So-net無料ブログ作成
心の小径 ブログトップ
前の20件 | -

論語 №75 [心の小径]

二四〇 圭(けい)を執(と)れば鞠躬如たり、勝(た)えざるが如し。上ぐるは揖(ゆう)するが如く、下ぐるは授(さず)くるが如し、勃如として戦色あり、足シュクシュクとして循(したが)うことあるが如し。享礼(きょうれい)には容色あり、私覿(してき)には愉愉(ゆゆ)如たり。

                法学者  穂積重遠

 「圭」は天子が諸侯を封ずる時に授けるその位のしるしの玉の笏(しゃく)。諸侯が大夫(たいふ)を他国へ使いにやる場合には、いわば信任状というような意味で、模造の圭を持たせてやる。「循」は足の爪先を上げかかとで地をすって進むこと。諸侯の使いが相手国の君に謁するに、第一段の正式会見が「聘礼(へいれい)」、第二段の贈物披露が「享礼」、第三段の個人としての和郎が「私覿」である。

 君の使いとして相手国の君に謁するとき、まず聘礼では、圭を両手にささげ小腰をかがめて進まれるが、圭はさして重いものではないけれど、その重さにたえないという風に大事に持ち、動作につれて多少の上がり下がりはあるが、上がっても手をこまねいてあいさつする程度の高さであり、下がっても人に物を授ける程度の低さである。そして落してはたいへんだというように、顔色を変じてすこしふるえる気味があり、足は小股ですり足の形である。享礼となると顔色やわらぎ、さらに私覿となると、いちだんと打ちとけられる。

 孔子様が魯(ろ)の君の使いとして他国に行かれたことは記録に見えないから、この一段はこうもあろうかという想像だ、という説があるが、逆にこれを孔子様が外交使節をつとめられたことのある証拠と見たい。伊藤仁斎いわく「按(あん)ずるに、孔子隣国に聘せられし事は、農に経伝に載せずと錐も、然れども当時門人親しく見て直ちにこれを記したるは、すなわち郷党の一篇にして、もっとも信拠(しんきょ)すべきなり。」

二四二 斉(さい)すれば必ず明衣有り、布をもってす。斉すれば必ず食を変じ、居れば必ず坐を遷(かえ)す。
                                        
 「斉」は「斎」に同じ。「ものいみ」、いわゆる斎戒沐浴(さいかいもくよく)すること。

 ものいみをされる場合には、必ずあかるい色の浄衣を著(ちゃく)する。その衣は布でつくる。ものいみ中は食事もかえて、酒を飲まず、にんにくのような臭いものをたべず、平生(へいせい)の居間とは別の部屋におられる。


『新訳論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №66 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象―帰郷7

                内村鑑三

 つぎに彼らの国民的良心は ― これによって余は一国民としての人民の良心の総和を意味するのであるが ― 彼らの平均的良心よりいかに無限に高くまた純粋であることよ! 個人としては彼らが自由きままに耽溺(たんでき)していることを、一国民としての彼らは強く反対するのである。幾多の無神論者が米国のさきごろの南北戦争の戦場で基督信徒の死を遂げたという話を開いた、そして余はその話を疑わない。その戦いは主義のそれであって、名誉と卑しい利益とのそれではなかった。彼らは基督教的目的を目途(もくと)として進軍した、劣等民族の解放がこれである。歴史上かつて一国民がかような愛他的目的を目途として戦争に入ったことはなかった。基督教国民以外のなんぴともそのような戦争におももむくことはできない。しかもこの戦争におもむいたものがすべて基督信徒ではなかったのである。― またこれらの人々が自分たちの大統領として選ぶ人々の道徳的完全についていかに慎重であるかをも観察せよ。その人々はただに有能な人であるのみならず、また遺徒的な人でもなければならない。一人としてリシュリューやマザランのような人は彼らの大統領たることはできない。禍(わざわい)なるかな、あの憐れな候補者は、彼は他の点においては統治の最適任者である、しかし彼の人格を傷つける一二の汚点が彼を失敗者としたのである。道徳性は普通に異教国では政治家たる資格の数に入らないのである。― 何故彼らはモルモン教徒をそれほどきびしく追究するのであるか。『秘密教の類(たぐ)い』の蓄妾(ちくしょう)と多妻は実際にはこれらの人々の間に実行されているではないか。おかしな矛盾、と諸君は言われる。おかしい、しかし賞讃さるべき
矛盾である。国民としては彼らは多妻を許すことはできない。それを実行する人々をして秘密に行わしめよ。国民的良心は未だこの種の秘密を追求するほどには鋭くはない。しかし国家の法律の黙許と保護の下にある一つの制度としての多妻主義、それは基督信徒も無神論者も見て見ぬふりはしないであろう。モルモン教徒は服従しなければならない、さもなければユタ州には、すでにかくも多くの輝かしい名誉ある星をちりばめた旗に、もう一つの星を加えさせないであろう。
 あらゆる高潔にして価値ある感情を育てるその同じ国民的良心は、下劣にして価値のないあらゆるものを寄せつけない。白昼の日光はあらゆる種類の魔女どもにはこばまれているのである。そういうものたちは、人々の間に現れる時には、義の衣をまとわなければならぬ、さもなければ彼ら自分たちのような魔女たちに『私刑(りんち)』を加えられて、「忘却」というその使者たちにわたされるであろう。財神(マモン)は正義の法則によって歩むのである。正直は、政治においても、また他の金儲け仕事におけるように、最善の策略であると信ぜられている。良人は人中では妻に接吻する、その妻を家庭では打つのである。賭博場は撞球場という名で、堕落した天使たちさえ『レーディース』の称号で通っている。酒場は外側から見えないようにすべて仕切りされ、人はその悪習を明かに恥じて暗黒の中で酒を飲む。すべて最悪質の偽善を生ずるもの、と諸君は言われる。しかし徳とは悪行の免許のことをいうのであるか。余はをうは考えない。
 それゆえにこのように善を悪から、天空を愛する雲雀(ひばり)を穴居する蝙蝠(こうもり)から、左側の山羊を右側の羊から区別するということ、― これこそ余は基督信徒の状態であり、我々がみなその中に入ろうとしている状態、善の悪からの完全な分離の前味(まえあじ)であると考える。この大地は、美しくはあるが、もともと天使の国として意図されているのではない。それは我々をある他の場所へ導く準備の学校として意図されているのである。大地のこの教育的価値が、それをそのあるべきものとなそうとする我々の貧しい試みにわいて、見失われてはならない。功利主義と、感傷的基督教と、古代ギリシャ人のようにこの世を神々の家であると考える他の浅薄なものどもとは、コロムウェルや他の少しも甘くない預言者たちにつまずくであろう、彼らはすべてのものを幸福にすることはできないからである。『最大多数の最大幸福』が正義公正な政治の正反対を意味する場合はあまりに多くある。天が下にコンゴー、ザムベシ河岸のアフリカのジャングルにおいてほど多くの『普遍的満足』の見出されるところはないと思う。霊魂の最善の訓練が可能であり、したがってこの大地の創造の本来の目的が最も善く実現されているその状態こそが、最善の状態であるのである。これが成就されたときには、我々はみなこの地を去り、我々の或る者は永遠の祝福に、他の者は永遠の非祝福に、そして大地そのものはその仕事を完了してしまったものとしてその原始の要素に還(かえ)ってさしつかえない。


nice!(0)  コメント(0) 

論語 №74 [心の小径]

二三六 孔子郷党(きょうとう)においては恂恂(しゅんじゅん)如(じょ)たり。言うこと能(あた)わざる者に似たり。その宗廟(そうびょう)朝延に在るや、便便(べんべん)として言う。ただ謹(つつし)むのみ。

              法学者  穂積重遠

 孔子様が郷里家庭におられるときには、恭順(きょうじゅん)質朴(しつぼく)なご様子で、ロクロク口もきき得ないように見える。大廟(たいびょう)や朝廷ではスラスラと物を言われる。ただ言語態度をつつしまれることはもちろんだ。

 郷里や家庭では、長老や目上もいること故、先に立って利口ぶった口をきかないのである。大願や朝廷は儀式や政治の大事な公務の場所だから、言うべきだけのことはハッキリと言う。ただ言葉づかいのていねいなことはもちろんだ。

二三七 朝(ちょう)に下大夫(かたいふ)と言えば侃侃(かんかん)如たり、上大夫と言えば誾誾(きんぎん)如たり、君(きみ)在(いま)せばシュクセキ如たり、与与如たり。

 朝廷で下級の大夫と語るときは、隔意なく打ち解けた様子であり、上席の大夫と語るときはかえってキチンとした中正な態度である。君が朝廷に出ておられる場合にはうやうやしくつつしんで席に安んぜぬようだが、さりとてしゃちこぼるのではなく、ユッタリと落ち着いておられる。

二三九 公門に入れば鞠躬(きっきゅう)如たり。容れられざるが如し。立つに門(しん)に中(ちゅう)せず、行くに閾(しきみ)を履(ふ)まず。位を過ぐれば、色勃如たり、足カクジョたり、その言(ことば)足らざる者に似たり。斉(もすそ)を摂(かか)げて堂に升(のぼ))れば、鞠躬如たり、気を屏(おさ)めて息せざる者に似たり。出でて一等を降(くだ)れば、顔色を逞(はな)ちて怡怡(いい)如たり。階を没(つく)して趨(わし)り進むや翼如たり。その位に復(かえ)ればシュクセキ如たり。

