学習会の報告なら継続することができると考え直しました。そこで、次回以降は(不定期的になるとは思いますが)私が光西寺で行なっている「親鸞文学研究」について、随時このブログに報告させていただきたいと思います。詳しくは次回紹介させていただきますが、とりあえず光西寺のホームページ(https://www.kousaiji.tokyo/)をご覧ください。


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論語 №74 [心の小径]

二三二 子のたまわく、歳(とし)寒くして然(しか)る後(のち)松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る。

                法学者  穂積重遠

 「しぼむにおくるる」は「のちにしぼむ」のではなく、「外の木の葉がしぼむあとまで残ってしぼまぬ」 の意。

 孔子様がおっしゃるよう、「厳寒の候、ほかの木の葉がしぼみ落ちる時になってはじめて松やカヤのみどり色かえぬときわ木たることがわかる。」

 「国乱れて忠臣あらわれ、家貧にして孝子出ず。」で、人間の真価も大困難に遇ってはじめて発揮(はっき)されるものぞ、という趣旨であるこというまでもない。今日の日本こそ正に「歳寒くして」だが、われわれ願わくは「凋むに後るる」松柏の操を堅持したいものだ。

二三三 子のたまわく、知者は惑(まど)わず、仁者は憂(うれ)えず、勇者は懼(おそ)れず。

 孔子様がおっしゃるよう、「知者は道理に明らかだから迷わない。仁者は常に道理に従い私欲がないから心配しない。勇者は道理の命ずるところを信じて行うから怖(こわ)がらない。

 このごろのように惑いつ憂いつ慣れつの有様では、全くもってなさけない。願わくは国家としても、また個人としても、「惑わず憂えず懼れず」の知・仁・勇三徳兼備でありたいものだ。

二三四 子のたまわく、与(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つペし、未だ与に権(はか)るべからず。

 孔子様がおっしゃるよう、「共に学問に志す人は求め得ようが、共に道に進み得る人は得難い。共に道に進み得る人はあっても、共に道の上に立って物に動かされない人を得ることはさらにむずかしい。共に立つことのできる人は得られても、事の宜(よろ)しきに従って変通し本末の軽重をはかって正義に合せしめることを共にする人を得ることは難中の至難じゃ。」

 孔子様の学問はけっして固定的でなく、結局は義にかなった臨機応変なのだが、その義にかなった臨機応変が至難なのだ。

二三五 唐棣(とうてい)華、偏(へん)としてそれ反(ひるがえ)る。あになんじを思わざらんや、室(しつ)これ遠ければなりと。子のたまわく、未だこれを思わざるなり。何の遠きことかこれあらん。

 前段は当時の民謡らしい。イクリの花がヒラヒラとひるがえる、というので、かの万葉の「野守(のもり)は見ずや君が袖振る」の趣だ。

 「いくりの花がひらひら招く、思わぬじゃないが、住居が遠い。」という民話がある。孔子様がおっしゃるよう、「それはまだ思わぬのじゃ。思うならば、何の遠いことがあろうか。」

 孔子様が男女相思の民謡をかりて第一七六章の意味を言われたのだ。孔子に恋歌は不似合(ふにあい)だというので、これは賢人を思う古詩だとする学者がある。それだから若先生はせっかくの『論語』を乾燥無味にするというのだ。孔子様はそんなボクネンジンではない。もしわが国の俗謡をご存知だったら、「日本には『ほれて通えば千里も一里』というのがあるよ。」とおっしゃったかも知れない。


『新訳論語』講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №64 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 5