「屏」を「ひそめて」、「逞」を「のべて」とよむ人もある。

 御所の門をはいるときは、中腰をかがめて、いれてもらえないような様子である。ツカツカと大手を振って通ったりしない。門で立ちどまる場合にも、中央に立ちふさがらない。そこは君の通られる所だからである。また門の敷居は踏まずにまたいで通る。敷居を踏むのは無作法だし、あとから来る人の裾をよごすおそれがあるからである。門内に君の立たれる位置があるが、その前を通る時は、それが空席であっても、顔色を変じ足進まざる様子をする。門から堂までの間も、多言せずまた高ばなしせず、口不調法な人のようである。堂にのぼるときは、衣の前を踏んでつまずかぬよう、裾を引き上げ小腰をかがめて階段をのぼるが、息を殺して胡弓もせぬかのようである。御前をさがって階(きざはし)を一段おりると、顔色をやわらげてにこやかになり、階段をおりきると、両袖を翼のごとく張って小走りに席にかえり、うやうやしくひかえておられる。

「その位に復す」を、再び君の空席の前を通る意味に解する人もある。


『新訳論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №64 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 6 

                 内村鑑三

 しかしもし基背教国の悪はそのように悪くあるにしても、その善はいかに善くあることよ! 異教国を縦横にくまなく尋ねよ、そして人類の歴史を飾る一人のジョン・ハワードを諸君は見出すことができるかどうかを見よ。余の父は、本書の第二章で余が諸君に語ったように、深い儒学者であり、シナの古人に対する賞賛の念ははなはだ強いのであるが、彼が再三余に語ったことは、彼がジョージ・ワシントンについて知るところからすれば、孔子があらゆる頌徳(しょうとく)の辞を惜しまなかった堯(ぎょう)と舜(しゅん)は、このアメリカの解放者とくらべて無価値であるということであった、そして余の父以上にワシントンについての知識をもっている余は彼の『歴史批評』を全部是認することができる。英雄的行為と心の柔和さ、才能と目的の公正無私、常識とその宗教的確信の熱誠との結合、オリヴ7-・コロムウエルのそれのようなそういう結合は、非基督教的経編のもとにおいては存在を想像することはできない。我々は我が国のお歴々が巨万の富を蓄えてそれを自分自身の『後生のため』に寺に寄進し貧乏人に供養するということを聞いた、しかしジョージ・ピーボディのような、あるいはスチーブン・ジラードのような、与えるために蓄えそして与えることを喜びとしたものは、異教徒の間で観察のできる現象ではない。そしてこのような選ばれた少数者のみならず、もちろん人目には隠れてはいても広く基督教国中に分布していて、特に善人と名づけられてさしつかえないもの — 善をそれ自体のために愛し、人間一般が悪を行う傾向があるように善を行う傾向がある人々-が、見出されるのである。いかにこれらの人々が、用心ぶかく公衆の目に触れないようにしながら、自分の努力と祈祷とによって少しなりとこの世を善くしようと努めつつあるか、いかにしばしば彼らはただ新聞紙で読んだだけでその人々の境遇のみじめさのために涙を流すか、いかに彼らは全人類の福祉をその心に留めるか、またいかによろこんで彼らは人間の不幸と無知とを改良する事業に参加しているか、—こういうことを余は自分自身の目をもって実見し目撃した、そしてそれらすべてのものの底にある純粋な精神を証言することができる。これらの無言の人々こそ、彼らの祖国の危機にはまっさきに自分の生命をその奉仕に捧げる人々であり、異教国における新しい伝道計画を開けば、それを行う宣教師に自分の汽車賃を差し出し、自分はとぼとぼ歩いて家に帰り、自分がそうしたことのゆえに神を讃美する人々であり、その大きな涙もろい心で神の憐れみのすべての秘密を理解し、それゆえに自分の周囲のすべての者に対して憐れみのある人々である。狂烈性と盲目的熱心はこれらの人々には全くない、ただ柔和さと善を行うに当っての冷静な計算がある。じつに余は誠心誠意をもって言うことができる、余は善人をただ基督教国にわいてのみ見たと。勇敢な人、正直な人、正しい人は異教国に皆無ではない、しかし余は疑う、はたして善人が—それによって余はいかなる他国語にもまったく同義語のないジェントルマンという一つの英語に要的されているあの人々を意味するのであるが—、余は疑う、はたしてそのような人々が、我々を形作るイエス・キリストの宗教なくして可能であるかどうかを。『基督信徒、全能なる神のジェントルマン』 — 彼はこの世における独一無比の人物である、筆舌(ひつぜつ)につくしがたいほど美しく、高貴にして、愛すべくある。
 そしてただにそのような善人が基督教国に存在しているばかりではない、基督故国においてさえ善人の比較的に稀れなことを考えれば、彼らの悪人に対する勢力は無限である。善事が異教国にわいてよりもそこではより可能でありより有力であるというこのことは、基脅教国のもう一つの特徴である。『友なく名なき』一ロイド・ガリソンがあって、一民族の自由が彼とともに始まった。一ジョン・B・ゴフがあって、巨大な不節制がよろめき始める。少数はこれらの人々には敗北を意味しない、彼らの憲法はそういう意味のことを含んでいるように思われるけれども。彼らはほんとうに自分たちの正しい立場を確信している、ほんとうに国家的良心を確信している、彼らはかならず国民を自分たちの味方になしうるものと感じている。富者を彼らは畏れ尊敬し感嘆する、しかし善人はそれ以上である。彼らはワシントンの勇よりも徳を、ジエイ・グールドよりフィリップス・ブルックスを、より多く誇る。(じつに彼らの大多数は前者を真に恥じるのである。)正義は彼らには一の勢力である、そして正義の一オンスは富の一ポンドに対応し、またしばしばそれを凌駕(りょうが)する。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

nice!(1)  コメント(0) 

文化的資源としての仏教 №17 [心の小径]

「縁起と因縁3-ご縁」文化的資源としての仏教最終回

             立川市・光西寺  寿台順誠

 さて、私は「文化的資源としての仏教」と題するこのエッセイを書き始めてから、最初2回は総論的な問題を記し、次に「往生」(第3回~第7回)、それから「四苦八苦」(第8回~第14回)という言葉について考えた。が、そこまでは結構順調に話を進められたが、その次に「縁起と因縁」について考えるという予告をし、「縁起」も「因縁」も元来は因果に関する仏教の根本思想を表す言葉であるのに、「縁起が良い・悪い」や「因縁をつける」といった、仏教の因果論がどこかで捻じ曲げられて派生したのではないかと思われる言葉について、そのルーツを確認し、それが仏教本来の因果論としての縁起説とどのように関係しているのかを考えてみたい、としておいた(第15回)。が、そのようなルーツを突きとめるのは難しいことであろうし、そもそも不可能なことかもしれないので、一応「この問題に何らかの目処が立つまで、しばらくの間(場合によっては、数か月間になるかもしれないが)このエッセイを休ませていただきたい」とお断りしておいた。が、それから何も調べられないまま、「数か月」どころか「1年半」もの年月が経ってしまった。ただその際もう一つ私は、「この休止状態を永遠に先送りするつもりはないので、ある程度のところで見切りをつけて、仮に以上の語法のルーツを辿ることが不可能だと考えるに至ったならば、話を別の形で展開するなどのことを考えることにしたい」ということも付け足しておいた。今回、忘れた頃にこの文章を書いているのは、そろそろ「見切りをつけて…話を別の形で展開するなどのことを考える」べき時が来たと思うに至ったからである。
そしてそう思ったとき、私が改めて思い出したのが上記の結婚式の話である。つまり、「縁起」や「因縁」という本来は仏教の因果に関する思想を示す言葉が、「縁起が良い・悪い」などといった形で捻じ曲げられて行くのは――そうした派生語のルーツはよくわからないとしても――、結局、マイナスの価値を示すこと(上記の文脈で言えば「離るべき縁」)は何でも避けて通ろうとする我々人間のもつ性向によるのではないか、と思ったのである。日頃、僧侶をしていると、どれだけ近代化が進み科学技術が発達しても、人は「縁起が良い・悪い」という観念から免れることはないだろうと思わされることが多い。「友を引く」といけないので友引に葬儀をしない、死者が帰ってくるといけないので火葬場から葬儀会場に戻る時には同じルートを通らない、死は穢れているので清め塩を用いる等々(←別に友引に葬儀をしなくても、人は誰でも皆いずれは引っ張って行かれるのだから、心配無用だ! 懐かしい故人なら、ついて帰ってきてもらえばよいではないか! 死を穢れと見て塩をまくのは、死すべき運命をもつ将来の自分に向かって撒いているようなものではないか!)。今も、「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀つとめとす」(『正像末和讃』)と親鸞が悲歎せざるを得なかった時代と、本質的には変わっていないのではないか。まったく「恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』信巻)である。
以上、ともかくこの話を記すことで、「縁起と因縁」の一応の区切りとしたい。(「因縁をつける」という言葉については、この文では触れられなかったが、これは本来因果関係のない事柄を、別の目的のために無理やり関係づけようとするという意味をもつ言葉だと思うので、これについても仏教本来の因果論から考えていけば、「反仏教的」或いは「疑似仏教的」な言葉であることは明らかであろう。この語源についても、また機会があれば調べてみたい。)

なお、以上のように文章が書けなくなってしまったこの期間に、物書きでもない私にとっては、そもそもこのブログのためにモノを調べて書き続けるということには限界がある、ということも痛感させられた。従って、この「文化的資源としての仏教」というエッセイそのものを、これで打ち切りにさせていただきたいと思うようになった。当初計画していたよりも早い打ち切りとなるが、今までのところでも結論的に言えることはある。それは、我々日本人は、日常、無意識のうちに随分多くの仏教用語をそれと気づかずに、また仏教本来の意味とは異なる形で使っているが、その使い方を少し反省し見直してみることによって、少しずつ仏教徒に近づいて行けるのではないかということである。その意味において、ここまで取り上げた「往生」「四苦八苦」や「縁起・因縁」に限らず、日常使用している言葉を検討し直す作業は今後も折に触れて続けていきたいと思っている。

最後に、以上のように今後はこのブログのためにモノを調べて書くことはできませんが、私が住職をしている光西寺で日常的に行っている学習会の報告なら継続することができると考え直しました。そこで、次回以降は(不定期的になるとは思いますが)私が光西寺で行なっている「親鸞文学研究」について、随時このブログに報告させていただきたいと思います。詳しくは次回紹介させていただきますが、とりあえず光西寺のホームページ(https://www.kousaiji.tokyo/)をご覧ください。


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №74 [心の小径]

二三二 子のたまわく、歳(とし)寒くして然(しか)る後(のち)松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る。

                法学者  穂積重遠

 「しぼむにおくるる」は「のちにしぼむ」のではなく、「外の木の葉がしぼむあとまで残ってしぼまぬ」 の意。

 孔子様がおっしゃるよう、「厳寒の候、ほかの木の葉がしぼみ落ちる時になってはじめて松やカヤのみどり色かえぬときわ木たることがわかる。」

 「国乱れて忠臣あらわれ、家貧にして孝子出ず。」で、人間の真価も大困難に遇ってはじめて発揮(はっき)されるものぞ、という趣旨であるこというまでもない。今日の日本こそ正に「歳寒くして」だが、われわれ願わくは「凋むに後るる」松柏の操を堅持したいものだ。

二三三 子のたまわく、知者は惑(まど)わず、仁者は憂(うれ)えず、勇者は懼(おそ)れず。

 孔子様がおっしゃるよう、「知者は道理に明らかだから迷わない。仁者は常に道理に従い私欲がないから心配しない。勇者は道理の命ずるところを信じて行うから怖(こわ)がらない。

 このごろのように惑いつ憂いつ慣れつの有様では、全くもってなさけない。願わくは国家としても、また個人としても、「惑わず憂えず懼れず」の知・仁・勇三徳兼備でありたいものだ。

二三四 子のたまわく、与(とも)に共に学ぶべし、未だ与に道に適(ゆ)くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つペし、未だ与に権(はか)るべからず。

 孔子様がおっしゃるよう、「共に学問に志す人は求め得ようが、共に道に進み得る人は得難い。共に道に進み得る人はあっても、共に道の上に立って物に動かされない人を得ることはさらにむずかしい。共に立つことのできる人は得られても、事の宜(よろ)しきに従って変通し本末の軽重をはかって正義に合せしめることを共にする人を得ることは難中の至難じゃ。」

 孔子様の学問はけっして固定的でなく、結局は義にかなった臨機応変なのだが、その義にかなった臨機応変が至難なのだ。

二三五 唐棣(とうてい)華、偏(へん)としてそれ反(ひるがえ)る。あになんじを思わざらんや、室(しつ)これ遠ければなりと。子のたまわく、未だこれを思わざるなり。何の遠きことかこれあらん。

 前段は当時の民謡らしい。イクリの花がヒラヒラとひるがえる、というので、かの万葉の「野守(のもり)は見ずや君が袖振る」の趣だ。

 「いくりの花がひらひら招く、思わぬじゃないが、住居が遠い。」という民話がある。孔子様がおっしゃるよう、「それはまだ思わぬのじゃ。思うならば、何の遠いことがあろうか。」

 孔子様が男女相思の民謡をかりて第一七六章の意味を言われたのだ。孔子に恋歌は不似合(ふにあい)だというので、これは賢人を思う古詩だとする学者がある。それだから若先生はせっかくの『論語』を乾燥無味にするというのだ。孔子様はそんなボクネンジンではない。もしわが国の俗謡をご存知だったら、「日本には『ほれて通えば千里も一里』というのがあるよ。」とおっしゃったかも知れない。


『新訳論語』講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №64 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 5

                     内村鑑三

 五、〇〇〇、〇〇〇の人口を有するニュー・ヨーク州は四〇、〇〇〇、〇〇〇人を有する日本より以上の殺人者を産すると言われている。グラント将軍の日本の観察は、その貧民の数と状態が彼が自国の合衆国で見たところと比較して皆無であるということであった。ロンドンはその貧民の割合の大ききで、そして基督教国は一般にその賭博と飲酒癖とで、よく知られている。これらの人々の欲望を満たすことのできるアルコール飲料のうちには、相当の量を取れば、我が国の酒飲みの頭を顛倒(てんこう)させるだけ強いものがある。基督教国の大都会の或るものの裏町の光景は、慎(つつし)みある人は誰もあえてのぞきこむことさえしないのであるが、それはいかなる国語でも最劣等の言葉より穏やかな言葉では記述され得ない光景である。恥知らずの賭博(とばく)、白昼の海賊行為、自分自身の勢力拡大のためにする同胞の冷酷な犠牲が、そこでは巨大な事業のような規模で行われつつある。憐れみをもって異教徒を眺め自分の基督教文明の祝福された状態をたたえる諸君は、はっきり目を開いて諸君の国の慈善家の一人から余の耳に達した次のことを読まれよ、---
 基督教国のうち最も基督教的な国の一つのその首都の郊外に一老夫婦が沈黙のうちに暮していた、外見はこの世の幸福を楽しんでいるようであった。彼らの豊かな暮しの原因は依然として彼らにだけの秘密であった。もっとも一つ変な事があった。彼らはストーヴを一つもっていたが、それは外形はどう見ても彼らの煮たきのためにはまったく大きすぎるものであった、そして煙突は遅く誰も食事をするものなく人がみな眠りにつく夜の静寂の中に煙をはいた。奇妙な小さな家はその都市の英雄的な一婦人の注意をひいた、彼女はこの世の暗い物事を追求するとき、その鋭い女らしい本能にきわめて実践型の機智を兼備した人であった。彼女は実情を注意ぶかく静かに調査した。証拠につぐ証拠が手に入った、そしてこの上の懐疑(かいぎ)は不可能になった。ある暗夜、彼女はその筋の官憲とともにその家に踏みこむ。ストーヴが嫌疑(けんぎ)の目的物である。彼らはそれを開ける、そして何を諸君は彼らがそこで見つけると思われるか。老齢を喜ばせる無煙炭の燃えさしか。否、恐ろしくも恐ろしいもの! 人間らしい物がそこに! 柔軟な嬰児(えいじ)たちが焼かれつつある! 焼き賃一個二ドル! 二十年間煩わされずにこの商売に従事した! それですっかりひと財産をこしらえもしたのだ! 何のためにこの恐ろしいことが? 不運な嬰児を生れさせる恥辱を隠蔽(いんぺい)し絶滅させるために! その都市もまた私生児でいっぱいである、老夫婦の商売の繁昌(はんじょう)はそのためである! そして余の語り手は続けて言った、『あのかわいそうなもののうちには、この世に生れて来たのは………………のためであるものがあっても、驚くにはあたらない』(恥辱につぐ恥辱よ)—
 基督教国にもまたモロク礼拝! インド神話をくまなく記録して人の想像のなかにジャッガノートの恐怖を創り出す必要は何もない。異教のアンモン人たちはその幼児をはっきりした宗教上の目的をもって犠牲にささげた、しかしこれらの魔女たちにはあの『一個二ドル』以上に何の高い目的もないのである。確かに諸君のところには『異教徒がその戸口に』いるのである。『基督故国は獣的な国である。』そう報告するものが我が国人のうちにある、彼らは外国を旅行してその暗い半面だけを見た人たちである。なるほど彼らは不公平ではある、しかし上述の獣性ということの関する限りでは彼らの受けた印象は正確である。異教国は基督教国とその獣性においてもまた競走することはできない。 ′


nice!(1)  コメント(0) 

文化的資源としての仏教 №16 [心の小径]

           「縁起と因縁(2)―― ご縁」

             立川市・光西寺住職 寿台順誠

 「二人は立川で出会いました。ですから、まず立川で式を挙げようということになりました。そして、二人の出会いの意味を考えていくと、〈ご縁〉という言葉が浮かびました。それで、〈ご縁、ご縁〉と考えていて、〈ご縁〉なら仏前でしょう、と思ったのです。最初はホテルで式を行い、そこにお坊さんを呼ぶことも考えました。でも、ホテルはお香を焚くのを嫌がります。それならどこかお寺さんにお願いしようということになりましたが、彼の実家が浄土真宗ですので、それでこちらにお願いしたいと思いました。」