                     内村鑑三

 五、〇〇〇、〇〇〇の人口を有するニュー・ヨーク州は四〇、〇〇〇、〇〇〇人を有する日本より以上の殺人者を産すると言われている。グラント将軍の日本の観察は、その貧民の数と状態が彼が自国の合衆国で見たところと比較して皆無であるということであった。ロンドンはその貧民の割合の大ききで、そして基督教国は一般にその賭博と飲酒癖とで、よく知られている。これらの人々の欲望を満たすことのできるアルコール飲料のうちには、相当の量を取れば、我が国の酒飲みの頭を顛倒(てんこう)させるだけ強いものがある。基督教国の大都会の或るものの裏町の光景は、慎(つつし)みある人は誰もあえてのぞきこむことさえしないのであるが、それはいかなる国語でも最劣等の言葉より穏やかな言葉では記述され得ない光景である。恥知らずの賭博(とばく)、白昼の海賊行為、自分自身の勢力拡大のためにする同胞の冷酷な犠牲が、そこでは巨大な事業のような規模で行われつつある。憐れみをもって異教徒を眺め自分の基督教文明の祝福された状態をたたえる諸君は、はっきり目を開いて諸君の国の慈善家の一人から余の耳に達した次のことを読まれよ、---
 基督教国のうち最も基督教的な国の一つのその首都の郊外に一老夫婦が沈黙のうちに暮していた、外見はこの世の幸福を楽しんでいるようであった。彼らの豊かな暮しの原因は依然として彼らにだけの秘密であった。もっとも一つ変な事があった。彼らはストーヴを一つもっていたが、それは外形はどう見ても彼らの煮たきのためにはまったく大きすぎるものであった、そして煙突は遅く誰も食事をするものなく人がみな眠りにつく夜の静寂の中に煙をはいた。奇妙な小さな家はその都市の英雄的な一婦人の注意をひいた、彼女はこの世の暗い物事を追求するとき、その鋭い女らしい本能にきわめて実践型の機智を兼備した人であった。彼女は実情を注意ぶかく静かに調査した。証拠につぐ証拠が手に入った、そしてこの上の懐疑(かいぎ)は不可能になった。ある暗夜、彼女はその筋の官憲とともにその家に踏みこむ。ストーヴが嫌疑(けんぎ)の目的物である。彼らはそれを開ける、そして何を諸君は彼らがそこで見つけると思われるか。老齢を喜ばせる無煙炭の燃えさしか。否、恐ろしくも恐ろしいもの! 人間らしい物がそこに! 柔軟な嬰児(えいじ)たちが焼かれつつある! 焼き賃一個二ドル! 二十年間煩わされずにこの商売に従事した! それですっかりひと財産をこしらえもしたのだ! 何のためにこの恐ろしいことが? 不運な嬰児を生れさせる恥辱を隠蔽(いんぺい)し絶滅させるために! その都市もまた私生児でいっぱいである、老夫婦の商売の繁昌(はんじょう)はそのためである! そして余の語り手は続けて言った、『あのかわいそうなもののうちには、この世に生れて来たのは………………のためであるものがあっても、驚くにはあたらない』(恥辱につぐ恥辱よ)—
 基督教国にもまたモロク礼拝! インド神話をくまなく記録して人の想像のなかにジャッガノートの恐怖を創り出す必要は何もない。異教のアンモン人たちはその幼児をはっきりした宗教上の目的をもって犠牲にささげた、しかしこれらの魔女たちにはあの『一個二ドル』以上に何の高い目的もないのである。確かに諸君のところには『異教徒がその戸口に』いるのである。『基督故国は獣的な国である。』そう報告するものが我が国人のうちにある、彼らは外国を旅行してその暗い半面だけを見た人たちである。なるほど彼らは不公平ではある、しかし上述の獣性ということの関する限りでは彼らの受けた印象は正確である。異教国は基督教国とその獣性においてもまた競走することはできない。 ′


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文化的資源としての仏教 №16 [心の小径]

           「縁起と因縁(2)―― ご縁」

             立川市・光西寺住職 寿台順誠

 「二人は立川で出会いました。ですから、まず立川で式を挙げようということになりました。そして、二人の出会いの意味を考えていくと、〈ご縁〉という言葉が浮かびました。それで、〈ご縁、ご縁〉と考えていて、〈ご縁〉なら仏前でしょう、と思ったのです。最初はホテルで式を行い、そこにお坊さんを呼ぶことも考えました。でも、ホテルはお香を焚くのを嫌がります。それならどこかお寺さんにお願いしようということになりましたが、彼の実家が浄土真宗ですので、それでこちらにお願いしたいと思いました。」

 もう15年ほども前のことだが、ある日、飛び込みでやってきたカップルに結婚式の司婚を頼まれたことがある。そんなことは、(築地本願寺のような別院クラスの寺院では珍しいことではないかもしれないが、一般の)お寺にとってはほとんどないことである。実際、結婚式の司婚など、一生頼まれない僧侶も多いだろう。
葬式なら、極端な話、今日いまから来てくれと言われても、時間さえ空いていれば、対応することができる。しかし、結婚式となると勝手が違う。私自身の結婚式は僧侶だから当然「仏前」で行なった。また、日頃から「仏教徒なら仏前で結婚式を挙げるべきではないですか」などという話もしてきた。が、飛び込みで結婚式の司婚を頼まれることなど、まったく想定外のことだった。宗派の儀式マニュアルに仏前結婚式の仕方が書いていることも知ってはいたが、実際に行なったことはなかった。だから、そのカップルには何度か寺に来ていただきリハーサルを行った上で、結婚式を執り行うことにした。
 ところで、経験したことのない仏前結婚式の司婚をする上で、最大の問題は法話だった。せっかく二人が考えた末に光西寺を選んで下さったのだから、何かそれに相応しい話をしなければならないと思い、それを考えるために「なぜ仏前で結婚式を挙げようと思ったのですか?」と聞いてみた。それに対して返ってきた答えが冒頭に記した言葉である。「なるほど〈ご縁〉か。さもありなん」と最初は思った。ところが、すぐ次の瞬間、『歎異抄』6条の次の言葉が頭に浮かんできた。

 「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るる」

 これは「親鸞は弟子一人ももたず」ということが述べられた文の中で言われていることである。つまり、「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るる」のだから、「わが弟子、ひとの弟子」などと言って争うのは「もってのほか」だというのである。
 しかし、結婚式では「つくべき縁あれば伴い」ということは言えても、「離るべき縁あれば離るる」などということは、なかなか言えるものではない。結局、私はその結婚式では、二人が結ばれることになった「縁」のもつ積極的・肯定的な側面のみを強調する内容の法話をしたと記憶する。(何を話したか細かい点は覚えていないが、その時、式の手伝いを頼んだ大学院生が挙式後、「法話をお聞きしていて、〈あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら 僕等は いつまでも 見知らぬ二人のまま〉という小田和正〈ラブ・ストーリーは突然に〉の一節が自然に浮かんできました」と言っていたので、私の話はそれなりに結婚式には相応しい雰囲気は醸し出していたのであろう。その意味では、その時の法話は成功したのだと思うが、しかし「縁」のもつ消極的・否定的な側面にまったく触れられなかったことには、何かモヤモヤした感じが残ったままだった。)
 以上のことを通して、私は仏教というのは本当に結婚式には向かない宗教だということを、改めて思わされた。そもそも「永遠の愛」だの「変わらぬ絆」だのという、一般に結婚を飾る場合に使われやすい言葉など、「諸行無常」を説く仏教から積極的には出てくるはずがないではないか。それ以来、私は「仏教徒なら仏前で結婚式を挙げるべき」というようなことは、言わないことにした。「仏教徒なら仏前で、キリスト教徒なら教会で…」といった言い方は、実は宗教の「教え」や「信仰」とはあまり関係のない、単なる「習慣」や「習俗」の話にすぎない。実際、教会で結婚式を挙げる人の、一体どれだけが真に「キリスト教徒」と言えるのだろうか。
 いずれにせよ、例えば現在「逆縁」と言われるような苦境に立たされているということがあったとしても、それも然るべき因果関係があってそうなっているということを理解し、そうした境遇を引き受けた上で、将来に向かって努力精進していくところに、仏教の根本教説としての「縁起」の意義があるはずである。だから、「つくべき縁」の方だけを飾り立てて、「離るべき縁」の方を忌避するのは仏教的とは言えないだろう。
 但し、かつて「前世の宿業によって被差別部落に生まれた」と言ったり、ハンセン病を「業病」と呼んだりして、仏教の教えを差別の正当化に使うという歴史があったが、これは「業」や「縁起」の教えが誤って運命論的に利用されたものである。今はこの問題には立ち入らないが、上記の「つくべき縁」も「離るべき縁」もどちらも、然るべき因果関係によるものとして受けとめるべきであるというのは、そのような運命論的な意味ではなく、むしろ将来に向けて何をなすべきかを考えるために重要である、という意味で言っていることだと受けとめていただきたい。

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論語 №73 [心の小径]

二二七 子のたまわく、後生畏(おそ)るペし。いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞ゆるなくんば、これ亦畏るるに足らざるのみ。

                法学者  穂積重遠

「後生」は「先きに生れたる者」に対する「後に生るる者」。『礼記』(内剛篇)に「四十を強という、然り。五十命ぜられて大夫と為り官政に服す。」とある。すなわち身を立て道を行う時である。

 孔子様がおっしゃるよう、「若い者はおそろしい。明日の後進が今日の先輩に及ばぬとどうして言い切れようぞ。しかし四十歳五十歳にもなって善行有能の名が聞えぬようでは、おそるるに足らない。」