 もう15年ほども前のことだが、ある日、飛び込みでやってきたカップルに結婚式の司婚を頼まれたことがある。そんなことは、(築地本願寺のような別院クラスの寺院では珍しいことではないかもしれないが、一般の)お寺にとってはほとんどないことである。実際、結婚式の司婚など、一生頼まれない僧侶も多いだろう。
葬式なら、極端な話、今日いまから来てくれと言われても、時間さえ空いていれば、対応することができる。しかし、結婚式となると勝手が違う。私自身の結婚式は僧侶だから当然「仏前」で行なった。また、日頃から「仏教徒なら仏前で結婚式を挙げるべきではないですか」などという話もしてきた。が、飛び込みで結婚式の司婚を頼まれることなど、まったく想定外のことだった。宗派の儀式マニュアルに仏前結婚式の仕方が書いていることも知ってはいたが、実際に行なったことはなかった。だから、そのカップルには何度か寺に来ていただきリハーサルを行った上で、結婚式を執り行うことにした。
 ところで、経験したことのない仏前結婚式の司婚をする上で、最大の問題は法話だった。せっかく二人が考えた末に光西寺を選んで下さったのだから、何かそれに相応しい話をしなければならないと思い、それを考えるために「なぜ仏前で結婚式を挙げようと思ったのですか?」と聞いてみた。それに対して返ってきた答えが冒頭に記した言葉である。「なるほど〈ご縁〉か。さもありなん」と最初は思った。ところが、すぐ次の瞬間、『歎異抄』6条の次の言葉が頭に浮かんできた。

 「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るる」

 これは「親鸞は弟子一人ももたず」ということが述べられた文の中で言われていることである。つまり、「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離るる」のだから、「わが弟子、ひとの弟子」などと言って争うのは「もってのほか」だというのである。
 しかし、結婚式では「つくべき縁あれば伴い」ということは言えても、「離るべき縁あれば離るる」などということは、なかなか言えるものではない。結局、私はその結婚式では、二人が結ばれることになった「縁」のもつ積極的・肯定的な側面のみを強調する内容の法話をしたと記憶する。(何を話したか細かい点は覚えていないが、その時、式の手伝いを頼んだ大学院生が挙式後、「法話をお聞きしていて、〈あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら 僕等は いつまでも 見知らぬ二人のまま〉という小田和正〈ラブ・ストーリーは突然に〉の一節が自然に浮かんできました」と言っていたので、私の話はそれなりに結婚式には相応しい雰囲気は醸し出していたのであろう。その意味では、その時の法話は成功したのだと思うが、しかし「縁」のもつ消極的・否定的な側面にまったく触れられなかったことには、何かモヤモヤした感じが残ったままだった。)
 以上のことを通して、私は仏教というのは本当に結婚式には向かない宗教だということを、改めて思わされた。そもそも「永遠の愛」だの「変わらぬ絆」だのという、一般に結婚を飾る場合に使われやすい言葉など、「諸行無常」を説く仏教から積極的には出てくるはずがないではないか。それ以来、私は「仏教徒なら仏前で結婚式を挙げるべき」というようなことは、言わないことにした。「仏教徒なら仏前で、キリスト教徒なら教会で…」といった言い方は、実は宗教の「教え」や「信仰」とはあまり関係のない、単なる「習慣」や「習俗」の話にすぎない。実際、教会で結婚式を挙げる人の、一体どれだけが真に「キリスト教徒」と言えるのだろうか。
 いずれにせよ、例えば現在「逆縁」と言われるような苦境に立たされているということがあったとしても、それも然るべき因果関係があってそうなっているということを理解し、そうした境遇を引き受けた上で、将来に向かって努力精進していくところに、仏教の根本教説としての「縁起」の意義があるはずである。だから、「つくべき縁」の方だけを飾り立てて、「離るべき縁」の方を忌避するのは仏教的とは言えないだろう。
 但し、かつて「前世の宿業によって被差別部落に生まれた」と言ったり、ハンセン病を「業病」と呼んだりして、仏教の教えを差別の正当化に使うという歴史があったが、これは「業」や「縁起」の教えが誤って運命論的に利用されたものである。今はこの問題には立ち入らないが、上記の「つくべき縁」も「離るべき縁」もどちらも、然るべき因果関係によるものとして受けとめるべきであるというのは、そのような運命論的な意味ではなく、むしろ将来に向けて何をなすべきかを考えるために重要である、という意味で言っていることだと受けとめていただきたい。

nice!(1)  コメント(0) 

論語 №73 [心の小径]

二二七 子のたまわく、後生畏(おそ)るペし。いずくんぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞ゆるなくんば、これ亦畏るるに足らざるのみ。

                法学者  穂積重遠

「後生」は「先きに生れたる者」に対する「後に生るる者」。『礼記』(内剛篇)に「四十を強という、然り。五十命ぜられて大夫と為り官政に服す。」とある。すなわち身を立て道を行う時である。

 孔子様がおっしゃるよう、「若い者はおそろしい。明日の後進が今日の先輩に及ばぬとどうして言い切れようぞ。しかし四十歳五十歳にもなって善行有能の名が聞えぬようでは、おそるるに足らない。」

 孔子様が若い門人たちを見渡して、その将来を楽しみに思われると同時に、前章にいわゆる「秀でて実らざる」者になりはしないかと心配された言葉であろう。私なども、故山本元帥とご同様「今の若い者は」などとは申せぬ、と感心することがしばしばあるが、同時に「今時の若い者は」と言いたくなることもないではないのは、ヤッパリ年を取ったせいであろうか。

二二八 子のたまわく、法語の言(げん)は能(よ)く従うことなからんや。これを改むるを貴(たっと)しと為す。巽与(そんよ)の言は能く説(よろこ)ぶことなからんや、これを繹(たず)ぬるを貴しと為す。説びて繹ねず、従いて改めず。われ未だこれを如何ともすることなきのみ。

 古註に「法語は正しくこれを言うなり。巽与は婉(えん)にしてこれを導くなり。」とある。「繹」は糸口をたぐり出すこと。

 孔子様がおっしゃるよう、「真正面からの忠告は、イヤと言えぬから。ハイとは言うだろうが、ハイと言っただけではだめで、その忠告をいれて過(あやまち)を改めるのが貴いのである。遠回しの忠告は、耳当たりが良い悦(よろこ)ぶではあろうがその意のあるところを汲み取るのが貴いのである。ハイと言っただけで改めず、悦んだだけで意味がわからない、というようなことでは、わしも何とも手のつけようがない。」

二二九 子のたまわく、忠信を主とし、己に如かざる者を友とするなかれ、過(あやま)ってはすなわち改むるに憚(はばか)ることなかれ

 これは既に前に出ており(八)、重出だから現代語訳ははぶく。おそらく前章の「これを改むるを貴Lと為す」と関連させてここに並べたのだろう。

二三〇 子のたまわく、三軍も帥を奪うペし、匹夫(ひっぷ)も志を奪うペからず。                                        

 「匹夫」を「微賎(びせん)の者」の意味にとってもよいが、「三軍」の対句として、「一人」としておこう。

 孔子様がおっしゃるよう、「大軍で守っている大将をとりこにすることはできても、ひとりの人間の志を動かすことはできない。」

 古註に「三軍の勇は人に在り、匹夫の志は己に在り。故に師は奪うべく、志は奪うべからざるなり。もし奪うペくんば、これを志と請(い)うに足らず。′


『新訳論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №63 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 4

                     内村鑑三

 『救拯(すくい)の計画の哲学』には哲学的知恵をしてその心の満足するまでたずさわらしめよ。救拯の事実があるのである、そして哲学も非哲学も事実はこれを無くすことはできない。人間の経験は、我々がそれによって救われなければならないところの、人々のあいだに与えられている、天が下の他のいかなる名をも、未だ知らなかったのである。遺徳学については我々は十分以上をもっている。それはいかなるPh・D(哲学博士)も、大なる謝礼を払いさえすれば、我々に話すことができる。我々に教える博士はなくとも、我々は盗んではならないことを知っている。しかし、おお、盗みということの多様なそして精神的な意味において、盗むなかれ、である!『我を仰ぎ見よ、そして救われよ。』『モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければならない、それは彼を信じる者が、亡びないで、永遠の生命を得るためである。』この彼を仰ぎ見ることに我々の救拯がある、その哲学は何であろうとも。基督教十九世紀の歴史が余にそう教えるのである、そして余の小さな霊魂もまたそれがそうであることを(神に感謝すべきことには)証言することができる。
 これが、それならば、基督教である。すくなくとも余にはそうである。神の子の贖(あがな)いの恩恵による罪からの救いである。それはこれ以上であるかもしれぬ、しかしこれ以下であることはできない。これが、それならば、基督教の神髄である、そして法王、監督、牧師、その他の有用無用の附属物はそれの欠くべからざる部分ではない。そういうものとして、それは他の何物にもまさって有つ価値がある。いかなる真実の人もそれなしにやって行くことはできない、そして平安はそれなしに彼のものであることはできない。