 孔子様が若い門人たちを見渡して、その将来を楽しみに思われると同時に、前章にいわゆる「秀でて実らざる」者になりはしないかと心配された言葉であろう。私なども、故山本元帥とご同様「今の若い者は」などとは申せぬ、と感心することがしばしばあるが、同時に「今時の若い者は」と言いたくなることもないではないのは、ヤッパリ年を取ったせいであろうか。

二二八 子のたまわく、法語の言(げん)は能(よ)く従うことなからんや。これを改むるを貴(たっと)しと為す。巽与(そんよ)の言は能く説(よろこ)ぶことなからんや、これを繹(たず)ぬるを貴しと為す。説びて繹ねず、従いて改めず。われ未だこれを如何ともすることなきのみ。

 古註に「法語は正しくこれを言うなり。巽与は婉(えん)にしてこれを導くなり。」とある。「繹」は糸口をたぐり出すこと。

 孔子様がおっしゃるよう、「真正面からの忠告は、イヤと言えぬから。ハイとは言うだろうが、ハイと言っただけではだめで、その忠告をいれて過(あやまち)を改めるのが貴いのである。遠回しの忠告は、耳当たりが良い悦(よろこ)ぶではあろうがその意のあるところを汲み取るのが貴いのである。ハイと言っただけで改めず、悦んだだけで意味がわからない、というようなことでは、わしも何とも手のつけようがない。」

二二九 子のたまわく、忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ、過(あやま)ってはすなわち改むるに憚(はばか)ることなかれ

 これは既に前に出ており(八)、重出だから現代語訳ははぶく。おそらく前章の「これを改むるを貴Lと為す」と関連させてここに並べたのだろう。

二三〇 子のたまわく、三軍も帥を奪うペし、匹夫(ひっぷ)も志を奪うペからず。                                        

 「匹夫」を「微賎(びせん)の者」の意味にとってもよいが、「三軍」の対句として、「一人」としておこう。

 孔子様がおっしゃるよう、「大軍で守っている大将をとりこにすることはできても、ひとりの人間の志を動かすことはできない。」

 古註に「三軍の勇は人に在り、匹夫の志は己に在り。故に師は奪うべく、志は奪うべからざるなり。もし奪うペくんば、これを志と請(い)うに足らず。′


『新訳論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №63 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 4

                     内村鑑三

 『救拯(すくい)の計画の哲学』には哲学的知恵をしてその心の満足するまでたずさわらしめよ。救拯の事実があるのである、そして哲学も非哲学も事実はこれを無くすことはできない。人間の経験は、我々がそれによって救われなければならないところの、人々のあいだに与えられている、天が下の他のいかなる名をも、未だ知らなかったのである。遺徳学については我々は十分以上をもっている。それはいかなるPh・D(哲学博士)も、大なる謝礼を払いさえすれば、我々に話すことができる。我々に教える博士はなくとも、我々は盗んではならないことを知っている。しかし、おお、盗みということの多様なそして精神的な意味において、盗むなかれ、である!『我を仰ぎ見よ、そして救われよ。』『モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない、それは彼を信じる者が、亡びないで、永遠の生命を得るためである。』この彼を仰ぎ見ることに我々の救拯がある、その哲学は何であろうとも。基督教十九世紀の歴史が余にそう教えるのである、そして余の小さな霊魂もまたそれがそうであることを(神に感謝すべきことには)証言することができる。
 これが、それならば、基督教である。すくなくとも余にはそうである。神の子の贖(あがな)いの恩恵による罪からの救いである。それはこれ以上であるかもしれぬ、しかしこれ以下であることはできない。これが、それならば、基督教の神髄である、そして法王、監督、牧師、その他の有用無用の附属物はそれの欠くべからざる部分ではない。そういうものとして、それは他の何物にもまさって有つ価値がある。いかなる真実の人もそれなしにやって行くことはできない、そして平安はそれなしに彼のものであることはできない。

ウェブスターは基督教国を定義して『異教国あるいは回教国と区別され、基督教が広く行われている、あるいは基督教的制度の下に統治されている世界の部分』とする。彼はそれが完全な天使の国であるとは言っていない。それは基督教が広く行われている、あるいは人民の大多数によってそれが彼らの生活の導き手として仰がれているところである。二つの要素、信仰と信仰者とが、いかなる国民でもその実践的道徳を決定する。兇猛なサクソン人、海賊的なスカンジナビア人、快楽好きのフランス人が、ナザレの神の人の教によってこの世において自分自身を制御しようと試みつつある、—それは我々が基督教国で目撃するところである。それならば彼らの不逞(ふてい)のゆえにいかなる非難をも基督教の上に帰することなかれ、むしろ彼らのような虎を抑えるその力のゆえにそれを賞讃せよ。
 もしこれらの民に少しも基督教がなかったならば如何。もし彼らの掠奪を制し彼らを正義と寛容とに転ぜしめる一人の法王レオも彼らのもとになかったならば如何。仏教と儒教とは彼らにはアポリネーリス水が慢性消化不良におけると同様であろう、—不活性、無味、動物性の回帰、永遠の破壊であろう。わずかに戦闘の教会が金銭万能主義(マモニズム)、ラム酒貿易、ルイジアナの富くじ、その他の極悪無道に対し反対の陣を布いたことによってのみ、基督教国は即刻の破滅と死とに転落しないでいるのである。長老教会牧師の子で芸名をロバート・インガーソルという人が言った、我が国はその教会のすべてを劇場に転換する方がよいであろうと。彼がそう言ったのは彼の国がけっして彼の忠告に従わないことを確信していたからである。我々は基督教国の『獣性』について何を言おうとかまわない、その病気そのものがそれを活かしている生命の活力を託するものではないか。
 それならば最大の光にともなう最大の暗黒というこの光学現象を観察せよ。影はそれを投ずる光が明るければ明るいだけ淡いのである。真理の一つの特性は悪をより悪とし善をより善とすることである。何故これがそうであるかを尋ねることは無用である。『おおよそ持っている人は与えられていよいよ豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられるであろう』、—道徳においても経済におけると同じである。蝋を溶かすその同じ太陽が粘土を固まらせる。もし基督教がすべての人に対する光であるならば、それが悪を善と同様に発達させることは不思議とは思われない。それゆえ我々は当然に基督教国において最悪の悪を予期してさしつかえない。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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論語 №72 [心の小径]

二二四 子のたまわく、これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、それ回(かい)なるか。

                法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「一応説明してやると、それで済んだつもりで気がゆるむのが普通で、そうでないのは顔回ぐらいのものか。」

  次章にも見えるとおり、顔回はさらに一歩前進するのである。

二二五 子、顔淵(がんえん)を謂(い)いてのたまわく、惜しいかな。われその進むを見たり。未(いま)だその止(とど)まるを見ざりき。

 顔淵の死後、孔子様が追懐(ついかい)しておっしゃるよう、「ほんとうに惜しいことをした。進むところは見たが止まるところを見なかったのに。」

 その学徳の日進月歩して止まるところを知らず、この様子ならばどこまで伸びるかと楽しみにしておられた様子が、短い言葉にあふれている。

二二六 子のたまわく、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者あるかな、秀でて実らざる者あるかな。

 孔子様がおっしゃるよう、「苗のうちはよさそうだったが、それきりで花の咲かぬ者もあることかな、花は咲いたが実のならぬ者もあることかな。」
                                        
 いわゆる「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」の多いことを遺憾として、小成(しょうせい)に安んずるな、大成(たいせい)せよ、と門人たちをはげまされたのである。前章との連想から顔回の短命を惜しんだ言葉と解する説もあるが、どうもそうではあるまい。寿命の問題ではなくて、学徳の問題である。
 私は両親が芝居ずきで、子供の時九代目団十郎・五代目菊五郎を見せておいてくれたことを感謝している次第、それ以来ずいぶんおおぜいの役者を見たが、いつでも感心するのは子役の上手なことだ。父はよく「ガクシャの子よりヤクシャの子の方がえらいぞ。」と私をからかったものだが、それで将来どんな名優になるかと楽しみにしていると、存外(ぞんがい)期待はずれの場合が多い。個人をさしては悪いが、二代目左団次の弟の莚升(えんしょう)が「ぼたん」といった少年時代は実に驚くべき名子役だった。坪内逍遙作「牧の方」の初演のとき、政範(まさのり)という役で、芝翫(しかん)すなわち後の歌右衛門の牧の方を向うに回して大芝居を演じ、兄左団次(当時の莚升)の北条義時などは問題でなかった。その後「ヴイルヘルム-テル」の翻案劇で左団次が「猟師照蔵」を演じたとき、例のりんごをあたまにのせるその子をつとめてスッカリ兄貴を食ってしまったこともある。これに反して左団次は莚升時代には大根楽者と罵(ののし)られた。「矢の根」の五郎を演じたとき、新聞漫画に大根が馬上で大根を振り上げているところがかいてあったのを覚えている。初代左団次の追善興行のとき、弟ぼたんとならんで舞台にすわり、私はご承知のとおりの未熟者でござりますが、これなる弟は末の見込みがござります故御引立を願い上げまする。という口上を言って、見物を気の毒がらせたものだ。しかしさすがは団十郎で左団次のぼたん時代に、こいつは大物になる、と言っていたそうだが、果して洋行帰朝以来あの通り我が国の劇界に新生面を開き、先代とはまた型のちがった、そしてより偉大な名優になった。それに引きかえ麒麟児ぼたんは莚升になってから「秀でて実らず」で済んでしまった。さらに団十郎すらが、若い権十郎時代には「権ちゃん甘い」といわれたそうな。大器晩成なるかな、大器晩成なるかな。