ウェブスターは基督教国を定義して『異教国あるいは回教国と区別され、基督教が広く行われている、あるいは基督教的制度の下に統治されている世界の部分』とする。彼はそれが完全な天使の国であるとは言っていない。それは基督教が広く行われている、あるいは人民の大多数によってそれが彼らの生活の導き手として仰がれているところである。二つの要素、信仰と信仰者とが、いかなる国民でもその実践的道徳を決定する。兇猛なサクソン人、海賊的なスカンジナビア人、快楽好きのフランス人が、ナザレの神の人の教によってこの世において自分自身を制御しようと試みつつある、—それは我々が基督教国で目撃するところである。それならば彼らの不逞(ふてい)のゆえにいかなる非難をも基督教の上に帰することなかれ、むしろ彼らのような虎を抑えるその力のゆえにそれを賞讃せよ。
 もしこれらの民に少しも基督教がなかったならば如何。もし彼らの掠奪を制し彼らを正義と寛容とに転ぜしめる一人の法王レオも彼らのもとになかったならば如何。仏教と儒教とは彼らにはアポリネーリス水が慢性消化不良におけると同様であろう、—不活性、無味、動物性の回帰、永遠の破壊であろう。わずかに戦闘の教会が金銭万能主義(マモニズム)、ラム酒貿易、ルイジアナの富くじ、その他の極悪無道に対し反対の陣を布いたことによってのみ、基督教国は即刻の破滅と死とに転落しないでいるのである。長老教会牧師の子で芸名をロバート・インガーソルという人が言った、我が国はその教会のすべてを劇場に転換する方がよいであろうと。彼がそう言ったのは彼の国がけっして彼の忠告に従わないことを確信していたからである。我々は基督教国の『獣性』について何を言おうとかまわない、その病気そのものがそれを活かしている生命の活力を託するものではないか。
 それならば最大の光にともなう最大の暗黒というこの光学現象を観察せよ。影はそれを投ずる光が明るければ明るいだけ淡いのである。真理の一つの特性は悪をより悪とし善をより善とすることである。何故これがそうであるかを尋ねることは無用である。『おおよそ持っている人は与えられていよいよ豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられるであろう』、—道徳においても経済におけると同じである。蝋を溶かすその同じ太陽が粘土を固まらせる。もし基督教がすべての人に対する光であるならば、それが悪を善と同様に発達させることは不思議とは思われない。それゆえ我々は当然に基督教国において最悪の悪を予期してさしつかえない。

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

nice!(1)  コメント(0) 

論語 №72 [心の小径]

二二四 子のたまわく、これに語(つ)げて惰(おこた)らざる者は、それ回(かい)なるか。

                法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「一応説明してやると、それで済んだつもりで気がゆるむのが普通で、そうでないのは顔回ぐらいのものか。」

  次章にも見えるとおり、顔回はさらに一歩前進するのである。

二二五 子、顔淵(がんえん)を謂(い)いてのたまわく、惜しいかな。われその進むを見たり。未(いま)だその止(とど)まるを見ざりき。

 顔淵の死後、孔子様が追懐(ついかい)しておっしゃるよう、「ほんとうに惜しいことをした。進むところは見たが止まるところを見なかったのに。」

 その学徳の日進月歩して止まるところを知らず、この様子ならばどこまで伸びるかと楽しみにしておられた様子が、短い言葉にあふれている。

二二六 子のたまわく、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者あるかな、秀でて実らざる者あるかな。

 孔子様がおっしゃるよう、「苗のうちはよさそうだったが、それきりで花の咲かぬ者もあることかな、花は咲いたが実のならぬ者もあることかな。」
                                        
 いわゆる「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」の多いことを遺憾として、小成(しょうせい)に安んずるな、大成(たいせい)せよ、と門人たちをはげまされたのである。前章との連想から顔回の短命を惜しんだ言葉と解する説もあるが、どうもそうではあるまい。寿命の問題ではなくて、学徳の問題である。
 私は両親が芝居ずきで、子供の時九代目団十郎・五代目菊五郎を見せておいてくれたことを感謝している次第、それ以来ずいぶんおおぜいの役者を見たが、いつでも感心するのは子役の上手なことだ。父はよく「ガクシャの子よりヤクシャの子の方がえらいぞ。」と私をからかったものだが、それで将来どんな名優になるかと楽しみにしていると、存外(ぞんがい)期待はずれの場合が多い。個人をさしては悪いが、二代目左団次の弟の莚升(えんしょう)が「ぼたん」といった少年時代は実に驚くべき名子役だった。坪内逍遙作「牧の方」の初演のとき、政範(まさのり)という役で、芝翫(しかん)すなわち後の歌右衛門の牧の方を向うに回して大芝居を演じ、兄左団次(当時の莚升)の北条義時などは問題でなかった。その後「ヴイルヘルム-テル」の翻案劇で左団次が「猟師照蔵」を演じたとき、例のりんごをあたまにのせるその子をつとめてスッカリ兄貴を食ってしまったこともある。これに反して左団次は莚升時代には大根楽者と罵(ののし)られた。「矢の根」の五郎を演じたとき、新聞漫画に大根が馬上で大根を振り上げているところがかいてあったのを覚えている。初代左団次の追善興行のとき、弟ぼたんとならんで舞台にすわり、私はご承知のとおりの未熟者でござりますが、これなる弟は末の見込みがござります故御引立を願い上げまする。という口上を言って、見物を気の毒がらせたものだ。しかしさすがは団十郎で左団次のぼたん時代に、こいつは大物になる、と言っていたそうだが、果して洋行帰朝以来あの通り我が国の劇界に新生面を開き、先代とはまた型のちがった、そしてより偉大な名優になった。それに引きかえ麒麟児ぼたんは莚升になってから「秀でて実らず」で済んでしまった。さらに団十郎すらが、若い権十郎時代には「権ちゃん甘い」といわれたそうな。大器晩成なるかな、大器晩成なるかな。


『新薬論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №62 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象-帰郷 3

                      内村鑑三

 異教は、基督教国で基督教として通っているものと等しく、道徳を教え、そしてそれの遵守(じゅんしゅ)を我々に説く。それは我々に道を示し、そしてその中を歩むことを我々に命ずる。それ以上ではなく、またそれ以下ではない。ジャッガノート、幼児犠牲、等々は、我々の異教談からはこれを取除こうではないか、なぜなら財神(マモン)礼拝、鰐(わに)の餌食(えじき)にする方法以外の方法による幼児殺害、基督教国のその他の恐ろしい事と迷信とが基督教ではないように、それらは異教ではないからである。
 そういう点では我々は他を判断するに公平寛大であろうではないか。我々は我々の敵にはその最善最強の点で相会したくある。
 余は躊躇せずに言う、基督教は同じことをすると、すなわち、歩むべき道を我々に示すと。じつにそれは他のいかなる宗教にもまさって明白に誤ることなくそうするのである。それには余がしばしば他の信仰において出会う導きの光の鬼火(おにび)的性質はすこしもない。じつに基督教の顕著な一特徴は、光明と暗黒、生命と死との区別のこの鋭さである。しかしいかなる公平な裁判官にであれモーセの十誠と仏陀(ぶつだ)のそれとを比較せしめよ、そうすれば彼は直にその相違は昼と夜の相違のような相違ではないことを知るであろう。仏陀、孔子、その他の『異教の』教師たちの教えた人生の正道は、基督信徒がこれを注意深く研究すれば、何か自分たちの以前の自己満足を恥かしくおもわせるものである。シナ人と日本人とをして彼ら自身の孔子の誠めを守らしめよ、そうすれば諸君はこれら二国民から諸君がヨーロッパやアメリカで有するいかなるそれより立沢な基督教国を作り出すのである。基督教回心者のうち最もすぐれた人々は仏教や儒教の精髄(せいずい)をけっして捨てなかった。我々が基督教を歓迎するのは、それが我々を助けてなおいっそう我々自身の理想のどとくにならしめるからである。ただ熱心党、『リバイバル屋』、見世物好きの宣教師たちのお気に入りが、彼らの以前の礼拝の対象に対する宗教裁判(auto-da-fe)に没頭するにすぎない。『わたしはそれを廃するためではなく、成就するために来たのである』と基督教の創始者は言った。
 基督教が異教よりより以上でありより高くあるのは、それが我々をして律法を守らしめる点にある。それは異教プラス生命である。それによってのみ律法遵守が可能事となる。それは律法の精神である。すべての宗教のうちでそれは内側から働くものである。それは異教が多大の涙をもって探求摸索(もさく)しつつあったものである。それは我々に善を示すのみならず、我々をまっすぐただちに永遠の善それ自身につれて行くことによって我々を善ならしめる。それは我々に道を備えてくれるのみではない、生命そのものをもまた与えるのである、レールとともに機関車をもまた与えるのである。他の宗教に同様のことをするものがあるか、余はいまなお『比較宗教学』の教を乞いたくある。(註)

(註)グラッドストン(The Right Honourable William Ewart Gradstone)の基督教の定義は左のごとし、-『確立した基督教観念による基督教は、借受すべき抽象的教義を我々に提示するものではなく、我々が生命的合体によりて結びつけらるべき生ける神的の人格者を我々に提示するものである。それは罪によって神から断たれた者の神との再結合である、そしてその方法は教訓を教えるという方法ではなく、定められたようにもろもろの賜物と能力とをそれが授けることにより薪生命を賦与するという方法である。』 - ロバート・エルスミアーについての批評から


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

nice!(1)  コメント(0) 

ミツバチからのメッセージ №3 [心の小径]

山の木が伐られた

       造園業・ミツバチ保護活動家  御園 孝

 第二次世界大戦中、日本の森で大量に木が伐採され、燃料など様々なことに利用されました。国家の非常事態及び人手不足と言う理由で、伐採跡地は放置されていました。
 戦後150万haの伐採跡地を含む1000万haの森にスギ、ヒノキ、マツ、カラマツなどの針葉樹を植林しました。その森の大部分は広葉樹の森でしたが、それを伐採した跡地に針葉樹だけを植林したのです。
 日本の国土面積3779万haに対して森林面積は2512万haですが、天然林1477万haに対して人工林1035万haです。なんと日本の森の41,2%が広葉樹から針葉樹へと林種転換されてしまいました。
 広葉樹の森では多くの花が咲き実を付けますが、花の花粉や蜜だけでなく実や葉っぱなどは、虫や鳥や動物のえさになります。それに対して針葉樹は風媒花なので受粉昆虫を必要としないため必要性が有りませんし、エサもありませんから生きることができません。つまり41,2%の生き物のすみかが消滅したことになり、間違いなく個体数を減らしたに違いありません。
 九州の五島列島では乱伐がたたり、エサ不足でニホンミツバチが絶滅してしまいました。福江島では戦時中都市部から疎開してきた人が増え、森を切り開き食糧生産のための畑を大量に作りました。タバコの生産などが盛んで葉っぱを乾燥させるための燃料として木を伐ったため、ほとんどの木が伐り倒されてしまいました。
 温暖な気候で雨も多いので木も草も直ぐに復活したのですが、離島では一度絶滅したニホンミツバチは復活することができませんでした。


3ウワミズザクラ のコピー.jpg
ウワズミザクラ
3キハダー3 のコピー.jpg
キハダ


広葉樹の森には蜜と花粉がいっぱいの花の咲く木が沢山有ります。
ウワミズザクラ…サクラなのにブラシのように花が咲きブドウの様な房状の実がなります。
キハダ…この花が咲くとミツバチが乱舞します。樹皮は胃腸薬になり珍重されます。 


nice!(1)  コメント(0) 

論語 №71 [心の小径]

二二〇 子のたまわく、出でてはすなわち公卿(こうけい)に事(つか)え、入りてはすなわち父兄に事え、喪事(そうじ)敢(あ)えて勉めずんばあらず、酒の困(みだ)れを為さず。何ぞわれにあらんや。

                 法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「朝廷に出ては上官に服従し、家庭に入っては父母兄姉に奉仕し、葬儀や服喪にはできるだけを尽さぬということなく、酒は飲むが乱酔(らんすい)するまでに至らぬ。まずそのくらいのところで、ほかには何のとりえもないわしじゃ。」

 これは、第一四九章と同様、孔子様の謙遜と自信との言葉だ。前の場合にも申したとおり、「何ぞわれにあらんや」を「以上のこともわしにはできない」の意味に解する説があるが、この場合には「酒の困れを為さず」が変なことになる。第二四三章に「量(はかり)なし乱に及ば」ざる孔子様の酒の上のよかったことが出ているではないか。

二二一 子、川の上(ほとり)にありてのたまわく、逝(ゆ)くものは斯くの如きかな、昼夜を舎(お)かず。

 孔子様が川ばたにたたずんで歎息されるよう、「人間万事過ぎ去って帰らぬこと、川水の昼となく夜となく流れてやまぬようじゃのう。」

 道は流れて絶ゆることなし、学問もすべからく間断(かんだん)なかるべし、の教訓と解する説もあるが、それでは詩的でない。本章はいわゆる「川上歎(たん)の章」であって、安井息軒(そっけん)の左の説明が正に図星だ。「春秋の末、天下大いに乱れ、人その生に聊(やすん)ぜず。孔子、明君を輔(たす)けて以てこれを拯(すく)わんと欲す、しかも世の主、用うる能わず、歳月流るるが如く、孔子も亦すでに老いぬ。たまたま川流(せんりゅう)の一たび去って反らざるを見る。ここにおいてか喟然(きぜん)として以て歎じ、この言を発せるなり。」

二二二 子のたまわく、われ未だ徳を好むこと色を好むが如くなる者見ず。

 孔子様がおっしゃるよう、「色を好むごとく熱烈に徳を好む者を、わしはまだ見たことがない。遺憾(いかん)なことじゃ。」

 本章の「色」も、前の「賢(けん)を賢として色に易(たと)え」(七)の場合と同じく、婦人の容色である。さりとてまた「有徳者を好むこと美人を好む如くなる者を見ず」と解するのも、あまりに直説法過ぎる。「色」を美人と見るにしても、「徳」は徳そのものとしておく方がよい。

二二三 子のたまわく、譬(たと)えば山を為(つく)るが如し。未だ成らざること一簣(いっき)なるも、止むはわが止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆すと雖も、進むはわが往(ゆ)くなり。

 孔子様がおっしゃるよう、「たとえば山を築く場合に、もうひとモッコというところで山が出来上がらないのは、誰のせいでもない自分がやめたのじゃ。また、たとえば地ならしをする場合に、たったひとモッコあけただけでも、それだけ自分で仕事をはかどらせたのじゃ。」

 学問修養についての言葉だが、万事にあてはまる。それからこれが出たのか、これからそれが出たのか、議論があるが、「九仞(きゅうじん)の功を一簣に虧(か)く」という諺がある。

『新薬論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №61 [心の小径]

第十章 基督教国の偽りなき印象—帰郷 2

                     内村鑑三

 基督教国の正しい評価を為すに当って、我々が何よりまず、純粋単純な基督教と、その教授たちによって装飾され教義化された基督教との間に、厳格な区別を設けることは必要かくべからざることである。余はこの世代の正気(しょうき)の人にして敢て基背教そのものを悪く言う者は一人もないと信ずる。余の手に入ったすべての懐疑的(かいぎてき)文学を読んで後に、余が到達した緒論は、ナザレのイエスは彼の名をもって唱(とな)えられている人々に対して為されたあらゆる激しい攻撃ののちに依然として一指も触れられずにいるということであった。もし基督教が余がいまそうであると信じている通りのものであるならば、それはヒマラヤそのもののように確固不動である。それを攻撃する者は、攻撃して自分自身に不利を招くのである。馬鹿者でなくて誰が敢て岩に向って突進するか。
   或る人はなるほど自分が基督教であると想像するものに向って突進する、だがそれはじつは基督教でも何でもなくて或る不真実な信徒たちの建てたそのものの上部建築なのである、彼らは「岩」はそれだけでは「時」のあらゆる消耗磨滅に堪えることはできないと考えてそれを神殿、伽藍(がらん)、教会、教義、三十九箇信条、その他の可燃性の構造物をもって蔽(おお)ったのである、そしてこの世の曇のうちには、そういうものが可燃性であることを知ってそれらに火を放ち、その炎上を喜び、「岩」そのものもまた火焔の中に消滅してしまっと考えるものがある。見よ、「岩」はそこに存在している、『移り行く世にも変らで立ちて』。
 しかし何が基督教であるか。確かに聖書そのものではない、たとえその大部分が、また
おそらくその精髄(せいずい)が、その中に含まれているにしても。またそれは一時の急場に間に合わすために人間の作成した一聯の信仰箇条でもありえない。じつに我々はそれが何であるかよりもそれが何でないかをかをより多く知っているのである。
 我々は基督教は真理であると言う。しかしそれは定義し得べからざるものを他の定義し得べからざるものをもって定義しているのである。『真理とは何ぞや』と、ロマ人ビラトやその他の不誠実な人々によって問われている。真理は生命のように定義するに最も困難である。しかり不可能である。そしてこの機械的世紀はそれらの定義不可能性の故をもって両者を疑い始始めたのである。ビシャー、トレヴィラーヌス、ベクラール、ハクスレイ、スペンサー、へッケル、各自自分自身の生命の定義をもっている、しかしすべて不満足である。『活動における組織』と一人は言う、『死に抵抗する勢力の総和』と他の一人は言う。しかし我々はそれがそれ以上であることを知っている。生命の真の知識はそれを生きることによってのみうまれる。解剖ナイフと顕微鏡はその機制を示すにすぎない。-真理がそうである。我々はそれを守ることによってのみそれを知るにいたるのである。屁理屈(へりくつ)、詮議(せんぎ)立て、こじつけはそれをより少なく真ならしめるにすぎない。真理は、誤る余地なく堂々と、存在している、そして我々はただ我々自身の方からそこに行かなければならないのであり、それを我々の方に呼び寄せてはならない。真理を定義しようという試みそれ自体が、我々自身の愚鈍(ぐどん)を示すのである、なんとなれば無限の宇宙のほかに何が真理を定義する(de-fine)すなわち限定する(li-mit)、ことができるか。それゆえ我々は、単に我々自身の愚鈍を隠す目的のためにも、真理の定義をあきらめるであろう。
 そのようにして余は基督教の定義不可能性は、その非実在の、いわんやそのごまかしの、証拠でないことを知るようになった。余がその教に一致すればするほどそれが余にいっそうすぐれたものとなるというその事実が、無限の真理そのものとのその密接な関係を示すのである。余は基督教が他の諸宗教にまったく関係のないものでないことを知っている。それは『十大宗教』の一つである、そして我々はある人々のように、他の一切を貶(けな)してそれを有つ価値のある唯一の宗教と見せることはしないであろう。しかし余にはそれは余の親しく知っているいかなる宗教よりもすぐれている、はるかにすぐれている。すくなくとも余の育てられた宗教よりはより完全である、そしていま『比較宗教学』について講義されてきたことをすべて精査して後にも、余は未だそれ以上に完全なものを考えることはできない。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

nice!(1)  コメント(0) 