『新薬論語』 講談社学術文庫

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余は如何にして基督信徒となりし乎 №62 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 3

                      内村鑑三

 異教は、基督教国で基督教として通っているものと等しく、道徳を教え、そしてそれの遵守(じゅんしゅ)を我々に説く。それは我々に道を示し、そしてその中を歩むことを我々に命ずる。それ以上ではなく、またそれ以下ではない。ジャッガノート、幼児犠牲、等々は、我々の異教談からはこれを取除こうではないか、なぜなら財神(マモン)礼拝、鰐(わに)の餌食(えじき)にする方法以外の方法による幼児殺害、基督教国のその他の恐ろしい事と迷信とが基督教ではないように、それらは異教ではないからである。
 そういう点では我々は他を判断するに公平寛大であろうではないか。我々は我々の敵にはその最善最強の点で相会したくある。
 余は躊躇せずに言う、基督教は同じことをすると、すなわち、歩むべき道を我々に示すと。じつにそれは他のいかなる宗教にもまさって明白に誤ることなくそうするのである。それには余がしばしば他の信仰において出会う導きの光の鬼火(おにび)的性質はすこしもない。じつに基督教の顕著な一特徴は、光明と暗黒、生命と死との区別のこの鋭さである。しかしいかなる公平な裁判官にであれモーセの十誠と仏陀(ぶつだ)のそれとを比較せしめよ、そうすれば彼は直にその相違は昼と夜の相違のような相違ではないことを知るであろう。仏陀、孔子、その他の『異教の』教師たちの教えた人生の正道は、基督信徒がこれを注意深く研究すれば、何か自分たちの以前の自己満足を恥かしくおもわせるものである。シナ人と日本人とをして彼ら自身の孔子の誠めを守らしめよ、そうすれば諸君はこれら二国民から諸君がヨーロッパやアメリカで有するいかなるそれより立沢な基督教国を作り出すのである。基督教回心者のうち最もすぐれた人々は仏教や儒教の精髄(せいずい)をけっして捨てなかった。我々が基督教を歓迎するのは、それが我々を助けてなおいっそう我々自身の理想のどとくにならしめるからである。ただ熱心党、『リバイバル屋』、見世物好きの宣教師たちのお気に入りが、彼らの以前の礼拝の対象に対する宗教裁判(auto-da-fe)に没頭するにすぎない。『わたしはそれを廃するためではなく、成就するために来たのである』と基督教の創始者は言った。
 基督教が異教よりより以上でありより高くあるのは、それが我々をして律法を守らしめる点にある。それは異教プラス生命である。それによってのみ律法遵守が可能事となる。それは律法の精神である。すべての宗教のうちでそれは内側から働くものである。それは異教が多大の涙をもって探求摸索(もさく)しつつあったものである。それは我々に善を示すのみならず、我々をまっすぐただちに永遠の善それ自身につれて行くことによって我々を善ならしめる。それは我々に道を備えてくれるのみではない、生命そのものをもまた与えるのである、レールとともに機関車をもまた与えるのである。他の宗教に同様のことをするものがあるか、余はいまなお『比較宗教学』の教を乞いたくある。(註)

(註)グラッドストン(The Right Honourable William Ewart Gradstone)の基督教の定義は左のごとし、-『確立した基督教観念による基督教は、借受すべき抽象的教義を我々に提示するものではなく、我々が生命的合体によりて結びつけらるべき生ける神的の人格者を我々に提示するものである。それは罪によって神から断たれた者の神との再結合である、そしてその方法は教訓を教えるという方法ではなく、定められたようにもろもろの賜物と能力とをそれが授けることにより薪生命を賦与するという方法である。』 - ロバート・エルスミアーについての批評から


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

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