論語 №70 [心の小径]

ニ一七 子貢いわく、美玉(びぎょく)ここに有り。匱(とく)におさめててこれを蔵せんか。善賈(ぜんこ)を求めてこれを沽(う)らんか。子のたまわく、これを沽らんかな、これを沽らんかな。われは賈(こ)を待つ者なり。

                 法学者  穂積重遠

 これは孔子様が盛徳(せいとく)をいだきながら仕官されないのを、子貢が「宝の持ちぐされ」と惜しみ、例の美辞麗句のたとえをもっておたずねしたのであって、孔子様と子頁との問答はいつもながらおもしろい。「匱」は箱のこと。「賈」を「こ」とよんで買い手と解したが、「か」とよんで値段と解する人もある。

 子貴が「ここに美しい玉がありはすが、櫃(ひつ)に入れてしまっておきましょうか、あるいは善い買い手をさがして売りましょうか。」と言ったところ孔子様がおっしゃるよう、「売ろうとも、売ろうとも、わしは買い手を待っているのじゃ。」

 孔子様の言葉には、「しかしこちらから売りつけることはしない。」という意味がふくまれている。すなわち「これを用うればすなわち行い、これを舎(お)けばすなわち蔵(かく)」れるのである(一五七)。

二一八 子九夷(きゅうい)に居(お)らんと欲す。或ひといわく、陋(いや)しきことこれを如何(いかん)。子のたまわく、君子これに居る、何の陋しきことかこれあらん。

 支那(シナ)は中国で、四方は皆野蛮国、という風に考えていたので、それがすなわち
東夷(とうい)・南蛮(なんばん)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)である。そして東夷が九カ国あるというのが「九夷」なのだが、その中に「倭人(わじん)国」というのがあり、それが日本だなどという。そこで伊藤仁斎などは、孔子が本国に愛想をつかして、いわゆる「夷狄(いてき)の君ある」(四五)日本に渡ろうとしたのだと説く。私は仁斎先生の説には感服して、おりおり引用するが、これなどはどうかと思う。「桴(いかだ)に乗りて海に浮ばん」(九八)の場合と同様、実際に外遊しようというのではなくて、天下道なきをなげく孔子様の歎声にほかならぬのだ。本章の「或ひと」なども、本当のことと思って口を出したのだろう。

 孔子様が東夷の国に住もうと望んでおられると聞いたある人が、「風俗が野蛮下等でどうにもなりますまい」と言ったのに対して、孔子様がおっしゃるよう、「君子が行って住めば、その感化によって風俗善良となりそうなことじゃ。何の野蛮下等なことがあろうか。」

 「言(こと)忠信、行い篤敬(とっけい)、蛮貊(ばんばく)の邦(くに)と雖も行われん」(三八一)という孔子様の自信が、ここにもあらわれている。

二一九 子のたまわく、われ衛(」えい)より魯(ろ)に反(かえ)り、然(しか)る後楽正しく、雅頌(がしょう)各(おのおの)その所を得たり。

 魯の哀公の十一年、孔子様六十八歳の時、衛の国を最後として魯に帰り、門人の教育と古礼・古楽の復興とに専念したのであるが、音楽整理の成績を自ら満足して語られた言葉。

 孔子様がおっしゃるよう、「わしが衛から魯に帰って以来骨折ったかいあって、乱れていた音楽が是正され、朝廷の舞楽なる雅、宗廟(そうびょう)の舞楽なる頌、その他それぞれ正しい音楽が正しい場合に演奏されるようになった。」


『信也う論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №60 [心の小径]

 第十章 基督故国の偽りなき印象 - 帰郷 1

                     内村鑑三

 基督教国における余の修行は終りを告げたのであるから、読者諸君は余がそれについて結局どういうふうに考えているかを知りたく思われるであろう。余は初めてそこに上陸して受けた印象を最後まで保持したか。基督教国は結局は異教国より勝(まさ)っているか。基督教は余の国に取り入れる価値があるか、あるいは基督教外国伝道の存在理由はあるか。
 まず余をして率直(そっちょく)に告白せしめよ、余は全く基督教国に心を奪われたのではないことを。三年半のそこでの滞在は、それが余に与えた最善の厚遇と余がそこで結んだ最も親密な友情とをもってしても、余を全くそれに同化せしめなかった。余は終始一異邦人であった、そして余はけっしてそうでなくあろうと努力したことはなかった。文明化された国にいるテラ・デル・フェゴー人が南十字星の下の白波寄せる海角を徘徊(はいかい)した昔を慕い、ラテン化されたインディアンが故郷の草原(プレアリ)で再び野牛の友となることを求めるというようにではなく、より高いより高貴な目的をもって、余は基督教国滞在の最後にいたるまで『ホーム・スウィート・ホーム』の思慕をもって余の故国を慕ったのである。かつて余はアメリカ人やイギリス人になろうという願いをいささかでもいだいたことはなかった、かえってむしろ余の異教的関係を余自身の特別な特権と考え、余を『異教徒』として、そして基督信徒としてでなく、この世に生み出したもうたことを幾度となく神に感謝したのである。
 なぜなら異教徒として生れる幾多の利益があるからである。異教を余は人類の未発達の段階であって、基督教のいかなる形態によって達せられた段階よりもより高いより完全な段階に発展し得べきものと考える。尽きざる希望が、すべての先人のそれよりより壮大な人生にむかって冒険を試みる青年の希望が、基督教によって触れられていない異教諸国民の中にあるのである。そして余の国民は歴史上では二千年以上の年齢であるけれども、キリストにおいてはまだ子供であり、未来のあらゆる希望と可能性はその急速に進歩しつつある日々のなかに隠れているのである。そのような日々を数多く目撃することができることは、余の感謝に堪えないことである。 - かくして余は新真理の力をより多く感ずることができた。『生れながらの基督信徒』には陳腐な常套譜と響いたものが、余には新しい啓示であった、そして
  『薄明の露の帳の下に、
  大なる落日の光を浴びて、
  宵(よい)の明星(みょうじょう)は天の衆軍とともに現れ、
  見よ! 創造は人の視野に拡がりき。』
その時、おそらく我々の最初の親たちによって歌われたであろうすべての讃美を、余から引き出したのである。余の中に余は基督教十八世紀間の変化と進歩を目撃することができた、そして余が余のすべての争闘の中から出て来た時に、余は自分が同情共感の人であることを知った、偶像崇拝から、十字架にかけられたまいし神の子における霊魂の解放にいたるまでの、霊的発展のあらゆる段階に余は通じていたからである。かかる幻想と経験とは、神の子のすべてに与えられてはいない、そして第十一時に招かれた我々は、少なくともこのように長く暗黒の中にとどまっていたすべての損失を償(つぐな)うべき、この特権を有するのである。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』 岩波文庫

nice!(1)  コメント(0) 

論語 №69 [心の小径]

二一五 顔淵(がんえん)喟然(きぜん)として歎じていわく、これを仰げばいよいよ高く、これを鑚(き)ればいよいよ堅し。これを瞻(み)れば前に在り。忽焉(こつえん)として後(しりえ)に在り。夫子循循然(じゅんじゅんぜん)として善(よ)く人を誘(みちび)き、われを博(ひろ)むるに文を以てし、われを約するに礼を以てす。罷(や)めんと欲して能わず、既にわが才を竭(つく)せり。立つ所ありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すと雖(いえど)も、由なきのみ。

                     法学者  穂積重遠

 顔淵が溜息をついて言うよう、「先生のお徳は、高山の仰げばいよいよ高くして登るべからざるがごとく、金石の切ればいよいよ堅くして刃がたたぬと同じである。またその真相のとらえがたきこと、今まで前に見えたかと思えばたちまちうしろに在るような始末である。しかし先生は順序よく人を誘導されて、われわれの知見をひろむるに文字をもってし、われわれの行為を規律するに礼をもってされるので、やめようにもやめられず、力いっぱいを出し切ってここまで追いすがってきた。ところがどこまで行ってみても、先生はわれわれの目の前にそびえ立っておられて、どうかして追いつこうと思っても、及びもつかない。」

 高弟たちが孔子様に追随精進する模様が目に見えるようだ。「立つ所」を顔淵自身のこととして、ともかくも自立し得るところまではきたが先生の位置までは達し得ぬ、の意に解する説もあるが、前記の方が続きもよくおもしろいようだ。

二一六 子疾(やまい)病(へい)なり。子路門人をして臣たらしむ。病(やまい)間(かん))にしてのたまわく、久しいかな由(ゆう)の詐(いつわり)行うや。臣(しん)無くして臣有りと為す。われ誰をか欺かん。天を字無冠や。且つわれその臣の手に死なんよりは、むしろ二三子(ひさんし)の手に死なんか。且つわれたとい大葬(たいそう)を得ずとも、われ道路(とうろ)に死なんや。
                                        
 大夫が病気ならば家臣が見舞客の応接もし、また死ねば葬儀も執り行うのだが、孔子橡は当時退官しておられたから家臣というものがない。そこで子路が、それでは体裁もわるいし、万一の場合は葬儀も盛大に執り行いたいと思って、若い門人たちを家臣に仕立てたのである。前に出ていた「祷(いのら)んことを請う」と同じ時かどうか知らないが、子路はとかく師匠思いのあまり出過ぎたことをする。殊に重態だからとて葬式の心構えまでしたのならば、少少気が早過ぎる。江戸笑話にこういうのがある。今度雇った下男は、「エヘンと言えばたばこぽん」でまことに気がきいている。咳(せき)をすれば医者にかけつける、二三日ねると寺に行く。「久しいかな」は、今さらならぬことながらの意。わが国でも「久しいものだ」という。

 孔子様の病気が重態なので、子路が門人たちを家臣に仕立てた。病気がややおこたったとき、はじめてそれを知っておっしゃるよう、「久しいものだ、由がこしらえ事をするのも。わしに家臣がないのは皆が知っているから、家臣があるように見せかけたとて、誰をだませようか。よし人はだませても、天道様をあざむけようか。その上わしは、大夫として家臣の手で死ぬよりか、むしろ先生としてお前ら弟子たちに死に水を取ってもらいたいのだ。たとえ大夫の礼で葬られずとも、まさか道ばたでのたれ死をしはすまいじゃないか。」

 「二三子の手に死なん」というのがいかにも人情があってよい。私は某元老の国葬の儀に参列して、万端一切が係役人の手で取りしきられ、親族友人は隅の方に小さくなっているのを見て、この本文を思い出したことがある。


『新訳論語』講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 

余は如何にして基督信徒となりし乎 №59 [心の小径]

第九章 基督教国にて―神学の一瞥 6

                     内村鑑三

 憐れむべき厳格な東洋人には、しかしながら、この簡単な科学的議論を洞察することはできない。彼らは信ずるのである、人はパンのみによって生きるものでないこと、精神はある点では肉体的食物でもあること、そして自分のうちにある満ち満つる天の霊で生きる人々には羊肉チョップと鶏肉パイは無くて済まされ得るものであることを。宣教師の生活様式に対する『不親切な』批評はそのためである。もちろんこれらの宣教師たちは、時には外国伝道の敵によって報告されることのあるように、『宮殿風』に生活してはいない。彼らはただ自分の国で生活するように生活しているにすぎない。しかし彼らがそのなかに派遣されて来たその国民には、彼らは宮殿暮しをしているように見えるのである。ご存知の通り富と快楽は単に比較的の名辞にすぎない、そして長椅子は荷の上に転(ころが)っている者には贅沢である。こういうわけで、それゆえに、滅びる異教徒に救擬(すくい)の喜ばしい音ずれをもって近づくために、宣教師たちの熱心が苦闘して通過しなければならない一つの障害が現れるのである。
 そして時には『祝福せられた』宣教師たちが来ることもある、異教徒のこの特質を調べてそれに応じて振舞う人々である。彼らは白ネクタイをはずし、頭を辮髪(べんぱつ)にし、バイやその他の故郷の美味を断ち、蓆(むしろ)の上に膝を折ることを習い、そしてあらゆる方法とさまざまな手段によって、霊魂をイエスにかちとる彼らの熱心な仕事に従事する。そういう人々には、我々異教徒は喜んで堪える。彼らは光と真理に来ることに驚くばかり我々を援助する、そして我々は彼らと彼らを遣(おく)りたまいし「彼」を、彼らが我々に為す善のために、讃美する。そのような宣教師は長老派シナ派遣宣教師クロセット氏(Crossett)であった。彼はシナ人そのものになった、しかもシナ人のうちの宮人族にではなかった。ついには彼の『奇行』は彼から本国の補助を奪った、しかし彼には異教徒自身があって彼の事業を助けて行った。彼はペキンに救貧院を設立し、異教徒のペキン商人たちによって維持された。彼は普通のシナ人とともに船艙で旅行した。このようにして黄海一帯に彼の伝道を続けつつある間に、彼の天上のホームへの召命が彼に来たのである。船長の自分の船室に来て楽に寝るようにという彼への忠告はしずかに拒絶された、自分が遣わされたその人々のなかで死にたかったからである。人々は無理やりに彼を船室に運んだ、そしてそこで彼は息絶えた、周囲の一同を彼の神と救拯主とに委ねつつ。彼の訃報(ふほう)は彼の故国に達した。宗教新聞はそれに多くの論評を加えることなしに看過した。然り、それのみではない。彼の犠牲は愚かな犠牲であったこと、善行は白ネクタイをつけて一等船室のなかで為され得ることを、暗に証拠立てる事例が引用された。けれどもペキン人とテンシン人とその他の辮髪紳士とは彼の奉仕を忘れない。彼らは彼に『基督仏』の名をつけた、それほど彼の存在は彼らの間で崇められていたのである。彼の宗教からはおそらく彼らのうちのはなはだ少数しか恩恵にあずからなかったであろう、しかし彼からはすべてのものが神的な悲しみと愛とについて何事かを学んだに相違なかった。
 幸運な宣教師の彼よ! おそらく何人も彼を模倣することはできないであろう。おそらく彼の胃は駝鳥(だちょう)のそれであって、シナ人の食物を消化不良を起さずに消化することができたのであろう。余は言う、彼は幸運であったと、なぜなら彼のような人は『伝道地の困難』をつぶやく必要がないからである。我々は彼の人まねを試みないであろう、人まねは偽善であり、何の善いこともそれからは出て来ないからである。辮髪にすることと船艙で旅行することとは事の本質ではない、もちろんである、しかし被の精神が事の本質である。それを我々は『奇行』として軽蔑しないであろう。もし我々のうち誰でも異邦人の間で成功した宣教師になろうという野心をもつならば、我々は彼に似たものとせられるように祈るであろう。


『余は如何にして基督信徒となりし乎』岩波文庫

nice!(1)  コメント(0) 

論語 №68 [心の小径]

ニ一二 子のたまわく、われ知ることあらんや。知ることなきなり。鄙夫(ひふ)あり、われに問う。空空(こうこう)如(じょ)たり。われその両端を叩きて竭(つく)す。

                 法学者  穂積重遠

 「空空」は前(二〇〇)に出た「怪怪」と同じく、誠実の意。あるいはこれを文字どおり無知の意に解する説もある。

 孔子様がおっしゃるよう、「わしが何を知るものか、何も知ってはいない。ただかりにいなか者があって、まじめにわしに物をたずねたとしたら、終始・本末・大小・上下・肺肝・厚薄のはしからはしまでを叩きつくして、知っているかぎりを残すところなく教えてやるだけのことじゃ。」

二一三 子のたまわく、鳳鳥(ほうちょう)至らず。河、図(と)を出さず、われ己(や)んぬるかな。

 「鳳鳥」は鳳凰。舜の時来儀(らいぎ)し、文王の時岐山(きざん)に鳴く、とある。
「図」は八卦(はっけ)の図。伏義(ふつぎ)の時にに龍馬(りゅうめ)(馬の八尺〔約二・四メートル〕以上なるを龍という)が図を負(お)いて黄河から出現しとある。

 孔子様がおっしゃるよう、「鳳凰も来り舞わず、河から八卦の図も出(い)でず、これ聖主名君なきしるし、ああわが道もこれでおしまいか。」

 聖主明君に遇いこれを輔佐して道を行おうというのが、孔子様の大願であったが、当時孔子を知りこれを用いる人君なく、これではわしも如何とも致しようがない、と歎息されたのである。孔子様が吉兆祥瑞(きっちょうしょうずい)を迷信されたのでないことはもちろんで、伊藤仁斎はその点を、「或(ある)ひといわく、聖人は祥瑞を言わずと、此に鳳鳥河図を言えるほ何ぞやと。いわく、これ祥瑞を説けるにあらず、鳳鳥河図を仮りて以て時に明主なきを歎ぜるなり。けだし聖人は人と与(とも)にして以て異を立てず、世と同じくして敢て聴を駭(おどろ)かさず。およそ事の大なる得失なきものは、皆旧套(きゅうとう)に従う。敢て粉粉(ふんぷん)の説を為して以て人の聴聞をみださず、鳳鳥河図は古来相伝えて以て聖王世を御(ぎょ)するの瑞(ずい)と為(な)せり。故に夫子これを仮りて以てその歎(たん)を寓(ぐう)せるのみ。」と説明した。すなわち明君なしと正面からいってしまうと、魯の君に対しては不敬となり、他の諸侯にも当り障りがある故、遠回しに聖主名君出現の吉兆がないとほのめかされたのである。

ニ一四 子、斉衰者(しさいしゃ)冕衣裳者(べんいしょうしゃ)と瞽者(こしゃ)とを見る。これを見れば少しと雖(えど)も必ず作(た)つ。これを過ぐれば必ず趨(わし)る。

 「斉衰」は第二級の喪服。第一級は「暫衰(ざんすい)」だが、ここでは一般に喪服という意味。「趨」は「わしる」とよむしきたりになっている。小腰をかがめて小走りすること。

 孔子様は、喪服をきた者と、大礼服の役人と、盲人とにであわれると、それが自分より若い人であっても、あちらがこちらの前に来る場合には必ず起立され、こちらがあちらの前を通るときには必ず小走りされた。

 孔子様が人の喪に同情し、爵位を尊び、不具者をあわれまれたことをいったものだが、喪服や大礼服に対してはともかく、盲人に対して相手に見えない札をつくすところが、孔子様だ。


『新訳論語』 講談社学術文庫

nice!(1)  コメント(0) 
前の20件 | - 心の小径 ブログトップ